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第四章
第二十二話 魂の謎①
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魔界の入り口はすぐに見つかった。しかし、それを塞ぐのは困難だったし、ましてや破壊することは今の俺たちの力では不可能だということが分かった。
途方に暮れた俺たちは、三日目の朝、ハンテングリ山を発って峨眉山に向かった。ここにいるもう一体の光のヌシに会って相談するためだった。というのも、あのルシフェルとの戦いの後、サクヤの容態がなかなか回復せず、一度光のヌシに相談した方が良いというのが皆の一致した意見だったからだ。
だが、峨眉山の周辺には当然結界が張ってあるはずだし、それを解く方法も、どうやって光のヌシに会うかも知る者はなく、まったくの行き当たりばったりだった。
「┅┅そう言えば、宮内庁からもらった手引き書の中に、中国は共産党政権になってから宮内庁との交流が途絶え、光の世界組織から孤立している国の一つになったと書いてあったわね┅┅組織の人に助けてもらうのも期待できないか┅┅」
峨眉山の近くの岩山に下りた俺たちは、小さな岩穴の中で昼食をとりながら話し合っていた。
沙江の言葉に、俺も竜騎も手引き書はほとんど読んでなかったので、ただ頷くしかなかった。
「でも、ヌシ様はおられるわけだし、精霊や使霊もおるんやないか?」
「ええ、いると思うわ。ただ、どうやって接触するか、それに言葉が┅┅まあ、中国語だったら、私が少しは話せるんだけど┅┅」
「┅┅お前、いったい何カ国語しゃべれるんだよ┅┅」
「まあ、とにかく峨眉山の麓まで行ってみよう┅┅だめだったら仕方ないから、イサシかゴーサに日本まで飛んでもらって、ミタケノウチノツカサ様に来てもらうしかない┅┅」
俺の言葉に竜騎と沙江も頷いた。
「具合はどうだ?」
昼食の後、他の者が出発の準備をしている側で、俺は寝ているサクヤを抱き起こしながら尋ねた。
「ご迷惑をおかけしてすみません┅┅傷はもうふさがったのですが、気分が悪くて、体に力が入らないのです┅┅」
「そうか┅┅沙江の見立てだと毒じゃないらしいから、きっと、今まで溜まっていた疲れが出たんだろう┅┅気にせずゆっくり休んでいろ┅┅」
サクヤは頷いて目を伏せ、涙を隠すように俺の胸に顔を埋めた。
「修一様、サクヤさんをお願いします」
「ああ、今行く┅┅」
俺はサクヤを抱きかかえて岩穴を出ると、彼女をイサシの背中に乗せた。沙江は安全のためにロープでサクヤをイサシの体に固定した後、自らもイサシの背に登って行く。
峨眉山は古くからの霊山で景勝地でもあったので、登山客や観光客も多かった。精霊であるイサシやゴーサ、サクヤの姿は能力者でなければ見えないが、人間である俺と竜騎、沙江の姿は一般の人間にも見える。つまり、イサシやゴーサに乗って飛んでいる俺たちを見れば、人間が三人とロープやリュックなどが空を飛んでいるように見えるのだ。
よけいな騒ぎを起こさないように、人気のない岩場に降りた俺たちは、そこから歩いて峨眉山を目指すことにした。
「パスポートも持ってないんだから、絶対騒ぎを起こさないでね」
「俺の方を見て言うなっ!分かってるって、そんなこと」
俺たちは険しい岩場を登って行った。俺が先頭で竜騎と沙江と一本のロープで体を結び合っていた。たとえ竜騎と沙江が足を踏み外しても、俺は空中に浮かべるので二人が落ちることはなかった。
俺はリュックの中身を出し、空いたリュックにサクヤを入れて背負った。もちろん全身は入らなかったので、足をリュックの中に突っ込んで俺に負ぶさるかっこうになった。
「大丈夫か、サクヤ?きつくなったら言うんだぞ」
「はい、大丈夫です┅┅こうしていると、不思議ですがとてもラクなんです」
サクヤは俺の首に両腕を巻き付けて、ぴったりと体を密着させたまま耳元でささやいた。
「おーい、修一、きつくなったらいつでも交代してやるからな」
「あはは┅┅その必要はないよ┅┅俺はほとんど歩いてないんだ┅┅」
浮かんで移動していれば、サクヤを背負っている体力しか使わないのでラクだった。しかし、峨眉山が目の前に近づくにつれて人が多くなり、浮かんでばかりはいられなくなった。
〝ようこそいらっしゃいました〟
突然聞こえてきた声に、俺たちは驚いて声を上げそうになった。急いで辺りを見回すと、登山客が登っている山道のすぐ横の空中に、華麗な古代中国の衣装を着た美しい少女が浮かんで、こちらを見ていた。
俺たちはできるだけ怪しまれないように、道の脇に休むふりをして少女の側に近づいていった。
「俺が、代表して話をするよ」
俺は竜騎と沙江にそう言ってから、心の声で少女に話しかけた。
〝どうも初めまして┅┅俺は小谷修一といいます┅┅それと┅┅〟
〝はい、存じております。新しい射矢王様とそのお連れの方たちですね。どうぞ、私についてきて下さい〟
〝あ、はい、ありがとうございます┅┅しかし、人目があるので、飛ぶわけにはいきません。どうすれば┅┅〟
〝今から結界を一部だけ解きます。人がいなくなった時を見計らってその中に飛び込んで下さい〟
少女の声は全員に聞こえていたので、皆で頷き合って登山客が途絶えるのを待った。
〝今です、入って下さい〟
少女は、何もない空間をカーテンをめくるように手で持ち上げた。すると、一メートル四方の空間がめくれ、その向こうに美しい草原の道が広がっていた。俺たちはあっけにとられながらも、急いでその異空間の中に飛び込んでいった。
〝ここから先は精霊の力が封じられています。皆様には歩いて頂上まで登って頂きます。それと┅┅〟
少女はそこで言葉を切ると、俺の背中に負ぶさっているサクヤに冷ややかな視線を向けて続けた。
〝┅┅妲己┅┅生まれ変わったと聞いていましたが┅┅やはりまだ禍々しい気をその身の内に秘めていますね┅┅その者を連れて行くのは危険が┅┅〟
〝いいえ、大丈夫です。何の心配もいりません。この子は妲己ではなく、俺の使霊でサクヤと言います〟
俺は少女をじっと見つめながら言った。
少女は冷たく鋭い目で俺を見つめていたが、やがてふっと小さく息を吐き、目を伏せた。
〝分かりました┅┅あなたが責任を持ってその者を抑えると言うなら、いいでしょう┅┅では、
御案内します〟
少女はそう言うと、前を向いて歩き出す。それを見て、全員がほっとしたようにお互いの顔を見合わせたのだった。
その道は蛇行しながら緩やかな登りになって、先ほどまで俺たちが目指していた峨眉山の山頂へと続いていた。だが、その峨眉山は険しい岩山ではなく、山頂付近まで緑の草原が覆っているなだらかな山だった。
〝修一様┅┅私、思い出しました┅┅あの使霊とは昔戦ったことがあります┅┅その時はあの使霊は私の力に恐れをなして、すぐに逃げ出しましたが┅┅〟
〝そうか┅┅その時の恐怖がまだあの使霊の中には残ってるんだな、きっと┅┅〟
サクヤは小さなため息をついて、俺の首元に頬をすり寄せる。
「すげえ┅┅さっきの場所とはまるっきり別世界だな┅┅」
「ええ┅┅こちらが本当の峨眉山なんでしょうね。あちらの峨眉山は人があまり近づかないように険しい岩山に作り替えられたものだと思うわ┅┅」
「えっ┅┅ちょっと待て┅┅すると何か┅┅俺たちが外から見ていた峨眉山は、結界にすっぽり覆われたイミテーションってことか?」
「ええ、そうなるわね」
「ふえー┅┅どんだけすげえ術だよ、想像を超えてるわ┅┅」
草原の道を歩きながら、俺たちは周囲の美しい景色を楽しんだ。
〝あなたはヌシ様の使霊ですか?〟
俺は前を行く少女に話しかけた。
〝┅┅はい。光帝様の使霊でシーチェと申します〟
『シーチェ』と聞いて全員が驚き、顔を見合わせた。ルシフェルは、用意周到に光帝の使霊の名前まで調べた上でこの世界に侵攻してきたのだ。今後の闇の戦士との戦いは、そうした情報戦の上でも心して戦わなければならないと、全員が感じていた。
やがて頂上が近くなったとき、俺たちの目に白い巨大な建物が見えてきた。近づくにつれ、その大きさと半透明の石のような材質に誰もが目を奪われた。
〝ここが、光帝様のお社です。ここでしばらくお待ち下さい
使霊の少女シーチェはそう言うと、大きな扉の前に進み小さな声で呪文のようなものを唱え始めた。すると、扉が光り始め、同時にゆっくりと開いていった。
〝どうぞお入り下さい〟
俺たちは緊張しながら、その淡い光に満たされた建物の中に足を踏み入れた。
「何でできてるんだろう┅┅石かな?」
「ええ┅┅たぶん、玉(ギョク)と呼ばれる宝石だと思うわ┅┅」
「はあ┅┅もう俺、考えるのをやめるわ┅┅」
シーチェに案内されて入った部屋は、広くて前方に何か祭壇のようなものがあった。
〝今から光帝様をお呼びします┅┅そそうのないようお願いします〟
シーチェはそう言うと、前に歩いて行って祭壇の下で止まった。そして、両手を何度か開いたり閉じたりしながら、片膝をついて頭を下げた。すると、祭壇の上から光が降ってきて、やがて部屋全体がまばゆい光の中に包まれた。
〝よく来てくれた、ヤマトタケルとその供たちよ┅┅〟
荘厳な声が上から聞こえてきて、俺たちは自然とひざまづき、頭を垂れていた。
〝こたびの戦い、逐一精霊たちから聞かせてもらったぞ┅┅よくぞ闇の者たちを滅ぼしてくれた┅┅皆になりかわり厚く礼を申す┅┅〟
「ありがとうございます┅┅しかし、魔界の入り口を塞ぐことはできませんでした。今後どうすればよいか、ご指示を頂きたくここへ参りました」
〝うむ、それについてはミタケノウチノツカサより詳しく話さするゆえ、しばし待て┅┅〟
光帝がそう言い終えてしばらくすると、祭壇が一段とまぶしい光を放ち初め、その中から見覚えのある人影が現れた。
「お久しぶりですな、射矢王様┅┅元気そうで何よりじゃ、サキツノミコザノタラシヒコ、イミアピカナクル┅┅」
ミタケノウチノツカサ翁は床に降り立つと、俺たちのもとへ歩いてきた。
「さあ、お立ちなされ┅┅よくぞお役目を果たして下されました┅┅ヌシ様たちもいたくお喜びですぞ┅┅」
「皆のおかげでなんとか妖魔は討つことができました。ですが、魔界の入り口は、我々の力では塞ぐことも、壊すこともできませんでした。それと┅┅サクヤが、この通り、双子の妹のルシフェルとの戦いで傷つき、まだ回復していません┅┅」
「うむ┅┅まずはカシワギのことからにいたしましょうかの┅┅」
老翁はそう言うと、傍らの床を杖で軽く叩いた。すると、床が生き物のように動いて、やがて大きなベッドのようになった。
「さあ、カシワギ、ここに横になれ」
サクヤは俺の背中から下りると、石のベッドの方へ歩いて行き、その上に体を横たえた。
「実はのうカシワギ┅┅わしが見たところ、そなたの中に妹の魂が残っておるようじゃ」
それを聞いて、俺たちは全員驚きの声を上げた。
「そなた、魂交の術を使うたであろう?そなたと、妹はもともと一つの魂が闇のヌシによって分かたれたもの┅┅魂交によって結びつけられれば、もとの一つになろうとするは必然のことじゃ」
「はい┅┅確かに妹の記憶や感情がこみ上げてきて┅┅苦しくて、体の力を奪われるような┅┅今は、そのような状態です┅┅」
「うむ、やはりのう┅┅もはや、一つの魂には戻らぬようじゃな┅┅さすれば、そなたの魂と妹の魂を再び分ける他あるまい┅┅それでよいか?」
「はい┅┅一刻も早く、そうして下さりませ」
「分かった┅┅では、今からそなたの体からいったん魂を抜き取る」
ミタケノウチノツカサ翁はそう言うと、杖の先をサクヤの額に当ててしばらくじっと目をつぶっていた。俺たちは初めて目にする神の領域の出来事に、ただ声もなくまばたきすら忘れて見入るばかりだった。
そして、老翁は目を開けると、ゆっくりと杖を上に持ち上げていった。すると、サクヤの眉間の辺りから、白くふわふわしたような光がすーっと抜け出してきた。
老翁は杖を持っていない左の手をゆっくりとその光の塊の中に差し込んでいった。そして低い声でしばらくの間呪文を唱えていた。やがて、老翁が左手を引き抜いていくと、彼の手のひらの上には黒い光を放つ小さな塊が載っていた。老翁は杖を下ろしていき、白い光の塊を再びサクヤの額の中へ戻していった。
サクヤは目を開き、何事もなかったかのように俺の方を向いてにっこりと微笑んだ。
「修一様┅┅もう大丈夫です」
「そうか┅┅よかった┅┅」
サクヤは起き上がって、元気な足取りで俺のそばへ歩いてきた。
「すげえもの見たな┅┅」
「ええ┅┅あれが魂なのね┅┅脳全体を包んでいるのかしら┅┅」
竜騎と沙江はまだ夢見心地で、ささやき合っていた。
途方に暮れた俺たちは、三日目の朝、ハンテングリ山を発って峨眉山に向かった。ここにいるもう一体の光のヌシに会って相談するためだった。というのも、あのルシフェルとの戦いの後、サクヤの容態がなかなか回復せず、一度光のヌシに相談した方が良いというのが皆の一致した意見だったからだ。
だが、峨眉山の周辺には当然結界が張ってあるはずだし、それを解く方法も、どうやって光のヌシに会うかも知る者はなく、まったくの行き当たりばったりだった。
「┅┅そう言えば、宮内庁からもらった手引き書の中に、中国は共産党政権になってから宮内庁との交流が途絶え、光の世界組織から孤立している国の一つになったと書いてあったわね┅┅組織の人に助けてもらうのも期待できないか┅┅」
峨眉山の近くの岩山に下りた俺たちは、小さな岩穴の中で昼食をとりながら話し合っていた。
沙江の言葉に、俺も竜騎も手引き書はほとんど読んでなかったので、ただ頷くしかなかった。
「でも、ヌシ様はおられるわけだし、精霊や使霊もおるんやないか?」
「ええ、いると思うわ。ただ、どうやって接触するか、それに言葉が┅┅まあ、中国語だったら、私が少しは話せるんだけど┅┅」
「┅┅お前、いったい何カ国語しゃべれるんだよ┅┅」
「まあ、とにかく峨眉山の麓まで行ってみよう┅┅だめだったら仕方ないから、イサシかゴーサに日本まで飛んでもらって、ミタケノウチノツカサ様に来てもらうしかない┅┅」
俺の言葉に竜騎と沙江も頷いた。
「具合はどうだ?」
昼食の後、他の者が出発の準備をしている側で、俺は寝ているサクヤを抱き起こしながら尋ねた。
「ご迷惑をおかけしてすみません┅┅傷はもうふさがったのですが、気分が悪くて、体に力が入らないのです┅┅」
「そうか┅┅沙江の見立てだと毒じゃないらしいから、きっと、今まで溜まっていた疲れが出たんだろう┅┅気にせずゆっくり休んでいろ┅┅」
サクヤは頷いて目を伏せ、涙を隠すように俺の胸に顔を埋めた。
「修一様、サクヤさんをお願いします」
「ああ、今行く┅┅」
俺はサクヤを抱きかかえて岩穴を出ると、彼女をイサシの背中に乗せた。沙江は安全のためにロープでサクヤをイサシの体に固定した後、自らもイサシの背に登って行く。
峨眉山は古くからの霊山で景勝地でもあったので、登山客や観光客も多かった。精霊であるイサシやゴーサ、サクヤの姿は能力者でなければ見えないが、人間である俺と竜騎、沙江の姿は一般の人間にも見える。つまり、イサシやゴーサに乗って飛んでいる俺たちを見れば、人間が三人とロープやリュックなどが空を飛んでいるように見えるのだ。
よけいな騒ぎを起こさないように、人気のない岩場に降りた俺たちは、そこから歩いて峨眉山を目指すことにした。
「パスポートも持ってないんだから、絶対騒ぎを起こさないでね」
「俺の方を見て言うなっ!分かってるって、そんなこと」
俺たちは険しい岩場を登って行った。俺が先頭で竜騎と沙江と一本のロープで体を結び合っていた。たとえ竜騎と沙江が足を踏み外しても、俺は空中に浮かべるので二人が落ちることはなかった。
俺はリュックの中身を出し、空いたリュックにサクヤを入れて背負った。もちろん全身は入らなかったので、足をリュックの中に突っ込んで俺に負ぶさるかっこうになった。
「大丈夫か、サクヤ?きつくなったら言うんだぞ」
「はい、大丈夫です┅┅こうしていると、不思議ですがとてもラクなんです」
サクヤは俺の首に両腕を巻き付けて、ぴったりと体を密着させたまま耳元でささやいた。
「おーい、修一、きつくなったらいつでも交代してやるからな」
「あはは┅┅その必要はないよ┅┅俺はほとんど歩いてないんだ┅┅」
浮かんで移動していれば、サクヤを背負っている体力しか使わないのでラクだった。しかし、峨眉山が目の前に近づくにつれて人が多くなり、浮かんでばかりはいられなくなった。
〝ようこそいらっしゃいました〟
突然聞こえてきた声に、俺たちは驚いて声を上げそうになった。急いで辺りを見回すと、登山客が登っている山道のすぐ横の空中に、華麗な古代中国の衣装を着た美しい少女が浮かんで、こちらを見ていた。
俺たちはできるだけ怪しまれないように、道の脇に休むふりをして少女の側に近づいていった。
「俺が、代表して話をするよ」
俺は竜騎と沙江にそう言ってから、心の声で少女に話しかけた。
〝どうも初めまして┅┅俺は小谷修一といいます┅┅それと┅┅〟
〝はい、存じております。新しい射矢王様とそのお連れの方たちですね。どうぞ、私についてきて下さい〟
〝あ、はい、ありがとうございます┅┅しかし、人目があるので、飛ぶわけにはいきません。どうすれば┅┅〟
〝今から結界を一部だけ解きます。人がいなくなった時を見計らってその中に飛び込んで下さい〟
少女の声は全員に聞こえていたので、皆で頷き合って登山客が途絶えるのを待った。
〝今です、入って下さい〟
少女は、何もない空間をカーテンをめくるように手で持ち上げた。すると、一メートル四方の空間がめくれ、その向こうに美しい草原の道が広がっていた。俺たちはあっけにとられながらも、急いでその異空間の中に飛び込んでいった。
〝ここから先は精霊の力が封じられています。皆様には歩いて頂上まで登って頂きます。それと┅┅〟
少女はそこで言葉を切ると、俺の背中に負ぶさっているサクヤに冷ややかな視線を向けて続けた。
〝┅┅妲己┅┅生まれ変わったと聞いていましたが┅┅やはりまだ禍々しい気をその身の内に秘めていますね┅┅その者を連れて行くのは危険が┅┅〟
〝いいえ、大丈夫です。何の心配もいりません。この子は妲己ではなく、俺の使霊でサクヤと言います〟
俺は少女をじっと見つめながら言った。
少女は冷たく鋭い目で俺を見つめていたが、やがてふっと小さく息を吐き、目を伏せた。
〝分かりました┅┅あなたが責任を持ってその者を抑えると言うなら、いいでしょう┅┅では、
御案内します〟
少女はそう言うと、前を向いて歩き出す。それを見て、全員がほっとしたようにお互いの顔を見合わせたのだった。
その道は蛇行しながら緩やかな登りになって、先ほどまで俺たちが目指していた峨眉山の山頂へと続いていた。だが、その峨眉山は険しい岩山ではなく、山頂付近まで緑の草原が覆っているなだらかな山だった。
〝修一様┅┅私、思い出しました┅┅あの使霊とは昔戦ったことがあります┅┅その時はあの使霊は私の力に恐れをなして、すぐに逃げ出しましたが┅┅〟
〝そうか┅┅その時の恐怖がまだあの使霊の中には残ってるんだな、きっと┅┅〟
サクヤは小さなため息をついて、俺の首元に頬をすり寄せる。
「すげえ┅┅さっきの場所とはまるっきり別世界だな┅┅」
「ええ┅┅こちらが本当の峨眉山なんでしょうね。あちらの峨眉山は人があまり近づかないように険しい岩山に作り替えられたものだと思うわ┅┅」
「えっ┅┅ちょっと待て┅┅すると何か┅┅俺たちが外から見ていた峨眉山は、結界にすっぽり覆われたイミテーションってことか?」
「ええ、そうなるわね」
「ふえー┅┅どんだけすげえ術だよ、想像を超えてるわ┅┅」
草原の道を歩きながら、俺たちは周囲の美しい景色を楽しんだ。
〝あなたはヌシ様の使霊ですか?〟
俺は前を行く少女に話しかけた。
〝┅┅はい。光帝様の使霊でシーチェと申します〟
『シーチェ』と聞いて全員が驚き、顔を見合わせた。ルシフェルは、用意周到に光帝の使霊の名前まで調べた上でこの世界に侵攻してきたのだ。今後の闇の戦士との戦いは、そうした情報戦の上でも心して戦わなければならないと、全員が感じていた。
やがて頂上が近くなったとき、俺たちの目に白い巨大な建物が見えてきた。近づくにつれ、その大きさと半透明の石のような材質に誰もが目を奪われた。
〝ここが、光帝様のお社です。ここでしばらくお待ち下さい
使霊の少女シーチェはそう言うと、大きな扉の前に進み小さな声で呪文のようなものを唱え始めた。すると、扉が光り始め、同時にゆっくりと開いていった。
〝どうぞお入り下さい〟
俺たちは緊張しながら、その淡い光に満たされた建物の中に足を踏み入れた。
「何でできてるんだろう┅┅石かな?」
「ええ┅┅たぶん、玉(ギョク)と呼ばれる宝石だと思うわ┅┅」
「はあ┅┅もう俺、考えるのをやめるわ┅┅」
シーチェに案内されて入った部屋は、広くて前方に何か祭壇のようなものがあった。
〝今から光帝様をお呼びします┅┅そそうのないようお願いします〟
シーチェはそう言うと、前に歩いて行って祭壇の下で止まった。そして、両手を何度か開いたり閉じたりしながら、片膝をついて頭を下げた。すると、祭壇の上から光が降ってきて、やがて部屋全体がまばゆい光の中に包まれた。
〝よく来てくれた、ヤマトタケルとその供たちよ┅┅〟
荘厳な声が上から聞こえてきて、俺たちは自然とひざまづき、頭を垂れていた。
〝こたびの戦い、逐一精霊たちから聞かせてもらったぞ┅┅よくぞ闇の者たちを滅ぼしてくれた┅┅皆になりかわり厚く礼を申す┅┅〟
「ありがとうございます┅┅しかし、魔界の入り口を塞ぐことはできませんでした。今後どうすればよいか、ご指示を頂きたくここへ参りました」
〝うむ、それについてはミタケノウチノツカサより詳しく話さするゆえ、しばし待て┅┅〟
光帝がそう言い終えてしばらくすると、祭壇が一段とまぶしい光を放ち初め、その中から見覚えのある人影が現れた。
「お久しぶりですな、射矢王様┅┅元気そうで何よりじゃ、サキツノミコザノタラシヒコ、イミアピカナクル┅┅」
ミタケノウチノツカサ翁は床に降り立つと、俺たちのもとへ歩いてきた。
「さあ、お立ちなされ┅┅よくぞお役目を果たして下されました┅┅ヌシ様たちもいたくお喜びですぞ┅┅」
「皆のおかげでなんとか妖魔は討つことができました。ですが、魔界の入り口は、我々の力では塞ぐことも、壊すこともできませんでした。それと┅┅サクヤが、この通り、双子の妹のルシフェルとの戦いで傷つき、まだ回復していません┅┅」
「うむ┅┅まずはカシワギのことからにいたしましょうかの┅┅」
老翁はそう言うと、傍らの床を杖で軽く叩いた。すると、床が生き物のように動いて、やがて大きなベッドのようになった。
「さあ、カシワギ、ここに横になれ」
サクヤは俺の背中から下りると、石のベッドの方へ歩いて行き、その上に体を横たえた。
「実はのうカシワギ┅┅わしが見たところ、そなたの中に妹の魂が残っておるようじゃ」
それを聞いて、俺たちは全員驚きの声を上げた。
「そなた、魂交の術を使うたであろう?そなたと、妹はもともと一つの魂が闇のヌシによって分かたれたもの┅┅魂交によって結びつけられれば、もとの一つになろうとするは必然のことじゃ」
「はい┅┅確かに妹の記憶や感情がこみ上げてきて┅┅苦しくて、体の力を奪われるような┅┅今は、そのような状態です┅┅」
「うむ、やはりのう┅┅もはや、一つの魂には戻らぬようじゃな┅┅さすれば、そなたの魂と妹の魂を再び分ける他あるまい┅┅それでよいか?」
「はい┅┅一刻も早く、そうして下さりませ」
「分かった┅┅では、今からそなたの体からいったん魂を抜き取る」
ミタケノウチノツカサ翁はそう言うと、杖の先をサクヤの額に当ててしばらくじっと目をつぶっていた。俺たちは初めて目にする神の領域の出来事に、ただ声もなくまばたきすら忘れて見入るばかりだった。
そして、老翁は目を開けると、ゆっくりと杖を上に持ち上げていった。すると、サクヤの眉間の辺りから、白くふわふわしたような光がすーっと抜け出してきた。
老翁は杖を持っていない左の手をゆっくりとその光の塊の中に差し込んでいった。そして低い声でしばらくの間呪文を唱えていた。やがて、老翁が左手を引き抜いていくと、彼の手のひらの上には黒い光を放つ小さな塊が載っていた。老翁は杖を下ろしていき、白い光の塊を再びサクヤの額の中へ戻していった。
サクヤは目を開き、何事もなかったかのように俺の方を向いてにっこりと微笑んだ。
「修一様┅┅もう大丈夫です」
「そうか┅┅よかった┅┅」
サクヤは起き上がって、元気な足取りで俺のそばへ歩いてきた。
「すげえもの見たな┅┅」
「ええ┅┅あれが魂なのね┅┅脳全体を包んでいるのかしら┅┅」
竜騎と沙江はまだ夢見心地で、ささやき合っていた。
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俺の名前は阿久津安斗仁王(あくつあんとにお)。いわゆるキラキラした名前のおかげで散々苦労もしたが、それでも人並みに幸せな家庭を築こうと仕事に精を出して精を出して精を出して頑張ってまあそんなに経済的に困るようなことはなかったはずだった。なのに、女房も娘も俺のことなんかちっとも敬ってくれなくて、俺が出張中に娘は結婚式を上げるわ、定年を迎えたら離婚を切り出されれるわで、一人寂しく老後を過ごし、2086年4月、俺は施設で職員だけに看取られながら人生を終えた。本当に空しい人生だった。
なのに俺は、気付いたら五歳の子供になっていた。いや、正確に言うと、五歳の時に危うく死に掛けて、その弾みで思い出したんだ。<前世の記憶>ってやつを。
今世の名前も<アントニオ>だったものの、幸い、そこは中世ヨーロッパ風の世界だったこともあって、アントニオという名もそんなに突拍子もないものじゃなかったことで、俺は今度こそ<普通の幸せ>を掴もうと心に決めたんだ。
しかし、二週目の人生も取り敢えず平穏無事に二十歳になるまで過ごせたものの、何の因果か俺の暮らしていた村が戦争に巻き込まれて家族とは離れ離れ。俺は難民として流浪の身に。しかも、俺と同じ難民として戦火を逃れてきた八歳の女の子<リーネ>と行動を共にすることに。
今世では結婚はまだだったものの、一応、前世では結婚もして子供もいたから何とかなるかと思ったら、俺は育児を女房に任せっきりでほとんど何も知らなかったことに愕然とする。
とは言え、前世で八十年。今世で二十年。合わせて百年分の人生経験を基に、何とかしようと思ったのだった。
【書籍化決定】俗世から離れてのんびり暮らしていたおっさんなのに、俺が書の守護者って何かの間違いじゃないですか?
歩く魚
ファンタジー
幼い頃に迫害され、一人孤独に山で暮らすようになったジオ・プライム。
それから数十年が経ち、気づけば38歳。
のんびりとした生活はこの上ない幸せで満たされていた。
しかしーー
「も、もう一度聞いて良いですか? ジオ・プライムさん、あなたはこの死の山に二十五年間も住んでいるんですか?」
突然の来訪者によると、この山は人間が住める山ではなく、彼は世間では「書の守護者」と呼ばれ都市伝説のような存在になっていた。
これは、自分のことを弱いと勘違いしているダジャレ好きのおっさんが、人々を導き、温かさを思い出す物語。
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