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続編
決別と旅立ち編
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大賢者、下界に降りる 1
大賢者メサリウス、元の名はユーリア・メサリウス。プロボアの星から15万光年離れたとある銀河の中の小さな惑星に生を受けた。現在の年齢、1062366歳である。
魔素で作った不老不死の肉体に魂を移植した、ホムンクルスと呼ばれる存在だ。魂は、彼女の頭部、魔石と魔法陣が複雑に組み合わされた、さながら小宇宙とも呼べる空間の中央に佇む美しい金色の魔石の中に納められている。
亜神であるメサリウスは、普段は神界に近い亜空間の中にある研究室で、深遠な宇宙の謎を解く研究にいそしんでいる。が、たまに興が向くと、あちこちの人間が住む星にふらりと出かけては、研究の種を撒いてその行く末を観察していた。
現在、彼女はプロボアという星に仮の住まいを作って、1人の弟子とともに、この星の行く末を観察している。彼女はかつて一度、気まぐれにこの星の人間と関わったことがある。もう5千年以上昔のことだ。そのときのことを、まだこの星の住人たちは伝説という形で覚えていた。
今回、彼女が再びこの星を訪れたのは、神々の話題に上る非常に興味深い人間が、この星に転生したからだった。その人間は、地球という魔法の存在しない特別な星から転生したらしい。名前を、ルート・ブロワーという。
彼女は神々から依頼を受け、彼が闇の誘惑に堕ちないように監視すること、適当に導きを与えること、そして、必要であれば彼を抹殺することを約束した。
メサリウスは、そのために彼女が直接関わるより、優秀な人間を間に挟んで、その人間を通して間接的に関わった方が良いと判断した。それで、神にそういう優秀な人間、言い換えれば優秀な生きた道具を自分にくれと申し出た。
神々は、話し合った末に、ルート・ブロワーと同じ星から、魔法の適性があり、純真な魂をこの星に導いて転生させることにした。そうして生まれたのが、タクト・アマーノだった。
「……まったく……仕事が下手な連中だな……」
亜空の研究室の中、空間に広がった映像で王都の学園祭の様子やルート・ブロワーの言動を観察していた大賢者は、ボース校所長ファングラウとルートの会見を見終わった後、珍しく感情をあらわにしてつぶやいた。
さらに、その後、ファングラウの上司であるコーエン子爵のルートに対する一連の嫌がらせ事件を見たメサリウスは、とうとう我慢ができずに、下界に降りていくことを決心した。
♢♢♢
貴族が間に入ると〝ろくでもない〟ことが起きる危険がある、と学んだメサリウスは、ルート・ブロワーに直接接触してみることにした。その目的は、ルート・ブロワーの人となりや考えを知ること、そして、闇に堕ちる可能性がどの程度あるか、を見極めることだった。
「ほお、これが王都の街か……」
王都の近くの森に転移したメサリウスは、旅の魔法使いという名目で城門を通過した。身分証がなかったので、銀貨3枚で仮の身分証を発行してもらい、『有効期限は3日だ。それまでにどこかのギルドでカードを作ってもらえ』と、お小言までもらって何とか街に入ることができた。
3日以内に用事は済ませるつもりだが、不慮のアクシデントが起こらないとも限らない。そこで、彼女はどんなギルドがあるのか、と衛兵に尋ねた。衛兵は、なぜそんなことも知らないのかと不審そうに彼女を見ながら答えた。
『ギルドには、商業ギルド、冒険者ギルド、魔導士ギルド、錬金術師ギルドの4つがある。この王都にはすべてのギルドの本部があるから、どこででも登録可能だ。魔法使いなら、冒険者ギルドか、魔導士ギルドだな』
というわけで、今、彼女は街の大通りを歩きながら『魔導士ギルド』を探しているところだった。
「む……これは、はじめて嗅ぐ匂いだな……(スンスン)うむ、胃に響く匂い……」
広場に差し掛かったところで、彼女の臭覚に反応する匂いが漂って来た。
彼女はホムンクルスだが、人間の五感はすべて備わっていた。なぜなら、彼女は確かに《不老不死》だが、《不死身》ではないからだ。器が壊されれば、彼女は《魂》だけの存在になる。だから、器を壊されないように危険を察知する必要があるのだ。視覚、聴覚、嗅覚、味覚、痛覚、すべて肉体を守るために必要な感覚だ。
そのうえで、彼女は楽しむための付属品も魔法で作り、体に装着していた。1つは食事を楽しむための消化器であり、もう一つは人間だったころを忘れないための温度感覚である。
「これは、食べ物か?」
広場の屋台の行列に並んで、メサリウスはその不思議な香りの元を確かめようとした。
「おう、カレーは初めてかい、嬢ちゃん?」
「カレー……?」
「ああ、王都に去年入って来た食べ物だが、あっという間に大流行さ」
「1つ頼む」
「あいよ、200ベニーだ」
メサリウスは代金を払って、木製の皿に盛られた食べ物を購入した。あたりを見回して、少し離れた所にある木陰の下のベンチに移動した。
添えられた木製のスプーンで、炊かれた米と茶色のルーを一緒にすくうと、ややためらった後、そっと口に運んだ。
「っ! うンまっ」
久しぶりに味覚に衝撃を受けたメサリウスは、思わず小さな叫び声を上げ、その後は、ただ夢中でカレーを口の中に掻き込んだ。そばを通りかかる人たちが、その様子を微笑ましく眺めていくのもまったく気づかなかった。
「ウップ……ふう……こんなに美味い食べ物があるとは、この星はなかなか侮れぬな」
久々の大量の食べ物に、胃が驚いて何度もゲップを引き起こしていたが、メサリウスは満足げで、訳の分からないことをつぶやきながら、再び大通りを歩き始めた。
「ああ、すまぬ。少々道を尋ねるが、『魔導士ギルド』はどこかのう?」
まるで年寄りのような言葉遣いの、野暮ったいローブを着た少女に、店のショーウィンドウを磨いていた青年は、やや戸惑いながら、通りの左手の方角を指さした。
「ええっと、ほら、屋根のてっぺんに六芒星の飾りが付いた建物が見えるかい? あれが『魔導士ギルド』の建物だよ」
「おお、分かった。すまぬな、感謝する」
丁寧に頭を下げて去って行く少女の後姿を見ながら、店員の青年はぼおっとした顔でつぶやいた。
「いえいえ、どういたし……まして……よく見たら、すごい美少女じゃないか、うわあ、名前くらい聞いとけばよかった……」
「ふむ、ここだな」
大通りから50mほど入った閑静な高級住宅街の一角に魔導士ギルドがあった。
メサリウスは、その瀟洒な造りの建物への石段を上り、木製の大きな扉を押して中に入っていった。
ギルドの中は、落ち着いた光に照らされ、静かなざわめきに満たされていた。彼女はまだ知らないが、冒険者ギルドに入った経験があるなら、比較してそこがいかに静かで、室内の作りが豪華であるか、驚いたことだろう。
ロビーには結構な数の、いかにも魔法使いといった服装の人々がたむろしていた。だが、入って来た少女を見て、興味深そうな視線を送っても、絡んでくる者はいなかった。
メサリウスは、受付カウンターへ歩いていき、若い受付嬢の前に立った。
「いらっしゃいませ。本日は当ギルドにどのような御用でしょうか?」
「ああ、すまぬが、城門でこのカードをもらってな。身分証を作らないと、3日しかこの街にいられないと聞いて……」
「はい、ギルド登録ですね。少々お待ちください」
受付嬢はそう言うと、てきぱきと書類の準備を始めた。
「登録は初めてでしょうか? もし、カードを紛失されたのでしたら、再登録の手続きと違約金が必要になりますが……」
「ああ、初めてだ」
「承知しました。では、こちらにお名前と、専門職、特別なスキルがあれば、それもお書きください」
そう言って差し出された用紙を見て、メサリウスはしばし考え、そしてペンを借りて記入を始めた。
「エリカ・メッサ―さんですね。職業は、教師……スキルは、特になし、ですね」
メサリウスは少しドキドキしながら小さく頷く。
「分かりました。では、魔法の適性と魔力を調べますので、この魔石に手を置いてください」
(う~む、これはまずい……《鑑定偽装》が通じるかのう? まあ、やってみるしかないか)
メサリウスは、鑑定を偽装する腕輪型の魔道具を装着していたが、果たしてうまくごまかしてくれるか、不安に駆られながら透明な丸い魔石に手を置いた。
淡い緑色の光にしばらく包まれた後、魔石は元の透明な状態に戻った。
魔石の下のボードを見ていた受付嬢は、やがてにこやかに微笑みながら、1枚の銀色のカードを差し出した。
「はい、これですべての手続きが終わりました。登録料は城門で仮身分証の代金をお支払いになりましたので、ここでは必要ありません。このカードは失くさないようにご注意ください」
「あ、ありがとう……」
メサリウスはほっとしてカードを受け取り、頭を下げた。
「ありがとうございました。もし、何か依頼をお受けになるなら、あちらのボードをご覧ください。依頼の紙を持ってきて下されば受け付けをいたします」
「う、うむ、分かった」
メサリウスがそそくさとその場を離れて、門から出て行くと、受付嬢は何やら怪訝な表情で、メサリウスが提出した書類を見つめた。
(あんなにたくさんの〝文字化け〟なんて、初めて見たわ。う~ん……やっぱり一応ギルマスに報告しておいた方がいいかしら……)
《文字化け》は、測定不能か、高度の偽装魔法を使用している以外には考えられない。特に怪しい雰囲気の少女ではなかったが、万一のことを考えて、受付嬢は、書類を手にギルド長の部屋へ向かった。
大賢者、下界に降りる 2
メサリウスは大賢者である。さすがに突発的な感情や、準備や計画も無しに行動することはない。それこそ、研究室で入念な準備をし、完璧な計画を(頭の中で)立てて下界に降臨したのである。
「むぐ、むぐ……んんん、これはまた、何という美味さだ……王都、恐るべし」
それでも予想外のことは起こる。彼女にとって、王都の食べ物がまさにそれだった。
ルート・ブロワーに、どうやって自然に、怪しまれないように接触し、彼から様々な情報を得るか、メサリウスはそれこそスーパーコンピューター顔負けの能力で幾つものシミュレーションを検証し、精選した作戦を用意してきた。
その1つが、現在彼女が訪れている《タイムズ商会王都支店》からのアプローチだった。
1階のフロア―を一通り見て回ったメサリウスは、その豊富な品ぞろえと手ごろな価格に感嘆しきりだったが、2階のスイーツ売り場とカフェに入った途端、完全に心を奪われてしまった。
コーヒーとお菓子のいい香りに包まれた店内の壁際には、いくつかのショーケースが並び、たくさんの種類のケーキやシュークリーム、クッキーなどの焼き菓子、そして、可愛いデコレーションのドーナツなどが所狭しと置かれていた。
メサリウスはここへ来た目的もしばし忘れて、ウェイトレスの1人を呼び、どれにするかウンウン唸りながら5分ほどかけて6個のスイーツを注文して席に着いた。
「あの、お飲み物はどういたしますか?」
ウェイトレスが追いかけてきて尋ねた。
「ああ、そうだな……このいい香りは飲み物か?」
「はい。当店自慢のフェイダル産コーヒーです」
「コーヒーというのか……では、それを」
「承知しました。少々お待ちください」
待つ時間はほとんどなかった。ものの3分も経たずに先ほどのウェイトレスが、トレイに載せたコーヒーのセットとスイーツを盛った皿を抱えて戻って来た。
そして……メサリウスにとって恍惚とした至福の時が過ぎていった。
口の周りにクリームや粉砂糖をくっつけた美少女が、呆けた様子で宙を見つめている様子を、ウェイトレスたちは笑いをこらえながら微笑ましく眺めていたが、突然、少女が現実に帰り、手を上げて彼女たちを呼んだ。ウェイトレスの1人が少女のテーブルに向かう。
「はい、何か御用でしょうか?」
「うむ、あの、フワフワして中にクリームが入った物を10個と輪っかになった揚げ菓子を10個、土産に持って帰りたいのだが……」
「承知しました。シュークリーム10個にドーナツ10個、お持ち帰りですね。ドーナツはプレーンのみでよろしいですか?」
「ああ、できれば別々の種類が良いのう。どれにするかはそなたに任せる」
「は、はい、承知しました」
「それと、1つ2つ質問があるのだが、良いか?」
「あ、ええっと、少々お待ちください」
ウェイトレスはそう言うと、急いでカウンターの裏へ行き、調理場の方へ入っていった。
しばらく待っていると、調理場から白で統一された制服を着た30前後のイケメン男性が現れて、メサリウスのもとへ近づいて来た。
「失礼します。当売り場の責任者をやらせていただいているジャン・レビエールと申します。
何かご不審な点がございましたか?」
「ああ、わざわざすまぬな。いや、どの菓子も、このコーヒーという飲み物も、最高に美味かった、礼を申す」
「ありがとうございます。お客様に喜んでいただけるのが何よりの幸せです」
「うむ。ここにある菓子はすべて、そなたが考案したものなのか?」
店内の客たちの目は、いつしかメサリウスとシェフに釘付けになっていた。
「いいえ、基本の商品はすべてブロワー会頭が考案され、そのレシピをいただき、それを元に我々が創意工夫を施したものです」
(ほほう、貴重な情報を聞けたぞ。なるほど、前世の知識をこういう所で生かしているわけか……)
「ふむ、では、そのレシピはタイムズ商会の秘中の秘というわけだな?」
「いいえ、レシピはすべて商業ギルドで公開されております。特許料さえ払っていただければ、お客様でもそのレシピを購入でき、ご自分で作っていただくことができますよ」
レビエールは微笑みを浮かべ、もう何度同じ質問をされたかと考えながら答えた。
古風な言葉を使う少女は、一瞬驚いたような表情を浮かべたが、すぐに元の無表情に戻って立ち上がった。
「ありがとう。仕事の邪魔をしてすまなかったな。とても良い時間を過ごさせてもらった。礼を言う」
少女はそう言うと、ゆっくりと出入り口の方へ向かった。ウェイトレスが注文のお菓子を入れた箱を手渡し、伝票を差し出した。
少女は代金を払うと、お菓子の箱を手に店を出て行く。
「「「ありがとうございました。またのお越しをお待ち申し上げます」」」
シェフもウェイトレスたちも、その後ろ姿に一斉に声をかけて、頭を下げた。
「……金儲けのためだけならば、レシピをすべて公開することなどあり得ぬ……ふむ、つまり、金儲けのためだけではないと……ちょっと、商業ギルドとやらに行ってみるか……」
メサリウスは独り言をつぶやきながら思案顔で歩いていたが、何かを思いついたように辺りを見回した。そして、通りかかった中年女性に商業ギルドの場所を聞くと、大通りを南に向かって歩き出した。
商業ギルドは、先ほど訪れた魔導士ギルドと違って、大通りに面した一角に聳え立つ巨大な石造りの建物で、豪華な重い扉を開くと、まるで祭りの中に飛び込んだような喧騒に満ちたロビーの広大な空間が広がっていた。
「いらっしゃいませ、当ギルドへようこそ。本日はどのようなご用件でしょうか?」
「ああ、ちょっと尋ねたいことがあるのだが……」
「はい、何でしょう?」
受け付けの列に並んでいたメサリウスは、自分の順番が来て、にこやかな笑顔の受付嬢に、言いにくそうにこう言った。
「ええっと、公開されているレシピの中で、特定の人物のものだけを見ることはできるかな?」
「はい、できますよ。ただ、資料をそろえるのに時間が少々かかりますが、よろしいですか?」
「うむ、構わぬ」
「はい、でしたら、この書類に、お客様のお名前と、お知りになりたいレシピの申請者名をお書きください」
メサリウスは、エリカ・メッサ―という仮名とルート・ブロワーの名前を記入した。
それを見た、受付嬢はちらりと少女に目を向けたが、すぐににこやかな微笑みを浮かべて書類を受け取った。
「はい、それでは、あちらのスペースでしばらくお待ちください。資料ができましたら、お呼びいたします」
「うむ、手間をかける」
メサリウスはそう言うと、待合スペースへ行って椅子に腰を下ろした。
待合スペースの片隅で、ローブ姿の少女が一心不乱に分厚い資料を見つめていた。
やがて、少女はフウっと息を吐くと、魂が抜けたような表情で椅子の背にもたれ、天井を見上げた。
(いやはや……なんとも凄まじいのう……これだけの特許の数も驚くが、その中身の高度な知識には呆れるばかりだ……なるほど、これではレシピを公開しても、再現できる物はたかが知れておろう。しかも、これだけの知識を持ちながら、兵器に転用できるものは1つも見当たらん……つまり、意図的に日用品に限定しているということか。
ただ、1つ、この蒸気機関というものは、使い方次第では大きな兵力になるかな……)
メサリウスは資料を閉じると、それを受付カウンターへ持っていった。
「ありがとう、大変役に立った」
「はい、それはよろしゅうございました。またのご利用をお待ちいたしております」
受付嬢は、去って行く少女の背中ににこやかに声をかけた後、少女が支払った手数料の銀貨と銅貨に目を落とした。
それは、確かに使える貨幣だったが、どちらも現国王の代のものではなく、3代前くらいに鋳造された古い貨幣だった。
ルート、大賢者と対面する 1
その日の放課後、ルートは緊急の職員会議に出るために大会議室へ向かった。集まった職員たちは、何事かと互いに情報を出し合いざわめき合っていた。
全員が集まったところで、コーベル教頭が立ち上がった。
「えー、本日集まってもらったのは、明日から3日間の予定で、聴講生が来校することが決まったからです。所長から詳しいお話をしていただきます。所長、お願いします」
「うむ。今聞いての通りじゃ。その聴講生はとある国の貴族の娘で、国王陛下から直々にわしのもとに依頼書が届けられた。名前はエリカ・メッサー、年は17歳ということじゃ。魔法に興味があるということで、主に魔法学科の授業を受けることになる。
まあ、3日間という短い期間じゃが、良い思い出を持ち帰ってもらえるよう、皆でよろしく世話をしてやってくれ。以上だ」
その後、何人かの教師から「寮は使用するのか」、「どこの国の出身か言えないのには何か理由があるのか」、「評価の方法は」などの質問があり、リーフベル所長がそれに答え、約20分ほどで会議は終わった。
「ルート、後でちょっとわしの部屋まで来てくれ」
ルートが部屋を出て行こうとしていると、リーフベル所長が声を掛けてきた。間違いなく今回の聴講生のことだろう。ルートはそう思いながら、帰り支度をした後、所長室へ向かった。
「失礼します」
「うむ、入ってくれ」
ルートが部屋に入ってみると、リーフベルは椅子の上に立って西日が差し込む窓の外を眺めていた。
ルートは言われる前に、いつものように来客用のソファに座る。
「わしはさっきの会議で、全員の前でウソをついた……」
リーフベルは窓の方を向いたままそう言うと、向き直って椅子からピョンと飛び降りた。そしてルートが座るソファの近くまで歩いてくると、今度はふわりと浮き上がって、テーブルの上に立った。
「彼女の出身のことですか?」
ルートはある程度答えを予想しながら尋ねた。
リーフベルは頷いて、ルートの前まで歩いてくる。
「お前には大方もう、正体が分かっておるであろう?」
「……大賢者メサリウス、ですね?」
「うむ……ついこの前お前と、相手の出方を見守ろうと話し合ったところじゃが……まったく、何を焦っておるのか、いきなり直接乗り込んで来おった」
リーフベルからすれば、降って湧いた厄介事だろう。大賢者が、何をしでかすか予想もつかないのだ。
ルートはなぜか急に笑いがこみ上げてきて、声を殺して笑いながらリーフベルの怒った顔を見上げた。
リーフベルは怪訝そうに眉をひそめながら、ルートの膝の上に下りてきて座る。
「何を笑っておる? わしの顔に何か付いておるか?」
「いえいえ、そうじゃありません……ふふ……大賢者さんて、どんな顔して授業を受けるんだろうって、想像したら可笑しくなって……」
「ふん、どうせ、いかにも見下したようなしたり顔で講義を聞くんじゃろうて……ああ、想像しただけでムカつくわい」
どうやら、リーフベルは大賢者に対して、相当な対抗心かライバル心があるらしい。
「彼女の目的は何だと思いますか?」
憤慨しきりのハイエルフをなだめるように、金色の髪を撫でながらルートが尋ねる。
「まあ、間違いなく、お前を直接『見極める』こと、じゃな」
「ですよね……でも、彼女が神と関わっているとしたら、僕の秘密や能力も知っているはずですが……」
「……であれば、それ以外の部分を知りたい、ということかのう」
リーフベルも顎に手をやって考え込んでいた。
「どうすればいいですか?」
「ふむ……」
リーフベルは再びピョンとテーブルの上に飛び乗ると、しばらく考えながらぐるぐると歩き回った。が、やがてルートの前で立ち止まるとこう言った。
「まあ、すぐにお前をどうこうするつもりはなかろう。こちらが知りたいのは、彼女と神々が関わっている証拠と、彼らの目的は何か、ということじゃ」
「でも、素直には教えてくれないでしょうね?」
ルートの言葉に、リーフベルはいたずらっぽく微笑んで答えた。
「向こうも、こちらが何を知りたいかについては知らぬのじゃ。駆け引きじゃよ、ふふふ…….」
♢♢♢
「ふう、やれやれ……やっと着いたか」
メサリウスは、ようやく王立子女養成所の門が見える所まで来て、大きく息を吐いた。日頃めったに長い距離を歩くことはなかったので、ボース辺境伯の王都屋敷から500m足らずの道のりもひどく遠く感じた。
何台もの馬車が門の前で止まり、子女たちを下ろしてまた去って行く。
「お早うございます、エバートン先生」
「はい、お早うございます、ミス・エリンドル」
門の前で生徒たちを出迎えていた、神学科の女性教師は、通りの向こうからとぼとぼと歩いてくる銀髪の少女を見ると、緊張した表情になった。
「ああ、ええっと……」
「は、はい、エリカ・メッサー様ですね? お早うございます。神学科の教師をしておりますモニカ・エバートンと申します」
「う、うむ、お早う。よろしく頼む」
「こちらこそ、よろしくお願いします。所長がお待ちです。ご案内しますので、どうぞ」
メサリウスは必要以上にかしこまった対応に、いささか戸惑いながら、女教師の後について学園の中に足を踏み入れた。
(ほう、さすがに王都の学校は規模が違うな。ふむふむ……ほうほう、面白い魔力反応がいくつか……ああ、これがブロワーじゃな……)
廊下を歩きながら、メサリウスは辺りに漂う様々な魔力に少しワクワクし始めた。
やがて、《転移ボックス》で所長室の前に着いたメサリウスは、女教師に促されて扉の前に立った。
「失礼します。エバートンです。エリカ・メッサー様をお連れしました」
「うむ、入れ」
ドアが開かれ、メサリウスはつかつかと部屋の中に入っていった。
正面の大きな机と大きな椅子、その机から顔から上だけを見せて、この学園の最高権威者が座っていた。
ルート、大賢者と対面する 3
大賢者とハイエルフの2人の少女は、しばらく無言で見つめ合っていた。
「まあ、座るがよい、大賢者メサリウスよ」
リーフベルはそう言うと、椅子から下りてソファの方へ歩いてきた。
「ハイエルフか……久しぶりに見たな。ハイエルフになっていかほどだ?」
メサリウスは、ソファにゆったりともたれながらリーフベルに問いかけた。
「ふむ、かれこれ90年ほどかのう……エルフの時の年齢と合わせるとまだ1000年にも満たない若輩者じゃよ」
リーフベルは、まだソファに座らず立ったまま答えた。
「まあ、それは生身の体であれば仕方がないことだな」
「茶なぞ飲むか?」
「うむ、コーヒーとかいうものはあるか?」
「ほお、コーヒーを知っておるのか? あるぞ、待っておれ」
リーフベルは、そう言って自分の机の背後の棚を開け、コーヒーセットを取り出した。
ルートからコーヒーの味を教えられて以来、リーフベルも道具を揃え、自分で楽しむようになっていた。
「んん……やはり、いい香りだ……これを発見した者は伝説の英雄に比肩する」
リーフベルが魔法で熱した水をドリッパーに注ぎ始めると、コーヒーのいい香りが辺りに漂う始めた。
「ふふ……これを発見した者を知りたいか?」
リーフベルは、淹れ終わったコーヒーを洒落た陶器のカップに注ぎ分けながら、いたずらっぽく問いかけた。
メサリウスは一瞬眉をひそめてリーフベルを見つめたが、すぐに元の無表情に戻ってカップを手に取った。
「……なるほど、そういうことか……そう言えば、そろそろ教室に行く時間か?」
リーフベルはまだニヤニヤ笑みを浮かべながら、自分の机の上に置いてあったシンプルな革の肩掛けバッグを持ってきた。
「まあ、コーヒーを飲む時間くらいはあるがのう。これは、筆記具と魔法学の教科書じゃ。学生証も入っておるので、それを見せれば食堂などの施設も利用できる」
「うむ、かたじけない。では、そろそろ行くかのう」
「コーヒーはいいのか?」
リーフベルは、メサリウスが早くお目当ての人物に会いたいと心がはやっているのを見通しながら、意地悪く尋ねた。
「また、そのうちご馳走になりに来る」
「そうか。では、参ろうかのう」
大賢者とハイエルフ、最も神に近い2人が並んで部屋を出て行く。
♢♢♢
ルートは、その日の最初の授業である「基礎魔法学Ⅱ」の教室に入って、生徒たちの出席を確認していた。
始業の鐘が鳴り始めるのと同時に、教室のドアが開いてリーフベル所長が1人の少女を伴って入って来た。
「ちょっと、授業の邪魔をするぞ」
リーフベルはそう言ってちらりとルートに目配せをした後、生徒たちの方を向いた。
「ええ、今日から3日間、この学園で学ぶ聴講生が来たので紹介する。エリカ・メッサーじゃ。3日間という短い時間じゃが、どうか仲良くしてやって欲しい。では、簡単に自己紹介を頼む。ブロワー教授、後はよろしくな」
リーフベルはそう言うと、教室を出て行った。
メサリウスは、もうさっきから横に立っているルートをじっと見つめていた。
「ああ、では、メッサーさん、自己紹介をどうぞ」
ルートに促されて、メサリウスはようやく顔を生徒たちの方へ向けた。
「名前は、エリカ・メッサー。よろしく頼む」
「ありがとう。では、メッサーさん、空いている席ならどこでもいいですよ、座ってください」
メサリウスは無表情のまま頷くと、一番前の開いている席に行って座った。
〝すごい美少女だな、どこの貴族なんだろう?〟
〝ああ、見たことないな。外国じゃないか?〟
〝なんかお人形みたい。近寄りがたい感じね〟
2年生が大半を占める教室の中は、生徒たちのささやき合いにざわついた。
「はい、静かに。じゃあ、授業を始めるぞ」
ルートは生徒たちに一言注意を与えると、用意してきた図面を黒板に磁石で張り付けた。
「前回に続いて、『属性魔法と無属性魔法の関係』というテーマで話をするぞ」
ルートの声とともに、生徒たちは慌ててノートを開き、ペンを持ってメモの準備をする。ただ1人、メサリウスはカバンを椅子の横に置くと、姿勢をまっすぐに、微動だにせずにルートの方へ視線を向けている。ただ、その目は先ほどより少し生き生きと輝いているように見えた。
「……このように、火属性または土属性の魔法を発動するときに現れる魔法陣は、白または赤系統の色であり、水属性または風属性の魔法を発動した時は、黒または青系統の魔法陣が現れる。このことから、僕は、火属性、土属性は光属性からの派生であり、水属性と風属性は闇属性からの派生であると推理した。これを証明する手段としては……ええっと、はい、メッサーさん、何でしょうか?」
ルートは説明の途中で勢いよく手を挙げた少女に、しかたなく指名した。
メサリウスは、目を輝かせて立ち上がると普段の彼女からは想像もつかないようなはきはきした声で言った。
「そのことを理解するには、魔法陣というものがそもそもなんであるか、ということを説明しておく必要があると考えるが、いかに?」
ただし、言葉遣いは相変わらず古風であった。
「はい、それは次回のテーマである『無属性魔法の役割』の中で説明するつもりです。今日は、属性と魔法陣の色の関係について証明する方法がある、ということを話そうと思っています」
「だが、生徒の理解力では、難しいのではないかのう」
メサリウスは全くの好意からそう言ったのだが、それを聞いた生徒たちはざわめいた。
〝え? なに、なに、私たち馬鹿にされてる?〟
〝なんだ、あのしゃべり方? うちの婆やみたいだな〟
〝ブロワー先生に反論するなんて、あの子、いったい何者なの〟
ルートは困ったように苦笑しながら、指示棒をさっと上げて生徒たちを静かにさせた。
「分かりました。では、魔法陣とはどのようなものか、話をすることにしましょう。その前に、メッサーさん、あなたは魔法陣についてどんな考えを持っているか、聞かせてもらっていいですか?」
ルートは、小さな反撃を試みた。
ルート、大賢者と対面する 3
ルートに質問されたメサリウスは、微かに微笑みを浮かべるとこう言った。
「我が聞きたいのは、そなたの考えだ。我が答えてしまっては意味が無かろう?」
ルートはそれを聞いて、メサリウスの意識が完全にルートにしか向いていないことに気づいた。他の生徒たちは、そろそろメサリウスの異常な態度に不満と不信感を抱き始めている。
ここは、メサリウスにこれ以上発言させないようにすることが肝要だった。
「分かった、メッサーさん、僕の考えを話そう。ただし、質問や意見は授業が終わるまで、なしにすること、いいね?」
「了解した」
メサリウスが素直に頷いたので、一応ほっとしながら、ルートは講義を再開した。
「さて、魔法陣がどういうものか、ということだが、実の所、根本的なことについて書かれた魔導書を僕はまだ見たことがない。魔法陣の種類や、使い方については多くの本があるんだがね。どの魔導書でも、『魔法陣とはもともとそこにあるもの』という扱いなんだ。そこで、ここから先は、あくまでも僕の想像だと思って聞いて欲しい……」
ルートはそう前置きすると、黒板の開いている場所にチョークで人の首から上の絵と、少し離れた所に炎のような絵を描いた。
「……例えば、火属性の魔法を離れた場所で発動させるとする。僕らがやることは、まず、どの場所に、どの程度の火を起こすか、イメージすることだ。次に、体内にある《魔力》と呼ばれるものを、その火の大きさに見合った量だけ体のある部分に溜める。多くは手のひらだろう。そして、《魔力》が溜まったら、適当な呪文を唱えて、その《魔力》を放出する。
これが、一連の魔法発動の流れだ。そして、《魔法陣》は、時には発動する場所に、ある時は《魔力》が放出される場所に、一瞬だけ現れ、魔法の発動が終わると消えるものだ……」
ルートはいったんそこで話を切り、生徒たちがうんうんと小さく頷いているのを確認してから、話を続けた。
「……皆も知っている通り、魔法の発動には呪文詠唱は必要ない。この中にも無詠唱で魔法を発動できる者もいるね? そして、《魔法陣》は何かにそれを描き、《魔力》を流すことで発動する。これは何を意味するか。
答えは、《魔法陣》とは、魔法を発動するための〝設計図〟、あるいは〝数式〟のようなものということだ。そして、魔法をこのような方法で発動するように作ったのは、この世界を作った神様に違いないと思う……」
ルートは再び話を切って、先ほどの黒板の絵に1本の横向きの矢印と、その矢印の先に『死』という単語と『時間』という単語を書いた。
「……生きているものは、いずれは死を迎える。時間は、過去から未来へと流れ、その逆はない。これが、この世界の根本原理だ。まだ他のもあるよね。例えば、水は熱すれば蒸発し、冷やせば氷になる。熱い鉄も、放っておけば冷える。高い所から物を手放せば落下する。これは、この世界そのものがそういうふうに創られているからだ。
僕はその仕組みを『理』と呼んでいる。そして、魔法とは、『《魔素》という材料を使って、この《理》を増幅して発現させる技術』だと考えている。だから、さっきから使っている《魔力》という言葉は、正確には《理力》と言うべきなんだ……」
生徒たちは頭をひねりながらも、懸命にメモを取っている。一方、メサリウスは相変わらず人形のようにじっとルートを見つめたままだった。
「ここまでで、何か質問はあるか? ああ、メッサーさんを除いて……」
ルートの問いかけに1人の生徒が勢いよく手を挙げた。
「はい、リリア、どうぞ」
指名されたボース辺境伯家の長女は、はきはきした声で発言した。
「とても興味深いお話で感動しておりますわ。さて、先生は、この世界を形作っている仕組みのことを『理』と言い、魔力とは『理力』と言い換えるべきだとおっしゃいました。そして、『魔法とは、魔素を使ってこの理力を増幅させる技術』であると。ということは、我々の体には、もともとこの『理』をいろいろ変化させる力が宿っているということですか?」
「うん、『理を変化させる』んじゃなくて、『理の許す範囲内で物質を変化させる』ということだ。神様は、人間がより良く生きられるように、この仕組み作り、魔法が使えるような力を与えてくれたわけだね。
では、もう少し具体的に魔法と魔法陣について話をしようか……」
ルートは、先ほどの黒板の矢印に『無属性魔法』と書き加えた。
「……僕たちのイメージを《魔素》に作用させる仕組みとは何か。僕は、それが《無属性魔法》と呼ばれているものだと思っている。魔法を発動させるとき、僕たちは持っている《理力》を使って、いったん《無属性魔法》にイメージを記録する。《無属性魔法》は言い換えるならイメージを設計図や数式に自動的に変換して記録する透明な黒板、ノートのようなものだと考えればいい。そして、その記録された設計図や数式を《魔法陣》として我々が見るわけだ……。
あとは、《魔力》つまり《理力》の強さという数字が入ることによって、それに見合った答えが出る。こう考えると、魔法って不思議でも何でもないだろう? ただ、不思議なのは
『頭の中のイメージを、体内の理力が読み取って、無属性魔法にいったん写し取る』という仕組みだ。これだけは、いまだにその原理が分からない。まあ、神様が創ったのだから、人間には理解できない、と言ってしまえばそれまでだけどね、あはは……。
以上が、僕の壮大な作り話だ。そろそろ授業が終わる時間だから、質問や意見は後で個人的に受けるよ。じゃあ、今日はここまで」
ルートはそう言って授業を終わった。
終わりの挨拶が済むと、生徒たちが一斉にルートの元に駆け寄って質問を始める。ルートは、メサリウスの方をちらりと見てから、生徒たちに囲まれて教室を出て行く。
メサリウスは終業の鐘を聞きながら、しばらくの間席に座ったまま宙を見つめていた。
(まさか、これほどとはのう……驚いた……魔法陣どころか、世界の根本原理を生徒にも分かるように説明してくるとは……ふふふ……やはり面白い、面白いぞ、ルート・ブロワー……)
メサリウスは日頃見せない満面の笑顔になって立ち上がった。そして、所長室へ足早に歩いて行った。ルートは次は空き時間なので、その時間を所長室でコーヒーを飲みながら過ごそうというのである。
大賢者、何を思う
その日から3日間、メサリウスはすべてのルートの授業に出席した。特に質問や発言をすることもなく、ただじっと講義を聞き、実技指導の様子を眺めるだけだったが、ルートにとっては、やはり居心地の悪いものだった。
リーフベルが言ったように、まさに自分が『値踏み』されているようで、ぞわぞわと落ち着かない気分だったのだ。
かといって、ルートは大賢者に自分を必要以上によく見せたい、などとはみじんも考えなかった。だから授業内容はいつも通りに、なるべく生徒に分かりやすく、を中心において進めていった。
2日目の午後のことだった。その日の授業を終えたルートは、自分の研究室で期末テストの素案作りをしていた。
ふいにトン、トンとドアが静かにノックされ、ルートが誰だろうとドアを開いて見ると、そこにメサリウスが立っていた。
ルートは驚いたが、廊下を見回して誰もいないことを確かめると、声を潜めてメサリウスに尋ねた。
「メッサーさん、何か質問ですか?」
「うむ。少し話をしたいと思ってのう」
メサリウスはいつもの無表情で、ごく当たり前のようにそう答えた。
ルートはしかたなく彼女を部屋に入れて、壁際に置いてあった椅子を自分の机の横に運び、彼女に座るように促した。あくまでも、生徒に対するように……。
「ここにはコーヒーはあるか?」
椅子に歩み寄りながら、メサリウスがいきなりそう質問した。
ルートは虚を突かれて、一瞬固まってしまったが、思わず笑いがこみ上げてきた。
「あはは……ええ、ありますよ、メッサーさん、いや、大賢者メサリウス様。とっておきのものをご馳走しましょう」
「うむ、すまぬな。コーヒーもそなたが発明したものだそうだな?」
「いいえ、発明ではありません……僕が他の星からの転生者であることは、もうご存じですよね?」
メサリウスは椅子に座ると、コーヒーを淹れ始めたルートをじっと見つめた。
「うむ、神に聞いておる。では、前世の世界で飲んでいたもの、ということか?」
「そうです。もちろん紅茶もありましたし、僕がいた国では、紅茶に発酵させる前の茶葉を乾燥させた緑茶が好まれていましたね」
ルートはメサリウスとの間の余計な気遣いが取れて、ずいぶん気が楽になっていた。
「我が来たことは、やはり迷惑であったか?」
ルートがコーヒーを淹れ終えて、トレイを運んでくると、メサリウスは少し申し訳なさそうにそう言った。
ルートは机の上を片付けて、メサリウスの前にカップを置くと、自分もカップを手に持ちながら椅子に座った。
「迷惑というより……なぜ、という思いでしたね。先ほどのお言葉で、あなたが神と交信されていることは分かりましたが、そうなると、あなたが僕の所に来られたのも神が関わっているのではないか、と僕は推測してしまうわけです」
メサリウスは真っすぐにルートを見つめながら、あっさりと頷いた。
「その通りだ。神達はそなたに非常に関心を持って眺めておる」
「……はて、それは喜ぶべきことか、悲しむべきことか……」
ルートはコーヒーカップを口に運びながら、冷ややかにつぶやいた。
「それは、まだ言わないでおこう。とりあえず、我はそなたを『より良い方向へ導く』ように神に頼まれた。今後も、必要に応じてそなたに会うことになろう。できれば、このように和やかな関係で話ができれば良いな」
メサリウスはそう言うと、コーヒーを一口すすり、美味しそうにため息を吐いた。
「僕は……」
ルートもコーヒーを一口飲み込むと、遠くを見つめるような目で語り始めた。
「……スラム街の娼婦の息子として転生しました。それについて、神を恨んだりしたことはありません。むしろ、母のもとに生まれさせてもらったことを、ずっと感謝しています。ただ、スラム街で見た子供や老人たちの悲惨な死を、一生忘れることはないでしょう。
もちろん、前世の世界でもあったことだし、どこの世界でもあることでしょう。だから、しかたがない、あきらめろ、とは、どうしても思えないんです。
何の罪もない、心の優しい子供たちが、飢えて死んだり、奴隷に売られて殴られたり、蹴られたり……あるいは、愛する人が目の前から突然奪われたり……それが、人間として生まれた運命だというのなら、神は人間を生み出すべきではなかった……」
メサリウスは、話を聞きながら平然とした表情でコーヒーを味わっていた。
「ふむ……つまり、神に対してはあまり良くない感情を持っている、ということか?」
「たかが1人の人間が、神に意見したところで何の意味もないことは分かっています。ただ、最近、神がこうした世界を創ったのは、人間の悲しみや苦しみが神にとって必要だったからではないか、と考えるようになって……以前のように純粋に神を崇める気持ちは無くなりましたね」
ルートの自嘲気味の告白を聞くと、メサリウスがわずかに目を見開いた。
「すべての人間が幸せに生きられる世界を作ることは、可能だと考えるか?」
メサリウスの問いに、ルートは少し考えてからこう答えた。
「……不可能だ、というのが正しい答えなのでしょうね。でも、それを認めたくない、認めるべきではない、と思います。少なくとも、僕はこれまで、そんな世界を作りたいと努力してきましたし、これからも諦めるつもりはありません」
「そういう世界を作るために、今、一番障害になっていることは何だと考える?」
「身分制ですね……この制度を世の中や人の頭の中から取り除くだけで、この世界は今よりも随分ましになりますよ」
メサリウスは、それ以上何も言わず、コーヒーを静かに飲み干した。そして、おもむろに立ち上がって、ルートを見つめた。
「邪魔したな。また、機会があればそなたと話をしたいが、良いか」
「はい、もちろん構いません。……タクト君は元気ですか?」
「おお、そうそう、あ奴のことも話しておくべきだったな。だが、今日はもう帰るとする。明日は最後なので、授業が終わったら、所長も交えて話をしよう」
「はい、お菓子を用意しておきますよ」
「おお、それは楽しみだ。ではな」
メサリウスは嬉し気に笑うと、背を向けて部屋を出て行った。
大賢者よ、何を思う 2
その日、メサリウスはボース辺境伯の屋敷に帰った後、自分に与えられた豪華な部屋に入ると、すぐに魔法で亜空間の自分の研究室に転移した。
彼女はいつも使っている机の前に座ると、アイテムボックスを開いて、中から1冊の古ぼけた書物を取り出した。そして、表紙も破れて今にもばらばらに壊れそうなその書物を優しくそっと開いていく。
それは、遠い遠い昔、まだ彼女がとある星で、人々から『救世の聖女』と呼ばれていた頃、こっそり人に言えない思いを綴っていた日記帳だった。
あるページを開いたとき、彼女はそのたくさんの何かの染みの跡がある紙面を、しばらくの間じっと見つめていた。
そこには、書きなぐったような文字でこう書かれていた。
『神よ、なぜ罪なき人々をお救い下さらないのですか……』
メサリウスの脳裏には、いまだに消えない悲惨で苦難に満ちた戦いの日々の記憶がよみがえっていた。その映像の中で家族も友人も愛した人も、すべて彼女の前から消えていく。
日記を静かに閉じると、メサリウスは深いため息を吐いた。
♢♢♢
「メサリウスは、明日まで王都にいるそうじゃ。だから、今日の放課後の約束は、明日に延期したいと言って来た。まあ、あと1日の辛抱じゃ、頑張れ」
3日目の放課後、ルートが所長室に行ってみると、メサリウスの姿はなく、リーフベルがルートに彼女の伝言を伝えた。
「そうですか……だったら、僕に直接言ってくれればいいのに……」
ルートは腑に落ちない表情で所長室を後にした。
そして次の日、午前中の最初の授業で教室に入ったルートは、〝あれ?〟と首を傾げた。この3日間、どの生徒より早く一番前の席に座っていたメサリウスの姿がなかったからだ。
その後も、結局メサリウスが姿を見せることはなく、ルートは放課後を迎えた。別に彼女にいて欲しいわけではなかったが、やはり気になってリーフベルに聞きに行こうと思っていたとき、コーベル教頭が研究室にやって来た。
「ブロワー教授、所長がお呼びだ」
「あ、はい、分かりました」
ルートは返事をすると、肩掛けカバンを持って部屋を出て行った。
教頭と並んで転移ボックスまで歩いていく。
「それで、どうだね、彼女は?」
「ああ、そうですね……とてもまじめな生徒ですよ」
「ふむ……いったい、どこの国の王族だろうね? 所長は頑として教えてくれないんだ」
「ははは……そうですね……謎めいた女の子です」
ルートは転移ボックスで所長室の前に到着し、声を掛けてドアを開いた。
「ブロワーです……失礼します」
「おお、来たか……こっちへ来て座れ」
「あ、メサ、メッサーさん……」
ルートはドアの所で立ち止まって、驚きの声を上げた。
応接用のソファに、リーフベルと向かい合って、メサリウスが座っていたからである。
「ん? 何も驚くことはなかろう。昨日、延期すると伝えさせたはずだが?」
メサリウスは、そう言って平然とコーヒーをすすった。
「まあ、そうですが、授業で姿を見なかったので……」
ルートはそう言いながら、リーフベルの横に行って座った。
「なんだ、寂しかったのか?」
「べ、別に、そうではありませんが……もう、天界にお帰りになったのかな、と……」
「あはは……天界だと? 我がまるで死んだようではないか。まあ、確かに空の上ではあるがな、天界ではないぞ。天界は、死者の魂が行きつく亜空だ」
メサリウスは珍しく声に出して笑い、快活に答えた。
「それより、お菓子はどうした? 持ってきたのであろうな?」
「あ、はい、はい……」
ルートは少々面食らいながら、肩掛けカバンの中からクッキー、シュークリーム、ドーナツなどを適当に出して並べていった。
「ふ~ん……ずいぶんと親しくなったようじゃのう?」
それまで黙って2人のやり取りを見ていたリーフベルが、少しとげのある口調でそう言った。
メサリウスは、すでに目の前に並んだお菓子に目を奪われて、リーフベルの言葉は耳に入っていないようだった。
「おほう、なんと、なんと……どれも美味そうだな。どれ、この丸いやつからいただこう」
メサリウスは子供のように無邪気な笑みを浮かべて、シュークリームにかぶりついた。
所長室の中にしばらくの間、メサリウスの歓声が続いた。
「そろそろ本題に入ろうかのう……」
自らもお菓子とコーヒーを十分に堪能した後、リーフベルがおもむろにそう言った。
「ルートから聞いたが、そなたは神から『ルートをよりよく導くように』と頼まれたそうじゃな? その理由は何じゃ? そして、今回ルートに会って、どう思った?」
リーフベルの問いに、メサリウスはハンカチで口元を拭いた後、しばらく2人の顔を交互に見つめた。
「ふむ……そうだな。まず、1つ目の答えはそなたたちが想像している通りだ。神は、ルート・ブロワーにいたく関心を寄せている。彼に期待すると同時に、不安も抱いておる。まあ、その不安の中身については、まだ言わないでおく。だが、案ずることはない。そのために我がこの星に来たのだ。そして2つ目だが……」
メサリウスはそう言いかけると、なぜか小さなため息を吐いて少しだけ視線を落とした。ルートは、それが自分への失望の表現だと感じた。
「……正直、我は戸惑っておる……」
メサリウスはそうつぶやくと、目を上げてルートを見つめた。
「……その若さで、何もかも知るということは、決して良いことばかりではない」
ルートとリーフベルは、メサリウスの言葉に思わず顔を見合わせる。
「どういうことかのう? ルートが何について知っているというのじゃ?」
「……魔法について然り、世界の仕組みについて然り、神について然り……そして、悲しみと絶望について然り……早く生きすぎてはならぬ。この我のようにな……」
メサリウスの言葉の意味はほとんど理解できなかったが、言葉の端々からルートへの親愛の情は伝わってきた。
「……ルート・ブロワーよ、生きることを精一杯楽しめ。それが、ひいてはそなたのためであり、神のためでもある」
メサリウスはルートにそう言った後、リーフベルに目を向けた。
「ハイエルフの賢者よ。神や我、そなたもじゃが、人よりはるかに長い時を生きる。人間がせいぜい100年の単位で物を見るとき、神は100億年の単位で物を見る。それは神にとって決して良いことではない。そなたは、人間と神の間に立って物を見、考えることができる。それを生かして、今後もルートのことを支えてやってくれ」
ルートもリーフベルも、ただ頷くことしかできなかった。
こうして、大賢者は王都を去り、北の果ての孤島へと帰っていった。
いつもの生活が戻り、ルートはまた教師として、商会の会長として忙しい日々を過ごすようになった。
しかし、彼の心の中には、メサリウスの言葉が深く刻み込まれていた。
『生きることを精一杯楽しめ。それが、そなたのためであり、ひいては神のためでもある』
閑話 結婚式
「う~ん……困ったな……」
それはルートの誕生日から3日後、12月に入って最初の休みの日の午後のことだった。
昼食を終えたルート一家は、思い思いに屋敷の中で過ごしていたが、突然王城からの使者が訪れ、1通の書状を届けたことから、一家の苦悶が始まった。
その書状は、国王オリアス・グランデルからのものだった。
「でも、陛下のご命令なら断れないでしょう?」
母ミーシャにとって、国王は絶対的な存在である。
「うん、まあ、命令ではないけどね。陛下が御厚意で提案してくださっていることを、むげに断るわけにもいかないよね。でも……はああ……気は進まないなぁ……」
ルートのため息に、横に座ったリーナも頷いて同調する。
「ん、そんなに大げさにやらなくていい。身内だけで静かにやりたい」
「う~ん、でもなあ……そういうわけにもいかないんじゃねえか?」
今では一家の大黒柱になったジークが、妻や義理の息子・娘たちを見回しながら言った。
「ルートの立場を考えてみろよ。こいつが偉ぶらないから、俺たちもあまり自覚していないがな。今や、ルートは、有名人……? いや、ちょっと違うな。ええっと……王様や貴族とも友達? 英雄? いや、なんか違うんだよな……まあ、いい、とにかく英雄みたいなもんだ。だから、結婚式ともなれば、身内だけでこっそりと、っていうわけにはいかないんじゃないか、ってことだ」
そう、今ルート一家が悩んでいるのは、あと20日あまりに迫ったルートとリーナの結婚式のことなのである。
「そうねえ、確かにポルージャの街だけでも呼ばなきゃいけない人たちが大勢いるものね」
「だろう? それに加えて、リーナの家族と青狼族、国王様や貴族の面々も呼ばないわけにはいかない。もしかすると、ハウネストの教皇様も来るって言いだすんじゃねえか?」
当然予想していたことではあったが、改めて考えてみて、ルートは頭を抱えざるを得なかった。招待状は確かにそうした人たちにすでに送付済みなのである。
「で、でも、王城を会場にってのは、あまりにもおこがましくてさ……う~ん、どうしたものか」
国王からの書状は、結婚式をぜひ王城の大広間でやらないか、という申し出だった。とんでもない名誉なことだったが、あまりにも敷居が高すぎた。
会場としては、リーフベル所長からも、学園の教会と大講堂を使え、という半ば職務命令のような言葉をもらっていた。これも、すぐに承諾できる話ではなかった。
本当は、ポルージャの教会で式を挙げ、いつものように商会の本店裏の庭でささやかな祝宴を、というのが、ルートとリーナの願いだったが、今のルートの立場上、それは難しいことだったのだ。
「あまり悩んでいる時間はないな。よし、決めよう」
ルートは、一度頭の中を空にして力強く宣言した。
家族は『おお、頼もしい』という顔で、ルートに注目した。
ルートは、家族を見回した後、一つ息を吐いて前を向いた。
「結婚式は取りやめる……」
「「「えええっ!」」」
「……というのは、冗談だけど、いろいろ考えた結果、学園を使わせてもらうことにする」
「「「……」」」
「ま、まあ、いいんじゃねえか。大勢でも楽に入るし、格式もあるしな」
「そ、そうね。ちょっと、気後れするけど、王城よりは入りやすいわね」
「ん、行ったことないけど、ルートの職場、一度は見ておきたいかも」
家族たちも、ルートの決断を支持してくれた。
こうして、前代未聞の「王立子女養成所」を会場にした、ルートとリーナの結婚式の準備が進められていった。
そして、慌ただしい日々はあっという間に過ぎていき、いよいよ12月25日、結婚式の当日を迎えたのであった。
いつもは貴族の子女たちが通る正門を、次々に大型の魔導式蒸気自動馬車が通っていき、駐車場に止まると、車の中から着飾った人々がぞろぞろと下りてきて、物珍しそうにあたりを見回した。ポルージャの街から来た面々である。
「へえ、ここが王都の学園かい? ルートはこんなすごい所で先生をやってるんだねぇ」
「まるで、1つの街みたい……」
「うちの子は将来ここに通わせるんだ」
「おや、それじゃあ、うちの子のライバルだね」
「えへへ~、うちの子もライバル~~」
マーベル、セシル、ポーリー、マリアンナ、ベーベたちが賑やかな笑い声を上げながら、プロムナードを歩いていく。
さらに、正門には続々と紋章入りの豪華な馬車も到着していた。中でも、ひときわ目立ったのが、青と白でペイントされ、側面に白百合の紋章が描かれた大型の魔導式自動蒸気馬車である。銀色の鎧を着た騎士たちに護衛されて、中から下りてきたのは、青地に銀糸で刺繍が施され、襟の周りがふかふかの白い毛皮で覆われた豪華なローブを着た金髪の少女だった。頭に司祭帽をかぶっているので教会関係の人物だと分かる。
同時に各馬車から下りてきたこの国の貴族たちも、彼女を見て、その場に立ち止まり、一斉に深く頭を下げた。
「皆さん、どうぞ頭をお上げになってください。今日は私の良き師であり、友人でもあるルートさんのおめでたい結婚式です。堅苦しいのは抜きにして、皆で、仲良く盛大に祝って差し上げましょう」
現教皇ビオラ・クライン1世の言葉に、周囲は一斉になごやかな空気に包まれた。
こうして、会場にはすでに百人を超える列席者が到着し、教会へと長蛇の列を作っていた。
そんな中、当のルートとリーナはそれぞれ緊張しながら部屋の中に待機していた。
リーナは着替え用の教室で、最後の化粧直し、着替えが早く終わったルートは、少し離れた自分の研究室で、自分の机を前に座っていた。
「よお、ここにいたのか……」
ドアが開いて、黒いスーツを着たジークが入って来た。
「どうした、やっぱりお前でも緊張しているのか?」
「ああ、そりゃあ緊張するさ……人生で初めての結婚式だよ……」
「あはは……そりゃ、そうだな。しかも、国王様や教皇様まで来るんだから、普通の人間なら、腰を抜かしてちびっているところだな」
ルートは苦笑した後、前方の空間を見つめながらぽつりとこう言った。
「……前世の、両親や兄にも見せてやりたかったな……」
それを聞いたジークは、じっと自分の足元を見つめた後、ルートの方へ顔を向けた。
「なあ、ルート……俺は、父親らしいことは何も言えねえが、前世の記憶があるってのは、きっと辛いことなんだろうな……でもよ、お前が生まれ変わったこの世界の、俺も、ミーシャも、リーナも、お前が救った娼婦たちもさ、皆、みーんな、お前がこの世界に生まれてきたことを感謝しているんだぜ。だからよ、ずっと俺たちの側で、俺たちと一緒に、これからも生きていってくれ……」
ルートは思わず涙をこぼしそうになって、慌てて手でこすりながら頷いた。
「ああ……そうだね。記憶を消すのは無理だけど、忘れることはできるから……僕にはこの世界がある。皆がいる。僕にとっては十分すぎるほど幸せなことだよ」
その年、前世のルートの故郷では、聖夜の街にはらはらと雪が舞い落ち、カップルは空を見上げて肩を寄せ合いながら微笑みを交わしていた。
そして、ルートが生まれ変わった世界の聖夜はというと、寒い風もなんのその、王都の学園に集まった人々は、一晩中酒を酌み交わし、歌い踊って大騒ぎしながら夜明けを迎えたのであった。
ただし、幸せいっぱいに肩を寄せ合って空を見上げるカップルの姿は、同じだったが……。
タクトの修行
「では、今日から新たな修行に取り組んでもらうぞ」
「よっしゃあ、ばっちこーい!」
北の果ての名も無き絶海の孤島。
大賢者がこの星に降り立ち、天に届く塔を建て、1人の転生少年を育んでいる島である。
ボース校が冬休みに入り、タクト・アマーノは師匠と暮らすこの島に帰って来た。王都の学園祭が終わった後、3日間の休みを利用して里帰りした折、師匠から『冬休みになったら新しい修行を始める』と告げられていた。
タクトはそれが楽しみで仕方がなかった。
広々とした草原で向かい合った師匠と弟子。弟子は、まるで今から師匠と決闘でもするかのように、魔力を体にみなぎらせている。
師匠の方は、弟子の訳の分からない叫び声にため息を吐きながら、杖をゆっくりと前に突き出した。
「まずは、《結界》で攻撃を防ぐ練習だ」
「えっ? け、《結界》って、師匠、まだやったことがありませんよ」
「だから、今やるのだ。王都校では、すでに何人も使える生徒がいるぞ」
「ええっ? そんな無茶な……ええっと、結界って何属性? 風? 水?」
タクトがあたふたとしている間に、メサリウスは《ウィンドボム》を放った。
「ちょ、待って、うわああああっ」
タクトは空中に浮きあがって、8mほども吹き飛ばされる。
「いたたた……ひどいよ、師匠、何か嫌な事でもあったの?」
タクトの非難の声を聞きながら、メサリウスはなぜかルートの顔を思い浮かべていた。
「……よいか、タクト、今回の修行は《無属性魔法》を自在に操れるようになることが目標だ。その手始めに、《結界》を瞬時に張れるようになること。よいな?」
「《無属性魔法》かあ、地味だし、見えないからテンション上がらないんだよね。相手の攻撃を防ぐより、相手が攻撃する前にチャチャっとやっつけた方が早いって思うんだけど……」
タクトはそう言いながら起き上がり、師のもとへ歩いていく。
タクトの言葉に、メサリウスはため息を吐いて再び目の前に杖を突きつけた。
「はあ……だからお前は未熟なのだ。それでは永遠にルート・ブロワーには追いつけぬぞ」
師の杖にビクッと立ち止まったタクトだったが、後の言葉を聞いて表情を引き締め、師にぐいっと迫った。
「ブロワー先生に追いつけないって、どういう意味? 僕、すべての上級魔法が使えるんだよ」
「それは、攻撃魔法と治癒魔法であろう? 現に《結界》も作れぬし、《転移》以外の《空間魔法》も使えぬ」
「そ、それは、練習してないだけで、やろうと思えばすぐできるよ」
メサリウスは杖を下ろすと、厳しい表情でタクトを見つめた。
「よいか、タクト……ルート・ブロワーは《無属性魔法》の達人だ。おそらく、我もまだ知らぬ魔法も使いこなしておるだろう。タクト、これは覚えておくがよい、『魔法の最も深淵なる神秘に触れるための道は《無属性魔法》を極めた先に続いている』」
タクトは、その言葉に愕然として、しばらくは口を半開きにしたまま師の顔をじっと見つめていた。
「そ、それは、お師匠様でもまだ、深遠には触れていないということですか?」
タクトの問いに、メサリウスはあっさりと頷いた。
「うむ。頭の中で想像はできておる。そして、それはたぶん間違ってはおらぬ。だが、実際にはまだ触れておらぬよ」
「……ブロワー先生は、その深淵に触れる可能性がある、と……?」
「うむ……恐ろしいことよ。まだ15になったばかりだというのに……まあ、彼が生きている間に到達できるほど、甘い道ではない。だが、可能性はある」
タクトは地面に目を落として、しばらく難しい顔で考え込んでいた。が、やがて顔を上げると、その表情は今までとは一変していた。
「お師匠様、僕頑張ります。どうか、《無属性魔法》を教えてください」
タクトはそう言って、師の前で深々と頭を下げた。
「うむ、もちろんそのための修行だ。そして、我が今持っているものをすべて学んだ後、お前は、いずれルート・ブロワーに教えを受けねばならぬ」
「はい、分かりました」
「よし、では、先ほどの続きを始めるぞ。まず、結界の作り方からだ……」
この世界では、イメージを魔法に変換するのは《精霊の力》だと人々は信じいる。ルートはそれは精霊ではなく《無属性》魔法ではないかと推理していた。そして、それは正しかった。
メサリウスは不死の存在になる以前に、すでに魔法における《無属性》の役割に気づき、その原理を研究してきた。そして、原理はほぼ解明できたが、まだ証明には至っていない。なぜなら、《無属性魔法》は、言い換えるなら、この宇宙を形作っている根本原理に根差す力だったからだ。
以来、彼女はずっと「時間と空間、つまり時空の解明」を終生のテーマとして研究を続けてきた。それは美しい数式に帰結する予定なのだが、検証するための実験はあまりにも高温高圧のエネルギーを狭い範囲で創り出す必要があった。彼女は不死ではあるが、不死身ではない。そんな実験をしようとすれば、確実に生きてはいられないのだ。
だから、大賢者は、何とかその実験に代わる検証方法はないかと、もう何百年も思案し続けてきた。そして、今、彼女の胸はざわざわと得体の知れないときめきのような、不安と期待が入り混じったような胸騒ぎをずっと感じ続けていた。そう、ルート・ブロワーという稀代の天才少年に会って以来、ずっと……。
ルート、少年と出会う 1
ガルニア侯爵領の北にベルジ辺境地という小さな領地がある。低い山々が連なり、海岸線は切り立った崖が続いているために、ほとんど開発が進んでいない地域である。山と山の間のわずかな平地を耕して、人が住み着いた小さな村が2つしかなかったが、ここにも一応領地管理を任された貴族の代官がいた。
ガルニア侯爵から任命された官僚貴族だが、誰が見ても出世コースから脱落した負け組であった。だが、地位や名誉には興味はなく、金と女さえあればいいという腐敗貴族にとっては、さほど悪くない場所でもあった。
「へへへ……オルトン様、そろそろ人数もそろいますぜ。例の場所の手配、よろしく頼んます」
「うむ、任せておけ。それより、足がつかないように用心しろ、ミゲル。最近、コルテスの犬が嗅ぎまわっているという情報が入ってきている」
ミゲルと呼ばれた、いかにも盗賊風体の男は、下卑た笑い声を上げ、手をプラプラさせながら馬車から離れていく。
「へへ……ご心配には及びません。むしろ、買い手の方が口を割らないよう頼みますぜ」
夕闇の中に消えていく男の背中を見送った後、オルトン準男爵はきれいに整えた髭をつまみながら鼻先で笑った。
「ふん……盗賊風情に心配されるほど落ちぶれてはおらんわ……どんなに聖女と呼ばれる教皇様が頑張ったところで、この世から奴隷を欲しがる貴族がいなくなることはない……」
♢♢♢
「ルート、ガルニア侯爵から使いが来た。これ、渡してくれって」
冬休みに入っても、追試やら会議やらで、ルートは学園に毎日出勤していた。その日も、リーフベル所長に頼まれて、ボルトン、サザールの2人の同僚とともに、図書館の魔法学に関する書物の整理を半日余りも費やしてようやく終わり、帰って来たところであった。
冷たい手を暖炉で温めていたルートは、リーナが持ってきた手紙を見て浮かない表情になった。別に侯爵が嫌いなわけではない。ただ、ガルニア候がルートに何か連絡してくるときは、決まって面倒ごとが多いのである。
「何だろう? 悪い予感しかしないんだけど……」
封筒を受け取りながら、思わずつぶやく。
「ん、嫌なことなら断ればいい」
リーナは単純明快である。だが、それが一番正しい判断でもあった。
『貴族にはへたに逆らわないが、むやみにへこへこもしない』、リーナの態度は一貫している。そして、ルートもまた、それを一緒に実行するだけの立場を築いてきたのだ。
「うん、その通りだ。嫌なら断ればいい」
ルートはそう自分に言い聞かせながら、手紙の封を切った。
♢♢♢
「ハア、ハア、ハア……」
森の中の険しい斜面を、1人の小さな少年が息を切らしながら必死に登っていた。冬なのに少年が身に着けているのは、汚れた薄い貫頭衣だけ。裸足の足は傷だらけで、あちこちから血がにじみ出ている。
首に嵌った鉄の輪から見ると、恐らく少年はどこからか逃げてきた奴隷に違いなかった。傷だらけでやせ細った手に力はない。だが、少年は必死に草を、岩をつかんで這い上がっていく。
その青い瞳はまだ死んではいない。生きて地獄の底から這いあがってやる、という強い意志に輝いていた。
♢♢♢
「おお、ブロワー、それに奥方も久しぶりだな。よく来てくれた」
ガルニア侯爵の屋敷を訪れたルートとリーナを最初に出迎えたのは、コルテス子爵だった。
結局、ルートはガルニア候からのたっての依頼を断ることができず、リーナとともにこの地を訪れることになったのである。
「ご無沙汰しています、コルテス子爵。やはり、今回の件はあなたの差し金だったのですね?」
「ああ、まあ、そう睨むな。確かにわしが殿下に進言したのだが、今回の件は少々厄介でな……これを任せられるのは、お前しかおらんのだ。まあ、詳しい話は中でしよう。さあ、入ってくれ」
コルテス子爵は、まるで我が家のような口ぶりでそう言うと、ルートたちを屋敷の中に招き入れ、侯爵の執務室へ案内した。
「殿下、ブロワー夫妻が到着いたしました」
「うむ、入ってくれ」
ドアの向こうから低い声が聞こえてくる。
前国王の弟であり現国王の叔父、「実質的な宰相」と呼ばれ、絶大な権力を誇る老人が、机の上で手を組んで、じっと何かの書類に目を落としていた。その眉間には深いしわが刻まれ、老人を年齢以上に老けて見せていた。
「お久しぶりです、侯爵様。先日は私たちのためにわざわざおいでいただいて、しかも過分なお祝いまでいただき、ありがとうございました」
「うむ、気にするな。久しぶりに心から楽しませてもらった、感謝するのはこちらの方だ。リーナ、早く子供を見せに来い。今のわしの一番の楽しみだからな」
侯爵は、ようやく気分が少し良くなったのか、そんな軽口を叩きながらルートたちの方へ近づいて来た。
「ま、まだ早すぎ、この前結婚したばかり……と、年寄りは気が短くて困る」
からかわれて真っ赤になったリーナが反駁すると、侯爵はいかにも楽し気に大笑いした。
「うははは……すまん、すまん。もう、老い先が短いじじいのせめてもの願いじゃ、許してくれ」
ひとしきり笑いながら雑談を交わしたルートたちは、侍女がお茶を持ってきたところでソファに座り、本題の話に移った。
「では、ホアン、ルートたちに話してやってくれ」
侯爵に促されたコルテス子爵は頷くと、ルートたちを見ながら話し始めた。
「手紙にも書いてあったと思うが、3日前、王都の郊外で4人の奴隷の変死体が見つかった。まあ、それだけならたまにある胸糞悪い事件で済んだのだが、その奴隷たちを調べた所、王国内の奴隷商が扱った奴隷たちではないことが分かったのだ……」
「それはどうやって分かったのですか?」
ルートの問いに、子爵は頷いて指を2本立てた。
「うむ、2つの証拠がある。まず、奴隷たちには《契約魔法》が掛けられていなかったことだ。奴隷商が扱う奴隷には、必ず安全のために《契約魔法》が掛けられる。それはお前も知っているだろう?」
ルートは黙って頷いた。奴隷娼婦だった母親のミーシャたちにもその魔法が掛けられていたのだ。
「次に、首に嵌められていた鉄の首輪が、闇属性の呪文が掛けられた魔道具だった。この国では使われないものだ。そこで、わしが密偵に探らせたところ、いろいろときな臭い事実が出てきた……」
「この領内に、外国からの奴隷が密かに運ばれてきておる、ということが分かったのだ。しかも、それをこの国の貴族が買い取っているらしい……まったく、舐めた真似をしてくれるわ……」
コルテス子爵の話を途中から引き取った侯爵が、いまいまし気に吐き捨てるように言った。
ルート、少年と出会う 2
ガルニア侯爵からの依頼は、ガルニア領内のどこで、誰が奴隷たちを搬入しているのかを突き止めることだ。侯爵の推測では、十中八九貴族が背後にいるに違いないという。
その場合、ただの密偵では踏み込んだ捜索ができない。逆に、侯爵自らが貴族たちを一人一人詰問しても、適当に尻尾を切って逃げられる可能性が高い。それどころか、無関係の貴族たちからは不信感や反発を受けるだろう。
そこで、ベストなのは、ルートたちが黒幕を突き止めた後、侯爵が最終的に裁断を下す、という形に持っていくことだ。
「まあ、お前ならどんな相手であろうと負ける心配はないが、手足になって動ける人間が多い方がいいだろう。そこで、彼らを付けてやろう。おい、入ってこい」
コルテス子爵はそう言うと、ドアの外に向かって声を掛けた。
入って来たのは、すらりと背が高くハンサムな若者とまだ幼さが残る顔立ちの若い娘であった。
「お久しぶりです、ブロワー殿」
「やあ、カイトさん、メイさん、お久しぶりです。なんか、すごく変わりましたね。もちろん、いい意味で」
2人は、かつてルートが3日間訓練したことがあるコルテス子爵の部下、カイトとメイのマインズ兄妹だった。
「そうであろう? 今やわしの密偵たちの中でも抜群に優秀な2人だ」
コルテス子爵は口髭を触りながら自慢し、2人も頬を染めて照れつつ、嬉し気に微笑んでいた。
こうして、マインズ兄妹とともに侯爵邸を後にしたルートとリーナは、街の中に向かった。
『タイムズ商会ルンドガルニア支店』に行くためだ。
ガルニア領内を調査するということは、領内に監視の目があることを想定する必要がある。本部をどこかに設置するにしても、その場所を怪しまれないようにすることは難しい。それならば、ルートが自然に出入りできて、しかも豊富な情報網が備わっている商会の支店を本部にするのは理にかなっているというわけだ。
「……なるほど、そういうことが……分かりました。ルンドガルニア支店の総力を挙げて会頭のお仕事をサポートさせていただきますよ。お任せください」
支店長のグラン・ボルシアが脂肪のついたお腹を揺すりながら立ち上がった。
「拠点として使われるお部屋にご案内します、どうぞこちらへ。それと、連絡担当の者を付けましょう。うってつけの男がおりますよ」
ボルシアに案内された部屋は、店の裏門から入ってすぐの倉庫の横の空き部屋だった。もとは資料を整理するための部屋だったが、使い勝手が悪かったため、2階に新しく資料室ができて使われなくなったらしい。
「後で必要なものがあれば、連絡担当の者にお申し付けください。では、担当のものを呼んでまいります」
ボルシアはそう言うと、頭を下げて部屋を出て行った。
「うん、ここなら出入りも簡単だし、監視がいたら見つけやすいね」
「ん、広さもちょうどいい。ちょっと掃除が必要だけど」
「なんか、ワクワクしてきました。ブロアー殿と一緒に仕事ができるなんて」
「あはは……こき使うかもしれませんよ、覚悟してくださいね。それと、殿はやめてください。ここからは同じ仲間です、ルートと呼んでください」
マインズ兄妹は慌てて首を振り、真剣な顔でこう言った
「い、いやいや、そんな呼び捨てなど……では、ブロワーさん、いや……」
「教官じゃだめですか? 隊長でもいいです」
マインズ兄妹は相変わらず真面目だった。
「ああ、あはは……まあ、隊長ならいいですよ」
そんなわけで、2人はルートのことを隊長と呼ぶことになった。いかにも騎士出身の2人らしいとルートは思うのだった。
「失礼します」
不意にドアがノックされ、1人の若い男が入って来た。
「初めてお目にかかります。ケイン・パーシバルと申します。支店長よりブロワー会頭の
連絡担当を申しつけられました。非力ではありますが、お役に立てるよう全力を尽くす覚悟です。何卒よろしくお願い申し上げます」
落ち着いた声で、立て板に水を流すようにすらすらと挨拶をする黒髪のイケメンに、ルートたちは圧倒されて、声も無く彼を見つめた。
「ふむ、まずはテーブルと椅子が必要ですね。椅子は5つほどでよろしいでしょうか? あと、お茶とコーヒーのセットと荷物を整理する棚ですね。さしあたり、それでよろしいでしょうか?」
「あ、ああ、十分だよ、よろしく。ええっと、ケインさん、こっちが僕の妻でリーナ、そちらがコルテス子爵に仕えているカイト・マインズ騎士爵とメイ・マインズ騎士爵だ」
ケインは優雅なしぐさで礼をした。そのやり方を見て、ルートは彼が貴族の家の出だと推測した。
「ケインさん……」
「どうぞ、ケインと呼び捨てでお願いします」
「うん、分かった。じゃあ、ケイン、後で作戦会議をするから、君にも加わってほしい。これからよろしく頼むよ」
「はいっ。身命を賭してお仕えいたします。では、すぐにテーブルと椅子を持ってまいります。失礼します」
ケインは、そう言って頭を下げると、音もなくドアを開いて出て行った。
「……さすがはタイムズ商会です。すごい人たちが働いておられるんですね」
「いやあ、あれはさすがに僕もびっくりですよ。たぶん、貴族の出だろうね。名前に聞き覚えはありませんか?」
「間違いなく、パーシバル男爵家の方ですね。当主はミハイル・グランデル公爵に仕えておられましたが、あんなことがありましたので、今は領地を召し上げられ、王都で文官をしておられるはずです」
カイトの言葉に、ルートはやはりそうかと頷いた。
「まあ、なんにしても、優秀な仲間が増えるのは大歓迎だ。よし、じゃあ、さっそく作戦会議を始めましょうか」
ルート、少年と出会う 3
テーブルと椅子を従業員に運ばせてきたケインも加わり、ルートたちの作戦会議が始まった。
「……確かにそうですね。ということは、どこかに奴らの船が出入りする港があるはずですね」
「う~ん、そうなんだけど、ガルニア領の西側はずっと海岸線が続いているから、調べるとなると大変なんだよなあ」
ルートたちはまず、外国の奴隷が船で運ばれてくると想定し、その場所を特定しようとしたが、全員が地図を見つめながら考え込んでしまった。
そのとき、顎に手を当てて考えていたケインが発言した。
「少なくともラークスの港の近くではないでしょうね。他の船や漁師たちの船が頻繁に行きかう場所は避けるはずです。そうなると、ある程度場所は限られてきます。サラディン王国と接する南側か、切り立った崖の海外線が続く北側か」
ケインは地図上を指で指し示しながらそう言った。
「うん、確かに……それで、ケインさんはどっちが怪しいと思う? 何か考えがあるんだろう?」
ルートの問いに、ケインはわずかに口元に笑みを浮かべてルートを見てから、北側の一帯を丸く指先でなぞった。
「ここにベルジ辺境地という小さな領地があります。領主はゼルス・オルトン準男爵。小さな村が2つだけの未開の地ですが、ここ半年ほど、我が支店との取引が急激に増えています。蒸気自動馬車が3台、高級ワイン、紅茶、コーヒー、化粧品その他多数。とうてい、小さな辺境の領主の財力では購入できない額になっています」
「ああ、それは完全に黒だね。でも、誰も不審に思わなかったのかな?」
「はい、それが直接の注文主は王都の何人かの貴族になっていまして、それをオルトン準男爵が代理で引き取り、王都へ運ぶというやり方で。ちゃんと、王都の貴族からの正式な委任状を持って来ますので、断るわけにもいかず……ただ、怪しかったので、信用できる何人かの行商人に頼んで積み荷が本当に王都へ運ばれているのか追尾してもらったんです。そうしたら、案の定、積み荷の馬車はすべてベルジへ向かっていました」
「なるほど……このことを知っているのは?」
「ボルシア支店長とロンダム副支店長、私、会計主任のベルゼスの4人です」
ルートは頷くと、しばらく地図を見ながら考え込んだ。
そして、顔を上げたルートは4人を見まして告げた。
「よし、狙いは北側、ベルジ辺境地周辺に絞ろう。中心ターゲットはオルトン準男爵だ」
4人はしっかりと頷く。
ルートはさらに続ける。
「証拠をつかむまで、我慢比べになるかもしれません。でも、証拠がなければ貴族を追い詰めることはできない。僕とリーナは辺境地に陸側から潜入します。カイトさんたちは漁師と契約して海側から不審な船や港の捜索をお願いします。何か見つけたら、ケインさんに連絡してください。ケインさんは、ベルジから王都への道に行商人を雇って張り込ませてください。きっと、奴隷を運ぶ馬車が通るはずです。特に夜の張り込みを確実にお願いします。それと、カイトさんたちへの資金援助と僕との連絡要員の確保、できますか?」
ケインは頬を紅潮させ、生き生きと目を輝かせていた。力強く頷く。
「お任せください」
「カイトさん、ケイさん、奴隷船を見つけてもすぐに突入はしないでください。泳がせて確実に証拠をつかむことが大事です」
カイトもケイも嬉し気に微笑みを浮かべて頷く。
「我慢比べは私たちの得意とするところです」
「では、もう少し細かい所を詰めたら行動開始です」
♢♢♢
ようやく険しい山を登り終えた少年は、もう一歩も動けない状態だったが、うつ伏せになったまま眼下に広がる光景を見つめた。麓を覆う森の先に、限りなく広い平原と右側に広がる海。彼はその海の向こうから船に押し込められてここまでやって来た。
もう、海の向こうの故郷へ帰るのは絶望的だが、この先に広がる世界には、まだ微かな希望があるように思った。それをつかむまでは、死ねない。自分を逃がしてくれた、名も知らぬあの女の人に報いるためにも。
少年はしばらく休んで、どうにか体が動くようになると、山を下り始めた。とにかく喉が渇いてしかたがなかった。水を飲みたかった。
麓の森には魔物や野獣がいるだろう。力も武器もない少年は、見つかればすぐに食われて死ぬだろう。でも、先に進むしかなかった。生きるために。
♢♢♢
ルートとリーナは、とある行商人に頼んで、ベルジ辺境領に一番近いコルンの村まで馬車に同乗させてもらった。
「ありがとうございました」
「いえいえ、タイムズ商会にはお世話になっていますから、これくらいなんでもありませんよ」
村に向かう行商人と別れのあいさつを交わした後、2人は村はずれから森の方へと入っていった。
「今のところ監視はいないようだね」
「ん、大丈夫。でも、山を越えるのはかなり大変そう」
「ああ、そうだね。でも、そこが狙いさ。まさか、山越えで潜入してくるとは思わないだろうからね」
2人はそんな話をしながら、快調な足取りでどんどん森の中を進んでいく。何しろ、キャンプ道具や食料や水を背負っていく必要がないのだ。必要なものはすべて、ルートの肩掛けカバンとリーナのウェストポーチの中に収納されているからだ。
「ん、この先に魔物の気配がある。数匹……ウルフかも」
「了解。《気配遮断》っ!」
2人は頷き合うと、気配を消して《加速》で一気に魔物に近づいていった。
グルルルル……5頭のランドウルフたちは、散開して獲物の周囲を取り囲んだ。小さな獲物はここまで何とか逃げて来たものの、ウルフたちから逃げ切ることはできなかった。とうとう動けなくなって、大きな木の根元にうずくまりブルブルと恐怖に体を震わせていた。
「くそっ……くそっ……ここまで来たのに…なんで……」
ウルフの唸り声を聞きながら、少年は悔し涙を流す。神は自分からすべてを奪うのか。両親も兄妹も、生きたいというささやかな希望さえも……。
どこにぶつけようもない恨みを神にぶつけながら、少年はあきらめのため息を吐いて覚悟を決めた。
ガウッ! キャウンッ!
突然、周囲を囲んだウルフたちが大きく動き出し、これまでかと思ったら、次の瞬間、ウルフたちの叫び声と断末魔の悲鳴が立て続けに聞こえてきた。
そして、それが止んだ時、顔を伏せてうずくまった少年の耳に、こんな声が聞こえてきたのである。
「ん、大丈夫、生きてるよ」
ルート、少年と出会う 4
(僕は本当に生き残ったんだろうか……この人たちはいったい……)
少年は、まだ自分が生きていることが信じられず、どんな状況かも分からず、ただブルブル震えながら自分を見下ろしている2人の人物を交互に見つめた。
「もう大丈夫だよ。心配しないで……ちょっとケガを治すから足を見せて」
死んだ兄と同じくらいの年の少年が、優しい声で近づいて来た。
しかし、少年はビクッとして反射的に後ずさった。人間は誰も信用できないという思いが染みついていたのだ。
彼の家族を地獄に落とした男も、最初は優しい言葉で近づいて来たのだ。
♢♢♢
ルートは、怯える傷だらけの少年の姿に、思わず胸が締め付けられて涙が溢れてきた。そして、子供をこんな姿にする奴隷制度と腐った大人たちに対するどうしようもない怒りがこみ上げてくるのだった。
ルートは仕方なく少し離れた所から、少年の方へ手を伸ばして《ヒール》と《キュア》の魔法を同時に掛けた。合成魔法ではないが、ある時、ケガの治療と毒の消去を別々にするのが面倒で、同時にできないかと思ってやってみたらできたのである。ルートはこれに《トリートメント》と名付けて、生徒の治療などに気軽に使っていたのだが、魔法科の先生たちやリーフベル先生には呆れられた高度な魔法だった。
少年は、突然光に包まれて驚いたが、手や足の傷や痛みがみるみる内に消え去り、疲れまで無くなっていくのを感じて呆然となった。
「とりあえずいいかな。君、歩けるかい? ここから少し離れた所に移動しよう。ランドウルフの血の匂いに魔物が集まってくるかもしれないからね」
ルートの言葉に、少年はようやく小さく頷いて立ち上がった。ルートは優しく微笑みながら、少し離れて前を歩き出す。少年はおずおずとその後について行く。リーナはそれを見送ると、ランドウルフの死体から魔石だけを素早く取り出していった。
村の方へ戻る方向へ少し歩いて、森が開けた場所を見つけると、ルートとリーナはそこに防水加工がされた革のシートを広げて座った。
「ここへ座って。まずは自己紹介するね。僕はルート、こっちはリーナ、冒険者だ。君の名前は?」
少年はまだ離れて立ったまま、ためらっていたが、やがてシートの端にようやく腰を下ろした。そしてもごもごと口ごもっていたが、やっと聞こえるくらいの声で答えた。
「マ、マルク……」
「そうか、マルク。まだ、僕たちのことを信用できないかもしれないけれど、僕たちは、この辺りに外国から連れて来られた人たちが奴隷にされて売られているという情報を聞いて、調査に来たんだ」
ルートの言葉をうつむいて聞いていた少年マルクは、「奴隷」という単語にビクッと肩を震わせた。
「ルート、この子に何か食べさせたい。食べて元気が出たら、気持ちも明るくなる」
ルートの様子に珍しく焦りがあるのを感じたリーナは、そう言ってルートのカバンの中からシチューの鍋を取り出した。
「ああ、そうだね……ありがとう、リーナ。そうしよう」
♢♢♢
森の中で、マリクがしばらく落ち着くまで一緒に食事をしたルートたちは、マルクを安全な場所に移すためにいったん村の近くまで戻った。
森の出口に着くと、ルートはカバンの中からまずハトを1羽取り出した。その足環の筒に簡単なメモを入れると、空へ放つ。これは、連絡員への通信用だ。
次に、再びカバンの中から、今度はカラドリオスの従魔シルフィーを取り出して、同じようにメモを足環に付けて飛び立たせた。これは、海で監視しているカイトたちへの通信だった。
ピ~~ッ
一声高く鳴いて、優雅に空へ舞い上がる美しい鳥を、マリクは驚嘆の表情で見上げていた。
やがて、そこへ1台の馬車がやって来た。連絡員が用意した馬車だった。
ルートとリーナは、ためらうマリクを何とかなだめながら、荷台に一緒に乗った。
「これから、君を安全な隠れ家に連れて行く。そこでしばらくゆっくり体を休めるんだ。ただ、その前に君が知っていることを話してほしい。辛いかもしれないけど、まだ捕まっている人たちがいるなら、何としても助け出したい。いいかな?」
ルートは出来るだけ優しい口調で少年にそう言ったが、まだ、少年の心は固く閉じているようだった。
「ん、ねえ、ここまで頑張って逃げてきたんでしょう? 男なら、最後までやり遂げなさい。あなたがやり遂げるのは、悪い奴らの情報をわたしたちに伝えること、そうではないの?」
リーナが珍しく饒舌に、感情をこめて少年を叱咤した。
マリクははっとしたように顔を上げて、リーナとルートを交互に見つめた。
「ぼ、僕は、奴隷です……ラニトのべハブ村から、盗賊に連れて来られました。盗賊は向こうの山を越えた所にある小さな村にいます。詳しくは分からないけど、僕の他に、10人以上の人たちが捕まっていました……僕は……僕はシャリアさんという女の人が、見張りを引き付けてくれている間に、何人かの人たちと一緒に逃げ出して……でも、途中で他の人たちは捕まって……あとのことは何も分からない、です……」
「そうか……よく頑張ったね」
ルートは思わず少年のやせた体を抱きしめていた。幼い頃、スラム街で、ただ見送ることしかできなかった子供たちのやせ細った死体が脳裏に浮かんでいた。
マリクもようやく恐怖と緊張から解放されたのか、ルートの腕の中でこらえていた涙を流しながら、しばらくの間嗚咽していたが、やがて、顔を上げてルートたちを見つめた。
「どうか、皆を助けてください、お願いします」
「ん、わたしたちに任せて。そのためにも、知っていることをみんな話す、いい?」
こくりと頷くマリクの頭をリーナが優しく撫でてやった。
♢♢♢
こうして、貴重な生き証人のマリクを、偶然救出することができたルートたちの捜査は一気に進展した。
マリクは「ルンドガルニア支店」の活動拠点の部屋でしばらくかくまうことになった。海上で捜索していたカイトとメイも戻って来た。
そして、マリクから詳しい場所や盗賊たちのおよその数などを聞き出すと、残った奴隷たちを救出するための作戦を開始した。
腐った貴族に鉄槌を 1
「おう、やっと俺の出番か」
ルートとリーナを送り出した後、王都でやきもきしていたジークが、意気込んでガルニアにやって来た。
「じゃあ、俺はガルニア候の近衛騎士隊と一緒に、そのなんとかっていう腐れ貴族を待ち伏せりゃいいんだな?」
「うん、頼むよ。たぶん、僕たちが奴隷を解放したという情報が入れば、慌てて王都の貴族を頼って逃げ出すと思うから、街道に張り込んでいてほしいんだ。もしかすると、手下の盗賊たちが一緒かもしれないから、十分気を付けてね。ただ、間違っても貴族は殺したりしないように、生きたまま捕まえるんだよ」
「おう、任せとけ。じゃあ、お前たちも気を付けてな」
ジークはそう言い残すと、念のためかつての傭兵仲間の何人かに応援を頼むために傭兵ギルドへ向かった。彼はそのまま、ガルニア侯爵の屋敷へ行き、侯爵、コルテス子爵と貴族を捕えた後の手筈を打ち合わせに行く予定だ。
「じゃあ、僕たちも出発しようか。ケインさん、マリクのことよろしくお願いします」
ルートはそう言って立ち上がった。
「はい、お任せください。どうか、くれぐれもお気をつけて」
ルートたちは、ケインとマリクに見送られて本部の部屋から出て行った。
「大丈夫だよ。あの方たちにかかれば、解決しないことなんか存在しないから」
心配そうにドアを見つめるマリクに、ケインが優しく肩に手を置いてそう言った。
♢♢♢
「くそっ……まだ見つからないのか? ガキ1人にいつまでかかってやがる」
ベルジ辺境地に2つしかない村の1つ、ホルス村。ここに、船で送られてきた奴隷たちをいったん収容しておく地下室がある。
この村にも、かつては開拓にいそしむ何組かの家族が住んでいた。だが、オルトン準男爵が代官になると、厳しい徴税が続き、ついにそれを払えなくなった彼らは借金奴隷になって王都に送られた。
この時の甘い汁に味をしめたオルトンは、金を使って無法者たちを雇い、違法な奴隷売買を始めたのである。国内でやれば監視が厳しいので、船で外国の辺境地から人間を拉致して連れてくる。そして、それを王都の貴族たちに密売して多額の金を得ていたのだ。
ホルス村を取り仕切っている元盗賊の男、ルベンのいらいらは頂点に達していた。船であと1回奴隷が運ばれてくれば、数がそろい、王都へ送り出すことができる、というところで、船で出かけた手下たちがラニト国の自警団に見つかり、ほとんどの者が殺されたり捕まってしまったという。生き残って帰って来た者たちも重傷を負っているものが多く、使い物にならなくなった。
そして、今回の集団脱走である。主犯の女や逃げた者たちのほとんどは捕まえたが、3人が死んでしまい、1人が行方不明になってしまった。
このままでは、今回の取り引きは中止になり、ルベンも相応の罰を覚悟しなければならない。
「……冗談じゃねえ……もうすぐ資金も貯まるってときに……くそがっ!」
血走った目で叫んだルベンは、ワインの瓶を壁に投げつけた。粉々に割れた瓶から飛び散ったワインは、壁に赤い染みを付けて床へと流れ落ちていった。
♢♢♢
「隊長、人間です。確認したのは5人。山を登ってきています」
斥候に出ていたカイトとメイが戻って来て、ルートに報告した。
今、ルートたちはマルクが越えてきた山の頂上付近から、麓の様子を観察している所だった。
「マルクを追って来た連中だろうね。よし、全員拘束して、一か所に集めよう。1人も逃がさないように頼むよ」
ルートの指示に、リーナ、カイト、メイがしっかりと頷いて、同時に飛び出していく。
「これで全員です」
ものの10分もかからず、下りの山の中腹に、気絶し体を縛られた5人の男たちが転がされていた。
「うん、ご苦労さん。ちょっと尋問してみるか……」
ルートはそう言うと、1人の男の側に屈み込んで右手をかざした。淡い緑色の光が男を包み込み、やがて消える。
「っ! はっ、こ、これは……おい、小僧っ、こんな真似をしてただで、ガフッ」
目を覚ました男が、凄み始めた途端、ルートが足で軽く男の顎を蹴り上げた。
リーナは思わず目を見開いてその光景に驚いていた。こんな狂暴なルートを見たのは初めてだったからだ。それだけルートの胸の内に秘められた怒りが強いのだと、リーナは改めて感じた。
「しゃべるな。返事は頷くか、首を振るだけでいい。分かったか?」
「あ、ああ、わかっ、グハッ……」
今度は、男の顔の真ん中にルートの拳がさく裂した。
「しゃべるなと言ったはずだが?」
男は鼻血を流しながら、必死にこくこくと頷く。その体は小刻みに震えていた。
「お前たちは、逃げた奴隷を追っていたんだな?」
ルートの問いに、男は驚いた表情でしばらくためらった後、こくこくと頷いた。
「逃げた奴隷以外は、全員下のあの村にいるのか?」
男は再び頷く。
ルートは少し考えてから、男に質問する。
「あの村には、普通の村人もいるのか?」
男は、一瞬間を置いて小さく頷いた。
「ん、ルート、今のは怪しい。目が泳いでいた」
リーナの言葉に、男の目に怯えが走る。
ルートはニヤリと悪い笑みを浮かべると、ナイフを引き抜いて男の首に当てた。
「へえ、いい度胸だな……もう一度聞くぞ。村人いるのか?」
男は今度は必死に首を横に振った。
ルートは立ち上がった。必要な情報は十分だと判断したからだ。
「よし、行こうか。村にいる者は全員犯罪者だ。降伏する者以外は殺して構わない」
「「「了解」」」
リーナ、カイト、メイの3人も、同時に返事をして立ち上がった。
「こいつらはどうしますか?」
「このまま放っておけばいいだろう。運が良ければ、後で衛兵か自警団が引き取りに来るだろうし、運が悪ければ、凍え死ぬか、魔物の餌になるだけだ。自分たちの犯した罪の重さをじっくり思い知るがいいさ」
「ば、待ってくれ、頼む、助けてくれ、頼む……おい、待って、おい、なあ、お~い……」
男の見苦しい命乞いを無視して、ルートたちは一気に山を駆け下りて行った。
腐った貴族に鉄槌を 2
「な、なんだと? ホルス村が、壊滅……?」
ワイングラスが音を立てて床の上に落ち、砕け散った。
ベルジ辺境地から王都へ抜ける街道の途中にある別荘の一室で、奴隷の女たちを椅子代わりにして酒を飲んでいたゼルス・オルトンは、素っ裸のままブルブル震えながら慌てて寝室を出て行く。
彼が向かったのは、書斎の奥に造った隠し部屋だった。そこには、ため込んだ金銀財宝や犯罪の証拠となる記録や誓約書の類が置かれている。
彼は震える手でそれらをかき集め、マジックバッグの中に詰め込めるだけ詰め込んだ。そして、それを持って毛皮のコートだけを羽織ると、喚きながら屋敷の外へ出て行った。
「馬車だ、自動馬車を出せ~~っ! 早くしろ、バカ者っ、急げっ」
♢♢♢
ルートたちによるホルス村襲撃は、瞬く間に終わっていた。村には36人の盗賊崩れや犯罪歴のある男たちがたむろしていたが、危機感も無く、ただ集まって毎日飲んだくれていた烏合の衆に過ぎなかったのだ。
だが、地下室に囚われていた奴隷たちの状況は、悲惨の一語に尽きた。囚われていたのは男性7人、女性10人。まともな食事は与えられず、ほとんどの者が暴行を受けていた。すでに死んでいた者が男性2人と女性1人の3人、残りの者たちも、あと何日か遅かったらさらに死者が増えただろうと思われる状態だった。
ルートはとりあえず、マルクに掛けた《トリートメント》の魔法を全員に掛け、リーナとメイがパン粥を作って、食事ができる者に配っていった。
「シャリアさんはいますか?」
魔法を掛け終わったルートは、女性たちが身を寄せ合って集まっている所へ行き声を掛けた。
女性たちは互いの顔を見合った後、悲し気に首を振って、そのうちの1人が答えた。
「シャリアは、皆を逃がすために自分を犠牲にして……あいつらに、酷い拷問を受け……」
それを聞いて、ルートはうなだれながらリーナたちのもとへ帰った。先ほど確認した、ひどい状況の女性の遺体がシャリアのものだと分かったのだ。
マルクがその事実を知った時の気持ちを考えると、ルートは胸が締め付けられるような憤りを感じた。だが、事実は伝えなければならないだろう。どんなに悲しくても……。
♢♢♢
ジークは、遠くから聞こえてくる複数の蒸気自動馬車の音を耳にすると、待機している近衛兵たちに手を挙げて合図した。
魔石ライトを明々と点した2台の魔導式蒸気自動車が、道を塞いで立ちはだかった正装の近衛隊の前でブレーキを掛けた。
「おいっ、何の真似だ? 私はベルジ辺境領の領主オルトン準男爵だぞ。早く、道を開けろ」
自動馬車の窓から顔を出したオルトンが叫ぶ。
それに呼応するかのように、前の車から5人、後ろの車から8人ほどの武器を持った男たちがぞろぞろと下りてきた。
「ゼルス・オルトン、お前には違法人身売買および外患誘致、国家反逆罪の容疑が掛けられている。速やかに投降し、国王陛下の御前にて罪状の認否を行うべし、とのガルニア侯爵様からのお達しだ。観念しろ」
「な、何を世迷言を……ええい、構わん、邪魔する奴は跳ね飛ばせ。おい、お前たち、道にいる奴らをやってしまえ」
思い違い貴族の最後の悪あがきだった。ただ、それは実力が全く伴わない、見苦しいだけのもがきに過ぎなかった。
精鋭ぞろいの近衛兵30人と、ジーク率いる6人の強者の傭兵たちが相手なのだ。まさにライオンにアリが戦いを挑むようなものだった。
この夜、素っ裸の体に豪華な毛皮のコートをまとったゼルス・オルトンは、近衛兵たちに引き立てられてガルニア侯爵の屋敷に送られ、自殺防止のために轡(くつわ)を嵌められ、手錠を掛けられて地下牢に放り込まれた。
彼が後生大事に抱えていたマジックバッグからは、おびただしい財宝とともに、犯罪の証拠となる書類が出てきた。それが、後に王国を揺るがすことになるとは、この時は誰も知るよしもなかった。
♢♢♢
一般市民の犯罪を裁くのは、領主自らの場合もあるが、多くは『判事』と呼ばれる何人かの専門の役人が行う。ただ、貴族の場合は別である。
貴族は、国王が功績に応じて与える身分だ。だから、任命責任は国王にある。つまり、貴族は直接国王によって裁かれるのだ。
ゼルス・オルトン準男爵が起こした事件は、王都を震撼させた。というのも、彼が持っていた証拠書類からは、王城に仕える文官貴族3名の名前も出てきたからである。いずれも、財務局に務める貴族で、そのうちの1人はなんと財務局の副長官であった。
国王オリアス・グランデルは、この事態に強い危機感を抱き、緊急に側近の貴族たちを招集して会議を開いた。
だが、貴族たちから出てくる言葉は、「気を引き締めるように王からの訓示を」とか、「見せしめに公開処刑を」などという事後処理の提案ばかりで、王が望む具体的な対策はいっこうに出て来なかった。それどころか、最後には「こういう事件が起こるのも、ビオラ教皇が声明を出して以来、堂々と奴隷を持つことが非難や陰口の対象になったからだ」と怒りをあらわにする貴族も出てくる始末だった。
結局、会議で決まったことは、オルトン以下4名の裁判を2週間後に王城内の『大法廷』で行うことと、今後こうした事件が起きないようにするにはどうしたらいいか、次回の会議までに考えてくること、の2つだけだった。
グランデル王、悩む
会議から2日後、憂鬱に沈むオリアス王にさらに追い打ちをかけるような報告がもたらされた。
「何? ゲール部族連合国大使だと? すぐに客間にお通ししろ」
侍従の報告に、王は立ち上がり客間へと向かった。
ゲール部族連合国、かつてのラニト帝国が生まれ変わった国である。いまだにラニト国と呼ばれることが多いが、かつての帝国とはまったく違う国になっていた。
帝国の最後の皇太子ユーニスを共通の君主として仰ぎ、8つの部族国家が1つの連合国家として、協力し合うというユニークな政治形態を持つ国だ。
例のアラン・ドラトが起こした戦争に敗れ、荒廃した国土を復興させるために、ルートが提案した前代未聞の国造りであり、最初は疑問視する声も多かった。
だが、ふたを開けてみれば、わずか1年足らずという驚くべき速度で国は復興し、今や経済面のみならず、文化面においても世界をリードする、平和で豊かな国に発展中なのである。
「お待たせして申し訳ない、ターレス大使」
「いえ、ご多忙中とは知りながら厚かましく参上しましたこと、どうかお許しを」
王と大使は挨拶を交わすと、テーブルを挟んで向かい合うように椅子に座った。ターレス大使の側にはいかにも頭脳明晰といった女性の秘書官が、王の後ろには侍従長のセルバン男爵が控え、外交担当の文官が大使と王の間の席に座った。
「今日来られたのは、今回のオルトン準男爵の件ですかな?」
王はすでに予期していたので、ズバリと切り出した。
「はい、その件で、少々お願いがあって参りました」
ターレス大使は穏やかな口ぶりで、しかし目は鋭く見極めるように王を見つめながら答えた。
「うむ、その願いとは?」
「はい、今回の事件はわが国の民が巻き込まれたものでしたので、当然ながらすぐに本国のユーニス元首に報告のための使いを出しました。しかしながら、海を渡るので、どうしても返事が来るのに時間がかかります。その返事が来るまで、罪人の処罰をお待ちいただきたいのです」
ターレス大使の言葉は、王を困惑させた。
「いや、ちょっと待ってくれ……罪を犯した貴族はすべて我が国の者たちだ。この国の法で裁くのが当然。他国から干渉されるいわれは……」
「はい、重々承知しております。我が国はグランデル王国に返しきれないほどの大恩もございます。ただの事件であれば、ユーニス元首も何もおっしゃらないでしょう。しかしながら、今回は、わが国の罪もない民が犠牲になっております。加えて、ユーニス元首は、ことのほか民を大切になさっております。貴国が対応を誤れば、元首自ら抗議の声明を出される可能性もあります。そこのところをよくよくお含み頂ければ、幸いに存じます」
ターレスは静かに、頭を下げながら、しかし厳とした口調でそう言った。
オリアス王の顔に明らかな狼狽の色が現れた。大使は暗に、対応を間違えれば、大きな外交問題になるかもしれないと脅していたのだ。
今や王国と並ぶ大国に発展し、交易の相手としても重要なゲール部族連合国との外交問題は、極力避けなければならない事案だったからだ。
「……承知した。ユーニス殿の返書が返って来るまで、裁判は延期しよう。返書が届いたなら、すぐに連絡をお願いする。その内容に応じて、裁きを考えよう」
オリアス王は、なんとか冷静さを保ってそう返事した。
「はっ、ありがたき幸せ。それでは、返書が届き次第、再びお目通りをお願いに参上いたします。本日は誠にありがとうございました。では、失礼いたします」
終始低姿勢を貫いて去って行く大使の後姿を見送りながら、王は言い知れぬ圧迫感を感じていた。
「すぐに、叔父上に来るように連絡を……」
王はセルバン男爵にそう言うと、眉間を抑えながら執務室へ帰っていった。
♢♢♢
翌日、昼前にガルニア侯爵が疲れた表情で王城に到着した。
今回の事件で、彼は自分の部下による犯罪の責任を感じ、すべての後始末を終えた後、いつでも領地と侯爵位を王に返納する覚悟を決めていた。
王城に呼ばれたのは、きっとそのことだろうと、悲壮な覚悟をしていたのである。しかし、城に着いてみると、誰もが彼に対していつも通りの対応だったので、不思議に思いながら王の執務室に入っていった。
執務室には、疲労の色が濃いオリアス王がソファの背にもたれるように座っていた。
「おお、叔父上、よく来てくれた。後始末はご苦労であったな」
「うむ……被害者と遺族には相応の弁償金を持たせ、ユーニス殿宛のそなたとわしの謝罪文を使者に託してともに船で送り届けておいた」
「そうか……だが、謝罪文だけでは済まなくなったのだ……」
「何? 何があったのだ?」
王は深いため息を吐きながら、ターレス大使の言葉を侯爵に伝えた。
「ううむ……普通に考えれば、罪人の身柄を引き渡せということか?」
話を聞いた侯爵は、顎に手を当てながらそうつぶやく。
「うむ。だが、それならば大使の裁量の範囲であろう? わざわざ元首の返事を待つまでもなく、昨日の時点でそう要求するはずだと思うが……」
「うむ、確かにそうだな。では、賠償金の要求? いや、領土を割譲しろという要求か?」
「いや、ユーニス殿はそのような欲丸出しの恥さらしな要求をするような人間ではない」
「ふむ、そうだな……では、他に何が?」
国王と侯爵は、お互いに頭をひねりながら長い間あれこれ考えたが、結局答えは見つからなかった。
「……2人で考えても埒(らち)が明かぬな。会議を開いて、他の者たちの意見を聞くか?」
「それがな……」
王は、ため息を吐きながら3日前の会議のことを侯爵に語った。
「そうか……国を支えるべき貴族たちの堕落が深刻じゃな……今こそ、彼らの目を覚まさせるような何かが必要なのだが、何をすればよいのか……」
2人はため息を吐いて、しばらく無言で宙を見つめていた。
「なあ、オリアスよ……」
不意に侯爵が何かを思いついたように、王に目を向けた。
「……今回のブロワーへの報償は、まだであったな?」
「ああ、まだだ。そうか、ごたごたしていて忘れておったが、またルートには大きな借りができたな。爵位も金は要らぬと言うだろうし、何を与えればよいか……」
「ブロワーなら、ユーニス殿の望むことを考えつくのではないか?」
侯爵の言葉に、オリアス王は目から鱗が落ちる思いで小さく叫んだ。
「おお、それだ、叔父上。うむ、きっとルートなら、大きなヒントをくれるに違いない」
王と侯爵は、暗闇の中にわずかな光明を見出して頷き合うのだった。
マルクの修行
ガルニア領での事件が一段落した後、ルートたちはタイムズ商会のリンドガルニア支店で預かってもらっていたマルク少年を連れて、王都の自宅に帰っていた。
最初は、マルクも他の奴隷になっていた人たちとともに、故郷である旧ラニト国の村へ帰す予定だった。しかし、マルクは少しためらった後、こう申し出たのだ。
「助けてもらったのに、わがまま言ってすみません。でも、村に帰っても家族はみんな死んでしまっていないし……あの村にはもう帰りたくないです。あ、あの、俺、冒険者になって生きていこうと思います。だから、その、手続きのための銀貨を貸してもらえませんか?」
ルートたちは、そう言って頭を下げる少年に、言葉もなくお互いの顔を見合わせた。やがて、涙を拭いながら、ルートがマリクに言った。
「ああ、分かった……お金の心配はしなくていい。だがな、今のままじゃ冒険者になっても、すぐに死んでしまう。1人で生きていけるだけの力をつけないと許可できない」
「えっ、で、でも、村に帰っても泊まる宿代や食べ物も買わなくちゃいけないし……」
「うん、だから、マルクが1人前の冒険者になるまで、僕の家に住まわせて鍛える。毎日鍛えるから、それが嫌なら金貨50枚持って故郷に帰るんだ」
マルクは呆気に取られて、口をポカンと開けたまま、ルートを、そして周囲で笑いをこらえながら見ている人々を見回した。
「ん、ほら、返事は? 金貨50枚持って村に帰るの? それとも、金貨はギルドに預けて、うちに来る?」
リーナが、マリクの頭をわしわしと撫でながら問いかける。
「俺、冒険者になりたいです。そして、強くなって、盗賊や悪い奴らをやっつけたい」
マルクはしっかりとルートたちを見回しながら答えた。その胸の内には、家族やシャリアのような犠牲者を少しでも救いたいという強い意志があった。
こうして、マルク・ハーラッドは王都のルートの家に引き取られ、冒険者として独り立ちするまで修行の日々を送ることになった。
♢♢♢
新しい年が始まってから5日が過ぎた。
「ほら、立って。早くダンジョンに行きたいんでしょう?」
その日も朝早くから、寒い風が吹く中でマルクはリーナの厳しい指導を受けながら鍛錬に励んでいた。リーナとジークが基礎体力と格闘術を担当し、ルートが魔法の訓練を担当して鍛えていた。
だが、ルートは決してマルクに無理はさせなかった。訓練は午前中で終わり、午後からは彼にいろいろな知識を学ばせるように心がけていた。
「ありがとうございましたっ!」
昼少し前、その日の鍛錬が終わり、マルクは大きく肩で息をしながらリーナに礼を言うと、おぼつかない足取りで汗を流すために風呂場へ向かって去って行った。
「ご苦労さん。マルク、ずいぶん上達したね」
リーナにタオルを手渡しながら、ルートが感心したように言った。
「うん、素質がある。なにより強くなりたいって気持ちがあるのがいい。10歳としては申し分なし」
「そうだね。魔法も覚えるのが早いよ。ステータスは普通だけど、あの気持ちがあれば、きっと上級冒険者になるのも夢じゃない」
ルートの言葉にリーナも頷いてから、ちょっと恥ずかしそうにしながらルートの耳元に顔を近づけた。
「わたしたちの子供も鍛えて強くしたいね」
ルートは思わず赤くなりながらも、頷いて親指をぐいと立てた。
「ああ、もちろん。ただし、どんな道に進むかは自由に考えて選ばせよう」
「ん、そうだね。楽しみ……ふふ……」
その仲睦まじい様子を、2階からジークとミーシャがにこにこしながら見ていることに2人は気づいていなかった。
「先生、これいつまでやるんですか?」
午後、ルートの部屋で魔法の訓練をしていたマルクが、つい弱音を吐いた。
「なんだ、もう飽きたのか? そうだな、それを1分で1回できるようになったら終わっていいぞ」
「ええっ!? そんなぁ~……」
マルクは情けない声を出しながらも、仕方なく集中して作業に取り組み始める。
今、彼が取り組んでいるのは、ガラス瓶の中のある10個のビー玉を魔力を使って1個づつ外に出すというものだった。終わったら、またビー玉を中に戻し、この作業を繰り返すのである。ルートが、学園の生徒にもやらせている『無属性魔法の上達法』の1つだ。
冬休み中の学園の仕事をしながら、ルートはマルクの懸命な様子を微笑ましく眺めていた。眺めながら、マルクのステータスを解析する。
《名前》 マルク・ハーラッド
《種族》 人族
《性別》 ♂
《年齢》 10
《職業》 無
《状態》 健康
《ステータス》
レベル : 8
生命力 : 55
力 : 41
魔力 : 63
物理防御力: 28
魔法防御力: 26
知力 : 105
敏捷性 : 38
器用さ : 38
《スキル》 剣術 Rnk1 体術 Rnk2 無属性魔法 Rnk2
(うん、レベルも順調に上がっているな。よしよし……なんか、後ろの方によけいな称号なんかが書いてあるけど……)
ルートは、※に書いてあるマルクの身の上や、彼の現在の心境、そして称号などをさっと見ながらため息を吐いた。そこには、こんな一文が記されていた。
『※《称号》ルート・ブロワーの崇拝者:神の加護を受ける権利を有する者』
ルート、ついに切れる 1
冬休みも終わりに近づき、あと三日でまた学園での日々が始まる。
ルートはマルクの修行に付き合いながら、のんびりとソファにもたれて魔法学の最新研究論文がまとめられた本を読んでいた。
「ルート、王城から使者が手紙を持ってきたわ」
ドアがノックされ、リーナの声が聞こえてきた。
「王城から?………何だろう」
ルートは嫌な予感を覚えながら、ドアを開けてリーナを中に入れた。
「ありがとう。ふむ、薄いな」
ルートはリーナから手紙を受け取ると、封印を切って中の書状を取り出した。
「ああ、召喚状だね……この前の事件の報償をくれるみたいだ。何もいらないんだけどね」
ルートは中身を一読して、苦笑しながらリーナに手紙を渡す。
「ん……でも、形だけでももらいに行かないと……あれ? 1人で来いって書いてある。私やジークは行かなくていいのかな?」
「えっ、そうなの? 最後の方は飛ばして読んじゃったから気づかなかった……ああ、本当だ。どういうことだ?」
ルートは、リーナが指で指し示す部分を改めて読み直しながら首を傾げた。
♢♢♢
翌日、指定の時間にルートは王城へ到着した。侍従長のセルバン男爵に伴われて向かったのは、儀式が行われる謁見の間ではなく、王の執務室だった。
「失礼します。ブロワー様がおいでになりました」
「うむ、入れ」
セルバン男爵はドアを開いてルートを中に入れると、ドアを閉めて去って行った。
ソファに座って待っていたのは、王とガルニア侯爵だった。
「わざわざ来てもらってすまぬな。こっちへ座ってくれ」
オリアス王は、自分と向かい合った侯爵の間にある1人用のソファへいざなった。
ルートは緊張した雰囲気を感じながら、2人に挨拶して指定された席に座る。
「ブロワー、今日来てもらったのは、先日の事件の礼をしたかったのと、折り入ってお前に相談したいことがあったからだ。まずは、改めて礼を言う。我が領内の害虫を駆除してくれてありがとう」
侯爵はそう言うと、立ち上がってルートに頭を下げた。
ルートは慌てて立ち上がり、侯爵に頭を上げるように頼んだ。
「犠牲者がかなりいたのは残念でした。もっと早く分かっていれば……いえ、侯爵様を責めているのではありません。貴族が相手では、なかなか踏み込んだ調査は出来ませんから……ただ、いつも犠牲になるのは、弱い立場の女性や子供たちで……それがどうにもやりきれない気持ちです」
ルートの言葉に、侯爵も王もうつむいて返す言葉もない様子だった。
「うむ……まったくその通りだ。わしもこういう愚かな事件を起こさないよう、どうにかしたいのだがな。今日もこの後そのことで、側近の貴族を集めて会議を開く予定なのだ」
王は沈痛な表情でそう言った。
「そうですか。それで、僕がここに呼ばれた理由は……」
ルートは、王の言葉に残念ながら何も期待する気にはなれなかった。
「うむ、そのことだがな。褒賞のことの前に、そなたの意見を聞かせてもらいたい事案があるのだ。叔父上、説明を」
王の言葉にガルニア侯爵は頷いて、ルートの方に体を向けた。
「実は、先日の事件の後、ゲール部族連合国のターレス大使が王に面会を求めてきてな……」
侯爵は先日のターレス大使が語った内容をルートに打ち明けた。外交上の重要な会談内容であり、ルートは自分が聞いていいのか心配になった。
「……というわけじゃ。2、3日内中にはユーニス元首からの返書が届くだろう。大使が王城へ来てそれを報告し、こちらの回答を持ってユーニス殿のもとへ届けるはずじゃ。こちらが下手な回答をすれば、ゲール部族連合国との関係が一気に悪化しかねない。そこで、ユーニス殿が何を求めているか、お前の意見を聞かせてもらいたいのじゃ」
「なるほど、事情は分かりました。お2人の考えを聞かせていただいてよろしいですか?」
ルートは話を聞き、ユーニスの人柄を思い浮かべながら、すでに1つの考えを導き出していたが、王と侯爵の意見を尋ねた。
「うむ、それが、2人の考えはいずれもユーニス殿の望みとは合わぬだろうという結論になってのう。犯人の身柄を引き渡せというのが、可能性として一番高いと思うのじゃが……」
王の言葉に、ルートはゆっくりと首を振った。
「いいえ、それならターレス大使がすぐに要求するはずです」
「うむ、そうなのじゃ……だが、他にどんな要求があるというのか……」
「恐らく……僕の個人的な考えですが、ユーニス殿下の要求は『誠意を示せ』ということではないでしょうか?」
「「『誠意を示せ』!?」」
王と侯爵は同時に叫んで、頭を抱えた。
「ううむ……いったい、何を示せばよいのだ? ルート、もっと具体的な内容を教えてくれ」
「……いや、僕にもユーニス殿下のお考えを正確に把握することは不可能です。ただ、彼は帝国時代の民衆の苦しみを身に染みて理解しておられます。そして、現在の自分の国が、世界に誇るべき国だという自負も持っておられるはずです。そこから導き出されるのは、このグランデル王国が『どれくらい民衆を大切にしているか』の答え、であろうと……」
ルートの言葉に、王と侯爵はお互いの顔を見合わせ、沈痛な表情で頷き合った。ルートの答えに納得したのであった。しかし、それは同時にとてつもなく困難な問題が浮かび上がった瞬間でもあった。
「……なるほど、分かった。では、今から側近の会議でこの件についても話し合うとしよう。ルート、すまぬがそなたも会議に出席してくれぬか? そして、会議の結論が、ユーニス殿の望みにかなうものかどうか、判断してほしい」
「分かりました」
ルートが頷くと、王は手を叩いてセルバン男爵を呼んだ。男爵がドアを開いて王のもとへやって来る。
「もう集まっておるか?」
「はい、皆様お揃いでございます」
男爵の言葉に、王と侯爵、ルートは立ち上がって大会議室へ向かった。
ルート、ついに切れる 2
実は、まだこの時まではルートの心の中に、わずかながらこの世界の貴族たちへの期待が残っていた。国王やガルニア侯爵、ポルージャ子爵など、現在ルートが懇意にしている貴族たちには、人間としての誠実さや正義感もあり、信用できる人たちだったからだ。
「国王陛下とガルニア侯爵様がおいでになりました」
会議室に先触れとして入った文官がそう言ってドアを開いた。出席していた貴族たちが立ち上がって右手を胸に当て、頭を下げる。
「皆の者、本日はご苦労であった。座ってくれ」
オリアス王がそう言って上座に腰を下ろすと、貴族たちも一斉に椅子に座った。
「さて、本日の会議は、先日の会議で結論が出なかった事案について引き続き意見を交わしたい。がその前に、緊急の案件があるので、それについて皆の意見が聞きたい」
いつもであれば、ガルニア侯爵が議長役を務めるのだが、今回は自分の領内での不祥事が原因であるため、大人しく控えていた。そのため王が自ら議事を取り進めていった。
「その緊急の案件だが、先日ゲール部族連合国のターレス大使から、今回の事件に関わった者たちの裁判を延期し、ユーニス元首からの親書が届いてから、内容を見て処分を考えて欲しい、という依頼があった。つまり、こちらがユーニス元首の意向に沿わない裁判をすれば、ゲール部族連合国との関係が悪くなるということだ。だが、あくまでも我が国の法に従って裁かれねばならぬ……」
王はいったん言葉を切って、怪訝な表情の貴族たちを見回しながら続けた。
「……そこで、ユーニス元首がどのような意向を伝えてくるか、彼について詳しい者に聞いてみた。すると、その者が言うには、ユーニス元首が求めているのは『我が国の誠意』であろうということだ。どのような返答をすれば、その『誠意』を示せるか、皆の意見を聞かせて欲しい」
王の問い掛けに、貴族たちは一斉にざわざわと隣同士で話し始めた。最初に意見を述べたのは、レブロン・ダルビス子爵だった。ユリアの父親だ。
「申し上げます。すでにわが国は、ガルニア侯爵様のご尽力により、被害者やその家族に十分な金銭を与えて送り届ける、という誠意を見せているのではありませんか?」
彼の言葉にほとんどの貴族たちが頷いて、肯定の意を表した。
「私も、ダルビス殿の意見に賛成です。この上さらに相手の要求を飲むということは、周辺諸国に対して我が国の立場を弱めることになります」
オーリエ男爵が意見を述べると、さらに貴族たちが賛同して頷く。
ルートは、会議室に隣接する護衛の待機部屋に入って、会議の成り行きを見守っていた。すでに会議は、これ以上ゲール部族連合国に誠意を見せる必要はない、ということで大勢が決しようとしていた。
「待て待て……わしが聞いておるのは、『どのような誠意』を見せればよいか、ということだ。今のままではユーニス元首は納得しないということで、ターレス大使が来たのだ。なんらかの返答をしないわけにはゆかぬのだ」
王が慌てて歩行を修正するが、貴族たちの顔には納得がいかないという表情がありありと浮かんでいた。
「恐れながら、申し上げます……」
そんな中で、おもむろに口を開いたのは、南方の守りの要であるリンドバル辺境伯だった。
「……ゲール部族連合国は、前身であるラニト帝国の折、アラン・ドラトによって我が国に大きな被害をもたらしました。かの者の野望を打ち砕き、かの国を救ったのはわが国であります。本来であれば、かの国はわが国の属国になっていても当然。それを、陛下のご慈悲で独立を認められたのです。言わば、かの国にとって我が国は大恩ある国。たかが平民の10人程度の命のために、わが国に脅しをかけるなど笑止千万。何か言ってきたときは、兵をもって答えればよろしいかと考えます」
彼の言葉に、ほとんどの貴族が賛意を示し拍手が起こった。
王とガルニア侯爵は、顔を見合わせて困惑の表情を浮かべた。背後で聞いているルートの怒りの表情が想像できたからである。
「全くもって辺境伯殿の言われる通り。陛下、ついこの前出来たばかりの平民の国に、歴史ある大国であるわが国が頭を下げる必要などありませぬぞ」
「ま、待て、ゲール部族連合国は、今や……」
オリアス王が慌てて貴族たちをたしなめようと口を開きかけた時、王の背後の隠し戸が開き、ルートが出てきた。
貴族たちは、突然現れたルートを見て驚き、王の方へ一斉に目を向けた。
「あ、いや、後ほど紹介するつもりであったが、わしが個人的に今回の会議の顧問として招いたルート・ブロワーだ。ルート、どうかしたのか?」
王の問いに、ルートはじっと貴族たちを見回した後、頭を下げて答えた。
「後ほどいかようにも罰をお与えください。ただ、このまま聞いているのが堪えられなくなりました……」
ルートはそう言って顔を上げたが、その表情を目にし、ルートの全身から発せられる怒気に、王は背中に冷水を浴びせられたような感じがした。
「ル、ルート……」
「……リンドバル辺境伯様、『たかが、平民10人程度の命』とは、本気でおっしゃったのでしょうか?」
ルートの問いに、リンドバル辺境伯は心の中で動揺していたが、ここで引くわけにはいかなかった。
「む……そ、それは、この国の威厳を損ない、他国に侮られることはこの国の将来を危うくすることにつながることだからだ。どちらが価値があるかは言うまでもなかろう」
「他の方たちも同じお考えですか?」
「あ、ああ、当然のことだ。君は平民の出だから平民の立場でしかものを考えられないのだ。我々は、もっと大きな視野に立って……」
「そんな国は滅びればいい……」
1人の貴族の言葉を遮ってつぶやかれたルートの冷ややかな声に、その場が一瞬凍りついた。
「な、なんだと?……」
リンドバル辺境伯以下の貴族たちは、殺気を放ちながらルートをにらみつけた。
「ルート、落ち着けっ!」
「ブロワー、それ以上は言っては……」
王と侯爵が青くなってルートを止めようとしたが、ルートはもはや誰にも止められなかった。
「……ゲール部族連合国が、ハウネスト聖教国が、なぜあのように素早く見事に復興したのか、分かりますか? それはどちらの国も指導者が民衆を何より大切にしているからです。
目覚めた民衆は強い。その目覚めた民衆を上手に導く指導者がいれば、国はどこまでも発展していきます。逆に、民衆が愚かで指導者も愚かな国は、やがてラニト帝国の二の舞となり滅んでいく……だから、一度滅べばいいんです……民衆も指導者も愚かなこの国は……」
「き、貴様っ、国王陛下の御前でなんという暴言をっ!」
「ふ、不敬罪の現行犯だぞ、衛兵っ、この者を捕えよ!」
会議場は騒然となり、貴族たちは怒り狂ってルートに詰め寄っていった。
ルート、ついに切れる 3
「この国を本当に愛しているのならっ!!……」
ルートは詰め寄って来る貴族たちに向かって、初めて見せるような怒りの表情で叫んだ。
「……身分制を失くすこと、貴族制度を廃止すること。それがこの国を救うことであり、ユーニス殿下が求める『本当の誠意』です」
ルートの迫力に圧倒されていた貴族たちだったが、その言葉に先ほど以上に怒り狂い、口々にルートを捕え、処刑しろと叫び始めた。
「静まれええぇっ! 陛下のご命令であるぞ、皆の者、静まれええっ!」
ガルニア侯爵の大音声に、ようやく貴族たちは口を閉ざしたが、まだ怒りが収まらずルートを囲んで睨みつけていた。
「ルート・ブロワー、反逆罪の容疑で拘束する。陛下のご命令があるまで、地下牢に入っているがよい」
侯爵はそう言うと、衛兵を呼んでルートをロープで縛り、会議場の外へ連行させた。ルートは諦めたような表情で、ちらりと国王に目を向け頭を下げると、抵抗せずにそのまま衛兵たちに両側から挟まれて部屋から出て行った。
♢♢♢
「侯爵殿、あのような者はこの場で即刻首をはねるべきではありませぬか?」
ブラントン子爵の言葉に、また数人の貴族たちが同意して騒ぎ出す。
「……命拾いをしたのはこちらのほうじゃ……」
「えっ? 今、何と?」
「……いや、何でもない。いいから、席に戻れ」
侯爵の指示に、貴族たちはようやく自分の席に戻っていった。
その時、騒ぎから離れて席に座っていたのは、オリアス王とボース辺境伯の2人だけだった。彼らは、どちらも深刻な表情で頭を抱えるようにして机上を見つめていた。
(まずい……これはまずいぞ。メサリウス様からは、決してルート・ブロワーを怒らせてはならぬ、と言われていたのに……)
ボース辺境伯は、大賢者の信頼を失うことへの恐怖に、一方国王オリアスは、信頼し畏怖していたルートが放った言葉に胸を抉られ、どちらも打ちのめされていたのである。
「……陛下、お言葉を」
何とか騒ぎを収めたガルニア侯爵が、王に声を掛けた。
「う、うむ……ルート・ブロワーの処分については、わしに一任してほしい、よいな?……では、本日の会議はこれにて閉会とする。皆、ご苦労であった」
王の言葉に、大半の貴族たちは不服そうな表情だったが、仕方なく席を立って王に礼をしながら去っていった。
「はあ……わしはどうすればいいのだ?」
「オリアス、場所を変えよう。少し落ち着く必要がある」
叔父の言葉に、王は力なく立ち上がって歩き出す。
執務室に入った2人はしばらく言葉もなく、メイドが持ってきた紅茶を何度か口に運んでいた。
「もし……ブロワーが本気でこの国を滅ぼそうと思ったら……1日も持たずに、この国は滅びてしまう。それは、何としても避けねばならぬ」
侯爵が絞り出すような声で言った。
「うむ……それだけはだめだ……しかし、彼の本当の恐ろしさを公にしてしまえば、逆に彼を追い詰めてしまうことになる。何とか秘密裏にことを収めねばな」
王と侯爵は無言で頷き合った。
「しかし、どうやって収めたものか……貴族たちとルートを両方納得させる方法など、わしは思いつかぬ……はあぁ……」
王はそう言って何度目かのため息を吐いた。
「リーフベルに説得を頼む方法もあるかと思うが、今や彼女もルートの信者の1人、こちらに有利な説得はしてくれまい……となると、大賢者メサリウスに助言をお願いする、という手はあるかもしれぬ……」
「おお、叔父上、それは良いかもしれぬな。うむ、大賢者様なら、良い知恵を授けて下さるに違いない」
窮地に追い詰められたこの国の最高指導者2人は、藁にも縋る思いで1つの案に飛びついた。そして、さっそくボース辺境伯を王城に呼び戻し、メサリウスに王城への召喚を伝えさせたのであった。
しかし、そうするまでもなく、メサリウスは翌日王城に1人で現れたのだった。
彼女は、大魔法《リソース》によって、条件で選別したあらゆる情報が含まれた魔素を『天空の塔』に集めていた。その中で、今彼女が常時監視しているのがルートについての情報だった。
だから、今回の会議でのことも彼女はすでに知っていたのである。
♢♢♢
「ボースにはあれほど釘を刺しておいたのだが、自分の失態を他の貴族に知られるのが嫌だったのであろうな」
「それは、いったいどのような……?」
王と侯爵を前に、メサリウスは小さなため息を吐いて険しい表情をしていた。
「ルート・ブロワーを怒らせてはならぬ、ということを、指導者たちに周知徹底させるということだ」
王と侯爵は、改めて大賢者に指摘されてうなだれた。
「彼がなぜ大人しく捕まり、2日も牢に入っているのか、分かるか?」
「そ、それは、王に対しての忠誠心があるからでは?」
ガルニア候の答えに、メサリウスは小さく頷いた。
「ふむ、まあ、それも少しはあるかもしれぬ。だが、恐らくこう考えているはずだ……」
メサリウスはそう言うと立ち上がって、ゆっくりと窓の方へ歩いていきながら続けた。
「……『自分が言ったことを、王なら少しは考えてくれるに違いない。今すぐには無理だが、少しずつ改革を進めてくれるだろう。なぜなら、自分が捕まったことで、この国に大きな影響が出てくるはずだから。それを無視することはできないだろう。もし、それでも変わらなかったら……』」
メサリウスは、そこでいったん言葉を切って、一心に見つめている王と侯爵に目を向けた。
2人は思わずごくりと唾を飲み込んだ。
彼らはすでにメサリウスが言った〝ルートが捕まったことで出てくる影響〟を、各方面からの連絡で聞いていたからだ。
まず、王立子女養成所のリーフベル所長が動き出していた。彼女はジークやリーナからの連絡を受けると、今朝王城に直接出向いて来た。衛兵が『今日は王は急用があって面会できない』という理由で何とか追い返していたのだ。
さらに、《タイムズ商会》は今朝から全店が臨時休業となり。王都に各地からぞくぞくと支店長たちが集まってきているらしい。
今後、彼が王城に拘留される期間が長くなるほど、予想もできない事態が起こる可能性が大きかった。
「も、もし、それでも変わらない、とルートが考えたら、どうなると……?」
オリアス王は極度に緊張しながら、メサリウスに問い掛けた。
「『滅ぼしてしまおう』……いや、彼にはこの国に大勢の大切な者たちがいるからな。恐らく、『皆を引き連れて、外国に移住しよう』となる可能性が一番高いであろうな」
メサリウスの答えに、王も侯爵も戸惑いの表情を浮かべて顔を見合わせた。ルートがこの国を去って外国に移住するとどうなるか、想像することが難しかったからだ。
139 メサリウスの提言
「まあ、とにかく、ルートと話し合うしかないだろう。その中からお互いの妥協点を見つけるのだ」
メサリウスの提言に、王と侯爵は険しい表情のままため息を吐いた。
「妥協点など、見つかるのでしょうか? ルートは、この国の根本である貴族制度を失くせと言っております。しかし、それはあまりにも無茶な要求です」
「まあ、そうであろうな。一度権力と富を手にした者は、死んでもそれを手放そうとはしないだろう。であれば、致し方あるまい、ルートとこの国が戦争するしかないな。
ああ、あらかじめ言っておくが、そうなっても、私はいっさい手出しはせぬぞ。まあ、彼がこの星全体を滅ぼすと言い出したら全力で止めるつもりだがな。この国とルート・ブロワーを天秤にかければ、神はルート・ブロワーを生かす方を選ぶはずだ」
メサリウスの身も蓋もない言葉に、王と侯爵は口を開いたまま言葉を失った。
「だって、そうであろう? 私とルート・ブロワーが全力で戦ったら、結局この国はおろか、大半の国は被害を受けてしまうぞ? 大地震、大津波、隕石落下、おまけにルートの僕であるダンジョン・ガーディアンが出てきてみろ、まあ、すべての国が亡びるであろうな。
神が、そんなことを望むはずはなかろう?」
「ダ、ダンジョン・ガーディアン……?」
「おや、知らぬのか? ああ、これは失言だったかな。まあ、もう言ってしまったから仕方がない。ルートはここから南の方向にあるダンジョンのダンジョン・マスターになっておる。そこには最下層のコアを守るために、ガーディアンが召喚されておるのだが、これがまた、とんでもない奴でな。他の星なら《魔王》として君臨するほどの怪物だ。その怪物がルートを守るために地上に出てきたら、災害どころではすまぬわ」
もう、王も侯爵も頭を抱えるしかなかった。だが、そうしているうちにも状況は悪化するばかりだ。
「大賢者様、これからルートと話し合いをいたします。どうか、その場に立ち会っていただき、良きご助言をお願いします」
「うむ、仕方がない……できるだけルート・ブロワーのご機嫌取りでもしてやろう」
メサリウスの言葉に安堵して、王が衛兵を呼ぼうとしたときだった。
ドゴ~~ンッ!!
城全体が地響きで揺れるほどの爆発音が響き、次いで大出力スピーカーから聞こえてくるような金切り声が聞こえてきた。
『おいっ、オリアスよ、聞こえておるか? わしに居留守を使うとは、ずいぶん出世したものじゃな……』
それは、王立子女学園の所長にしてハイエルフの大魔導士、ルルーシュ・リーフベルの声だった。
『……出て来ぬつもりなら、今から城を吹き飛ばして見つけ出してやるから覚悟しろっ!』
「うわああっ、ま、待て待てっ! おい、衛兵っ、早く行ってリーフベル所長をここへ連れてまいれっ」
王は慌てふためいて、衛兵に叫んだ。
「ほほう、あのハイエルフもルート・ブロワーのことになると、理性を失うようだな」
メサリウスは興味深げに微笑みながらつぶやいた。
やがて、そこへ衛兵に案内されてリーフベルがやって来た。
「リーフベル所長がおいでになりました」
衛兵が声を掛けてドアを開くと、憤怒の形相のリーフベルがつかつかと肩を怒らせて入って来たが、そこに王と侯爵とともに大賢者メサリウスがいるのを見て、はたと立ち止まり、何やら小さく頷き始めた。
「はあ、なるほど、そういうことか……」
「ん? 何やらとんでもない誤解を受けているようだが、私はこの件には無関係だぞ。私も王に呼び出された立場なのでな」
メサリウスの言葉にリーフベルは疑わし気に頷くと、王と侯爵に目を向けた。
「ほお、そうか? まあよい……おいっ、オリアス、ラウド、これはいったいどういうことだ?」
「ま、待て、リーフベル殿、事情を説明する」
「うむ、聞かせてもらおう。だが、その前にルートをここへ連れてまいれ。そなたたちの言葉だけでは信用できぬ」
「あ、ああ、今からルートと話をするところだったのだ。すぐに連れて来させるゆえ……」
王はそう言うと、ドアの外にいる衛兵にルートを連れてくるように命じた。そして、帰って来ると1つ大きなため息を吐きながらソファに腰を下ろし、リーフベルに、ガルニア領でのオルトン準男爵が起こした事件とそれに関連した王都の貴族による奴隷死体遺棄事件、そして、その解決にルートたちが活躍したこと、ゲール部族連合国からの要請があったことなどをかいつまんで話した。
「……そのことで、昨日側近の貴族たちを呼んで会議を開いたのだ。ルートには、控室で会議の内容を聞いてもらい、ユーニス殿がどのような『誠意』を望んでいるか、会議の最後に話をしてもらう予定だった。ところが、会議の中で、リンドバル辺境伯が『たかが平民10人の命より王国の面子が大事』といった意味のことを語った時、控室から飛び出してきたのだ……思わず背筋が凍るような殺気をまとってな……」
「はあぁ……バカ者どもが……」
リーフベルは険しい表情でため息を吐いた。
「ルート・ブロワーを連れてまいりました」
衛兵の声で、一同に緊張が走る。
ルートは、魔法を封じる魔法陣が付与された手錠をはめられて両側から衛兵にはさまれながら部屋に入って来た。
「ご苦労、2人とも下がってよいぞ」
「い、いや、しかし、陛下……」
「わしが下がれと言っておるのだ」
2人の衛兵は、慌てて頭を下げて部屋から出て行った。
「ルート……ケガはないか?」
リーフベルはすぐにルートのもとへ駆け寄り、心配そうに尋ねた。
「はい、大丈夫です。ご心配をおかけしてすみません」
「うむ……事情は聞いた。まずはオリアスと話をするがよい。おい、オリアス、手錠は必要なのか?」
「リーフベル殿、ブロワーは一応罪人ですぞ。これ以上の口出しはご遠慮願いたい」
ガルニア侯爵の言葉に、リーフベルは顔を赤くして鬼のような形相になった。
「ラウド、よくもわしに向かってそのような口を……」
「先生、落ち着いて。僕なら大丈夫です。外そうと思ったら、すぐに外せますから」
ルートは、いつも通りの微笑みを浮かべてそう言うと、王たちに目を向けた。
「陛下、侯爵様、ご迷惑をおかけしました」
ルートに素直に頭を下げられて謝罪された王と侯爵は、なんとも言えない表情でちらりとお互いの顔を見合った。
ルートの決断
話し合いは、小さなテーブルを挟んでルートと王、侯爵が向かい合い、リーフベルとメサリウスが両脇の1人用ソファにやはり向かい合うように座って始まった。
「ルート、お前が言ったことは恐らく正しいであろう。ユーニス殿が望むものもそういうことかもしれぬ。だが、それを実際に行うならば、この国の貴族は反乱を起こし、民衆は路頭に迷い、未曽有の混乱に見舞われるであろう。わしは一国の王として、そういう事態を引き起こすことはできぬ……」
オリアス王の言葉の途中でルートは深く頷き、こう言った。
「はい、それは分かっています。昨日はつい感情的になってしまいました。申し訳ありません」
「おお、では分かってくれたのじゃな?」
「はい。ですが、僕の考えは変わりません……」
「ブロワー、お前は自分の立場を分かっておるのか? その考えを変えなければ、処刑されるかもしれんのだぞっ!」
いきり立つ侯爵を、王は手で制し、ルートを慈父のように見つめながら言った。
「頼む、ルートよ。わしはお前を失いたくない。叔父上も同じ気持ちなのだ。心は変えられなくとも、言葉だけを変えることはできよう。どうか、貴族たちの前で昨日の発言は間違いだったと誓ってくれぬか」
王の切実な願いを聞いて、ルートはしばらくじっと俯きながら考えていたが、やがて顔を上げると、王や侯爵、リーフベル、メサリウスを順番に見回しながら口を開いた。
「お答えする前に、僕の話を聞いてください……」
王たちはそれにしっかりと頷いた。
「……実は、僕は生まれる前の前世の記憶を持っています……」
ルートの爆弾発言に、王と侯爵は理解が追いつかないで呆然とし、リーフベルとメサリウスは慌ててルートを止めようとした。
「ル、ルート、それは……」
「今、それを言うのか?」
ルートはリーフベルとメサリウスに微笑みながら小さく頷いた。
「いいんです、もう、隠していてはどうしようもない所まで来たようですから……」
ルートはそう言うと、王たちに目を戻して言葉を続けた。
「……驚かれたと思いますが、本当のことです。僕は、異世界からの転生者なのです。そして、この世界と同じような歴史をたどった世界で生きていました……」
ルートはそれから地球の中世から現代までの大まかな歴史を語った。最初は驚いて戸惑っていた王と侯爵も、ルートがこれまで見せてきた数々の発明や不可思議な能力の謎が解き明かされて、納得しながら話に聞き入っていた。
♢♢♢
「ほほう、なるほど……つまり、そなたは王や貴族による支配が崩れ、民衆の代表による議会制というものに移行するのが、人の歴史の必然であるというのだな?」
メサリウスの問いに、ルートは頷いて続けた。
「はい。ただし、権力や富を求める人間は必ず出てきます。それを防ぐために、『法の整備と裁判制度』の確立、そして正しくそれを実行するための『警察制度』がどうしても必要になります……」
「ま、待ってくれ……われわれの頭ではなかなか理解が追いつかぬ。もう少し、その制度というものを1つ1つ分かりやすく説明してくれ」
王と侯爵の要望に、ルートは頷いて、法律の種類と司法制度の独立の必要性、権力による横暴を防ぐための検察、警察制度の必要性と仕組みを分かりやすく説明した。
いつしか、窓の外は夕焼けに染まる時間になっていた。
「ううむ……なるほど、お前の言いたいことは分かった。確かにそのような世界があり、驚くほどの発展を遂げていることも認めよう。だがな、それを一気に実現することは現状不可能であることも事実だ」
「お前のいた世界でも、長い時間がかかったのではないか?」
「はい、何百年もかかりました。僕は、自分が生きている間に実現したいと焦っていたのだと思います。でも、僕がそう思うほど、今のこの国の貴族社会は腐敗が進んでいる、ということは陛下にもどうかご理解いただきたいと思います」
ルートの言葉に、王は深く頷いた。
「うむ。分かった。今後、お前が示してくれた世界が実現するように、制度の見直しと新たな設置を進めていくことを約束する」
ルートは何か吹き切れて晴れ晴れとした笑顔を浮かべた。
「では、先ほどの陛下の問いにお答えします」
ルートの言葉に、一同は再び緊張した表情を浮かべた。その答え次第で、王は重大な決断をしなければならないからである。
ルートは相変わらずにこやかな顔で言った。
「僕は、自分の心に噓をつくことはできません。ですから、昨日の発言が間違いだったと認めることはできません……」
「うむ、当然じゃ」
「ま、待て、それでは……」
「ぬうう、この頑固者めがっ! ブロワー、陛下のお気持ちを……」
「いやはや……肝が据わっているというか、達観しているというか……」
周囲の人々は、4者4様の反応である。
「でも、僕が処罰を受けなければ、貴族たちが納得しないですよね。ただ、僕もまだ死にたくはないので、〝国外追放〟で許してもらえませんか?」
「はっ? な、何を言っておるのだ、ルート……」
「……ううむ」
「はあぁ……気軽に言いおって……」
「まあ、妥当な線であろうな」
今度も4者4様だったが、慌てたのはリーフベルだった。
揺れる王国 1
「な、何を言っておるのだ、ルート……」
リーフベルは、初めて見せるような動揺し青ざめた表情でルートに詰め寄った。
「先生、これが最善の選択だと判断しました」
「ば、馬鹿なことを……お前がいなくなったら学園はどうなるのじゃ? 生徒たちのことは考えぬのか?」
リーフベルの言葉はルートの一番弱い心の部分を抉った。ルートは苦悶の表情を浮かべ、何も言えずうつむく。
「国外に出ることは認められんぞ、ブロワー」
リーフベルに続いて、ガルニア侯爵がルートの提案を否定した。ただし、彼の場合はあくまでも国の利益を考えてのことだった。
「お前が外からこの国を滅ぼそうと思えば、簡単に実行できるだろう。そうしないという保証は何もないからな」
(ほお、この男、さすがに王の補佐をするだけあって、なかなか頭が切れるな……)
メサリウスは侯爵の言葉に、わずかに微笑みを浮かべながら心の中で感心した。ルートの心の隅にある黒い計略を彼女は感じ取っていたのだ。
しかし、当のルートは困ったような表情で、周囲の人々を見回しながら言った。
「う~ん、困りましたね。侯爵様、この国は僕が生まれ育った故郷です。その愛する祖国を自分の手で滅ぼすなんてあり得ません。この言葉だけでは信じてもらえませんか? それに僕はこの大陸を離れて、西の大陸、ゲール部族連合国へ行こうと思います。あの国は他国への侵略行為は永久に放棄すると宣言しています。この国に害を及ぼすことはありません」
「いや、しかしだな……」
侯爵はなおもルートの言葉を否定しようとしたが、オリアス王がそれを手で制した。
「いや、叔父上、確かにルートの案が最善だと考える。叔父上の懸念も理解できるが、さすがにルートをそこまで疑うのはどうかと思う」
「オリアス、よいのか? ドラゴンを空に放つようなものだぞ?」
「……これが夢であればどんなに良いか……だが、今回の事件は確かに貴族社会の腐敗が原因、ひいてはわしの責任でもある。ルートが、この国を見限るのも致し方ないことかもしれぬ……」
王が苦悶の表情でそこまで語った時、リーフベルがイライラした口調で遮った。
「何をグダグダと情けないことを言っておるのじゃ。ルートは何にも勝るこの国の宝、それをみすみす手放すというのか?」
「い、いや、そうは言っても、他に方法は……」
「ええい、お主が貴族どもに、一言言えば済むことではないか。『ルート・ブロワーには一切のお咎めなし』とな」
「リーフベル殿、そういうわけにはいかぬよ……」
ガルニア侯爵が静かに口を開いた。
「王の強権は、あくまでも貴族諸侯の合意があっての上でのこと。貴族が反旗を翻せば、王は一貴族としてそれと戦わねばならぬ。味方になる貴族がいなければ、王の座を奪われ、それで終わりなのだ」
リーフベルもそれは十分承知していた。彼女は大きなため息を吐いて低くつぶやいた。
「……やはりルートの言ったことは正しかったのう。この国の制度は変わるべきじゃ……よし、ならばわしも心を決めよう」
「リーフベル殿?」
「いや、何でもない……分かった、ルートよ、自由にこの国から飛び立つがよい」
「先生、ありがとうございます」
ルートはこの時はまだ、リーフベルの計画に気づいていなかったので、迷惑をかける恩師に謝罪と感謝の気持ちを込めて深く頭を下げた。
「うむ。それで、オリアスよ、退去の期限は?」
リーフベルの問いに、王はじっと考えていたがやがて周囲を見回しながら言った。
「5日後にルートの罪状と処罰について公表し、その3日後までに国外へ退去、ということでどうかな?」
リーフベルは頷いて、ルートの目を向けた。
「1週間余りか……どうじゃ、ルート?」
「はい、それで構いません」
「うむ。それで、ルートは連れ帰っても良いのじゃな?」
「い、いや、それは……」
ガルニア侯爵が難色を示したが、リーフベルは彼を睨みながら言った。
「何じゃ、文句があるのか? 元はといえば、ラウド、おぬしの失態がこの事態を招いたのじゃ。ルートが罪を負うなら、まずはおぬしが先に罪を問われるべきではないのか?」
リーフベルの言葉に、侯爵はぐうの音も言えずうなだれた。
♢♢♢
ルートはリーフベルに伴われて、王族しか使わない抜け道を通り、北門の先にある森の中にある秘密の出口から外へ出た。
北門を通るとき、ルートはトール・ロードスという偽名を名乗り、田舎の村から王立子女養成所に初めて入学する生徒ということで、リーフベルから門番の衛兵に紹介された。北門は1度も使ったことがなかったので、衛兵もルートの顔は知らなかったのが幸いだった。ただし、仮身分証をもらうのに銀貨3枚支払ったのはご愛嬌だったが。
「ではな、ルート。また連絡をする」
「はい。本当にご迷惑をおかけして……」
ルートの謝罪をさっと手を挙げて拒絶すると、リーフベルはすました顔でこう言った。
「今後も、持ちつ持たれつで行くつもりじゃ。お互い迷惑をかけ合うでいいではないか」
「は、はあ……?」
ルートが生返事をする間に、リーフベルは手を振りながら学園の方へ去って行った。
「「ルートっ!!」」
「先生っ!」
ルートは2日ぶりに我が家に帰って来た。
ジークは商会の仕事でいなかったが、母と妻、そして内弟子が屋敷の中から走り出て出迎えてくれた。
揺れる王国 2
ルートにとって、身辺整理を済ませて国外へ旅立つには残された時間は少なかった。とりあえず、家族には事の顛末と王城での話し合いのことを説明したが、当然、ミーシャやリーナからはため息とともに、ルートへの恨み言が出てきた。
「……まったくもう、頑固なんだから……もう少し要領よく生きなさいよ」
「ん……ルートの言っていることは正しい。でも、現実からかけ離れ過ぎている。少しずつ変えていかないと周りから潰されるだけ」
「はい……その通りです。2人にはご迷惑をおかけします」
ルートは頭を下げたまま、謝罪の言葉を繰り返した。
「でも、そんな所もルートの良い所。私はルートを信じてついて行くだけ」
リーナの言葉に、ミーシャもため息を吐いて微笑みを浮かべる。
「そうね……今までルートが決めたことに間違いはなかった。今度もきっと大丈夫ね。
さて、そうと決まれば引っ越しの準備をしないと……リーナ、手伝ってね」
「うん、頑張ろう、お母さん」
女性陣は早くも心を切り替えて、引っ越しの準備の相談を始める。
ルートは、そんな2人に心の中で手を合わせるのだった。
「先生、どこへ引っ越すんですか?」
ようやく王都の生活にも慣れてきたマルクが、少し残念そうに尋ねた。
「マルクの故郷、ゲール部族連合国だよ」
「えっ、本当? ラニトに帰れるの?」
今回の国外移住で一番喜んだのは、マルクだったかもしれない。
♢♢♢
今回、ルートは王たちとの話し合いの最後に、こんな提案をしていた。
「僕の罪状に、財産没収を付け加えたらどうでしょう。国外追放だけでは納得しない貴族たちも、さすがにそれで納得するのではないでしょうか?」
「えっ!? 本気で言っておるのか? お前の個人資産だけでも、大きな領地をまるまる買えるほどであろう?」
「はい、そのくらいは貯まっていると思います。ただ、できればそのお金を、『司法制度』と『警察機構』を作る資金にしてほしいのです。それと、《タイムズ商会》はできれば今のまま存続させていただければありがたいです。たくさんの従業員のためにも、そして、この国のためにも」
「うむ、それは約束しよう。ルート、本当にすまぬ」
王は涙を浮かべて、改めて頭を下げた。
♢♢♢
ルートはその日、商会の王都支店で、各地から集まった支店長たちを前にして、今回の事態について説明し、今後の商会の運営について提案をしていた。
「……そういうわけで、僕の失態から皆さんには大変なご迷惑をおかけすることを謝罪します。ただ、商会そのものは残していただけることを陛下から約束していただいていますので、今後も《タイムズ商会》で働いていきたいという方には、引き続き今まで通り頑張っていただきたいと思います。
なお、後任の会長には、王都支店のベネットさんを、副会長にはポルージャ本店のライルさんを推薦します」
ルートの説明が終わると、会議室は喧々諤々の騒ぎになった。まあ、突然の爆弾発表なので当然のことではあった。
「ルート、ちょっといいか?」
その騒ぎの中から手を挙げたのは、リープ工房の工房長でルートが父親のように慕うボーグだった。
「はい、どうぞ、親方」
「うむ。話は分かった。わしも同じ考えなので、お前が貴族たちに放った言葉には拍手を送るぞ。それでだな、お前がこの国を出て行くなら、わしもついて行く……」
今度はボーグの爆弾宣言に、再び会議室は喧騒に包まれた。
「お、親方、それは……」
予想できないことではなかったが、やはり彼が商会からいなくなるのはルートにとっても心配なことだった。
「……なあに、心配はいらぬよ。リープ工房も、今や50人以上の職人を抱える大工房だ。わしやカミル、マリクがいなくなっても、十分にやっていける。それよりなにより、お前がいなくなった国で働く気は起こらんのでな」
「だったら、私も会長について行きます」
常に冷静な王都支店長のベネットが感情を迸らせて宣言した。
それを皮切りに、自制していた支店長たちが口々に叫び始めた。
「ちょ、ちょっと待ってください、どうか静かにしてください」
ルートの声にようやく騒ぎは収まり、全員がルートの注目する。
「皆さんのお気持ちは大変ありがたいです。でも、どうか冷静さを失わないでください。冷静さを失ってこんな事態を招いてしまった僕が言うのも説得力に欠けますが……あはは……ええっと、実はまだ計画の段階なのですが、遠距離でも会話が可能な魔道具を開発しようと考えています。それを使えば、今後も僕と皆さんたちとで情報のやり取りができるわけです」
「「「おおおっ」」」
支店長たちは一斉に感嘆の声を上げた。
「それは素晴らしい。いつ頃完成しますか?」
「すでに試作機は完成しています(ジャスミンが作ったんだけどね)。後は《電波》というものを中継する施設をあちこちに建設しなければなりません。これについては、設計図と材料表、地図を置いていきますので、指定した場所に建設していただきたいと思いますが、お願いできますか?」
「「「もちろんですっ!」」」
支店長たちは、今後もルートが発明する新製品や営業戦略を直接聞くことができると分かって、安心するのだった。
♢♢♢
ルートの国外追放という内密の情報は、ガルニア侯爵から情報担当のコルテス子爵へ、コルテス子爵から密偵によってポルージャ子爵へと伝えられた。
「……なんということだ……」
子爵はがっくりと肩を落として、しばらくショックから立ち直れなかった。
現在、ポルージャの街は王国内でも有数の豊かな街に発展していた。それもこれもすべてルートと《タイムズ商会》のお陰と言って過言ではなかった。だが、今後はもうその恩恵に浴することはできなくなる。
子爵にとっては、もちろんルートとの個人的なつながりが切れるのも残念だったが、街の発展が途切れることの方が衝撃が大きかったのである。
ダンジョン移転!? 1
いよいよ明日がルートの罪状の公式発表という前日の朝、ルートはリーナとジークを伴って、コルテスの街の《毒沼のダンジョン》を訪れていた。
公式発表の後では、自由に外を出歩けないので、この国で自由に外出できるのはこの日が最後だった。
《毒沼のダンジョン》は相変わらずの賑わいを見せていた。道も広くなり舗装され、ひっきりなしに馬車や人が往来している。道の両側には、宿屋や居酒屋、武器屋に防具屋、鉱石やアイテムの取引所もできていた。
「少し見ない間に、どんどん変わっていくな。そのうち街ができるんじゃないか?」
運転席のジークの言葉に、ルートとリーナも窓の外を眺めながら頷いた。
「うん。ジャスミンとクラウスが頑張ってくれているおかげだね。でも、もう2人にも今日で会えなくなるんだな……」
ルートが寂しげにつぶやく。
「元気にしていれば、またいつか会えるよ。通信機もできたし、いつでも話はできるから」
リーナがルートの隣に来て座り、やさしく肩を抱き寄せる。
「ああ、そうだね。死ぬわけじゃないし……またいつかは会える日が来るよね」
ルートも微笑みながらリーナの手をポンポンと優しく叩いた。
ルートたちは、守衛所で馬車を止めて冒険者カードを提示した。
「あっ、《風の旅人》の皆さんですね。どうぞ、こちらの駐車場へお入りください」
守衛はカードを確認すると、一般の駐車場ではなく、特別な人間しか出入りできない専用門を開いてルートたちを中に入れた。
ダンジョンの入り口は長蛇の列ができていたが、ルートたちは守衛に案内されて、入り口の受付の脇にある《職員専用口》から中に入ることができた。ルートがダンジョンマスターであることは、ギルドの内規情報として、ダンジョンの管理をする職員には知らされていたのである。
ルートたちの横を、冒険者のパーティが次々に通り過ぎていく。
ルートたちは1階の突き当りにある隠し部屋の前で、人の目が切れるのを待っていた。だが、冒険者たちは後から後から絶え間なく来るので、なかなか隠し部屋に入るチャンスがなかった。
「おい、お前らこんな所に止まっていたら邪魔だ。初心者パーティでビビッてやがんのか?」
別に通行の邪魔にはなっていないのだが、何かにつけ絡みたがる奴はいるものだ。
そのパーティは男3人、女2人の5人組だった。そのうちの1人の30代前半くらいのガラの悪そうな男が絡んできた。
「ああ、仲間が1人遅れて来るんで待っているんです。どうぞおかまいなく」
ルートがにこやかに応対すると、それが気に食わなかったのか、男はいきなりルートの胸倉を掴もうとした。
「ああん? 生意気だな、小僧……っ! な、何だ? 掴めない」
ルートは瞬時に防御結界を張ったので、男の指は結界に阻まれて服を掴むことができなかった。
「迷惑ですね……ほら、後ろのパーティが困っていますよ」
「クソッ、痛い目を見せてやるっ!」
男が今度は拳を振り上げたのを見て、ルートは無詠唱で闇魔法《睡眠》を男に掛けた。男は拳を振り上げた状態で地面にばたりと倒れ込んだ。
「馬鹿だね、こいつ。おい、お前ら、まだやるって言うなら、今度は俺たちが相手するぜ」
ジークとリーナが後の4人を睨みつけると、彼らは慌てて首を振って頭を下げた。
「す、すまない。グレンには後で注意しとくから、どうか見逃してくれないか」
「どうする、ルート?」
「ああ、これ以上迷惑かけないならいいよ。一応パーティ名を聞いていいかな?」
「あ、ああ、俺たちは《炎の翼》だ」
「分かった。僕たちは《風の旅人》、このダンジョンの管理を任されている。今後、また他のパーティなどに迷惑を掛けたら、出入りを禁止するから、この人にも言っておいてね」
ルートの言葉に、4人も、すぐ後ろにいた他のパーティの面々も驚いた様子だった。
「わ、分かった、言い聞かせておくよ。すまない」
《炎の翼》の4人は眠っているグレンという男を抱えて、そそくさと立ち去っていった。後ろにも2組のパーティが並んでいたが、ルートたちにぺこぺこと頭を下げて階段の方へ急ぎ足で去って行った。
♢♢♢
「いいわ、誰もいないよ」
ようやく冒険者たちの波が途切れて、辺りに誰もいなくなったので、ルートは隠し部屋の鍵石に素早く魔力を流した。すると、ダンジョンの壁の一部がズズッという音を立てて横に移動し、人が入れるくらいの穴が開いた。
3人は素早くその中に入り、ルートは急いでまた鍵石に魔力を流して穴を閉じた。
「ジャスミン、転移陣を頼む」
ルートの声に、すぐに隠し部屋の地面に転移陣が現れた。3人はその中に入って、最深部へと転移する。
「マスター様、ようこそおいで下さいました」
転移陣の光が収まると、そこには以前にも増して美しい輝きを増したダンジョンコアの分体、ジャスミンがいて、うやうやしく迎えてくれた。
「ジャスミン、お久しぶり。元気だったかい?」
「はい。ご覧の通り、ダンジョンが進化して新しい機能も使えるようになりました。私やクラウスの力も大きくなっております」
「へえ、新しい機能か……ところで、今ダンジョンは何階まで出来ているんだ?」
「はい、現在62階になっております」
「「ろ、62?」」
ジャスミンの答えに、リーナたちも驚いていた。
「おお、我が主、お久しぶりですなあ」
まるで周囲全体から聞こえてくるような威圧感のある低い声が聞こえてきた。言葉の内容やしゃべり方には喜びが溢れていたのだが……。
「ク、クラウス、また一段と凄くなったな」
大きな魔法陣から出てきたガーディアンの姿に、さすがのルートも思わず後ずさりしながら言った。
全体が二回りほど大きくなり、今や身長は5mを越えているだろう。黒い毛に覆われた体に夜空のような漆黒のローブをゆったりと羽織っている。彼の動きに合わせて、ローブが揺れて星のようにきらめいた。その姿は、もはやガーディアンを越えて、まさに魔界の支配者と呼ぶ方がふさわしかった。
「おお、これは失礼いたした。ちょっと竜と話をしておりましたので……」
クラウスはそう言うと、スルスルと小さくなり2mほどの大きさになった。ローブもそれに合わせて小さくなるのは不思議だった。
「竜? このダンジョンにいるのか?」
「あ、いいえ、南の果ての龍人島に住んでおる古竜(エンシャントドラゴン)の黒竜でして……半年ほど前、突然人の姿でやってまいりましてな。なんでも、遠くから闇精霊の巨大な力を感じて、様子を見に来たとか。それから、何度か遊びに来ておるのです。今度、来たときは主殿にも紹介いたしましょう」
「っ! ああ、それがな……」
ルートはあいまいな返事をして、口をつぐんだ。
「ああ、あはは……ほら、ジャスミン、お茶かコーヒーをもらえるか? さっき言ってたダンジョンの新しい機能とか、話を聞かせてくれ」
「あ、はい。これは気が付きませず申し訳ございません。皆様、どうぞこちらへ」
ジャスミンはそう言うと、ルートたちをかつてビオラの隠れ家として作ったログハウスへと案内した。
ダンジョン移転!? 2
ジャスミンが淹れてくれたコーヒーを味わいながら、ルートたちはジャスミンとクラウスから、ダンジョンの新しい機能について説明を聞いていた。
「なるほど……つまり、このダンジョンのレベルを自由に調節でき、しかも、モンスターの種類も選べるということか、いいね。それで、その調節はどうやってやるの?」
「はい、マスター様がコアに直接触れていただくと、案内画面が出てきますので、それに従って決めていただくことになります」
「へえ、すごいな。ちょっとやってみてもいいかい?」
「はい。どうぞ、コアの方へ」
ルートたちはジャスミンに案内されて、青い神殿作りの部屋の奥へ向かった。
「あれ? コアの色が、なんか変わった?」
リーナの声に、ルートとジークも頷いた。
「色が変わったというか、大きくなって金色の光に包まれているね」
「神々しくなったな」
「現在、コアの情報収集網はこの大陸全土に及んでおりますが、その処理の手助けをしている様々な種類の精霊たちが放つ光があのように……」
ジャスミンの説明を聞けば聞くほど、このダンジョンはすごいことになっている。今この瞬間にも、ジャスミンは世界中から様々な情報を集めて処理しているのだ。まさにスーパーコンピューターそのものだとルートは感嘆するのだった。
♢♢♢
「おお、これはすごい……」
ルートは思わず声を上げて、コアから浮き上がって来たタッチパネル式の《ダンジョン操作盤》を見つめた。
「はああ、こいつは驚きだな……いったいどんな仕組みなんだ?」
「これも魔法なの、ジャスミン?」
ジークとリーナも目を丸くして、ルートの左右から青い光を放つパネルを覗き込んでいた。
「はい、無属性魔法の一種です。マスター様が元々神様から与えられていた鑑定スキルの表記魔法の仕組みを応用しました」
「ああ、なるほど、あれか」
ルートはすぐに理解したが、ジークとリーナにはちんぷんかんぷんだった。
「ほら、教会やギルドにも同じようなステータスの表記ボードがあるじゃないか。多分仕組みは同じだよ」
ルートのフォローに、ジークもリーナもなるほどと納得した。
しかし……ルートの心は再び悲しみに包まれた。せっかくこんな素晴らしい機能が生まれたのに、今日が最後の日になってしまうのだ。
「……ジャスミン、君とクラウスに言わなければならないことがある」
ついに、ルートは打ち明ける決心をしてジャスミンを見つめた。
ジャスミンは主人の心の内を感じ取って、黙って頷き、ログハウスの方へいざなう。
「実は……」
ログハウスでジャスミンとクラウスを前に、ルートは王宮でのことと自分に下された処罰のことを正直に説明した。
「ううむ、どう考えても主を国から追い出すなど、不利益しかないと思うのですが、人間の考えは我には理解できませんな」
クラウスが顎に手をやって真剣に悩む姿に、ルートは苦笑するしかなかった。まあ、人間の些細な面子やプライドは人間の弱さの裏返しでもあり、強大な力を持つクラウスには説明しても理解できないだろう。
「マスター、ご心配には及びません……」
ジャスミンのきっぱりとした言葉に、皆は一斉に彼女の方に目を向けた。
「ジャスミン、僕たちはもうここへは来れなくなるんだよ」
ルートは念を押すようにそう言った。
「はい。実は、まだマスターに申し上げておりませんでしたが、ダンジョンの新しい機能がもう1つございます……」
ジャスミンは怪訝な顔のルートたちにそう言うと、説明を続けた。
「……マスター様が、さらに複数の他のダンジョンのマスターになられた場合、それらのダンジョンとこのダンジョン間で転移することが可能です」
「「「えええっ!」」」
青く広々とした最深部の空間に、ルートたちの叫び声が響き渡った。
「え、ジャスミン、それ、本当なの?」
「はい。ただし、転移できるダンジョンは一定の基準を超えるコアの魔力が必要ですが……そうですね、このダンジョンが20階層だった頃の魔力量と同じであれば、転移が可能です」
ルートはそれを聞くと、今までの暗い気分が一気に晴れて嬉し気に天井を見上げた。
「ようし、西の大陸で必ずダンジョンを見つけて、ダンジョンマスターになるぞ」
ルートの喜ぶ姿に、リーナとジークも嬉しそうにお互いの顔を見合わせるのだった。
「あ、ねえ、ジャスミン、転移できるのは僕だけかい? 君やクラウスはできるの?」
「はい、できますが、何か?」
「うん、いや、君たちがいる方が早くダンジョンも進化するだろう? それと、例の《通信用魔道具》を、少し多めに作ってもらいたいのでね。僕も手伝おうと思って」
「なるほど、了解しました。では、ぜひお早くダンジョンを攻略してくださることを、クラウスとともに楽しみにお待ちしております」
ルートたちは、できるだけ早くダンジョンマスターになる事を2人に約束して、《毒沼のダンジョン》を後にした。
新たなる旅立ち
その日、王都の王立子女養成所は大きな驚きと落胆、そして怒りの声にどよめいていた。それというのも、この日学園では朝から臨時の全体集会が開かれ、集まった全生徒と職員の前で、ルルーシュ・リーフベル所長がいきなり《爆弾発言》をしたからだ。
その内容は、現在休みを取っているルートが、このまま辞職して学園を去ること、そして自分もこの日限りで所長の職を辞任すること、後任の所長にはコーベル教頭が就任するというものだった。
そのことだけでも生徒に衝撃を与えるには十分だったが、さらに辞任の理由についてリーフベルが説明を始めると、生徒たちが一斉に騒ぎ始めるという前代未聞の事態になった。
「静かにっ! 皆さん、静かにしなさいっ!」
コーベル教頭や他の教授たちが生徒たちを鎮めようとしたが、生徒たちの騒ぎはなかなか収まらない。
「リーフベル所長、国王陛下は本当にこれをお認めになったのですか?」
3年生で生徒会の副会長をしているアルマンド・ブレントンが壇上に向かって質問した。
「うむ、最終決定は国王が下すのがこの国の法じゃからな」
「しかし、ブロワー先生やリーフベル所長を失うことは、この国にとって計り知れない損失です。それは陛下もご存じだと思うのですが?」
「ふむ……では、逆に聞くが、なぜ国王とこの国の貴族たちはそういう決定を下したのか、答えてくれるか?」
「っ! そ、それは……」
アルマンドは答えられず、ちらりと斜め後方にいる生徒会長のセリーナ・リンドバルの方を見た。
セリーナは、王都の別宅にいる父から会議の一部始終のことを聞いていた。そしてこの一週間、授業も上の空になるほど悩んでいた。アルマンドは副会長の立場から、セリーナの悩みを聞きだし、一緒にどうするか悩んでいたのだった。
騒いでいた他の生徒たちも、リーフベルの問いかけに静まり返った。
生徒たちは、ルートが常々人間の価値は「身分や階級とは無関係」であり、あるとすれば「社会的な役割の違い」だけだ、と言ってきたことは知っていたし、彼らの多くも共感していた。だから、心情的には王や貴族の前でルートが憤慨し、「貴族制度など無くなればいい」と口にしたことも理解できた。
だが、それを認めれば、自分で家族や自分自身をも否定してしまうことになる。今すぐルートに同調して貴族を辞められる生徒など、1人もいなかったのだ。
「……つまり、そういうことじゃ。今、この国に王や貴族は必要ないと言える人間は、ブロワー教授以外にはいない。わしは、それがどんな国を意味するのか、この目で見てみたい。そのためにブロワー教授について行こうと思う。
この学園を去ることは大変寂しいし、心残りもある。だが、80年余り所長を務めてきて、
基本的な道筋は出来たと思っておる。後は、ここにいる者たちが皆で発展させていくだけじゃ。長い間、世話になった……皆の幸せを遠くから祈っておる。さらばじゃ……」
静まり返った大ホールから、リーフベルは音もなく立ち去っていく。
彼女が消えたホールに、静かに慟哭やむせび泣く声が聞こえていた。
♢♢♢
ガルニア侯爵領ラークスの港。
その日の朝、港の一番端にある船着き場は、多くの人々で賑わっていた。
「今ある分の通信機です。ベネットさんに預けます。本当に信用できる人に渡してください。また必要になったら連絡してください。今年中には送れると思います」
ルートはそう言うと、3機の携帯型通信機をベネット・ペンジリーに手渡した。
「分かりました。商会の運営についてはお任せください。どこの支店長も今後一層協力して《タイムズ商会》を盛り上げていこうと張り切っていますから」
ベネットの言葉に、後ろに並んだ各支店長たちもうんうんと力強く頷いている。
「はい、どうかよろしくお願いします。それでは、またお会いしましょう」
ルートは支店長たちににこやかにそう言って頭を下げると、横に移動した。
そこには学園の教師たちと何人かの生徒たちが、目を真っ赤に泣きはらして並んでいた。
「ベルナール先生、お世話になりました」
「ルート~~、行かないでくれええぇ~~……うう、う、ううう……」
今や《王国の英雄》として世界中に名前を知られているベルナール・オランドが、ルートに縋り付いて子供のように泣きじゃくる。これにはルートも無下に突き放すこともできず、苦笑するしかなかった。
「ええい、この国の英雄ともあろう者がいつまで未練を残しておる、見苦しいぞ」
リーフベルにたしなめられて、ベルナールはようやくルートから離れると、今度は涙をごしごしと袖で拭って真剣な顔でルートを見つめた。
「ルート、僕は剣士として更なる高みを目指す。君は魔法使いとして、世界一を目指せ。そして、いつの日か〝武術大会〟を開こう。世界中から、猛者たちが集まる世界大会だ。そこで一度だけ、僕と戦ってくれ。約束してくれるか?」
「おお、武術の世界大会ですか、いいですね。はい、約束します。どうか、王都の学園を世界一強い剣士が生まれる学園にしてください」
力強く頷くベルナールと固い握手を交わすと、ルートは次にコーベル教頭、魔法科のボルトン、サザール両教授、そしてエリアーヌと順番に別れのあいさつを交わしていった。
「ブロワー先生っ!」
先生たちの後ろから、美しいブラウンの巻き毛をなびかせて少女が出てきた。
「セリーナ……来てくれたのか、ありがとう」
「先生……ごめんなさい……ごめんなさ…う、ううっ……」
ルートの前で頭を下げて泣き崩れるリンドバル家の長女を、ルートは優しく抱きしめて背中を撫でた。
「君が気に病むことじゃないよ」
「ううう……でも、父が……」
ルートはセリーナを引き離すと、彼女の涙に濡れた頬をハンカチで拭いてやりながら言った。
「君のお父さんも、僕も、それぞれの立場で意見を言った。それがたまたまぶつかっただけだ。僕は後悔していない。たぶん、お父さんもこの先意見を変えることはないだろう。それが今の所、どうしようもない現実ということだ。
これから先、君たちの世代がどんな風にその深い谷間を埋めていくか、楽しみにしているよ。とても厳しいだろうけど、どうかこの国の未来のために頑張ってほしい」
「……はい、分かりました。先生、どうかお元気で……私のこと、忘れないでください」
セリーナは、その胸に秘めた恋心を隠したまま別れを告げた。
ルートはその後も見送りに来た多くの人々と別れを交わし、いよいよ船に乗りこんだ。
結局、ルートとともにこの国を離れるのは、リーナ、ジーク、ミーシャ、マルクとリーフベル、ボーグ、カミル、マリクの8人になった。
ルートは、元娼婦のマーベルたちにも別れのあいさつに出向いた際、それとなく一緒に西の大陸へ行かないかと誘ったが、彼女たちも今やそれぞれが責任ある立場にあるため、それを捨てることは出来ないと断った。少し寂しさを感じながらも、彼女たちの今が幸せであることに安心し、またいつでも会えることを伝え、別れを告げたのだった。
大きな商船がゆっくりとラークスの港から離れ始める。別れを惜しむ人たちの声が次第に遠くなっていく。
後部甲板から手を振り続けていたルートたちが、それぞれにため息を吐きながら手を下ろしていく。
「……グランデル王国ともお別れね」
「うん……何か不思議な気持ち……」
ミーシャとリーナが、まだ港の方を見ながら言葉を交わした。
「そうね、何となく分かる気がする……すごく寂しいし、親しい人たちと別れるのが悲しいはずなのに、何かワクワクしている、そんな感じ?」
「ん、そうなの。悲しいのに、楽しい……変な気分……」
2人は顔を見合わせて思わず笑ってしまうのだった。
「なあ、ルート……今更言うのも変だがよ、俺はかなり前から、こうなるんじゃないかって思っていたよ」
「国外に追放されるってこと?」
「いや、それは思っていなかったがな……何というか、そう、お前は小さな世界に安住するような人間じゃない、ってことさ」
「……買いかぶりすぎだよ」
ルートは少し照れくさそうに苦笑する。
すると、横からリーフベルが楽しげな顔でこう言った。
「いや、ジーク殿の言う通りじゃ。まあ、周りがそうさせるのじゃがな。恐らく、これからもお前は世界中を飛び回ることになるであろうな」
「先生まで……僕は、本当はのんびり生きていたいんですけどね……でも、まあ、それもいいかな。よし、世界中のダンジョンを制覇して回ろうかな」
「おお、いいな。どこまでも付き合うぜ、相棒」
「うむ、わしもお前が見つめるその先の世界を見てみたい。付き合うぞ」
ルートは海を渡る風に吹かれながら、遥か彼方の水平線に目を細めるのだった。
エピローグ
ルート・ブロワーは転生者である。
彼は前世の記憶を持ち、神から特別な能力を授けられ、このプロボアという地球に似た惑星に生を受けた。
彼は前世の知識を生かし、与えられた能力を使って自分の身近な世界をより良くしようと努力してきた。ところが、彼の力は自分が考えるより大きな影響をこの世界に与えていた。今や、彼はこの世界をコントロールするキーマン的な存在になりつつあったが、まだ、彼はそのことを自覚していない。
♢♢♢
「……よって、私たちにできることは、貴族による不当な搾取を合法的に調べ告発することだと思う」
王立子女養成所の一角にある生徒会室。そこで、生徒会長の知的な美少女は、執行部の生徒たちを前に熱い思いを吐き出していた。
「その通りだ。そして、それをもとに今まで領地ごとにばらばらだった《領法》の改善と統一を目指す。これを、我々『青年貴族会』の当面の目標とする」
副会長である金髪の背の高い少年が、その意志の強そうな目でまっすぐに部屋の後ろの壁に掲げられた旗を見つめながら拳を突き上げた。
おおおっ! という力強い声が部屋の中に響き渡った。
♢♢♢
「隣国の王は何を考えているのでしょうか? ルートを国外追放などと、愚かにも極まりありません」
ハウネスト聖教国の首都バウウェル。荘厳な神殿の奥にある教皇室で、若く美しい教皇ビオラは怒りをあらわにして叫んだ。
隣国の情報をいち早く伝えに来たボーゲルの街の商業ギルド長エドガーは、何度も頷きつつ、教皇とは逆に含み笑いを浮かべながら言った。
「いや、まことに……しかしながら、これはわが国にとっては絶好の機会でございます」
「絶好の機会?……あ、もしかして、ルートをこの国に?」
エドガーはニヤリと笑って頷く。
「はい。まあ、彼のことですから一国に縛ることは難しいでしょう。しかし、教皇様との絆を考えれば、彼に頼んで、この国で大きな仕事をしてもらうことは十分可能だと考えます」
それを聞いて、ビオラも期待に目を輝かせ始める。
「そうですね……ええ、きっとルートなら……エドガー、さっそくルートへのつなぎをお願いします。彼の住所が分かれば、私が直接手紙を書きましょう」
「はい、すでに何人かの行商人に、西の大陸へ行くよう指示してあります」
教皇とギルド長は楽しみな未来を思い浮かべながら、どんなことをお願いするか、と気の早い相談を始めるのだった。
♢♢♢
西の大陸で今や日の出の勢いで発展を遂げているゲール部族連合国。その首都であるラニトの街は、この数日、各部族連邦の要人たちが慌ただしく君主ユーニスが住む宮殿へ出入りしていた。
「殿下、落ち着いて下され。まだ、ブロワー教授がおいでになるまで時間がございます」
「う、うむ、そうだな。私がおろおろしていても仕方がない……とは言え、あのブロワー教授がわが国へ来られるのだぞ。そう考えると……いても立っても落ち着かなくて……」
宮殿のユーニスの私室には、ユーニスと国立高等学園校長サリエル・アスターの2人がいて、2日後にこの国にやって来る移住者の処遇について話し合っていた。
その人物は、ゲール部族連合国の生みの親とも言うべき大恩人であり、《タイムズ商会》という大商会とつながりを持ち、しかも稀代の天才魔導士でもあった。2人がその処遇にあたふたするのも当然と言えば当然のことだったのだ。
「とりあえず、賓客としてこの宮殿にしばらく滞在していただき、その間にブロワー教授のご希望などをお聞きすることにしてはいかが、かと……」
「う、うむ、そうだな、そうしよう。各部族長の意見も聞きたい。今日にでも臨時の頭首会議を開こう」
若き君主は、湧き上がる興奮を必死に抑えるように、拳を握りしめながら立ち上がった。
♢♢♢
『やれやれ、どうにか落ち着くかのう』
ここは白い光に包まれた無限の空間。
ひときわ輝く光の塊から、ため息のような思念の声が波動となって周囲に流れていく。
『まったく……一時はどうなるかと気が気ではありませんでしたぞ』
傍らの大きな光も、同じような安堵の思念を発した。
そんな神々の思念を聞きながら、彼らの前に座った銀色の髪の少女は、不機嫌そうな表情で口を開いた。
「そんなに心配なら、いっそのことルート・ブロワーを排除すればよいのでは?」
少女の問いかけに、主神ティトラと戦の神マーバラはすぐには答えなかったが、やがてマーバラが困ったような思念を発しながら口を開いた。
『……それは、できぬ、不可能なのだ。あの者が神界にもたらした功績は、彼の魂に刻まれている。すべての属性の精霊たちが、彼を守護している……つまり、メサリウスよ、そなたと同じで、もはや我々がどうこうしようもない高みにまで至っているのだ』
銀髪の少女は、すでにそのことは周知の上だという落ち着いた表情で頷いた。
「ふむ。であれば、この星の命運は彼に託して見守るしかないのう。まあ、せいぜいブロワーを怒らせないよう、余計な策略は使わぬことだな」
『まあ、そうするしかないかのう。メサリウスよ、今後もルートの監視を頼むぞ』
ティトラ神の言葉にメサリウスは微かな微笑みを浮かべて頷く。
「ああ、それは引き受けた。久々に研究しがいのある対象だからな」
メサリウスはそう言うと、スッと神界から姿を消した。
後には2柱の神の深いため息のような思念が流れていった。
♢♢♢
「ルート、ほら、見えてきたよ、西の大陸……」
ラークスの港を出てから二日目の昼前、甲板に出ていたリーナが船室の中に駆け込んできて叫んだ。
ルートは、彼女に手を引かれて甲板に出ていく。乗客たちも風に吹かれながら、前方に見えてきた青くかすんだ岩壁を見つめていた。
ルート・ブロワー、16歳。まだ、幼さの残るその顔には、青く澄んでどこまでも見通すような目が輝いていた。
彼がこれからどんな冒険をし、世界にどんな影響を与えるのか、今はまだ誰も知らない。ただ、その瞳には少年らしい夢と希望が詰まった未知の大陸が、くっきりと映っていた。
(了)
大賢者メサリウス、元の名はユーリア・メサリウス。プロボアの星から15万光年離れたとある銀河の中の小さな惑星に生を受けた。現在の年齢、1062366歳である。
魔素で作った不老不死の肉体に魂を移植した、ホムンクルスと呼ばれる存在だ。魂は、彼女の頭部、魔石と魔法陣が複雑に組み合わされた、さながら小宇宙とも呼べる空間の中央に佇む美しい金色の魔石の中に納められている。
亜神であるメサリウスは、普段は神界に近い亜空間の中にある研究室で、深遠な宇宙の謎を解く研究にいそしんでいる。が、たまに興が向くと、あちこちの人間が住む星にふらりと出かけては、研究の種を撒いてその行く末を観察していた。
現在、彼女はプロボアという星に仮の住まいを作って、1人の弟子とともに、この星の行く末を観察している。彼女はかつて一度、気まぐれにこの星の人間と関わったことがある。もう5千年以上昔のことだ。そのときのことを、まだこの星の住人たちは伝説という形で覚えていた。
今回、彼女が再びこの星を訪れたのは、神々の話題に上る非常に興味深い人間が、この星に転生したからだった。その人間は、地球という魔法の存在しない特別な星から転生したらしい。名前を、ルート・ブロワーという。
彼女は神々から依頼を受け、彼が闇の誘惑に堕ちないように監視すること、適当に導きを与えること、そして、必要であれば彼を抹殺することを約束した。
メサリウスは、そのために彼女が直接関わるより、優秀な人間を間に挟んで、その人間を通して間接的に関わった方が良いと判断した。それで、神にそういう優秀な人間、言い換えれば優秀な生きた道具を自分にくれと申し出た。
神々は、話し合った末に、ルート・ブロワーと同じ星から、魔法の適性があり、純真な魂をこの星に導いて転生させることにした。そうして生まれたのが、タクト・アマーノだった。
「……まったく……仕事が下手な連中だな……」
亜空の研究室の中、空間に広がった映像で王都の学園祭の様子やルート・ブロワーの言動を観察していた大賢者は、ボース校所長ファングラウとルートの会見を見終わった後、珍しく感情をあらわにしてつぶやいた。
さらに、その後、ファングラウの上司であるコーエン子爵のルートに対する一連の嫌がらせ事件を見たメサリウスは、とうとう我慢ができずに、下界に降りていくことを決心した。
♢♢♢
貴族が間に入ると〝ろくでもない〟ことが起きる危険がある、と学んだメサリウスは、ルート・ブロワーに直接接触してみることにした。その目的は、ルート・ブロワーの人となりや考えを知ること、そして、闇に堕ちる可能性がどの程度あるか、を見極めることだった。
「ほお、これが王都の街か……」
王都の近くの森に転移したメサリウスは、旅の魔法使いという名目で城門を通過した。身分証がなかったので、銀貨3枚で仮の身分証を発行してもらい、『有効期限は3日だ。それまでにどこかのギルドでカードを作ってもらえ』と、お小言までもらって何とか街に入ることができた。
3日以内に用事は済ませるつもりだが、不慮のアクシデントが起こらないとも限らない。そこで、彼女はどんなギルドがあるのか、と衛兵に尋ねた。衛兵は、なぜそんなことも知らないのかと不審そうに彼女を見ながら答えた。
『ギルドには、商業ギルド、冒険者ギルド、魔導士ギルド、錬金術師ギルドの4つがある。この王都にはすべてのギルドの本部があるから、どこででも登録可能だ。魔法使いなら、冒険者ギルドか、魔導士ギルドだな』
というわけで、今、彼女は街の大通りを歩きながら『魔導士ギルド』を探しているところだった。
「む……これは、はじめて嗅ぐ匂いだな……(スンスン)うむ、胃に響く匂い……」
広場に差し掛かったところで、彼女の臭覚に反応する匂いが漂って来た。
彼女はホムンクルスだが、人間の五感はすべて備わっていた。なぜなら、彼女は確かに《不老不死》だが、《不死身》ではないからだ。器が壊されれば、彼女は《魂》だけの存在になる。だから、器を壊されないように危険を察知する必要があるのだ。視覚、聴覚、嗅覚、味覚、痛覚、すべて肉体を守るために必要な感覚だ。
そのうえで、彼女は楽しむための付属品も魔法で作り、体に装着していた。1つは食事を楽しむための消化器であり、もう一つは人間だったころを忘れないための温度感覚である。
「これは、食べ物か?」
広場の屋台の行列に並んで、メサリウスはその不思議な香りの元を確かめようとした。
「おう、カレーは初めてかい、嬢ちゃん?」
「カレー……?」
「ああ、王都に去年入って来た食べ物だが、あっという間に大流行さ」
「1つ頼む」
「あいよ、200ベニーだ」
メサリウスは代金を払って、木製の皿に盛られた食べ物を購入した。あたりを見回して、少し離れた所にある木陰の下のベンチに移動した。
添えられた木製のスプーンで、炊かれた米と茶色のルーを一緒にすくうと、ややためらった後、そっと口に運んだ。
「っ! うンまっ」
久しぶりに味覚に衝撃を受けたメサリウスは、思わず小さな叫び声を上げ、その後は、ただ夢中でカレーを口の中に掻き込んだ。そばを通りかかる人たちが、その様子を微笑ましく眺めていくのもまったく気づかなかった。
「ウップ……ふう……こんなに美味い食べ物があるとは、この星はなかなか侮れぬな」
久々の大量の食べ物に、胃が驚いて何度もゲップを引き起こしていたが、メサリウスは満足げで、訳の分からないことをつぶやきながら、再び大通りを歩き始めた。
「ああ、すまぬ。少々道を尋ねるが、『魔導士ギルド』はどこかのう?」
まるで年寄りのような言葉遣いの、野暮ったいローブを着た少女に、店のショーウィンドウを磨いていた青年は、やや戸惑いながら、通りの左手の方角を指さした。
「ええっと、ほら、屋根のてっぺんに六芒星の飾りが付いた建物が見えるかい? あれが『魔導士ギルド』の建物だよ」
「おお、分かった。すまぬな、感謝する」
丁寧に頭を下げて去って行く少女の後姿を見ながら、店員の青年はぼおっとした顔でつぶやいた。
「いえいえ、どういたし……まして……よく見たら、すごい美少女じゃないか、うわあ、名前くらい聞いとけばよかった……」
「ふむ、ここだな」
大通りから50mほど入った閑静な高級住宅街の一角に魔導士ギルドがあった。
メサリウスは、その瀟洒な造りの建物への石段を上り、木製の大きな扉を押して中に入っていった。
ギルドの中は、落ち着いた光に照らされ、静かなざわめきに満たされていた。彼女はまだ知らないが、冒険者ギルドに入った経験があるなら、比較してそこがいかに静かで、室内の作りが豪華であるか、驚いたことだろう。
ロビーには結構な数の、いかにも魔法使いといった服装の人々がたむろしていた。だが、入って来た少女を見て、興味深そうな視線を送っても、絡んでくる者はいなかった。
メサリウスは、受付カウンターへ歩いていき、若い受付嬢の前に立った。
「いらっしゃいませ。本日は当ギルドにどのような御用でしょうか?」
「ああ、すまぬが、城門でこのカードをもらってな。身分証を作らないと、3日しかこの街にいられないと聞いて……」
「はい、ギルド登録ですね。少々お待ちください」
受付嬢はそう言うと、てきぱきと書類の準備を始めた。
「登録は初めてでしょうか? もし、カードを紛失されたのでしたら、再登録の手続きと違約金が必要になりますが……」
「ああ、初めてだ」
「承知しました。では、こちらにお名前と、専門職、特別なスキルがあれば、それもお書きください」
そう言って差し出された用紙を見て、メサリウスはしばし考え、そしてペンを借りて記入を始めた。
「エリカ・メッサ―さんですね。職業は、教師……スキルは、特になし、ですね」
メサリウスは少しドキドキしながら小さく頷く。
「分かりました。では、魔法の適性と魔力を調べますので、この魔石に手を置いてください」
(う~む、これはまずい……《鑑定偽装》が通じるかのう? まあ、やってみるしかないか)
メサリウスは、鑑定を偽装する腕輪型の魔道具を装着していたが、果たしてうまくごまかしてくれるか、不安に駆られながら透明な丸い魔石に手を置いた。
淡い緑色の光にしばらく包まれた後、魔石は元の透明な状態に戻った。
魔石の下のボードを見ていた受付嬢は、やがてにこやかに微笑みながら、1枚の銀色のカードを差し出した。
「はい、これですべての手続きが終わりました。登録料は城門で仮身分証の代金をお支払いになりましたので、ここでは必要ありません。このカードは失くさないようにご注意ください」
「あ、ありがとう……」
メサリウスはほっとしてカードを受け取り、頭を下げた。
「ありがとうございました。もし、何か依頼をお受けになるなら、あちらのボードをご覧ください。依頼の紙を持ってきて下されば受け付けをいたします」
「う、うむ、分かった」
メサリウスがそそくさとその場を離れて、門から出て行くと、受付嬢は何やら怪訝な表情で、メサリウスが提出した書類を見つめた。
(あんなにたくさんの〝文字化け〟なんて、初めて見たわ。う~ん……やっぱり一応ギルマスに報告しておいた方がいいかしら……)
《文字化け》は、測定不能か、高度の偽装魔法を使用している以外には考えられない。特に怪しい雰囲気の少女ではなかったが、万一のことを考えて、受付嬢は、書類を手にギルド長の部屋へ向かった。
大賢者、下界に降りる 2
メサリウスは大賢者である。さすがに突発的な感情や、準備や計画も無しに行動することはない。それこそ、研究室で入念な準備をし、完璧な計画を(頭の中で)立てて下界に降臨したのである。
「むぐ、むぐ……んんん、これはまた、何という美味さだ……王都、恐るべし」
それでも予想外のことは起こる。彼女にとって、王都の食べ物がまさにそれだった。
ルート・ブロワーに、どうやって自然に、怪しまれないように接触し、彼から様々な情報を得るか、メサリウスはそれこそスーパーコンピューター顔負けの能力で幾つものシミュレーションを検証し、精選した作戦を用意してきた。
その1つが、現在彼女が訪れている《タイムズ商会王都支店》からのアプローチだった。
1階のフロア―を一通り見て回ったメサリウスは、その豊富な品ぞろえと手ごろな価格に感嘆しきりだったが、2階のスイーツ売り場とカフェに入った途端、完全に心を奪われてしまった。
コーヒーとお菓子のいい香りに包まれた店内の壁際には、いくつかのショーケースが並び、たくさんの種類のケーキやシュークリーム、クッキーなどの焼き菓子、そして、可愛いデコレーションのドーナツなどが所狭しと置かれていた。
メサリウスはここへ来た目的もしばし忘れて、ウェイトレスの1人を呼び、どれにするかウンウン唸りながら5分ほどかけて6個のスイーツを注文して席に着いた。
「あの、お飲み物はどういたしますか?」
ウェイトレスが追いかけてきて尋ねた。
「ああ、そうだな……このいい香りは飲み物か?」
「はい。当店自慢のフェイダル産コーヒーです」
「コーヒーというのか……では、それを」
「承知しました。少々お待ちください」
待つ時間はほとんどなかった。ものの3分も経たずに先ほどのウェイトレスが、トレイに載せたコーヒーのセットとスイーツを盛った皿を抱えて戻って来た。
そして……メサリウスにとって恍惚とした至福の時が過ぎていった。
口の周りにクリームや粉砂糖をくっつけた美少女が、呆けた様子で宙を見つめている様子を、ウェイトレスたちは笑いをこらえながら微笑ましく眺めていたが、突然、少女が現実に帰り、手を上げて彼女たちを呼んだ。ウェイトレスの1人が少女のテーブルに向かう。
「はい、何か御用でしょうか?」
「うむ、あの、フワフワして中にクリームが入った物を10個と輪っかになった揚げ菓子を10個、土産に持って帰りたいのだが……」
「承知しました。シュークリーム10個にドーナツ10個、お持ち帰りですね。ドーナツはプレーンのみでよろしいですか?」
「ああ、できれば別々の種類が良いのう。どれにするかはそなたに任せる」
「は、はい、承知しました」
「それと、1つ2つ質問があるのだが、良いか?」
「あ、ええっと、少々お待ちください」
ウェイトレスはそう言うと、急いでカウンターの裏へ行き、調理場の方へ入っていった。
しばらく待っていると、調理場から白で統一された制服を着た30前後のイケメン男性が現れて、メサリウスのもとへ近づいて来た。
「失礼します。当売り場の責任者をやらせていただいているジャン・レビエールと申します。
何かご不審な点がございましたか?」
「ああ、わざわざすまぬな。いや、どの菓子も、このコーヒーという飲み物も、最高に美味かった、礼を申す」
「ありがとうございます。お客様に喜んでいただけるのが何よりの幸せです」
「うむ。ここにある菓子はすべて、そなたが考案したものなのか?」
店内の客たちの目は、いつしかメサリウスとシェフに釘付けになっていた。
「いいえ、基本の商品はすべてブロワー会頭が考案され、そのレシピをいただき、それを元に我々が創意工夫を施したものです」
(ほほう、貴重な情報を聞けたぞ。なるほど、前世の知識をこういう所で生かしているわけか……)
「ふむ、では、そのレシピはタイムズ商会の秘中の秘というわけだな?」
「いいえ、レシピはすべて商業ギルドで公開されております。特許料さえ払っていただければ、お客様でもそのレシピを購入でき、ご自分で作っていただくことができますよ」
レビエールは微笑みを浮かべ、もう何度同じ質問をされたかと考えながら答えた。
古風な言葉を使う少女は、一瞬驚いたような表情を浮かべたが、すぐに元の無表情に戻って立ち上がった。
「ありがとう。仕事の邪魔をしてすまなかったな。とても良い時間を過ごさせてもらった。礼を言う」
少女はそう言うと、ゆっくりと出入り口の方へ向かった。ウェイトレスが注文のお菓子を入れた箱を手渡し、伝票を差し出した。
少女は代金を払うと、お菓子の箱を手に店を出て行く。
「「「ありがとうございました。またのお越しをお待ち申し上げます」」」
シェフもウェイトレスたちも、その後ろ姿に一斉に声をかけて、頭を下げた。
「……金儲けのためだけならば、レシピをすべて公開することなどあり得ぬ……ふむ、つまり、金儲けのためだけではないと……ちょっと、商業ギルドとやらに行ってみるか……」
メサリウスは独り言をつぶやきながら思案顔で歩いていたが、何かを思いついたように辺りを見回した。そして、通りかかった中年女性に商業ギルドの場所を聞くと、大通りを南に向かって歩き出した。
商業ギルドは、先ほど訪れた魔導士ギルドと違って、大通りに面した一角に聳え立つ巨大な石造りの建物で、豪華な重い扉を開くと、まるで祭りの中に飛び込んだような喧騒に満ちたロビーの広大な空間が広がっていた。
「いらっしゃいませ、当ギルドへようこそ。本日はどのようなご用件でしょうか?」
「ああ、ちょっと尋ねたいことがあるのだが……」
「はい、何でしょう?」
受け付けの列に並んでいたメサリウスは、自分の順番が来て、にこやかな笑顔の受付嬢に、言いにくそうにこう言った。
「ええっと、公開されているレシピの中で、特定の人物のものだけを見ることはできるかな?」
「はい、できますよ。ただ、資料をそろえるのに時間が少々かかりますが、よろしいですか?」
「うむ、構わぬ」
「はい、でしたら、この書類に、お客様のお名前と、お知りになりたいレシピの申請者名をお書きください」
メサリウスは、エリカ・メッサ―という仮名とルート・ブロワーの名前を記入した。
それを見た、受付嬢はちらりと少女に目を向けたが、すぐににこやかな微笑みを浮かべて書類を受け取った。
「はい、それでは、あちらのスペースでしばらくお待ちください。資料ができましたら、お呼びいたします」
「うむ、手間をかける」
メサリウスはそう言うと、待合スペースへ行って椅子に腰を下ろした。
待合スペースの片隅で、ローブ姿の少女が一心不乱に分厚い資料を見つめていた。
やがて、少女はフウっと息を吐くと、魂が抜けたような表情で椅子の背にもたれ、天井を見上げた。
(いやはや……なんとも凄まじいのう……これだけの特許の数も驚くが、その中身の高度な知識には呆れるばかりだ……なるほど、これではレシピを公開しても、再現できる物はたかが知れておろう。しかも、これだけの知識を持ちながら、兵器に転用できるものは1つも見当たらん……つまり、意図的に日用品に限定しているということか。
ただ、1つ、この蒸気機関というものは、使い方次第では大きな兵力になるかな……)
メサリウスは資料を閉じると、それを受付カウンターへ持っていった。
「ありがとう、大変役に立った」
「はい、それはよろしゅうございました。またのご利用をお待ちいたしております」
受付嬢は、去って行く少女の背中ににこやかに声をかけた後、少女が支払った手数料の銀貨と銅貨に目を落とした。
それは、確かに使える貨幣だったが、どちらも現国王の代のものではなく、3代前くらいに鋳造された古い貨幣だった。
ルート、大賢者と対面する 1
その日の放課後、ルートは緊急の職員会議に出るために大会議室へ向かった。集まった職員たちは、何事かと互いに情報を出し合いざわめき合っていた。
全員が集まったところで、コーベル教頭が立ち上がった。
「えー、本日集まってもらったのは、明日から3日間の予定で、聴講生が来校することが決まったからです。所長から詳しいお話をしていただきます。所長、お願いします」
「うむ。今聞いての通りじゃ。その聴講生はとある国の貴族の娘で、国王陛下から直々にわしのもとに依頼書が届けられた。名前はエリカ・メッサー、年は17歳ということじゃ。魔法に興味があるということで、主に魔法学科の授業を受けることになる。
まあ、3日間という短い期間じゃが、良い思い出を持ち帰ってもらえるよう、皆でよろしく世話をしてやってくれ。以上だ」
その後、何人かの教師から「寮は使用するのか」、「どこの国の出身か言えないのには何か理由があるのか」、「評価の方法は」などの質問があり、リーフベル所長がそれに答え、約20分ほどで会議は終わった。
「ルート、後でちょっとわしの部屋まで来てくれ」
ルートが部屋を出て行こうとしていると、リーフベル所長が声を掛けてきた。間違いなく今回の聴講生のことだろう。ルートはそう思いながら、帰り支度をした後、所長室へ向かった。
「失礼します」
「うむ、入ってくれ」
ルートが部屋に入ってみると、リーフベルは椅子の上に立って西日が差し込む窓の外を眺めていた。
ルートは言われる前に、いつものように来客用のソファに座る。
「わしはさっきの会議で、全員の前でウソをついた……」
リーフベルは窓の方を向いたままそう言うと、向き直って椅子からピョンと飛び降りた。そしてルートが座るソファの近くまで歩いてくると、今度はふわりと浮き上がって、テーブルの上に立った。
「彼女の出身のことですか?」
ルートはある程度答えを予想しながら尋ねた。
リーフベルは頷いて、ルートの前まで歩いてくる。
「お前には大方もう、正体が分かっておるであろう?」
「……大賢者メサリウス、ですね?」
「うむ……ついこの前お前と、相手の出方を見守ろうと話し合ったところじゃが……まったく、何を焦っておるのか、いきなり直接乗り込んで来おった」
リーフベルからすれば、降って湧いた厄介事だろう。大賢者が、何をしでかすか予想もつかないのだ。
ルートはなぜか急に笑いがこみ上げてきて、声を殺して笑いながらリーフベルの怒った顔を見上げた。
リーフベルは怪訝そうに眉をひそめながら、ルートの膝の上に下りてきて座る。
「何を笑っておる? わしの顔に何か付いておるか?」
「いえいえ、そうじゃありません……ふふ……大賢者さんて、どんな顔して授業を受けるんだろうって、想像したら可笑しくなって……」
「ふん、どうせ、いかにも見下したようなしたり顔で講義を聞くんじゃろうて……ああ、想像しただけでムカつくわい」
どうやら、リーフベルは大賢者に対して、相当な対抗心かライバル心があるらしい。
「彼女の目的は何だと思いますか?」
憤慨しきりのハイエルフをなだめるように、金色の髪を撫でながらルートが尋ねる。
「まあ、間違いなく、お前を直接『見極める』こと、じゃな」
「ですよね……でも、彼女が神と関わっているとしたら、僕の秘密や能力も知っているはずですが……」
「……であれば、それ以外の部分を知りたい、ということかのう」
リーフベルも顎に手をやって考え込んでいた。
「どうすればいいですか?」
「ふむ……」
リーフベルは再びピョンとテーブルの上に飛び乗ると、しばらく考えながらぐるぐると歩き回った。が、やがてルートの前で立ち止まるとこう言った。
「まあ、すぐにお前をどうこうするつもりはなかろう。こちらが知りたいのは、彼女と神々が関わっている証拠と、彼らの目的は何か、ということじゃ」
「でも、素直には教えてくれないでしょうね?」
ルートの言葉に、リーフベルはいたずらっぽく微笑んで答えた。
「向こうも、こちらが何を知りたいかについては知らぬのじゃ。駆け引きじゃよ、ふふふ…….」
♢♢♢
「ふう、やれやれ……やっと着いたか」
メサリウスは、ようやく王立子女養成所の門が見える所まで来て、大きく息を吐いた。日頃めったに長い距離を歩くことはなかったので、ボース辺境伯の王都屋敷から500m足らずの道のりもひどく遠く感じた。
何台もの馬車が門の前で止まり、子女たちを下ろしてまた去って行く。
「お早うございます、エバートン先生」
「はい、お早うございます、ミス・エリンドル」
門の前で生徒たちを出迎えていた、神学科の女性教師は、通りの向こうからとぼとぼと歩いてくる銀髪の少女を見ると、緊張した表情になった。
「ああ、ええっと……」
「は、はい、エリカ・メッサー様ですね? お早うございます。神学科の教師をしておりますモニカ・エバートンと申します」
「う、うむ、お早う。よろしく頼む」
「こちらこそ、よろしくお願いします。所長がお待ちです。ご案内しますので、どうぞ」
メサリウスは必要以上にかしこまった対応に、いささか戸惑いながら、女教師の後について学園の中に足を踏み入れた。
(ほう、さすがに王都の学校は規模が違うな。ふむふむ……ほうほう、面白い魔力反応がいくつか……ああ、これがブロワーじゃな……)
廊下を歩きながら、メサリウスは辺りに漂う様々な魔力に少しワクワクし始めた。
やがて、《転移ボックス》で所長室の前に着いたメサリウスは、女教師に促されて扉の前に立った。
「失礼します。エバートンです。エリカ・メッサー様をお連れしました」
「うむ、入れ」
ドアが開かれ、メサリウスはつかつかと部屋の中に入っていった。
正面の大きな机と大きな椅子、その机から顔から上だけを見せて、この学園の最高権威者が座っていた。
ルート、大賢者と対面する 3
大賢者とハイエルフの2人の少女は、しばらく無言で見つめ合っていた。
「まあ、座るがよい、大賢者メサリウスよ」
リーフベルはそう言うと、椅子から下りてソファの方へ歩いてきた。
「ハイエルフか……久しぶりに見たな。ハイエルフになっていかほどだ?」
メサリウスは、ソファにゆったりともたれながらリーフベルに問いかけた。
「ふむ、かれこれ90年ほどかのう……エルフの時の年齢と合わせるとまだ1000年にも満たない若輩者じゃよ」
リーフベルは、まだソファに座らず立ったまま答えた。
「まあ、それは生身の体であれば仕方がないことだな」
「茶なぞ飲むか?」
「うむ、コーヒーとかいうものはあるか?」
「ほお、コーヒーを知っておるのか? あるぞ、待っておれ」
リーフベルは、そう言って自分の机の背後の棚を開け、コーヒーセットを取り出した。
ルートからコーヒーの味を教えられて以来、リーフベルも道具を揃え、自分で楽しむようになっていた。
「んん……やはり、いい香りだ……これを発見した者は伝説の英雄に比肩する」
リーフベルが魔法で熱した水をドリッパーに注ぎ始めると、コーヒーのいい香りが辺りに漂う始めた。
「ふふ……これを発見した者を知りたいか?」
リーフベルは、淹れ終わったコーヒーを洒落た陶器のカップに注ぎ分けながら、いたずらっぽく問いかけた。
メサリウスは一瞬眉をひそめてリーフベルを見つめたが、すぐに元の無表情に戻ってカップを手に取った。
「……なるほど、そういうことか……そう言えば、そろそろ教室に行く時間か?」
リーフベルはまだニヤニヤ笑みを浮かべながら、自分の机の上に置いてあったシンプルな革の肩掛けバッグを持ってきた。
「まあ、コーヒーを飲む時間くらいはあるがのう。これは、筆記具と魔法学の教科書じゃ。学生証も入っておるので、それを見せれば食堂などの施設も利用できる」
「うむ、かたじけない。では、そろそろ行くかのう」
「コーヒーはいいのか?」
リーフベルは、メサリウスが早くお目当ての人物に会いたいと心がはやっているのを見通しながら、意地悪く尋ねた。
「また、そのうちご馳走になりに来る」
「そうか。では、参ろうかのう」
大賢者とハイエルフ、最も神に近い2人が並んで部屋を出て行く。
♢♢♢
ルートは、その日の最初の授業である「基礎魔法学Ⅱ」の教室に入って、生徒たちの出席を確認していた。
始業の鐘が鳴り始めるのと同時に、教室のドアが開いてリーフベル所長が1人の少女を伴って入って来た。
「ちょっと、授業の邪魔をするぞ」
リーフベルはそう言ってちらりとルートに目配せをした後、生徒たちの方を向いた。
「ええ、今日から3日間、この学園で学ぶ聴講生が来たので紹介する。エリカ・メッサーじゃ。3日間という短い時間じゃが、どうか仲良くしてやって欲しい。では、簡単に自己紹介を頼む。ブロワー教授、後はよろしくな」
リーフベルはそう言うと、教室を出て行った。
メサリウスは、もうさっきから横に立っているルートをじっと見つめていた。
「ああ、では、メッサーさん、自己紹介をどうぞ」
ルートに促されて、メサリウスはようやく顔を生徒たちの方へ向けた。
「名前は、エリカ・メッサー。よろしく頼む」
「ありがとう。では、メッサーさん、空いている席ならどこでもいいですよ、座ってください」
メサリウスは無表情のまま頷くと、一番前の開いている席に行って座った。
〝すごい美少女だな、どこの貴族なんだろう?〟
〝ああ、見たことないな。外国じゃないか?〟
〝なんかお人形みたい。近寄りがたい感じね〟
2年生が大半を占める教室の中は、生徒たちのささやき合いにざわついた。
「はい、静かに。じゃあ、授業を始めるぞ」
ルートは生徒たちに一言注意を与えると、用意してきた図面を黒板に磁石で張り付けた。
「前回に続いて、『属性魔法と無属性魔法の関係』というテーマで話をするぞ」
ルートの声とともに、生徒たちは慌ててノートを開き、ペンを持ってメモの準備をする。ただ1人、メサリウスはカバンを椅子の横に置くと、姿勢をまっすぐに、微動だにせずにルートの方へ視線を向けている。ただ、その目は先ほどより少し生き生きと輝いているように見えた。
「……このように、火属性または土属性の魔法を発動するときに現れる魔法陣は、白または赤系統の色であり、水属性または風属性の魔法を発動した時は、黒または青系統の魔法陣が現れる。このことから、僕は、火属性、土属性は光属性からの派生であり、水属性と風属性は闇属性からの派生であると推理した。これを証明する手段としては……ええっと、はい、メッサーさん、何でしょうか?」
ルートは説明の途中で勢いよく手を挙げた少女に、しかたなく指名した。
メサリウスは、目を輝かせて立ち上がると普段の彼女からは想像もつかないようなはきはきした声で言った。
「そのことを理解するには、魔法陣というものがそもそもなんであるか、ということを説明しておく必要があると考えるが、いかに?」
ただし、言葉遣いは相変わらず古風であった。
「はい、それは次回のテーマである『無属性魔法の役割』の中で説明するつもりです。今日は、属性と魔法陣の色の関係について証明する方法がある、ということを話そうと思っています」
「だが、生徒の理解力では、難しいのではないかのう」
メサリウスは全くの好意からそう言ったのだが、それを聞いた生徒たちはざわめいた。
〝え? なに、なに、私たち馬鹿にされてる?〟
〝なんだ、あのしゃべり方? うちの婆やみたいだな〟
〝ブロワー先生に反論するなんて、あの子、いったい何者なの〟
ルートは困ったように苦笑しながら、指示棒をさっと上げて生徒たちを静かにさせた。
「分かりました。では、魔法陣とはどのようなものか、話をすることにしましょう。その前に、メッサーさん、あなたは魔法陣についてどんな考えを持っているか、聞かせてもらっていいですか?」
ルートは、小さな反撃を試みた。
ルート、大賢者と対面する 3
ルートに質問されたメサリウスは、微かに微笑みを浮かべるとこう言った。
「我が聞きたいのは、そなたの考えだ。我が答えてしまっては意味が無かろう?」
ルートはそれを聞いて、メサリウスの意識が完全にルートにしか向いていないことに気づいた。他の生徒たちは、そろそろメサリウスの異常な態度に不満と不信感を抱き始めている。
ここは、メサリウスにこれ以上発言させないようにすることが肝要だった。
「分かった、メッサーさん、僕の考えを話そう。ただし、質問や意見は授業が終わるまで、なしにすること、いいね?」
「了解した」
メサリウスが素直に頷いたので、一応ほっとしながら、ルートは講義を再開した。
「さて、魔法陣がどういうものか、ということだが、実の所、根本的なことについて書かれた魔導書を僕はまだ見たことがない。魔法陣の種類や、使い方については多くの本があるんだがね。どの魔導書でも、『魔法陣とはもともとそこにあるもの』という扱いなんだ。そこで、ここから先は、あくまでも僕の想像だと思って聞いて欲しい……」
ルートはそう前置きすると、黒板の開いている場所にチョークで人の首から上の絵と、少し離れた所に炎のような絵を描いた。
「……例えば、火属性の魔法を離れた場所で発動させるとする。僕らがやることは、まず、どの場所に、どの程度の火を起こすか、イメージすることだ。次に、体内にある《魔力》と呼ばれるものを、その火の大きさに見合った量だけ体のある部分に溜める。多くは手のひらだろう。そして、《魔力》が溜まったら、適当な呪文を唱えて、その《魔力》を放出する。
これが、一連の魔法発動の流れだ。そして、《魔法陣》は、時には発動する場所に、ある時は《魔力》が放出される場所に、一瞬だけ現れ、魔法の発動が終わると消えるものだ……」
ルートはいったんそこで話を切り、生徒たちがうんうんと小さく頷いているのを確認してから、話を続けた。
「……皆も知っている通り、魔法の発動には呪文詠唱は必要ない。この中にも無詠唱で魔法を発動できる者もいるね? そして、《魔法陣》は何かにそれを描き、《魔力》を流すことで発動する。これは何を意味するか。
答えは、《魔法陣》とは、魔法を発動するための〝設計図〟、あるいは〝数式〟のようなものということだ。そして、魔法をこのような方法で発動するように作ったのは、この世界を作った神様に違いないと思う……」
ルートは再び話を切って、先ほどの黒板の絵に1本の横向きの矢印と、その矢印の先に『死』という単語と『時間』という単語を書いた。
「……生きているものは、いずれは死を迎える。時間は、過去から未来へと流れ、その逆はない。これが、この世界の根本原理だ。まだ他のもあるよね。例えば、水は熱すれば蒸発し、冷やせば氷になる。熱い鉄も、放っておけば冷える。高い所から物を手放せば落下する。これは、この世界そのものがそういうふうに創られているからだ。
僕はその仕組みを『理』と呼んでいる。そして、魔法とは、『《魔素》という材料を使って、この《理》を増幅して発現させる技術』だと考えている。だから、さっきから使っている《魔力》という言葉は、正確には《理力》と言うべきなんだ……」
生徒たちは頭をひねりながらも、懸命にメモを取っている。一方、メサリウスは相変わらず人形のようにじっとルートを見つめたままだった。
「ここまでで、何か質問はあるか? ああ、メッサーさんを除いて……」
ルートの問いかけに1人の生徒が勢いよく手を挙げた。
「はい、リリア、どうぞ」
指名されたボース辺境伯家の長女は、はきはきした声で発言した。
「とても興味深いお話で感動しておりますわ。さて、先生は、この世界を形作っている仕組みのことを『理』と言い、魔力とは『理力』と言い換えるべきだとおっしゃいました。そして、『魔法とは、魔素を使ってこの理力を増幅させる技術』であると。ということは、我々の体には、もともとこの『理』をいろいろ変化させる力が宿っているということですか?」
「うん、『理を変化させる』んじゃなくて、『理の許す範囲内で物質を変化させる』ということだ。神様は、人間がより良く生きられるように、この仕組み作り、魔法が使えるような力を与えてくれたわけだね。
では、もう少し具体的に魔法と魔法陣について話をしようか……」
ルートは、先ほどの黒板の矢印に『無属性魔法』と書き加えた。
「……僕たちのイメージを《魔素》に作用させる仕組みとは何か。僕は、それが《無属性魔法》と呼ばれているものだと思っている。魔法を発動させるとき、僕たちは持っている《理力》を使って、いったん《無属性魔法》にイメージを記録する。《無属性魔法》は言い換えるならイメージを設計図や数式に自動的に変換して記録する透明な黒板、ノートのようなものだと考えればいい。そして、その記録された設計図や数式を《魔法陣》として我々が見るわけだ……。
あとは、《魔力》つまり《理力》の強さという数字が入ることによって、それに見合った答えが出る。こう考えると、魔法って不思議でも何でもないだろう? ただ、不思議なのは
『頭の中のイメージを、体内の理力が読み取って、無属性魔法にいったん写し取る』という仕組みだ。これだけは、いまだにその原理が分からない。まあ、神様が創ったのだから、人間には理解できない、と言ってしまえばそれまでだけどね、あはは……。
以上が、僕の壮大な作り話だ。そろそろ授業が終わる時間だから、質問や意見は後で個人的に受けるよ。じゃあ、今日はここまで」
ルートはそう言って授業を終わった。
終わりの挨拶が済むと、生徒たちが一斉にルートの元に駆け寄って質問を始める。ルートは、メサリウスの方をちらりと見てから、生徒たちに囲まれて教室を出て行く。
メサリウスは終業の鐘を聞きながら、しばらくの間席に座ったまま宙を見つめていた。
(まさか、これほどとはのう……驚いた……魔法陣どころか、世界の根本原理を生徒にも分かるように説明してくるとは……ふふふ……やはり面白い、面白いぞ、ルート・ブロワー……)
メサリウスは日頃見せない満面の笑顔になって立ち上がった。そして、所長室へ足早に歩いて行った。ルートは次は空き時間なので、その時間を所長室でコーヒーを飲みながら過ごそうというのである。
大賢者、何を思う
その日から3日間、メサリウスはすべてのルートの授業に出席した。特に質問や発言をすることもなく、ただじっと講義を聞き、実技指導の様子を眺めるだけだったが、ルートにとっては、やはり居心地の悪いものだった。
リーフベルが言ったように、まさに自分が『値踏み』されているようで、ぞわぞわと落ち着かない気分だったのだ。
かといって、ルートは大賢者に自分を必要以上によく見せたい、などとはみじんも考えなかった。だから授業内容はいつも通りに、なるべく生徒に分かりやすく、を中心において進めていった。
2日目の午後のことだった。その日の授業を終えたルートは、自分の研究室で期末テストの素案作りをしていた。
ふいにトン、トンとドアが静かにノックされ、ルートが誰だろうとドアを開いて見ると、そこにメサリウスが立っていた。
ルートは驚いたが、廊下を見回して誰もいないことを確かめると、声を潜めてメサリウスに尋ねた。
「メッサーさん、何か質問ですか?」
「うむ。少し話をしたいと思ってのう」
メサリウスはいつもの無表情で、ごく当たり前のようにそう答えた。
ルートはしかたなく彼女を部屋に入れて、壁際に置いてあった椅子を自分の机の横に運び、彼女に座るように促した。あくまでも、生徒に対するように……。
「ここにはコーヒーはあるか?」
椅子に歩み寄りながら、メサリウスがいきなりそう質問した。
ルートは虚を突かれて、一瞬固まってしまったが、思わず笑いがこみ上げてきた。
「あはは……ええ、ありますよ、メッサーさん、いや、大賢者メサリウス様。とっておきのものをご馳走しましょう」
「うむ、すまぬな。コーヒーもそなたが発明したものだそうだな?」
「いいえ、発明ではありません……僕が他の星からの転生者であることは、もうご存じですよね?」
メサリウスは椅子に座ると、コーヒーを淹れ始めたルートをじっと見つめた。
「うむ、神に聞いておる。では、前世の世界で飲んでいたもの、ということか?」
「そうです。もちろん紅茶もありましたし、僕がいた国では、紅茶に発酵させる前の茶葉を乾燥させた緑茶が好まれていましたね」
ルートはメサリウスとの間の余計な気遣いが取れて、ずいぶん気が楽になっていた。
「我が来たことは、やはり迷惑であったか?」
ルートがコーヒーを淹れ終えて、トレイを運んでくると、メサリウスは少し申し訳なさそうにそう言った。
ルートは机の上を片付けて、メサリウスの前にカップを置くと、自分もカップを手に持ちながら椅子に座った。
「迷惑というより……なぜ、という思いでしたね。先ほどのお言葉で、あなたが神と交信されていることは分かりましたが、そうなると、あなたが僕の所に来られたのも神が関わっているのではないか、と僕は推測してしまうわけです」
メサリウスは真っすぐにルートを見つめながら、あっさりと頷いた。
「その通りだ。神達はそなたに非常に関心を持って眺めておる」
「……はて、それは喜ぶべきことか、悲しむべきことか……」
ルートはコーヒーカップを口に運びながら、冷ややかにつぶやいた。
「それは、まだ言わないでおこう。とりあえず、我はそなたを『より良い方向へ導く』ように神に頼まれた。今後も、必要に応じてそなたに会うことになろう。できれば、このように和やかな関係で話ができれば良いな」
メサリウスはそう言うと、コーヒーを一口すすり、美味しそうにため息を吐いた。
「僕は……」
ルートもコーヒーを一口飲み込むと、遠くを見つめるような目で語り始めた。
「……スラム街の娼婦の息子として転生しました。それについて、神を恨んだりしたことはありません。むしろ、母のもとに生まれさせてもらったことを、ずっと感謝しています。ただ、スラム街で見た子供や老人たちの悲惨な死を、一生忘れることはないでしょう。
もちろん、前世の世界でもあったことだし、どこの世界でもあることでしょう。だから、しかたがない、あきらめろ、とは、どうしても思えないんです。
何の罪もない、心の優しい子供たちが、飢えて死んだり、奴隷に売られて殴られたり、蹴られたり……あるいは、愛する人が目の前から突然奪われたり……それが、人間として生まれた運命だというのなら、神は人間を生み出すべきではなかった……」
メサリウスは、話を聞きながら平然とした表情でコーヒーを味わっていた。
「ふむ……つまり、神に対してはあまり良くない感情を持っている、ということか?」
「たかが1人の人間が、神に意見したところで何の意味もないことは分かっています。ただ、最近、神がこうした世界を創ったのは、人間の悲しみや苦しみが神にとって必要だったからではないか、と考えるようになって……以前のように純粋に神を崇める気持ちは無くなりましたね」
ルートの自嘲気味の告白を聞くと、メサリウスがわずかに目を見開いた。
「すべての人間が幸せに生きられる世界を作ることは、可能だと考えるか?」
メサリウスの問いに、ルートは少し考えてからこう答えた。
「……不可能だ、というのが正しい答えなのでしょうね。でも、それを認めたくない、認めるべきではない、と思います。少なくとも、僕はこれまで、そんな世界を作りたいと努力してきましたし、これからも諦めるつもりはありません」
「そういう世界を作るために、今、一番障害になっていることは何だと考える?」
「身分制ですね……この制度を世の中や人の頭の中から取り除くだけで、この世界は今よりも随分ましになりますよ」
メサリウスは、それ以上何も言わず、コーヒーを静かに飲み干した。そして、おもむろに立ち上がって、ルートを見つめた。
「邪魔したな。また、機会があればそなたと話をしたいが、良いか」
「はい、もちろん構いません。……タクト君は元気ですか?」
「おお、そうそう、あ奴のことも話しておくべきだったな。だが、今日はもう帰るとする。明日は最後なので、授業が終わったら、所長も交えて話をしよう」
「はい、お菓子を用意しておきますよ」
「おお、それは楽しみだ。ではな」
メサリウスは嬉し気に笑うと、背を向けて部屋を出て行った。
大賢者よ、何を思う 2
その日、メサリウスはボース辺境伯の屋敷に帰った後、自分に与えられた豪華な部屋に入ると、すぐに魔法で亜空間の自分の研究室に転移した。
彼女はいつも使っている机の前に座ると、アイテムボックスを開いて、中から1冊の古ぼけた書物を取り出した。そして、表紙も破れて今にもばらばらに壊れそうなその書物を優しくそっと開いていく。
それは、遠い遠い昔、まだ彼女がとある星で、人々から『救世の聖女』と呼ばれていた頃、こっそり人に言えない思いを綴っていた日記帳だった。
あるページを開いたとき、彼女はそのたくさんの何かの染みの跡がある紙面を、しばらくの間じっと見つめていた。
そこには、書きなぐったような文字でこう書かれていた。
『神よ、なぜ罪なき人々をお救い下さらないのですか……』
メサリウスの脳裏には、いまだに消えない悲惨で苦難に満ちた戦いの日々の記憶がよみがえっていた。その映像の中で家族も友人も愛した人も、すべて彼女の前から消えていく。
日記を静かに閉じると、メサリウスは深いため息を吐いた。
♢♢♢
「メサリウスは、明日まで王都にいるそうじゃ。だから、今日の放課後の約束は、明日に延期したいと言って来た。まあ、あと1日の辛抱じゃ、頑張れ」
3日目の放課後、ルートが所長室に行ってみると、メサリウスの姿はなく、リーフベルがルートに彼女の伝言を伝えた。
「そうですか……だったら、僕に直接言ってくれればいいのに……」
ルートは腑に落ちない表情で所長室を後にした。
そして次の日、午前中の最初の授業で教室に入ったルートは、〝あれ?〟と首を傾げた。この3日間、どの生徒より早く一番前の席に座っていたメサリウスの姿がなかったからだ。
その後も、結局メサリウスが姿を見せることはなく、ルートは放課後を迎えた。別に彼女にいて欲しいわけではなかったが、やはり気になってリーフベルに聞きに行こうと思っていたとき、コーベル教頭が研究室にやって来た。
「ブロワー教授、所長がお呼びだ」
「あ、はい、分かりました」
ルートは返事をすると、肩掛けカバンを持って部屋を出て行った。
教頭と並んで転移ボックスまで歩いていく。
「それで、どうだね、彼女は?」
「ああ、そうですね……とてもまじめな生徒ですよ」
「ふむ……いったい、どこの国の王族だろうね? 所長は頑として教えてくれないんだ」
「ははは……そうですね……謎めいた女の子です」
ルートは転移ボックスで所長室の前に到着し、声を掛けてドアを開いた。
「ブロワーです……失礼します」
「おお、来たか……こっちへ来て座れ」
「あ、メサ、メッサーさん……」
ルートはドアの所で立ち止まって、驚きの声を上げた。
応接用のソファに、リーフベルと向かい合って、メサリウスが座っていたからである。
「ん? 何も驚くことはなかろう。昨日、延期すると伝えさせたはずだが?」
メサリウスは、そう言って平然とコーヒーをすすった。
「まあ、そうですが、授業で姿を見なかったので……」
ルートはそう言いながら、リーフベルの横に行って座った。
「なんだ、寂しかったのか?」
「べ、別に、そうではありませんが……もう、天界にお帰りになったのかな、と……」
「あはは……天界だと? 我がまるで死んだようではないか。まあ、確かに空の上ではあるがな、天界ではないぞ。天界は、死者の魂が行きつく亜空だ」
メサリウスは珍しく声に出して笑い、快活に答えた。
「それより、お菓子はどうした? 持ってきたのであろうな?」
「あ、はい、はい……」
ルートは少々面食らいながら、肩掛けカバンの中からクッキー、シュークリーム、ドーナツなどを適当に出して並べていった。
「ふ~ん……ずいぶんと親しくなったようじゃのう?」
それまで黙って2人のやり取りを見ていたリーフベルが、少しとげのある口調でそう言った。
メサリウスは、すでに目の前に並んだお菓子に目を奪われて、リーフベルの言葉は耳に入っていないようだった。
「おほう、なんと、なんと……どれも美味そうだな。どれ、この丸いやつからいただこう」
メサリウスは子供のように無邪気な笑みを浮かべて、シュークリームにかぶりついた。
所長室の中にしばらくの間、メサリウスの歓声が続いた。
「そろそろ本題に入ろうかのう……」
自らもお菓子とコーヒーを十分に堪能した後、リーフベルがおもむろにそう言った。
「ルートから聞いたが、そなたは神から『ルートをよりよく導くように』と頼まれたそうじゃな? その理由は何じゃ? そして、今回ルートに会って、どう思った?」
リーフベルの問いに、メサリウスはハンカチで口元を拭いた後、しばらく2人の顔を交互に見つめた。
「ふむ……そうだな。まず、1つ目の答えはそなたたちが想像している通りだ。神は、ルート・ブロワーにいたく関心を寄せている。彼に期待すると同時に、不安も抱いておる。まあ、その不安の中身については、まだ言わないでおく。だが、案ずることはない。そのために我がこの星に来たのだ。そして2つ目だが……」
メサリウスはそう言いかけると、なぜか小さなため息を吐いて少しだけ視線を落とした。ルートは、それが自分への失望の表現だと感じた。
「……正直、我は戸惑っておる……」
メサリウスはそうつぶやくと、目を上げてルートを見つめた。
「……その若さで、何もかも知るということは、決して良いことばかりではない」
ルートとリーフベルは、メサリウスの言葉に思わず顔を見合わせる。
「どういうことかのう? ルートが何について知っているというのじゃ?」
「……魔法について然り、世界の仕組みについて然り、神について然り……そして、悲しみと絶望について然り……早く生きすぎてはならぬ。この我のようにな……」
メサリウスの言葉の意味はほとんど理解できなかったが、言葉の端々からルートへの親愛の情は伝わってきた。
「……ルート・ブロワーよ、生きることを精一杯楽しめ。それが、ひいてはそなたのためであり、神のためでもある」
メサリウスはルートにそう言った後、リーフベルに目を向けた。
「ハイエルフの賢者よ。神や我、そなたもじゃが、人よりはるかに長い時を生きる。人間がせいぜい100年の単位で物を見るとき、神は100億年の単位で物を見る。それは神にとって決して良いことではない。そなたは、人間と神の間に立って物を見、考えることができる。それを生かして、今後もルートのことを支えてやってくれ」
ルートもリーフベルも、ただ頷くことしかできなかった。
こうして、大賢者は王都を去り、北の果ての孤島へと帰っていった。
いつもの生活が戻り、ルートはまた教師として、商会の会長として忙しい日々を過ごすようになった。
しかし、彼の心の中には、メサリウスの言葉が深く刻み込まれていた。
『生きることを精一杯楽しめ。それが、そなたのためであり、ひいては神のためでもある』
閑話 結婚式
「う~ん……困ったな……」
それはルートの誕生日から3日後、12月に入って最初の休みの日の午後のことだった。
昼食を終えたルート一家は、思い思いに屋敷の中で過ごしていたが、突然王城からの使者が訪れ、1通の書状を届けたことから、一家の苦悶が始まった。
その書状は、国王オリアス・グランデルからのものだった。
「でも、陛下のご命令なら断れないでしょう?」
母ミーシャにとって、国王は絶対的な存在である。
「うん、まあ、命令ではないけどね。陛下が御厚意で提案してくださっていることを、むげに断るわけにもいかないよね。でも……はああ……気は進まないなぁ……」
ルートのため息に、横に座ったリーナも頷いて同調する。
「ん、そんなに大げさにやらなくていい。身内だけで静かにやりたい」
「う~ん、でもなあ……そういうわけにもいかないんじゃねえか?」
今では一家の大黒柱になったジークが、妻や義理の息子・娘たちを見回しながら言った。
「ルートの立場を考えてみろよ。こいつが偉ぶらないから、俺たちもあまり自覚していないがな。今や、ルートは、有名人……? いや、ちょっと違うな。ええっと……王様や貴族とも友達? 英雄? いや、なんか違うんだよな……まあ、いい、とにかく英雄みたいなもんだ。だから、結婚式ともなれば、身内だけでこっそりと、っていうわけにはいかないんじゃないか、ってことだ」
そう、今ルート一家が悩んでいるのは、あと20日あまりに迫ったルートとリーナの結婚式のことなのである。
「そうねえ、確かにポルージャの街だけでも呼ばなきゃいけない人たちが大勢いるものね」
「だろう? それに加えて、リーナの家族と青狼族、国王様や貴族の面々も呼ばないわけにはいかない。もしかすると、ハウネストの教皇様も来るって言いだすんじゃねえか?」
当然予想していたことではあったが、改めて考えてみて、ルートは頭を抱えざるを得なかった。招待状は確かにそうした人たちにすでに送付済みなのである。
「で、でも、王城を会場にってのは、あまりにもおこがましくてさ……う~ん、どうしたものか」
国王からの書状は、結婚式をぜひ王城の大広間でやらないか、という申し出だった。とんでもない名誉なことだったが、あまりにも敷居が高すぎた。
会場としては、リーフベル所長からも、学園の教会と大講堂を使え、という半ば職務命令のような言葉をもらっていた。これも、すぐに承諾できる話ではなかった。
本当は、ポルージャの教会で式を挙げ、いつものように商会の本店裏の庭でささやかな祝宴を、というのが、ルートとリーナの願いだったが、今のルートの立場上、それは難しいことだったのだ。
「あまり悩んでいる時間はないな。よし、決めよう」
ルートは、一度頭の中を空にして力強く宣言した。
家族は『おお、頼もしい』という顔で、ルートに注目した。
ルートは、家族を見回した後、一つ息を吐いて前を向いた。
「結婚式は取りやめる……」
「「「えええっ!」」」
「……というのは、冗談だけど、いろいろ考えた結果、学園を使わせてもらうことにする」
「「「……」」」
「ま、まあ、いいんじゃねえか。大勢でも楽に入るし、格式もあるしな」
「そ、そうね。ちょっと、気後れするけど、王城よりは入りやすいわね」
「ん、行ったことないけど、ルートの職場、一度は見ておきたいかも」
家族たちも、ルートの決断を支持してくれた。
こうして、前代未聞の「王立子女養成所」を会場にした、ルートとリーナの結婚式の準備が進められていった。
そして、慌ただしい日々はあっという間に過ぎていき、いよいよ12月25日、結婚式の当日を迎えたのであった。
いつもは貴族の子女たちが通る正門を、次々に大型の魔導式蒸気自動馬車が通っていき、駐車場に止まると、車の中から着飾った人々がぞろぞろと下りてきて、物珍しそうにあたりを見回した。ポルージャの街から来た面々である。
「へえ、ここが王都の学園かい? ルートはこんなすごい所で先生をやってるんだねぇ」
「まるで、1つの街みたい……」
「うちの子は将来ここに通わせるんだ」
「おや、それじゃあ、うちの子のライバルだね」
「えへへ~、うちの子もライバル~~」
マーベル、セシル、ポーリー、マリアンナ、ベーベたちが賑やかな笑い声を上げながら、プロムナードを歩いていく。
さらに、正門には続々と紋章入りの豪華な馬車も到着していた。中でも、ひときわ目立ったのが、青と白でペイントされ、側面に白百合の紋章が描かれた大型の魔導式自動蒸気馬車である。銀色の鎧を着た騎士たちに護衛されて、中から下りてきたのは、青地に銀糸で刺繍が施され、襟の周りがふかふかの白い毛皮で覆われた豪華なローブを着た金髪の少女だった。頭に司祭帽をかぶっているので教会関係の人物だと分かる。
同時に各馬車から下りてきたこの国の貴族たちも、彼女を見て、その場に立ち止まり、一斉に深く頭を下げた。
「皆さん、どうぞ頭をお上げになってください。今日は私の良き師であり、友人でもあるルートさんのおめでたい結婚式です。堅苦しいのは抜きにして、皆で、仲良く盛大に祝って差し上げましょう」
現教皇ビオラ・クライン1世の言葉に、周囲は一斉になごやかな空気に包まれた。
こうして、会場にはすでに百人を超える列席者が到着し、教会へと長蛇の列を作っていた。
そんな中、当のルートとリーナはそれぞれ緊張しながら部屋の中に待機していた。
リーナは着替え用の教室で、最後の化粧直し、着替えが早く終わったルートは、少し離れた自分の研究室で、自分の机を前に座っていた。
「よお、ここにいたのか……」
ドアが開いて、黒いスーツを着たジークが入って来た。
「どうした、やっぱりお前でも緊張しているのか?」
「ああ、そりゃあ緊張するさ……人生で初めての結婚式だよ……」
「あはは……そりゃ、そうだな。しかも、国王様や教皇様まで来るんだから、普通の人間なら、腰を抜かしてちびっているところだな」
ルートは苦笑した後、前方の空間を見つめながらぽつりとこう言った。
「……前世の、両親や兄にも見せてやりたかったな……」
それを聞いたジークは、じっと自分の足元を見つめた後、ルートの方へ顔を向けた。
「なあ、ルート……俺は、父親らしいことは何も言えねえが、前世の記憶があるってのは、きっと辛いことなんだろうな……でもよ、お前が生まれ変わったこの世界の、俺も、ミーシャも、リーナも、お前が救った娼婦たちもさ、皆、みーんな、お前がこの世界に生まれてきたことを感謝しているんだぜ。だからよ、ずっと俺たちの側で、俺たちと一緒に、これからも生きていってくれ……」
ルートは思わず涙をこぼしそうになって、慌てて手でこすりながら頷いた。
「ああ……そうだね。記憶を消すのは無理だけど、忘れることはできるから……僕にはこの世界がある。皆がいる。僕にとっては十分すぎるほど幸せなことだよ」
その年、前世のルートの故郷では、聖夜の街にはらはらと雪が舞い落ち、カップルは空を見上げて肩を寄せ合いながら微笑みを交わしていた。
そして、ルートが生まれ変わった世界の聖夜はというと、寒い風もなんのその、王都の学園に集まった人々は、一晩中酒を酌み交わし、歌い踊って大騒ぎしながら夜明けを迎えたのであった。
ただし、幸せいっぱいに肩を寄せ合って空を見上げるカップルの姿は、同じだったが……。
タクトの修行
「では、今日から新たな修行に取り組んでもらうぞ」
「よっしゃあ、ばっちこーい!」
北の果ての名も無き絶海の孤島。
大賢者がこの星に降り立ち、天に届く塔を建て、1人の転生少年を育んでいる島である。
ボース校が冬休みに入り、タクト・アマーノは師匠と暮らすこの島に帰って来た。王都の学園祭が終わった後、3日間の休みを利用して里帰りした折、師匠から『冬休みになったら新しい修行を始める』と告げられていた。
タクトはそれが楽しみで仕方がなかった。
広々とした草原で向かい合った師匠と弟子。弟子は、まるで今から師匠と決闘でもするかのように、魔力を体にみなぎらせている。
師匠の方は、弟子の訳の分からない叫び声にため息を吐きながら、杖をゆっくりと前に突き出した。
「まずは、《結界》で攻撃を防ぐ練習だ」
「えっ? け、《結界》って、師匠、まだやったことがありませんよ」
「だから、今やるのだ。王都校では、すでに何人も使える生徒がいるぞ」
「ええっ? そんな無茶な……ええっと、結界って何属性? 風? 水?」
タクトがあたふたとしている間に、メサリウスは《ウィンドボム》を放った。
「ちょ、待って、うわああああっ」
タクトは空中に浮きあがって、8mほども吹き飛ばされる。
「いたたた……ひどいよ、師匠、何か嫌な事でもあったの?」
タクトの非難の声を聞きながら、メサリウスはなぜかルートの顔を思い浮かべていた。
「……よいか、タクト、今回の修行は《無属性魔法》を自在に操れるようになることが目標だ。その手始めに、《結界》を瞬時に張れるようになること。よいな?」
「《無属性魔法》かあ、地味だし、見えないからテンション上がらないんだよね。相手の攻撃を防ぐより、相手が攻撃する前にチャチャっとやっつけた方が早いって思うんだけど……」
タクトはそう言いながら起き上がり、師のもとへ歩いていく。
タクトの言葉に、メサリウスはため息を吐いて再び目の前に杖を突きつけた。
「はあ……だからお前は未熟なのだ。それでは永遠にルート・ブロワーには追いつけぬぞ」
師の杖にビクッと立ち止まったタクトだったが、後の言葉を聞いて表情を引き締め、師にぐいっと迫った。
「ブロワー先生に追いつけないって、どういう意味? 僕、すべての上級魔法が使えるんだよ」
「それは、攻撃魔法と治癒魔法であろう? 現に《結界》も作れぬし、《転移》以外の《空間魔法》も使えぬ」
「そ、それは、練習してないだけで、やろうと思えばすぐできるよ」
メサリウスは杖を下ろすと、厳しい表情でタクトを見つめた。
「よいか、タクト……ルート・ブロワーは《無属性魔法》の達人だ。おそらく、我もまだ知らぬ魔法も使いこなしておるだろう。タクト、これは覚えておくがよい、『魔法の最も深淵なる神秘に触れるための道は《無属性魔法》を極めた先に続いている』」
タクトは、その言葉に愕然として、しばらくは口を半開きにしたまま師の顔をじっと見つめていた。
「そ、それは、お師匠様でもまだ、深遠には触れていないということですか?」
タクトの問いに、メサリウスはあっさりと頷いた。
「うむ。頭の中で想像はできておる。そして、それはたぶん間違ってはおらぬ。だが、実際にはまだ触れておらぬよ」
「……ブロワー先生は、その深淵に触れる可能性がある、と……?」
「うむ……恐ろしいことよ。まだ15になったばかりだというのに……まあ、彼が生きている間に到達できるほど、甘い道ではない。だが、可能性はある」
タクトは地面に目を落として、しばらく難しい顔で考え込んでいた。が、やがて顔を上げると、その表情は今までとは一変していた。
「お師匠様、僕頑張ります。どうか、《無属性魔法》を教えてください」
タクトはそう言って、師の前で深々と頭を下げた。
「うむ、もちろんそのための修行だ。そして、我が今持っているものをすべて学んだ後、お前は、いずれルート・ブロワーに教えを受けねばならぬ」
「はい、分かりました」
「よし、では、先ほどの続きを始めるぞ。まず、結界の作り方からだ……」
この世界では、イメージを魔法に変換するのは《精霊の力》だと人々は信じいる。ルートはそれは精霊ではなく《無属性》魔法ではないかと推理していた。そして、それは正しかった。
メサリウスは不死の存在になる以前に、すでに魔法における《無属性》の役割に気づき、その原理を研究してきた。そして、原理はほぼ解明できたが、まだ証明には至っていない。なぜなら、《無属性魔法》は、言い換えるなら、この宇宙を形作っている根本原理に根差す力だったからだ。
以来、彼女はずっと「時間と空間、つまり時空の解明」を終生のテーマとして研究を続けてきた。それは美しい数式に帰結する予定なのだが、検証するための実験はあまりにも高温高圧のエネルギーを狭い範囲で創り出す必要があった。彼女は不死ではあるが、不死身ではない。そんな実験をしようとすれば、確実に生きてはいられないのだ。
だから、大賢者は、何とかその実験に代わる検証方法はないかと、もう何百年も思案し続けてきた。そして、今、彼女の胸はざわざわと得体の知れないときめきのような、不安と期待が入り混じったような胸騒ぎをずっと感じ続けていた。そう、ルート・ブロワーという稀代の天才少年に会って以来、ずっと……。
ルート、少年と出会う 1
ガルニア侯爵領の北にベルジ辺境地という小さな領地がある。低い山々が連なり、海岸線は切り立った崖が続いているために、ほとんど開発が進んでいない地域である。山と山の間のわずかな平地を耕して、人が住み着いた小さな村が2つしかなかったが、ここにも一応領地管理を任された貴族の代官がいた。
ガルニア侯爵から任命された官僚貴族だが、誰が見ても出世コースから脱落した負け組であった。だが、地位や名誉には興味はなく、金と女さえあればいいという腐敗貴族にとっては、さほど悪くない場所でもあった。
「へへへ……オルトン様、そろそろ人数もそろいますぜ。例の場所の手配、よろしく頼んます」
「うむ、任せておけ。それより、足がつかないように用心しろ、ミゲル。最近、コルテスの犬が嗅ぎまわっているという情報が入ってきている」
ミゲルと呼ばれた、いかにも盗賊風体の男は、下卑た笑い声を上げ、手をプラプラさせながら馬車から離れていく。
「へへ……ご心配には及びません。むしろ、買い手の方が口を割らないよう頼みますぜ」
夕闇の中に消えていく男の背中を見送った後、オルトン準男爵はきれいに整えた髭をつまみながら鼻先で笑った。
「ふん……盗賊風情に心配されるほど落ちぶれてはおらんわ……どんなに聖女と呼ばれる教皇様が頑張ったところで、この世から奴隷を欲しがる貴族がいなくなることはない……」
♢♢♢
「ルート、ガルニア侯爵から使いが来た。これ、渡してくれって」
冬休みに入っても、追試やら会議やらで、ルートは学園に毎日出勤していた。その日も、リーフベル所長に頼まれて、ボルトン、サザールの2人の同僚とともに、図書館の魔法学に関する書物の整理を半日余りも費やしてようやく終わり、帰って来たところであった。
冷たい手を暖炉で温めていたルートは、リーナが持ってきた手紙を見て浮かない表情になった。別に侯爵が嫌いなわけではない。ただ、ガルニア候がルートに何か連絡してくるときは、決まって面倒ごとが多いのである。
「何だろう? 悪い予感しかしないんだけど……」
封筒を受け取りながら、思わずつぶやく。
「ん、嫌なことなら断ればいい」
リーナは単純明快である。だが、それが一番正しい判断でもあった。
『貴族にはへたに逆らわないが、むやみにへこへこもしない』、リーナの態度は一貫している。そして、ルートもまた、それを一緒に実行するだけの立場を築いてきたのだ。
「うん、その通りだ。嫌なら断ればいい」
ルートはそう自分に言い聞かせながら、手紙の封を切った。
♢♢♢
「ハア、ハア、ハア……」
森の中の険しい斜面を、1人の小さな少年が息を切らしながら必死に登っていた。冬なのに少年が身に着けているのは、汚れた薄い貫頭衣だけ。裸足の足は傷だらけで、あちこちから血がにじみ出ている。
首に嵌った鉄の輪から見ると、恐らく少年はどこからか逃げてきた奴隷に違いなかった。傷だらけでやせ細った手に力はない。だが、少年は必死に草を、岩をつかんで這い上がっていく。
その青い瞳はまだ死んではいない。生きて地獄の底から這いあがってやる、という強い意志に輝いていた。
♢♢♢
「おお、ブロワー、それに奥方も久しぶりだな。よく来てくれた」
ガルニア侯爵の屋敷を訪れたルートとリーナを最初に出迎えたのは、コルテス子爵だった。
結局、ルートはガルニア候からのたっての依頼を断ることができず、リーナとともにこの地を訪れることになったのである。
「ご無沙汰しています、コルテス子爵。やはり、今回の件はあなたの差し金だったのですね?」
「ああ、まあ、そう睨むな。確かにわしが殿下に進言したのだが、今回の件は少々厄介でな……これを任せられるのは、お前しかおらんのだ。まあ、詳しい話は中でしよう。さあ、入ってくれ」
コルテス子爵は、まるで我が家のような口ぶりでそう言うと、ルートたちを屋敷の中に招き入れ、侯爵の執務室へ案内した。
「殿下、ブロワー夫妻が到着いたしました」
「うむ、入ってくれ」
ドアの向こうから低い声が聞こえてくる。
前国王の弟であり現国王の叔父、「実質的な宰相」と呼ばれ、絶大な権力を誇る老人が、机の上で手を組んで、じっと何かの書類に目を落としていた。その眉間には深いしわが刻まれ、老人を年齢以上に老けて見せていた。
「お久しぶりです、侯爵様。先日は私たちのためにわざわざおいでいただいて、しかも過分なお祝いまでいただき、ありがとうございました」
「うむ、気にするな。久しぶりに心から楽しませてもらった、感謝するのはこちらの方だ。リーナ、早く子供を見せに来い。今のわしの一番の楽しみだからな」
侯爵は、ようやく気分が少し良くなったのか、そんな軽口を叩きながらルートたちの方へ近づいて来た。
「ま、まだ早すぎ、この前結婚したばかり……と、年寄りは気が短くて困る」
からかわれて真っ赤になったリーナが反駁すると、侯爵はいかにも楽し気に大笑いした。
「うははは……すまん、すまん。もう、老い先が短いじじいのせめてもの願いじゃ、許してくれ」
ひとしきり笑いながら雑談を交わしたルートたちは、侍女がお茶を持ってきたところでソファに座り、本題の話に移った。
「では、ホアン、ルートたちに話してやってくれ」
侯爵に促されたコルテス子爵は頷くと、ルートたちを見ながら話し始めた。
「手紙にも書いてあったと思うが、3日前、王都の郊外で4人の奴隷の変死体が見つかった。まあ、それだけならたまにある胸糞悪い事件で済んだのだが、その奴隷たちを調べた所、王国内の奴隷商が扱った奴隷たちではないことが分かったのだ……」
「それはどうやって分かったのですか?」
ルートの問いに、子爵は頷いて指を2本立てた。
「うむ、2つの証拠がある。まず、奴隷たちには《契約魔法》が掛けられていなかったことだ。奴隷商が扱う奴隷には、必ず安全のために《契約魔法》が掛けられる。それはお前も知っているだろう?」
ルートは黙って頷いた。奴隷娼婦だった母親のミーシャたちにもその魔法が掛けられていたのだ。
「次に、首に嵌められていた鉄の首輪が、闇属性の呪文が掛けられた魔道具だった。この国では使われないものだ。そこで、わしが密偵に探らせたところ、いろいろときな臭い事実が出てきた……」
「この領内に、外国からの奴隷が密かに運ばれてきておる、ということが分かったのだ。しかも、それをこの国の貴族が買い取っているらしい……まったく、舐めた真似をしてくれるわ……」
コルテス子爵の話を途中から引き取った侯爵が、いまいまし気に吐き捨てるように言った。
ルート、少年と出会う 2
ガルニア侯爵からの依頼は、ガルニア領内のどこで、誰が奴隷たちを搬入しているのかを突き止めることだ。侯爵の推測では、十中八九貴族が背後にいるに違いないという。
その場合、ただの密偵では踏み込んだ捜索ができない。逆に、侯爵自らが貴族たちを一人一人詰問しても、適当に尻尾を切って逃げられる可能性が高い。それどころか、無関係の貴族たちからは不信感や反発を受けるだろう。
そこで、ベストなのは、ルートたちが黒幕を突き止めた後、侯爵が最終的に裁断を下す、という形に持っていくことだ。
「まあ、お前ならどんな相手であろうと負ける心配はないが、手足になって動ける人間が多い方がいいだろう。そこで、彼らを付けてやろう。おい、入ってこい」
コルテス子爵はそう言うと、ドアの外に向かって声を掛けた。
入って来たのは、すらりと背が高くハンサムな若者とまだ幼さが残る顔立ちの若い娘であった。
「お久しぶりです、ブロワー殿」
「やあ、カイトさん、メイさん、お久しぶりです。なんか、すごく変わりましたね。もちろん、いい意味で」
2人は、かつてルートが3日間訓練したことがあるコルテス子爵の部下、カイトとメイのマインズ兄妹だった。
「そうであろう? 今やわしの密偵たちの中でも抜群に優秀な2人だ」
コルテス子爵は口髭を触りながら自慢し、2人も頬を染めて照れつつ、嬉し気に微笑んでいた。
こうして、マインズ兄妹とともに侯爵邸を後にしたルートとリーナは、街の中に向かった。
『タイムズ商会ルンドガルニア支店』に行くためだ。
ガルニア領内を調査するということは、領内に監視の目があることを想定する必要がある。本部をどこかに設置するにしても、その場所を怪しまれないようにすることは難しい。それならば、ルートが自然に出入りできて、しかも豊富な情報網が備わっている商会の支店を本部にするのは理にかなっているというわけだ。
「……なるほど、そういうことが……分かりました。ルンドガルニア支店の総力を挙げて会頭のお仕事をサポートさせていただきますよ。お任せください」
支店長のグラン・ボルシアが脂肪のついたお腹を揺すりながら立ち上がった。
「拠点として使われるお部屋にご案内します、どうぞこちらへ。それと、連絡担当の者を付けましょう。うってつけの男がおりますよ」
ボルシアに案内された部屋は、店の裏門から入ってすぐの倉庫の横の空き部屋だった。もとは資料を整理するための部屋だったが、使い勝手が悪かったため、2階に新しく資料室ができて使われなくなったらしい。
「後で必要なものがあれば、連絡担当の者にお申し付けください。では、担当のものを呼んでまいります」
ボルシアはそう言うと、頭を下げて部屋を出て行った。
「うん、ここなら出入りも簡単だし、監視がいたら見つけやすいね」
「ん、広さもちょうどいい。ちょっと掃除が必要だけど」
「なんか、ワクワクしてきました。ブロアー殿と一緒に仕事ができるなんて」
「あはは……こき使うかもしれませんよ、覚悟してくださいね。それと、殿はやめてください。ここからは同じ仲間です、ルートと呼んでください」
マインズ兄妹は慌てて首を振り、真剣な顔でこう言った
「い、いやいや、そんな呼び捨てなど……では、ブロワーさん、いや……」
「教官じゃだめですか? 隊長でもいいです」
マインズ兄妹は相変わらず真面目だった。
「ああ、あはは……まあ、隊長ならいいですよ」
そんなわけで、2人はルートのことを隊長と呼ぶことになった。いかにも騎士出身の2人らしいとルートは思うのだった。
「失礼します」
不意にドアがノックされ、1人の若い男が入って来た。
「初めてお目にかかります。ケイン・パーシバルと申します。支店長よりブロワー会頭の
連絡担当を申しつけられました。非力ではありますが、お役に立てるよう全力を尽くす覚悟です。何卒よろしくお願い申し上げます」
落ち着いた声で、立て板に水を流すようにすらすらと挨拶をする黒髪のイケメンに、ルートたちは圧倒されて、声も無く彼を見つめた。
「ふむ、まずはテーブルと椅子が必要ですね。椅子は5つほどでよろしいでしょうか? あと、お茶とコーヒーのセットと荷物を整理する棚ですね。さしあたり、それでよろしいでしょうか?」
「あ、ああ、十分だよ、よろしく。ええっと、ケインさん、こっちが僕の妻でリーナ、そちらがコルテス子爵に仕えているカイト・マインズ騎士爵とメイ・マインズ騎士爵だ」
ケインは優雅なしぐさで礼をした。そのやり方を見て、ルートは彼が貴族の家の出だと推測した。
「ケインさん……」
「どうぞ、ケインと呼び捨てでお願いします」
「うん、分かった。じゃあ、ケイン、後で作戦会議をするから、君にも加わってほしい。これからよろしく頼むよ」
「はいっ。身命を賭してお仕えいたします。では、すぐにテーブルと椅子を持ってまいります。失礼します」
ケインは、そう言って頭を下げると、音もなくドアを開いて出て行った。
「……さすがはタイムズ商会です。すごい人たちが働いておられるんですね」
「いやあ、あれはさすがに僕もびっくりですよ。たぶん、貴族の出だろうね。名前に聞き覚えはありませんか?」
「間違いなく、パーシバル男爵家の方ですね。当主はミハイル・グランデル公爵に仕えておられましたが、あんなことがありましたので、今は領地を召し上げられ、王都で文官をしておられるはずです」
カイトの言葉に、ルートはやはりそうかと頷いた。
「まあ、なんにしても、優秀な仲間が増えるのは大歓迎だ。よし、じゃあ、さっそく作戦会議を始めましょうか」
ルート、少年と出会う 3
テーブルと椅子を従業員に運ばせてきたケインも加わり、ルートたちの作戦会議が始まった。
「……確かにそうですね。ということは、どこかに奴らの船が出入りする港があるはずですね」
「う~ん、そうなんだけど、ガルニア領の西側はずっと海岸線が続いているから、調べるとなると大変なんだよなあ」
ルートたちはまず、外国の奴隷が船で運ばれてくると想定し、その場所を特定しようとしたが、全員が地図を見つめながら考え込んでしまった。
そのとき、顎に手を当てて考えていたケインが発言した。
「少なくともラークスの港の近くではないでしょうね。他の船や漁師たちの船が頻繁に行きかう場所は避けるはずです。そうなると、ある程度場所は限られてきます。サラディン王国と接する南側か、切り立った崖の海外線が続く北側か」
ケインは地図上を指で指し示しながらそう言った。
「うん、確かに……それで、ケインさんはどっちが怪しいと思う? 何か考えがあるんだろう?」
ルートの問いに、ケインはわずかに口元に笑みを浮かべてルートを見てから、北側の一帯を丸く指先でなぞった。
「ここにベルジ辺境地という小さな領地があります。領主はゼルス・オルトン準男爵。小さな村が2つだけの未開の地ですが、ここ半年ほど、我が支店との取引が急激に増えています。蒸気自動馬車が3台、高級ワイン、紅茶、コーヒー、化粧品その他多数。とうてい、小さな辺境の領主の財力では購入できない額になっています」
「ああ、それは完全に黒だね。でも、誰も不審に思わなかったのかな?」
「はい、それが直接の注文主は王都の何人かの貴族になっていまして、それをオルトン準男爵が代理で引き取り、王都へ運ぶというやり方で。ちゃんと、王都の貴族からの正式な委任状を持って来ますので、断るわけにもいかず……ただ、怪しかったので、信用できる何人かの行商人に頼んで積み荷が本当に王都へ運ばれているのか追尾してもらったんです。そうしたら、案の定、積み荷の馬車はすべてベルジへ向かっていました」
「なるほど……このことを知っているのは?」
「ボルシア支店長とロンダム副支店長、私、会計主任のベルゼスの4人です」
ルートは頷くと、しばらく地図を見ながら考え込んだ。
そして、顔を上げたルートは4人を見まして告げた。
「よし、狙いは北側、ベルジ辺境地周辺に絞ろう。中心ターゲットはオルトン準男爵だ」
4人はしっかりと頷く。
ルートはさらに続ける。
「証拠をつかむまで、我慢比べになるかもしれません。でも、証拠がなければ貴族を追い詰めることはできない。僕とリーナは辺境地に陸側から潜入します。カイトさんたちは漁師と契約して海側から不審な船や港の捜索をお願いします。何か見つけたら、ケインさんに連絡してください。ケインさんは、ベルジから王都への道に行商人を雇って張り込ませてください。きっと、奴隷を運ぶ馬車が通るはずです。特に夜の張り込みを確実にお願いします。それと、カイトさんたちへの資金援助と僕との連絡要員の確保、できますか?」
ケインは頬を紅潮させ、生き生きと目を輝かせていた。力強く頷く。
「お任せください」
「カイトさん、ケイさん、奴隷船を見つけてもすぐに突入はしないでください。泳がせて確実に証拠をつかむことが大事です」
カイトもケイも嬉し気に微笑みを浮かべて頷く。
「我慢比べは私たちの得意とするところです」
「では、もう少し細かい所を詰めたら行動開始です」
♢♢♢
ようやく険しい山を登り終えた少年は、もう一歩も動けない状態だったが、うつ伏せになったまま眼下に広がる光景を見つめた。麓を覆う森の先に、限りなく広い平原と右側に広がる海。彼はその海の向こうから船に押し込められてここまでやって来た。
もう、海の向こうの故郷へ帰るのは絶望的だが、この先に広がる世界には、まだ微かな希望があるように思った。それをつかむまでは、死ねない。自分を逃がしてくれた、名も知らぬあの女の人に報いるためにも。
少年はしばらく休んで、どうにか体が動くようになると、山を下り始めた。とにかく喉が渇いてしかたがなかった。水を飲みたかった。
麓の森には魔物や野獣がいるだろう。力も武器もない少年は、見つかればすぐに食われて死ぬだろう。でも、先に進むしかなかった。生きるために。
♢♢♢
ルートとリーナは、とある行商人に頼んで、ベルジ辺境領に一番近いコルンの村まで馬車に同乗させてもらった。
「ありがとうございました」
「いえいえ、タイムズ商会にはお世話になっていますから、これくらいなんでもありませんよ」
村に向かう行商人と別れのあいさつを交わした後、2人は村はずれから森の方へと入っていった。
「今のところ監視はいないようだね」
「ん、大丈夫。でも、山を越えるのはかなり大変そう」
「ああ、そうだね。でも、そこが狙いさ。まさか、山越えで潜入してくるとは思わないだろうからね」
2人はそんな話をしながら、快調な足取りでどんどん森の中を進んでいく。何しろ、キャンプ道具や食料や水を背負っていく必要がないのだ。必要なものはすべて、ルートの肩掛けカバンとリーナのウェストポーチの中に収納されているからだ。
「ん、この先に魔物の気配がある。数匹……ウルフかも」
「了解。《気配遮断》っ!」
2人は頷き合うと、気配を消して《加速》で一気に魔物に近づいていった。
グルルルル……5頭のランドウルフたちは、散開して獲物の周囲を取り囲んだ。小さな獲物はここまで何とか逃げて来たものの、ウルフたちから逃げ切ることはできなかった。とうとう動けなくなって、大きな木の根元にうずくまりブルブルと恐怖に体を震わせていた。
「くそっ……くそっ……ここまで来たのに…なんで……」
ウルフの唸り声を聞きながら、少年は悔し涙を流す。神は自分からすべてを奪うのか。両親も兄妹も、生きたいというささやかな希望さえも……。
どこにぶつけようもない恨みを神にぶつけながら、少年はあきらめのため息を吐いて覚悟を決めた。
ガウッ! キャウンッ!
突然、周囲を囲んだウルフたちが大きく動き出し、これまでかと思ったら、次の瞬間、ウルフたちの叫び声と断末魔の悲鳴が立て続けに聞こえてきた。
そして、それが止んだ時、顔を伏せてうずくまった少年の耳に、こんな声が聞こえてきたのである。
「ん、大丈夫、生きてるよ」
ルート、少年と出会う 4
(僕は本当に生き残ったんだろうか……この人たちはいったい……)
少年は、まだ自分が生きていることが信じられず、どんな状況かも分からず、ただブルブル震えながら自分を見下ろしている2人の人物を交互に見つめた。
「もう大丈夫だよ。心配しないで……ちょっとケガを治すから足を見せて」
死んだ兄と同じくらいの年の少年が、優しい声で近づいて来た。
しかし、少年はビクッとして反射的に後ずさった。人間は誰も信用できないという思いが染みついていたのだ。
彼の家族を地獄に落とした男も、最初は優しい言葉で近づいて来たのだ。
♢♢♢
ルートは、怯える傷だらけの少年の姿に、思わず胸が締め付けられて涙が溢れてきた。そして、子供をこんな姿にする奴隷制度と腐った大人たちに対するどうしようもない怒りがこみ上げてくるのだった。
ルートは仕方なく少し離れた所から、少年の方へ手を伸ばして《ヒール》と《キュア》の魔法を同時に掛けた。合成魔法ではないが、ある時、ケガの治療と毒の消去を別々にするのが面倒で、同時にできないかと思ってやってみたらできたのである。ルートはこれに《トリートメント》と名付けて、生徒の治療などに気軽に使っていたのだが、魔法科の先生たちやリーフベル先生には呆れられた高度な魔法だった。
少年は、突然光に包まれて驚いたが、手や足の傷や痛みがみるみる内に消え去り、疲れまで無くなっていくのを感じて呆然となった。
「とりあえずいいかな。君、歩けるかい? ここから少し離れた所に移動しよう。ランドウルフの血の匂いに魔物が集まってくるかもしれないからね」
ルートの言葉に、少年はようやく小さく頷いて立ち上がった。ルートは優しく微笑みながら、少し離れて前を歩き出す。少年はおずおずとその後について行く。リーナはそれを見送ると、ランドウルフの死体から魔石だけを素早く取り出していった。
村の方へ戻る方向へ少し歩いて、森が開けた場所を見つけると、ルートとリーナはそこに防水加工がされた革のシートを広げて座った。
「ここへ座って。まずは自己紹介するね。僕はルート、こっちはリーナ、冒険者だ。君の名前は?」
少年はまだ離れて立ったまま、ためらっていたが、やがてシートの端にようやく腰を下ろした。そしてもごもごと口ごもっていたが、やっと聞こえるくらいの声で答えた。
「マ、マルク……」
「そうか、マルク。まだ、僕たちのことを信用できないかもしれないけれど、僕たちは、この辺りに外国から連れて来られた人たちが奴隷にされて売られているという情報を聞いて、調査に来たんだ」
ルートの言葉をうつむいて聞いていた少年マルクは、「奴隷」という単語にビクッと肩を震わせた。
「ルート、この子に何か食べさせたい。食べて元気が出たら、気持ちも明るくなる」
ルートの様子に珍しく焦りがあるのを感じたリーナは、そう言ってルートのカバンの中からシチューの鍋を取り出した。
「ああ、そうだね……ありがとう、リーナ。そうしよう」
♢♢♢
森の中で、マリクがしばらく落ち着くまで一緒に食事をしたルートたちは、マルクを安全な場所に移すためにいったん村の近くまで戻った。
森の出口に着くと、ルートはカバンの中からまずハトを1羽取り出した。その足環の筒に簡単なメモを入れると、空へ放つ。これは、連絡員への通信用だ。
次に、再びカバンの中から、今度はカラドリオスの従魔シルフィーを取り出して、同じようにメモを足環に付けて飛び立たせた。これは、海で監視しているカイトたちへの通信だった。
ピ~~ッ
一声高く鳴いて、優雅に空へ舞い上がる美しい鳥を、マリクは驚嘆の表情で見上げていた。
やがて、そこへ1台の馬車がやって来た。連絡員が用意した馬車だった。
ルートとリーナは、ためらうマリクを何とかなだめながら、荷台に一緒に乗った。
「これから、君を安全な隠れ家に連れて行く。そこでしばらくゆっくり体を休めるんだ。ただ、その前に君が知っていることを話してほしい。辛いかもしれないけど、まだ捕まっている人たちがいるなら、何としても助け出したい。いいかな?」
ルートは出来るだけ優しい口調で少年にそう言ったが、まだ、少年の心は固く閉じているようだった。
「ん、ねえ、ここまで頑張って逃げてきたんでしょう? 男なら、最後までやり遂げなさい。あなたがやり遂げるのは、悪い奴らの情報をわたしたちに伝えること、そうではないの?」
リーナが珍しく饒舌に、感情をこめて少年を叱咤した。
マリクははっとしたように顔を上げて、リーナとルートを交互に見つめた。
「ぼ、僕は、奴隷です……ラニトのべハブ村から、盗賊に連れて来られました。盗賊は向こうの山を越えた所にある小さな村にいます。詳しくは分からないけど、僕の他に、10人以上の人たちが捕まっていました……僕は……僕はシャリアさんという女の人が、見張りを引き付けてくれている間に、何人かの人たちと一緒に逃げ出して……でも、途中で他の人たちは捕まって……あとのことは何も分からない、です……」
「そうか……よく頑張ったね」
ルートは思わず少年のやせた体を抱きしめていた。幼い頃、スラム街で、ただ見送ることしかできなかった子供たちのやせ細った死体が脳裏に浮かんでいた。
マリクもようやく恐怖と緊張から解放されたのか、ルートの腕の中でこらえていた涙を流しながら、しばらくの間嗚咽していたが、やがて、顔を上げてルートたちを見つめた。
「どうか、皆を助けてください、お願いします」
「ん、わたしたちに任せて。そのためにも、知っていることをみんな話す、いい?」
こくりと頷くマリクの頭をリーナが優しく撫でてやった。
♢♢♢
こうして、貴重な生き証人のマリクを、偶然救出することができたルートたちの捜査は一気に進展した。
マリクは「ルンドガルニア支店」の活動拠点の部屋でしばらくかくまうことになった。海上で捜索していたカイトとメイも戻って来た。
そして、マリクから詳しい場所や盗賊たちのおよその数などを聞き出すと、残った奴隷たちを救出するための作戦を開始した。
腐った貴族に鉄槌を 1
「おう、やっと俺の出番か」
ルートとリーナを送り出した後、王都でやきもきしていたジークが、意気込んでガルニアにやって来た。
「じゃあ、俺はガルニア候の近衛騎士隊と一緒に、そのなんとかっていう腐れ貴族を待ち伏せりゃいいんだな?」
「うん、頼むよ。たぶん、僕たちが奴隷を解放したという情報が入れば、慌てて王都の貴族を頼って逃げ出すと思うから、街道に張り込んでいてほしいんだ。もしかすると、手下の盗賊たちが一緒かもしれないから、十分気を付けてね。ただ、間違っても貴族は殺したりしないように、生きたまま捕まえるんだよ」
「おう、任せとけ。じゃあ、お前たちも気を付けてな」
ジークはそう言い残すと、念のためかつての傭兵仲間の何人かに応援を頼むために傭兵ギルドへ向かった。彼はそのまま、ガルニア侯爵の屋敷へ行き、侯爵、コルテス子爵と貴族を捕えた後の手筈を打ち合わせに行く予定だ。
「じゃあ、僕たちも出発しようか。ケインさん、マリクのことよろしくお願いします」
ルートはそう言って立ち上がった。
「はい、お任せください。どうか、くれぐれもお気をつけて」
ルートたちは、ケインとマリクに見送られて本部の部屋から出て行った。
「大丈夫だよ。あの方たちにかかれば、解決しないことなんか存在しないから」
心配そうにドアを見つめるマリクに、ケインが優しく肩に手を置いてそう言った。
♢♢♢
「くそっ……まだ見つからないのか? ガキ1人にいつまでかかってやがる」
ベルジ辺境地に2つしかない村の1つ、ホルス村。ここに、船で送られてきた奴隷たちをいったん収容しておく地下室がある。
この村にも、かつては開拓にいそしむ何組かの家族が住んでいた。だが、オルトン準男爵が代官になると、厳しい徴税が続き、ついにそれを払えなくなった彼らは借金奴隷になって王都に送られた。
この時の甘い汁に味をしめたオルトンは、金を使って無法者たちを雇い、違法な奴隷売買を始めたのである。国内でやれば監視が厳しいので、船で外国の辺境地から人間を拉致して連れてくる。そして、それを王都の貴族たちに密売して多額の金を得ていたのだ。
ホルス村を取り仕切っている元盗賊の男、ルベンのいらいらは頂点に達していた。船であと1回奴隷が運ばれてくれば、数がそろい、王都へ送り出すことができる、というところで、船で出かけた手下たちがラニト国の自警団に見つかり、ほとんどの者が殺されたり捕まってしまったという。生き残って帰って来た者たちも重傷を負っているものが多く、使い物にならなくなった。
そして、今回の集団脱走である。主犯の女や逃げた者たちのほとんどは捕まえたが、3人が死んでしまい、1人が行方不明になってしまった。
このままでは、今回の取り引きは中止になり、ルベンも相応の罰を覚悟しなければならない。
「……冗談じゃねえ……もうすぐ資金も貯まるってときに……くそがっ!」
血走った目で叫んだルベンは、ワインの瓶を壁に投げつけた。粉々に割れた瓶から飛び散ったワインは、壁に赤い染みを付けて床へと流れ落ちていった。
♢♢♢
「隊長、人間です。確認したのは5人。山を登ってきています」
斥候に出ていたカイトとメイが戻って来て、ルートに報告した。
今、ルートたちはマルクが越えてきた山の頂上付近から、麓の様子を観察している所だった。
「マルクを追って来た連中だろうね。よし、全員拘束して、一か所に集めよう。1人も逃がさないように頼むよ」
ルートの指示に、リーナ、カイト、メイがしっかりと頷いて、同時に飛び出していく。
「これで全員です」
ものの10分もかからず、下りの山の中腹に、気絶し体を縛られた5人の男たちが転がされていた。
「うん、ご苦労さん。ちょっと尋問してみるか……」
ルートはそう言うと、1人の男の側に屈み込んで右手をかざした。淡い緑色の光が男を包み込み、やがて消える。
「っ! はっ、こ、これは……おい、小僧っ、こんな真似をしてただで、ガフッ」
目を覚ました男が、凄み始めた途端、ルートが足で軽く男の顎を蹴り上げた。
リーナは思わず目を見開いてその光景に驚いていた。こんな狂暴なルートを見たのは初めてだったからだ。それだけルートの胸の内に秘められた怒りが強いのだと、リーナは改めて感じた。
「しゃべるな。返事は頷くか、首を振るだけでいい。分かったか?」
「あ、ああ、わかっ、グハッ……」
今度は、男の顔の真ん中にルートの拳がさく裂した。
「しゃべるなと言ったはずだが?」
男は鼻血を流しながら、必死にこくこくと頷く。その体は小刻みに震えていた。
「お前たちは、逃げた奴隷を追っていたんだな?」
ルートの問いに、男は驚いた表情でしばらくためらった後、こくこくと頷いた。
「逃げた奴隷以外は、全員下のあの村にいるのか?」
男は再び頷く。
ルートは少し考えてから、男に質問する。
「あの村には、普通の村人もいるのか?」
男は、一瞬間を置いて小さく頷いた。
「ん、ルート、今のは怪しい。目が泳いでいた」
リーナの言葉に、男の目に怯えが走る。
ルートはニヤリと悪い笑みを浮かべると、ナイフを引き抜いて男の首に当てた。
「へえ、いい度胸だな……もう一度聞くぞ。村人いるのか?」
男は今度は必死に首を横に振った。
ルートは立ち上がった。必要な情報は十分だと判断したからだ。
「よし、行こうか。村にいる者は全員犯罪者だ。降伏する者以外は殺して構わない」
「「「了解」」」
リーナ、カイト、メイの3人も、同時に返事をして立ち上がった。
「こいつらはどうしますか?」
「このまま放っておけばいいだろう。運が良ければ、後で衛兵か自警団が引き取りに来るだろうし、運が悪ければ、凍え死ぬか、魔物の餌になるだけだ。自分たちの犯した罪の重さをじっくり思い知るがいいさ」
「ば、待ってくれ、頼む、助けてくれ、頼む……おい、待って、おい、なあ、お~い……」
男の見苦しい命乞いを無視して、ルートたちは一気に山を駆け下りて行った。
腐った貴族に鉄槌を 2
「な、なんだと? ホルス村が、壊滅……?」
ワイングラスが音を立てて床の上に落ち、砕け散った。
ベルジ辺境地から王都へ抜ける街道の途中にある別荘の一室で、奴隷の女たちを椅子代わりにして酒を飲んでいたゼルス・オルトンは、素っ裸のままブルブル震えながら慌てて寝室を出て行く。
彼が向かったのは、書斎の奥に造った隠し部屋だった。そこには、ため込んだ金銀財宝や犯罪の証拠となる記録や誓約書の類が置かれている。
彼は震える手でそれらをかき集め、マジックバッグの中に詰め込めるだけ詰め込んだ。そして、それを持って毛皮のコートだけを羽織ると、喚きながら屋敷の外へ出て行った。
「馬車だ、自動馬車を出せ~~っ! 早くしろ、バカ者っ、急げっ」
♢♢♢
ルートたちによるホルス村襲撃は、瞬く間に終わっていた。村には36人の盗賊崩れや犯罪歴のある男たちがたむろしていたが、危機感も無く、ただ集まって毎日飲んだくれていた烏合の衆に過ぎなかったのだ。
だが、地下室に囚われていた奴隷たちの状況は、悲惨の一語に尽きた。囚われていたのは男性7人、女性10人。まともな食事は与えられず、ほとんどの者が暴行を受けていた。すでに死んでいた者が男性2人と女性1人の3人、残りの者たちも、あと何日か遅かったらさらに死者が増えただろうと思われる状態だった。
ルートはとりあえず、マルクに掛けた《トリートメント》の魔法を全員に掛け、リーナとメイがパン粥を作って、食事ができる者に配っていった。
「シャリアさんはいますか?」
魔法を掛け終わったルートは、女性たちが身を寄せ合って集まっている所へ行き声を掛けた。
女性たちは互いの顔を見合った後、悲し気に首を振って、そのうちの1人が答えた。
「シャリアは、皆を逃がすために自分を犠牲にして……あいつらに、酷い拷問を受け……」
それを聞いて、ルートはうなだれながらリーナたちのもとへ帰った。先ほど確認した、ひどい状況の女性の遺体がシャリアのものだと分かったのだ。
マルクがその事実を知った時の気持ちを考えると、ルートは胸が締め付けられるような憤りを感じた。だが、事実は伝えなければならないだろう。どんなに悲しくても……。
♢♢♢
ジークは、遠くから聞こえてくる複数の蒸気自動馬車の音を耳にすると、待機している近衛兵たちに手を挙げて合図した。
魔石ライトを明々と点した2台の魔導式蒸気自動車が、道を塞いで立ちはだかった正装の近衛隊の前でブレーキを掛けた。
「おいっ、何の真似だ? 私はベルジ辺境領の領主オルトン準男爵だぞ。早く、道を開けろ」
自動馬車の窓から顔を出したオルトンが叫ぶ。
それに呼応するかのように、前の車から5人、後ろの車から8人ほどの武器を持った男たちがぞろぞろと下りてきた。
「ゼルス・オルトン、お前には違法人身売買および外患誘致、国家反逆罪の容疑が掛けられている。速やかに投降し、国王陛下の御前にて罪状の認否を行うべし、とのガルニア侯爵様からのお達しだ。観念しろ」
「な、何を世迷言を……ええい、構わん、邪魔する奴は跳ね飛ばせ。おい、お前たち、道にいる奴らをやってしまえ」
思い違い貴族の最後の悪あがきだった。ただ、それは実力が全く伴わない、見苦しいだけのもがきに過ぎなかった。
精鋭ぞろいの近衛兵30人と、ジーク率いる6人の強者の傭兵たちが相手なのだ。まさにライオンにアリが戦いを挑むようなものだった。
この夜、素っ裸の体に豪華な毛皮のコートをまとったゼルス・オルトンは、近衛兵たちに引き立てられてガルニア侯爵の屋敷に送られ、自殺防止のために轡(くつわ)を嵌められ、手錠を掛けられて地下牢に放り込まれた。
彼が後生大事に抱えていたマジックバッグからは、おびただしい財宝とともに、犯罪の証拠となる書類が出てきた。それが、後に王国を揺るがすことになるとは、この時は誰も知るよしもなかった。
♢♢♢
一般市民の犯罪を裁くのは、領主自らの場合もあるが、多くは『判事』と呼ばれる何人かの専門の役人が行う。ただ、貴族の場合は別である。
貴族は、国王が功績に応じて与える身分だ。だから、任命責任は国王にある。つまり、貴族は直接国王によって裁かれるのだ。
ゼルス・オルトン準男爵が起こした事件は、王都を震撼させた。というのも、彼が持っていた証拠書類からは、王城に仕える文官貴族3名の名前も出てきたからである。いずれも、財務局に務める貴族で、そのうちの1人はなんと財務局の副長官であった。
国王オリアス・グランデルは、この事態に強い危機感を抱き、緊急に側近の貴族たちを招集して会議を開いた。
だが、貴族たちから出てくる言葉は、「気を引き締めるように王からの訓示を」とか、「見せしめに公開処刑を」などという事後処理の提案ばかりで、王が望む具体的な対策はいっこうに出て来なかった。それどころか、最後には「こういう事件が起こるのも、ビオラ教皇が声明を出して以来、堂々と奴隷を持つことが非難や陰口の対象になったからだ」と怒りをあらわにする貴族も出てくる始末だった。
結局、会議で決まったことは、オルトン以下4名の裁判を2週間後に王城内の『大法廷』で行うことと、今後こうした事件が起きないようにするにはどうしたらいいか、次回の会議までに考えてくること、の2つだけだった。
グランデル王、悩む
会議から2日後、憂鬱に沈むオリアス王にさらに追い打ちをかけるような報告がもたらされた。
「何? ゲール部族連合国大使だと? すぐに客間にお通ししろ」
侍従の報告に、王は立ち上がり客間へと向かった。
ゲール部族連合国、かつてのラニト帝国が生まれ変わった国である。いまだにラニト国と呼ばれることが多いが、かつての帝国とはまったく違う国になっていた。
帝国の最後の皇太子ユーニスを共通の君主として仰ぎ、8つの部族国家が1つの連合国家として、協力し合うというユニークな政治形態を持つ国だ。
例のアラン・ドラトが起こした戦争に敗れ、荒廃した国土を復興させるために、ルートが提案した前代未聞の国造りであり、最初は疑問視する声も多かった。
だが、ふたを開けてみれば、わずか1年足らずという驚くべき速度で国は復興し、今や経済面のみならず、文化面においても世界をリードする、平和で豊かな国に発展中なのである。
「お待たせして申し訳ない、ターレス大使」
「いえ、ご多忙中とは知りながら厚かましく参上しましたこと、どうかお許しを」
王と大使は挨拶を交わすと、テーブルを挟んで向かい合うように椅子に座った。ターレス大使の側にはいかにも頭脳明晰といった女性の秘書官が、王の後ろには侍従長のセルバン男爵が控え、外交担当の文官が大使と王の間の席に座った。
「今日来られたのは、今回のオルトン準男爵の件ですかな?」
王はすでに予期していたので、ズバリと切り出した。
「はい、その件で、少々お願いがあって参りました」
ターレス大使は穏やかな口ぶりで、しかし目は鋭く見極めるように王を見つめながら答えた。
「うむ、その願いとは?」
「はい、今回の事件はわが国の民が巻き込まれたものでしたので、当然ながらすぐに本国のユーニス元首に報告のための使いを出しました。しかしながら、海を渡るので、どうしても返事が来るのに時間がかかります。その返事が来るまで、罪人の処罰をお待ちいただきたいのです」
ターレス大使の言葉は、王を困惑させた。
「いや、ちょっと待ってくれ……罪を犯した貴族はすべて我が国の者たちだ。この国の法で裁くのが当然。他国から干渉されるいわれは……」
「はい、重々承知しております。我が国はグランデル王国に返しきれないほどの大恩もございます。ただの事件であれば、ユーニス元首も何もおっしゃらないでしょう。しかしながら、今回は、わが国の罪もない民が犠牲になっております。加えて、ユーニス元首は、ことのほか民を大切になさっております。貴国が対応を誤れば、元首自ら抗議の声明を出される可能性もあります。そこのところをよくよくお含み頂ければ、幸いに存じます」
ターレスは静かに、頭を下げながら、しかし厳とした口調でそう言った。
オリアス王の顔に明らかな狼狽の色が現れた。大使は暗に、対応を間違えれば、大きな外交問題になるかもしれないと脅していたのだ。
今や王国と並ぶ大国に発展し、交易の相手としても重要なゲール部族連合国との外交問題は、極力避けなければならない事案だったからだ。
「……承知した。ユーニス殿の返書が返って来るまで、裁判は延期しよう。返書が届いたなら、すぐに連絡をお願いする。その内容に応じて、裁きを考えよう」
オリアス王は、なんとか冷静さを保ってそう返事した。
「はっ、ありがたき幸せ。それでは、返書が届き次第、再びお目通りをお願いに参上いたします。本日は誠にありがとうございました。では、失礼いたします」
終始低姿勢を貫いて去って行く大使の後姿を見送りながら、王は言い知れぬ圧迫感を感じていた。
「すぐに、叔父上に来るように連絡を……」
王はセルバン男爵にそう言うと、眉間を抑えながら執務室へ帰っていった。
♢♢♢
翌日、昼前にガルニア侯爵が疲れた表情で王城に到着した。
今回の事件で、彼は自分の部下による犯罪の責任を感じ、すべての後始末を終えた後、いつでも領地と侯爵位を王に返納する覚悟を決めていた。
王城に呼ばれたのは、きっとそのことだろうと、悲壮な覚悟をしていたのである。しかし、城に着いてみると、誰もが彼に対していつも通りの対応だったので、不思議に思いながら王の執務室に入っていった。
執務室には、疲労の色が濃いオリアス王がソファの背にもたれるように座っていた。
「おお、叔父上、よく来てくれた。後始末はご苦労であったな」
「うむ……被害者と遺族には相応の弁償金を持たせ、ユーニス殿宛のそなたとわしの謝罪文を使者に託してともに船で送り届けておいた」
「そうか……だが、謝罪文だけでは済まなくなったのだ……」
「何? 何があったのだ?」
王は深いため息を吐きながら、ターレス大使の言葉を侯爵に伝えた。
「ううむ……普通に考えれば、罪人の身柄を引き渡せということか?」
話を聞いた侯爵は、顎に手を当てながらそうつぶやく。
「うむ。だが、それならば大使の裁量の範囲であろう? わざわざ元首の返事を待つまでもなく、昨日の時点でそう要求するはずだと思うが……」
「うむ、確かにそうだな。では、賠償金の要求? いや、領土を割譲しろという要求か?」
「いや、ユーニス殿はそのような欲丸出しの恥さらしな要求をするような人間ではない」
「ふむ、そうだな……では、他に何が?」
国王と侯爵は、お互いに頭をひねりながら長い間あれこれ考えたが、結局答えは見つからなかった。
「……2人で考えても埒(らち)が明かぬな。会議を開いて、他の者たちの意見を聞くか?」
「それがな……」
王は、ため息を吐きながら3日前の会議のことを侯爵に語った。
「そうか……国を支えるべき貴族たちの堕落が深刻じゃな……今こそ、彼らの目を覚まさせるような何かが必要なのだが、何をすればよいのか……」
2人はため息を吐いて、しばらく無言で宙を見つめていた。
「なあ、オリアスよ……」
不意に侯爵が何かを思いついたように、王に目を向けた。
「……今回のブロワーへの報償は、まだであったな?」
「ああ、まだだ。そうか、ごたごたしていて忘れておったが、またルートには大きな借りができたな。爵位も金は要らぬと言うだろうし、何を与えればよいか……」
「ブロワーなら、ユーニス殿の望むことを考えつくのではないか?」
侯爵の言葉に、オリアス王は目から鱗が落ちる思いで小さく叫んだ。
「おお、それだ、叔父上。うむ、きっとルートなら、大きなヒントをくれるに違いない」
王と侯爵は、暗闇の中にわずかな光明を見出して頷き合うのだった。
マルクの修行
ガルニア領での事件が一段落した後、ルートたちはタイムズ商会のリンドガルニア支店で預かってもらっていたマルク少年を連れて、王都の自宅に帰っていた。
最初は、マルクも他の奴隷になっていた人たちとともに、故郷である旧ラニト国の村へ帰す予定だった。しかし、マルクは少しためらった後、こう申し出たのだ。
「助けてもらったのに、わがまま言ってすみません。でも、村に帰っても家族はみんな死んでしまっていないし……あの村にはもう帰りたくないです。あ、あの、俺、冒険者になって生きていこうと思います。だから、その、手続きのための銀貨を貸してもらえませんか?」
ルートたちは、そう言って頭を下げる少年に、言葉もなくお互いの顔を見合わせた。やがて、涙を拭いながら、ルートがマリクに言った。
「ああ、分かった……お金の心配はしなくていい。だがな、今のままじゃ冒険者になっても、すぐに死んでしまう。1人で生きていけるだけの力をつけないと許可できない」
「えっ、で、でも、村に帰っても泊まる宿代や食べ物も買わなくちゃいけないし……」
「うん、だから、マルクが1人前の冒険者になるまで、僕の家に住まわせて鍛える。毎日鍛えるから、それが嫌なら金貨50枚持って故郷に帰るんだ」
マルクは呆気に取られて、口をポカンと開けたまま、ルートを、そして周囲で笑いをこらえながら見ている人々を見回した。
「ん、ほら、返事は? 金貨50枚持って村に帰るの? それとも、金貨はギルドに預けて、うちに来る?」
リーナが、マリクの頭をわしわしと撫でながら問いかける。
「俺、冒険者になりたいです。そして、強くなって、盗賊や悪い奴らをやっつけたい」
マルクはしっかりとルートたちを見回しながら答えた。その胸の内には、家族やシャリアのような犠牲者を少しでも救いたいという強い意志があった。
こうして、マルク・ハーラッドは王都のルートの家に引き取られ、冒険者として独り立ちするまで修行の日々を送ることになった。
♢♢♢
新しい年が始まってから5日が過ぎた。
「ほら、立って。早くダンジョンに行きたいんでしょう?」
その日も朝早くから、寒い風が吹く中でマルクはリーナの厳しい指導を受けながら鍛錬に励んでいた。リーナとジークが基礎体力と格闘術を担当し、ルートが魔法の訓練を担当して鍛えていた。
だが、ルートは決してマルクに無理はさせなかった。訓練は午前中で終わり、午後からは彼にいろいろな知識を学ばせるように心がけていた。
「ありがとうございましたっ!」
昼少し前、その日の鍛錬が終わり、マルクは大きく肩で息をしながらリーナに礼を言うと、おぼつかない足取りで汗を流すために風呂場へ向かって去って行った。
「ご苦労さん。マルク、ずいぶん上達したね」
リーナにタオルを手渡しながら、ルートが感心したように言った。
「うん、素質がある。なにより強くなりたいって気持ちがあるのがいい。10歳としては申し分なし」
「そうだね。魔法も覚えるのが早いよ。ステータスは普通だけど、あの気持ちがあれば、きっと上級冒険者になるのも夢じゃない」
ルートの言葉にリーナも頷いてから、ちょっと恥ずかしそうにしながらルートの耳元に顔を近づけた。
「わたしたちの子供も鍛えて強くしたいね」
ルートは思わず赤くなりながらも、頷いて親指をぐいと立てた。
「ああ、もちろん。ただし、どんな道に進むかは自由に考えて選ばせよう」
「ん、そうだね。楽しみ……ふふ……」
その仲睦まじい様子を、2階からジークとミーシャがにこにこしながら見ていることに2人は気づいていなかった。
「先生、これいつまでやるんですか?」
午後、ルートの部屋で魔法の訓練をしていたマルクが、つい弱音を吐いた。
「なんだ、もう飽きたのか? そうだな、それを1分で1回できるようになったら終わっていいぞ」
「ええっ!? そんなぁ~……」
マルクは情けない声を出しながらも、仕方なく集中して作業に取り組み始める。
今、彼が取り組んでいるのは、ガラス瓶の中のある10個のビー玉を魔力を使って1個づつ外に出すというものだった。終わったら、またビー玉を中に戻し、この作業を繰り返すのである。ルートが、学園の生徒にもやらせている『無属性魔法の上達法』の1つだ。
冬休み中の学園の仕事をしながら、ルートはマルクの懸命な様子を微笑ましく眺めていた。眺めながら、マルクのステータスを解析する。
《名前》 マルク・ハーラッド
《種族》 人族
《性別》 ♂
《年齢》 10
《職業》 無
《状態》 健康
《ステータス》
レベル : 8
生命力 : 55
力 : 41
魔力 : 63
物理防御力: 28
魔法防御力: 26
知力 : 105
敏捷性 : 38
器用さ : 38
《スキル》 剣術 Rnk1 体術 Rnk2 無属性魔法 Rnk2
(うん、レベルも順調に上がっているな。よしよし……なんか、後ろの方によけいな称号なんかが書いてあるけど……)
ルートは、※に書いてあるマルクの身の上や、彼の現在の心境、そして称号などをさっと見ながらため息を吐いた。そこには、こんな一文が記されていた。
『※《称号》ルート・ブロワーの崇拝者:神の加護を受ける権利を有する者』
ルート、ついに切れる 1
冬休みも終わりに近づき、あと三日でまた学園での日々が始まる。
ルートはマルクの修行に付き合いながら、のんびりとソファにもたれて魔法学の最新研究論文がまとめられた本を読んでいた。
「ルート、王城から使者が手紙を持ってきたわ」
ドアがノックされ、リーナの声が聞こえてきた。
「王城から?………何だろう」
ルートは嫌な予感を覚えながら、ドアを開けてリーナを中に入れた。
「ありがとう。ふむ、薄いな」
ルートはリーナから手紙を受け取ると、封印を切って中の書状を取り出した。
「ああ、召喚状だね……この前の事件の報償をくれるみたいだ。何もいらないんだけどね」
ルートは中身を一読して、苦笑しながらリーナに手紙を渡す。
「ん……でも、形だけでももらいに行かないと……あれ? 1人で来いって書いてある。私やジークは行かなくていいのかな?」
「えっ、そうなの? 最後の方は飛ばして読んじゃったから気づかなかった……ああ、本当だ。どういうことだ?」
ルートは、リーナが指で指し示す部分を改めて読み直しながら首を傾げた。
♢♢♢
翌日、指定の時間にルートは王城へ到着した。侍従長のセルバン男爵に伴われて向かったのは、儀式が行われる謁見の間ではなく、王の執務室だった。
「失礼します。ブロワー様がおいでになりました」
「うむ、入れ」
セルバン男爵はドアを開いてルートを中に入れると、ドアを閉めて去って行った。
ソファに座って待っていたのは、王とガルニア侯爵だった。
「わざわざ来てもらってすまぬな。こっちへ座ってくれ」
オリアス王は、自分と向かい合った侯爵の間にある1人用のソファへいざなった。
ルートは緊張した雰囲気を感じながら、2人に挨拶して指定された席に座る。
「ブロワー、今日来てもらったのは、先日の事件の礼をしたかったのと、折り入ってお前に相談したいことがあったからだ。まずは、改めて礼を言う。我が領内の害虫を駆除してくれてありがとう」
侯爵はそう言うと、立ち上がってルートに頭を下げた。
ルートは慌てて立ち上がり、侯爵に頭を上げるように頼んだ。
「犠牲者がかなりいたのは残念でした。もっと早く分かっていれば……いえ、侯爵様を責めているのではありません。貴族が相手では、なかなか踏み込んだ調査は出来ませんから……ただ、いつも犠牲になるのは、弱い立場の女性や子供たちで……それがどうにもやりきれない気持ちです」
ルートの言葉に、侯爵も王もうつむいて返す言葉もない様子だった。
「うむ……まったくその通りだ。わしもこういう愚かな事件を起こさないよう、どうにかしたいのだがな。今日もこの後そのことで、側近の貴族を集めて会議を開く予定なのだ」
王は沈痛な表情でそう言った。
「そうですか。それで、僕がここに呼ばれた理由は……」
ルートは、王の言葉に残念ながら何も期待する気にはなれなかった。
「うむ、そのことだがな。褒賞のことの前に、そなたの意見を聞かせてもらいたい事案があるのだ。叔父上、説明を」
王の言葉にガルニア侯爵は頷いて、ルートの方に体を向けた。
「実は、先日の事件の後、ゲール部族連合国のターレス大使が王に面会を求めてきてな……」
侯爵は先日のターレス大使が語った内容をルートに打ち明けた。外交上の重要な会談内容であり、ルートは自分が聞いていいのか心配になった。
「……というわけじゃ。2、3日内中にはユーニス元首からの返書が届くだろう。大使が王城へ来てそれを報告し、こちらの回答を持ってユーニス殿のもとへ届けるはずじゃ。こちらが下手な回答をすれば、ゲール部族連合国との関係が一気に悪化しかねない。そこで、ユーニス殿が何を求めているか、お前の意見を聞かせてもらいたいのじゃ」
「なるほど、事情は分かりました。お2人の考えを聞かせていただいてよろしいですか?」
ルートは話を聞き、ユーニスの人柄を思い浮かべながら、すでに1つの考えを導き出していたが、王と侯爵の意見を尋ねた。
「うむ、それが、2人の考えはいずれもユーニス殿の望みとは合わぬだろうという結論になってのう。犯人の身柄を引き渡せというのが、可能性として一番高いと思うのじゃが……」
王の言葉に、ルートはゆっくりと首を振った。
「いいえ、それならターレス大使がすぐに要求するはずです」
「うむ、そうなのじゃ……だが、他にどんな要求があるというのか……」
「恐らく……僕の個人的な考えですが、ユーニス殿下の要求は『誠意を示せ』ということではないでしょうか?」
「「『誠意を示せ』!?」」
王と侯爵は同時に叫んで、頭を抱えた。
「ううむ……いったい、何を示せばよいのだ? ルート、もっと具体的な内容を教えてくれ」
「……いや、僕にもユーニス殿下のお考えを正確に把握することは不可能です。ただ、彼は帝国時代の民衆の苦しみを身に染みて理解しておられます。そして、現在の自分の国が、世界に誇るべき国だという自負も持っておられるはずです。そこから導き出されるのは、このグランデル王国が『どれくらい民衆を大切にしているか』の答え、であろうと……」
ルートの言葉に、王と侯爵はお互いの顔を見合わせ、沈痛な表情で頷き合った。ルートの答えに納得したのであった。しかし、それは同時にとてつもなく困難な問題が浮かび上がった瞬間でもあった。
「……なるほど、分かった。では、今から側近の会議でこの件についても話し合うとしよう。ルート、すまぬがそなたも会議に出席してくれぬか? そして、会議の結論が、ユーニス殿の望みにかなうものかどうか、判断してほしい」
「分かりました」
ルートが頷くと、王は手を叩いてセルバン男爵を呼んだ。男爵がドアを開いて王のもとへやって来る。
「もう集まっておるか?」
「はい、皆様お揃いでございます」
男爵の言葉に、王と侯爵、ルートは立ち上がって大会議室へ向かった。
ルート、ついに切れる 2
実は、まだこの時まではルートの心の中に、わずかながらこの世界の貴族たちへの期待が残っていた。国王やガルニア侯爵、ポルージャ子爵など、現在ルートが懇意にしている貴族たちには、人間としての誠実さや正義感もあり、信用できる人たちだったからだ。
「国王陛下とガルニア侯爵様がおいでになりました」
会議室に先触れとして入った文官がそう言ってドアを開いた。出席していた貴族たちが立ち上がって右手を胸に当て、頭を下げる。
「皆の者、本日はご苦労であった。座ってくれ」
オリアス王がそう言って上座に腰を下ろすと、貴族たちも一斉に椅子に座った。
「さて、本日の会議は、先日の会議で結論が出なかった事案について引き続き意見を交わしたい。がその前に、緊急の案件があるので、それについて皆の意見が聞きたい」
いつもであれば、ガルニア侯爵が議長役を務めるのだが、今回は自分の領内での不祥事が原因であるため、大人しく控えていた。そのため王が自ら議事を取り進めていった。
「その緊急の案件だが、先日ゲール部族連合国のターレス大使から、今回の事件に関わった者たちの裁判を延期し、ユーニス元首からの親書が届いてから、内容を見て処分を考えて欲しい、という依頼があった。つまり、こちらがユーニス元首の意向に沿わない裁判をすれば、ゲール部族連合国との関係が悪くなるということだ。だが、あくまでも我が国の法に従って裁かれねばならぬ……」
王はいったん言葉を切って、怪訝な表情の貴族たちを見回しながら続けた。
「……そこで、ユーニス元首がどのような意向を伝えてくるか、彼について詳しい者に聞いてみた。すると、その者が言うには、ユーニス元首が求めているのは『我が国の誠意』であろうということだ。どのような返答をすれば、その『誠意』を示せるか、皆の意見を聞かせて欲しい」
王の問い掛けに、貴族たちは一斉にざわざわと隣同士で話し始めた。最初に意見を述べたのは、レブロン・ダルビス子爵だった。ユリアの父親だ。
「申し上げます。すでにわが国は、ガルニア侯爵様のご尽力により、被害者やその家族に十分な金銭を与えて送り届ける、という誠意を見せているのではありませんか?」
彼の言葉にほとんどの貴族たちが頷いて、肯定の意を表した。
「私も、ダルビス殿の意見に賛成です。この上さらに相手の要求を飲むということは、周辺諸国に対して我が国の立場を弱めることになります」
オーリエ男爵が意見を述べると、さらに貴族たちが賛同して頷く。
ルートは、会議室に隣接する護衛の待機部屋に入って、会議の成り行きを見守っていた。すでに会議は、これ以上ゲール部族連合国に誠意を見せる必要はない、ということで大勢が決しようとしていた。
「待て待て……わしが聞いておるのは、『どのような誠意』を見せればよいか、ということだ。今のままではユーニス元首は納得しないということで、ターレス大使が来たのだ。なんらかの返答をしないわけにはゆかぬのだ」
王が慌てて歩行を修正するが、貴族たちの顔には納得がいかないという表情がありありと浮かんでいた。
「恐れながら、申し上げます……」
そんな中で、おもむろに口を開いたのは、南方の守りの要であるリンドバル辺境伯だった。
「……ゲール部族連合国は、前身であるラニト帝国の折、アラン・ドラトによって我が国に大きな被害をもたらしました。かの者の野望を打ち砕き、かの国を救ったのはわが国であります。本来であれば、かの国はわが国の属国になっていても当然。それを、陛下のご慈悲で独立を認められたのです。言わば、かの国にとって我が国は大恩ある国。たかが平民の10人程度の命のために、わが国に脅しをかけるなど笑止千万。何か言ってきたときは、兵をもって答えればよろしいかと考えます」
彼の言葉に、ほとんどの貴族が賛意を示し拍手が起こった。
王とガルニア侯爵は、顔を見合わせて困惑の表情を浮かべた。背後で聞いているルートの怒りの表情が想像できたからである。
「全くもって辺境伯殿の言われる通り。陛下、ついこの前出来たばかりの平民の国に、歴史ある大国であるわが国が頭を下げる必要などありませぬぞ」
「ま、待て、ゲール部族連合国は、今や……」
オリアス王が慌てて貴族たちをたしなめようと口を開きかけた時、王の背後の隠し戸が開き、ルートが出てきた。
貴族たちは、突然現れたルートを見て驚き、王の方へ一斉に目を向けた。
「あ、いや、後ほど紹介するつもりであったが、わしが個人的に今回の会議の顧問として招いたルート・ブロワーだ。ルート、どうかしたのか?」
王の問いに、ルートはじっと貴族たちを見回した後、頭を下げて答えた。
「後ほどいかようにも罰をお与えください。ただ、このまま聞いているのが堪えられなくなりました……」
ルートはそう言って顔を上げたが、その表情を目にし、ルートの全身から発せられる怒気に、王は背中に冷水を浴びせられたような感じがした。
「ル、ルート……」
「……リンドバル辺境伯様、『たかが、平民10人程度の命』とは、本気でおっしゃったのでしょうか?」
ルートの問いに、リンドバル辺境伯は心の中で動揺していたが、ここで引くわけにはいかなかった。
「む……そ、それは、この国の威厳を損ない、他国に侮られることはこの国の将来を危うくすることにつながることだからだ。どちらが価値があるかは言うまでもなかろう」
「他の方たちも同じお考えですか?」
「あ、ああ、当然のことだ。君は平民の出だから平民の立場でしかものを考えられないのだ。我々は、もっと大きな視野に立って……」
「そんな国は滅びればいい……」
1人の貴族の言葉を遮ってつぶやかれたルートの冷ややかな声に、その場が一瞬凍りついた。
「な、なんだと?……」
リンドバル辺境伯以下の貴族たちは、殺気を放ちながらルートをにらみつけた。
「ルート、落ち着けっ!」
「ブロワー、それ以上は言っては……」
王と侯爵が青くなってルートを止めようとしたが、ルートはもはや誰にも止められなかった。
「……ゲール部族連合国が、ハウネスト聖教国が、なぜあのように素早く見事に復興したのか、分かりますか? それはどちらの国も指導者が民衆を何より大切にしているからです。
目覚めた民衆は強い。その目覚めた民衆を上手に導く指導者がいれば、国はどこまでも発展していきます。逆に、民衆が愚かで指導者も愚かな国は、やがてラニト帝国の二の舞となり滅んでいく……だから、一度滅べばいいんです……民衆も指導者も愚かなこの国は……」
「き、貴様っ、国王陛下の御前でなんという暴言をっ!」
「ふ、不敬罪の現行犯だぞ、衛兵っ、この者を捕えよ!」
会議場は騒然となり、貴族たちは怒り狂ってルートに詰め寄っていった。
ルート、ついに切れる 3
「この国を本当に愛しているのならっ!!……」
ルートは詰め寄って来る貴族たちに向かって、初めて見せるような怒りの表情で叫んだ。
「……身分制を失くすこと、貴族制度を廃止すること。それがこの国を救うことであり、ユーニス殿下が求める『本当の誠意』です」
ルートの迫力に圧倒されていた貴族たちだったが、その言葉に先ほど以上に怒り狂い、口々にルートを捕え、処刑しろと叫び始めた。
「静まれええぇっ! 陛下のご命令であるぞ、皆の者、静まれええっ!」
ガルニア侯爵の大音声に、ようやく貴族たちは口を閉ざしたが、まだ怒りが収まらずルートを囲んで睨みつけていた。
「ルート・ブロワー、反逆罪の容疑で拘束する。陛下のご命令があるまで、地下牢に入っているがよい」
侯爵はそう言うと、衛兵を呼んでルートをロープで縛り、会議場の外へ連行させた。ルートは諦めたような表情で、ちらりと国王に目を向け頭を下げると、抵抗せずにそのまま衛兵たちに両側から挟まれて部屋から出て行った。
♢♢♢
「侯爵殿、あのような者はこの場で即刻首をはねるべきではありませぬか?」
ブラントン子爵の言葉に、また数人の貴族たちが同意して騒ぎ出す。
「……命拾いをしたのはこちらのほうじゃ……」
「えっ? 今、何と?」
「……いや、何でもない。いいから、席に戻れ」
侯爵の指示に、貴族たちはようやく自分の席に戻っていった。
その時、騒ぎから離れて席に座っていたのは、オリアス王とボース辺境伯の2人だけだった。彼らは、どちらも深刻な表情で頭を抱えるようにして机上を見つめていた。
(まずい……これはまずいぞ。メサリウス様からは、決してルート・ブロワーを怒らせてはならぬ、と言われていたのに……)
ボース辺境伯は、大賢者の信頼を失うことへの恐怖に、一方国王オリアスは、信頼し畏怖していたルートが放った言葉に胸を抉られ、どちらも打ちのめされていたのである。
「……陛下、お言葉を」
何とか騒ぎを収めたガルニア侯爵が、王に声を掛けた。
「う、うむ……ルート・ブロワーの処分については、わしに一任してほしい、よいな?……では、本日の会議はこれにて閉会とする。皆、ご苦労であった」
王の言葉に、大半の貴族たちは不服そうな表情だったが、仕方なく席を立って王に礼をしながら去っていった。
「はあ……わしはどうすればいいのだ?」
「オリアス、場所を変えよう。少し落ち着く必要がある」
叔父の言葉に、王は力なく立ち上がって歩き出す。
執務室に入った2人はしばらく言葉もなく、メイドが持ってきた紅茶を何度か口に運んでいた。
「もし……ブロワーが本気でこの国を滅ぼそうと思ったら……1日も持たずに、この国は滅びてしまう。それは、何としても避けねばならぬ」
侯爵が絞り出すような声で言った。
「うむ……それだけはだめだ……しかし、彼の本当の恐ろしさを公にしてしまえば、逆に彼を追い詰めてしまうことになる。何とか秘密裏にことを収めねばな」
王と侯爵は無言で頷き合った。
「しかし、どうやって収めたものか……貴族たちとルートを両方納得させる方法など、わしは思いつかぬ……はあぁ……」
王はそう言って何度目かのため息を吐いた。
「リーフベルに説得を頼む方法もあるかと思うが、今や彼女もルートの信者の1人、こちらに有利な説得はしてくれまい……となると、大賢者メサリウスに助言をお願いする、という手はあるかもしれぬ……」
「おお、叔父上、それは良いかもしれぬな。うむ、大賢者様なら、良い知恵を授けて下さるに違いない」
窮地に追い詰められたこの国の最高指導者2人は、藁にも縋る思いで1つの案に飛びついた。そして、さっそくボース辺境伯を王城に呼び戻し、メサリウスに王城への召喚を伝えさせたのであった。
しかし、そうするまでもなく、メサリウスは翌日王城に1人で現れたのだった。
彼女は、大魔法《リソース》によって、条件で選別したあらゆる情報が含まれた魔素を『天空の塔』に集めていた。その中で、今彼女が常時監視しているのがルートについての情報だった。
だから、今回の会議でのことも彼女はすでに知っていたのである。
♢♢♢
「ボースにはあれほど釘を刺しておいたのだが、自分の失態を他の貴族に知られるのが嫌だったのであろうな」
「それは、いったいどのような……?」
王と侯爵を前に、メサリウスは小さなため息を吐いて険しい表情をしていた。
「ルート・ブロワーを怒らせてはならぬ、ということを、指導者たちに周知徹底させるということだ」
王と侯爵は、改めて大賢者に指摘されてうなだれた。
「彼がなぜ大人しく捕まり、2日も牢に入っているのか、分かるか?」
「そ、それは、王に対しての忠誠心があるからでは?」
ガルニア候の答えに、メサリウスは小さく頷いた。
「ふむ、まあ、それも少しはあるかもしれぬ。だが、恐らくこう考えているはずだ……」
メサリウスはそう言うと立ち上がって、ゆっくりと窓の方へ歩いていきながら続けた。
「……『自分が言ったことを、王なら少しは考えてくれるに違いない。今すぐには無理だが、少しずつ改革を進めてくれるだろう。なぜなら、自分が捕まったことで、この国に大きな影響が出てくるはずだから。それを無視することはできないだろう。もし、それでも変わらなかったら……』」
メサリウスは、そこでいったん言葉を切って、一心に見つめている王と侯爵に目を向けた。
2人は思わずごくりと唾を飲み込んだ。
彼らはすでにメサリウスが言った〝ルートが捕まったことで出てくる影響〟を、各方面からの連絡で聞いていたからだ。
まず、王立子女養成所のリーフベル所長が動き出していた。彼女はジークやリーナからの連絡を受けると、今朝王城に直接出向いて来た。衛兵が『今日は王は急用があって面会できない』という理由で何とか追い返していたのだ。
さらに、《タイムズ商会》は今朝から全店が臨時休業となり。王都に各地からぞくぞくと支店長たちが集まってきているらしい。
今後、彼が王城に拘留される期間が長くなるほど、予想もできない事態が起こる可能性が大きかった。
「も、もし、それでも変わらない、とルートが考えたら、どうなると……?」
オリアス王は極度に緊張しながら、メサリウスに問い掛けた。
「『滅ぼしてしまおう』……いや、彼にはこの国に大勢の大切な者たちがいるからな。恐らく、『皆を引き連れて、外国に移住しよう』となる可能性が一番高いであろうな」
メサリウスの答えに、王も侯爵も戸惑いの表情を浮かべて顔を見合わせた。ルートがこの国を去って外国に移住するとどうなるか、想像することが難しかったからだ。
139 メサリウスの提言
「まあ、とにかく、ルートと話し合うしかないだろう。その中からお互いの妥協点を見つけるのだ」
メサリウスの提言に、王と侯爵は険しい表情のままため息を吐いた。
「妥協点など、見つかるのでしょうか? ルートは、この国の根本である貴族制度を失くせと言っております。しかし、それはあまりにも無茶な要求です」
「まあ、そうであろうな。一度権力と富を手にした者は、死んでもそれを手放そうとはしないだろう。であれば、致し方あるまい、ルートとこの国が戦争するしかないな。
ああ、あらかじめ言っておくが、そうなっても、私はいっさい手出しはせぬぞ。まあ、彼がこの星全体を滅ぼすと言い出したら全力で止めるつもりだがな。この国とルート・ブロワーを天秤にかければ、神はルート・ブロワーを生かす方を選ぶはずだ」
メサリウスの身も蓋もない言葉に、王と侯爵は口を開いたまま言葉を失った。
「だって、そうであろう? 私とルート・ブロワーが全力で戦ったら、結局この国はおろか、大半の国は被害を受けてしまうぞ? 大地震、大津波、隕石落下、おまけにルートの僕であるダンジョン・ガーディアンが出てきてみろ、まあ、すべての国が亡びるであろうな。
神が、そんなことを望むはずはなかろう?」
「ダ、ダンジョン・ガーディアン……?」
「おや、知らぬのか? ああ、これは失言だったかな。まあ、もう言ってしまったから仕方がない。ルートはここから南の方向にあるダンジョンのダンジョン・マスターになっておる。そこには最下層のコアを守るために、ガーディアンが召喚されておるのだが、これがまた、とんでもない奴でな。他の星なら《魔王》として君臨するほどの怪物だ。その怪物がルートを守るために地上に出てきたら、災害どころではすまぬわ」
もう、王も侯爵も頭を抱えるしかなかった。だが、そうしているうちにも状況は悪化するばかりだ。
「大賢者様、これからルートと話し合いをいたします。どうか、その場に立ち会っていただき、良きご助言をお願いします」
「うむ、仕方がない……できるだけルート・ブロワーのご機嫌取りでもしてやろう」
メサリウスの言葉に安堵して、王が衛兵を呼ぼうとしたときだった。
ドゴ~~ンッ!!
城全体が地響きで揺れるほどの爆発音が響き、次いで大出力スピーカーから聞こえてくるような金切り声が聞こえてきた。
『おいっ、オリアスよ、聞こえておるか? わしに居留守を使うとは、ずいぶん出世したものじゃな……』
それは、王立子女学園の所長にしてハイエルフの大魔導士、ルルーシュ・リーフベルの声だった。
『……出て来ぬつもりなら、今から城を吹き飛ばして見つけ出してやるから覚悟しろっ!』
「うわああっ、ま、待て待てっ! おい、衛兵っ、早く行ってリーフベル所長をここへ連れてまいれっ」
王は慌てふためいて、衛兵に叫んだ。
「ほほう、あのハイエルフもルート・ブロワーのことになると、理性を失うようだな」
メサリウスは興味深げに微笑みながらつぶやいた。
やがて、そこへ衛兵に案内されてリーフベルがやって来た。
「リーフベル所長がおいでになりました」
衛兵が声を掛けてドアを開くと、憤怒の形相のリーフベルがつかつかと肩を怒らせて入って来たが、そこに王と侯爵とともに大賢者メサリウスがいるのを見て、はたと立ち止まり、何やら小さく頷き始めた。
「はあ、なるほど、そういうことか……」
「ん? 何やらとんでもない誤解を受けているようだが、私はこの件には無関係だぞ。私も王に呼び出された立場なのでな」
メサリウスの言葉にリーフベルは疑わし気に頷くと、王と侯爵に目を向けた。
「ほお、そうか? まあよい……おいっ、オリアス、ラウド、これはいったいどういうことだ?」
「ま、待て、リーフベル殿、事情を説明する」
「うむ、聞かせてもらおう。だが、その前にルートをここへ連れてまいれ。そなたたちの言葉だけでは信用できぬ」
「あ、ああ、今からルートと話をするところだったのだ。すぐに連れて来させるゆえ……」
王はそう言うと、ドアの外にいる衛兵にルートを連れてくるように命じた。そして、帰って来ると1つ大きなため息を吐きながらソファに腰を下ろし、リーフベルに、ガルニア領でのオルトン準男爵が起こした事件とそれに関連した王都の貴族による奴隷死体遺棄事件、そして、その解決にルートたちが活躍したこと、ゲール部族連合国からの要請があったことなどをかいつまんで話した。
「……そのことで、昨日側近の貴族たちを呼んで会議を開いたのだ。ルートには、控室で会議の内容を聞いてもらい、ユーニス殿がどのような『誠意』を望んでいるか、会議の最後に話をしてもらう予定だった。ところが、会議の中で、リンドバル辺境伯が『たかが平民10人の命より王国の面子が大事』といった意味のことを語った時、控室から飛び出してきたのだ……思わず背筋が凍るような殺気をまとってな……」
「はあぁ……バカ者どもが……」
リーフベルは険しい表情でため息を吐いた。
「ルート・ブロワーを連れてまいりました」
衛兵の声で、一同に緊張が走る。
ルートは、魔法を封じる魔法陣が付与された手錠をはめられて両側から衛兵にはさまれながら部屋に入って来た。
「ご苦労、2人とも下がってよいぞ」
「い、いや、しかし、陛下……」
「わしが下がれと言っておるのだ」
2人の衛兵は、慌てて頭を下げて部屋から出て行った。
「ルート……ケガはないか?」
リーフベルはすぐにルートのもとへ駆け寄り、心配そうに尋ねた。
「はい、大丈夫です。ご心配をおかけしてすみません」
「うむ……事情は聞いた。まずはオリアスと話をするがよい。おい、オリアス、手錠は必要なのか?」
「リーフベル殿、ブロワーは一応罪人ですぞ。これ以上の口出しはご遠慮願いたい」
ガルニア侯爵の言葉に、リーフベルは顔を赤くして鬼のような形相になった。
「ラウド、よくもわしに向かってそのような口を……」
「先生、落ち着いて。僕なら大丈夫です。外そうと思ったら、すぐに外せますから」
ルートは、いつも通りの微笑みを浮かべてそう言うと、王たちに目を向けた。
「陛下、侯爵様、ご迷惑をおかけしました」
ルートに素直に頭を下げられて謝罪された王と侯爵は、なんとも言えない表情でちらりとお互いの顔を見合った。
ルートの決断
話し合いは、小さなテーブルを挟んでルートと王、侯爵が向かい合い、リーフベルとメサリウスが両脇の1人用ソファにやはり向かい合うように座って始まった。
「ルート、お前が言ったことは恐らく正しいであろう。ユーニス殿が望むものもそういうことかもしれぬ。だが、それを実際に行うならば、この国の貴族は反乱を起こし、民衆は路頭に迷い、未曽有の混乱に見舞われるであろう。わしは一国の王として、そういう事態を引き起こすことはできぬ……」
オリアス王の言葉の途中でルートは深く頷き、こう言った。
「はい、それは分かっています。昨日はつい感情的になってしまいました。申し訳ありません」
「おお、では分かってくれたのじゃな?」
「はい。ですが、僕の考えは変わりません……」
「ブロワー、お前は自分の立場を分かっておるのか? その考えを変えなければ、処刑されるかもしれんのだぞっ!」
いきり立つ侯爵を、王は手で制し、ルートを慈父のように見つめながら言った。
「頼む、ルートよ。わしはお前を失いたくない。叔父上も同じ気持ちなのだ。心は変えられなくとも、言葉だけを変えることはできよう。どうか、貴族たちの前で昨日の発言は間違いだったと誓ってくれぬか」
王の切実な願いを聞いて、ルートはしばらくじっと俯きながら考えていたが、やがて顔を上げると、王や侯爵、リーフベル、メサリウスを順番に見回しながら口を開いた。
「お答えする前に、僕の話を聞いてください……」
王たちはそれにしっかりと頷いた。
「……実は、僕は生まれる前の前世の記憶を持っています……」
ルートの爆弾発言に、王と侯爵は理解が追いつかないで呆然とし、リーフベルとメサリウスは慌ててルートを止めようとした。
「ル、ルート、それは……」
「今、それを言うのか?」
ルートはリーフベルとメサリウスに微笑みながら小さく頷いた。
「いいんです、もう、隠していてはどうしようもない所まで来たようですから……」
ルートはそう言うと、王たちに目を戻して言葉を続けた。
「……驚かれたと思いますが、本当のことです。僕は、異世界からの転生者なのです。そして、この世界と同じような歴史をたどった世界で生きていました……」
ルートはそれから地球の中世から現代までの大まかな歴史を語った。最初は驚いて戸惑っていた王と侯爵も、ルートがこれまで見せてきた数々の発明や不可思議な能力の謎が解き明かされて、納得しながら話に聞き入っていた。
♢♢♢
「ほほう、なるほど……つまり、そなたは王や貴族による支配が崩れ、民衆の代表による議会制というものに移行するのが、人の歴史の必然であるというのだな?」
メサリウスの問いに、ルートは頷いて続けた。
「はい。ただし、権力や富を求める人間は必ず出てきます。それを防ぐために、『法の整備と裁判制度』の確立、そして正しくそれを実行するための『警察制度』がどうしても必要になります……」
「ま、待ってくれ……われわれの頭ではなかなか理解が追いつかぬ。もう少し、その制度というものを1つ1つ分かりやすく説明してくれ」
王と侯爵の要望に、ルートは頷いて、法律の種類と司法制度の独立の必要性、権力による横暴を防ぐための検察、警察制度の必要性と仕組みを分かりやすく説明した。
いつしか、窓の外は夕焼けに染まる時間になっていた。
「ううむ……なるほど、お前の言いたいことは分かった。確かにそのような世界があり、驚くほどの発展を遂げていることも認めよう。だがな、それを一気に実現することは現状不可能であることも事実だ」
「お前のいた世界でも、長い時間がかかったのではないか?」
「はい、何百年もかかりました。僕は、自分が生きている間に実現したいと焦っていたのだと思います。でも、僕がそう思うほど、今のこの国の貴族社会は腐敗が進んでいる、ということは陛下にもどうかご理解いただきたいと思います」
ルートの言葉に、王は深く頷いた。
「うむ。分かった。今後、お前が示してくれた世界が実現するように、制度の見直しと新たな設置を進めていくことを約束する」
ルートは何か吹き切れて晴れ晴れとした笑顔を浮かべた。
「では、先ほどの陛下の問いにお答えします」
ルートの言葉に、一同は再び緊張した表情を浮かべた。その答え次第で、王は重大な決断をしなければならないからである。
ルートは相変わらずにこやかな顔で言った。
「僕は、自分の心に噓をつくことはできません。ですから、昨日の発言が間違いだったと認めることはできません……」
「うむ、当然じゃ」
「ま、待て、それでは……」
「ぬうう、この頑固者めがっ! ブロワー、陛下のお気持ちを……」
「いやはや……肝が据わっているというか、達観しているというか……」
周囲の人々は、4者4様の反応である。
「でも、僕が処罰を受けなければ、貴族たちが納得しないですよね。ただ、僕もまだ死にたくはないので、〝国外追放〟で許してもらえませんか?」
「はっ? な、何を言っておるのだ、ルート……」
「……ううむ」
「はあぁ……気軽に言いおって……」
「まあ、妥当な線であろうな」
今度も4者4様だったが、慌てたのはリーフベルだった。
揺れる王国 1
「な、何を言っておるのだ、ルート……」
リーフベルは、初めて見せるような動揺し青ざめた表情でルートに詰め寄った。
「先生、これが最善の選択だと判断しました」
「ば、馬鹿なことを……お前がいなくなったら学園はどうなるのじゃ? 生徒たちのことは考えぬのか?」
リーフベルの言葉はルートの一番弱い心の部分を抉った。ルートは苦悶の表情を浮かべ、何も言えずうつむく。
「国外に出ることは認められんぞ、ブロワー」
リーフベルに続いて、ガルニア侯爵がルートの提案を否定した。ただし、彼の場合はあくまでも国の利益を考えてのことだった。
「お前が外からこの国を滅ぼそうと思えば、簡単に実行できるだろう。そうしないという保証は何もないからな」
(ほお、この男、さすがに王の補佐をするだけあって、なかなか頭が切れるな……)
メサリウスは侯爵の言葉に、わずかに微笑みを浮かべながら心の中で感心した。ルートの心の隅にある黒い計略を彼女は感じ取っていたのだ。
しかし、当のルートは困ったような表情で、周囲の人々を見回しながら言った。
「う~ん、困りましたね。侯爵様、この国は僕が生まれ育った故郷です。その愛する祖国を自分の手で滅ぼすなんてあり得ません。この言葉だけでは信じてもらえませんか? それに僕はこの大陸を離れて、西の大陸、ゲール部族連合国へ行こうと思います。あの国は他国への侵略行為は永久に放棄すると宣言しています。この国に害を及ぼすことはありません」
「いや、しかしだな……」
侯爵はなおもルートの言葉を否定しようとしたが、オリアス王がそれを手で制した。
「いや、叔父上、確かにルートの案が最善だと考える。叔父上の懸念も理解できるが、さすがにルートをそこまで疑うのはどうかと思う」
「オリアス、よいのか? ドラゴンを空に放つようなものだぞ?」
「……これが夢であればどんなに良いか……だが、今回の事件は確かに貴族社会の腐敗が原因、ひいてはわしの責任でもある。ルートが、この国を見限るのも致し方ないことかもしれぬ……」
王が苦悶の表情でそこまで語った時、リーフベルがイライラした口調で遮った。
「何をグダグダと情けないことを言っておるのじゃ。ルートは何にも勝るこの国の宝、それをみすみす手放すというのか?」
「い、いや、そうは言っても、他に方法は……」
「ええい、お主が貴族どもに、一言言えば済むことではないか。『ルート・ブロワーには一切のお咎めなし』とな」
「リーフベル殿、そういうわけにはいかぬよ……」
ガルニア侯爵が静かに口を開いた。
「王の強権は、あくまでも貴族諸侯の合意があっての上でのこと。貴族が反旗を翻せば、王は一貴族としてそれと戦わねばならぬ。味方になる貴族がいなければ、王の座を奪われ、それで終わりなのだ」
リーフベルもそれは十分承知していた。彼女は大きなため息を吐いて低くつぶやいた。
「……やはりルートの言ったことは正しかったのう。この国の制度は変わるべきじゃ……よし、ならばわしも心を決めよう」
「リーフベル殿?」
「いや、何でもない……分かった、ルートよ、自由にこの国から飛び立つがよい」
「先生、ありがとうございます」
ルートはこの時はまだ、リーフベルの計画に気づいていなかったので、迷惑をかける恩師に謝罪と感謝の気持ちを込めて深く頭を下げた。
「うむ。それで、オリアスよ、退去の期限は?」
リーフベルの問いに、王はじっと考えていたがやがて周囲を見回しながら言った。
「5日後にルートの罪状と処罰について公表し、その3日後までに国外へ退去、ということでどうかな?」
リーフベルは頷いて、ルートの目を向けた。
「1週間余りか……どうじゃ、ルート?」
「はい、それで構いません」
「うむ。それで、ルートは連れ帰っても良いのじゃな?」
「い、いや、それは……」
ガルニア侯爵が難色を示したが、リーフベルは彼を睨みながら言った。
「何じゃ、文句があるのか? 元はといえば、ラウド、おぬしの失態がこの事態を招いたのじゃ。ルートが罪を負うなら、まずはおぬしが先に罪を問われるべきではないのか?」
リーフベルの言葉に、侯爵はぐうの音も言えずうなだれた。
♢♢♢
ルートはリーフベルに伴われて、王族しか使わない抜け道を通り、北門の先にある森の中にある秘密の出口から外へ出た。
北門を通るとき、ルートはトール・ロードスという偽名を名乗り、田舎の村から王立子女養成所に初めて入学する生徒ということで、リーフベルから門番の衛兵に紹介された。北門は1度も使ったことがなかったので、衛兵もルートの顔は知らなかったのが幸いだった。ただし、仮身分証をもらうのに銀貨3枚支払ったのはご愛嬌だったが。
「ではな、ルート。また連絡をする」
「はい。本当にご迷惑をおかけして……」
ルートの謝罪をさっと手を挙げて拒絶すると、リーフベルはすました顔でこう言った。
「今後も、持ちつ持たれつで行くつもりじゃ。お互い迷惑をかけ合うでいいではないか」
「は、はあ……?」
ルートが生返事をする間に、リーフベルは手を振りながら学園の方へ去って行った。
「「ルートっ!!」」
「先生っ!」
ルートは2日ぶりに我が家に帰って来た。
ジークは商会の仕事でいなかったが、母と妻、そして内弟子が屋敷の中から走り出て出迎えてくれた。
揺れる王国 2
ルートにとって、身辺整理を済ませて国外へ旅立つには残された時間は少なかった。とりあえず、家族には事の顛末と王城での話し合いのことを説明したが、当然、ミーシャやリーナからはため息とともに、ルートへの恨み言が出てきた。
「……まったくもう、頑固なんだから……もう少し要領よく生きなさいよ」
「ん……ルートの言っていることは正しい。でも、現実からかけ離れ過ぎている。少しずつ変えていかないと周りから潰されるだけ」
「はい……その通りです。2人にはご迷惑をおかけします」
ルートは頭を下げたまま、謝罪の言葉を繰り返した。
「でも、そんな所もルートの良い所。私はルートを信じてついて行くだけ」
リーナの言葉に、ミーシャもため息を吐いて微笑みを浮かべる。
「そうね……今までルートが決めたことに間違いはなかった。今度もきっと大丈夫ね。
さて、そうと決まれば引っ越しの準備をしないと……リーナ、手伝ってね」
「うん、頑張ろう、お母さん」
女性陣は早くも心を切り替えて、引っ越しの準備の相談を始める。
ルートは、そんな2人に心の中で手を合わせるのだった。
「先生、どこへ引っ越すんですか?」
ようやく王都の生活にも慣れてきたマルクが、少し残念そうに尋ねた。
「マルクの故郷、ゲール部族連合国だよ」
「えっ、本当? ラニトに帰れるの?」
今回の国外移住で一番喜んだのは、マルクだったかもしれない。
♢♢♢
今回、ルートは王たちとの話し合いの最後に、こんな提案をしていた。
「僕の罪状に、財産没収を付け加えたらどうでしょう。国外追放だけでは納得しない貴族たちも、さすがにそれで納得するのではないでしょうか?」
「えっ!? 本気で言っておるのか? お前の個人資産だけでも、大きな領地をまるまる買えるほどであろう?」
「はい、そのくらいは貯まっていると思います。ただ、できればそのお金を、『司法制度』と『警察機構』を作る資金にしてほしいのです。それと、《タイムズ商会》はできれば今のまま存続させていただければありがたいです。たくさんの従業員のためにも、そして、この国のためにも」
「うむ、それは約束しよう。ルート、本当にすまぬ」
王は涙を浮かべて、改めて頭を下げた。
♢♢♢
ルートはその日、商会の王都支店で、各地から集まった支店長たちを前にして、今回の事態について説明し、今後の商会の運営について提案をしていた。
「……そういうわけで、僕の失態から皆さんには大変なご迷惑をおかけすることを謝罪します。ただ、商会そのものは残していただけることを陛下から約束していただいていますので、今後も《タイムズ商会》で働いていきたいという方には、引き続き今まで通り頑張っていただきたいと思います。
なお、後任の会長には、王都支店のベネットさんを、副会長にはポルージャ本店のライルさんを推薦します」
ルートの説明が終わると、会議室は喧々諤々の騒ぎになった。まあ、突然の爆弾発表なので当然のことではあった。
「ルート、ちょっといいか?」
その騒ぎの中から手を挙げたのは、リープ工房の工房長でルートが父親のように慕うボーグだった。
「はい、どうぞ、親方」
「うむ。話は分かった。わしも同じ考えなので、お前が貴族たちに放った言葉には拍手を送るぞ。それでだな、お前がこの国を出て行くなら、わしもついて行く……」
今度はボーグの爆弾宣言に、再び会議室は喧騒に包まれた。
「お、親方、それは……」
予想できないことではなかったが、やはり彼が商会からいなくなるのはルートにとっても心配なことだった。
「……なあに、心配はいらぬよ。リープ工房も、今や50人以上の職人を抱える大工房だ。わしやカミル、マリクがいなくなっても、十分にやっていける。それよりなにより、お前がいなくなった国で働く気は起こらんのでな」
「だったら、私も会長について行きます」
常に冷静な王都支店長のベネットが感情を迸らせて宣言した。
それを皮切りに、自制していた支店長たちが口々に叫び始めた。
「ちょ、ちょっと待ってください、どうか静かにしてください」
ルートの声にようやく騒ぎは収まり、全員がルートの注目する。
「皆さんのお気持ちは大変ありがたいです。でも、どうか冷静さを失わないでください。冷静さを失ってこんな事態を招いてしまった僕が言うのも説得力に欠けますが……あはは……ええっと、実はまだ計画の段階なのですが、遠距離でも会話が可能な魔道具を開発しようと考えています。それを使えば、今後も僕と皆さんたちとで情報のやり取りができるわけです」
「「「おおおっ」」」
支店長たちは一斉に感嘆の声を上げた。
「それは素晴らしい。いつ頃完成しますか?」
「すでに試作機は完成しています(ジャスミンが作ったんだけどね)。後は《電波》というものを中継する施設をあちこちに建設しなければなりません。これについては、設計図と材料表、地図を置いていきますので、指定した場所に建設していただきたいと思いますが、お願いできますか?」
「「「もちろんですっ!」」」
支店長たちは、今後もルートが発明する新製品や営業戦略を直接聞くことができると分かって、安心するのだった。
♢♢♢
ルートの国外追放という内密の情報は、ガルニア侯爵から情報担当のコルテス子爵へ、コルテス子爵から密偵によってポルージャ子爵へと伝えられた。
「……なんということだ……」
子爵はがっくりと肩を落として、しばらくショックから立ち直れなかった。
現在、ポルージャの街は王国内でも有数の豊かな街に発展していた。それもこれもすべてルートと《タイムズ商会》のお陰と言って過言ではなかった。だが、今後はもうその恩恵に浴することはできなくなる。
子爵にとっては、もちろんルートとの個人的なつながりが切れるのも残念だったが、街の発展が途切れることの方が衝撃が大きかったのである。
ダンジョン移転!? 1
いよいよ明日がルートの罪状の公式発表という前日の朝、ルートはリーナとジークを伴って、コルテスの街の《毒沼のダンジョン》を訪れていた。
公式発表の後では、自由に外を出歩けないので、この国で自由に外出できるのはこの日が最後だった。
《毒沼のダンジョン》は相変わらずの賑わいを見せていた。道も広くなり舗装され、ひっきりなしに馬車や人が往来している。道の両側には、宿屋や居酒屋、武器屋に防具屋、鉱石やアイテムの取引所もできていた。
「少し見ない間に、どんどん変わっていくな。そのうち街ができるんじゃないか?」
運転席のジークの言葉に、ルートとリーナも窓の外を眺めながら頷いた。
「うん。ジャスミンとクラウスが頑張ってくれているおかげだね。でも、もう2人にも今日で会えなくなるんだな……」
ルートが寂しげにつぶやく。
「元気にしていれば、またいつか会えるよ。通信機もできたし、いつでも話はできるから」
リーナがルートの隣に来て座り、やさしく肩を抱き寄せる。
「ああ、そうだね。死ぬわけじゃないし……またいつかは会える日が来るよね」
ルートも微笑みながらリーナの手をポンポンと優しく叩いた。
ルートたちは、守衛所で馬車を止めて冒険者カードを提示した。
「あっ、《風の旅人》の皆さんですね。どうぞ、こちらの駐車場へお入りください」
守衛はカードを確認すると、一般の駐車場ではなく、特別な人間しか出入りできない専用門を開いてルートたちを中に入れた。
ダンジョンの入り口は長蛇の列ができていたが、ルートたちは守衛に案内されて、入り口の受付の脇にある《職員専用口》から中に入ることができた。ルートがダンジョンマスターであることは、ギルドの内規情報として、ダンジョンの管理をする職員には知らされていたのである。
ルートたちの横を、冒険者のパーティが次々に通り過ぎていく。
ルートたちは1階の突き当りにある隠し部屋の前で、人の目が切れるのを待っていた。だが、冒険者たちは後から後から絶え間なく来るので、なかなか隠し部屋に入るチャンスがなかった。
「おい、お前らこんな所に止まっていたら邪魔だ。初心者パーティでビビッてやがんのか?」
別に通行の邪魔にはなっていないのだが、何かにつけ絡みたがる奴はいるものだ。
そのパーティは男3人、女2人の5人組だった。そのうちの1人の30代前半くらいのガラの悪そうな男が絡んできた。
「ああ、仲間が1人遅れて来るんで待っているんです。どうぞおかまいなく」
ルートがにこやかに応対すると、それが気に食わなかったのか、男はいきなりルートの胸倉を掴もうとした。
「ああん? 生意気だな、小僧……っ! な、何だ? 掴めない」
ルートは瞬時に防御結界を張ったので、男の指は結界に阻まれて服を掴むことができなかった。
「迷惑ですね……ほら、後ろのパーティが困っていますよ」
「クソッ、痛い目を見せてやるっ!」
男が今度は拳を振り上げたのを見て、ルートは無詠唱で闇魔法《睡眠》を男に掛けた。男は拳を振り上げた状態で地面にばたりと倒れ込んだ。
「馬鹿だね、こいつ。おい、お前ら、まだやるって言うなら、今度は俺たちが相手するぜ」
ジークとリーナが後の4人を睨みつけると、彼らは慌てて首を振って頭を下げた。
「す、すまない。グレンには後で注意しとくから、どうか見逃してくれないか」
「どうする、ルート?」
「ああ、これ以上迷惑かけないならいいよ。一応パーティ名を聞いていいかな?」
「あ、ああ、俺たちは《炎の翼》だ」
「分かった。僕たちは《風の旅人》、このダンジョンの管理を任されている。今後、また他のパーティなどに迷惑を掛けたら、出入りを禁止するから、この人にも言っておいてね」
ルートの言葉に、4人も、すぐ後ろにいた他のパーティの面々も驚いた様子だった。
「わ、分かった、言い聞かせておくよ。すまない」
《炎の翼》の4人は眠っているグレンという男を抱えて、そそくさと立ち去っていった。後ろにも2組のパーティが並んでいたが、ルートたちにぺこぺこと頭を下げて階段の方へ急ぎ足で去って行った。
♢♢♢
「いいわ、誰もいないよ」
ようやく冒険者たちの波が途切れて、辺りに誰もいなくなったので、ルートは隠し部屋の鍵石に素早く魔力を流した。すると、ダンジョンの壁の一部がズズッという音を立てて横に移動し、人が入れるくらいの穴が開いた。
3人は素早くその中に入り、ルートは急いでまた鍵石に魔力を流して穴を閉じた。
「ジャスミン、転移陣を頼む」
ルートの声に、すぐに隠し部屋の地面に転移陣が現れた。3人はその中に入って、最深部へと転移する。
「マスター様、ようこそおいで下さいました」
転移陣の光が収まると、そこには以前にも増して美しい輝きを増したダンジョンコアの分体、ジャスミンがいて、うやうやしく迎えてくれた。
「ジャスミン、お久しぶり。元気だったかい?」
「はい。ご覧の通り、ダンジョンが進化して新しい機能も使えるようになりました。私やクラウスの力も大きくなっております」
「へえ、新しい機能か……ところで、今ダンジョンは何階まで出来ているんだ?」
「はい、現在62階になっております」
「「ろ、62?」」
ジャスミンの答えに、リーナたちも驚いていた。
「おお、我が主、お久しぶりですなあ」
まるで周囲全体から聞こえてくるような威圧感のある低い声が聞こえてきた。言葉の内容やしゃべり方には喜びが溢れていたのだが……。
「ク、クラウス、また一段と凄くなったな」
大きな魔法陣から出てきたガーディアンの姿に、さすがのルートも思わず後ずさりしながら言った。
全体が二回りほど大きくなり、今や身長は5mを越えているだろう。黒い毛に覆われた体に夜空のような漆黒のローブをゆったりと羽織っている。彼の動きに合わせて、ローブが揺れて星のようにきらめいた。その姿は、もはやガーディアンを越えて、まさに魔界の支配者と呼ぶ方がふさわしかった。
「おお、これは失礼いたした。ちょっと竜と話をしておりましたので……」
クラウスはそう言うと、スルスルと小さくなり2mほどの大きさになった。ローブもそれに合わせて小さくなるのは不思議だった。
「竜? このダンジョンにいるのか?」
「あ、いいえ、南の果ての龍人島に住んでおる古竜(エンシャントドラゴン)の黒竜でして……半年ほど前、突然人の姿でやってまいりましてな。なんでも、遠くから闇精霊の巨大な力を感じて、様子を見に来たとか。それから、何度か遊びに来ておるのです。今度、来たときは主殿にも紹介いたしましょう」
「っ! ああ、それがな……」
ルートはあいまいな返事をして、口をつぐんだ。
「ああ、あはは……ほら、ジャスミン、お茶かコーヒーをもらえるか? さっき言ってたダンジョンの新しい機能とか、話を聞かせてくれ」
「あ、はい。これは気が付きませず申し訳ございません。皆様、どうぞこちらへ」
ジャスミンはそう言うと、ルートたちをかつてビオラの隠れ家として作ったログハウスへと案内した。
ダンジョン移転!? 2
ジャスミンが淹れてくれたコーヒーを味わいながら、ルートたちはジャスミンとクラウスから、ダンジョンの新しい機能について説明を聞いていた。
「なるほど……つまり、このダンジョンのレベルを自由に調節でき、しかも、モンスターの種類も選べるということか、いいね。それで、その調節はどうやってやるの?」
「はい、マスター様がコアに直接触れていただくと、案内画面が出てきますので、それに従って決めていただくことになります」
「へえ、すごいな。ちょっとやってみてもいいかい?」
「はい。どうぞ、コアの方へ」
ルートたちはジャスミンに案内されて、青い神殿作りの部屋の奥へ向かった。
「あれ? コアの色が、なんか変わった?」
リーナの声に、ルートとジークも頷いた。
「色が変わったというか、大きくなって金色の光に包まれているね」
「神々しくなったな」
「現在、コアの情報収集網はこの大陸全土に及んでおりますが、その処理の手助けをしている様々な種類の精霊たちが放つ光があのように……」
ジャスミンの説明を聞けば聞くほど、このダンジョンはすごいことになっている。今この瞬間にも、ジャスミンは世界中から様々な情報を集めて処理しているのだ。まさにスーパーコンピューターそのものだとルートは感嘆するのだった。
♢♢♢
「おお、これはすごい……」
ルートは思わず声を上げて、コアから浮き上がって来たタッチパネル式の《ダンジョン操作盤》を見つめた。
「はああ、こいつは驚きだな……いったいどんな仕組みなんだ?」
「これも魔法なの、ジャスミン?」
ジークとリーナも目を丸くして、ルートの左右から青い光を放つパネルを覗き込んでいた。
「はい、無属性魔法の一種です。マスター様が元々神様から与えられていた鑑定スキルの表記魔法の仕組みを応用しました」
「ああ、なるほど、あれか」
ルートはすぐに理解したが、ジークとリーナにはちんぷんかんぷんだった。
「ほら、教会やギルドにも同じようなステータスの表記ボードがあるじゃないか。多分仕組みは同じだよ」
ルートのフォローに、ジークもリーナもなるほどと納得した。
しかし……ルートの心は再び悲しみに包まれた。せっかくこんな素晴らしい機能が生まれたのに、今日が最後の日になってしまうのだ。
「……ジャスミン、君とクラウスに言わなければならないことがある」
ついに、ルートは打ち明ける決心をしてジャスミンを見つめた。
ジャスミンは主人の心の内を感じ取って、黙って頷き、ログハウスの方へいざなう。
「実は……」
ログハウスでジャスミンとクラウスを前に、ルートは王宮でのことと自分に下された処罰のことを正直に説明した。
「ううむ、どう考えても主を国から追い出すなど、不利益しかないと思うのですが、人間の考えは我には理解できませんな」
クラウスが顎に手をやって真剣に悩む姿に、ルートは苦笑するしかなかった。まあ、人間の些細な面子やプライドは人間の弱さの裏返しでもあり、強大な力を持つクラウスには説明しても理解できないだろう。
「マスター、ご心配には及びません……」
ジャスミンのきっぱりとした言葉に、皆は一斉に彼女の方に目を向けた。
「ジャスミン、僕たちはもうここへは来れなくなるんだよ」
ルートは念を押すようにそう言った。
「はい。実は、まだマスターに申し上げておりませんでしたが、ダンジョンの新しい機能がもう1つございます……」
ジャスミンは怪訝な顔のルートたちにそう言うと、説明を続けた。
「……マスター様が、さらに複数の他のダンジョンのマスターになられた場合、それらのダンジョンとこのダンジョン間で転移することが可能です」
「「「えええっ!」」」
青く広々とした最深部の空間に、ルートたちの叫び声が響き渡った。
「え、ジャスミン、それ、本当なの?」
「はい。ただし、転移できるダンジョンは一定の基準を超えるコアの魔力が必要ですが……そうですね、このダンジョンが20階層だった頃の魔力量と同じであれば、転移が可能です」
ルートはそれを聞くと、今までの暗い気分が一気に晴れて嬉し気に天井を見上げた。
「ようし、西の大陸で必ずダンジョンを見つけて、ダンジョンマスターになるぞ」
ルートの喜ぶ姿に、リーナとジークも嬉しそうにお互いの顔を見合わせるのだった。
「あ、ねえ、ジャスミン、転移できるのは僕だけかい? 君やクラウスはできるの?」
「はい、できますが、何か?」
「うん、いや、君たちがいる方が早くダンジョンも進化するだろう? それと、例の《通信用魔道具》を、少し多めに作ってもらいたいのでね。僕も手伝おうと思って」
「なるほど、了解しました。では、ぜひお早くダンジョンを攻略してくださることを、クラウスとともに楽しみにお待ちしております」
ルートたちは、できるだけ早くダンジョンマスターになる事を2人に約束して、《毒沼のダンジョン》を後にした。
新たなる旅立ち
その日、王都の王立子女養成所は大きな驚きと落胆、そして怒りの声にどよめいていた。それというのも、この日学園では朝から臨時の全体集会が開かれ、集まった全生徒と職員の前で、ルルーシュ・リーフベル所長がいきなり《爆弾発言》をしたからだ。
その内容は、現在休みを取っているルートが、このまま辞職して学園を去ること、そして自分もこの日限りで所長の職を辞任すること、後任の所長にはコーベル教頭が就任するというものだった。
そのことだけでも生徒に衝撃を与えるには十分だったが、さらに辞任の理由についてリーフベルが説明を始めると、生徒たちが一斉に騒ぎ始めるという前代未聞の事態になった。
「静かにっ! 皆さん、静かにしなさいっ!」
コーベル教頭や他の教授たちが生徒たちを鎮めようとしたが、生徒たちの騒ぎはなかなか収まらない。
「リーフベル所長、国王陛下は本当にこれをお認めになったのですか?」
3年生で生徒会の副会長をしているアルマンド・ブレントンが壇上に向かって質問した。
「うむ、最終決定は国王が下すのがこの国の法じゃからな」
「しかし、ブロワー先生やリーフベル所長を失うことは、この国にとって計り知れない損失です。それは陛下もご存じだと思うのですが?」
「ふむ……では、逆に聞くが、なぜ国王とこの国の貴族たちはそういう決定を下したのか、答えてくれるか?」
「っ! そ、それは……」
アルマンドは答えられず、ちらりと斜め後方にいる生徒会長のセリーナ・リンドバルの方を見た。
セリーナは、王都の別宅にいる父から会議の一部始終のことを聞いていた。そしてこの一週間、授業も上の空になるほど悩んでいた。アルマンドは副会長の立場から、セリーナの悩みを聞きだし、一緒にどうするか悩んでいたのだった。
騒いでいた他の生徒たちも、リーフベルの問いかけに静まり返った。
生徒たちは、ルートが常々人間の価値は「身分や階級とは無関係」であり、あるとすれば「社会的な役割の違い」だけだ、と言ってきたことは知っていたし、彼らの多くも共感していた。だから、心情的には王や貴族の前でルートが憤慨し、「貴族制度など無くなればいい」と口にしたことも理解できた。
だが、それを認めれば、自分で家族や自分自身をも否定してしまうことになる。今すぐルートに同調して貴族を辞められる生徒など、1人もいなかったのだ。
「……つまり、そういうことじゃ。今、この国に王や貴族は必要ないと言える人間は、ブロワー教授以外にはいない。わしは、それがどんな国を意味するのか、この目で見てみたい。そのためにブロワー教授について行こうと思う。
この学園を去ることは大変寂しいし、心残りもある。だが、80年余り所長を務めてきて、
基本的な道筋は出来たと思っておる。後は、ここにいる者たちが皆で発展させていくだけじゃ。長い間、世話になった……皆の幸せを遠くから祈っておる。さらばじゃ……」
静まり返った大ホールから、リーフベルは音もなく立ち去っていく。
彼女が消えたホールに、静かに慟哭やむせび泣く声が聞こえていた。
♢♢♢
ガルニア侯爵領ラークスの港。
その日の朝、港の一番端にある船着き場は、多くの人々で賑わっていた。
「今ある分の通信機です。ベネットさんに預けます。本当に信用できる人に渡してください。また必要になったら連絡してください。今年中には送れると思います」
ルートはそう言うと、3機の携帯型通信機をベネット・ペンジリーに手渡した。
「分かりました。商会の運営についてはお任せください。どこの支店長も今後一層協力して《タイムズ商会》を盛り上げていこうと張り切っていますから」
ベネットの言葉に、後ろに並んだ各支店長たちもうんうんと力強く頷いている。
「はい、どうかよろしくお願いします。それでは、またお会いしましょう」
ルートは支店長たちににこやかにそう言って頭を下げると、横に移動した。
そこには学園の教師たちと何人かの生徒たちが、目を真っ赤に泣きはらして並んでいた。
「ベルナール先生、お世話になりました」
「ルート~~、行かないでくれええぇ~~……うう、う、ううう……」
今や《王国の英雄》として世界中に名前を知られているベルナール・オランドが、ルートに縋り付いて子供のように泣きじゃくる。これにはルートも無下に突き放すこともできず、苦笑するしかなかった。
「ええい、この国の英雄ともあろう者がいつまで未練を残しておる、見苦しいぞ」
リーフベルにたしなめられて、ベルナールはようやくルートから離れると、今度は涙をごしごしと袖で拭って真剣な顔でルートを見つめた。
「ルート、僕は剣士として更なる高みを目指す。君は魔法使いとして、世界一を目指せ。そして、いつの日か〝武術大会〟を開こう。世界中から、猛者たちが集まる世界大会だ。そこで一度だけ、僕と戦ってくれ。約束してくれるか?」
「おお、武術の世界大会ですか、いいですね。はい、約束します。どうか、王都の学園を世界一強い剣士が生まれる学園にしてください」
力強く頷くベルナールと固い握手を交わすと、ルートは次にコーベル教頭、魔法科のボルトン、サザール両教授、そしてエリアーヌと順番に別れのあいさつを交わしていった。
「ブロワー先生っ!」
先生たちの後ろから、美しいブラウンの巻き毛をなびかせて少女が出てきた。
「セリーナ……来てくれたのか、ありがとう」
「先生……ごめんなさい……ごめんなさ…う、ううっ……」
ルートの前で頭を下げて泣き崩れるリンドバル家の長女を、ルートは優しく抱きしめて背中を撫でた。
「君が気に病むことじゃないよ」
「ううう……でも、父が……」
ルートはセリーナを引き離すと、彼女の涙に濡れた頬をハンカチで拭いてやりながら言った。
「君のお父さんも、僕も、それぞれの立場で意見を言った。それがたまたまぶつかっただけだ。僕は後悔していない。たぶん、お父さんもこの先意見を変えることはないだろう。それが今の所、どうしようもない現実ということだ。
これから先、君たちの世代がどんな風にその深い谷間を埋めていくか、楽しみにしているよ。とても厳しいだろうけど、どうかこの国の未来のために頑張ってほしい」
「……はい、分かりました。先生、どうかお元気で……私のこと、忘れないでください」
セリーナは、その胸に秘めた恋心を隠したまま別れを告げた。
ルートはその後も見送りに来た多くの人々と別れを交わし、いよいよ船に乗りこんだ。
結局、ルートとともにこの国を離れるのは、リーナ、ジーク、ミーシャ、マルクとリーフベル、ボーグ、カミル、マリクの8人になった。
ルートは、元娼婦のマーベルたちにも別れのあいさつに出向いた際、それとなく一緒に西の大陸へ行かないかと誘ったが、彼女たちも今やそれぞれが責任ある立場にあるため、それを捨てることは出来ないと断った。少し寂しさを感じながらも、彼女たちの今が幸せであることに安心し、またいつでも会えることを伝え、別れを告げたのだった。
大きな商船がゆっくりとラークスの港から離れ始める。別れを惜しむ人たちの声が次第に遠くなっていく。
後部甲板から手を振り続けていたルートたちが、それぞれにため息を吐きながら手を下ろしていく。
「……グランデル王国ともお別れね」
「うん……何か不思議な気持ち……」
ミーシャとリーナが、まだ港の方を見ながら言葉を交わした。
「そうね、何となく分かる気がする……すごく寂しいし、親しい人たちと別れるのが悲しいはずなのに、何かワクワクしている、そんな感じ?」
「ん、そうなの。悲しいのに、楽しい……変な気分……」
2人は顔を見合わせて思わず笑ってしまうのだった。
「なあ、ルート……今更言うのも変だがよ、俺はかなり前から、こうなるんじゃないかって思っていたよ」
「国外に追放されるってこと?」
「いや、それは思っていなかったがな……何というか、そう、お前は小さな世界に安住するような人間じゃない、ってことさ」
「……買いかぶりすぎだよ」
ルートは少し照れくさそうに苦笑する。
すると、横からリーフベルが楽しげな顔でこう言った。
「いや、ジーク殿の言う通りじゃ。まあ、周りがそうさせるのじゃがな。恐らく、これからもお前は世界中を飛び回ることになるであろうな」
「先生まで……僕は、本当はのんびり生きていたいんですけどね……でも、まあ、それもいいかな。よし、世界中のダンジョンを制覇して回ろうかな」
「おお、いいな。どこまでも付き合うぜ、相棒」
「うむ、わしもお前が見つめるその先の世界を見てみたい。付き合うぞ」
ルートは海を渡る風に吹かれながら、遥か彼方の水平線に目を細めるのだった。
エピローグ
ルート・ブロワーは転生者である。
彼は前世の記憶を持ち、神から特別な能力を授けられ、このプロボアという地球に似た惑星に生を受けた。
彼は前世の知識を生かし、与えられた能力を使って自分の身近な世界をより良くしようと努力してきた。ところが、彼の力は自分が考えるより大きな影響をこの世界に与えていた。今や、彼はこの世界をコントロールするキーマン的な存在になりつつあったが、まだ、彼はそのことを自覚していない。
♢♢♢
「……よって、私たちにできることは、貴族による不当な搾取を合法的に調べ告発することだと思う」
王立子女養成所の一角にある生徒会室。そこで、生徒会長の知的な美少女は、執行部の生徒たちを前に熱い思いを吐き出していた。
「その通りだ。そして、それをもとに今まで領地ごとにばらばらだった《領法》の改善と統一を目指す。これを、我々『青年貴族会』の当面の目標とする」
副会長である金髪の背の高い少年が、その意志の強そうな目でまっすぐに部屋の後ろの壁に掲げられた旗を見つめながら拳を突き上げた。
おおおっ! という力強い声が部屋の中に響き渡った。
♢♢♢
「隣国の王は何を考えているのでしょうか? ルートを国外追放などと、愚かにも極まりありません」
ハウネスト聖教国の首都バウウェル。荘厳な神殿の奥にある教皇室で、若く美しい教皇ビオラは怒りをあらわにして叫んだ。
隣国の情報をいち早く伝えに来たボーゲルの街の商業ギルド長エドガーは、何度も頷きつつ、教皇とは逆に含み笑いを浮かべながら言った。
「いや、まことに……しかしながら、これはわが国にとっては絶好の機会でございます」
「絶好の機会?……あ、もしかして、ルートをこの国に?」
エドガーはニヤリと笑って頷く。
「はい。まあ、彼のことですから一国に縛ることは難しいでしょう。しかし、教皇様との絆を考えれば、彼に頼んで、この国で大きな仕事をしてもらうことは十分可能だと考えます」
それを聞いて、ビオラも期待に目を輝かせ始める。
「そうですね……ええ、きっとルートなら……エドガー、さっそくルートへのつなぎをお願いします。彼の住所が分かれば、私が直接手紙を書きましょう」
「はい、すでに何人かの行商人に、西の大陸へ行くよう指示してあります」
教皇とギルド長は楽しみな未来を思い浮かべながら、どんなことをお願いするか、と気の早い相談を始めるのだった。
♢♢♢
西の大陸で今や日の出の勢いで発展を遂げているゲール部族連合国。その首都であるラニトの街は、この数日、各部族連邦の要人たちが慌ただしく君主ユーニスが住む宮殿へ出入りしていた。
「殿下、落ち着いて下され。まだ、ブロワー教授がおいでになるまで時間がございます」
「う、うむ、そうだな。私がおろおろしていても仕方がない……とは言え、あのブロワー教授がわが国へ来られるのだぞ。そう考えると……いても立っても落ち着かなくて……」
宮殿のユーニスの私室には、ユーニスと国立高等学園校長サリエル・アスターの2人がいて、2日後にこの国にやって来る移住者の処遇について話し合っていた。
その人物は、ゲール部族連合国の生みの親とも言うべき大恩人であり、《タイムズ商会》という大商会とつながりを持ち、しかも稀代の天才魔導士でもあった。2人がその処遇にあたふたするのも当然と言えば当然のことだったのだ。
「とりあえず、賓客としてこの宮殿にしばらく滞在していただき、その間にブロワー教授のご希望などをお聞きすることにしてはいかが、かと……」
「う、うむ、そうだな、そうしよう。各部族長の意見も聞きたい。今日にでも臨時の頭首会議を開こう」
若き君主は、湧き上がる興奮を必死に抑えるように、拳を握りしめながら立ち上がった。
♢♢♢
『やれやれ、どうにか落ち着くかのう』
ここは白い光に包まれた無限の空間。
ひときわ輝く光の塊から、ため息のような思念の声が波動となって周囲に流れていく。
『まったく……一時はどうなるかと気が気ではありませんでしたぞ』
傍らの大きな光も、同じような安堵の思念を発した。
そんな神々の思念を聞きながら、彼らの前に座った銀色の髪の少女は、不機嫌そうな表情で口を開いた。
「そんなに心配なら、いっそのことルート・ブロワーを排除すればよいのでは?」
少女の問いかけに、主神ティトラと戦の神マーバラはすぐには答えなかったが、やがてマーバラが困ったような思念を発しながら口を開いた。
『……それは、できぬ、不可能なのだ。あの者が神界にもたらした功績は、彼の魂に刻まれている。すべての属性の精霊たちが、彼を守護している……つまり、メサリウスよ、そなたと同じで、もはや我々がどうこうしようもない高みにまで至っているのだ』
銀髪の少女は、すでにそのことは周知の上だという落ち着いた表情で頷いた。
「ふむ。であれば、この星の命運は彼に託して見守るしかないのう。まあ、せいぜいブロワーを怒らせないよう、余計な策略は使わぬことだな」
『まあ、そうするしかないかのう。メサリウスよ、今後もルートの監視を頼むぞ』
ティトラ神の言葉にメサリウスは微かな微笑みを浮かべて頷く。
「ああ、それは引き受けた。久々に研究しがいのある対象だからな」
メサリウスはそう言うと、スッと神界から姿を消した。
後には2柱の神の深いため息のような思念が流れていった。
♢♢♢
「ルート、ほら、見えてきたよ、西の大陸……」
ラークスの港を出てから二日目の昼前、甲板に出ていたリーナが船室の中に駆け込んできて叫んだ。
ルートは、彼女に手を引かれて甲板に出ていく。乗客たちも風に吹かれながら、前方に見えてきた青くかすんだ岩壁を見つめていた。
ルート・ブロワー、16歳。まだ、幼さの残るその顔には、青く澄んでどこまでも見通すような目が輝いていた。
彼がこれからどんな冒険をし、世界にどんな影響を与えるのか、今はまだ誰も知らない。ただ、その瞳には少年らしい夢と希望が詰まった未知の大陸が、くっきりと映っていた。
(了)
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感動小説、ありがとうございました(*_ _))*゜
ご感想、ありがとうございます。
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ご感想、ありがとうございます。
作者にとっても、ルートは思い入れのある主人公です。続きの構想もあります。そのうち書けたらいいなと思っています。
小説だけで生活ができるくらい売れてくれれば、その余裕ができるのですがww