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続編
開拓と学園祭編
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学園祭に向けて 1
「……それで、ルートよ、いつ頃には帰ってくる予定じゃ?」
『グリムベル開拓団』が出発する3日前、緊急の職員会議の席で、リーフベル所長は、職員に今回の王城での決定事項を説明した後、ルートに問いかけた。
「そうですね……あまり授業を休みにするわけにもいきませんから、4月の初めには帰ってこようかなと思います」
ルートの答えに、リーフベル所長は小さく頷いた。
「ふむ。それなら、なんとか学園祭には間に合いそうじゃな」
王立子女養成所の年間行事の中で最も大きな行事である『王立子女養成所における学問および文化的成果の発表会』、通称『学園祭』が一か月後に迫っていた。今年は遠征の影響もあって、例年より1週間遅い4月21日から25日までの5日間の予定で開催されることになっていた。
「何と言っても、今年は『魔法競技会』の王座奪還がかかっておるからな。おぬしがおらぬと生徒たちも気合が入らぬじゃろう」
リーフベル所長は、鼻息を荒くしてそう言った。よほど昨年ガルニアの王立学校に魔法競技会で負けたのが悔しかったのだろう。
会議が終わって、魔法学科棟に帰る道すがら、サザール教授がため息交じりにこう言った。
「恐らく、今年もガルニアのソニア・ローランのチームが最大のライバルになるでしょうな」
「そうですね……彼女1人でガルニアの点数の半分近くを稼ぎますから」
ボルトン教授が頷きながら、苦虫を嚙み潰した表情で答えた。
ルートは以前2人から、昨年の魔法競技会の話を聞いただけで、実際に見たことはないので、話に加わることができない。
「ブロワー先生、先生がおられない間、われわれが出場する生徒たちを指導することになりますが、何か秘策はありませんか?」
サザールの問いに、ルートはすぐには答えられず、こう言った。
「ええっと、もっと先生たちに詳しいお話を聞かないと、対策は立てられませんね。よかったら、昼食をご一緒しながらお話を聞かせていただけませんか?」
2人の教授はもちろん喜んでそれを承諾した。
校内の食堂『酔いどれドラゴン』は、今日も多くの生徒や職員で賑わっていた。
「やあ、エレーナ、元気だった?」
「まあ、ブロワー先生、お久しぶりですね」
ウェイトレスで看板娘のエレーナが、元気な声でルートたちを出迎え、席へ案内してくれた。
いつもの定食を注文した後、3人はさっそく作戦会議を始めた。
「ソニア・ローランは今年3年生ですが、入学してすぐ、ガルニアの王立学校創立以来の天才と評判になりましてね、1年生の時はさすがに慣れていなかったのか、チーム戦は3位に終わったのですが、個人の成績は堂々の1位。総合成績では辛くもわが校が優勝しましたが、昨年は惨敗でした。チーム戦も個人戦も、ソニアに持っていかれたのです」
最初にサザールが、悔し気に切り出した。
「なるほど……つまり、そのソニアをどうにかしないと優勝できないわけですね?」
ルートの問いに2人が頷く。
ルートは続けて2人に問いかけた。
「彼女の強さを、お二人はどう分析されていますか?」
それにまず答えたのはボルトンだった。
「彼女は、抜群の身体能力を持っています。3対3のチーム戦は、魔法の攻撃と防御を駆使して相手チームの陣地にあるオーブストーンをいかに早く奪うかを競うのですが、ソニアには、まず攻撃が当たりません。詠唱している間に近づかれて、軽業師のような身のこなしで一気にストーンを持ち去っていきます」
「そのうえ、火属性と土属性の2属性を持ち、様々な魔法が使えます。こちらの攻撃は土の壁で防ぎ、炎系の攻撃を前方からだけでなく、四方から放って防御を蹴散らす。手のつけようがありません」
サザールが続けてそう言うと、ため息を吐きながら首を振った。
そこへ、エレーナが定食を持ってきたので、3人はいったん話をやめた。
レタスとトマトとベーコンのサラダを食べながら、ルートはソニア・ローランへの対策を考えていた。
「競技会では闇魔法は使えるんですか?」
ルートがふいに2人に問い掛けると、2人は顔を見合ってから同時に頷いた。
「はい、もちろん使うことはできます。ですが、そもそも闇属性を持つ生徒を、私はこの26年の教師生活の中で1人も受け持ったことがありません。ボルトン君はどうかね?」
「私も知りませんね。一説には、闇の属性は神に見放された一族に伝わる禁忌の属性と言われています。持っていても普通は隠すでしょうね」
(うわ~、そうなのか……僕が闇属性も持っているって言ったら、どんな顔されるんだろう? でも、闇属性の《睡眠》はすごく使い勝手がいい魔法なんだけどなあ。それを使えば、ソニアを簡単に止められると思うんだけど……ん? いや、待てよ)
ルートはあることを思いついて、2人に尋ねた。
「では、光魔法の使い手はいるんですよね?」
「ええ、います。神学科の生徒の多くは光属性を持っていますよ」
「しかし、光属性の魔法は、主に治癒系の魔法で、攻撃や防御には向かないのでは?」
2人の言葉にルートは頷きながら、にやにやと意味ありげに笑った。
サザールとボルトンは顔を見合わせると、同時にずいっとルートの方へ身を乗り出した。
「ブロワー先生……」
「お話を聞くまで、逃がしませんよ」
ルートは思わず口にくわえた野菜を吹き出しそうになり、むせて咳き込んだ。
「グホッ、ゴホッ……わ、分かりました、今からお話しますよ」
2人の教授は子供のように目を輝かせて、ルートの言葉を待ち受けた。
「ええっと、まず、お二人にお願いですが、僕が開拓地から帰って来るまでに、闇属性を持つ生徒がいないか密かに調べていただきたいのですが、できますか?」
「分かりました。本来は所長以外、生徒のステータスを見ることは校則に違反するのですが、所長の了解を得てから調査してみましょう」
サザールの言葉に礼を言って、ルートは続けた。
「ありがとうございます。それで、闇属性の生徒がいなかった時のために、光属性を持つ生徒で、魔力量の多い生徒を3人ほど見つけておいてください。その理由をお話します」
ルートはポケットからメモ帳と鉛筆を取り出した。そして、例の魔法属性相性図を素早く描いて2人に言った。
「この図は先生方もすでにご理解いただけていると思います。僕は、生徒たちに2つの属性を持たせることができないかと訓練させているときに、この関係を思いつきました(本当は前世のゲームの知識だけどね)。そして、隣り合わない、つまり対角線上にある2つの属性は簡単に身に着けられることが分かりました……」
「ええ、これこそまさに世紀の大発見です。世界中の魔法使いが大騒ぎしていますよ」
ボルトンの言葉にサザールも頷く。
「まさしく、その通り。ただ、これで見ると、光属性と闇属性が他の属性と切り離されて、2つだけの関係になっています。ずっと気になっていたのですよ、なぜこの2つの属性が他の属性とは別扱いになっているのか……」
サザールの問いに、ルートは頷いて説明を続けた。
「はい、それについては僕もまだ確かな理論は持っていません。ですが、この2つの属性は他の4つの属性とは明らかに性質が違う、それは確かです。そして、ここからがいよいよ本題ですが……」
2人の教授は思わずごくりと息を飲みながら頷いた。
「闇属性魔法には《睡眠》、つまり相手を眠らせる魔法があります。つまり、これを使えば、ソニアを楽に封じられるわけです」
「な、なんと……そんな魔法、初めて聞きました。いや、確か、古い魔導解説書で、とあるダンジョンの最下層に、魔導士の姿をした骸骨がいて、そこへたどり着いた者をすべて《永遠の死の眠り》に導いた、と言う記述を見たことがある、もしや、それが……」
「おお、サザール先生、私もそのことが思い浮かびました。ベルンストの『異端魔法の歴史』の一節ですね。しかし、その魔法は伝説級の魔法で、とても生徒が使えるような魔法では……」
サザールとダルトンはそう言った後、まさかといった顔でルートに目を向けた。
ルートは、バツが悪そうに苦笑しながら2人を見ていた。
学園祭に向けて 2
もう、こうなったら2人に自分が闇属性も持っていることをカミングアウトするしかなかった。当然、2人の教授は大声を上げそうになるほど驚いた。そして、その後、苦笑しながら頭を抱えた。
「いやはや……もう、あなたには驚かされてばかりで慣れたと思っていましたが……」
「まさか、全属性をお持ちとは……人間に可能なのでしょうか?」
「い、いや、待ってください。僕は普通の人間です。どうか、そこは疑わないでください。
そして、どうか、このことはお二人の胸におさめておいていただけませんか?」
ルートが慌ててそう言うと、2人は真剣な顔でしっかりと頷いた。
「はい、もちろんです。われわれを信じていただきたい」
「ありがとうございます。では、話を元に戻しますね。もし、生徒の中に闇属性を持つ者がいたら、僕が帰ってからその子に《睡眠》の魔法を覚えさせます。そして、いなかったら、光属性を持つ生徒に、闇属性を身に着けさせてみようと思っているんです」
「えっ、し、しかし、この図で見ると、2つの属性はお互いに矢印が向いている。つまり、お互いに相殺する関係ではないのですか?」
2人の教授はルートの考えに戸惑いを隠せなかった。
「はい、そうです。上手くいくかどうかは分かりませんが、試したいことがあるんです」
ルートはそう言うと、自分がかつて冒険者として《毒沼のダンジョン》に挑戦し、《毒耐性》を身に着けたときの経験を話した。
「……つまり、毒を浴び続け、それに耐え抜くことで耐性は身に付きます。そのやり方を魔法の属性にあてはめたらどうか、と考えたのです」
「なるほど……自分の属性と相殺する魔法を浴び続ければ、その耐性として、相殺する属性が身に着くのではないか、と……」
ボルトンの言葉に、ルートが頷く。
「いやはや……どこからそんな発想が出てくるのやら……くくく……だが、魔法を研究する者にとって、あなたはどんな教科書にも勝る宝の箱ですよ、ブロワー先生。その実験、ぜひ我々にやらせていただきたい」
サザールが叫びたいのを我慢するように、両方の拳を握りしめながらそう言った。
「はい、どうかお願いします。それと、あと幾つか、対抗策になりそうな考えがありますから、これも試してみてください……」
ルートはそう言うと、《体術》のスキルを獲得してからの《加速》のスキルの習得法、女性が身に着けやすい《魔力感知》や《気配遮断》のスキルのことなどをメモに書いて、2人に渡した。
こうして、ルートは後のことを2人の僚友に託して、3日後開拓地へ旅立っていった。
後事を託されたボルトンとサザールは、翌日さっそく対策会議のことをリーフベル所長に報告に行った。
「おっほほ~~、そんな面白い話をしておったのか、なぜ、わしも混ぜてくれなかった?」
2人から話の概要を聞いたリーフベルは、興奮したように机の上に飛び乗ってそう言った。
「い、いや、まことに、食堂などで話す内容ではありませんでした。ブロワー先生の天才ぶりに、我々も驚愕するばかりで……」
「はい、サザール先生の言う通りです。ここに書かれた実験や理論は、どれも今後教科書に大きく取り上げられるべき内容ばかり。昨夜は興奮して眠れませんでした」
サザールとボルトンの言葉に、リーフベルはますます悔し気な声を上げて机の上を歩き回った。
「く~~っ、ルートの奴め、帰ってきたら1日中ここに閉じ込めて質問攻めにしてやる……ええい、今はそれどころじゃないのう。よし、わしが直々に鑑定すれば問題ないわけじゃ、さっそく闇属性を持つ生徒を探すとしよう。おぬしらは、光属性を持つ生徒の選抜をやってくれ。実験は明日の放課後から始める」
「「は、はい、承知しました」」
リーフベルの勢いに気圧されるように、2人の教授は最敬礼すると所長室を出て行った。
「ぬふふぅ~~……ルートの奴め、なんとも面白い宿題を残してくれたものじゃ。さあて、こうしてはおれん、さっそく宿題の解答を探しに行くかのう」
リーフベルはうきうきと小躍りしながら、ローブと帽子を身に着け、所長室を後にするのだった。
翌日の放課後、魔法学科棟の1番教室に集まった8人の人影があった。
魔導士姿で愛用のロッドを持ったリーフベル所長、同じく魔導士姿のボルトン、サザールの2人、そして、なぜか緊張した様子の神学科教授エリアーヌ・ハウゼン、同じく緊張、というより恐怖に近い表情の生徒が4人という顔ぶれである。
「さて、では始めようかのう。そこら辺に適当に座ってくれ」
リーフベルの言葉に、エリアーヌと4人の生徒たちは、エリアーヌを中心に並んで座った。4人の生徒たちはいずれも神学科の2年生と3年生の女子生徒である。
「そなたたちに集まってもらったのは、他でもない。今度の学園祭で行われる『王立学校対抗魔法競技会』の団体戦のメンバーになってもらうためじゃ」
リーフベルの言葉に、エリアーヌと4人の生徒たちは当然のごとく驚きの声を上げた。
「お、お待ちください、リーフベル所長、この子たちは神学科の生徒ですよ。もちろん魔法は使えますが、治癒系の光魔法なので、競技会には向かないと思いますが……」
エリアーヌの言葉にリーフベルは頷いて、穏やかな口調で言った。
「うむ、もちろんそれは承知しておる。実はな、これからそなたたちにはある実験をしてもらおうと思っておるのじゃ。詳しいことは、今からこの2人に説明してもらう。それを聞いてから、どうするか、判断してくれればよい」
それを聞いてエリアーヌたちも納得したので、ボルトン、サザールの2人がなるべく彼女たちにも理解しやすいように、図面を使いながら「光魔法と闇魔法の関係」、「闇魔法獲得の実験方法」について説明した。
エリアーヌと生徒たちは信じられないといった顔で説明を聞いていた。
「どうじゃな? 面白いであろう?」
説明が終わって、複雑な表情のエリアーヌたちにリーフベルが問いかけた。
「は、はい、とても興味深いお話でした。ですが、闇魔法と言うのは、その……」
「うむ、そなたたちの懸念は分かっておる。闇魔法は、神に見放された一族にのみ伝わる禁忌の魔法、という言い伝えであろう? じゃが、それが単なる迷信にすぎぬという証拠が、他ならぬそなたたち、エリアーヌ・ハウゼンと隣のペイネ・リヒターなのじゃ」
「えっ、そ、それはどういう……?」
リーフベルの言葉に、エリアーヌとその隣に座っている2年生の少女は驚いて顔を見合わせた。
リーフベルは少し間をおいて、じっと2人を見つめてから口を開いた。
「そなたたちは、どちらも聖教国の出身だが、同じ一族か?」
「い、いいえ、違います」
「ふむ……であれば、なぜ、どちらも《闇属性》を持っておるのじゃ?」
その言葉に、エリアーヌもペイネも、他の3人の少女も驚き、エリアーヌとペイネは青ざめて言葉を失った。
リーフベルは2人に頭を下げてから続けた。
「すまぬ……鑑定でステータスを見せてもらったのじゃ。じゃが、誤解するでないぞ。そなたたちを追い詰めようというのではない、むしろ逆じゃ。闇属性についての迷信の呪縛から解き放つためじゃ。エリアーヌ、そなた、この学園に来たときは、ステータスを見せてもらったが、《闇属性》は持っておらなんだ。いつ、それを発現したのじゃ?」
エリアーヌは、まだ動揺していたが、何とか平静を保ちながら答えた。
「は、はい……気づいたのは、合同キャンプが終わった次の日でした。自分のステータスがどれくらい伸びたか知りたいというクラスの男子生徒3人組を、教会に連れて行って『魔石鑑定器』(最上級魔石に《鑑定》のスキル魔法陣が付与されたもので、各教会やギルドにのみ配布されている王室謹製の非売品)で、鑑定してやった後、ふと、自分も久しぶりにステータスを見てみたいと思って……そうしたら、いつの間にか《闇属性》を取得していたのです……あまりのことにびっくりして……怖くなって……誰にも言えなくて……」
エリアーヌは、後の方はもう涙声になって話すことができなくなった。
「先生、私もです。私は去年の夏休み、実家の近くの教会に礼拝に行ったとき、軽い気持ちでステータスを調べてもらったんです。そしたら、《光属性》もまだ習得していないのに、
《闇属性》という文字が、スキルの欄にあって、どうしてって思って……なぜ、私が《闇属性》なんかを習得したのか分からなくて、怖くて、怖くて……うう、う……」
「ペイネ……」
エリアーヌは泣き出した少女を抱きしめて、一緒にさめざめと泣き始めた。
リーフベルはため息を吐いて、ロッドで机をバシッッと叩いた。
「ええいっ、めそめそ泣くでないっ!」
所長の一喝に、エリアーヌと少女はビクッとして涙に濡れた顔を上げた。
学園祭に向けて 3
「よいか、全員よく聞け。先ほども言った通り、《闇属性》に対する言い伝えは、ウソじゃ、でまかせじゃ。闇と言う言葉に対する人々の潜在的な恐怖や嫌悪が生み出した、根も葉もない迷信なのじゃ。ルート・ブロワーが、われわれにその秘密のカギを教えてくれた……ぬふふふ~~……エリアーヌよ、答えよっ! 光がある所には何がある?」
リーフベルは机の上に上がって、ゆっくりと歩き回りながらロッドをエリアーヌに向けた。
「ひっ、ひ、光がある所……か、影、でしょうか?」
「そうじゃっ!」
「ひいっ」
「ペイネ・リヒターっ」
「は、はいいっ」
「世界が昼間だけだったら、どうなる?」
「ひ、昼間だけだったら……昼間だけだったら……あ、暑くて……眠る時間がなくて……」
「そうじゃっ、それで、人間や生き物はどうなる?」
「し、死んでしまうと思います」
「その通りじゃ」
リーフベルは歩くのをやめて、両手を広げて上を見上げた。
「この世界は光と影、昼と夜があって初めて調和のとれた完全な世界になるのじゃ。つまりじゃ、光属性と闇属性は表裏一体、人間で言えば起きて動き回っているときと静かに眠っているときのような関係なのじゃよ」
「なるほど……」
サザールが手のひらを叩いて大きく頷いた。
「だから、光魔法を受け続けると、それに抵抗するために闇属性が発現するというわけですね」
「そういうことじゃ。ペイネ、おぬしの身上調査書を見せてもらったが、母親は神官なのじゃな。子供の頃、光魔法をたびたび受けたのではないか?」
リーフベルの問いに、ペイネはあっと小さく叫んで頷いた。
「はい、私、子供の頃体が弱かったので、よく風邪をひいたり、お腹を壊したりして、母に治癒魔法を掛けてもらっていました」
「ふむ……そして、この学園に入学したら、光の権化のようなエリアーヌのクラスで、恐らく教会へもよく通っておるのじゃろう。つまり、ずっと光に当たっている状態、昼間が続いている状態だったのじゃな。だから、体が、少しは休息しろという反応を起こしたのじゃろう」
「本当にそんなことが……まだ信じられない気持ちですが、闇属性は、神様に見放された証しではないのですね?」
エリアーヌの問いに、リーフベルはしっかりと頷いた。
「そうじゃ。まだ、発現する詳しい原理は分からぬが、例えるなら、光魔法は人間の体に生きるための力を与え、闇魔法は生きるための休息を与える。
これまで闇属性の者が少なかったのは、もちろん本人が隠したせいもあるだろうが、それほど継続的に光魔法にさらされる者が少なかったからじゃろう。
だが、エリアーヌの例でも分かるように、神官の中にはかなりの数、闇属性を発現した者がいるはずなのじゃ。エリアーヌ、おぬしは合同キャンプの前後に、何か特別なことでもしたのか?」
問われて、エリアーヌはじっと考えていたが、急にはっとした様子であたふたし始め、顔が赤くなっていった。
「あ、あの、せ、生徒たちの無事を祈って、そ、それと無事に帰って来れたことを感謝して、かなりの時間、礼拝をおこないました」
「……何を焦っておる。ふむ、まあ、その礼拝の中で何かが起こったのかもしれぬな。ルートが帰ってきたら、解明してくれるじゃろう。
さて、では、闇魔法への誤解も解けたところで、実際の訓練に入るぞ。ボルトン教授、説明を頼む」
「はい」
ボルトンは、再び黒板に張った図を指し示しながら説明を始めた。
「訓練は2つのことを並行しておこなっていきます。まず、ペイネ・リヒターには、《睡眠》の魔法の習得を目指してもらいます。シェリー・ルバンヌ、アネット・ホークス、リリア・ボースには体術の訓練から始めてもらいます。場所は……」
説明を聞きながら、エリアーヌはまだ火照っている顔にそっと手を当てた。彼女は、合同訓練の前後どころか、昨日までほとんど毎日のように、夕食前の1時間ほどを、神殿での礼拝に使っていたのだ。
それは1つには、帝国との戦争が早く終結し、皆が無事に帰って来るのを神に祈るためだったが、もう1つ他に理由があった。それは、彼女の心の中に募り続けるルートへの思いを神に懺悔して、抑え込むためであった。そんな彼女の心のストレスを吸収するかのように、彼女の《闇属性》は、ランクを上げていたのである。
「以上で説明を終わりますが、何か質問はありますか?」
説明を終えたボルトンが問いかけたが、誰も質問する者はいなかった。
エリアーヌも4人の生徒たちも、難しい表情で黙り込んでいた。
「ふむ……やはり、実験に使われるのは気に食わぬか?」
リーフベルの問いに、エリアーヌが顔を上げて首を振った。
「いいえ、とても興味深いお話ですし、実験に協力することはやぶさかではありません。ただ、私も生徒たちも、魔法学科の生徒たちに交じって競技会に参加することに、自信がないのです。昨年のガルニア校のソニアさんのすごさを見ていますから……到底彼女にはかなわないと思っているんです」
「ふむ、そうか……この実験がルート・ブロワーが考えたソニア・ローランを打ち負かすための対策だと言ってもか?」
「えっ、ブ、ブロワー先生の……」
エリアーヌも生徒たちも驚いて、リーフベルに目を向けた。
「そうじゃ。本格的な特訓は、あ奴が帰って来てからになるが、それまでに我々がおぬしたちを特訓についていける戦士にしておかねばならぬのでな。もちろん、エリアーヌは参加できぬが、この子たちを励ましながら、回復魔法をどんどん掛けてやってほしい」
リーフベルの言葉に、エリアーヌも生徒たちも急に活き活きとした表情になって、お互いの顔を見合わせ、そして頷き合った。
「分かりました、皆で頑張ります」
「はい、私もやります」
「頑張ります」
「やらせてください」
「わ、私もできるだけ頑張って……みます」
こうして、所長自らが参加した放課後の「特別訓練」が開始された。この訓練のことは、校内でも秘密にされ、場所も野外訓練場の一角を使っておこなわれた。
闇魔法に対する偏見を簡単に取り払うことはできない。4人の生徒に対する余計な誹謗・中傷を避けるため、そして、闇魔法の習得方法が外部に知られ、悪用されることを防ぐためでもあった。
グリムベル地方の開拓 1
ルートたち『グリムベル開拓団』は、3月12日にラークスの港を出港した後、サラディン王国の3つの港町に停泊しながら、4日後の朝、ついに3つの国の国境に囲まれた広大な未開拓地「グリムベル」に到着した。
だが、開拓団を待っていたのは最初の障害、岩だらけの海岸線だった。船は座礁を恐れて陸地に近づくことができない。先ずこれが、今までこの未開の地に人が入って来れなかった最大の理由だった。
「なるほど……中央に大きな河口が口を開け、その周囲は岩礁か。ドルーシュさん、あの河口から船で入ることはできませんか?」
甲板から陸地の方を眺めながら、ルートは隣の大柄な人物に問い掛けた。彼は王国海軍の副司令官でこの船の船長であるグレン・ドルーシュ騎士爵である。
「残念ながら、難しいですな。恐らく船底が海底に埋まってしまうし、川の流れが速くて前に進めないでしょう」
ドルーシュの答えにルートは頷いて、しばらく周囲の海岸線に目をやっていた。
「ブロワー先生、どうしますか? このままでは上陸できませんよ」
「ジャン、弱音を吐くのが早すぎるぞ。こんな時のために先生がついて来たんだ。さて、やはりあの辺りがいいかな」
ジャンにそう答えた後、心配げな6人の生徒たちが見守る中で、ルートはドルーシュに頼んで、船をハウネスト国側の切り立った崖の方へ近づけるように言った。
「さて、では今から港の建設をやります。かなり時間がかかると思うので、皆さんは船室でゆっくりしながら、上陸の準備をしていてください」
ルートは、6人の生徒とこの開拓事業のためにガルニア、リンドバル、コルテス、ポルージャの各領地から派遣された開拓事業の専門家と兵士たち483人に向かって叫んだ。
「話には聞いていたが、本当に魔法で港を作るつもりか? そんなことができるのか?」
6人の生徒たちは、もう合同訓練や日頃の授業の中で、ルートの規格外の魔法を何度も目にしていたので、少しも疑わなかったが、他の開拓団のメンバーは信じられない気持ちでざわざわとささやき合った。
結局、誰も船室に戻る者はなく、船長以下船員たちまでもが全員見守る中で、船の舳先近くに座ったルートは、目をつぶって瞑想に入った。
まずは、しっかりと全体像をイメージした後、各部分に分けて計画を立てていく。
「よし」
5分ほどで、ついにルートが目を開き立ち上がった。
両手を前に伸ばし、魔力を手の先へ集めていく。そしてゆっくりとその両手が、まるで優雅な舞のように、あるいはオーケストラを指揮する指揮者の手のように動き始める。
「あっ! み、見ろ、崖が……」
誰かの叫び声の後に、見守る人々の驚嘆の声が続く。
ルートは、まず、土魔法で海に突き出した高い崖の上部と先の部分を削り、それを幅10m、長さ30m、高さ20mの直方体に成型し、崖にくっつけるようにして海の中に沈めた。すると、海底の凸凹のせいで斜めに傾いたので、今度は海底を平らにならすイメージで魔法を掛けた。このあたりは、ルートのお得意の作業だ。
これで、岬から突き出した防波堤が完成した。後で、この先端に灯台を建てれば完璧だ。
次に、防波堤からつながった海岸線を20mほど奥に引っ込めるとともに、海底を深くして、大型の船が何隻も停泊できる波止場を作る。そこで、海岸近くの陸地を平らにし、石のブロックを敷き詰めなければならない。
「お、俺は夢でも見ているのか?」
「すごい……やっぱり、先生はすごいよ。あはは……」
「こんな遠くからでも、魔法は使えるのか?しかもあんなに正確な形を作れるなんて……」
「ううむ……神の御業としか思えん……まさに奇跡だ」
見守る人々は、空中で巨大な石のブロックが次々に作られ、海岸を埋めていく様子、陸地の木々が消えていき、木材となって積み上がっていく様子を、夢心地に眺めながら、驚嘆の言葉をつぶやき続けた。
ルートは時々休んで、マジックポーションを飲みながら、慎重に作業を続けた。これから、何百年、何千年も使われ続ける港である。しっかりした基礎部分があり、修理や改修がしやすい構造にしなければならない。
2時間ほどぶっ続けに作業を続けて、さすがのルートも疲労を感じ、甲板に寝転んだ。
「先生っ、大丈夫ですか?」
6人の生徒たちがそれを見て、慌てて駆け寄ってきた。
「ああ、大丈夫だよ。さすがにちょっと疲れたけどね。あはは……」
ルートは、生徒たちにそう言って笑った。
「おい、誰か、毛布を持って来い。温かいスープもあれば、一緒にな」
ドルーシュが部下たちに叫んだ。
「そりゃあ、疲れるだろう、あんな凄い魔法を何時間も使っていたら」
「ブロワー教授、お噂に違わぬ魔法の才、しかと見せていただきましたぞ。これで、いつ死んでも悔いはござらぬわい」
「あはは……マイヤー先生、目的が違っていますよ。死ぬ前に、少しは開拓のお手伝いもしていただかないと」
開拓団の人々もルートの周りに集まって来て、一気ににぎやかになった。
「今日は天気もいいし、皆で甲板で昼飯を食うことにしようか」
「おお、それはいいな。よし、準備に取り掛かろう」
人々がそう言って離れていくと、ルートもようやく体を起こした。
「よし、じゃあ、始めるか」
そう言って立ち上がろうとしたとき、生徒の1人がルートの肩を優しく抑えた。
「先生、ご無理をなさってはいけませんわ。もう少しお休みになってください。あ、あの、もし、よろしかったら、私の膝をお、お使いください」
つっかえながらそう言ったのは、エリスだった。
赤くなって怒ったような表情の彼女を見ながら、ルートは思わず笑いそうになったが、何とか我慢して頷いた。
「ああ、分かった。じゃあ、遠慮なく使わせていただくよ」
ルートはそう言うと、エリスの膝に頭を乗せて満足そうに目をつぶる。
他の生徒たちは、赤い顔でうれしさをかみ殺したような表情のエリスを見ながら、口を押えて笑うのを必死に我慢するのだった。
その後、甲板では人々が思い思いに座って、昼食会が始まった。そして、彼らが祭りでも見物するように見守る中で、ルートは港湾造りの作業を続け、昼食が終わる頃には、見事な港を完成させていたのであった。
「おお、こいつはすごい……世界中のどこの港にも負けない立派な港だ」
船の人々は、甲板の端に並んで、石造りの広々とした港の光景に目を見張り、感嘆の声を上げた。
左右に伸びた防波堤、その間の幅300メートルあまりの船着き場、荷下ろし用の埠頭が100メートルおきに30mほど沖の方へ突き出している。波の状態や船の数によって、船を港に横付けにもできるし、縦付けにもできるように配慮されているのだ。
港は今のところ奥行き20mほどで、全面に厚さ25cmの石のブロックが敷き詰められている。将来もっと広げることもできるよう、まだ建物は作られていない。
開拓団の船は、このできたばかりの港にゆっくりと横付けした。
「これなら、どんな重い荷物を降ろしても安心ですよ」
開拓団の荷物や資材を陸揚げする係の船員が、きっちりと敷き詰められた石のブロックを足で何度も踏みながら言った。
「今夜は、この港でキャンプしよう」
「そうだな。開拓団のめでたい第一歩の夜だ、祝宴といこう」
船から降ろされた荷物や資材を運びながら、人々の顔には笑顔が溢れていた。
「ガロア準男爵、僕はちょっと周辺の見回りに行ってきます。資材の確認をお願いしていいですか?」
ルートは副団長(ルートがいなくなった後は実質的な団長になる)のオルスト・ガロアに声を掛けた。
「はい、それはいいですが、お1人で大丈夫ですか?」
ルートが大丈夫だと答えようとしたとき、近くにいた老人が近づいて来て言った。
「わしが御一緒いたそう」
それは、先ほど甲板でルートの魔法に興奮しすぎて、皆の失笑を買っていたカール・マイヤーだった。
彼は2年前まで、ガルニアの王立学校で魔法学科の教授をしていた。言わば、ルートの大先輩だった。引退した後は、ガルニア侯爵の相談役として悠々自適の研究生活をしていた。
今回、侯爵から世間話に開拓事業の話を聞いて、最初はさして興味もない様子だったが、団長がルートだと聞くと、ぜひ自分も参加させろと侯爵に詰め寄ったのである。
侯爵は彼の年齢を考えて、何とか諦めさせようと説得したが頑として聞き入れなかった。
「あのグレイダルの法則を書き変えた天才とじかに話ができるのですぞ、こんな機会を逃すことなどできませぬわい」
そう言って息巻く老教授に、とうとう侯爵も負けて参加を認めたのだった。
「さあ、参りましょうぞ、ブロワー教授」
「あ、はい。では、行ってきます」
オルスト・ガロアは、張り切って歩き出した老人の後を慌てて追いかけていくルートの姿に思わず笑みをこぼして見送った。
グリムベル地方の開拓 2
翌日からルートたちは、ベースキャンプとなる『砦』をどこにするか決めるために、資材や荷物の大半は港に置いて、最低限の荷物だけを持って奥地へと向かった。
グリムベルの中央を流れる大きな川に沿って、上流を目指す。平原の先には鬱蒼とした森が行く手に立ちはだかっている。
「やはり、この辺りがいいですね。少し森を切り開いて木材を手に入れましょう」
朝から歩き続け、途中昼食を摂り、さらに2時間ほど歩いたところで、平野部と森林部の境界にたどり着いた。もう港からは30㎞ほど離れている。
「そうですね。川が近くにあるし、港からもさほど遠くない。ここにしましょう」
ガロアもルートの意見に賛成して、皆に叫んだ。
「ここに砦を建設することにした。今から森を開いて木材を調達する。魔物がいる可能性があるから、10人ずつくらいのグループを作って作業に入ってくれ。絶対奥にはいかないようにな」
「僕はこの辺りの整地をやっておこうと思います。マイヤー先生、お手伝いをお願いできますか?」
ルートの問いに、老教授は即座に承諾した。
団員たちが周囲の森へ散って行った後、ルートは老教授とともに、砦の中心部となる予定の川の近くへ向かった。
「砦の中心を川が流れる構造にしたいと思います。先ず地面を平らにならして、下水施設を作ります」
「ふむ、ふむ。確かに病気を発生させないためには下水施設は大切じゃが、まさか海まで下水路を掘っていくわけにもいくまい。どこへ流すのですかな?」
老教授の問いに、ルートは頷いてメモ帳を取り出し、簡単な図面を描いた。
「こんなふうに、いったん2つの大きな水槽に貯めます。雨水もここへ流れ込むようにします。1つ目の水槽では、汚物は重いですから下の方に沈み、自然界にいる水中の微生物によって発酵・分解されます。この辺りまで水が貯まったら、2つ目の水槽に流れ込みます。2つ目の水槽がいっぱいになったら、再び川へ流します。上澄みですからさほど川が汚れることはありません。むしろ、適度な養分を含んでいますから、農作物には肥料にもなります」
老教授は目を輝かせ、何度も感嘆の声を発しながら説明を聞いていた。
「すばらしい。あなたは魔法学だけでなく、あらゆる分野でまさに天才なのですなぁ」
「い、いいえ、ポルージャで領主様の依頼でスラム街の再開発をお手伝いしたことがあったんですが、そのとき、領政局の人に学んだんです。(前世の知識もあるけれどね)」
ルートはそう言うと、まだニコニコして頷いている老教授に続けて言った。
「では、僕が地面を削ってならしますから、先生は削った土でレンガを作ってもらえますか?」
「うむ、お任せ下され」
教授は胸を張って大きく頷いた・
昨日、2人は港の周辺を見回りしている間に、いろいろな魔法談義をしたが、その中でマイヤー教授が火属性と土属性を持っていることが分かった。ルートは彼に、土魔法で土をブロック状に成型するコツを教え、それを使った「焼きレンガ」や「コンクリート」作りの方法を伝授したのである。
さすがに王立学校の教授を長年務めていた魔法使いだけあって、魔力制御も上手く、魔力量も高かったので、ルートの相棒には最適任だった。
ルートは川を中心にして、直径80mの円形状に土を削って平らにならした。削った土と草木の混合物は、少し離れた場所に積み上げた。マイヤー教授はその積み上げられた土を幾つかに分けて、先ず火魔法で草や木を燃やした。そして残った土を土魔法で大きめのレンガに成型し、並べて火で焼くという作業を繰り返した。
「先生、マジックポーションをどうぞ。ここに何本か置いておきます。あまり無理はなさらないでください」
「おお、これはありがたい。あはは……ご心配はご無用ですぞ。自分の力の把握はできております。分不相応なことはいたしません」
2人は小休憩に入り、草の上に座ってマジックポーションを飲みながら語り合った。
「さすがです。生徒たちに一番教えたいことが、自分の魔力量を実践で把握する経験なんです。ポーションがないときは、その判断が命取りになる事がありますから」
ルートの言葉にマイヤーが頷く。
「うむ、その通り。ブロワー先生は実戦経験もかなり積んでおられるようですな?」
「そんなに多くはありませんが、10歳の時から生活のために冒険者をやってきましたから、それなりの経験はあります」
「なるほど……様々な経験に裏打ちされているのですな、あなたの魔法は」
(確かにそうだけど、どうも買いかぶりすぎていますよ、教授)
「さ、さて、じゃあ、僕は水路を作りますから、先生はレンガの敷き詰めをお願いします」
ルートはマイヤー教授の視線にいたたまれなくなって立ち上がった。
「うむ、分かりました。今日のところは全体の4分の1ほどできれば十分でしょう」
老教授もそう言って立ち上がった。
2人がそれぞれの作業に戻ってほどなく、森に入っていた団員たちが、切り倒して枝を落とした木を続々と運び込んできた。
6人の生徒たちも大人たちに交じって木を肩に担いでいた。つい先日まで、貴族の子息・令嬢として大事にされ、重い物を持ったことさえなかっただろうに、エリスも他の2人の少女たちも顔を泥で汚しながら、作業着姿では働いている。
ルートはその様子を見ながら、思わず熱いものがこみ上げてきた。
その日の夕方までに、ルートは砦の地下にあたる部分の整備を半分ほど済ませた。
先ず、川が砦に入る部分を2mほど掘り下げ、そのまま川底を2mの深さで下流に向かって、落差が無くなる場所まで130mほど掘り進めていった。洪水対策であり、下水対策でもあった。
大量の土砂が川岸に積み上げられていったが、これは後日《合成》を使って石のブロックを作り、砦の石垣に使うのである。
川岸は石のブロックで補強して崩れないようにした。そして、川が砦に入る所から両側に深さ1・5m、幅2mほどの側溝を2本作り、家々が建つ予定の場所の下を川の水が流れるようにした。さらにその側溝は砦を出て30mほどの場所まで伸ばし、そこに先ほどマイヤー教授に話した『簡易下水処理』用の四角い大きな穴を2つ作り、先の方の穴の上部に穴を開け、石のパイプを通した。ここから、生活下水が川に流れ出るのである。
周囲の森を切り開いて木材を運び終えた団員たちは、教授の手伝いで地面のレンガ敷きをしながら、ルートの驚くべき仕事ぶりを眺めた。
その日は港に帰らず、テントを立ててキャンプをすることになった。
ルートとマイヤー教授、そして土魔法が使える団員たちが協力して、整地された砦予定地の周りに、魔物避けの2mほどの高さの土壁を作っていった。6人の生徒たちの中で土魔法が使えるジャン、アルス(バンダール)、クレア(シャンペリエ)が嬉しそうにルートと並んで壁を作っていた。
翌日、ルートは団員を3つに分けて、1つは港から荷物や資材を運んでくるグループ、次に運んできた木材を加工するグループ、そして最後に周辺の森を1キロの範囲で探索し、ついでに食料を調達するグループとした。
「やったあ、ついにあの蒸気自動馬車に乗れるんですね」
荷物運びのグループに入ったショーン・ラマルクが喜びの声を上げた。
ルートは開拓団のために、トラック型の蒸気自動馬車を1台寄付して船に積み込んでいた。今日がその初めてのお披露目になるのだ。
「ああ、残念だが、坊ちゃん、運転はわしとケインズでやるのでな。荷台も荷物でいっぱいだから、今日は乗れないな」
ポルージャの開拓団の1人、定期乗合馬車の運転手だったラッドの言葉に、ショーンはがっくりと肩を落とした。
「あはは……そうがっかりするなよ、ショーン。これから、いくらでも乗る機会はあるさ」
ジャンに慰められて、ショーンもようやく気を取り直し、元気に港へ向かって出発していった。
グリムベル地方の開拓 3
開拓団がグリムベルに足を踏み入れて8日後、ついに前線基地となる砦、『ルーティア・グリムベル』が完成した。上水道、下水道施設完備の快適な砦である。
砦の名前については、ルートは最初簡単に『グリムベル砦』にしようと提案したが、6人の生徒たちを中心にごうごうたる反対意見が出された。
「僕は、絶対『ブロワー砦』にすべきだと思う」
ジャンの意見に、かなりの数の団員たちが賛成の声を上げた。
「い、いや、気持ちは嬉しいけれど、名前をそのままというのはやはり気が引けるよ、ジャン、すまないね」
ルートの意見に、ジャンたちは残念そうだったが諦めざるを得なかった。
「それじゃあ、ルーティアはどうかしら? たぶん、ブロワー先生の名前のもとになった言葉だと思うんだけど、『未来へ』という意味はこの砦にふさわしいと思うの」
フラン(セラーノ)の意見に、周囲から一斉に賛同の歓声が上がった。
「おお、いいね、ルーティアか……それに地名のグリムベルをくっつけて、『ルーティア・グリムベル』でいいんじゃないか?」
ガロア準男爵の言葉に、ルート以外の全員が賛成した。もうこうなっては、反対しても無駄だと諦めたルートが承諾したので、決定した。
『ルーティア・グリムベル』砦は周囲約252m、15mの高さの頑丈な石垣が取り囲み、外敵の襲来を防いでいる。内部は、中央に幅20mの川が流れ、奥に向かって右に石造りの二階建て開拓団本部、川を挟んで反対側には武器や資材などが入った大きな倉庫が建っている。川の両側には、3階建ての集合アパートがそれぞれ5棟ずつ立ち並び、1階には商店が入るスペースになっている。これも、ルートがスラム街の再開発でおこなったやり方だった。
砦の中央を流れる川の両端には、引き上げ式の頑丈な鉄の柵が取り付けられ、万が一誰かが川に落ちたときでも流されないように、そして外部からの侵入者が入って来られないようになっていた。砦の中には両方の居住区をつなぐ大きな橋が架かっている。将来的には、この砦が、領主の居城の1つになる予定だ。
砦が完成した次の日から、ルートは水田作りとコーヒーの植樹を並行してやり始めた。なにしろ、王都に帰るまであと10日ほどしかないのだ。開拓団が後を引き継いで、開拓地を広げていけるように、コメの作り方やコーヒーの栽培の仕方をしっかりと伝えておかなければならない。
「今からここに水門と用水路を作ります。コルムの栽培に一番大切なのは『水』なんです。だから、水の管理は責任者を決めてきちんと行ってください」
砦から50mほど下流に下った川の側で、ルートは開拓団の中の農業専門家の人々、そして6人の生徒たちにそう言ってから、川岸に四角い穴を開けて、そこに資材として《リープ工房》で作ってもらったチタン・鉄合金製の『水門』をはめ込み、鉄柱でしっかりと固定した。
それから、水門の後ろに一直線に150mほど続く水路を作った。
「では、次にスイデンを作ります」
ルートはそう言うと、バッグから2枚の穀物入れ用の麻袋を取り出した。掘り起こした土をしまうための《マジックバッグ》である。
いくらルートが、けた外れの魔力量を持っていると言っても、例えばドーム球場ほどの容積の空間を袋に合成すれば、いっぺんに魔力切れを起こして、下手をするとそのまま死んでしまうこともありえるのだ。
だから、300m×300mの立方体の空間を2つの麻袋にそれぞれ合成したのである。
水路から5mの距離を取り、中央には3m幅のあぜ道を取る。そしてそのあぜ道の両側に、縦30m、横70m、深さ50㎝の直方体の穴を2つずつ作っていった。縦に並んだ2つの穴の間には2m幅のあぜ道が通っている。
「今回は、残念ながら『種もみ』が1袋しか用意できなかったので、このくらいの面積が精一杯だと思う。来年からは、種もみを多くとっておいて、作付面積を増やしていこう。ここの手前の1枚を『苗床』用のスイデンにする。苗床の作り方は……」
こうして、午前中、ルートは水路や水取り口などを石のブロックで作る作業をしながら、イネの育て方、注意点などを指導した。
そして、昼食をはさんで午後からは、サラディン王国側の山の麓まで出かけて行って、なだらかな丘陵の斜面に、コーヒーの苗木を植樹する作業を行った。
団員全員が参加して、下草や灌木を切り払い、段々畑になるように整地しながら、丁寧に苗木を植えていった。
こちらに来る少し前、ルートが実験で、コーヒー豆が早く発芽して苗木に成長するイメージで魔法を掛けたところ、《ヒール》の時と同じ白く輝く《光魔法》が発動して種を包み込んだのである。
すると、2時間ほどで種は発芽し、見る見るうちに成長して、翌日にはみずみずしい新緑の葉が出てきた。実験は大成功だった。
2000本の苗の植樹が終わった所で、ルートは例の光魔法を山の斜面全体に掛けていった。
大量の魔力が体内から出て行くのを感じたルートは、慌ててマジックポーションを飲んだ。
「よし、これで僕ができる準備は一応終わった」
ルートは独り言のようにそうつぶやくと、感慨深げにグリムベルの広大な眺めに目を細めるのだった。
その夜、ルートは本部の2階にある団長室に6人の教え子たちを呼んだ。
まだ、家具もそろっていないので、全員床に円座になって座った。中央のルート特製の魔石ランプが、この10日間で見違えるほどたくましい顔つきになった生徒たちを明るく照らしている。
「先ずは皆にコーヒーをご馳走しよう。初めてだろう?」
ルートが小さな魔石コンロと銅製のティーポットを取り出してそう言うと、6人は小さな歓声を上げて喜んだ。
「やったあ、コーヒーだ」
「わあ、どんな味なのかしら、楽しみぃ~~」
ルートは、小さな袋からスプーンであらかじめ焙煎して砕いていた豆を2回すくい取ってポットに入れ、コンロに火を点した。
「すごくいい香りだ。先生、どうしてビジャブの種を火で焦がそうと考えたんですか?」
「これはね、まったくの偶然なんだよ……」
ルートはそう言って、西の大陸のフェイダルでコーヒーを発見した時の話をした。6人の生徒たちは目を輝かせて、食い入るようにルートの話に耳を傾けた。
「面白いなあ……この世界には、まだ僕たちが知らない不思議なことがいっぱいあるんだろうなぁ」
話を聞き終えて、それぞれが感想を述べる中でショーン・ラマルクがそう言った。
「そう、それだよ、ショーン……」
ルートがにこにこしながら6人を見回して続けた。
「今日君たちをここに呼んだのは、先ずそのことを伝えたいと思ったからだ。これから君たちは、この未開の大地を自分たちの力で開拓していくことになる。当然、辛いこと、苦しいことの連続だ。心が折れそうになることも何回もあるだろう。
でも、そんなとき、思い出してほしいんだ。自分たちは、今、歴史上誰も足を踏み入れたことのない世界を切り開いているのだということを。そして、それを楽しんでほしい。ここでは、皆の考えで、どんなことだってできる。ルールも、法も自分たちで1から作ることができるんだ。つまり、このグリムベルが、世界一幸福な土地になるか、それとも、地獄のような無法地帯になるかは、君たち次第ということだ……」
ルートはそこでいったん話をやめて、いい香りの蒸気を出し始めたティーポットをコンロから下ろし、バッグの中からカップを7個取り出してコーヒーを注ぎ分けた。
「さあ、どうぞ。熱いから注意して飲むんだぞ」
「はあ……なんていい香り。心が癒されますわ」
エリスがうっとりとした顔でつぶやいた。
全員貴族の子女たちなので、高級な紅茶を飲んでいたし、熱いお茶を飲む所作も優雅で手慣れたものだった。
しばらくは、静かにコーヒーをすする音とため息、そしてつぶやきが続いた。
「この苦み……まろやかでくせになるな」
「ええ……香りが鼻に抜けて、苦みの後に微かな甘みが口に残る……とても複雑な味わいですわね」
「どうだい? これが、今から君たちがこの土地で育てるコーヒーの味だよ」
ルートの問いに、6人は夢から覚めたように、キラキラした瞳でルートを見つめた。
「すばらしいの一言ですわ。先生、これって、豆の焦がし方で味が変わるのではありませんか?」
「おお、さすがはエリスだ、よくそれに気づいたね」
ルートの賛辞に、エリスは赤くなりながらも得意満面で胸を張った。
「その通りだ。ビジャブの種はそのままではほとんど味が無い。種を乾燥させた後、釜でじっくりと炒ることで、あの独特の苦みとうまみが生まれる。だから、どのくらい炒るかでいろんな味のコーヒーができるわけだ」
「つまり、それも僕たちの腕次第ってことですね」
ジャンの問いにルートは親指を立てて頷いた。
「そういうことだ。さっきの話のまとめだが、この土地はすべて君達次第でどんな土地にもなる。僕が期待しているのは、今まで世界中の誰もが知らなかった新しい世界を、ここに作って欲しいということだ。できれば、差別や偏見のない、誰もが平等に幸せに暮らせる世界を作ってほしい。とても難しいことだが、君達ならやれると信じている」
6人の生徒たちはお互いの顔を見合わせ、しっかりと頷き合った。
「先生、お約束します。どこまで先生の理想に近づけるか分かりませんが、このグリムベルを、皆が幸せに暮らせる土地に、必ずしてみせます」
エリスが胸の前で拳を握りしめながら言った。
「僕は先生の教え子ですよ。その教えを守らなくてどうしますか? 任せてください。どんな人間も、獣人も一緒に幸せに暮らせる土地を作って見せます」
ジャンが力強く宣言した。
「何もかもが楽しみでしかたありません。生活が苦しくても、不便でも、このグリムベルに詰まっているたくさんの夢を、この手で現実にしていきます」
ロマンチストのショーンがにこやかにそう言った。
「来る前は正直不安でした。でも、今はもう不安はありません。明日が来るのが楽しみになってきました。将来、子供たちが夢を持って生きていける土地にしたいです」
おっとりした性格のクレアが珍しく熱っぽい口調で言った。
「僕はこれまで、人の後ろをついて行くばかりでした。でも、ここに来てから、何か自分の力でやれそうな気がしています。皆と協力して、豊かな土地にしたいです」
いつもジャンの陰に隠れていたアルスが、大人っぽくなってそう言った。
「私は唯一の2年生です。年はエリスさんが1つ上ですが……皆の心の支えになれればと思っています。魔法の研究もやってみたいと思っています」
冷静で頭がいいフランらしい答えだった。
「うん……皆の言葉を聞いて安心したよ。この土地を皆に任せる。ここには、頼りになる専門家がたくさんいる。遠慮なく彼らに相談して、自分たちの考えを伝えてくれ。僕は、明後日ごろここを発つつもりだ。もちろんちょくちょく様子は見に来るよ。船以外でここに来る方法も考えているところだ。あと何年後かには、君たちを驚かせられると思う。
今、ここで、みんなで誓いを立てよう。このグリムベルを、世界で一番楽しい国にすることを。いいかい?」
ルートはそう言って、手を前に差し出した。
生徒たちが、その上に次々に手を重ねていった。
この『グリムベルの誓い』を、6人の生徒たちは終生忘れることはなかった。そして、その誓いは形を変えて、この土地に生まれた6つの領地に共通に施行された領法の最初の文に反映された。曰く、
『グリムベルの民は、何人も差別されず、自由に住居および職業を選択する権利を有する。また、何人も法の許す範囲において、その活動や表現の自由を妨げられない』
ルートは、ガロア準男爵に今後の大まかな開拓方針を書いた書類を引き継いだ後、この2日後、6人の生徒たちと開拓団の人々に見送られてルーティアの港から王都へ向けて出港した。
リーナ、従魔たちと冒険する 1
ルートが、開拓団の団長に任命されて王都を離れてから1週間が過ぎた。
リーナは、今、ポルージャの《タイムズ商会》本店裏にある「自宅」で、リム、ラム、シルフィーたちと一緒に暮らしていた。王都の別宅でルートの帰りを1人で待つのはさすがに寂しかったし、ミーシャとジークがルートが出て行った翌日には迎えに来てくれたので、それに応じたのである。
昼間は本店の仕事を手伝ったり、仕事がないときは冒険者ギルドに顔を出して、簡単な依頼をこなしたりして、退屈している暇はなかったが、やはり、ルートがいない心のすき間は何をやっても埋まることはなかった。
そんなリーナの寂しさを理解しているミーシャは、毎日夕食に彼女を呼び出して、一緒に食事をしながら彼女の話を聞いてやっていた。
「そうそう、今日、市場で屋台を出しているジェミーさんが、青狼族の人たちを見かけたって言ってたわ。村からここまでかなり遠いのに、買い出しにきたのかしらねえ?」
ミーシャの言葉に、リーナは少し考えてからこう言った。
「ん、たぶん、リンドバルかコルテスの街で働いている若い連中じゃないかな。仕事で来たんだと思う。村の人たちは、今頃、コルムの苗床作りで忙しいと思うから」
「ああ、そうか、コルムの栽培は今からが忙しいってルートが言ってたな……痛てっ!」
ジークが何気なくそう言うと、テーブルの下でミーシャがジークの腿をつねった。
「あ、ああ、いや、すまん、つい……」
ジークが頭をかきながら謝ると、リーナは弱々しく笑いながら首を振った。
「気にしないで……ルートのことは心配だけど、大丈夫だって信じているから」
それが、リーナの精一杯の強がりだということは、ミーシャもジークも分かっている。
「なあ、リーナ。3日前、《青い稲妻》の連中が来てポーションを買っていったんだがな、どうやら《魔樹の森》の奥で、『魔泉』らしきものが見つかったらしいんだ。だが、その周辺にはキングボアやハイオーク、アンデッドの魔物なんかがうようよしていて、どこのパーティもまだ確認できていないらしい。どうだ、久しぶりにどこかのパーティと組んで、行ってみないか?」
ジークの話に、リーナは目を輝かせた。しかし、ルートがいないパーティだと不安がある。
「ジークも行くの?」
「ああ、いや、俺はこっちの仕事で手が離せないからな。ただ、Bランクパーティの《ベイル・ケンプ》が、斥候を探しているらしくてな。お前の居場所を受付に聞いていたって、《青い稲妻》の連中が教えてくれたんだ」
「でも、1人で大丈夫なの? あなたにもしものことがあったら、ルートが……」
ミーシャの当然の心配に、ジークが安心させるようにミーシャの肩を抱いて言った。
「ミーシャはまだこいつの強さを見たことがないからな。心配はいらねえぜ、Aランクは伊達じゃねえ。今、1対1でリーナに勝てる奴が、この国に何人いるか」
そう、リーナはついにAランクの冒険者になっていた。帝国との戦争に参加した冒険者たちは、恩賞の意味もあってほとんどの者がランクアップしていたが、リーナの場合は、実力から見て文句のつけようがないランクアップだった。
ジークの言葉に、ミーシャは改めて驚いてリーナを見た。華奢で愛らしく、もうすぐ義理の娘なる少女が、恥ずかしそうに頬を染めてミーシャにはにかんだ笑顔を向けた。
「ん、じゃあ、ちょっと行ってみる。お母さん、心配しないで。無茶はしない。それに、シルフィーたちも一緒に連れて行くから、大丈夫」
「うん、分かった。何かあったら、シルフィーに手紙を持たせて飛ばしてちょうだい。すぐにジークを向かわせるわ」
ミーシャは立ち上がって、リーナのもとへ行き優しく抱きしめてそう言った。
「うん、そうする」
リーナはミーシャに甘えるように目をつぶって、ふくよかな胸に顔をうずめた。
翌日、リーナはシルフィーたちをベルトに付けたポーチ型のマジックバッグに入れて、冒険者ギルドに向かった。
「あ、リーナさん、お早うございます」
ドアを開けて入って来たリーナを見て、受け付けのライザが嬉しそうに手を振った。
「あ、リーナさんだ、リーナさん、お早うございます」
「リーナさん、お久しぶりです」
ロビーにいた冒険者たちも、リーナに気づいて挨拶しながら周囲に集まってくる。そのほとんどは一緒に西の大陸へ行った者たちだった。
と、そこへカウンターから出てきたライザが近づいて来た。
「リーナさん、お待ちしていました。ちょっとよろしいですか?」
「え、う、うん」
戸惑うリーナを、ライザはにこにこしながらラウンジの方へ引っ張っていった。
「《ベイル・ケンプ》の皆さん、こちらがお探しのAランク冒険者で《時の旅人》のメンバーのリーナさんです」
ラウンジの一角に座っていた男2人、女1人の冒険者パーティは、さっと立ち上がった。
「は、初めまして。お、俺は《ベイル・ケンプ》のリーダーのベイルで、こいつがケンプ、そしてポルンです、よろしく」
「う、うん、よろしく」
相手の緊張が移ったように、リーナも緊張しながら返事をした。
「あのね、リーナさん、ベイルさんたちは3日前から毎日ここへ来て、あなたが現れるのを待っていたのよ。どうしてもお願いしたいことがあるって。じゃあ、ベイルさんたち、後はよろしくお願いしますね」
「ああ、ありがとう、ライザさん。ええっと、どうぞ、こちらへ座ってください」
ライザが受付へ戻っていくと、ベイルがそう言ってリーナを席へ誘った。
リーナが席に着くと、ベイルが話し始めた。
「あの、俺たちはアルバン公国の冒険者で、3週間前、王国に来たんだ。最初は帝国との戦争に参加しようと思っていたんだが、すでに軍は出発した後だった。ああ、ほら、アルバン公国は遠いだろう? だから、王国の情報が届くのが送れるんだ……あはは……間抜けだよな。それで、そのまま引き返すのはしゃくだったから、王都で有名な《黒龍のダンジョン》に挑戦してみようということになって、5日前まで潜っていた。8回潜って、56階層まで到達したんだ。56階層のボスにはどうしても勝てなくて、あきらめたってわけさ……」
ベイルは、そこでいったん話をやめて、ポルンに4人分の飲み物を注文してくるように頼んだ。
「リーナさん、紅茶でいいですか?」
まだ幼い見た目の魔導士姿の少女が、ぼそっと小さな声でリーナに尋ねた。
「あ、うん、いいよ、ありがとう」
リーナが答えると、ポルンは小さく頭を下げてから厨房のカウンターへ向かった。
「あいつ、めちゃくちゃ緊張してるな」
ケンプが笑うのを我慢しながら言った。
「ああ、そりゃあ緊張するさ。俺たちも同じだろう? あんな噂を聞いたあとで、その本人が目の前にいるんだからな」
「〝あんな噂〟?」
ベイルの言葉を聞きとがめたリーナが尋ねた?
「ああ、すみません。実は……」
「敬語は使わなくていいよ」
リーナの言葉に、ベイルは頭をかきながら赤くなって頷いた。
「あはは……すまない、慣れてなくてな。じゃあ、普段通りの言葉で話すよ……」
ベイルはそう前置きすると、王都で聞いた冒険者たちの噂話について話し始めた。
リーナ、従魔たちと冒険する 2
ベイルが語ったのは、《時の旅人》として教皇ビオラ・クラインを護衛し、世紀の天才魔導士と言われたスタイン・ホレストを倒したことと、その《時の旅人》の斥候として、リーナが《銀髪の美しき死神》という二つ名で、今や王都の冒険者たちの間では伝説的な冒険者として語られていることだった。
「……でも、正直びっくりしたよ。実際に会って見たらこんなに若くて、その、ごつくなくて……美しい人だったなんて……」
ベイルの言葉にケンプも頷いて言った。
「まったくだ。もっと筋肉もりもりで怖い感じの人だと想像していたけど、全然違った」
「あ、ありがとう……噂って、尾ひれがついて勝手に独り歩きするから……」
リーナは今までその噂に悩まされてきたので、小さなため息を吐いてそう言った。
「あの……」
紅茶を運んできた後、じっと話を聞いていたポルンが、ためらいがちに口を開いた。
「……リーダーの人って、まだ少年で、すごい魔法使いだって聞いたけど、本当?」
リーナは、とたんに嬉しげな顔でにっこり微笑みながら頷いた。
「うん、本当だよ。私なんかより何倍もすごい人。でも、それをひけらかしたりしないし、目立つことは嫌いだから、知っている人は少ないの」
「会ってみたい……」
ずっと無表情だったポルンが、初めて感情を見せて熱っぽくつぶやいた。
「今は、遠くに出かけていていないの……帰って来るのは来月の初め頃……」
リーナはそう答えて、急に寂し気にうつむいた。
その様子を見て、他の3人はリーナの思いをそれとなく理解した。
「あ、あの、それで、ここからが本題なんだけど……」
ベイルがその場の空気を変えるように、元気な声で切り出した。
「俺たち一昨日、今噂になっている《魔樹の森》へ入ったんだ。そして、確かにボーグ領にある《迷いの森》のダンジョンに似ていると思った。奥に進むほど、自然にできた迷路やトラップがあって、魔物も多い。あと何年もしないうちに、きっとダンジョンになると思うんだ。だから、その前に最深部を見ておきたい。《魔泉》があるという噂の真相を確かめたいんだ。でも、俺たちだけでは、残念ながら最深部まではたどり着けそうにない。一昨日もハイオークの集団に出くわして、逃げるのがやっとだった。でも、もっと早く敵を察知できれば、なんとか対処できると思うんだ。
だから、リーナさんに力を貸してもらいたいと思って、待っていたんだ。どうかな? 依頼料はできるだけそちらの望みに沿いたいと思っている」
ベイルの真摯な態度に、リーナは微笑みながらすぐに頷いた。
「ん、いいよ」
リーナの答えに《ベイル・ケンプ》の3人は手を取り合って喜んだ。
「キャンプ用具は持ってる?」
リーナの問いにケンプが頷いて答えた。
「ああ、大丈夫だ。食料を少し買い足せば、2日はキャンプできるよ」
「うん、じゃあ、すぐに出発しようか。食料は私が持っているから大丈夫。他に準備することはある?」
「えっ、で、でも、リーナさん、荷物は?」
ベイルの問いに、リーナは腰に付けたポーチをポンポンと叩いた。
「この中に入ってる。マジック・バッグなの」
「ええっ、す、すごいな……そんな小さいのにキャンプ道具や食料もはいっているのか」
「ゆ、夢のマジックバッグ……あたしも欲しい」
安い物でも100万ベリーは確実に超えるマジックバッグは、冒険者たちにとって、憧れのステータスシンボルだった。
ルートに片手間で作ってもらったリーナは、なんだかすまない気持ちになって立ち上がった。
「じゃあ、ライザさんにパーティに参加するって言ってくる」
「あ、ああ、俺たちは宿に帰って荷物を取ってくるよ。あと20分ほど待ってくれるか?」
「うん、分かった」
こうして、リーナは《ベイル・ケンプ》に臨時メンバーとして加わり、南門から《魔樹の森》へ出発した。
ルートとチームを組んだ最初の頃、薬草採取や弱い魔物を狩るためによく訪れていた森だ。しかし、確かにその頃と比べると、森が深くなり、空気が濃密になった感じがした。
「じゃあ、この辺りで休憩にしようか」
昼少し前、木々が開けた場所でベイルが前を行くリーナに声を掛けた。
まだ、この辺りまでは現れる魔物も弱く、リーナが手を出すまでもなく3人が見事な連携で苦も無く倒していた。さすがにBランクパーティといったところだ。
4人は地面に円座になって座り、水や携帯食料を並べ始める。
「あの、ちょっと従魔たちを外で遊ばせたいけど、いいかな?」
リーナの言葉に、他の3人はわけが分からないといった顔でぽかんとしている。
そこで、リーナはポーチの中から実際にシルフィーと2匹のスライムを取り出して見せた。
「うわあっ、な、なんだ、こいつら」
3人はいきなり現れた魔物たちに驚いて、逃げ出しながら戦闘態勢を取った。
「心配ない、この子たち何もしないから。ごめん、驚かせて……この子たちはうちのリーダーの従魔なの。とても賢くて、役に立つんだよ」
リーナの言葉に、ようやく3人は安心して元の場所に座り直した。
「《テイム》ってすごく難しい魔法だって聞いたけど、リーナさんところのリーダーって、本当にすごい魔法使いなんだな」
「ん、ルートは天才、神の子……」
リーナはシルフィーやリム、ラムを膝に抱いて優しく撫でながら、少し寂し気につぶやいた。
「それ、カラドリオスだよな? 大きさから見てまだ幼鳥みたいだけど、成鳥になったら4、5匹くらいの群れでワイバーンも倒してしまうくらいの強力な魔物だって聞いたことがある。本当に大丈夫なのか?」
「平気だよ。ヒナの時から育てたから、ルートはお父さんで私はお母さんだって、この子は分かっているの。リムとラムは弟たち、ね?」
「ピ~~」、ピョンピョン……リーナの言葉に答えるように従魔たちが反応する。
「じゃあ、ちょっと遊んできていいよ。あんまり、遠くへ行っちゃだめだからね」
「ピピ~~」、ピョンピョン……従魔たちは返事をすると、シルフィーは優雅に羽を広げて飛び立ち、スライムたちは木々の間にするすると消えていった。
「じゃあ、昼めしにしようか」
ベイルの言葉に、メンバーはそれぞれが持ってきた携帯食料で食事を始めた。リーナ以外は、3人とも黒パンと干し肉、干しリンゴといった冒険者の常備食だった。
「あの、よかったら、これ食べて」
リーナはバッグの中から、揚げたての唐揚げとカツサンドの箱詰め弁当を取り出して、3人の前に置いた。そして、自身は大好物の肉串の袋を取り出して食べ始める。
「うわぁ、おいしそう……もらっていいの?」
「ん、遠慮なくどうぞ」
ポルンが嬉しそうに唐揚げをフォークで刺して口へ運んだ。
「んん~、おいしい。まだ、熱々だよ、マジックバッグってすごい」
「じゃあ、俺もいただきます」
「俺も」
ベイルとケンプも唐揚げをもらって1口食べ、そのおいしさに大喜びだった。
「今まで食った唐揚げで一番うめえ。なんでだろう? 作り方が違うのか?」
「ああ、それはね……」
リーナがすこし恥ずかしそうに頬を染めて言った。
「……ルート、リーダーが自分の手で作ってくれたの……中の肉に下味をつけて、外側の衣にも特別な香辛料を使っているから……」
「そうか……愛されているんだな、リーナさん」
ベイルの言葉に、リーナは火のように赤くなってうつむくのだった。
87 リーナ、従魔と冒険する 3
リーナたちが昼食を終え、出発の準備を始めたときのことだった。リーナはシルフィーたちを呼び戻そうと、ルートに習った念話で従魔たちに呼びかけはじめたが、それより早く、シルフィーの甲高い鳴き声が聞こえてきたのである。
「ピ~~ピピッ、ピ~~」
「シルフィーッ……何か見つけたの?」
「ピピッ、ピピッ……」
明らかに警戒するときの泣き声だった。と、そこへ、リムとラムも戻って来て、急いで移動してリーナの足にポヨポヨと体をぶつけて、何か知らせようとしている。
「リーナさん、何かあったのか?」
「ん、ちょっと待って、この子たちに聞いてみる」
ベイルにそう返事すると、リーナはまずシルフィーの頭におでこをくっつけて目をつぶり、意識を集中させた。
すると、上空からの視点で、リーナたちがいる所から200mほど森の奥の方から、5体の大きな魔物が近づいている映像が浮かんできた。
リーナは顔を上げると、ベイルたちを見回して言った。
「魔物が5匹、こちらに向かっている。たぶん、オークのでかいやつ」
「ハイオークか。あと、どのくらいでぶつかる?」
「たぶん、100mちょっとくらい。まだ私の《魔力感知》にかかっていないから、見つかってはいないはず」
「よし、じゃあ、迎撃準備だ」
ベイルの指示に他の2人が動き出そうとしたとき、リーナが言った。
「どんなふうにやるの?」
「えっ?どんなふうって、木の陰に隠れて、奇襲が常識だろう?」
「私に考えがある。集まって……」
リーナは3人を集めて自分の作戦を話した。
「分かった、それでいこう」
3人は頷いて、それぞれの配置に散っていく。
「シルフィー、オークをやっつけに行くよ。リムたちはバッグの中に入っててね」
リーナの言葉に、シルフィーは一声鳴いて飛び立っていったが、2匹のスライムたちは何やら体を伸ばしてくねくねと左右に揺れている。
「えっ? リム、ラム、あなたたちも戦うの?」
2匹のスライムたちは、そうだと言わんばかりにピョンピョンと何度も跳ねた。
「ふふ……うん、分かった。じゃあ、ここの木の上で待っていて。オークたちを連れてくるから」
リーナはそう言って2匹のスライムを、傍らの木の枝に乗せてやった。
「じゃあ、行ってくるね」
リーナは2匹に手を振ると、《気配遮断》と《加速》を同時に発動して、木々の間を風のように走り出した。
5体のハイオークの群れは、食料になる獲物を探しながら森の中を歩き回っていた。住処の近くの獣や魔物はあらかた食い尽くされたので、繁殖させて餌にするためのゴブリンかオーク、できれば人間の女がいないかと、この2、3日人間たちの活動範囲まで足を延ばしていたのである。
「ピ~~ッ」
「ブギッ!」
先制攻撃を仕掛けたのは、シルフィーだった。地上から8mほどの上空に静止して羽ばたきながら、ハイオークたちに向かって、口から風魔法の《ウインドカッター》を次々に浴びせ始める。カラドリオスが生まれつき持っている武器だ。
ハイオークたちの分厚い皮膚には、さほどダメージは与えられなかったが、彼らの気をそらし、足止めすることには成功した。
「ブギャアァァ!!」
「グヒィィッ!!」
ハイオークたちが突然悲鳴を上げて、膝の裏や腿から血を流し始めた。5体のオークたちが、訳が分からないうちに何度も足に攻撃を受けて、狂ったように悲鳴と怒りの声を上げ続けた。
「こっちだよ、ブタさんたち。さあ、かかっておいで」
《気配遮断》を解除したリーナが、ハイオークたちの前に姿を現して挑発した。
「「「ブギャアアアッ!」」」
ハイオークたちは、怒りのあまり真っ赤になって叫び声を上げ、リーナに向かって突進してきた。しかし、全員足を斬られていたので、思うように速く走れない。
リーナはからかうように笑いながら、彼らのすぐ前を左右にひらひらと身をかわしながら走っていく。シルフィーはリーナの前を飛びながら、ウィンドカッターを浴びせかける。
もう、ハイオークたちは怒りに我を忘れてしまっていた。
「よし、来たぞっ」
それぞれの持ち場で待機していた《ベイル・ケンプ》の3人は、前方から地響きを立ててやって来る魔物の群れを確認して頷き合った。
シルフィーとリーナが、ベイルとケンプの横を通り過ぎた。
「今だっ!」
ベイルの叫びとともに、地面に仕掛けておいたロープをケンプが引っ張る。
「「「ブギィィィッ!」」」
大きな輪っかになっていたロープは、5体のハイオークたちの足を縛り上げて、地面に倒すことに成功した。
「火の精霊よ、我が願いを聞き、逆巻く炎となりて、敵を包み込め、フレイムサークルッ!」
ポロンが木の枝の上からすかさず下に向かって中級の火魔法を放つ。
炎に包まれたハイオークたちは、凄まじい悲鳴を上げて苦しみ、暴れた。しかし、さすがは単体でもBランクの魔物である、斧を手にした1体のハイオークが、ロープを切って、炎の中から立ち上がった。
「ウガアァッ」
「うわっ、や、やべえ」
ロープを懸命に引っ張っていたケンプは、ロープを切られた反動でひっくり返り、立ち上がろうとしたとき、焼けただれた皮膚からまだ煙が立ち上っている魔物が近づいてきているのに気づいた。
「ケ、ケンプ、逃げろ!」
反対側の木の陰に隠れていたベイルが助けに飛び出したが、もうハイオークは斧を振り上げてケンプの目の前に迫っていた。
「プギャッ! ウブブブ……」
その時、青緑色の半透明のゼリーのようなものが2つ、木の上から落ちてきて、ハイオークの顔をすっぽりと覆ったのであった。ハイオークは慌てて片手でそれを引きはがそうとしたが、それは餅のように伸びて顔から剝がれなかった。
オークはとうとう斧を放り出して、両手で引き剝がそうともがき始めた。そのゼリー状のものによって息ができないうえに、顔の肉を溶かされ始めたのである。
「でやあああっ」
「うおおおっ」
ベイルとケンプはこの時とばかりに、剣とハルバードでの斬撃を数回ハイオークに浴びせた。
ドス~ン、という地響きを立ててついにハイオークは倒れ、息絶えた。
「やったぜ……おお、お前たち、ありがとうな、助かったぜ」
ベイルとケンプは、ハイオークの息が絶えているのを確認してハイタッチをした後、ハイオークの頭の所からぷよぷよと出てきた2匹のスライムに礼を言った。
スライムたちはそれを理解したかのように、ピョンピョンと2回ずつ跳ねた。
「おうい、ポロン、そっちはどうだ?」
「うん、リーナさんが片付けてくれた。今、魔石を取り出しているところ」
ベイルとケンプも、倒したハイオークの胸の中心部をナイフで切って、胸骨の裏に張り付いている魔石を取り出し、ポロンたちの所へ行った。
リーナが最後の1体の胸から魔石を取り出して、ポロンに渡した。
「リーナさん、おかげでハイオークを5体も倒せたよ。ありがとう」
「みんなが頑張ったおかげ。この子たちも頑張ってくれた」
「ああ、驚いたぜ。ハイオークに襲い掛かるスライムなんて初めて見た……」
「まるで、おとぎ話だよな」
4人はケンプの言葉に和やかな笑い声を上げた。
リーナの肩に止まったシルフィーも楽し気にピピピとさえずり、足元の2匹のスライムたちは嬉し気にピョンピョンと何度も跳ねた。
リーナ、従魔たちと冒険する 4 ~森の奥の《魔泉》~
リーナと《ベイル・ケンプ》の3人は、その後も何度か魔物の群れに遭遇したが、リーナの早い感知能力と、3人の高い戦闘能力で切り抜けた。そして、いよいよ最深部らしき場所に足を踏み入れた。
そこには、周囲にある巨木の中でもひときわ巨大な木が聳え立ち、その根元には人が楽に立って入れるほどの大きな洞(うろ)が口を開けていた。そこから大量の魔素が出ていて周囲に広がっていたのだ。
「すげえ……こんなの始めて見た……」
「ああ、こいつは大発見だぜ。あの空洞の中はダンジョンになってるのかな?」
全員が、その幻想画のような光景に息を飲んで見つめていた。
「ん、まだ、ダンジョンにはなっていないと思う。コルテスの街にある《毒沼のダンジョン》は知ってる?」
リーナの問いに、ベイルが頷く。
「ああ、聞いたことはあるが、実際に行ったことはないよ。すごいお宝があるけど、魔物が強くて、10階層から下にはなかなか行けないって噂だ」
「うん。あの《毒沼のダンジョン》は、まだ進化の途中なの。それでも、こんなに外に魔素は出ていない。たぶん、あの空洞の中はあと何百年かかけて深くなっていくんだと思う」
「へえ、そうなのか……ということは、俺たちはこれから〝ダンジョンに進化する卵〟を見ているってことだな」
「不思議……」
ポロンが感動したようにつぶやいて、大木の方へ近づいて行こうとした。
「ポロン、待ってっ!」
リーナが慌ててポロンの前にでて彼女を止めた。
「あの木の周囲にはたくさんの魔物の気配がある。それに、あの木も……普通の木じゃない」
そのリーナの言葉を裏付けるように、巨木の周囲の地面がぼこぼこと盛り上がって、その下から、人や狼、オークなどの姿をし、半ば腐敗して骨がむき出しになったアンデッドたちが、ぞろぞろと姿を現したのであった。
「うわっ、アンデッドの群れだ、やべえ逃げるぞ」
ベイルの言葉に、ケンプとポロンも今来た方へ走り出そうとした。
「待って!……ポロン、あの木に火魔法を撃ってみて」
「え? だって、ア、アンデッドが……」
「そうだよ、早く逃げないとやられちまうぜ」
「いいから、やってみて」
リーナの言葉に、ポロンは仕方なくロッドを巨木に向けて詠唱を唱え始めた。
「火の精霊よ、我が願いを聞き、炎の矢となりて敵を貫け、ファイヤーアローッ」
ロッドの先から、炎の矢が飛び出し、巨木の幹に突き刺さった。
「ぎゃあああっ! あちち~っ」
「あち、あちいいっ」
「おいっ、なんてことしやがる、熱いじゃないかっ!」
「ひでえ……なんて惨いことを……」
巨木の幹の表面がぼこぼこと蠢いた後、幾つもの人間の顔のようなものが浮き上がり、その1つ1つが違う声でしゃべり始めると同時に、木の枝が人間の手のように動いて、燃えている部分をパタパタとはたいて消したのだった。
「な、何だ、あれ……」
ベイルたちは、あまりの驚きと気味の悪さに顔面が蒼白になってガクガクと震え始めた。
「もう1発食らいたくなかったら、アンデッドたちを止めなさい」
リーナも内心気味が悪かったが、巨木がアンデッドたちを動かしていると見抜いていたので、気持ちを強く持って叫んだ。
「ふん、愚かな人間どもめ。そんな脅しに屈するとでも……」
「そ、そうだ、この偉大なる我の力を今こそ……」
「ポロン、今度はもっと特大のやつをお見舞いして」
「う、うん、分かった。炎の精霊よ、我が願いを聞き……」
「わああっ、や、やめろおおっ!わ、分かった、分かったから、やめてくれ」
巨木の顔の1つがそう叫ぶと、アンデッドたちが動きを止めた。そして、地面の中へ溶けるように消えていった。
「えっ、ど、どういうことだ?」
ケンプの声に、リーナは地面からニョロニョロと蛇のように出てきた木の根を足で思い切り踏みつけながら答えた。
「あれは、本物のアンデッドじゃないっ。たぶん、あの木が根を変形させたもの」
「リーナさんは、それが分かったから逃げなかったのか……」
「うん。《魔力感知》でいろいろな魔物を見てきたから、魔力の動きや強さでどんな魔物か分かるようになった。さっきのアンデッドは、すべてあの木と同じ魔力だった。つまり、木の一部だって分かったの」
「すげえ……これが、AランクとBランクの違いか」
「尊敬します、師匠」
ベイルとポロンが目をキラキラさせながらつぶやいた。
リーナは照れくさそうに頬を染めながら、タガーを抜いて巨木に近づいていった。
「ずいぶんあくどいことするのね。覚悟はできているんでしょうね?」
リーナはわざと低い声で巨木を脅迫した。
「ま、待て、待て、これには理由があるのだ」
「理由?」
リーナはポロンに目で合図を送って、火魔法の発動をいったん止めさせた。
「わしが説明しよう……」
木の幹の中央に、新しい顔が現れてそう言った。他の顔より大きく、目がくぼみ鼻が高く曲がった老人のような顔だった。
「わしは800年前にこの地に生を受けた。その頃は、まだこの辺りは木が何本か生えているくらいでな、見渡す限りの大平原だった。やがて、木が増えていき森となり、たくさんの動物や魔物たちが住みついて、にぎやかになっていった。多くの木が枯れて生まれ変わっていく中で、いつしかわしは、この森で一番古く、大きな木になっていた。根は地中深くまで伸び、そして森の半分ほどまで広がっていった。
ところが、ある日異変が起きた。今から400年近く前のことだ。わしの根は地中40mの所まで達しているが、その日、一番深い所にある根の先端が地中から湧き上ってくる魔素の流れに触れたのだ。そして、魔素の流れはやがてわしの根を伝って、ついに根元から地上へと噴き出した。
それから周囲の様子はどんどん変わっていった。近くに住み着いていた獣たちは魔物へと変化し、魔物たちはより強い魔物へと進化していった。だが、一番変わったのは他ならぬわしだった。魔素を吸収し続けたわしは、いつしか魔素に含まれる様々な思念が結晶化した魔石を体内に宿す魔物になっていた。視覚、聴覚、思考の機能が生まれ、それらはより広く深く高められていった。
そして数百年が過ぎた。わしは根を動かして移動することもできるようになった。だが、この場所を離れるつもりはない。わしの根元には今、地中へ向かう洞窟ができつつある。いずれ、ここはダンジョンになるだろう。わしは、このダンジョンが出来上がるまで、守らねばならぬ。だから、近づいてくる者は魔物であろうと人間であろうと撃退してきた。
そなたたちに危害を加えようとしたことは謝る。だが、どうかこのまま立ち去ってくれるとありがたい。もし、それを拒むなら、わしは全力でそなたたちと戦わねばならぬのだ」
巨木が話し終えると、じっと聞いていたリーナたちは自然に顔を見合わせて頷き合った。
「話は分かったわ。もともと私たちはこの場所を荒らすために来たわけじゃない。《魔泉》があるっていう噂を確かめに来ただけなの。それが確かめられたから、このまま帰るわ」
リーナがそう言うと、他の3人も頷いて順番に口を開いた。
「ああ、こんな貴重なものを見れたし、貴重な話が聞けて満足だ。礼を言うぜ」
「すごいものを見せてもらったぜ。また、話を聞きに来たいが、だめか?」
「うん、また来たい。でも、人間に荒らされたくないから、ここのことは秘密にするわ」
「おお、秘密にしてくれるならありがたい。わしも、人間世界のことが知りたいから、話をしに来てくれるのは歓迎する。そうだ、では、これを持っていくがよい」
巨木がそう言うと、地中から1本の根が出てきてニョロニョロと4人の近くまで伸びてきた。そして、何かをポトリと落とすと、また地中へ戻っていった。
「これは……」
「魔石?」
「きれい……」
そこに落ちていたのは手のひらほどの大きさの、美しい緑色の宝石だった。
「それは、わしの根の中で成長した魔石の1つだ。それを持っていれば、この辺りの魔物たちは襲っては来ない。くれぐれも悪人に奪われないようにな」
リーナは、それを拾ってベイルに手渡した。
「いいのか、もらって?」
「うん。私は、ルートと一緒にまたいつでも来れるから」
「ああ、確かにリーナさんたちなら、簡単だよな」
ケンプの言葉に、ベイルもポロンも苦笑気味に笑うのだった。
こうして、リーナたちの《魔泉》探索は無事に終わった。
《ベイル・ケンプ》の3人は、巨木との約束を守って、この貴重な発見と体験を誰にも言わなかった。その後も多くの冒険者たちが、最深部を調査するクエストに挑んだが、最後の所で巨木が作り出した《木の根ゾンビもどき》を本物のゾンビと思い込んで、逃げ帰るパーティがほとんどだった。
だが、この2年後、ポルージャの冒険者ギルドは『魔樹の森の魔泉と神木』というタイトルで調査結果を全国に公表した。発見および調査記録をしたのはBランクパーティ《ベイル・ケンプ》と記載されていた。
ベイルたちは、あれからも何度か巨木と話をしに行った。その中で巨木から、やって来る冒険者がだんだん強力になってきたこと、このままだと火魔法で焼き殺されるのは時間の問題だということを聞いた。そこで、彼らはいろいろ話し合ったが解決策が思いつかず、悩んだ末に、リーナに相談しようということになった。
王都でルートと新婚生活をしていたリーナのもとに、ベイルたちが現れたのは、《魔樹の森》の冒険から1年半が過ぎた頃だった。
ルートが話に加わったことで、問題はあっけなく解決した。
「よし、これで大丈夫だよ」
ルートがおこなったのは、巨木全体に《魔法防御》の結界を張ることだった。宮廷魔導士団長のハンス・オラニエから学んだ魔法だ。もともと《防御結界》と名付けた物理防御の魔法は使えたルートだったが、魔法防御は難しくてできなかった。そこで、専門家であるハンスのもとへ何度か通い、呪文を教えてもらって使えるようになったのだ。
こうして、巨木の悩みは解消し、また、正式に《神木》と認定されたことで、巨木を傷つける者はいなくなった。
《魔樹の森》は、今でも初級から中級の冒険者にとって人気の探索地であり、生活費を稼ぐためのありがたい森だった。しかし、その最深部には上級パーティしか足を踏み入れることができなかった。そこには樹齢800年を超える巨大な神木が聳え立ち、根元にダンジョンに進化しつつある深い洞窟を抱えて、静かに眠っているのだった。
ルートの帰還と従魔たちの進化
ルートは予定通り、4月2日ラークス港に到着し、その日の夕方王都の別宅に帰りついた。彼の帰りを待ちわびていたリーナは、喜びを隠しきれなかった。
さっそく準備していた手料理の数々をテーブルに並べて、感激するルートと一緒に久しぶりに夕食を共にする中で、普段はあまり口数が多くない彼女には珍しく、ルートの留守の間の出来事や特に《ベイル・ケンプ》とともに 《魔樹の森》を冒険したことなどを、熱心に話して聞かせた。
「やっぱり、森の奥に《魔泉》があったんだね。でも、巨木の魔物がいたとは、おもしろいなあ……僕も、いつか休みが取れたら行ってみたいなあ」
「うん、一緒に行こう。あ、それから、この子たちもとっても頑張ったんだよ……」
リーナはそう言うと、同じテーブルで専用の餌を食べている従魔たちを撫でながら、彼らの活躍を語って聞かせた。
「へえ、そんなことが……ん?」
ルートは楽し気に話を聞いていたが、隣のテーブルで仲良く並んでひき肉と野菜を細かく切って混ぜた餌を食べているリムとラムに目を留めて、首を傾げた。
「どうしたの?」
リーナの問いに、ルートは彼女に目を戻して言った。
「うん、この子たち、ちょっと見ない間になんか大きくなって、雰囲気が変わったなあと思って……シルフィーも、くちばしが長くなったよね」
「そう、かな? いつも一緒にいるからよく分からないけど……ルート、あれ、《解析》で見てみたら?」
「ああ、そうだね。よし、じゃあ、リムとラムから見てみようか」
ルートは、ナイフとフォークを皿に置いて、リムとラムを見つめた。
《名前》 リム
《種族》 スライムウォーリアー
《性別》 無
《年齢》 5
《職業》 ルート・ブロワーの従魔
《状態》 正常
《ステータス》
レベル : 36
生命力 : 388
力 : 158
魔力 : 116
物理防御力: 290
魔法防御力: 265
知力 : 118
敏捷性 : 38
器用さ : 314
《スキル》 分離 Rnk5 吸収 Rnk5
イメージ伝達 Rnk3
「っ! スライムウォーリアー?」
ルートは驚いて、思わず声を上げた。
(前世のゲームやラノベでも見たことがないぞ。確か、前に見たときはエルダースライムだったよな。つまり進化したわけか……へえ、おもしろいな。ラムはノーマルからエルダーに進化している。リムはウォーリアー、つまり戦士に進化したわけか。この後はどんな進化をするんだろう? 楽しみだな)
「どうだった?」
リーナの問いに、ルートはリムとラムがそれぞれ進化し、ステータスも大きく伸びていることを説明した。
「やっぱり、この前ハイオークと戦ったり、魔素をいっぱい浴びたからかな?」
「うん、たぶんそうだね。よし、これからもなるべく鍛えてやるからな。さて、じゃあ、次はシルフィーだね」
ルートは、自分の横の椅子に行儀よく座ってサラダや生肉をついばんでいるシルフィーに目を向けた。
「ピピ?」
シルフィーはルートの視線に気が付いて、不思議そうに首を傾けながら小さな声で鳴いた。
《名前》 シルフィー
《種族》 カラドリオス
《性別》 ♀
《年齢》 3
《職業》 ルートの従魔
《状態》 正常
《ステータス》
レベル : 36
生命力 : 655
力 : 288
魔力 : 354
物理防御力: 288
魔法防御力: 360
知力 : 455
敏捷性 : 366
器用さ : 324
《スキル》 魔力感知 Rnk4 風属性魔法 Rnk3
人語理解 Rnk3
イメージ伝達 Rnk3
「おお、シルフィーもステータスの数値がすごいことになってるよ。もはや、Bクラスの冒険者並みだ。しかも、スキルに魔力感知と人語理解、イメージ伝達まで持っている。すごいぞ、シルフィー」
「ピピッ、ピ~~」
ルートの感動の声に、シルフィーも嬉し気に羽を動かして高い声で鳴いた。
魔物が戦いの中で強くなり進化するのは、自然な事であり理解しやすい。だが、リーナが語った巨木の話にルートは興味を惹かれた。それは、魔素を大量に浴びることによっても、魔物は進化するということだ。
ダンジョンが深くなればなるほど、強力な魔物が現れる理由が解明できたように思えた。
ただ、これはルートだけが知らなかったことで、この世界の多くの人は知っていることかもしれない。さっそく、明日にでも魔法科の先生たちに訊いてみようと思うルートだった。
「ねえ、リーナ……」
食事が終わり、リーナが紅茶を淹れて持ってきたところでルートが口を開いた。
「う、うん、なあに?」
ルートの改まった顔を見て、リーナは胸をどきどきさせながら返事をした。
「この子たちと一緒に《黒龍のダンジョン》に挑戦してみないか?」
その言葉が、ちょっと期待していた内容と違ったので、リーナは少しがっかりしながら頷いた。
「う、うん、いいけど……ルート、学校はどうするの?」
「うん、僕は休みの時一緒に行くよ。それまでゆっくりでいいから、この子たちのレベル上げをしながら楽しんで攻略してくれるとありがたいんだけど……どうかな?」
「うん、分かった。明日からさっそく行ってみる」
「ありがとう。さて、じゃあ、お風呂に入って寝るとするか。お前たちも一緒に入るか?」
ルートの言葉に、従魔たちは嬉しそうに反応し、リーナは少し寂し気にうつむいた。
「あ、あの、わ、私も一緒に入っていい?」
従魔たちと一緒に風呂へ向かおうとしたルートは、そのリーナの声に固まった。
ぎこちなく首をひねって振り返って見ると、リーナは真っ赤になってうつむいていた。
(リーナ……あんなに恥ずかしがり屋のリーナが、勇気を振り絞って自分の気持ちをぶつけてくれた……これに応えなければ男じゃない。うん、そうだ、男じゃない)
「よ、よし、皆で一緒に入ろう。家族なんだから、何も変な事じゃないよ。お風呂は広いし……ね、リーナ」
「う、うん」
リーナはまだ赤い顔だったが、いかにも嬉しそうに頷いた。
ルート先生、はりきる 1
王立子女養成所の「学問および文化的成果の発表会」、通称「学園祭」の準備は着々と進んでいた。
5日間の予定で開かれるこの1大イベントには、王国全土の王立学校の代表生徒や引率の教師たちが一堂に会する。もちろん訪れるのは彼らばかりではない。1年間、この日を心待ちにしていた全国の貴族たち、商人たち、一般の市民も大挙して押し寄せるのだ。その数は、毎年のべ数万人に達するという。
貴族の楽しみや目的は、自分の息子、娘たちの活躍を見ることと、子供たちにふさわしい婚約相手を見つけること、そして貴族間の力関係や新たなつながりを確認することだ。
商人は、当然新しいアイデアや商品になりそうなものを探すことと、貴族とのつながりを求めてやって来る。
一番数が多い一般市民は、純粋にお祭り感覚である。というのも、発表者や代表以外の生徒たちは、クラスごとに話し合って工夫を凝らした「ブース」を校内のあちこちに設置するのだが、そのほとんどが「参加・体験型」のもので、歌あり、踊りあり、実技・製作ありと実に多岐にわたり、大人から子供まで楽しめるからだった。
そして、この学園祭で最も人気があり、メインの催しとなるのが、「王立学校魔法学科対抗競技会」である。2日目から4日目までの中3日間で繰り広げられる各王立学校の「魔法学科生徒」の発表会だ。個人戦と団体戦に分かれていて、各学校の代表生徒たちがその成果を競い合う。文字通り、学校の威信をかけた戦いであった。
「先生っ、メニューが一応決まりましたから、見てもらっていいですか?」
魔法薬学の授業が終わった後、ルートの元へクラスの生徒たちが何人か走って来た。
「おっ、できたのか? どれどれ……」
ルートは生徒が持ってきたメモ用紙を手に取って眺め始める。
ルートが担任をする1年1組は、『喫茶レストラン』のブースを出す予定だった。最初、クラスで何をするか話し合わせたとき、生徒たちは、歌、演劇、魔法実演会など、いろいろな案を出したが、それらはいずれもルートが前面に押し出された内容だった。
ルートの活躍を歌詞にした歌、ルートが主人公になる創作劇、ルートのマジックショー……等々。なにしろ、1組の生徒たちにとって、ルートは自慢の先生であり、彼をメインにアピールしたい気持ちは、ルートにも理解できたし嬉しくもあった。しかし、それは生徒たちのためにはならない。ルートはあえて厳しくその点を指摘した後、意気消沈する生徒たちに自分の代案を提示した。
しかし、この企画は生徒にも、それから先生たちにも大いなる戸惑いを与えた。なにしろ、貴族の子女たちが大半の学校だ。そんな生徒たちに、客を相手にする商売の真似事をさせるわけだから、反発は当然だった。
ルートは先ず生徒たちに問いかけた。
「君たちの中で、将来親御さんの領地を受け継ぐことができる人は、手を上げてください」
当然、調査書で何人がその権利を持っているか知った上での質問だ。
手を上げたのは3人だけだった。
「ルーベン、ケイン、ガイラスの3人ですね。では、それ以外の人たちは将来どうやって生活していくのですか? ライナス、どうですか?」
指名されたブレントン男爵家の三男は、戸惑い気味に立ち上がった。
「は、はい。あの、父や母からは、国の機関に何としても入れるように勉学に励めと言われています。それがだめなら、自分で何か商売を始めるか……ええっと、その……男子の跡取りがいない貴族の令嬢を見つけて、結婚しろと……」
ルートは頷いて、座るように促した。
「正直に話してくれてありがとう。さて、他の人はどうですか? ライナスと同じようなことを言われている人は手を上げてください」
生徒たちはお互いの顔を見ながらも、ほとんど全員がゆっくりと手を上げた。
「ありがとう。これでわかることは、幸運にも領地を受け継げる3人以外は、ほとんどの人たちが何かの仕事に就く可能性が高いということです。仕事をするためには、人との関わりは避けては通れません。今回、先生が『喫茶レストラン』を提案したのは、将来のために、君たちに商売とはどういうものか体験させたかったからであり、一般の人と触れ合う機会を持ってほしかったからです……」
生徒たちはルートの考えを理解して、むしろやる気を起こしてくれたが、職員の説得は簡単ではなかった。特に、教授たちに代わって外からの苦情の対応にあたる事務課の職員たちは、貴族たちからの苦情が確定的なルートの提案に難色を示したのだ。
「あの、苦情は僕に直接言うように伝えて下さればいいかと……」
ルートの発言に、事務課の主任であるアルベール・ミューレンが首を振って、ゆっくりと立ち上がった。
「それはできませんよ、ブロワー教授。私たちの使命は、先生方のお仕事に支障が出ないよう、最大限の努力をすることです。あなたに苦情の対応をしていただくわけにはいきません。そもそも、先生は発表や競技会、クラスの生徒たちの世話などで、対応する時間などおありではないでしょう?」
ルートは困ってしまった。ミューレンの言葉には反論する余地がなかった。つまり、彼は暗に、「だから、自分たちに負担を掛けたくなければ、バカな提案は引っ込めろ」と言っているのだ。「ここで、無理にあなたが提案を押し通せば、今後は事務課を敵に回すことになりますよ」という言外の脅迫でもあった。
「ふむ……貴族たちからの苦情は来ぬかもしれんぞ」
静まり返った会議の場に、リーフベル所長の声が響き渡った。
職員一同は驚いて所長に注目した。
「皆知っておろう、先日まで、ブロワー教授は開拓団長としてグリムベルに行っておった。これは、先般の貴族どもの反乱に対して、ブロワー教授が国王に進言して決まった処罰だったのじゃ。つまり、今やブロワー教授は国王をも動かせる存在であるということじゃ。たかが1貴族が、息子や娘の教育のことで彼に何か言えるかのう?」
リーフベル先生の言葉は、それはそれでルートにとってはあまり気持ちの良い内容ではなかった。何か、自分が国王の権力を笠に着た卑怯者のように思えたからだ。
しかし、他の職員にはその効果は絶大だった。やはり、良くも悪くも、まだ、この世界はルートが考えるよりもずっと中世的な封建社会なのであった。
ともかく、リーフベル先生の一言で、ルートの提案はなんとか認可されたのである。
「……うん、料理はこれでいいだろう。スイーツがもう1種類くらいあった方がいいかな」
ルートの元にメニュー表を持ってきた3人の女子生徒たちは、その答えにお互いの顔を見合わせた。
「もう1種類かあ……アップルパイとクッキー、シフォンケーキ以外だと、それぞれの家で作るフルーツ系のパイくらいかしら……」
クラスの副委員長、ミランダ・ボースが細い顎を指先でつまみながら言った。
「そうですわねえ。私の家では時々ドライフルーツや木の実を刻んで入れた固めのケーキを焼いたりしますけど……」
栗色の長い髪が美しいユリア・ダルビスが、ルートの腕に胸をくっつけるようにして言った。
「あっ、そうだ……あれなんかどうかしら、王都で人気のドーナツという揚げ菓子。私1度だけ食べたことがありますの、とても美味しかったですわ……でも、お父様が言うには、油を多く摂ると顔に吹き出物が出るからって、それ以来食べてないのですわ」
王室文官の1人で図書室長のブレット子爵の3女フィオナが、独特の甘ったるい声で言った。
「うん、どれもおいしそうだけど、ちょっと先生に考えがあるんだ。もし、これがお客に受ければ、新商品として売り出そうかと考えているんだが……」
ルートの言葉に、3人の少女たちは目を輝かせてルートに顔を近づけた。
「「「それは、どんなものですの?」」」
ルート先生、はりきる 2
さて、ルートにとって今回の学園祭には、大きな役目が2つあった。1つは、魔法学科の教師として、ボルトン先生やサザール先生と一緒に、1年間の研究成果を発表すること。そしてもう1つは、『学校対抗魔法競技会』に出場する生徒たちの訓練をすることだ。
発表会の方は、ボルトン先生たちのお陰ですでに準備は整っており、あとは効果的なプレゼンテーションの方法を考えるだけだった。
だから、今ルートが熱心に取り組んでいるのが、競技会に参加する生徒たちの指導だった。
ルートが開拓地へ行って留守の間、ボルトンとサザール、そしてエリアーヌの3人の教師が、放課後の時間に生徒たちの指導に当たっていた。
特に、今回、ガルニア王立学校の天才少女ソニア・ローランに対抗するための秘密兵器である4人の神学科の生徒たちへの特訓は、より時間を割いて続けられていた。
だが、ペイネ・リヒターはまだ《睡眠》を習得できていなかったし、シェリー・ルバンヌ、アネット・ホークス、リリア・ボースの3人は、《体術》は習得したものの、《加速》、《魔力感知》は習得できていなかった。
「お恥ずかしい限りですが、我々の力では彼女たちの能力を目覚めさせることができませんでした」
「生徒たちは、とても一生懸命頑張ったんですが……」
「先生たちのせいではありません。気になさらないでください。最初から難しいお願いだと分かっていましたから」
ルートは謝る3人の教師たちにそう言ってから、じっと考え込んだ。
「《睡眠》はやはりイメージが難しかったのでしょうね。ペイネ、君が考える〝眠り〟のイメージはどんなものだい?」
ルートに質問された少女は、戸惑いつつも考えながら答えた。
「ええっと、夜、暗くなって……目を閉じて……何も見えなくなって、すーっと深い所に引き込まれていくような感じ……それと、夢、ですかね……」
「なるほど……やっぱりマイナスのイメージが強い感じだな。君は、子供の頃、ベッドの側でお母さんに子守唄を歌ってもらった経験はないかな?」
「あっ、あります。おとぎ話もよく語ってくれました」
ルートはにっこり微笑んで頷いた。
「うん、それだよ。眠りは心地よいものだ。お母さんの腕の中で、子守唄を聞きながら眠るイメージを、魔力に乗せて相手に届ける。そんな感じでやってみようか」
「はいっ」
ペイネは目を開かれた思いで大きく頷いた。
そして、いつも訓練用に使っている鳥かごに向かって手を伸ばし、目をつぶった。かごの中には、この世界でよく見かける『ピ―ジュ』というスズメより一回り大きな小鳥のつがいが入っていた。
ルートは《VOMP》を使ってペイネの魔力の流れを観察した。
「闇の精霊よ、かの者に、母の子守歌のごとき安らかなる眠りを与えたまえ」
ペイネが言葉に乗せて魔力を手の先へ流した。
ルートの目に、赤い魔力の波がスムースに両手を伝わって、鳥かごへ流れていくのが見えた。
「おお、ピ―ジュが眠った、成功だっ!」
サザール先生が興奮した声で叫び、ボルトンとエリアーヌも思わず手を取り合って喜んだ。
ペイネと3人の生徒たちが狂喜したのは言うまでもない。ペイネは思わず泣きだし、それにつられて他の3人も抱き合って泣き出した。
「よくやったね。でも、まだ喜ぶのは早いぞ、ペイネ。これが、人間にも効くのかまだ分からないし、今みたいに時間がかかったら、《加速》を持っているソニアは一気に襲い掛かって来て、発動する前にやられてしまう。いいかい、これから競技会まで、動いている人間を相手に、できれば無詠唱で魔法が掛けられるように練習するんだ」
「あ、は、はいっ」
ペイネは涙を拭うと、真剣な表情で頷いた。
「よし、じゃあ、解除をやってみようか。これも大事だからな。解除がうまくいかないと相手を危険な状況にしてしまう」
「はい」
ペイネは頷いて、鳥かごの底に倒れている小鳥に向かって手を伸ばした」
「目覚めよっ」
《VOMP》で見ていたルートは、首を振った。
「ああ、ダメだ。魔力が弱い。解除するときも、イメージをしっかり持って、自分が眠りから覚める感覚を思い浮かべながら魔力を流すんだ」
ペイネはしっかりと頷いて、再び目をつぶって手を伸ばした。
「……目覚めよっ!」
パタパタッ……ピッピ……ピピッ……。
倒れていた小鳥が羽ばたきをして起き上がり、何事もなかったかのように元気にさえずり始めた。
「先生っ!」
「うん、成功だ。じゃあ、さっき言った練習を始めよう」
ルートはそう言うと、3人の先生たちの方を振り返った。
「先生方、すみませんが、僕がこちらの3人を指導する間、ペイネの訓練に付き合ってもらえませんか。明日からは、生徒たちだけで訓練ができるようになると思いますので」
ルートの言葉に、3人は頷きながらも引きつったような笑みを浮かべた。
「ええっと、その、《眠り》の魔法は、せ、精神に影響を及ぼすなどということは……」
サザールが不安を隠しきれずにそう言いかけたとき、一同の背後から大きな声が聞こえてきた。
「愚か者っ、サザールよ、先日闇魔法の無害性を考察したばかりであろうがっ!」
現れたのはリーフベル先生だった。
「しょ、所長、は、はい、面目ございません。どうにも、先般の帝国の英雄の闇魔法のことが頭から離れなくて……」
サザールの言葉は、そのまま他の2人の教師の思いでもあった。
「ふむ、《魅了》か……確かに、闇魔法には、まだ未知の部分が多い。だが、正しく使う分には他の属性と何ら変わらぬはずじゃ。使う者次第ということじゃ」
「は、はい。お恥ずかしい所をお見せしました。ブロワー先生、ペイネの指導はお任せください」
「はい、お願いします」
3人の先生たちの顔に強い決意を見たルートは、安心して頷いた。
ルートは次に、体術を訓練している3人の指導に取り掛かった。
少し離れた所には、彼女たちがこれまで訓練に使っていた木製のゴーレムが立っていた。
「ずっと、これを相手に訓練していたのか?」
ルートの問いに、体操着にレザーアーマー、グローブ、バトルブーツを身に着けた3人の少女たちは恥ずかしそうにうつむき加減で頷いた。
「はい……《体術》は、4日目には全員習得できたのですが、《加速》はどうしても習得できなくて……すみません」
2年生のリリア・ボースが悔しげな表情で頭を下げた。
「いやいや、謝る必要なんてないよ。《加速》はそう簡単に身に着けられるスキルじゃないからね。これから少しきついと思うけど、必ず身に着けさせるから頑張るんだぞ」
「「「はいっ」」」
3人は力強く頷いた。
「よし。じゃあ、今日から僕が相手するよ。《加速》を使うから、何とか動きを読むこと。そして躱しながら攻撃すること。当たらなくてもその2つを続けるんだ、いいね?」
こうして、ルートによる生徒たちへの特訓が開始された。
閑話 ジーク、副支配人候補を見つける 1
「おい、こんなささいなことまでこっちに持ってくるな。自分たちで何とかしろっ」
「は、はい、申し訳ございません」
《タイムズ商会》の本店、支配人室にジークの怒鳴り声が響き渡った。
書類を突き返されたボーゲル支店からの使いの男は、あわてて尻尾を巻いて部屋から出て行った。
ジークのイライラは、日々岩に生える苔のように少しずつ、しかし着実に彼の心を覆いつつあった。
もともと傭兵や冒険者として、自由気ままな生活をしていたジークだ。事務仕事が性に合わないのは当然だった。ただし、対人交渉能力は高かった。海千山千の商人相手でも、互角以上に渡り合って、《タイムズ商会》の不利益になるような結果は出さなかった。
だが、ジークにとって一番楽しいのは、やはりルートやリーナと一緒に冒険をしている時だった。時が経つにつれて、彼の中で冒険への渇きは次第に大きくなっていった。
そんな彼の心を敏感に感じ取っていたのは、当然だが、妻のミーシャだった。長年男を相手に商売をしていた彼女にとって、男の心の機微を感じ取るのは本能ともいえるほど敏感だった。ジークのように根が単純な男ならなおさらである。
「あなた、お茶を持ってきたわ。入るわよ」
「あ、ああ、ありがとう」
何やらドアの内側で響くガチャガチャという金属音を聞きながら、ミーシャはドアを開いて支配人室に入っていった。
ジークは慌てて書類を見ているふりをしていたが、ミーシャは椅子の横に立てかけられたバスタードソードをちらりと見てから、応接用のテーブルに紅茶とクッキーを置いた。
「こっちで少し休んだら?」
「ああ、そうだな」
ジークは書類を置くと、ミーシャの対面に歩いていってソファに座った。
「ふふ……」
「ん? なんだ、急に笑い出して……」
ミーシャはにこにこしながらジークの顔を覗き込んだ。
「そろそろ外で暴れたくてうずうずしてるでしょう?」
ジークはミーシャの顔を見て苦笑しながら両手を上げた。ミーシャには隠し事は出来ない。すぐに心の内を見透かされてしまうからだ。
「あはは……ご明察の通りさ。商会の経営は順調そのもの……俺は、ただ承認のハンコだけ押してりゃすむ。面倒な書類は君やライルが処理してくれるしな。というわけで、そろそろ体がなまってきたってわけだ」
「そっか……うん、いいんじゃない。明後日の『支店長会議』が終わったら、しばらくは何もないし、どこかのパーティと組んでダンジョン探索とかしてきたら?」
「あ、ああ、そうだな……」
ジークはあいまいな返事をして紅茶を口に運んだ。
(だめなんだよ、他のパーティじゃ……ルートとリーナじゃなくちゃ、こう、気持ちが
燃えてこないんだ)
その2日後、各地の《タイムズ商会》の支店長が本店に集まって、定例の『支店長会議』が開かれた。
まず、各支店長から下期の決算報告が行われた。どの支店も経営は順調で、上期より利益を上げた支店がほとんどだった。
その後、自由な意見交換がおこなわれたが、その中で今後の経営に関しての懸念材料が幾つか報告された。その中で特に一同の注目を浴びたのが、王都の支店長ベネット・ペンジリーだった。
ベネット・ペンジリーは、ルートが王都に支店を開設する際、商業ギルドの紹介で何人かの候補を面接した中から選ばれた、まだ30代前半の若い男だった。王都の老舗の商会《ラザフィ》の現会長の3男で、いずれは《ラザフィ》の支店のどれかを受け継ぐ逸材として期待されていた。ところが、彼は自分の意志で、最大のライバルとも言うべき《タイムズ商会》の門を叩いたのだ。
「同じ王都で、御父上の商会と商売で戦うことになりますが、その点については、どうお考えですか?」
面接のとき、ルートは率直にベネットに質問をぶつけてみた。
「はい、それは覚悟の上です。私は実家の商会より、この《タイムズ商会》で自分の力を試してみたいと思いました」
「その理由をお聞きしてもいいですか?」
その問いに、ベネットは正面からしっかりとルートを見つめながら答えた。
「はい。まず、タイムズ商会の圧倒的な企画開発力に魅力を感じたからです。実家の商会は、確かに繊維製品を中心に堅実で顧客に満足してもらえる商売をしています。私以外の者が後を継いでも、よほどのことがない限り経営が傾くことはないでしょう。
それに比べて、あなたの商会は、新商品を次から次へ売り出して爆発的に伸びてきました。その種類はありとあらゆる分野に及び、これまでの商売の常識が全く通用しない。どこの商会も《タイムズ商会》が、今度は何を始めるのかと、戦々恐々としているのが今の状況です。
ところが、それとは逆に、あなたは新商品のレシピを惜しげもなく、しかも安価な特許料で公開している。
私は、知りたいのです。あなたのもとで働かせてもらいながら、あなたの経営哲学と、新商品を次々に開発できる秘密を、何としても学びたいのです」
ルートは、ベネットの冷静ながら熱のこもった弁舌をじっと聞いていた。
「なるほど、よく分かりました。では、これから質問することは、あくまでも経営者としての素朴な質問ですから気を悪くしないでいただきたいのですが……」
「何でも質問してください。気を悪くすることなどありません」
ルートはにこやかに頷いてから、こう切り出した。
「あなたが、有力な商家の御子息でなければ、こんな質問はしないのですが……」
そして、何もかも見通す目でじっとベネットを見つめながら続けた。
「……あなたが御父上の密命を受けて、あるいは御自分の意志で、《タイムズ商会》を内部から潰すという目的を持っている、と私が疑ったとしたらどうしますか?」
ベネットは口元に微かな微笑みを浮かべながら答えた。
「まずそう疑われるのではないかと予想していました。当然のことです。どう答えようかと、あれこれ考えましたが、言葉では無理だとあきらめました。ですから、もし、雇っていただけるなら、私の行動で証明するしかないと、そう思っています」
ルートはそこで面接を終えると告げた。ベネットは、ほぼ諦めた様子で頭を下げて部屋を出て行った。
しかし、その2日後、諦めて実家の手伝いをしていた彼のもとへ、《タイムズ商会》から採用通知が届けられたのである。
こうして、ベネットは王都支店の支店長として、立ち上げから現在まで1年余り、無我夢中で働いてきた。そして、今や各支店の中でも総売り上げは本店に次ぐほどになるまでに店を成長させてきたのである。
そんな彼が、今後の懸念材料を報告するというので、誰もが注目するのは当然だった。
「では、まずこちらのグラフをご覧ください」
ベネットは、ルートが会議で説明するやり方を何度も見て、表やグラフがいかに効果的な方法かを実感していた。
「これは、王都における《唐揚げ》と《ドーナツ》のこの半年間の販売量を折れ線グラフに表したものです。青い線と点線が《タイムズ商会》の販売量で、赤い線と点線はその他の商会や個人営業の店を合わせた販売量です」
「こ、これは……うちの売り上げが落ちているわけではないが、他の商会や個人営業の売り上げが急激に伸びているな。ドーナツはもともとこちらが遅れて売り出したから仕方がないが、唐揚げは《タイムズ商会》の専売品のようなものだったからな……」
ジークの言葉に、他の支店長たちも渋い顔で頷いていた。
「実は、そのことを最近肌で感じているんだ」
屋台営業部の部長であるエミル・コパンが口を開いた。
「売り上げは順調なんだよ。だが、伸びが無くなったっていうか、お客の口から、どこどこの唐揚げは美味いとか、どこどこの店で新しいドーナツが売り出されたとか、よく聞くようになった。客の足が、かなりばらけてきているって感じだな」
ベネットはコパンの言葉に頷いて、説明を続けた。
「この統計は、一般市民を調査員に雇って、特許を買い取った店に通わせ、おおよその売り上げ予想を計算したものです。だから正確なものではありませんが、大きく外れていることもないはずです。さて、こういう結果になった原因ですが、これははっきりしています。
まず、特許料が安いこと。そして、原材料費が安いこと。この2つです。その結果、元手の資本をさほど持たずに商売を始める者が増えました。そして、これが厄介なのですが、資本力のある商人が『大量生産』を始めたのです。それによって、人件費が安くなり、値段を下げて売ることができます。王都のいくつかの店は、うちより銅貨1枚分安く売っています。味がさほど変わらなければ、民衆は安い方に流れます……」
「確かに、その通りだな。今のところは、商会の名前に対する信用と品質の良さで、根強い固定客がいるから安定しているが、他の所が品質を向上させ、新商品を大量に出してくるようになれば、逆転もあり得る」
リンドバル支店のラルゴ・ホーソンが深刻な表情で言った。その言葉に他の支店長たちも渋い表情で頷く。
「そこで、私からの提案ですが……」
ベネットが何やら自信ありげな表情で切り出した。
閑話 ジーク、副支配人候補を見つける 2
「食品部門の思い切った改革をしてみたいと思います。具体的には、現在、他の店との競合が激しい『唐揚げ』と『ドーナツ』の、他の店との差別化を図り、それがだめのようであれば思い切って切り捨てて、他の商品に切り替える。それと、今までにない新商品の開発です」
「ちょ、ちょっと待ってくれ……」
コパンが慌てて立ち上がって異議を唱えた。
「唐揚げもドーナツも、屋台の主力商品だぜ。そいつを切り捨てられたら、売り上げがガタ落ちになっちまう。屋台を廃業しろって言うのか?」
ベネットは手でコパンを制しながら、ゆっくりと首を振った。
「いいえ、とんでもない。屋台は、一般市民にとってなくてはならないものです。むしろ、今まで以上に人々に愛される存在にならなければいけないと思っています。
私の考えは、まず、唐揚げとドーナツのグレードアップを図ること、それが無理なら、今本店のレストランで提供しているメニューのどれかと入れ替える。それもだめなら、全く新しい商品を全員一丸となって開発する、ということです」
ベネットの説明に、支店長たちは唸りながらも互いに頷き合った。
「ちょっといいか? わしは、食品部門ではないが、ペンジリー支店長の意見に賛成だ」
《タイムズ商会》で一番の古株、《リープ工房》工房長のボーグが意見を述べた。
「わしとルートは、基本的な考え方は同じだ。それは、『良い物をできるだけ安く、誰でも買えるような店』を作ることだ。だから、安易に単価を値上げしたり、特許料を高くしたりするやり方は、ルートが一番嫌う方法なんだ。その点、ペンジリー支店長の提案は理にかなっておると思う」
ボーグの意見が、他の支店長たちの背中を力強く押した。全員が賛成の挙手をするのに時間はかからなかった。
「よし、分かった。だが、この場で即決定するには問題が大きすぎる。いったん俺が預かって、支配人の裁定を仰ぐことにする。ベネット、それでいいな?」
ジークの言葉に、ベネットは頷いて深く頭を下げた。
「もちろんそれで結構です。お手数をおかけします。どうぞ、よしなに」
「なるほどね……さすがは親方、僕のことは何でもお見通しだな」
王都の別宅に訪ねてきたジークに会議の話を聞いた後、ルートは嬉しそうに言った。
「ふむ……それにしても、ベネットさん、なかなかやるね」
会議の議事録を見ながら、ルートがつぶやく。
「ああ、まだ若いが頭も切れるし、そつがないし、大した男だよ」
ジークは、リーナが持ってきたコーヒーを美味そうにちびちびと味わいながら言った。
「うん、よし。じゃあ、明日までに『回答書』を書いて支店の数だけ作っておくから、配布の方をお願いするね」
「ああ、分かった……」
ルートにそう返事した後、ジークは何やらまだ言いたそうにルートの顔を見つめた。
「ん? どうかしたの?」
「あ、ああ、いや、なんでもねえよ」
「うそ、何か言いたいことがある顔。ジークは隠し事は出来ないから」
リーナの言葉に、ジークは苦笑しながら両手を上げた。
「あはは……ったく、リーナにはかなわないな。実はな、ルート、今度の会議で改めて思ったんだが……ベネットを副支配人にしたらどうかなって……」
「ええっ! な、何を突然言い出すんだい?」
ルートは、ジークの真剣な表情に驚き、また不安になった。だが、よく考えてみると、ジークには、ルートが王立子女養成所の教師になるために、有無を言わせず無理矢理支配人代理をさせてしまった経緯がある。彼にはずいぶん無理をさせてしまったのかもしれない。
(そうだよな……ジークは人がいいから僕もついつい甘えてしまう。実際、面倒を押し付けてしまったんだ。ここは、ジークの気持ちを大切にすべきだな)
「あ、ああ、いや、あのな、別に今の仕事が嫌になったわけじゃないんだ。ただ、やっぱり適材適所って言うか、ほら、パーティにもちゃんと役割分担があるだろう? 俺が副支配人をやるより、ベネットの方がもっと《タイムズ商会》を発展させてくれるんじゃないかって思ってな……それに、その……」
ジークが必死に言い訳を始めた。
「……うん、分かったよ」
「えっ?……分かった?……本当か?」
ルートは頷きながら、不思議そうな顔のジークに微笑みながら言った。
「うん、本当だよ。ジークには、いきなり責任を押し付けたのに、文句も言わず、今まで本当によく頑張ってもらったからね。感謝してるよ……」
ルートの言葉に、ジークは赤くなりながら慌てて手を振った。
「よ、よせ、よせ……感謝なんて、そんなこと……」
「ん、ジーク、よく頑張った。似合わない背広とネクタイもだんだん様になって来たし」
「おい、それは褒めてるのか、けなしてるのか、どっちだ?」
久しぶりに3人そろっての和やかな笑い声が響き渡る。
「いやあ、実を言うとな、こうして3人で馬鹿言いながら冒険していた頃が、無性に恋しくなってな……まだ、1年経ってないんだが、なんか遠い昔のことのように思えて……俺にはやっぱり、魔物と戦っている方が性に合うんだよ」
ジークがしみじみとそう言った。
「そうだね……実を言うと、僕も冒険をしている方が楽しいよ。でも、まあ、あと3年は今の仕事をやらなくちゃ、王様の面子を潰すことになるだろうね。だから、あと3年待っててくれないか? そしたら、リーフベル先生にお願いして、教師をやめて、3人で冒険の旅に出ようよ。この世界を旅して回るんだ」
ルートの言葉に、ジークとリーナの目が子供のようにキラキラと輝いて、顔に満面の喜びが溢れた。
「いいな、おいっ、絶対やろうぜ」
「うん、楽しみ。ふふ……自動馬車ならどこまででも行ける」
「うん、行こう。蒸気で動く船も造ろうと思えば造れるからね」
「ま、まじか? そいつはいいな」
3人は未来の旅に思いをはせて、時のたつのも忘れて語り合った。
「おっと、楽しくてつい時間を過ごしてしまったね。『回答書』を書かなくちゃいけなかった。じゃあ、ジーク、夕食までゆっくりしていてね。ちょっと部屋で書いてくるよ」
「ああ、了解した」
ルートは書斎に行こうとして、ふと立ち止まった。
「ああ、そうだ。ねえ、ジーク、副支配人をベネットさんが引き受けてくれたらさ、母さんと一緒にしばらくここで一緒に暮らさないか? 部屋はいっぱい余ってるし、1つ君にお願いしたいことがあるんだ」
「お、おう、まだ、かなり先のことになるだろうが、いいぞ。お願いって何だ?」
「うん、実は、今リーナに従魔たちのレベルアップを兼ねて、『黒龍のダンジョン』に挑戦してもらってるんだ。リーナ、今、何階層まで到達しているんだっけ?」
「今、12階層だよ。3回潜ったけど、結構大変だった」
夕食の準備に向かおうとしていたリーナが、振り返って答えた。
「リムやラムのペースに合わせてくれてるからね。それに、やっぱり、絡んでくる冒険者が結構いるらしいんだ。だから、君が一緒に行ってくれると安心だと思って」
「なるほどな。リーナの実力を知ったら、尻尾巻いて逃げ出すんだろうが、若くて美人だから馬鹿な奴らはすぐ目をつけるだろうさ。よし、任せとけ。リーナ、俺が来るまでしばらく待っていてくれ」
ジークはもう明日からでも冒険者に戻りそうな様子で胸を叩いた。
「うん、分かった、楽しみにしておく」
リーナも嬉しそうに頷いてから、キッチンへ去って行った。
「よし、そうと決まれば、何とかベネットさんを説得しないとね」
「頼むぜ、相棒」
ルートとジークはにやりと笑い合って、同時に親指を立てるのだった。
学園祭は踊る 1
「今年もまた、この王都の学園に全国から王国の明日を担う生徒諸君、そして優秀なる教授諸氏を迎えることができたことを、皆と共に心から喜びたい。
さて、私個人の感想ではあるが、今、このグランデル王国は大いなる変革の時を迎えていると感じておる。具体的なことはこの場では申すまい。これから5日間、諸君らがこの学園祭を楽しむ中で、何かしら感じ取れることがあると思うからである。その感じたこと、疑問、感動をぜひ大切にしてほしい。そのことが、君たち一人ひとりのみならず、王国の未来にとっても大きな財産となるはずだ。
では、大いに楽しみ、大いに騒ぎ、良き友情の花が咲かんことを祈ろう。ここに、『第761回王立子女養成所学問および文化的成果の発表会』の開会を宣言するっ!」
4月21日朝、拡声魔道具によって、学園中にリーフベル先生の「開会宣言」が響き渡り、それと同時に、工芸科教授たち製作の《魔導ゴーレム器楽隊》のファンファーレが鳴り響き、空からはリーフベル先生の大魔法《エルフの喜びの舞》によって、甘い香りの無数の花びらが舞い落ち始めた。
学園中の生徒や職員たちが、しばしの間、朝の晴れ渡った青空から降り注ぐ花びらにうっとりとなって空を見上げていた。
「……毎年のことだが、この開幕のセレモニーは本当に素晴らしい」
「ああ、心が洗われるようだな……今回も何が見られるか、本当に楽しみだ」
遠くボース辺境伯領の王立学校からやって来た教授たちが、手を空に伸ばしながらささやき合った。
そして、いよいよ門が開かれると、待ちかねていた人々が大きな波のように学園内に押し寄せてきた。校内のあちこちに設置された特設ブースでは、さっそく生徒たちの元気な掛け声や忙しく動き回る姿が見られた。
ルートが担任をする1年1組の喫茶レストラン『ブロワー』(この名前は、ルートの抵抗にもかかわらず、生徒たちが頑として譲らなかった)にも、2人連れ、3人連れの客たちが次々に入って来るようになった。
「よ、よし、まずは、僕たちが最初に行って、皆にお手本を見せなくちゃ。いいかい、ミランダ?」
「ええ、あれだけ練習したんだから、大丈夫よ。行きましょう、ゲイル」
生徒たちは打ち合わせ通り、2人1組で協力しながら本番の接客に挑戦していた。
「い、いらっしゃいませ。ご注文は何になさいますの?」
「ミランダ、違う、違う、〝何になさいますか〟だよ」
ゲイルとミランダの委員長・副委員長コンビが、最初の2人連れのお客のテーブルに向かったが、のっけからミランダがミスをした。
幸運だったのは、その2人連れのお客が貴族ではなく、一般の市民だったことだ。若い恋人同士らしい2人は、むしろ生徒たちの初々しさを微笑ましく見てくれた。
「ああん、もう、あんなに練習したのに、私ったら……恥ずかしい」
「まあまあ、ミランダさん、そんなに落ち込むことはありませんわ。初めは誰でも失敗するものですわ。それに、落ち込んでいる暇はありませんことよ」
フィオナがのんびりした声でミランダを慰めながら、入り口の方を指さした。
すぐに貴族と分かる豪華な衣装の男女が団体で入り口から入って来た。
「げっ、ち、父上と母上だ」
「私の両親も一緒だわ」
「ぼ、僕の家族もいる」
恐らく、同じクラスに息子や娘がいる親たちが申し合わせていたのだろう。その後も続々と生徒たちの親兄弟が店にやって来た。
生徒たちは緊張しながらもお互いに励まし合って、2人1組で各テーブルへ向かった。
一方その頃、ルートは『研究成果発表会』の会場である大ホールにいた。
『学園祭』とはいうものの、もともとは各王立学校がこの『研究成果発表会』を通して、互いの成果を共有し、子女の教育や王国の発展に役立てることが目的だった。つまり、この『研究成果発表会』こそが、メインの催しだった。
今年は1日目が《騎士学科》、2日目が《工芸学科》、3日目が《神学科》、そして4日目と最終日の5日目が《魔法学科》の発表が行われる予定だった。
ルートは5日目の午前中に、ボルトン、サザール両先生と一緒に発表することになっていた。
今日の《騎士学科》の発表には、ベルナール先生が王都の学園代表として発表することになっている。ルートは、その応援のために他の先生たちと一緒にホールの前の方の席に座っていたのだ。
旧ミハイル・グランデル公爵領ハインツ王立学校(現王都第二子女養成所)の騎士学科の発表と質疑応答が終わり、いよいよベルナール先生の発表となった。
先の帝国との戦いで、伝説の英雄の列に加わったベルナール先生は大きな拍手で迎えられて、演壇へと歩いていった。そんな華やかな晴れの舞台だったが、この日のベルナール先生は、濃紺で前が短い騎士用のコートに白のズボンとブーツという、地味だがフォーマルないでたちであった。派手な衣装を想像していたルートは、ベルナールの内面の変化を敏感に感じ取っていた。
彼の今日の発表の演題は『今後の世界における騎士の役割についての一考察』というものだった。
「本日は多くの方々のご臨席をいただき、この場で発表の栄誉に浴することができたことを、心より感謝いたします。
さて、本題に入る前に《騎士》とはどういうものか、簡単に確認しておきましょう。騎士の始まりは、建国の王ラウル・グランデルが中央大陸に上陸した時、部族を率いて彼のもとへ馳せ参じた3人の英雄たちだと言われています。3人はともに馬に騎乗した強力な軍団を率い、瞬く間に中央大陸の抵抗勢力を駆逐して、王国の建国に寄与しました。つまり、騎士とは、馬に乗り、常に王国軍の先陣として勇敢に敵陣に突撃していく兵士のことです。
確かにこれまで、騎馬隊は戦場の中心となる部隊であり、戦術は騎馬隊をどう生かすか、ということに重点が置かれて考えられていました。
しかし、それはもはや時代遅れの戦術であると、先の帝国との戦争で思い知りました……」
ベルナールのその発言は、いきなりの爆弾投下に等しかった。そして、同時にそれは『嵐の学園祭』と後々まで語り継がれる混乱の始まりを告げる花火でもあった。
「な、なんと、騎馬隊が時代遅れだと?」
「こともあろうに、王国の象徴とも言うべき騎士団への許されざる侮辱だぞ」
発表会場の大ホールは騒然となった。
「お、お静かに、どうかお静かに願います」
会場責任者のコーベル教頭が出てきて、何とか騒ぎを静めようとしたがなかなか静まらない。
心配したルートが立ち上がろうとしたとき、横に座っていたリーフベル先生がルートの肩を抑えた。
「まあ、見ておれ。この程度の反発は、恐らくオランドも予想済みであろうよ」
果たして、リーフベル先生の読みはさすがに的確だった。
「ここにお集まりの皆さんは……すでにご存じのはずですっ!」
ベルナールの声は、一瞬のうちに会場を静めた。恐らくそれは《英雄の若鳥》としての、彼に備わった覇気、あるいは威圧の発動だったのだろう。
「帝国のアラン・ドラトによる世界征服の野望は潰えましたが、その野望を打ち砕いたのは、騎馬兵団ではありません。むしろ、かの者の《魅了》という恐ろしい魔法の前に、騎馬兵も重装歩兵も無力でした。では、なぜ我々は勝利できたのか。私はその要因として、3つのキーワードを提示したいと思います。それは、『魔法』、『情報』、『戦術』です。では、それぞれについて、具体的な例を挙げながら説明していきます……」
ベルナールはそう前置きした後、それぞれの項目について説明した。
帝国軍との違いは、魔導士兵団の質と量の差があったこと、密偵や斥候による豊富な情報が的確な戦術につながったこと、民兵団の創設や自動馬車の活用など新しい戦術が功を奏したことなど。
そして、彼は最後のまとめでこう述べた。
「……自動馬車という画期的な移動手段を得たことによって、魔導士兵団の重要性は今後ますます増すことでしょう。それに加えて、兵器の進歩によって戦術は大きく変革していくはずです。
では、もはや、軍の象徴であった騎士はその存在価値を失ったのでしょうか?いいえ、そういうことはありません。確かに騎馬兵としての騎士の役割はこれまでより小さくなるでしょう。しかし、騎士の最も重要な役割は、軍隊の内部ではもちろんのこと、平時でも『すべての人間の模範となるべき存在』であること、これに尽きると考えます。
今回の戦で、私はその模範となるべき敵方の騎士に何人か出会いました。その中でも、初戦のイガン城の戦いで出会ったサルエル・アスター将軍、その副官のヤヒム・ザーレス、そして第一騎士団長ザイード・アフラム、この3人は軍人としての誇りを持ち、しかも、高潔で高い識見の持ち主でした。彼らの賢明な判断のお陰で敵も味方も無駄な死人を出さずにすんだのです。
国への揺るぎない忠誠心、神と自分自身に恥じない正義の心、大きな視野で国と人々の幸せを見通せる知性、これらがこれからの騎士に求められる資質であり、称号であると考えます。ご清聴ありがとうございました」
学園祭は踊る 2
ベルナールの発表は、そこに集まった多くの貴族や王立学校の教授たちからは、惨憺たる酷評を浴びた。発表が終わった後も、拍手したのはルートたち王都の王立学校の職員たちばかりで、城内はただ騒然とした雰囲気に包まれていた。
現時点において、ベルナールの考えを真に理解し、感動に浸っていたのは、恐らくルートただ1人だけだったに違いない。ルートは前世の知識として、中世のヨーロッパにおいて、騎士という存在がたどった変遷の歴史を知っている。当初は「馬賊」と同義語で、粗野で虐殺や略奪も平気でおこなっていた騎馬集団が、やがて戦場の中心的な部隊となり、栄誉と誇りを手に入れ、ついには忠誠心、正義、勇気を持った兵士に与えられる称号になっていった歴史だ。何百年もかかって変化した歴史をベルナールは一気に飛び越えてしまった。周囲が彼に追いつけないのは無理からぬことではあった。
「やれやれ……オランドの言っていることは間違いではない。だが、貴族にとって騎士とは己の存在意義そのものじゃ。そしてそれは《兵力》という裏付けがあってこそ主張できるもの。ベルナールはその裏付けをあやふやなものにし、なおかつ《騎士》というものの規準を一気に引き上げたのじゃ。貴族たちがうろたえるのは無理もない」
リーフベル先生の言葉にルートも頷いた。
「ええ、そうですね。でも、ベルナール先生が投げ込んだ石が、これから貴族社会にどんな
波紋を生むのか、楽しみでもあります」
(幸い今日はマリウス殿下も会場に来ておられる。報告を聞いた国王陛下が、どのような判断を下されるか、楽しみだな。それにしても、ベルナール先生はすごいな。未来を見通した革新的で的確な考察力……やはり、ただ者ではないというところか……)
「ちょっと、生徒たちの様子を見てきます」
「うむ、わしも小腹がすいた。何か食べに行くとしよう」
ルートとリーフベルは一緒に席を立って、会場の外へ出て行った。
「この人込みでは、周囲が良く見えぬのう」
8歳の女の子の背格好の校長先生はルートの横でいまいまし気に文句を言った。
「ああ、そうですね……あの、先生、良かったら僕の肩に座りませんか?」
ルートの言葉に、リーフベルは乙女のように頬を染め、しばらくうつむいてもじもじと迷っていたが、やがて顔を上げて嬉しそうに言った。
「う、うむ、そうじゃな。まあ、浮遊魔法を使えば済むことじゃが、悪目立ちするとうるさいからのう……お、おぬしの肩に……」
「おおっ、浮遊魔法! そうですよね、やっぱり魔法使いは空を飛んでなんぼですもんね?僕、すっかり忘れていましたよ。やっぱり、ほうきに乗って飛ぶんですか?」
ルートは興奮のあまり大きな声を出してしまい、周囲の人々の注目を集めてしまった。
「お、あれは大魔導士リーフベル所長じゃないか?」
「本当だ……隣は噂の天才魔導士のブロワー教授だ」
「ルート、ここを離れるぞ」
「はい。先生、ちょっと失礼します」
ルートはそう言うと、ひょいとリーフベルを抱え上げ、腕に座らせてから走り出した。
「しっかりつかまっていてください」
「あ、ああ、うおおっ」
ルートが《加速》で走り始めると、リーフベルは慌ててルートの頭にしがみついた。
「この辺りなら人も少なくて、静かですね」
ルートは、学生寮の側のプロムナードで走るのをやめてリーフベルを下ろした。
リーフベルはまるで乗り物酔いをしたような顔で、肩を落としながら近くのベンチに腰を下ろした。
「やれやれ……おぬしと一緒では、どこの出店に入っても大騒ぎになるのじゃろうな……もうあきらめた。昼食会まで我慢することにしよう」
「あはは……そうですね……先生、何か食べたいものはありますか? 僕がちょっと走って買ってきますよ」
「ん、そ、そうか? すまぬのう……では、何か甘い物と紅茶がいいな」
「はい、分かりました。じゃあ、ちょっと……ん? 待てよ……」
ルートは買い出しに行こうとして、はたと立ち止まった。そして、財布代わりの皮袋をローブの内ポケットから取り出した。当然の如くそれはマジックバッグになっている。
「先生はチーズやクリームは大丈夫ですか?」
ルートの問いに、リーフベルは怪訝な表情で頷いた。
「うむ、大好物じゃが……」
ルートはにっこり微笑んで、リーフベルの隣に座った。そして、皮袋の紐を解き、手のひらを上にして目をつぶった。
次の瞬間、ルートの手のひらに細長い三角形に切られたチーズケーキが現れた。
「うちのクラスの喫茶店に出すために開発した新作のケーキです。チーズとクリームを小麦粉と練り合わせて焼き上げました。食べてみてください」
ルートはそう言って、まだ温かい焼きたてのチーズケーキをリーフベルに手渡すと、陶器の水筒瓶に入ったコーヒーも取り出してベンチに置いた。
「うほおお……これは美味そうじゃな」
リーフベルは目を輝かせて、三角形の尖った方から口に運んで一口かぶりついた。
「んん~~……美味いっ!」
見た目8歳の大魔導士は、そのまま無邪気な子供のように満面の笑顔を空に向け、ほっぺたを可愛く膨らませてもぐもぐとかみしめるように味わった。
しばらくの間、ケーキとコーヒーを交互に口に入れ、至高の時を満喫したリーフベルは、ようやく落ち着いて、ハンカチで口元を拭い、ため息を吐いた。
「ああ、幸せな時間じゃった。ルート、感謝するぞ」
「あはは……喜んでもらえて良かったです。まだストックはありますから、食べたくなったら言ってください」
「うむ。じゃが、今度は生徒たちの店で味わうことにしよう」
リーフベルはそう言うと、ルートの目を向けた。
「ときに、ルートよ。おぬし、先ほどえらく興奮しておったが、浮遊魔法はまだ使ったことがなかったのか?」
「ああ、はい、そうなんですよ。僕が前にいた世界では、魔法使いは伝説やおとぎ話の世界の存在でした。そして、その物語の中では、必ずと言っていいほど、魔法使いは『ほうきに乗って空を飛ぶ』女性だったんです」
「ほう……ほうきに乗って空を飛ぶ女性のう……」
リーフベルは興味深そうに頷いてから、何か思案顔で細い顎を指でつまみながら黙り込んだ。
「先生……何か……」
「うむ、いや、面白いと思ってのう……わしの故郷のエルフの里では、昔から女の子が30歳を迎えると、『魔杖の授与』という儀式を受ける。杖を与えられて一人前の女性と認められるわけじゃ。まあ、人間でいう所の成人の儀式じゃな。見た目は7,8歳じゃがな。
その儀式の中で、女の子は、先端をエニシダの束で飾られた杖をまたぐのじゃ。これは、杖を男性の性器に見立てて、それをまたぐことによって処女を失うことを象徴しておるのじゃ。それで、一人前の女になったということになるわけじゃ。
どうじゃ? なかなか面白いであろう? エニシダの束で飾った杖は、《ほうき》と見えぬこともないからのう」
「確かに……面白いですね。でも、まさかこの世界のエルフが大昔、僕のいた世界に転生したなんてことはないと……」
「ふむ……まあ、偶然の一致であろうがな。それより、浮遊魔法はおぬしなら簡単に習得できるであろう。やってみぬか?」
「はい、ぜひ教えてください」
今度はルートが見た目そのままの少年になって、目を輝かせる番だった。
浮遊魔法は無属性魔法の1つで、簡単に言うと魔法で物体を空気より軽くする、というものだ。《結界》と同じで、呪文で魔法陣を付与することで発動する。
ルートなら《創造魔法》で簡単にできると思われるが、今回は昔ながらのやり方で習得することにした。呪文を覚えさえすれば済むからだ。ただし、物体を浮かせる魔力は、その物体が重くなるほど二次関数的に大きくなっていく。体重50㎏の人間を浮かせるには、魔力が280は必要だ。さらに浮き上がった物を移動させるためには、精密な魔力操作とさらに30ほどの魔力が必要になる。つまり、魔力が310以上なければこの魔法は使えない。
300以上の魔力を持っている人間はそうそういるものではない。だから、かなりの魔力を持っている人間でも、軽い物は浮かせることはできても、自分自身を浮かせて移動することはできないのだ。
「うむ、それでよい。あとは方向、行く先をイメージして魔法陣に魔力を流せばよいのじゃ」
ルートはものの10分もかからず浮遊魔法を習得して、自分自身を空中に浮かせ、移動することに成功した。
「うはぁ、やったあ……ありがとうございます、先生」
(これ、もしかして将来、飛行機を作れるんじゃないか? 研究する価値はあるぞ)
ルートは魔法を解いて、地面に降り立った。
「ふむ……じゃが、あまり人目に付く場所では使わぬようにな。多くの魔法使いにとって、この魔法は是が非でも手に入れたい魔法の1つ。じゃが、いかんせん多量の魔力を必要とするゆえ、使える者はごくわずかしかおらぬ。目立つと余計な嫉妬を招くからのう」
「はい、分かりました。気をつけます」
「うむ。さて、では戻るとしようか」
ルートとリーフベルは大ホールに帰る道すがら、生徒たちの活動の様子を覗いていった。リーフベルは自分に浮遊魔法を掛けた上でルートの右肩に座り、実に楽し気であった。
学園祭は踊る 3
学園祭は2日目の朝を迎えた。今日からいよいよメインイベントの「学校対抗魔法競技会」が始まる。1日目と2日目は個人戦、最終日は団体戦が行われ、総合成績で優勝校が決まる。
個人戦は1校4人がエントリーして、魔力操作の「技術と実戦力」を競い合う。
魔力操作技術は、毎年各校の校長が集まってやり方を話し合う。例年だと、ランダムに動いている物体に的確に魔法攻撃を当てるというものが多かったが、今年はちょっと違った。リーフベル校長がルートに相談して考案したやり方が、校長会で採用されたのだ。
また、実戦力は毎年同じで、HP(ヒットポイント)が1000にセットされたゴーレムをいかに早く倒すか、で争われる。上級魔法を習得している者が有利なようだが、ゴーレムも動いて魔法を避けるように設定されているので、外してしまうと魔力切れで次の魔法攻撃ができないという状態に陥ってしまう可能性がある。いかに的確に早く、しかも効果的に魔法攻撃ができるかが勝負を分けるのだ。
「先生、今年は私が個人戦も団体戦も優勝して見せますわ。どうか見ていてください」
個人戦の代表に選ばれた4人が、ルートの前に並んでいた。男女2人づつだ。いずれも魔法学科の3年生たちで、ルートの《実戦魔法Ⅲ》の授業を受けている者たちだった。中でもリーダー格がセリーナ・リンドバルだ。
彼女は昨年も3年生に混じって代表に選ばれ、個人戦も団体戦も惜しくも2位という成績だった。例のガルニア校のソニア・ローランに負けたのだ。
「うん、君ならきっと優勝できるよ、セリーナ。でも、あんまり肩に力を入れすぎないようにな」
「はい、去年は緊張していましたが、今年はいい意味でとてもリラックスしていますの。他の皆もそうですわ」
「ええ、やるべきことはやった、という自信があります。先生の授業に比べたら競技会の方が楽ですからね」
べラム・ラドキンスの言葉にその場が和やかな笑い声に包まれる。
「ちょっと、よろしいかしら……」
不意に横合いから声が聞こえて、十数人の生徒の集団が近づいて来た。その先頭に立っていた金髪の少女が、ルートの前で優雅に腰を折り挨拶をした。
「お会いできて光栄です、ブロワー教授。私、ソニア・ローランと申します」
「やあ、初めまして。君が噂の天才少女、ソニアさんだね」
ルートはにこやかに挨拶を返しながら、素早く彼女のステータスを覗いてみた。
本当は、教師としても人としてもやってはいけないことだが、ちょっと気になる点があったからだ。
幸い、彼女は《認知阻害》系のアイテムは身に着けていなかったし、その種のスキルも持っていなかった。ただ、《魔力感知》のスキルを持っていたら、ルートが鑑定していることに気づいたかもしれない。
《名前》 ソニア・ローラン
《種族》 人族
《性別》 ♀
《年齢》 15
《職業》 ガルニア王立学校生徒
《ステータス》
レベル : 33
生命力 : 325
力 : 118
魔力 : 488
物理防御力: 213
魔法防御力: 225
知力 : 566
敏捷性 : 102
器用さ : 187
《スキル》 威圧 Lnk3 火属性 Lnk4 風属性 Lnk3
睡眠 Lnk3 土属性 Lnk3 闇属性 Lnk4
体術 Lnk4
加速 Lnk3
※ ガルニア侯爵領プラタナの街の領主アルマーナ・ローラン男爵の長女。曽祖父が魔法の才を認められ、騎士に取り立てられて侯爵に仕えるようになった。
※ 父方の先祖にダークエルフがいる。
(おお、この年齢にしてこのステータスはすごいな。ん? ダークエルフ? へえ、本当にいるんだ……なるほど、それならこの魔力量も頷けるな……)
ルートが感心して納得顔をしていると、ソニアの甲高い声が聞こえてきた。
「まあ、私のことをご存じだったなんて、この上もない名誉ですわ。ふふ……でも、本日の競技会で先生の生徒さんたちを打ち負かしてしまうのを、どうかお許しくださいね」
ソニアの自信たっぷりの挑発に、セリーナが燃え上がった。
「な、よくもぬけぬけとそんなことを……見ているがいいわ、返り討ちにして泣かせてあげますわ」
「あら、ふふふ……楽しみにしていますわ。では、後ほど……」
ソニアは不敵な笑みを浮かべてそう言うと、取り巻きの生徒とともに去って行った。
「ぬうう、あの女、許さない……」
「まあまあ、セリーナ、あまり感情を乱すと、魔力の調整も乱れてしまうよ」
セリーナははっとしたように赤くなって頷いた。
「私としたことが、恥ずかしい。本当にその通りですわ。ええ、もう大丈夫、常に冷静であるべきですわね」
ルートはセリーナの頭を優しく撫でてやってから、生徒たちを見回して言った。
「大丈夫、君達ならやれる」
5人の生徒たちは自信を取り戻して、元気よく「はい」と返事した。
そして、いよいよ個人戦の競技が始まった。
最初の魔力操作技術の課題は、題して『迷路板ボール運び』だ。立てられた縦5m横3mの木箱の中は、板を使って複雑な迷路が作られている。一番下の出発口には革製のボールが置かれていて、表面は全面ガラス張りになっている。
つまり、この迷路板の外から魔法を使って革のボールを運び、一番上の出口から早く落としたものが勝ちとなるのだ。魔法は何を使ってもいい。ただしガラスを割ってしまったり、ガラス板の途中の何か所かに開けられた穴からボールを落としてしまったら失格となる。
一見、水魔法が使える者が有利なようだが、水の圧力でガラスが割れたり、途中の穴で水が抜けてしまう弱点があるので、よほど魔力調整がうまくないと難しい。同じことが風魔法にも言える。では、火魔法と土魔法はどうかというと、ボールを運ぶためには、長時間連続して魔法を発動し続けなければならないという欠点があり、これもかなり難しい。というわけで、一応各属性間に有利不利の差はないという建前になっている。
だが、ルートの教え子たちは皆2つ以上の属性を身に着けている。2つの魔法を組み合わせれば、圧倒的に有利にボールを運べるのだ。
例えば、セリーナは火と土の属性を持っている。火魔法でボールを前に進めながら、ボールが後戻りしないように、土魔法で壁を作っていく。穴がある所を一気に通過させることと、ガラスを割らないように壁を作ることがかなり難しく、魔力の微調整が必要になるが、これもルートの授業で習得済みだ。
期待通り、セリーナたちは順調に個人戦を勝ち上がっていった。一方、ソニアもさすがの実力を見せて一方の山を勝ち上がってきた。
ただ、残念なことにルートの教え子たちの中で、2人が2回戦で負けてしまった。相手の1人はソニアであり、もう1人はボース校のエースと言われているまだ12歳の少年だ。
準決勝の組み合わせは、セリーナがべラムと、ソニアがボース校のエース、名前はタクト
・モリーノという少年だった。
ルートはその少年の名前に少し引っ掛かるのを感じたが、試合に集中したのですぐに忘れてしまった。というのも、その試合は驚くべきものだったからだ。
学園祭は踊る 4
試合会場は驚きとも興奮とも取れる声にざわめいていた。
「……わ、私が負けた?……」
ソニア・ローランは信じられないといった顔でがっくりと跪き、呆然と地面を見つめていた。
準決勝の片方、セリーナとべラムの戦いはまだ続いていたが、もう一方のソニアとタクトの試合は早々に決着がついた。タクトが驚くべき速さでボールをゴールへと到達させたのである。
「ルートよ、あの少年を鑑定してみたか?」
横で観戦していたリーフベル校長の問いに、衝撃でボーっとしていたルートは、やっと我には返った。
「あ、いいえ、見ていませんが……」
リーフベル校長は見てみろというしぐさで顎をしゃくった。
ルートは言われるままに、タクト少年に視点を合わせて鑑定した直後、「あっ」と小さな驚きの声を発した。
「……文字化け?……先生、これは……」
ルートのつぶやきに、リーフベルは渋い顔で頷き、周囲に聞こえないように小さな声で言った。
「うむ。やはり、お前にも見えなかったか。ということは、強力な鑑定阻害の魔道具を身に着けているか、その類のスキルを持っておるのじゃろうな」
ルートは愕然となった。彼の《真理探究》は、《創造魔法》とともに神から授かったユニークスキルであり、そこから派生した《解析》のスキルは、S級の鑑定スキルをも超える強力なものだ。それを阻害できるということは、タクト少年の持つ魔道具あるいはスキルは、とてつもない力を持っていることになる。
(世の中は広いな……こんなすごい能力を持った人間が、まだまだたくさんいるんだろうなぁ)
ルートは心の中でそう思いながら、わくわくして思わず笑みをこぼした。
「ルートよ、なにやら悪人顔になっておるぞ」
「あはは……そうですか? いや、なにかわくわくして、楽しいんですよ」
そう言って笑う少年に、リーフベルはため息とともに苦笑せざるを得なかった。
この後、ルートの興味と意識はタクト少年に向けらることになった。
個人戦の決勝はタクトと準決勝で同僚のべラムを僅差で破ったセリーナの組み合わせになった。
今の実力から見たら、何かアクシデントでも起きない限りタクトの圧勝だろう。ルートだけでなく、誰もがそう思っていた。
ところが、結果はセリーナが僅差で勝ち、優勝を勝ち取ったのである。誰もが驚くとともに、セリーナを讃えた。もちろん、ルートも惜しみない称賛を彼女に贈った。
ただ、決勝戦を見ていたルートは、タクトが誰にも気づかれないように魔力を微調整していたことを知っていた。恐らく気づいていたのは、ルートとリーフベルの2人だけだろう。
彼がなぜそんなことをしたのか、理由は分からない。確かなことは、彼が個人戦の優勝をセリーナに譲ったということだけだ。
翌日から始まった団体戦は各校2チームずつが参加する。1日目はAB2つのブロックに分かれて4チーム総当たりのリーグ戦を行う。そして各ブロックの上位2チームが翌日のトーナメント戦に進むのだ。
王都校の2チームは順当に勝ち星を重ね、それぞれのリーグを無敗で通過した。Aブロックでは、セリーナ率いるチームにペイネ・リヒターが加わり、闇魔法《睡眠》を効果的に使って相手のキーマンを抑え込んだ。唯一苦戦したのは、やはりガルニア校のソニア率いるチームとの対戦だった。
個人戦の雪辱に燃えるソニアは、この団体戦で必ず優勝すると心に誓っていたが、思いがけない伏兵に対応を戸惑っている間に、セリーナに後衛陣を叩かれて旗を持っていかれてしまった。伏兵とはもちろんペイネのことである。
「……ま、まさか闇魔法にあんな使い方があるなんて……」
スピードにまかせて王都校の前衛2人を速攻で倒し、敵陣にはためく校旗を目の前にしたところで、ペイネが放った《睡眠》に不覚にも跪いたソニアは、その後魔法を解除されるまで動くことができなかった。
「は、反則ではないか、闇魔法などという危険な魔法を使うなんて……」
ガルニア校の教師を中心に、数人が運営本部に抗議に押し寄せたが、本部長であるコーベル教頭は、競技規則書を手に表情も変えずに答えた。
「はて、闇魔法を使ってはいけない、などということは規則には一切書かれておりませんが……お読みになりますかな?」
そう言って差し出された規則書を、誰一人受け取る者はいなかった。
決勝トーナメントの組み合わせは、セリーナのチームがタクヤのいるボース校と、リリア・ボースをリーダーとするチームがソニア率いるガルニア校との対戦だった。
準決勝戦を前に、ピリピリとした緊張感に包まれた王都校の控室を訪れたルートは、まず、2つのチームの面々に頑張って勝ち上がったことを称賛し、ねぎらいと励ましの言葉を掛けていった。
「実力は君達が一歩リードしている。練習通りの力を出せば勝てるはずだ。ただ、勝敗は時の運でもある。だから、勝ち負けにはこだわらず、自分たちの良さを出すことを心がけよう。楽しむ者が勝ちだぞ」
ルートの言葉に、生徒たちはようやく肩の力を抜いて笑顔になった。
「俺たちの力を見せてやろうぜ」
「前衛は私に任せなさい。後ろは何が何でも旗を守り抜いてちょうだい」
「おーし、やるぞおっ!」
「リリア、ちょっといいか?」
生徒たちが、チームごとに改めて気合を入れ始める横で、ルートは片方のチームのリーダーである少女を少し離れた壁際に呼び寄せた。
「はい、先生、何か……?」
「うん、いや、ちょっと聞きたいことがあってね。ボース校のリーダー格の少年のことだ。君の故郷の学校だから、何か聞いていないかと思って……」
「やはりそのことでしたか。残念ながら、詳しいことは聞いていませんが、ただ……」
リリアはそう言って、ルートを見上げながらこう付け加えた。
「夏休みに家に帰った時、父が『優秀な生徒が入学した』と喜んでいました。恐らく彼のことでしょう。それと、貴族ではなく、保護者は北の果てに住む魔女とも……」
「魔女……」
ルートは眉をひそめて顎を触りながら考え込んでいたが、側で不安そうに見つめるリリアに気づいてにこりと微笑んだ。
「何も心配することはないよ。練習通りにやれば大丈夫だ」
「はいっ」
ぱっと表情が変わったリリアは明るく元気な声で返事をする。その目はルートに対する信頼に輝いていた。
準決勝が始まった。
第一試合はセリーナのチームとタクヤたちボース校チームの対戦だ。
「作戦通りで行きますわよ。ペイネ、お願いしますわ」
「は、はい」
両陣地に生徒たちが配置を済ませ、相手チームを睨む。緊張感が一気に高まる。
試合開始の笛が鳴り響き、試合会場である訓練場の観客席は興奮と歓声に包まれた。
学園祭は踊る 5
魔法の発動を準備していたペイネ・リヒターは、試合開始の合図とともに《睡眠》の詠唱を開始する。
「それは予定の範囲内ですよ」
予選リーグを見て対策を立てていたタクヤは、右手を上にあげて手のひらを上に向けた。
「セイクリッド・ディスペル!!」
「な、何っ?!」
特別席で観戦していたルルーシュ・リーフベルは驚愕の声を上げて思わず立ち上がった。
「大魔導士、どうかされましたか?」
隣の席に座っていたマリウス第一王子がびっくりして尋ねた。
「あ、ああ、いや、すまぬ。あのボース校の少年が、高位の光魔法を発動したのじゃ。あの魔法を知っている者がいたとはのう……」
「おお、それほどすごい魔法ですか」
(……すごいどころではないわい、ほぼ伝説級じゃ……しかも、あの年で……)
ルルーシュの中でタクト少年に対する認識が変わった。
同じ頃、控室の外で観戦していたルートも、驚きのあまり言葉を失っていた。
(……ペイネの魔法が消された……しかも、全員に魔法防御が付加されている……初めて見る魔法だな)
「くっ、ペイネの魔法が効かないですって? それなら力で押すだけですわ」
セリーナは加速を使って敵陣に突進しながら、訓練用の木剣を構える。それに対して、タクトは余裕の笑みを浮かべながら、前衛の2人に指示を出した。
「左右に分かれて敵陣を目指してください。彼女は僕が引き受けます」
「私を舐めましたわね。魔法使いが近接戦で勝てるとでも?」
セリーナは怒りの表情で、一気にタクトとの距離を詰めていく。それを横目に見ながら、ボース校チームの前衛2人が加速を使って王都校の陣地に攻め込んでいく。
これで、勝敗はセリーナがタクトを撃破するのが早いか、それともボース校の前衛が王都校の守備陣を攻略するのが早いか、によって決まることとなった。
その結果は、ボース校が勝利を収めた。セリーナはすごい気迫でタクトを攻め立てたものの、彼はそれを受け切って旗を守り抜いた。
個人戦に続いて、優勝候補が準決勝で敗れるという波乱が起こり、会場の興奮は一気に高まった。しかも、どちらにもタクト・アマーノが関わっていた。
「すごい新人が現れたものだな」
「今年はボース校が総合優勝を持っていくかもな……」
準決勝の第二試合。リリア率いる王都校とソニア率いるガルニア校との戦いだ。
魔法の打ち合いでは不利と考えたリリアは、守備に男子の盾役の2人を残して、シェリー・ルバンヌ、アネット・ホークスとともに、ガルニア校陣地へ速攻を仕掛けた。
「蛮勇ですわね。返り討ちにして差し上げますわ」
ガルニア校の5人が一斉に魔法の詠唱を始める。
「風の精霊よ、見えざる数多の手をもって彼の敵を空の彼方へ……っ! なっ!……」
中級風魔法のウィンドボムでリリアたちを一気に蹴散らそうと思っていたソニアは、体中に木剣を打ち付けられたような衝撃を受けて、思わず後ろへのけぞった。
驚いて前を見ると、加速で一気に迫ってくるリリアが再び前方へ向かって手を振るところだった。
「ウィンドカッター? しかも無詠唱ですって?」
ルートの「魔法学Ⅲ」の授業を受けている生徒のうち、すでに8人が無詠唱魔法を使えるようになっていた。ただし、使えるのは魔力を貯める時間が短い「初級魔法」に限られていたが……。リリア・ボースはそのうちの1人だった。
魔法の威力は低いが、加速や体術と組み合わせれば実戦での効果は大きい。現にソニアも後衛の生徒たちも中級魔法の詠唱を途中で邪魔されて、慌てて防御の体制を余儀なくされている。
「エースの相手は私がやります。一気に旗を奪い取って!」
リリアの指示の声が響き渡る。その声に頷いて、シェリーとアネットがさらにスピードを上げて相手陣に迫る。
「くっ、させるかっ!ここは通さん」
ガルニア校の盾役の男子生徒が、大楯を構えて2人の行く手に立ちはだかる。しかし、シェリーとアネットのスピードと体術に、彼はついて行けなかった。なんとかシェリーの突進は阻んだものの、シェリーの激しい蹴りや拳の攻撃を受けるのが精一杯で、アネットはやすやすと敵陣地に侵入した。
慌てた後衛の魔法使いたちが、簡単な詠唱で初級魔法のウィンドカッターやストーンバレットを放ってきたが、アネットは華麗な体術でそれらを難なく躱し、壇上に立てられた陣旗を奪い取った。
ウオオオーーッという大歓声が上がり、勝負はあっけなく終わった。
個人戦に続いて、団体戦も準決勝で力を出す前に敗れ去ったソニアは、呆然と立ち尽くしていた。
「そんな……な、何かの間違いですわ……」
そんなソニアの側を通り過ぎて控室に向かうリリアは、声を掛けようとして立ち止まったが、結局言葉が見つからずそのまま去って行った。
まだ、決勝戦が残っているのだ。今のソニアの姿は、この後の自分の姿かもしれない。リリアに油断も奢りも無かった。
そして、ついに決勝戦の時がきた。
「作戦は今まで通りよ。私ができるだけアマーノを止める。でもたぶん突破されるわ。盾のあなたたちに頼ることになる。シェリーとアネットが旗を奪い取るまで、何とか彼を止めてちょうだい」
「ああ、任せとけ。死んでも奴は通さんっ!」
「私たちも一気に旗を奪って見せるわ」
王都チームは力強く頷き合って手を重ね、オウッという気合を入れて試合場に出て行った。
両チームが50mの間隔を取って向かい合う。陣地にはそれぞれの校旗が翻る。会場の熱気と歓声は頂点に達していた。
審判の合図の声に、一瞬場内が静まり返る。
その声と同時に王都校からは3人の女子生徒が、ボース校からもタクヤと男女2人の生徒が一気に加速して走り出す。
リリアが先制のウィンドカッターを放つと、「させませんよ」と言いながら、タクヤが無詠唱の中級風魔法ウィンドボムを放つ。リリアの風の刃はタクヤの風の弾丸に打ち消され、さらにリリアと後方の2人は、残りの風の弾丸を避けるために前進を止める。
その隙を狙って、ボース校の2人がシェリーとアネットを打ち倒そうと木剣を構えて突進していく。
だが、それが間違いだった。2人がシェリーたちにかまわず迂回して王都校の陣地に殺到していたら、勝負は早々と決したかもしれない。
「ここで脱落してもらう」
ボース校の2人の木剣が、シェリーとアネットの頭部を狙って振り下ろされる。
ガンッという鈍い音が響き渡り、誰もがシェリーたちが倒れる姿を想像した。
「なっ!」
ボース校の2人は木剣を弾かれて、後方にのけぞり驚きの声を上げた。
「防御結界?」
確かに頭部を直撃したはずなのに、どちらの少女も平気な顔で、それぞれの相手に向かって来たのである。
「直接頭部へ攻撃とはいただけないわね。ルール違反じゃない?」
アネットはそう言いながら、ひるんだ男子生徒の懐へ飛び込んで拳を突き出した。それは的確に相手の鳩尾を捉え、
「うぐうぅっ」
男子生徒はうめき声を上げてその場にうずくまった。
一方のシェリーも、女子生徒の首筋に手刀を叩きこんで意識を刈り取っていた。
「あらら……これはまずい状況になったね」
リリアの木剣の攻撃を杖で適当にさばきながら、タクトはあまり危機感が感じられない表情でそう言うと、目の前のリリアを見つめた。
「っ!……あ、あ……」
その瞬間、リリアがふらふらと体をよろめかせ、地面に倒れたのである。
「麻痺系の闇魔法か?」
タクトをVOMPで見ていたルートが、驚愕した表情でつぶやいた。タクトがリリアを見つめた瞬間、彼の目から細い魔力が放出され、リリアの目に入っていくのが見えた。
(驚くべき魔力操作だな……しかも、あらゆる魔法に精通しているようだ……彼はいったい何者なんだろう?)
試合は結局、王都校がギリギリのところで優勝という結果に終わった。タクトが必死にシェリーとアネットを迎撃しようと奮闘したが、2人は体術を駆使して回避し続け、一瞬の隙を見つけてアネットが旗を奪い取ったのである。
会場は興奮に包まれ、熱戦を繰り広げた両校チームに惜しみない拍手と歓声が贈られた。結局、個人戦も団体戦も王都校が優勝し、魔法学科対抗競技会は王都校の総合優勝で幕を閉じた。
表彰式終了後、歓喜と興奮に大騒ぎの王都校の控室で生徒にもみくちゃにされていたルートのもとへ、事務員のカリーナ・バロールが呼びに来た。
「ブロワー教授、所長がお呼びです」
「リーフベル先生が? 分かりました、すぐ行きます」
ルートは生徒たちの輪の中から抜け出して、所長室へ向かった。
「ブロワーです。お呼びと聞いて参りました」
「ああ、ルートか、入れ」
ルートがドアを開けて入ると、そこにはリーフベル所長の他に、マリウス第一王子、ガルニア侯爵、ダルビス子爵(王都第二子女養成所所長)ともう一人、初めて見る初老の貴族が座っていた。
学園祭は踊る 6
「いやあ、今年はわが校が総合優勝だと自負しておったのだがなあ……やはりというか、ブロワーにしてやられたわい」
ガルニア侯爵が開口一番、緊張して挨拶をしたルートに向かってそう言った。
「侯爵、まあ、気持ちはわかるが、いきなり毒づくのはルートが可哀そうじゃ。ルート、わしの横に座れ」
リーフベルの言葉に一同が苦笑し、なんとなく空気が和んだようだった。
「あはは……ブロワー教授、すまないね。大叔父は昔からこの対抗戦に情熱を傾けていてね。今回は特に気合が入っていたんだよ」
マリウス第一王子の言葉に、ルートはようやく落ち着きを取り戻して微笑しながら頷いた。
「はい、確かにソニア・ローランは素晴らしい才能の持ち主ですから……」
「ふむ、だが、結果として個人でも、団体でも決勝にさえ進めなかった。その原因をお前はどう分析する?」
ガルニア侯爵がまだ憤懣やるかたない様子でルートに質問した。
「はい……ええっと、お答えする前に、この集まりはどういった趣旨のものか、お尋ねしてもよろしいですか?」
ルートが周囲を見回した後、リーフベルに問い掛けた。
「ああ、そうじゃな。まあ、毎年のことだが、対抗戦の後、各学校の管理責任者が集まって、こうして総評を行うのじゃ。対抗戦のルールの見直しや反省も踏まえて、今後の教育に生かす成果を確認する、といったところじゃな」
リーフベルの答えにルートは頷いた後、初めて見る貴族の方に目を向けた。
「なるほど……では、そちらのお方はボース校の管理責任者ということでよろしいですか?」
ルートの問いに、その初老の貴族は姿勢を正して軽く会釈した。
「失礼、自己紹介が遅れましたな。私は、ボース辺境伯にお仕えしているエーリク・ファングラウです。ボース校の管理責任者は伯爵様ですが、今回は所用でどうしてもおいでになる事ができなかったので、私が代理で参りました。一応、ボース校の所長を承っております」
「ファングラウ男爵は、元宮廷魔導士団の部隊長を務めたほどの人物でな。ルート、お前ともぜひ話をしたいと言っておったのじゃ」
リーフベルの言葉に、ファングラウ男爵は深く頷いてこう付け加えた。
「はい。できれば明日、あなたの研究発表の後、少しお時間をいただければ、と……」
「あ、はい、構いませんが……」
ルートの返事に男爵は嬉し気に頷いた。
「よし、では話の続きといこう。ブロワー、さっきの問いに答えよ」
ガルニア侯爵が、体を乗り出すようにしてルートの迫った。
その後、お茶やお菓子が運ばれてきて、歓談(と言うにはかなり熱を帯びていたが)の形で、競技会の成果や反省が話し合われた。
ルートとしては、ファングラウ男爵からタクヤについての詳しい話が聞けるかと期待していたが、リリアから聞いた以上のことは男爵の口から語られることはなかった。どうやら、ボース辺境伯から、情報制限の命令が出されているようにルートは感じた。
「……あれほどの逸材だ。その保護者という魔導士も、相当の力を持った高名な魔導士であろうな?」
ガルニア候の問いに、ファングラウ男爵は困ったような顔で首を振りながら、
「それが……まったく素性も生い立ちも不明でして……ただ、伯爵様は先代の領主様からその方については引継ぎがあったらしく、とにかく丁重に扱うようにと私共にも通達されております。それ以上のことは分かりません」
リーフベルはその話を聞きながら、何か思案顔でテーブルに目を落としていたが、話が途切れた所で顔を上げた。
「よし、では、今回の話し合いはここまでとしよう。学園祭も最終日を残すだけじゃ。あと一日、どうかよろしく協力をお願いする」
「うむ、最後の打ち上げ会を楽しみに、お互い頑張ろうではないか」
「大叔父殿、昨年のように酔い潰れてもらっては困りますよ」
「あ、いや、あれは初優勝で嬉しくてだな……」
「はいはい。では、今年はやけ酒にならないようにお願いします」
「ぬうう……マリウス、お前母親に似てきたな」
一同の笑い声の中で会は終了し、相前後して出席者たちが部屋を出て行く。
「ルート、ちょっといいか?」
最期に部屋を出て行く際に挨拶をしようとしたルートは、リーフベルに呼び止められた。
ルートは「はい」と返事をしつつ、校長が少し浮かない表情をしているのを訝しく思いながらソファに座り直した。
「……例の少年のことじゃが……」
おもむろにリーフベル校長が口を開いた。
「タクト・アマーノのことですね?」
「うむ。おぬしも気づいたと思うが、辺境伯は彼についての情報をかなり厳しく統制しておるようじゃ」
ルートは頷きながら、何か校長が気にしていることを察した。
「そうみたいですね……先生は何か気になる事があるのですか?」
リーフベルはすぐには答えず、テーブルの上に立ち上がると窓の方へ目を向けた。
「……今の所、あの少年が、アラン・ドラトのような存在になるとは思っておらぬ。じゃが、彼の保護者というのが、いささか心当たりがあってな。もし、わしの推測が当たっておるのなら、今後どういう存在になるのか、気になる所ではある」
ルートは驚いて、その保護者とはどんな人物か尋ねようとしたが、その前に、リーフベルがルートの方に向き直ってこう言った。
「ルートよ、おぬしはあの少年をどのように感じた?」
そう問われて、ルートは、この場が自分の秘密を知っているリーフベルと2人だけである状況から、思い切って自分の推理を打ち明けることにした。
「僕は、彼が僕と同じ転生者ではないかと思っています……」
ルートの答えに、リーフベルはまるで飛び掛かるようにルートの目の前に移動して座り込んだ。
「うむ、その根拠は?」
校長の迫力に気圧されて思わずのけぞったルートは、頭を搔きながら答えた。
「ええっと、先ずは彼の名前です。タクト・アマーノ、僕が転生する前に住んでいた世界では、姓が先で名前が後になるのですが、それで言い換えるとアマーノ・タクト。アマーノはアマノと考えれば、アマノ・タクトとなり、これは前世の世界では明らかに僕と同じ国の人間の名前になります。後は、やはりあの魔法の能力ですね。あれは、間違いなく神の特別な加護を受けたもので間違いないでしょう」
リーフベルは自分の推理と同じだったのか、会心の笑みを浮かべてルートの膝の上に飛び乗った。
「せ、先生?」
「何じゃ? わしの体は軽いじゃろう?」
「はあ、いや、でも……」
「まあ、わしとおぬしの仲じゃ、気にするな。しかし、やはり転生者であったか。そうなると、保護者というのは『かの者』で間違いないであろう……」
リーフベルはルートの膝の上にこちら向きに座って、顎に手をやった。
「僕のはあくまで推測ですよ。確かな根拠はありません」
「いや、わしもあの魔法の力は、普通の人間ではないと考えておった。じゃが、分からぬのは、こうした公の場であの力を見せれば、当然疑われると予想はつくはずなのに、あえて隠そうとしていないことじゃ」
「確かに……そうですね」
ルートは頷いて、少し考えてからこう言った。
「誰かに存在を見せる必要があった、とか……」
「ほうほう、なるほど……その相手が『誰か』ということじゃな?」
リーフベルは、すでにその『誰か』が分かっているような目でルートを見つめながら頷いた。
「まあ、とりあえず今後の動きを注意して見ておくことにしようかのう」
「そうですね」
師弟は頷き合うと、傾き始めた太陽が照らす外の景色に目をやった。
学園祭は踊る 7
翌日、学園祭の最終日。ルートは午前中、魔法学の研究発表を行った。
グレイダルの基本法則を書き変え、新たに《グレイダル・ブロワーの合成魔法定理》を発見した天才魔導士の発表とあって、会場には各学校の教師と生徒、諸外国の大使とその関係者、そして国内の貴族や宮廷魔導士たちも詰めかけ、超満員になっていた。
ルートはボルトン、サザールの両教授たちに協力してもらいながら、グレイダル・ブロワーの合成魔法定理を発見、検証した経緯を発表した。
図表を使い、結界の中での合成実演を交えながら約1時間半の発表の最後に、ルートはこう言って発表を締めた。
「……以上が新定理についての説明となります。しかし、この定理もまたいつの日か修正される時が来ると、私は考えています。魔法の世界はそれほど深遠で奥深く、まだまだ我々が知らない新しい発見が今後も続くでしょう。今回の発表で、それに関わることができる喜びを皆さんに伝えることができたのなら望外の幸せです。ご清聴、ありがとうございました」
ルートと2人の教授が頭を下げた次の瞬間、シーンと静まり返っていた会場は爆発が起きたかと思われるほどの拍手と称賛の嵐に包まれた。
びっくりした3人は何度も頭を下げながら、舞台のそでに引き上げたが、拍手はいつまでも鳴りやむことはなかった。
「ほれ、何をしておる。皆待っておるぞ。もう一度壇上に出て、質問など受けるがよい」
舞台のそでで満足そうに眺めていたリーフベル所長が、戸惑う3人にそう言って背中を押した。
そこで3人は仕方なく再びステージに戻り、一段と高くなった拍手に頭を下げた。
「えー、皆さん……」
演壇に戻ったルートが手を上げて呼びかけると、観客はようやく座って静かになった。
「身に余る拍手をありがとうございます。そのお礼になるかは分かりませんが、この場で答えられるような質問があればお受けいたします。たくさんは無理ですが、1つや2つほどなら、時間も許してくれるでしょう……何かありますか?」
ルートの問いに会場はざわめきに包まれた。下手な質問をして恥をかくのを恐れたのか、なかなか手が上がらない、と思っていると、前の方の席に座ったボース校の教師と生徒の塊の中から手が上がった。見れば、タクト・アマーノが目を輝かせて手を上げていた。
「はい、ボース校のアマーノ君ですね。どうぞ」
ルートは、タクトが手を上げたことを訝しむ反面、どんな質問をするのか期待しながら指名した。
タクトはにこにこしながら立ち上がると、一礼して口を開いた。
「質問の機会を与えていただき感謝いたします。教授の発表を大変興味深く拝聴させていただきました。さっそく質問ですが、先ほどお示しになった属性表で隣り合った属性は合成に膨大な魔力が必要になるわけですが、それだけの魔力があれば合成は可能と考えてよいのでしょうか?
火 光
↗ ↘
水 風 ⇅
↖ ↙
土 闇
それと、光と闇は他の4属性から切り離されていますが、この2つの属性と他の4属性との合成は可能だとお考えですか?」
さすがに鋭い所を質問してくる。ルートは感心しながら思わず笑みをこぼした。
「はい、ではお答えします。先ず1つ目の質問ですが、答えはイエスです。というか、実際に我々は無意識のうちに合成していると考えています。
例えば、ファイヤーボールですが、これを目的の位置まで飛ばすのに、恐らく風魔法と無属性魔法を同時に使っている。これは詳しく魔力の分析をしないと証明できませんが(僕は《解析》ですでに証明しているけど)、まず間違いないと思います。同様にアイスウォール系の魔法は水属性と土属性と無属性の合成魔法だと考えられます。ただし、火属性と水属性の合成は、水蒸気爆発を起こすので非常に危険ですから、絶対やらないでください。もちろん、合成するだけの魔力とそれを閉じ込める魔力調整、閉じ込めるための丈夫な結界作成を同時にできないといけませんので、よほどの腕がないと無理ですが……」
「つまり、先生はその実験に成功された、と?」
タクトの質問に、ルートは微笑んだだけで答えなかった。それはイエスという無言の答えだと誰にでも理解できたのだが……。
「……2つ目の質問ですが、これについてはまだ私も推論の域を出ません。だからあくまでも1つの考えだと思って聞いてください。
私は、光と闇は魔法の根本に関わる《力のあり方》ではないかと思っています。少々難しいですが、例を使って説明します。
この世界のすべての物質が、小さな粒子で作られているとします(実際そうなのだが)。小さな粒子ですから、力が加わると動きます。逆に動かないように力を加えると固まります。そこで、水を思い浮かべてください。水に熱という力を加えると激しく動き回り、ついにはバラバラになって空気中に飛んで行ってしまう、これが蒸発です。逆に動かないようにする力、つまり冷やすと、やがて固まって氷になります。
光と闇は、この《動かす力と動かさない力の元になる力》だと考えれば、4属性は、この光と闇の力が物質を通して表れたもの、それによって姿を変えたもの、と見ることができる。
火と風の属性は光の力が強く表れた属性、土と水の属性は闇の力が強く表れた属性、と、ここまでは推理したのですが、同じ力の方向同士の合成がうまくいかないのはなぜか、というところは、まだ謎です。また、合成魔法に無属性が関わっているのは確かなのですが、それがどのように関わっているのか、これもまだ検証できていません。
以上が、今の所私に答えられる限界です。抽象的な話で答えになっていませんが、これで許してください」
ルートは話を終えると、いつしかシーンと静まり返っていた場内の雰囲気に戸惑って、辺りを見回した。
観客は、まるでこの世のものではないものを見たかのように、呆気に取られている状態だった。が、次の瞬間、
パチパチパチパチ……
タクトが立ち上がって拍手を始めると、ワアァッという歓声とともに嵐のような拍手が巻き起こった。観客が次々に立ち上がって拍手と歓声を贈り始めたのだった。
♢♢♢
最終日の午後は、文字通り学園中を会場にした大宴会となる。学園が用意した大量の食材や料理、そして酒がふるまわれ、生徒も大人も関係ない大交流会になるのだ。
その準備に大騒ぎの中心部から離れた、来客用の部屋で、ルートはエーリク・ファングラウ男爵と対面していた。
「お時間をいただき感謝します」
「いいえ、僕もお聞きしたいことがありましたので……どうぞ」
ルートは男爵に座るように促してから、彼の対面に腰を下ろした。
「それで、お話とは?」
男爵は小さく頷くと、やや目を伏せて手を前に組んだ。
「……わが校の生徒、タクト・アマーノのことです。もう、お気づきとは思いますが、彼は特別な生徒でして……」
「ええ、リーフベル先生とも話をしました。僕がお聞きしたかったのも彼のことです」
ルートの言葉に頷いて、男爵はルートに目を向けた。そして、タクト少年が入学してからの言動についていくつかのエピソードを語った。
彼は入学した時点で、すでにあらゆる魔法に通じており、あらゆる知識に精通していた。だから、授業は彼については無意味に近く、実技訓練も必要なかった。だとすれば、彼はなぜ子女養成所に入学したのか、という疑問が当然出てくる。それに対して、彼ははっきりと学長である男爵に告げた。それは……
『……僕は王都校のルート・ブロワー先生に認められる魔導士になりたいのです。できれば先生の弟子にしてもらいたいと思っています。ただ、王都校に直接入学すると不信感を持たれてしまいますから、まずはここで認められるような実績を積んで、先生に弟子入りをお願いしに行こうと思っています』
「……ということです」
ファングラウ男爵は、苦笑しながらそう語り終えた。
「なるほど……そういうことなら、私としては頑張れと言うしかありませんね。ところで、彼の保護者というのはどんな人かご存じですか?」
「いいえ、それが、そのことについては伯爵様から詮索しないようにと厳命されておりまして、伯爵様と一部の人間しか知らない状況です」
男爵の様子から見てウソはついていないとルートは判断した。
「分かりました。それで、男爵様のお話はこれで終わりですか?」
「いいえ、もう一つだけ……これは伯爵様から必ず教授にお伝えしろと……」
男爵はそう言うと、姿勢を正して主からの言伝を付け加えた。
「どうか必要以上にアマーノを警戒しないで欲しいと。そして、できれば彼からの接触にはできるだけ便宜を図ってほしいとも」
ルートは少し考えてから、男爵にそのどこまでも人の心を見通すような鋭いまなざしを向けて言った。
「理由も明かさず、一方的にこちらが便宜を図れと? それは無理というものですね。お帰りになったら辺境伯様にお伝えしてください。今のお言葉で、私は今後最大級の警戒をするつもりである、と。では、これで」
「あ、あ……ま、待ってください……ひっ!」
男爵は慌ててルートを引き止めようとしたが、背を向けたルートはちらりと男爵を振り返った。その目や全身から発するすさまじい魔力に、思わずソファにへたりこんだ男爵は、それ以上言葉を発することができなかった。
学園祭は夜を迎えて、いよいよに騒がしさを増していた。学内の3か所に大きなたき火がたかれ、生徒たちや一般の大人たちが食べて飲んで踊って、最後の交流を楽しんでいた。
一方、集会所では来賓や貴族のための立食パーティーが開かれ、ダンスの曲も流れていた。
ルートたちはホスト役だったので、裏方の仕事や賓客のもてなしに休む暇もなく動き回っていた。そのため、タクト本人に接触する機会がなかった。
翌日、まだ祭りの余韻が残る学園から、各校の生徒と引率教諭たちが次々と帰路についていた。あちこちで別れを惜しむ生徒たちの姿が見られた。
ルートたち王都の職員もリーフベル所長とともに正門のところまで見送りに出ていた。
「おはよう、アマーノ君……」
他校生と別れを惜しむ仲間たちから離れて、荷物用の馬車に自分の荷物を運び込んだタクトは、不意に横から声を掛けられて振り向いた。
「あ、おはようございます、ブロワー先生」
タクトは年相応の無邪気な驚きの表情を浮かべて、頭を下げた。
ルートは彼にしか話が聞こえないくらいに近づいて、手を差し出した。
「今回は君に会えてよかったよ」
タクトは一瞬戸惑ったような表情で、差し出された手を見つめたが、やがてその顔に大人びた複雑な微笑を浮かべながら握手を受けた。
「ファングラウ所長が余計なことを言ったようですね。あはは……」
タクトそう言って手を引くと、困ったように頭をかきながらルートを見上げた。
「ブロワー先生、僕はあなたの敵ではありませんよ。まあ、味方と言うと微妙かな。でも、決して余計な心配はしなくて大丈夫です。いずれ、すべてをお話しするときがくると思います。それまで、僕は先生のような魔導士を目指していろいろなことに頑張ります」
「そうか……分かった。いつでも遊びに来たら歓迎するよ。君はお菓子とか好きか?」
「はいっ、大好きです。でも、いつも師匠に怒られるんですよ、糖分の摂り過ぎはダメだって……」
「あはは……確かにお師匠様の言う通りだな。でも、これくらいならいいだろう、旅の途中で食べてくれ」
ルートはそう言うと、ポーチから紙袋を取り出し、タクトに渡した。
「おお、何気に収納魔法付きのポーチですか。僕もバッグは持っていますが、ポーチも欲しいな……ん? おお、ドーナツだあ、やったあ! ありがとうございます」
無邪気な表情で歓声を上げるタクトに微笑みながら、ルートは手を上げて別れを告げた。
タクトも手を振りながら、何度も頭を下げた。
(結局、彼と背後の人物やその目的については分からなかったけど、どうも神様たちが一枚絡んでいるような気はするな……まあ、たとえそうでも、障害になって立ち塞がるつもりなら、戦うまでだ……)
去って行く馬車をにこやかに見送りながら、ルートは心の中でつぶやいた。
「……それで、ルートよ、いつ頃には帰ってくる予定じゃ?」
『グリムベル開拓団』が出発する3日前、緊急の職員会議の席で、リーフベル所長は、職員に今回の王城での決定事項を説明した後、ルートに問いかけた。
「そうですね……あまり授業を休みにするわけにもいきませんから、4月の初めには帰ってこようかなと思います」
ルートの答えに、リーフベル所長は小さく頷いた。
「ふむ。それなら、なんとか学園祭には間に合いそうじゃな」
王立子女養成所の年間行事の中で最も大きな行事である『王立子女養成所における学問および文化的成果の発表会』、通称『学園祭』が一か月後に迫っていた。今年は遠征の影響もあって、例年より1週間遅い4月21日から25日までの5日間の予定で開催されることになっていた。
「何と言っても、今年は『魔法競技会』の王座奪還がかかっておるからな。おぬしがおらぬと生徒たちも気合が入らぬじゃろう」
リーフベル所長は、鼻息を荒くしてそう言った。よほど昨年ガルニアの王立学校に魔法競技会で負けたのが悔しかったのだろう。
会議が終わって、魔法学科棟に帰る道すがら、サザール教授がため息交じりにこう言った。
「恐らく、今年もガルニアのソニア・ローランのチームが最大のライバルになるでしょうな」
「そうですね……彼女1人でガルニアの点数の半分近くを稼ぎますから」
ボルトン教授が頷きながら、苦虫を嚙み潰した表情で答えた。
ルートは以前2人から、昨年の魔法競技会の話を聞いただけで、実際に見たことはないので、話に加わることができない。
「ブロワー先生、先生がおられない間、われわれが出場する生徒たちを指導することになりますが、何か秘策はありませんか?」
サザールの問いに、ルートはすぐには答えられず、こう言った。
「ええっと、もっと先生たちに詳しいお話を聞かないと、対策は立てられませんね。よかったら、昼食をご一緒しながらお話を聞かせていただけませんか?」
2人の教授はもちろん喜んでそれを承諾した。
校内の食堂『酔いどれドラゴン』は、今日も多くの生徒や職員で賑わっていた。
「やあ、エレーナ、元気だった?」
「まあ、ブロワー先生、お久しぶりですね」
ウェイトレスで看板娘のエレーナが、元気な声でルートたちを出迎え、席へ案内してくれた。
いつもの定食を注文した後、3人はさっそく作戦会議を始めた。
「ソニア・ローランは今年3年生ですが、入学してすぐ、ガルニアの王立学校創立以来の天才と評判になりましてね、1年生の時はさすがに慣れていなかったのか、チーム戦は3位に終わったのですが、個人の成績は堂々の1位。総合成績では辛くもわが校が優勝しましたが、昨年は惨敗でした。チーム戦も個人戦も、ソニアに持っていかれたのです」
最初にサザールが、悔し気に切り出した。
「なるほど……つまり、そのソニアをどうにかしないと優勝できないわけですね?」
ルートの問いに2人が頷く。
ルートは続けて2人に問いかけた。
「彼女の強さを、お二人はどう分析されていますか?」
それにまず答えたのはボルトンだった。
「彼女は、抜群の身体能力を持っています。3対3のチーム戦は、魔法の攻撃と防御を駆使して相手チームの陣地にあるオーブストーンをいかに早く奪うかを競うのですが、ソニアには、まず攻撃が当たりません。詠唱している間に近づかれて、軽業師のような身のこなしで一気にストーンを持ち去っていきます」
「そのうえ、火属性と土属性の2属性を持ち、様々な魔法が使えます。こちらの攻撃は土の壁で防ぎ、炎系の攻撃を前方からだけでなく、四方から放って防御を蹴散らす。手のつけようがありません」
サザールが続けてそう言うと、ため息を吐きながら首を振った。
そこへ、エレーナが定食を持ってきたので、3人はいったん話をやめた。
レタスとトマトとベーコンのサラダを食べながら、ルートはソニア・ローランへの対策を考えていた。
「競技会では闇魔法は使えるんですか?」
ルートがふいに2人に問い掛けると、2人は顔を見合ってから同時に頷いた。
「はい、もちろん使うことはできます。ですが、そもそも闇属性を持つ生徒を、私はこの26年の教師生活の中で1人も受け持ったことがありません。ボルトン君はどうかね?」
「私も知りませんね。一説には、闇の属性は神に見放された一族に伝わる禁忌の属性と言われています。持っていても普通は隠すでしょうね」
(うわ~、そうなのか……僕が闇属性も持っているって言ったら、どんな顔されるんだろう? でも、闇属性の《睡眠》はすごく使い勝手がいい魔法なんだけどなあ。それを使えば、ソニアを簡単に止められると思うんだけど……ん? いや、待てよ)
ルートはあることを思いついて、2人に尋ねた。
「では、光魔法の使い手はいるんですよね?」
「ええ、います。神学科の生徒の多くは光属性を持っていますよ」
「しかし、光属性の魔法は、主に治癒系の魔法で、攻撃や防御には向かないのでは?」
2人の言葉にルートは頷きながら、にやにやと意味ありげに笑った。
サザールとボルトンは顔を見合わせると、同時にずいっとルートの方へ身を乗り出した。
「ブロワー先生……」
「お話を聞くまで、逃がしませんよ」
ルートは思わず口にくわえた野菜を吹き出しそうになり、むせて咳き込んだ。
「グホッ、ゴホッ……わ、分かりました、今からお話しますよ」
2人の教授は子供のように目を輝かせて、ルートの言葉を待ち受けた。
「ええっと、まず、お二人にお願いですが、僕が開拓地から帰って来るまでに、闇属性を持つ生徒がいないか密かに調べていただきたいのですが、できますか?」
「分かりました。本来は所長以外、生徒のステータスを見ることは校則に違反するのですが、所長の了解を得てから調査してみましょう」
サザールの言葉に礼を言って、ルートは続けた。
「ありがとうございます。それで、闇属性の生徒がいなかった時のために、光属性を持つ生徒で、魔力量の多い生徒を3人ほど見つけておいてください。その理由をお話します」
ルートはポケットからメモ帳と鉛筆を取り出した。そして、例の魔法属性相性図を素早く描いて2人に言った。
「この図は先生方もすでにご理解いただけていると思います。僕は、生徒たちに2つの属性を持たせることができないかと訓練させているときに、この関係を思いつきました(本当は前世のゲームの知識だけどね)。そして、隣り合わない、つまり対角線上にある2つの属性は簡単に身に着けられることが分かりました……」
「ええ、これこそまさに世紀の大発見です。世界中の魔法使いが大騒ぎしていますよ」
ボルトンの言葉にサザールも頷く。
「まさしく、その通り。ただ、これで見ると、光属性と闇属性が他の属性と切り離されて、2つだけの関係になっています。ずっと気になっていたのですよ、なぜこの2つの属性が他の属性とは別扱いになっているのか……」
サザールの問いに、ルートは頷いて説明を続けた。
「はい、それについては僕もまだ確かな理論は持っていません。ですが、この2つの属性は他の4つの属性とは明らかに性質が違う、それは確かです。そして、ここからがいよいよ本題ですが……」
2人の教授は思わずごくりと息を飲みながら頷いた。
「闇属性魔法には《睡眠》、つまり相手を眠らせる魔法があります。つまり、これを使えば、ソニアを楽に封じられるわけです」
「な、なんと……そんな魔法、初めて聞きました。いや、確か、古い魔導解説書で、とあるダンジョンの最下層に、魔導士の姿をした骸骨がいて、そこへたどり着いた者をすべて《永遠の死の眠り》に導いた、と言う記述を見たことがある、もしや、それが……」
「おお、サザール先生、私もそのことが思い浮かびました。ベルンストの『異端魔法の歴史』の一節ですね。しかし、その魔法は伝説級の魔法で、とても生徒が使えるような魔法では……」
サザールとダルトンはそう言った後、まさかといった顔でルートに目を向けた。
ルートは、バツが悪そうに苦笑しながら2人を見ていた。
学園祭に向けて 2
もう、こうなったら2人に自分が闇属性も持っていることをカミングアウトするしかなかった。当然、2人の教授は大声を上げそうになるほど驚いた。そして、その後、苦笑しながら頭を抱えた。
「いやはや……もう、あなたには驚かされてばかりで慣れたと思っていましたが……」
「まさか、全属性をお持ちとは……人間に可能なのでしょうか?」
「い、いや、待ってください。僕は普通の人間です。どうか、そこは疑わないでください。
そして、どうか、このことはお二人の胸におさめておいていただけませんか?」
ルートが慌ててそう言うと、2人は真剣な顔でしっかりと頷いた。
「はい、もちろんです。われわれを信じていただきたい」
「ありがとうございます。では、話を元に戻しますね。もし、生徒の中に闇属性を持つ者がいたら、僕が帰ってからその子に《睡眠》の魔法を覚えさせます。そして、いなかったら、光属性を持つ生徒に、闇属性を身に着けさせてみようと思っているんです」
「えっ、し、しかし、この図で見ると、2つの属性はお互いに矢印が向いている。つまり、お互いに相殺する関係ではないのですか?」
2人の教授はルートの考えに戸惑いを隠せなかった。
「はい、そうです。上手くいくかどうかは分かりませんが、試したいことがあるんです」
ルートはそう言うと、自分がかつて冒険者として《毒沼のダンジョン》に挑戦し、《毒耐性》を身に着けたときの経験を話した。
「……つまり、毒を浴び続け、それに耐え抜くことで耐性は身に付きます。そのやり方を魔法の属性にあてはめたらどうか、と考えたのです」
「なるほど……自分の属性と相殺する魔法を浴び続ければ、その耐性として、相殺する属性が身に着くのではないか、と……」
ボルトンの言葉に、ルートが頷く。
「いやはや……どこからそんな発想が出てくるのやら……くくく……だが、魔法を研究する者にとって、あなたはどんな教科書にも勝る宝の箱ですよ、ブロワー先生。その実験、ぜひ我々にやらせていただきたい」
サザールが叫びたいのを我慢するように、両方の拳を握りしめながらそう言った。
「はい、どうかお願いします。それと、あと幾つか、対抗策になりそうな考えがありますから、これも試してみてください……」
ルートはそう言うと、《体術》のスキルを獲得してからの《加速》のスキルの習得法、女性が身に着けやすい《魔力感知》や《気配遮断》のスキルのことなどをメモに書いて、2人に渡した。
こうして、ルートは後のことを2人の僚友に託して、3日後開拓地へ旅立っていった。
後事を託されたボルトンとサザールは、翌日さっそく対策会議のことをリーフベル所長に報告に行った。
「おっほほ~~、そんな面白い話をしておったのか、なぜ、わしも混ぜてくれなかった?」
2人から話の概要を聞いたリーフベルは、興奮したように机の上に飛び乗ってそう言った。
「い、いや、まことに、食堂などで話す内容ではありませんでした。ブロワー先生の天才ぶりに、我々も驚愕するばかりで……」
「はい、サザール先生の言う通りです。ここに書かれた実験や理論は、どれも今後教科書に大きく取り上げられるべき内容ばかり。昨夜は興奮して眠れませんでした」
サザールとボルトンの言葉に、リーフベルはますます悔し気な声を上げて机の上を歩き回った。
「く~~っ、ルートの奴め、帰ってきたら1日中ここに閉じ込めて質問攻めにしてやる……ええい、今はそれどころじゃないのう。よし、わしが直々に鑑定すれば問題ないわけじゃ、さっそく闇属性を持つ生徒を探すとしよう。おぬしらは、光属性を持つ生徒の選抜をやってくれ。実験は明日の放課後から始める」
「「は、はい、承知しました」」
リーフベルの勢いに気圧されるように、2人の教授は最敬礼すると所長室を出て行った。
「ぬふふぅ~~……ルートの奴め、なんとも面白い宿題を残してくれたものじゃ。さあて、こうしてはおれん、さっそく宿題の解答を探しに行くかのう」
リーフベルはうきうきと小躍りしながら、ローブと帽子を身に着け、所長室を後にするのだった。
翌日の放課後、魔法学科棟の1番教室に集まった8人の人影があった。
魔導士姿で愛用のロッドを持ったリーフベル所長、同じく魔導士姿のボルトン、サザールの2人、そして、なぜか緊張した様子の神学科教授エリアーヌ・ハウゼン、同じく緊張、というより恐怖に近い表情の生徒が4人という顔ぶれである。
「さて、では始めようかのう。そこら辺に適当に座ってくれ」
リーフベルの言葉に、エリアーヌと4人の生徒たちは、エリアーヌを中心に並んで座った。4人の生徒たちはいずれも神学科の2年生と3年生の女子生徒である。
「そなたたちに集まってもらったのは、他でもない。今度の学園祭で行われる『王立学校対抗魔法競技会』の団体戦のメンバーになってもらうためじゃ」
リーフベルの言葉に、エリアーヌと4人の生徒たちは当然のごとく驚きの声を上げた。
「お、お待ちください、リーフベル所長、この子たちは神学科の生徒ですよ。もちろん魔法は使えますが、治癒系の光魔法なので、競技会には向かないと思いますが……」
エリアーヌの言葉にリーフベルは頷いて、穏やかな口調で言った。
「うむ、もちろんそれは承知しておる。実はな、これからそなたたちにはある実験をしてもらおうと思っておるのじゃ。詳しいことは、今からこの2人に説明してもらう。それを聞いてから、どうするか、判断してくれればよい」
それを聞いてエリアーヌたちも納得したので、ボルトン、サザールの2人がなるべく彼女たちにも理解しやすいように、図面を使いながら「光魔法と闇魔法の関係」、「闇魔法獲得の実験方法」について説明した。
エリアーヌと生徒たちは信じられないといった顔で説明を聞いていた。
「どうじゃな? 面白いであろう?」
説明が終わって、複雑な表情のエリアーヌたちにリーフベルが問いかけた。
「は、はい、とても興味深いお話でした。ですが、闇魔法と言うのは、その……」
「うむ、そなたたちの懸念は分かっておる。闇魔法は、神に見放された一族にのみ伝わる禁忌の魔法、という言い伝えであろう? じゃが、それが単なる迷信にすぎぬという証拠が、他ならぬそなたたち、エリアーヌ・ハウゼンと隣のペイネ・リヒターなのじゃ」
「えっ、そ、それはどういう……?」
リーフベルの言葉に、エリアーヌとその隣に座っている2年生の少女は驚いて顔を見合わせた。
リーフベルは少し間をおいて、じっと2人を見つめてから口を開いた。
「そなたたちは、どちらも聖教国の出身だが、同じ一族か?」
「い、いいえ、違います」
「ふむ……であれば、なぜ、どちらも《闇属性》を持っておるのじゃ?」
その言葉に、エリアーヌもペイネも、他の3人の少女も驚き、エリアーヌとペイネは青ざめて言葉を失った。
リーフベルは2人に頭を下げてから続けた。
「すまぬ……鑑定でステータスを見せてもらったのじゃ。じゃが、誤解するでないぞ。そなたたちを追い詰めようというのではない、むしろ逆じゃ。闇属性についての迷信の呪縛から解き放つためじゃ。エリアーヌ、そなた、この学園に来たときは、ステータスを見せてもらったが、《闇属性》は持っておらなんだ。いつ、それを発現したのじゃ?」
エリアーヌは、まだ動揺していたが、何とか平静を保ちながら答えた。
「は、はい……気づいたのは、合同キャンプが終わった次の日でした。自分のステータスがどれくらい伸びたか知りたいというクラスの男子生徒3人組を、教会に連れて行って『魔石鑑定器』(最上級魔石に《鑑定》のスキル魔法陣が付与されたもので、各教会やギルドにのみ配布されている王室謹製の非売品)で、鑑定してやった後、ふと、自分も久しぶりにステータスを見てみたいと思って……そうしたら、いつの間にか《闇属性》を取得していたのです……あまりのことにびっくりして……怖くなって……誰にも言えなくて……」
エリアーヌは、後の方はもう涙声になって話すことができなくなった。
「先生、私もです。私は去年の夏休み、実家の近くの教会に礼拝に行ったとき、軽い気持ちでステータスを調べてもらったんです。そしたら、《光属性》もまだ習得していないのに、
《闇属性》という文字が、スキルの欄にあって、どうしてって思って……なぜ、私が《闇属性》なんかを習得したのか分からなくて、怖くて、怖くて……うう、う……」
「ペイネ……」
エリアーヌは泣き出した少女を抱きしめて、一緒にさめざめと泣き始めた。
リーフベルはため息を吐いて、ロッドで机をバシッッと叩いた。
「ええいっ、めそめそ泣くでないっ!」
所長の一喝に、エリアーヌと少女はビクッとして涙に濡れた顔を上げた。
学園祭に向けて 3
「よいか、全員よく聞け。先ほども言った通り、《闇属性》に対する言い伝えは、ウソじゃ、でまかせじゃ。闇と言う言葉に対する人々の潜在的な恐怖や嫌悪が生み出した、根も葉もない迷信なのじゃ。ルート・ブロワーが、われわれにその秘密のカギを教えてくれた……ぬふふふ~~……エリアーヌよ、答えよっ! 光がある所には何がある?」
リーフベルは机の上に上がって、ゆっくりと歩き回りながらロッドをエリアーヌに向けた。
「ひっ、ひ、光がある所……か、影、でしょうか?」
「そうじゃっ!」
「ひいっ」
「ペイネ・リヒターっ」
「は、はいいっ」
「世界が昼間だけだったら、どうなる?」
「ひ、昼間だけだったら……昼間だけだったら……あ、暑くて……眠る時間がなくて……」
「そうじゃっ、それで、人間や生き物はどうなる?」
「し、死んでしまうと思います」
「その通りじゃ」
リーフベルは歩くのをやめて、両手を広げて上を見上げた。
「この世界は光と影、昼と夜があって初めて調和のとれた完全な世界になるのじゃ。つまりじゃ、光属性と闇属性は表裏一体、人間で言えば起きて動き回っているときと静かに眠っているときのような関係なのじゃよ」
「なるほど……」
サザールが手のひらを叩いて大きく頷いた。
「だから、光魔法を受け続けると、それに抵抗するために闇属性が発現するというわけですね」
「そういうことじゃ。ペイネ、おぬしの身上調査書を見せてもらったが、母親は神官なのじゃな。子供の頃、光魔法をたびたび受けたのではないか?」
リーフベルの問いに、ペイネはあっと小さく叫んで頷いた。
「はい、私、子供の頃体が弱かったので、よく風邪をひいたり、お腹を壊したりして、母に治癒魔法を掛けてもらっていました」
「ふむ……そして、この学園に入学したら、光の権化のようなエリアーヌのクラスで、恐らく教会へもよく通っておるのじゃろう。つまり、ずっと光に当たっている状態、昼間が続いている状態だったのじゃな。だから、体が、少しは休息しろという反応を起こしたのじゃろう」
「本当にそんなことが……まだ信じられない気持ちですが、闇属性は、神様に見放された証しではないのですね?」
エリアーヌの問いに、リーフベルはしっかりと頷いた。
「そうじゃ。まだ、発現する詳しい原理は分からぬが、例えるなら、光魔法は人間の体に生きるための力を与え、闇魔法は生きるための休息を与える。
これまで闇属性の者が少なかったのは、もちろん本人が隠したせいもあるだろうが、それほど継続的に光魔法にさらされる者が少なかったからじゃろう。
だが、エリアーヌの例でも分かるように、神官の中にはかなりの数、闇属性を発現した者がいるはずなのじゃ。エリアーヌ、おぬしは合同キャンプの前後に、何か特別なことでもしたのか?」
問われて、エリアーヌはじっと考えていたが、急にはっとした様子であたふたし始め、顔が赤くなっていった。
「あ、あの、せ、生徒たちの無事を祈って、そ、それと無事に帰って来れたことを感謝して、かなりの時間、礼拝をおこないました」
「……何を焦っておる。ふむ、まあ、その礼拝の中で何かが起こったのかもしれぬな。ルートが帰ってきたら、解明してくれるじゃろう。
さて、では、闇魔法への誤解も解けたところで、実際の訓練に入るぞ。ボルトン教授、説明を頼む」
「はい」
ボルトンは、再び黒板に張った図を指し示しながら説明を始めた。
「訓練は2つのことを並行しておこなっていきます。まず、ペイネ・リヒターには、《睡眠》の魔法の習得を目指してもらいます。シェリー・ルバンヌ、アネット・ホークス、リリア・ボースには体術の訓練から始めてもらいます。場所は……」
説明を聞きながら、エリアーヌはまだ火照っている顔にそっと手を当てた。彼女は、合同訓練の前後どころか、昨日までほとんど毎日のように、夕食前の1時間ほどを、神殿での礼拝に使っていたのだ。
それは1つには、帝国との戦争が早く終結し、皆が無事に帰って来るのを神に祈るためだったが、もう1つ他に理由があった。それは、彼女の心の中に募り続けるルートへの思いを神に懺悔して、抑え込むためであった。そんな彼女の心のストレスを吸収するかのように、彼女の《闇属性》は、ランクを上げていたのである。
「以上で説明を終わりますが、何か質問はありますか?」
説明を終えたボルトンが問いかけたが、誰も質問する者はいなかった。
エリアーヌも4人の生徒たちも、難しい表情で黙り込んでいた。
「ふむ……やはり、実験に使われるのは気に食わぬか?」
リーフベルの問いに、エリアーヌが顔を上げて首を振った。
「いいえ、とても興味深いお話ですし、実験に協力することはやぶさかではありません。ただ、私も生徒たちも、魔法学科の生徒たちに交じって競技会に参加することに、自信がないのです。昨年のガルニア校のソニアさんのすごさを見ていますから……到底彼女にはかなわないと思っているんです」
「ふむ、そうか……この実験がルート・ブロワーが考えたソニア・ローランを打ち負かすための対策だと言ってもか?」
「えっ、ブ、ブロワー先生の……」
エリアーヌも生徒たちも驚いて、リーフベルに目を向けた。
「そうじゃ。本格的な特訓は、あ奴が帰って来てからになるが、それまでに我々がおぬしたちを特訓についていける戦士にしておかねばならぬのでな。もちろん、エリアーヌは参加できぬが、この子たちを励ましながら、回復魔法をどんどん掛けてやってほしい」
リーフベルの言葉に、エリアーヌも生徒たちも急に活き活きとした表情になって、お互いの顔を見合わせ、そして頷き合った。
「分かりました、皆で頑張ります」
「はい、私もやります」
「頑張ります」
「やらせてください」
「わ、私もできるだけ頑張って……みます」
こうして、所長自らが参加した放課後の「特別訓練」が開始された。この訓練のことは、校内でも秘密にされ、場所も野外訓練場の一角を使っておこなわれた。
闇魔法に対する偏見を簡単に取り払うことはできない。4人の生徒に対する余計な誹謗・中傷を避けるため、そして、闇魔法の習得方法が外部に知られ、悪用されることを防ぐためでもあった。
グリムベル地方の開拓 1
ルートたち『グリムベル開拓団』は、3月12日にラークスの港を出港した後、サラディン王国の3つの港町に停泊しながら、4日後の朝、ついに3つの国の国境に囲まれた広大な未開拓地「グリムベル」に到着した。
だが、開拓団を待っていたのは最初の障害、岩だらけの海岸線だった。船は座礁を恐れて陸地に近づくことができない。先ずこれが、今までこの未開の地に人が入って来れなかった最大の理由だった。
「なるほど……中央に大きな河口が口を開け、その周囲は岩礁か。ドルーシュさん、あの河口から船で入ることはできませんか?」
甲板から陸地の方を眺めながら、ルートは隣の大柄な人物に問い掛けた。彼は王国海軍の副司令官でこの船の船長であるグレン・ドルーシュ騎士爵である。
「残念ながら、難しいですな。恐らく船底が海底に埋まってしまうし、川の流れが速くて前に進めないでしょう」
ドルーシュの答えにルートは頷いて、しばらく周囲の海岸線に目をやっていた。
「ブロワー先生、どうしますか? このままでは上陸できませんよ」
「ジャン、弱音を吐くのが早すぎるぞ。こんな時のために先生がついて来たんだ。さて、やはりあの辺りがいいかな」
ジャンにそう答えた後、心配げな6人の生徒たちが見守る中で、ルートはドルーシュに頼んで、船をハウネスト国側の切り立った崖の方へ近づけるように言った。
「さて、では今から港の建設をやります。かなり時間がかかると思うので、皆さんは船室でゆっくりしながら、上陸の準備をしていてください」
ルートは、6人の生徒とこの開拓事業のためにガルニア、リンドバル、コルテス、ポルージャの各領地から派遣された開拓事業の専門家と兵士たち483人に向かって叫んだ。
「話には聞いていたが、本当に魔法で港を作るつもりか? そんなことができるのか?」
6人の生徒たちは、もう合同訓練や日頃の授業の中で、ルートの規格外の魔法を何度も目にしていたので、少しも疑わなかったが、他の開拓団のメンバーは信じられない気持ちでざわざわとささやき合った。
結局、誰も船室に戻る者はなく、船長以下船員たちまでもが全員見守る中で、船の舳先近くに座ったルートは、目をつぶって瞑想に入った。
まずは、しっかりと全体像をイメージした後、各部分に分けて計画を立てていく。
「よし」
5分ほどで、ついにルートが目を開き立ち上がった。
両手を前に伸ばし、魔力を手の先へ集めていく。そしてゆっくりとその両手が、まるで優雅な舞のように、あるいはオーケストラを指揮する指揮者の手のように動き始める。
「あっ! み、見ろ、崖が……」
誰かの叫び声の後に、見守る人々の驚嘆の声が続く。
ルートは、まず、土魔法で海に突き出した高い崖の上部と先の部分を削り、それを幅10m、長さ30m、高さ20mの直方体に成型し、崖にくっつけるようにして海の中に沈めた。すると、海底の凸凹のせいで斜めに傾いたので、今度は海底を平らにならすイメージで魔法を掛けた。このあたりは、ルートのお得意の作業だ。
これで、岬から突き出した防波堤が完成した。後で、この先端に灯台を建てれば完璧だ。
次に、防波堤からつながった海岸線を20mほど奥に引っ込めるとともに、海底を深くして、大型の船が何隻も停泊できる波止場を作る。そこで、海岸近くの陸地を平らにし、石のブロックを敷き詰めなければならない。
「お、俺は夢でも見ているのか?」
「すごい……やっぱり、先生はすごいよ。あはは……」
「こんな遠くからでも、魔法は使えるのか?しかもあんなに正確な形を作れるなんて……」
「ううむ……神の御業としか思えん……まさに奇跡だ」
見守る人々は、空中で巨大な石のブロックが次々に作られ、海岸を埋めていく様子、陸地の木々が消えていき、木材となって積み上がっていく様子を、夢心地に眺めながら、驚嘆の言葉をつぶやき続けた。
ルートは時々休んで、マジックポーションを飲みながら、慎重に作業を続けた。これから、何百年、何千年も使われ続ける港である。しっかりした基礎部分があり、修理や改修がしやすい構造にしなければならない。
2時間ほどぶっ続けに作業を続けて、さすがのルートも疲労を感じ、甲板に寝転んだ。
「先生っ、大丈夫ですか?」
6人の生徒たちがそれを見て、慌てて駆け寄ってきた。
「ああ、大丈夫だよ。さすがにちょっと疲れたけどね。あはは……」
ルートは、生徒たちにそう言って笑った。
「おい、誰か、毛布を持って来い。温かいスープもあれば、一緒にな」
ドルーシュが部下たちに叫んだ。
「そりゃあ、疲れるだろう、あんな凄い魔法を何時間も使っていたら」
「ブロワー教授、お噂に違わぬ魔法の才、しかと見せていただきましたぞ。これで、いつ死んでも悔いはござらぬわい」
「あはは……マイヤー先生、目的が違っていますよ。死ぬ前に、少しは開拓のお手伝いもしていただかないと」
開拓団の人々もルートの周りに集まって来て、一気ににぎやかになった。
「今日は天気もいいし、皆で甲板で昼飯を食うことにしようか」
「おお、それはいいな。よし、準備に取り掛かろう」
人々がそう言って離れていくと、ルートもようやく体を起こした。
「よし、じゃあ、始めるか」
そう言って立ち上がろうとしたとき、生徒の1人がルートの肩を優しく抑えた。
「先生、ご無理をなさってはいけませんわ。もう少しお休みになってください。あ、あの、もし、よろしかったら、私の膝をお、お使いください」
つっかえながらそう言ったのは、エリスだった。
赤くなって怒ったような表情の彼女を見ながら、ルートは思わず笑いそうになったが、何とか我慢して頷いた。
「ああ、分かった。じゃあ、遠慮なく使わせていただくよ」
ルートはそう言うと、エリスの膝に頭を乗せて満足そうに目をつぶる。
他の生徒たちは、赤い顔でうれしさをかみ殺したような表情のエリスを見ながら、口を押えて笑うのを必死に我慢するのだった。
その後、甲板では人々が思い思いに座って、昼食会が始まった。そして、彼らが祭りでも見物するように見守る中で、ルートは港湾造りの作業を続け、昼食が終わる頃には、見事な港を完成させていたのであった。
「おお、こいつはすごい……世界中のどこの港にも負けない立派な港だ」
船の人々は、甲板の端に並んで、石造りの広々とした港の光景に目を見張り、感嘆の声を上げた。
左右に伸びた防波堤、その間の幅300メートルあまりの船着き場、荷下ろし用の埠頭が100メートルおきに30mほど沖の方へ突き出している。波の状態や船の数によって、船を港に横付けにもできるし、縦付けにもできるように配慮されているのだ。
港は今のところ奥行き20mほどで、全面に厚さ25cmの石のブロックが敷き詰められている。将来もっと広げることもできるよう、まだ建物は作られていない。
開拓団の船は、このできたばかりの港にゆっくりと横付けした。
「これなら、どんな重い荷物を降ろしても安心ですよ」
開拓団の荷物や資材を陸揚げする係の船員が、きっちりと敷き詰められた石のブロックを足で何度も踏みながら言った。
「今夜は、この港でキャンプしよう」
「そうだな。開拓団のめでたい第一歩の夜だ、祝宴といこう」
船から降ろされた荷物や資材を運びながら、人々の顔には笑顔が溢れていた。
「ガロア準男爵、僕はちょっと周辺の見回りに行ってきます。資材の確認をお願いしていいですか?」
ルートは副団長(ルートがいなくなった後は実質的な団長になる)のオルスト・ガロアに声を掛けた。
「はい、それはいいですが、お1人で大丈夫ですか?」
ルートが大丈夫だと答えようとしたとき、近くにいた老人が近づいて来て言った。
「わしが御一緒いたそう」
それは、先ほど甲板でルートの魔法に興奮しすぎて、皆の失笑を買っていたカール・マイヤーだった。
彼は2年前まで、ガルニアの王立学校で魔法学科の教授をしていた。言わば、ルートの大先輩だった。引退した後は、ガルニア侯爵の相談役として悠々自適の研究生活をしていた。
今回、侯爵から世間話に開拓事業の話を聞いて、最初はさして興味もない様子だったが、団長がルートだと聞くと、ぜひ自分も参加させろと侯爵に詰め寄ったのである。
侯爵は彼の年齢を考えて、何とか諦めさせようと説得したが頑として聞き入れなかった。
「あのグレイダルの法則を書き変えた天才とじかに話ができるのですぞ、こんな機会を逃すことなどできませぬわい」
そう言って息巻く老教授に、とうとう侯爵も負けて参加を認めたのだった。
「さあ、参りましょうぞ、ブロワー教授」
「あ、はい。では、行ってきます」
オルスト・ガロアは、張り切って歩き出した老人の後を慌てて追いかけていくルートの姿に思わず笑みをこぼして見送った。
グリムベル地方の開拓 2
翌日からルートたちは、ベースキャンプとなる『砦』をどこにするか決めるために、資材や荷物の大半は港に置いて、最低限の荷物だけを持って奥地へと向かった。
グリムベルの中央を流れる大きな川に沿って、上流を目指す。平原の先には鬱蒼とした森が行く手に立ちはだかっている。
「やはり、この辺りがいいですね。少し森を切り開いて木材を手に入れましょう」
朝から歩き続け、途中昼食を摂り、さらに2時間ほど歩いたところで、平野部と森林部の境界にたどり着いた。もう港からは30㎞ほど離れている。
「そうですね。川が近くにあるし、港からもさほど遠くない。ここにしましょう」
ガロアもルートの意見に賛成して、皆に叫んだ。
「ここに砦を建設することにした。今から森を開いて木材を調達する。魔物がいる可能性があるから、10人ずつくらいのグループを作って作業に入ってくれ。絶対奥にはいかないようにな」
「僕はこの辺りの整地をやっておこうと思います。マイヤー先生、お手伝いをお願いできますか?」
ルートの問いに、老教授は即座に承諾した。
団員たちが周囲の森へ散って行った後、ルートは老教授とともに、砦の中心部となる予定の川の近くへ向かった。
「砦の中心を川が流れる構造にしたいと思います。先ず地面を平らにならして、下水施設を作ります」
「ふむ、ふむ。確かに病気を発生させないためには下水施設は大切じゃが、まさか海まで下水路を掘っていくわけにもいくまい。どこへ流すのですかな?」
老教授の問いに、ルートは頷いてメモ帳を取り出し、簡単な図面を描いた。
「こんなふうに、いったん2つの大きな水槽に貯めます。雨水もここへ流れ込むようにします。1つ目の水槽では、汚物は重いですから下の方に沈み、自然界にいる水中の微生物によって発酵・分解されます。この辺りまで水が貯まったら、2つ目の水槽に流れ込みます。2つ目の水槽がいっぱいになったら、再び川へ流します。上澄みですからさほど川が汚れることはありません。むしろ、適度な養分を含んでいますから、農作物には肥料にもなります」
老教授は目を輝かせ、何度も感嘆の声を発しながら説明を聞いていた。
「すばらしい。あなたは魔法学だけでなく、あらゆる分野でまさに天才なのですなぁ」
「い、いいえ、ポルージャで領主様の依頼でスラム街の再開発をお手伝いしたことがあったんですが、そのとき、領政局の人に学んだんです。(前世の知識もあるけれどね)」
ルートはそう言うと、まだニコニコして頷いている老教授に続けて言った。
「では、僕が地面を削ってならしますから、先生は削った土でレンガを作ってもらえますか?」
「うむ、お任せ下され」
教授は胸を張って大きく頷いた・
昨日、2人は港の周辺を見回りしている間に、いろいろな魔法談義をしたが、その中でマイヤー教授が火属性と土属性を持っていることが分かった。ルートは彼に、土魔法で土をブロック状に成型するコツを教え、それを使った「焼きレンガ」や「コンクリート」作りの方法を伝授したのである。
さすがに王立学校の教授を長年務めていた魔法使いだけあって、魔力制御も上手く、魔力量も高かったので、ルートの相棒には最適任だった。
ルートは川を中心にして、直径80mの円形状に土を削って平らにならした。削った土と草木の混合物は、少し離れた場所に積み上げた。マイヤー教授はその積み上げられた土を幾つかに分けて、先ず火魔法で草や木を燃やした。そして残った土を土魔法で大きめのレンガに成型し、並べて火で焼くという作業を繰り返した。
「先生、マジックポーションをどうぞ。ここに何本か置いておきます。あまり無理はなさらないでください」
「おお、これはありがたい。あはは……ご心配はご無用ですぞ。自分の力の把握はできております。分不相応なことはいたしません」
2人は小休憩に入り、草の上に座ってマジックポーションを飲みながら語り合った。
「さすがです。生徒たちに一番教えたいことが、自分の魔力量を実践で把握する経験なんです。ポーションがないときは、その判断が命取りになる事がありますから」
ルートの言葉にマイヤーが頷く。
「うむ、その通り。ブロワー先生は実戦経験もかなり積んでおられるようですな?」
「そんなに多くはありませんが、10歳の時から生活のために冒険者をやってきましたから、それなりの経験はあります」
「なるほど……様々な経験に裏打ちされているのですな、あなたの魔法は」
(確かにそうだけど、どうも買いかぶりすぎていますよ、教授)
「さ、さて、じゃあ、僕は水路を作りますから、先生はレンガの敷き詰めをお願いします」
ルートはマイヤー教授の視線にいたたまれなくなって立ち上がった。
「うむ、分かりました。今日のところは全体の4分の1ほどできれば十分でしょう」
老教授もそう言って立ち上がった。
2人がそれぞれの作業に戻ってほどなく、森に入っていた団員たちが、切り倒して枝を落とした木を続々と運び込んできた。
6人の生徒たちも大人たちに交じって木を肩に担いでいた。つい先日まで、貴族の子息・令嬢として大事にされ、重い物を持ったことさえなかっただろうに、エリスも他の2人の少女たちも顔を泥で汚しながら、作業着姿では働いている。
ルートはその様子を見ながら、思わず熱いものがこみ上げてきた。
その日の夕方までに、ルートは砦の地下にあたる部分の整備を半分ほど済ませた。
先ず、川が砦に入る部分を2mほど掘り下げ、そのまま川底を2mの深さで下流に向かって、落差が無くなる場所まで130mほど掘り進めていった。洪水対策であり、下水対策でもあった。
大量の土砂が川岸に積み上げられていったが、これは後日《合成》を使って石のブロックを作り、砦の石垣に使うのである。
川岸は石のブロックで補強して崩れないようにした。そして、川が砦に入る所から両側に深さ1・5m、幅2mほどの側溝を2本作り、家々が建つ予定の場所の下を川の水が流れるようにした。さらにその側溝は砦を出て30mほどの場所まで伸ばし、そこに先ほどマイヤー教授に話した『簡易下水処理』用の四角い大きな穴を2つ作り、先の方の穴の上部に穴を開け、石のパイプを通した。ここから、生活下水が川に流れ出るのである。
周囲の森を切り開いて木材を運び終えた団員たちは、教授の手伝いで地面のレンガ敷きをしながら、ルートの驚くべき仕事ぶりを眺めた。
その日は港に帰らず、テントを立ててキャンプをすることになった。
ルートとマイヤー教授、そして土魔法が使える団員たちが協力して、整地された砦予定地の周りに、魔物避けの2mほどの高さの土壁を作っていった。6人の生徒たちの中で土魔法が使えるジャン、アルス(バンダール)、クレア(シャンペリエ)が嬉しそうにルートと並んで壁を作っていた。
翌日、ルートは団員を3つに分けて、1つは港から荷物や資材を運んでくるグループ、次に運んできた木材を加工するグループ、そして最後に周辺の森を1キロの範囲で探索し、ついでに食料を調達するグループとした。
「やったあ、ついにあの蒸気自動馬車に乗れるんですね」
荷物運びのグループに入ったショーン・ラマルクが喜びの声を上げた。
ルートは開拓団のために、トラック型の蒸気自動馬車を1台寄付して船に積み込んでいた。今日がその初めてのお披露目になるのだ。
「ああ、残念だが、坊ちゃん、運転はわしとケインズでやるのでな。荷台も荷物でいっぱいだから、今日は乗れないな」
ポルージャの開拓団の1人、定期乗合馬車の運転手だったラッドの言葉に、ショーンはがっくりと肩を落とした。
「あはは……そうがっかりするなよ、ショーン。これから、いくらでも乗る機会はあるさ」
ジャンに慰められて、ショーンもようやく気を取り直し、元気に港へ向かって出発していった。
グリムベル地方の開拓 3
開拓団がグリムベルに足を踏み入れて8日後、ついに前線基地となる砦、『ルーティア・グリムベル』が完成した。上水道、下水道施設完備の快適な砦である。
砦の名前については、ルートは最初簡単に『グリムベル砦』にしようと提案したが、6人の生徒たちを中心にごうごうたる反対意見が出された。
「僕は、絶対『ブロワー砦』にすべきだと思う」
ジャンの意見に、かなりの数の団員たちが賛成の声を上げた。
「い、いや、気持ちは嬉しいけれど、名前をそのままというのはやはり気が引けるよ、ジャン、すまないね」
ルートの意見に、ジャンたちは残念そうだったが諦めざるを得なかった。
「それじゃあ、ルーティアはどうかしら? たぶん、ブロワー先生の名前のもとになった言葉だと思うんだけど、『未来へ』という意味はこの砦にふさわしいと思うの」
フラン(セラーノ)の意見に、周囲から一斉に賛同の歓声が上がった。
「おお、いいね、ルーティアか……それに地名のグリムベルをくっつけて、『ルーティア・グリムベル』でいいんじゃないか?」
ガロア準男爵の言葉に、ルート以外の全員が賛成した。もうこうなっては、反対しても無駄だと諦めたルートが承諾したので、決定した。
『ルーティア・グリムベル』砦は周囲約252m、15mの高さの頑丈な石垣が取り囲み、外敵の襲来を防いでいる。内部は、中央に幅20mの川が流れ、奥に向かって右に石造りの二階建て開拓団本部、川を挟んで反対側には武器や資材などが入った大きな倉庫が建っている。川の両側には、3階建ての集合アパートがそれぞれ5棟ずつ立ち並び、1階には商店が入るスペースになっている。これも、ルートがスラム街の再開発でおこなったやり方だった。
砦の中央を流れる川の両端には、引き上げ式の頑丈な鉄の柵が取り付けられ、万が一誰かが川に落ちたときでも流されないように、そして外部からの侵入者が入って来られないようになっていた。砦の中には両方の居住区をつなぐ大きな橋が架かっている。将来的には、この砦が、領主の居城の1つになる予定だ。
砦が完成した次の日から、ルートは水田作りとコーヒーの植樹を並行してやり始めた。なにしろ、王都に帰るまであと10日ほどしかないのだ。開拓団が後を引き継いで、開拓地を広げていけるように、コメの作り方やコーヒーの栽培の仕方をしっかりと伝えておかなければならない。
「今からここに水門と用水路を作ります。コルムの栽培に一番大切なのは『水』なんです。だから、水の管理は責任者を決めてきちんと行ってください」
砦から50mほど下流に下った川の側で、ルートは開拓団の中の農業専門家の人々、そして6人の生徒たちにそう言ってから、川岸に四角い穴を開けて、そこに資材として《リープ工房》で作ってもらったチタン・鉄合金製の『水門』をはめ込み、鉄柱でしっかりと固定した。
それから、水門の後ろに一直線に150mほど続く水路を作った。
「では、次にスイデンを作ります」
ルートはそう言うと、バッグから2枚の穀物入れ用の麻袋を取り出した。掘り起こした土をしまうための《マジックバッグ》である。
いくらルートが、けた外れの魔力量を持っていると言っても、例えばドーム球場ほどの容積の空間を袋に合成すれば、いっぺんに魔力切れを起こして、下手をするとそのまま死んでしまうこともありえるのだ。
だから、300m×300mの立方体の空間を2つの麻袋にそれぞれ合成したのである。
水路から5mの距離を取り、中央には3m幅のあぜ道を取る。そしてそのあぜ道の両側に、縦30m、横70m、深さ50㎝の直方体の穴を2つずつ作っていった。縦に並んだ2つの穴の間には2m幅のあぜ道が通っている。
「今回は、残念ながら『種もみ』が1袋しか用意できなかったので、このくらいの面積が精一杯だと思う。来年からは、種もみを多くとっておいて、作付面積を増やしていこう。ここの手前の1枚を『苗床』用のスイデンにする。苗床の作り方は……」
こうして、午前中、ルートは水路や水取り口などを石のブロックで作る作業をしながら、イネの育て方、注意点などを指導した。
そして、昼食をはさんで午後からは、サラディン王国側の山の麓まで出かけて行って、なだらかな丘陵の斜面に、コーヒーの苗木を植樹する作業を行った。
団員全員が参加して、下草や灌木を切り払い、段々畑になるように整地しながら、丁寧に苗木を植えていった。
こちらに来る少し前、ルートが実験で、コーヒー豆が早く発芽して苗木に成長するイメージで魔法を掛けたところ、《ヒール》の時と同じ白く輝く《光魔法》が発動して種を包み込んだのである。
すると、2時間ほどで種は発芽し、見る見るうちに成長して、翌日にはみずみずしい新緑の葉が出てきた。実験は大成功だった。
2000本の苗の植樹が終わった所で、ルートは例の光魔法を山の斜面全体に掛けていった。
大量の魔力が体内から出て行くのを感じたルートは、慌ててマジックポーションを飲んだ。
「よし、これで僕ができる準備は一応終わった」
ルートは独り言のようにそうつぶやくと、感慨深げにグリムベルの広大な眺めに目を細めるのだった。
その夜、ルートは本部の2階にある団長室に6人の教え子たちを呼んだ。
まだ、家具もそろっていないので、全員床に円座になって座った。中央のルート特製の魔石ランプが、この10日間で見違えるほどたくましい顔つきになった生徒たちを明るく照らしている。
「先ずは皆にコーヒーをご馳走しよう。初めてだろう?」
ルートが小さな魔石コンロと銅製のティーポットを取り出してそう言うと、6人は小さな歓声を上げて喜んだ。
「やったあ、コーヒーだ」
「わあ、どんな味なのかしら、楽しみぃ~~」
ルートは、小さな袋からスプーンであらかじめ焙煎して砕いていた豆を2回すくい取ってポットに入れ、コンロに火を点した。
「すごくいい香りだ。先生、どうしてビジャブの種を火で焦がそうと考えたんですか?」
「これはね、まったくの偶然なんだよ……」
ルートはそう言って、西の大陸のフェイダルでコーヒーを発見した時の話をした。6人の生徒たちは目を輝かせて、食い入るようにルートの話に耳を傾けた。
「面白いなあ……この世界には、まだ僕たちが知らない不思議なことがいっぱいあるんだろうなぁ」
話を聞き終えて、それぞれが感想を述べる中でショーン・ラマルクがそう言った。
「そう、それだよ、ショーン……」
ルートがにこにこしながら6人を見回して続けた。
「今日君たちをここに呼んだのは、先ずそのことを伝えたいと思ったからだ。これから君たちは、この未開の大地を自分たちの力で開拓していくことになる。当然、辛いこと、苦しいことの連続だ。心が折れそうになることも何回もあるだろう。
でも、そんなとき、思い出してほしいんだ。自分たちは、今、歴史上誰も足を踏み入れたことのない世界を切り開いているのだということを。そして、それを楽しんでほしい。ここでは、皆の考えで、どんなことだってできる。ルールも、法も自分たちで1から作ることができるんだ。つまり、このグリムベルが、世界一幸福な土地になるか、それとも、地獄のような無法地帯になるかは、君たち次第ということだ……」
ルートはそこでいったん話をやめて、いい香りの蒸気を出し始めたティーポットをコンロから下ろし、バッグの中からカップを7個取り出してコーヒーを注ぎ分けた。
「さあ、どうぞ。熱いから注意して飲むんだぞ」
「はあ……なんていい香り。心が癒されますわ」
エリスがうっとりとした顔でつぶやいた。
全員貴族の子女たちなので、高級な紅茶を飲んでいたし、熱いお茶を飲む所作も優雅で手慣れたものだった。
しばらくは、静かにコーヒーをすする音とため息、そしてつぶやきが続いた。
「この苦み……まろやかでくせになるな」
「ええ……香りが鼻に抜けて、苦みの後に微かな甘みが口に残る……とても複雑な味わいですわね」
「どうだい? これが、今から君たちがこの土地で育てるコーヒーの味だよ」
ルートの問いに、6人は夢から覚めたように、キラキラした瞳でルートを見つめた。
「すばらしいの一言ですわ。先生、これって、豆の焦がし方で味が変わるのではありませんか?」
「おお、さすがはエリスだ、よくそれに気づいたね」
ルートの賛辞に、エリスは赤くなりながらも得意満面で胸を張った。
「その通りだ。ビジャブの種はそのままではほとんど味が無い。種を乾燥させた後、釜でじっくりと炒ることで、あの独特の苦みとうまみが生まれる。だから、どのくらい炒るかでいろんな味のコーヒーができるわけだ」
「つまり、それも僕たちの腕次第ってことですね」
ジャンの問いにルートは親指を立てて頷いた。
「そういうことだ。さっきの話のまとめだが、この土地はすべて君達次第でどんな土地にもなる。僕が期待しているのは、今まで世界中の誰もが知らなかった新しい世界を、ここに作って欲しいということだ。できれば、差別や偏見のない、誰もが平等に幸せに暮らせる世界を作ってほしい。とても難しいことだが、君達ならやれると信じている」
6人の生徒たちはお互いの顔を見合わせ、しっかりと頷き合った。
「先生、お約束します。どこまで先生の理想に近づけるか分かりませんが、このグリムベルを、皆が幸せに暮らせる土地に、必ずしてみせます」
エリスが胸の前で拳を握りしめながら言った。
「僕は先生の教え子ですよ。その教えを守らなくてどうしますか? 任せてください。どんな人間も、獣人も一緒に幸せに暮らせる土地を作って見せます」
ジャンが力強く宣言した。
「何もかもが楽しみでしかたありません。生活が苦しくても、不便でも、このグリムベルに詰まっているたくさんの夢を、この手で現実にしていきます」
ロマンチストのショーンがにこやかにそう言った。
「来る前は正直不安でした。でも、今はもう不安はありません。明日が来るのが楽しみになってきました。将来、子供たちが夢を持って生きていける土地にしたいです」
おっとりした性格のクレアが珍しく熱っぽい口調で言った。
「僕はこれまで、人の後ろをついて行くばかりでした。でも、ここに来てから、何か自分の力でやれそうな気がしています。皆と協力して、豊かな土地にしたいです」
いつもジャンの陰に隠れていたアルスが、大人っぽくなってそう言った。
「私は唯一の2年生です。年はエリスさんが1つ上ですが……皆の心の支えになれればと思っています。魔法の研究もやってみたいと思っています」
冷静で頭がいいフランらしい答えだった。
「うん……皆の言葉を聞いて安心したよ。この土地を皆に任せる。ここには、頼りになる専門家がたくさんいる。遠慮なく彼らに相談して、自分たちの考えを伝えてくれ。僕は、明後日ごろここを発つつもりだ。もちろんちょくちょく様子は見に来るよ。船以外でここに来る方法も考えているところだ。あと何年後かには、君たちを驚かせられると思う。
今、ここで、みんなで誓いを立てよう。このグリムベルを、世界で一番楽しい国にすることを。いいかい?」
ルートはそう言って、手を前に差し出した。
生徒たちが、その上に次々に手を重ねていった。
この『グリムベルの誓い』を、6人の生徒たちは終生忘れることはなかった。そして、その誓いは形を変えて、この土地に生まれた6つの領地に共通に施行された領法の最初の文に反映された。曰く、
『グリムベルの民は、何人も差別されず、自由に住居および職業を選択する権利を有する。また、何人も法の許す範囲において、その活動や表現の自由を妨げられない』
ルートは、ガロア準男爵に今後の大まかな開拓方針を書いた書類を引き継いだ後、この2日後、6人の生徒たちと開拓団の人々に見送られてルーティアの港から王都へ向けて出港した。
リーナ、従魔たちと冒険する 1
ルートが、開拓団の団長に任命されて王都を離れてから1週間が過ぎた。
リーナは、今、ポルージャの《タイムズ商会》本店裏にある「自宅」で、リム、ラム、シルフィーたちと一緒に暮らしていた。王都の別宅でルートの帰りを1人で待つのはさすがに寂しかったし、ミーシャとジークがルートが出て行った翌日には迎えに来てくれたので、それに応じたのである。
昼間は本店の仕事を手伝ったり、仕事がないときは冒険者ギルドに顔を出して、簡単な依頼をこなしたりして、退屈している暇はなかったが、やはり、ルートがいない心のすき間は何をやっても埋まることはなかった。
そんなリーナの寂しさを理解しているミーシャは、毎日夕食に彼女を呼び出して、一緒に食事をしながら彼女の話を聞いてやっていた。
「そうそう、今日、市場で屋台を出しているジェミーさんが、青狼族の人たちを見かけたって言ってたわ。村からここまでかなり遠いのに、買い出しにきたのかしらねえ?」
ミーシャの言葉に、リーナは少し考えてからこう言った。
「ん、たぶん、リンドバルかコルテスの街で働いている若い連中じゃないかな。仕事で来たんだと思う。村の人たちは、今頃、コルムの苗床作りで忙しいと思うから」
「ああ、そうか、コルムの栽培は今からが忙しいってルートが言ってたな……痛てっ!」
ジークが何気なくそう言うと、テーブルの下でミーシャがジークの腿をつねった。
「あ、ああ、いや、すまん、つい……」
ジークが頭をかきながら謝ると、リーナは弱々しく笑いながら首を振った。
「気にしないで……ルートのことは心配だけど、大丈夫だって信じているから」
それが、リーナの精一杯の強がりだということは、ミーシャもジークも分かっている。
「なあ、リーナ。3日前、《青い稲妻》の連中が来てポーションを買っていったんだがな、どうやら《魔樹の森》の奥で、『魔泉』らしきものが見つかったらしいんだ。だが、その周辺にはキングボアやハイオーク、アンデッドの魔物なんかがうようよしていて、どこのパーティもまだ確認できていないらしい。どうだ、久しぶりにどこかのパーティと組んで、行ってみないか?」
ジークの話に、リーナは目を輝かせた。しかし、ルートがいないパーティだと不安がある。
「ジークも行くの?」
「ああ、いや、俺はこっちの仕事で手が離せないからな。ただ、Bランクパーティの《ベイル・ケンプ》が、斥候を探しているらしくてな。お前の居場所を受付に聞いていたって、《青い稲妻》の連中が教えてくれたんだ」
「でも、1人で大丈夫なの? あなたにもしものことがあったら、ルートが……」
ミーシャの当然の心配に、ジークが安心させるようにミーシャの肩を抱いて言った。
「ミーシャはまだこいつの強さを見たことがないからな。心配はいらねえぜ、Aランクは伊達じゃねえ。今、1対1でリーナに勝てる奴が、この国に何人いるか」
そう、リーナはついにAランクの冒険者になっていた。帝国との戦争に参加した冒険者たちは、恩賞の意味もあってほとんどの者がランクアップしていたが、リーナの場合は、実力から見て文句のつけようがないランクアップだった。
ジークの言葉に、ミーシャは改めて驚いてリーナを見た。華奢で愛らしく、もうすぐ義理の娘なる少女が、恥ずかしそうに頬を染めてミーシャにはにかんだ笑顔を向けた。
「ん、じゃあ、ちょっと行ってみる。お母さん、心配しないで。無茶はしない。それに、シルフィーたちも一緒に連れて行くから、大丈夫」
「うん、分かった。何かあったら、シルフィーに手紙を持たせて飛ばしてちょうだい。すぐにジークを向かわせるわ」
ミーシャは立ち上がって、リーナのもとへ行き優しく抱きしめてそう言った。
「うん、そうする」
リーナはミーシャに甘えるように目をつぶって、ふくよかな胸に顔をうずめた。
翌日、リーナはシルフィーたちをベルトに付けたポーチ型のマジックバッグに入れて、冒険者ギルドに向かった。
「あ、リーナさん、お早うございます」
ドアを開けて入って来たリーナを見て、受け付けのライザが嬉しそうに手を振った。
「あ、リーナさんだ、リーナさん、お早うございます」
「リーナさん、お久しぶりです」
ロビーにいた冒険者たちも、リーナに気づいて挨拶しながら周囲に集まってくる。そのほとんどは一緒に西の大陸へ行った者たちだった。
と、そこへカウンターから出てきたライザが近づいて来た。
「リーナさん、お待ちしていました。ちょっとよろしいですか?」
「え、う、うん」
戸惑うリーナを、ライザはにこにこしながらラウンジの方へ引っ張っていった。
「《ベイル・ケンプ》の皆さん、こちらがお探しのAランク冒険者で《時の旅人》のメンバーのリーナさんです」
ラウンジの一角に座っていた男2人、女1人の冒険者パーティは、さっと立ち上がった。
「は、初めまして。お、俺は《ベイル・ケンプ》のリーダーのベイルで、こいつがケンプ、そしてポルンです、よろしく」
「う、うん、よろしく」
相手の緊張が移ったように、リーナも緊張しながら返事をした。
「あのね、リーナさん、ベイルさんたちは3日前から毎日ここへ来て、あなたが現れるのを待っていたのよ。どうしてもお願いしたいことがあるって。じゃあ、ベイルさんたち、後はよろしくお願いしますね」
「ああ、ありがとう、ライザさん。ええっと、どうぞ、こちらへ座ってください」
ライザが受付へ戻っていくと、ベイルがそう言ってリーナを席へ誘った。
リーナが席に着くと、ベイルが話し始めた。
「あの、俺たちはアルバン公国の冒険者で、3週間前、王国に来たんだ。最初は帝国との戦争に参加しようと思っていたんだが、すでに軍は出発した後だった。ああ、ほら、アルバン公国は遠いだろう? だから、王国の情報が届くのが送れるんだ……あはは……間抜けだよな。それで、そのまま引き返すのはしゃくだったから、王都で有名な《黒龍のダンジョン》に挑戦してみようということになって、5日前まで潜っていた。8回潜って、56階層まで到達したんだ。56階層のボスにはどうしても勝てなくて、あきらめたってわけさ……」
ベイルは、そこでいったん話をやめて、ポルンに4人分の飲み物を注文してくるように頼んだ。
「リーナさん、紅茶でいいですか?」
まだ幼い見た目の魔導士姿の少女が、ぼそっと小さな声でリーナに尋ねた。
「あ、うん、いいよ、ありがとう」
リーナが答えると、ポルンは小さく頭を下げてから厨房のカウンターへ向かった。
「あいつ、めちゃくちゃ緊張してるな」
ケンプが笑うのを我慢しながら言った。
「ああ、そりゃあ緊張するさ。俺たちも同じだろう? あんな噂を聞いたあとで、その本人が目の前にいるんだからな」
「〝あんな噂〟?」
ベイルの言葉を聞きとがめたリーナが尋ねた?
「ああ、すみません。実は……」
「敬語は使わなくていいよ」
リーナの言葉に、ベイルは頭をかきながら赤くなって頷いた。
「あはは……すまない、慣れてなくてな。じゃあ、普段通りの言葉で話すよ……」
ベイルはそう前置きすると、王都で聞いた冒険者たちの噂話について話し始めた。
リーナ、従魔たちと冒険する 2
ベイルが語ったのは、《時の旅人》として教皇ビオラ・クラインを護衛し、世紀の天才魔導士と言われたスタイン・ホレストを倒したことと、その《時の旅人》の斥候として、リーナが《銀髪の美しき死神》という二つ名で、今や王都の冒険者たちの間では伝説的な冒険者として語られていることだった。
「……でも、正直びっくりしたよ。実際に会って見たらこんなに若くて、その、ごつくなくて……美しい人だったなんて……」
ベイルの言葉にケンプも頷いて言った。
「まったくだ。もっと筋肉もりもりで怖い感じの人だと想像していたけど、全然違った」
「あ、ありがとう……噂って、尾ひれがついて勝手に独り歩きするから……」
リーナは今までその噂に悩まされてきたので、小さなため息を吐いてそう言った。
「あの……」
紅茶を運んできた後、じっと話を聞いていたポルンが、ためらいがちに口を開いた。
「……リーダーの人って、まだ少年で、すごい魔法使いだって聞いたけど、本当?」
リーナは、とたんに嬉しげな顔でにっこり微笑みながら頷いた。
「うん、本当だよ。私なんかより何倍もすごい人。でも、それをひけらかしたりしないし、目立つことは嫌いだから、知っている人は少ないの」
「会ってみたい……」
ずっと無表情だったポルンが、初めて感情を見せて熱っぽくつぶやいた。
「今は、遠くに出かけていていないの……帰って来るのは来月の初め頃……」
リーナはそう答えて、急に寂し気にうつむいた。
その様子を見て、他の3人はリーナの思いをそれとなく理解した。
「あ、あの、それで、ここからが本題なんだけど……」
ベイルがその場の空気を変えるように、元気な声で切り出した。
「俺たち一昨日、今噂になっている《魔樹の森》へ入ったんだ。そして、確かにボーグ領にある《迷いの森》のダンジョンに似ていると思った。奥に進むほど、自然にできた迷路やトラップがあって、魔物も多い。あと何年もしないうちに、きっとダンジョンになると思うんだ。だから、その前に最深部を見ておきたい。《魔泉》があるという噂の真相を確かめたいんだ。でも、俺たちだけでは、残念ながら最深部まではたどり着けそうにない。一昨日もハイオークの集団に出くわして、逃げるのがやっとだった。でも、もっと早く敵を察知できれば、なんとか対処できると思うんだ。
だから、リーナさんに力を貸してもらいたいと思って、待っていたんだ。どうかな? 依頼料はできるだけそちらの望みに沿いたいと思っている」
ベイルの真摯な態度に、リーナは微笑みながらすぐに頷いた。
「ん、いいよ」
リーナの答えに《ベイル・ケンプ》の3人は手を取り合って喜んだ。
「キャンプ用具は持ってる?」
リーナの問いにケンプが頷いて答えた。
「ああ、大丈夫だ。食料を少し買い足せば、2日はキャンプできるよ」
「うん、じゃあ、すぐに出発しようか。食料は私が持っているから大丈夫。他に準備することはある?」
「えっ、で、でも、リーナさん、荷物は?」
ベイルの問いに、リーナは腰に付けたポーチをポンポンと叩いた。
「この中に入ってる。マジック・バッグなの」
「ええっ、す、すごいな……そんな小さいのにキャンプ道具や食料もはいっているのか」
「ゆ、夢のマジックバッグ……あたしも欲しい」
安い物でも100万ベリーは確実に超えるマジックバッグは、冒険者たちにとって、憧れのステータスシンボルだった。
ルートに片手間で作ってもらったリーナは、なんだかすまない気持ちになって立ち上がった。
「じゃあ、ライザさんにパーティに参加するって言ってくる」
「あ、ああ、俺たちは宿に帰って荷物を取ってくるよ。あと20分ほど待ってくれるか?」
「うん、分かった」
こうして、リーナは《ベイル・ケンプ》に臨時メンバーとして加わり、南門から《魔樹の森》へ出発した。
ルートとチームを組んだ最初の頃、薬草採取や弱い魔物を狩るためによく訪れていた森だ。しかし、確かにその頃と比べると、森が深くなり、空気が濃密になった感じがした。
「じゃあ、この辺りで休憩にしようか」
昼少し前、木々が開けた場所でベイルが前を行くリーナに声を掛けた。
まだ、この辺りまでは現れる魔物も弱く、リーナが手を出すまでもなく3人が見事な連携で苦も無く倒していた。さすがにBランクパーティといったところだ。
4人は地面に円座になって座り、水や携帯食料を並べ始める。
「あの、ちょっと従魔たちを外で遊ばせたいけど、いいかな?」
リーナの言葉に、他の3人はわけが分からないといった顔でぽかんとしている。
そこで、リーナはポーチの中から実際にシルフィーと2匹のスライムを取り出して見せた。
「うわあっ、な、なんだ、こいつら」
3人はいきなり現れた魔物たちに驚いて、逃げ出しながら戦闘態勢を取った。
「心配ない、この子たち何もしないから。ごめん、驚かせて……この子たちはうちのリーダーの従魔なの。とても賢くて、役に立つんだよ」
リーナの言葉に、ようやく3人は安心して元の場所に座り直した。
「《テイム》ってすごく難しい魔法だって聞いたけど、リーナさんところのリーダーって、本当にすごい魔法使いなんだな」
「ん、ルートは天才、神の子……」
リーナはシルフィーやリム、ラムを膝に抱いて優しく撫でながら、少し寂し気につぶやいた。
「それ、カラドリオスだよな? 大きさから見てまだ幼鳥みたいだけど、成鳥になったら4、5匹くらいの群れでワイバーンも倒してしまうくらいの強力な魔物だって聞いたことがある。本当に大丈夫なのか?」
「平気だよ。ヒナの時から育てたから、ルートはお父さんで私はお母さんだって、この子は分かっているの。リムとラムは弟たち、ね?」
「ピ~~」、ピョンピョン……リーナの言葉に答えるように従魔たちが反応する。
「じゃあ、ちょっと遊んできていいよ。あんまり、遠くへ行っちゃだめだからね」
「ピピ~~」、ピョンピョン……従魔たちは返事をすると、シルフィーは優雅に羽を広げて飛び立ち、スライムたちは木々の間にするすると消えていった。
「じゃあ、昼めしにしようか」
ベイルの言葉に、メンバーはそれぞれが持ってきた携帯食料で食事を始めた。リーナ以外は、3人とも黒パンと干し肉、干しリンゴといった冒険者の常備食だった。
「あの、よかったら、これ食べて」
リーナはバッグの中から、揚げたての唐揚げとカツサンドの箱詰め弁当を取り出して、3人の前に置いた。そして、自身は大好物の肉串の袋を取り出して食べ始める。
「うわぁ、おいしそう……もらっていいの?」
「ん、遠慮なくどうぞ」
ポルンが嬉しそうに唐揚げをフォークで刺して口へ運んだ。
「んん~、おいしい。まだ、熱々だよ、マジックバッグってすごい」
「じゃあ、俺もいただきます」
「俺も」
ベイルとケンプも唐揚げをもらって1口食べ、そのおいしさに大喜びだった。
「今まで食った唐揚げで一番うめえ。なんでだろう? 作り方が違うのか?」
「ああ、それはね……」
リーナがすこし恥ずかしそうに頬を染めて言った。
「……ルート、リーダーが自分の手で作ってくれたの……中の肉に下味をつけて、外側の衣にも特別な香辛料を使っているから……」
「そうか……愛されているんだな、リーナさん」
ベイルの言葉に、リーナは火のように赤くなってうつむくのだった。
87 リーナ、従魔と冒険する 3
リーナたちが昼食を終え、出発の準備を始めたときのことだった。リーナはシルフィーたちを呼び戻そうと、ルートに習った念話で従魔たちに呼びかけはじめたが、それより早く、シルフィーの甲高い鳴き声が聞こえてきたのである。
「ピ~~ピピッ、ピ~~」
「シルフィーッ……何か見つけたの?」
「ピピッ、ピピッ……」
明らかに警戒するときの泣き声だった。と、そこへ、リムとラムも戻って来て、急いで移動してリーナの足にポヨポヨと体をぶつけて、何か知らせようとしている。
「リーナさん、何かあったのか?」
「ん、ちょっと待って、この子たちに聞いてみる」
ベイルにそう返事すると、リーナはまずシルフィーの頭におでこをくっつけて目をつぶり、意識を集中させた。
すると、上空からの視点で、リーナたちがいる所から200mほど森の奥の方から、5体の大きな魔物が近づいている映像が浮かんできた。
リーナは顔を上げると、ベイルたちを見回して言った。
「魔物が5匹、こちらに向かっている。たぶん、オークのでかいやつ」
「ハイオークか。あと、どのくらいでぶつかる?」
「たぶん、100mちょっとくらい。まだ私の《魔力感知》にかかっていないから、見つかってはいないはず」
「よし、じゃあ、迎撃準備だ」
ベイルの指示に他の2人が動き出そうとしたとき、リーナが言った。
「どんなふうにやるの?」
「えっ?どんなふうって、木の陰に隠れて、奇襲が常識だろう?」
「私に考えがある。集まって……」
リーナは3人を集めて自分の作戦を話した。
「分かった、それでいこう」
3人は頷いて、それぞれの配置に散っていく。
「シルフィー、オークをやっつけに行くよ。リムたちはバッグの中に入っててね」
リーナの言葉に、シルフィーは一声鳴いて飛び立っていったが、2匹のスライムたちは何やら体を伸ばしてくねくねと左右に揺れている。
「えっ? リム、ラム、あなたたちも戦うの?」
2匹のスライムたちは、そうだと言わんばかりにピョンピョンと何度も跳ねた。
「ふふ……うん、分かった。じゃあ、ここの木の上で待っていて。オークたちを連れてくるから」
リーナはそう言って2匹のスライムを、傍らの木の枝に乗せてやった。
「じゃあ、行ってくるね」
リーナは2匹に手を振ると、《気配遮断》と《加速》を同時に発動して、木々の間を風のように走り出した。
5体のハイオークの群れは、食料になる獲物を探しながら森の中を歩き回っていた。住処の近くの獣や魔物はあらかた食い尽くされたので、繁殖させて餌にするためのゴブリンかオーク、できれば人間の女がいないかと、この2、3日人間たちの活動範囲まで足を延ばしていたのである。
「ピ~~ッ」
「ブギッ!」
先制攻撃を仕掛けたのは、シルフィーだった。地上から8mほどの上空に静止して羽ばたきながら、ハイオークたちに向かって、口から風魔法の《ウインドカッター》を次々に浴びせ始める。カラドリオスが生まれつき持っている武器だ。
ハイオークたちの分厚い皮膚には、さほどダメージは与えられなかったが、彼らの気をそらし、足止めすることには成功した。
「ブギャアァァ!!」
「グヒィィッ!!」
ハイオークたちが突然悲鳴を上げて、膝の裏や腿から血を流し始めた。5体のオークたちが、訳が分からないうちに何度も足に攻撃を受けて、狂ったように悲鳴と怒りの声を上げ続けた。
「こっちだよ、ブタさんたち。さあ、かかっておいで」
《気配遮断》を解除したリーナが、ハイオークたちの前に姿を現して挑発した。
「「「ブギャアアアッ!」」」
ハイオークたちは、怒りのあまり真っ赤になって叫び声を上げ、リーナに向かって突進してきた。しかし、全員足を斬られていたので、思うように速く走れない。
リーナはからかうように笑いながら、彼らのすぐ前を左右にひらひらと身をかわしながら走っていく。シルフィーはリーナの前を飛びながら、ウィンドカッターを浴びせかける。
もう、ハイオークたちは怒りに我を忘れてしまっていた。
「よし、来たぞっ」
それぞれの持ち場で待機していた《ベイル・ケンプ》の3人は、前方から地響きを立ててやって来る魔物の群れを確認して頷き合った。
シルフィーとリーナが、ベイルとケンプの横を通り過ぎた。
「今だっ!」
ベイルの叫びとともに、地面に仕掛けておいたロープをケンプが引っ張る。
「「「ブギィィィッ!」」」
大きな輪っかになっていたロープは、5体のハイオークたちの足を縛り上げて、地面に倒すことに成功した。
「火の精霊よ、我が願いを聞き、逆巻く炎となりて、敵を包み込め、フレイムサークルッ!」
ポロンが木の枝の上からすかさず下に向かって中級の火魔法を放つ。
炎に包まれたハイオークたちは、凄まじい悲鳴を上げて苦しみ、暴れた。しかし、さすがは単体でもBランクの魔物である、斧を手にした1体のハイオークが、ロープを切って、炎の中から立ち上がった。
「ウガアァッ」
「うわっ、や、やべえ」
ロープを懸命に引っ張っていたケンプは、ロープを切られた反動でひっくり返り、立ち上がろうとしたとき、焼けただれた皮膚からまだ煙が立ち上っている魔物が近づいてきているのに気づいた。
「ケ、ケンプ、逃げろ!」
反対側の木の陰に隠れていたベイルが助けに飛び出したが、もうハイオークは斧を振り上げてケンプの目の前に迫っていた。
「プギャッ! ウブブブ……」
その時、青緑色の半透明のゼリーのようなものが2つ、木の上から落ちてきて、ハイオークの顔をすっぽりと覆ったのであった。ハイオークは慌てて片手でそれを引きはがそうとしたが、それは餅のように伸びて顔から剝がれなかった。
オークはとうとう斧を放り出して、両手で引き剝がそうともがき始めた。そのゼリー状のものによって息ができないうえに、顔の肉を溶かされ始めたのである。
「でやあああっ」
「うおおおっ」
ベイルとケンプはこの時とばかりに、剣とハルバードでの斬撃を数回ハイオークに浴びせた。
ドス~ン、という地響きを立ててついにハイオークは倒れ、息絶えた。
「やったぜ……おお、お前たち、ありがとうな、助かったぜ」
ベイルとケンプは、ハイオークの息が絶えているのを確認してハイタッチをした後、ハイオークの頭の所からぷよぷよと出てきた2匹のスライムに礼を言った。
スライムたちはそれを理解したかのように、ピョンピョンと2回ずつ跳ねた。
「おうい、ポロン、そっちはどうだ?」
「うん、リーナさんが片付けてくれた。今、魔石を取り出しているところ」
ベイルとケンプも、倒したハイオークの胸の中心部をナイフで切って、胸骨の裏に張り付いている魔石を取り出し、ポロンたちの所へ行った。
リーナが最後の1体の胸から魔石を取り出して、ポロンに渡した。
「リーナさん、おかげでハイオークを5体も倒せたよ。ありがとう」
「みんなが頑張ったおかげ。この子たちも頑張ってくれた」
「ああ、驚いたぜ。ハイオークに襲い掛かるスライムなんて初めて見た……」
「まるで、おとぎ話だよな」
4人はケンプの言葉に和やかな笑い声を上げた。
リーナの肩に止まったシルフィーも楽し気にピピピとさえずり、足元の2匹のスライムたちは嬉し気にピョンピョンと何度も跳ねた。
リーナ、従魔たちと冒険する 4 ~森の奥の《魔泉》~
リーナと《ベイル・ケンプ》の3人は、その後も何度か魔物の群れに遭遇したが、リーナの早い感知能力と、3人の高い戦闘能力で切り抜けた。そして、いよいよ最深部らしき場所に足を踏み入れた。
そこには、周囲にある巨木の中でもひときわ巨大な木が聳え立ち、その根元には人が楽に立って入れるほどの大きな洞(うろ)が口を開けていた。そこから大量の魔素が出ていて周囲に広がっていたのだ。
「すげえ……こんなの始めて見た……」
「ああ、こいつは大発見だぜ。あの空洞の中はダンジョンになってるのかな?」
全員が、その幻想画のような光景に息を飲んで見つめていた。
「ん、まだ、ダンジョンにはなっていないと思う。コルテスの街にある《毒沼のダンジョン》は知ってる?」
リーナの問いに、ベイルが頷く。
「ああ、聞いたことはあるが、実際に行ったことはないよ。すごいお宝があるけど、魔物が強くて、10階層から下にはなかなか行けないって噂だ」
「うん。あの《毒沼のダンジョン》は、まだ進化の途中なの。それでも、こんなに外に魔素は出ていない。たぶん、あの空洞の中はあと何百年かかけて深くなっていくんだと思う」
「へえ、そうなのか……ということは、俺たちはこれから〝ダンジョンに進化する卵〟を見ているってことだな」
「不思議……」
ポロンが感動したようにつぶやいて、大木の方へ近づいて行こうとした。
「ポロン、待ってっ!」
リーナが慌ててポロンの前にでて彼女を止めた。
「あの木の周囲にはたくさんの魔物の気配がある。それに、あの木も……普通の木じゃない」
そのリーナの言葉を裏付けるように、巨木の周囲の地面がぼこぼこと盛り上がって、その下から、人や狼、オークなどの姿をし、半ば腐敗して骨がむき出しになったアンデッドたちが、ぞろぞろと姿を現したのであった。
「うわっ、アンデッドの群れだ、やべえ逃げるぞ」
ベイルの言葉に、ケンプとポロンも今来た方へ走り出そうとした。
「待って!……ポロン、あの木に火魔法を撃ってみて」
「え? だって、ア、アンデッドが……」
「そうだよ、早く逃げないとやられちまうぜ」
「いいから、やってみて」
リーナの言葉に、ポロンは仕方なくロッドを巨木に向けて詠唱を唱え始めた。
「火の精霊よ、我が願いを聞き、炎の矢となりて敵を貫け、ファイヤーアローッ」
ロッドの先から、炎の矢が飛び出し、巨木の幹に突き刺さった。
「ぎゃあああっ! あちち~っ」
「あち、あちいいっ」
「おいっ、なんてことしやがる、熱いじゃないかっ!」
「ひでえ……なんて惨いことを……」
巨木の幹の表面がぼこぼこと蠢いた後、幾つもの人間の顔のようなものが浮き上がり、その1つ1つが違う声でしゃべり始めると同時に、木の枝が人間の手のように動いて、燃えている部分をパタパタとはたいて消したのだった。
「な、何だ、あれ……」
ベイルたちは、あまりの驚きと気味の悪さに顔面が蒼白になってガクガクと震え始めた。
「もう1発食らいたくなかったら、アンデッドたちを止めなさい」
リーナも内心気味が悪かったが、巨木がアンデッドたちを動かしていると見抜いていたので、気持ちを強く持って叫んだ。
「ふん、愚かな人間どもめ。そんな脅しに屈するとでも……」
「そ、そうだ、この偉大なる我の力を今こそ……」
「ポロン、今度はもっと特大のやつをお見舞いして」
「う、うん、分かった。炎の精霊よ、我が願いを聞き……」
「わああっ、や、やめろおおっ!わ、分かった、分かったから、やめてくれ」
巨木の顔の1つがそう叫ぶと、アンデッドたちが動きを止めた。そして、地面の中へ溶けるように消えていった。
「えっ、ど、どういうことだ?」
ケンプの声に、リーナは地面からニョロニョロと蛇のように出てきた木の根を足で思い切り踏みつけながら答えた。
「あれは、本物のアンデッドじゃないっ。たぶん、あの木が根を変形させたもの」
「リーナさんは、それが分かったから逃げなかったのか……」
「うん。《魔力感知》でいろいろな魔物を見てきたから、魔力の動きや強さでどんな魔物か分かるようになった。さっきのアンデッドは、すべてあの木と同じ魔力だった。つまり、木の一部だって分かったの」
「すげえ……これが、AランクとBランクの違いか」
「尊敬します、師匠」
ベイルとポロンが目をキラキラさせながらつぶやいた。
リーナは照れくさそうに頬を染めながら、タガーを抜いて巨木に近づいていった。
「ずいぶんあくどいことするのね。覚悟はできているんでしょうね?」
リーナはわざと低い声で巨木を脅迫した。
「ま、待て、待て、これには理由があるのだ」
「理由?」
リーナはポロンに目で合図を送って、火魔法の発動をいったん止めさせた。
「わしが説明しよう……」
木の幹の中央に、新しい顔が現れてそう言った。他の顔より大きく、目がくぼみ鼻が高く曲がった老人のような顔だった。
「わしは800年前にこの地に生を受けた。その頃は、まだこの辺りは木が何本か生えているくらいでな、見渡す限りの大平原だった。やがて、木が増えていき森となり、たくさんの動物や魔物たちが住みついて、にぎやかになっていった。多くの木が枯れて生まれ変わっていく中で、いつしかわしは、この森で一番古く、大きな木になっていた。根は地中深くまで伸び、そして森の半分ほどまで広がっていった。
ところが、ある日異変が起きた。今から400年近く前のことだ。わしの根は地中40mの所まで達しているが、その日、一番深い所にある根の先端が地中から湧き上ってくる魔素の流れに触れたのだ。そして、魔素の流れはやがてわしの根を伝って、ついに根元から地上へと噴き出した。
それから周囲の様子はどんどん変わっていった。近くに住み着いていた獣たちは魔物へと変化し、魔物たちはより強い魔物へと進化していった。だが、一番変わったのは他ならぬわしだった。魔素を吸収し続けたわしは、いつしか魔素に含まれる様々な思念が結晶化した魔石を体内に宿す魔物になっていた。視覚、聴覚、思考の機能が生まれ、それらはより広く深く高められていった。
そして数百年が過ぎた。わしは根を動かして移動することもできるようになった。だが、この場所を離れるつもりはない。わしの根元には今、地中へ向かう洞窟ができつつある。いずれ、ここはダンジョンになるだろう。わしは、このダンジョンが出来上がるまで、守らねばならぬ。だから、近づいてくる者は魔物であろうと人間であろうと撃退してきた。
そなたたちに危害を加えようとしたことは謝る。だが、どうかこのまま立ち去ってくれるとありがたい。もし、それを拒むなら、わしは全力でそなたたちと戦わねばならぬのだ」
巨木が話し終えると、じっと聞いていたリーナたちは自然に顔を見合わせて頷き合った。
「話は分かったわ。もともと私たちはこの場所を荒らすために来たわけじゃない。《魔泉》があるっていう噂を確かめに来ただけなの。それが確かめられたから、このまま帰るわ」
リーナがそう言うと、他の3人も頷いて順番に口を開いた。
「ああ、こんな貴重なものを見れたし、貴重な話が聞けて満足だ。礼を言うぜ」
「すごいものを見せてもらったぜ。また、話を聞きに来たいが、だめか?」
「うん、また来たい。でも、人間に荒らされたくないから、ここのことは秘密にするわ」
「おお、秘密にしてくれるならありがたい。わしも、人間世界のことが知りたいから、話をしに来てくれるのは歓迎する。そうだ、では、これを持っていくがよい」
巨木がそう言うと、地中から1本の根が出てきてニョロニョロと4人の近くまで伸びてきた。そして、何かをポトリと落とすと、また地中へ戻っていった。
「これは……」
「魔石?」
「きれい……」
そこに落ちていたのは手のひらほどの大きさの、美しい緑色の宝石だった。
「それは、わしの根の中で成長した魔石の1つだ。それを持っていれば、この辺りの魔物たちは襲っては来ない。くれぐれも悪人に奪われないようにな」
リーナは、それを拾ってベイルに手渡した。
「いいのか、もらって?」
「うん。私は、ルートと一緒にまたいつでも来れるから」
「ああ、確かにリーナさんたちなら、簡単だよな」
ケンプの言葉に、ベイルもポロンも苦笑気味に笑うのだった。
こうして、リーナたちの《魔泉》探索は無事に終わった。
《ベイル・ケンプ》の3人は、巨木との約束を守って、この貴重な発見と体験を誰にも言わなかった。その後も多くの冒険者たちが、最深部を調査するクエストに挑んだが、最後の所で巨木が作り出した《木の根ゾンビもどき》を本物のゾンビと思い込んで、逃げ帰るパーティがほとんどだった。
だが、この2年後、ポルージャの冒険者ギルドは『魔樹の森の魔泉と神木』というタイトルで調査結果を全国に公表した。発見および調査記録をしたのはBランクパーティ《ベイル・ケンプ》と記載されていた。
ベイルたちは、あれからも何度か巨木と話をしに行った。その中で巨木から、やって来る冒険者がだんだん強力になってきたこと、このままだと火魔法で焼き殺されるのは時間の問題だということを聞いた。そこで、彼らはいろいろ話し合ったが解決策が思いつかず、悩んだ末に、リーナに相談しようということになった。
王都でルートと新婚生活をしていたリーナのもとに、ベイルたちが現れたのは、《魔樹の森》の冒険から1年半が過ぎた頃だった。
ルートが話に加わったことで、問題はあっけなく解決した。
「よし、これで大丈夫だよ」
ルートがおこなったのは、巨木全体に《魔法防御》の結界を張ることだった。宮廷魔導士団長のハンス・オラニエから学んだ魔法だ。もともと《防御結界》と名付けた物理防御の魔法は使えたルートだったが、魔法防御は難しくてできなかった。そこで、専門家であるハンスのもとへ何度か通い、呪文を教えてもらって使えるようになったのだ。
こうして、巨木の悩みは解消し、また、正式に《神木》と認定されたことで、巨木を傷つける者はいなくなった。
《魔樹の森》は、今でも初級から中級の冒険者にとって人気の探索地であり、生活費を稼ぐためのありがたい森だった。しかし、その最深部には上級パーティしか足を踏み入れることができなかった。そこには樹齢800年を超える巨大な神木が聳え立ち、根元にダンジョンに進化しつつある深い洞窟を抱えて、静かに眠っているのだった。
ルートの帰還と従魔たちの進化
ルートは予定通り、4月2日ラークス港に到着し、その日の夕方王都の別宅に帰りついた。彼の帰りを待ちわびていたリーナは、喜びを隠しきれなかった。
さっそく準備していた手料理の数々をテーブルに並べて、感激するルートと一緒に久しぶりに夕食を共にする中で、普段はあまり口数が多くない彼女には珍しく、ルートの留守の間の出来事や特に《ベイル・ケンプ》とともに 《魔樹の森》を冒険したことなどを、熱心に話して聞かせた。
「やっぱり、森の奥に《魔泉》があったんだね。でも、巨木の魔物がいたとは、おもしろいなあ……僕も、いつか休みが取れたら行ってみたいなあ」
「うん、一緒に行こう。あ、それから、この子たちもとっても頑張ったんだよ……」
リーナはそう言うと、同じテーブルで専用の餌を食べている従魔たちを撫でながら、彼らの活躍を語って聞かせた。
「へえ、そんなことが……ん?」
ルートは楽し気に話を聞いていたが、隣のテーブルで仲良く並んでひき肉と野菜を細かく切って混ぜた餌を食べているリムとラムに目を留めて、首を傾げた。
「どうしたの?」
リーナの問いに、ルートは彼女に目を戻して言った。
「うん、この子たち、ちょっと見ない間になんか大きくなって、雰囲気が変わったなあと思って……シルフィーも、くちばしが長くなったよね」
「そう、かな? いつも一緒にいるからよく分からないけど……ルート、あれ、《解析》で見てみたら?」
「ああ、そうだね。よし、じゃあ、リムとラムから見てみようか」
ルートは、ナイフとフォークを皿に置いて、リムとラムを見つめた。
《名前》 リム
《種族》 スライムウォーリアー
《性別》 無
《年齢》 5
《職業》 ルート・ブロワーの従魔
《状態》 正常
《ステータス》
レベル : 36
生命力 : 388
力 : 158
魔力 : 116
物理防御力: 290
魔法防御力: 265
知力 : 118
敏捷性 : 38
器用さ : 314
《スキル》 分離 Rnk5 吸収 Rnk5
イメージ伝達 Rnk3
「っ! スライムウォーリアー?」
ルートは驚いて、思わず声を上げた。
(前世のゲームやラノベでも見たことがないぞ。確か、前に見たときはエルダースライムだったよな。つまり進化したわけか……へえ、おもしろいな。ラムはノーマルからエルダーに進化している。リムはウォーリアー、つまり戦士に進化したわけか。この後はどんな進化をするんだろう? 楽しみだな)
「どうだった?」
リーナの問いに、ルートはリムとラムがそれぞれ進化し、ステータスも大きく伸びていることを説明した。
「やっぱり、この前ハイオークと戦ったり、魔素をいっぱい浴びたからかな?」
「うん、たぶんそうだね。よし、これからもなるべく鍛えてやるからな。さて、じゃあ、次はシルフィーだね」
ルートは、自分の横の椅子に行儀よく座ってサラダや生肉をついばんでいるシルフィーに目を向けた。
「ピピ?」
シルフィーはルートの視線に気が付いて、不思議そうに首を傾けながら小さな声で鳴いた。
《名前》 シルフィー
《種族》 カラドリオス
《性別》 ♀
《年齢》 3
《職業》 ルートの従魔
《状態》 正常
《ステータス》
レベル : 36
生命力 : 655
力 : 288
魔力 : 354
物理防御力: 288
魔法防御力: 360
知力 : 455
敏捷性 : 366
器用さ : 324
《スキル》 魔力感知 Rnk4 風属性魔法 Rnk3
人語理解 Rnk3
イメージ伝達 Rnk3
「おお、シルフィーもステータスの数値がすごいことになってるよ。もはや、Bクラスの冒険者並みだ。しかも、スキルに魔力感知と人語理解、イメージ伝達まで持っている。すごいぞ、シルフィー」
「ピピッ、ピ~~」
ルートの感動の声に、シルフィーも嬉し気に羽を動かして高い声で鳴いた。
魔物が戦いの中で強くなり進化するのは、自然な事であり理解しやすい。だが、リーナが語った巨木の話にルートは興味を惹かれた。それは、魔素を大量に浴びることによっても、魔物は進化するということだ。
ダンジョンが深くなればなるほど、強力な魔物が現れる理由が解明できたように思えた。
ただ、これはルートだけが知らなかったことで、この世界の多くの人は知っていることかもしれない。さっそく、明日にでも魔法科の先生たちに訊いてみようと思うルートだった。
「ねえ、リーナ……」
食事が終わり、リーナが紅茶を淹れて持ってきたところでルートが口を開いた。
「う、うん、なあに?」
ルートの改まった顔を見て、リーナは胸をどきどきさせながら返事をした。
「この子たちと一緒に《黒龍のダンジョン》に挑戦してみないか?」
その言葉が、ちょっと期待していた内容と違ったので、リーナは少しがっかりしながら頷いた。
「う、うん、いいけど……ルート、学校はどうするの?」
「うん、僕は休みの時一緒に行くよ。それまでゆっくりでいいから、この子たちのレベル上げをしながら楽しんで攻略してくれるとありがたいんだけど……どうかな?」
「うん、分かった。明日からさっそく行ってみる」
「ありがとう。さて、じゃあ、お風呂に入って寝るとするか。お前たちも一緒に入るか?」
ルートの言葉に、従魔たちは嬉しそうに反応し、リーナは少し寂し気にうつむいた。
「あ、あの、わ、私も一緒に入っていい?」
従魔たちと一緒に風呂へ向かおうとしたルートは、そのリーナの声に固まった。
ぎこちなく首をひねって振り返って見ると、リーナは真っ赤になってうつむいていた。
(リーナ……あんなに恥ずかしがり屋のリーナが、勇気を振り絞って自分の気持ちをぶつけてくれた……これに応えなければ男じゃない。うん、そうだ、男じゃない)
「よ、よし、皆で一緒に入ろう。家族なんだから、何も変な事じゃないよ。お風呂は広いし……ね、リーナ」
「う、うん」
リーナはまだ赤い顔だったが、いかにも嬉しそうに頷いた。
ルート先生、はりきる 1
王立子女養成所の「学問および文化的成果の発表会」、通称「学園祭」の準備は着々と進んでいた。
5日間の予定で開かれるこの1大イベントには、王国全土の王立学校の代表生徒や引率の教師たちが一堂に会する。もちろん訪れるのは彼らばかりではない。1年間、この日を心待ちにしていた全国の貴族たち、商人たち、一般の市民も大挙して押し寄せるのだ。その数は、毎年のべ数万人に達するという。
貴族の楽しみや目的は、自分の息子、娘たちの活躍を見ることと、子供たちにふさわしい婚約相手を見つけること、そして貴族間の力関係や新たなつながりを確認することだ。
商人は、当然新しいアイデアや商品になりそうなものを探すことと、貴族とのつながりを求めてやって来る。
一番数が多い一般市民は、純粋にお祭り感覚である。というのも、発表者や代表以外の生徒たちは、クラスごとに話し合って工夫を凝らした「ブース」を校内のあちこちに設置するのだが、そのほとんどが「参加・体験型」のもので、歌あり、踊りあり、実技・製作ありと実に多岐にわたり、大人から子供まで楽しめるからだった。
そして、この学園祭で最も人気があり、メインの催しとなるのが、「王立学校魔法学科対抗競技会」である。2日目から4日目までの中3日間で繰り広げられる各王立学校の「魔法学科生徒」の発表会だ。個人戦と団体戦に分かれていて、各学校の代表生徒たちがその成果を競い合う。文字通り、学校の威信をかけた戦いであった。
「先生っ、メニューが一応決まりましたから、見てもらっていいですか?」
魔法薬学の授業が終わった後、ルートの元へクラスの生徒たちが何人か走って来た。
「おっ、できたのか? どれどれ……」
ルートは生徒が持ってきたメモ用紙を手に取って眺め始める。
ルートが担任をする1年1組は、『喫茶レストラン』のブースを出す予定だった。最初、クラスで何をするか話し合わせたとき、生徒たちは、歌、演劇、魔法実演会など、いろいろな案を出したが、それらはいずれもルートが前面に押し出された内容だった。
ルートの活躍を歌詞にした歌、ルートが主人公になる創作劇、ルートのマジックショー……等々。なにしろ、1組の生徒たちにとって、ルートは自慢の先生であり、彼をメインにアピールしたい気持ちは、ルートにも理解できたし嬉しくもあった。しかし、それは生徒たちのためにはならない。ルートはあえて厳しくその点を指摘した後、意気消沈する生徒たちに自分の代案を提示した。
しかし、この企画は生徒にも、それから先生たちにも大いなる戸惑いを与えた。なにしろ、貴族の子女たちが大半の学校だ。そんな生徒たちに、客を相手にする商売の真似事をさせるわけだから、反発は当然だった。
ルートは先ず生徒たちに問いかけた。
「君たちの中で、将来親御さんの領地を受け継ぐことができる人は、手を上げてください」
当然、調査書で何人がその権利を持っているか知った上での質問だ。
手を上げたのは3人だけだった。
「ルーベン、ケイン、ガイラスの3人ですね。では、それ以外の人たちは将来どうやって生活していくのですか? ライナス、どうですか?」
指名されたブレントン男爵家の三男は、戸惑い気味に立ち上がった。
「は、はい。あの、父や母からは、国の機関に何としても入れるように勉学に励めと言われています。それがだめなら、自分で何か商売を始めるか……ええっと、その……男子の跡取りがいない貴族の令嬢を見つけて、結婚しろと……」
ルートは頷いて、座るように促した。
「正直に話してくれてありがとう。さて、他の人はどうですか? ライナスと同じようなことを言われている人は手を上げてください」
生徒たちはお互いの顔を見ながらも、ほとんど全員がゆっくりと手を上げた。
「ありがとう。これでわかることは、幸運にも領地を受け継げる3人以外は、ほとんどの人たちが何かの仕事に就く可能性が高いということです。仕事をするためには、人との関わりは避けては通れません。今回、先生が『喫茶レストラン』を提案したのは、将来のために、君たちに商売とはどういうものか体験させたかったからであり、一般の人と触れ合う機会を持ってほしかったからです……」
生徒たちはルートの考えを理解して、むしろやる気を起こしてくれたが、職員の説得は簡単ではなかった。特に、教授たちに代わって外からの苦情の対応にあたる事務課の職員たちは、貴族たちからの苦情が確定的なルートの提案に難色を示したのだ。
「あの、苦情は僕に直接言うように伝えて下さればいいかと……」
ルートの発言に、事務課の主任であるアルベール・ミューレンが首を振って、ゆっくりと立ち上がった。
「それはできませんよ、ブロワー教授。私たちの使命は、先生方のお仕事に支障が出ないよう、最大限の努力をすることです。あなたに苦情の対応をしていただくわけにはいきません。そもそも、先生は発表や競技会、クラスの生徒たちの世話などで、対応する時間などおありではないでしょう?」
ルートは困ってしまった。ミューレンの言葉には反論する余地がなかった。つまり、彼は暗に、「だから、自分たちに負担を掛けたくなければ、バカな提案は引っ込めろ」と言っているのだ。「ここで、無理にあなたが提案を押し通せば、今後は事務課を敵に回すことになりますよ」という言外の脅迫でもあった。
「ふむ……貴族たちからの苦情は来ぬかもしれんぞ」
静まり返った会議の場に、リーフベル所長の声が響き渡った。
職員一同は驚いて所長に注目した。
「皆知っておろう、先日まで、ブロワー教授は開拓団長としてグリムベルに行っておった。これは、先般の貴族どもの反乱に対して、ブロワー教授が国王に進言して決まった処罰だったのじゃ。つまり、今やブロワー教授は国王をも動かせる存在であるということじゃ。たかが1貴族が、息子や娘の教育のことで彼に何か言えるかのう?」
リーフベル先生の言葉は、それはそれでルートにとってはあまり気持ちの良い内容ではなかった。何か、自分が国王の権力を笠に着た卑怯者のように思えたからだ。
しかし、他の職員にはその効果は絶大だった。やはり、良くも悪くも、まだ、この世界はルートが考えるよりもずっと中世的な封建社会なのであった。
ともかく、リーフベル先生の一言で、ルートの提案はなんとか認可されたのである。
「……うん、料理はこれでいいだろう。スイーツがもう1種類くらいあった方がいいかな」
ルートの元にメニュー表を持ってきた3人の女子生徒たちは、その答えにお互いの顔を見合わせた。
「もう1種類かあ……アップルパイとクッキー、シフォンケーキ以外だと、それぞれの家で作るフルーツ系のパイくらいかしら……」
クラスの副委員長、ミランダ・ボースが細い顎を指先でつまみながら言った。
「そうですわねえ。私の家では時々ドライフルーツや木の実を刻んで入れた固めのケーキを焼いたりしますけど……」
栗色の長い髪が美しいユリア・ダルビスが、ルートの腕に胸をくっつけるようにして言った。
「あっ、そうだ……あれなんかどうかしら、王都で人気のドーナツという揚げ菓子。私1度だけ食べたことがありますの、とても美味しかったですわ……でも、お父様が言うには、油を多く摂ると顔に吹き出物が出るからって、それ以来食べてないのですわ」
王室文官の1人で図書室長のブレット子爵の3女フィオナが、独特の甘ったるい声で言った。
「うん、どれもおいしそうだけど、ちょっと先生に考えがあるんだ。もし、これがお客に受ければ、新商品として売り出そうかと考えているんだが……」
ルートの言葉に、3人の少女たちは目を輝かせてルートに顔を近づけた。
「「「それは、どんなものですの?」」」
ルート先生、はりきる 2
さて、ルートにとって今回の学園祭には、大きな役目が2つあった。1つは、魔法学科の教師として、ボルトン先生やサザール先生と一緒に、1年間の研究成果を発表すること。そしてもう1つは、『学校対抗魔法競技会』に出場する生徒たちの訓練をすることだ。
発表会の方は、ボルトン先生たちのお陰ですでに準備は整っており、あとは効果的なプレゼンテーションの方法を考えるだけだった。
だから、今ルートが熱心に取り組んでいるのが、競技会に参加する生徒たちの指導だった。
ルートが開拓地へ行って留守の間、ボルトンとサザール、そしてエリアーヌの3人の教師が、放課後の時間に生徒たちの指導に当たっていた。
特に、今回、ガルニア王立学校の天才少女ソニア・ローランに対抗するための秘密兵器である4人の神学科の生徒たちへの特訓は、より時間を割いて続けられていた。
だが、ペイネ・リヒターはまだ《睡眠》を習得できていなかったし、シェリー・ルバンヌ、アネット・ホークス、リリア・ボースの3人は、《体術》は習得したものの、《加速》、《魔力感知》は習得できていなかった。
「お恥ずかしい限りですが、我々の力では彼女たちの能力を目覚めさせることができませんでした」
「生徒たちは、とても一生懸命頑張ったんですが……」
「先生たちのせいではありません。気になさらないでください。最初から難しいお願いだと分かっていましたから」
ルートは謝る3人の教師たちにそう言ってから、じっと考え込んだ。
「《睡眠》はやはりイメージが難しかったのでしょうね。ペイネ、君が考える〝眠り〟のイメージはどんなものだい?」
ルートに質問された少女は、戸惑いつつも考えながら答えた。
「ええっと、夜、暗くなって……目を閉じて……何も見えなくなって、すーっと深い所に引き込まれていくような感じ……それと、夢、ですかね……」
「なるほど……やっぱりマイナスのイメージが強い感じだな。君は、子供の頃、ベッドの側でお母さんに子守唄を歌ってもらった経験はないかな?」
「あっ、あります。おとぎ話もよく語ってくれました」
ルートはにっこり微笑んで頷いた。
「うん、それだよ。眠りは心地よいものだ。お母さんの腕の中で、子守唄を聞きながら眠るイメージを、魔力に乗せて相手に届ける。そんな感じでやってみようか」
「はいっ」
ペイネは目を開かれた思いで大きく頷いた。
そして、いつも訓練用に使っている鳥かごに向かって手を伸ばし、目をつぶった。かごの中には、この世界でよく見かける『ピ―ジュ』というスズメより一回り大きな小鳥のつがいが入っていた。
ルートは《VOMP》を使ってペイネの魔力の流れを観察した。
「闇の精霊よ、かの者に、母の子守歌のごとき安らかなる眠りを与えたまえ」
ペイネが言葉に乗せて魔力を手の先へ流した。
ルートの目に、赤い魔力の波がスムースに両手を伝わって、鳥かごへ流れていくのが見えた。
「おお、ピ―ジュが眠った、成功だっ!」
サザール先生が興奮した声で叫び、ボルトンとエリアーヌも思わず手を取り合って喜んだ。
ペイネと3人の生徒たちが狂喜したのは言うまでもない。ペイネは思わず泣きだし、それにつられて他の3人も抱き合って泣き出した。
「よくやったね。でも、まだ喜ぶのは早いぞ、ペイネ。これが、人間にも効くのかまだ分からないし、今みたいに時間がかかったら、《加速》を持っているソニアは一気に襲い掛かって来て、発動する前にやられてしまう。いいかい、これから競技会まで、動いている人間を相手に、できれば無詠唱で魔法が掛けられるように練習するんだ」
「あ、は、はいっ」
ペイネは涙を拭うと、真剣な表情で頷いた。
「よし、じゃあ、解除をやってみようか。これも大事だからな。解除がうまくいかないと相手を危険な状況にしてしまう」
「はい」
ペイネは頷いて、鳥かごの底に倒れている小鳥に向かって手を伸ばした」
「目覚めよっ」
《VOMP》で見ていたルートは、首を振った。
「ああ、ダメだ。魔力が弱い。解除するときも、イメージをしっかり持って、自分が眠りから覚める感覚を思い浮かべながら魔力を流すんだ」
ペイネはしっかりと頷いて、再び目をつぶって手を伸ばした。
「……目覚めよっ!」
パタパタッ……ピッピ……ピピッ……。
倒れていた小鳥が羽ばたきをして起き上がり、何事もなかったかのように元気にさえずり始めた。
「先生っ!」
「うん、成功だ。じゃあ、さっき言った練習を始めよう」
ルートはそう言うと、3人の先生たちの方を振り返った。
「先生方、すみませんが、僕がこちらの3人を指導する間、ペイネの訓練に付き合ってもらえませんか。明日からは、生徒たちだけで訓練ができるようになると思いますので」
ルートの言葉に、3人は頷きながらも引きつったような笑みを浮かべた。
「ええっと、その、《眠り》の魔法は、せ、精神に影響を及ぼすなどということは……」
サザールが不安を隠しきれずにそう言いかけたとき、一同の背後から大きな声が聞こえてきた。
「愚か者っ、サザールよ、先日闇魔法の無害性を考察したばかりであろうがっ!」
現れたのはリーフベル先生だった。
「しょ、所長、は、はい、面目ございません。どうにも、先般の帝国の英雄の闇魔法のことが頭から離れなくて……」
サザールの言葉は、そのまま他の2人の教師の思いでもあった。
「ふむ、《魅了》か……確かに、闇魔法には、まだ未知の部分が多い。だが、正しく使う分には他の属性と何ら変わらぬはずじゃ。使う者次第ということじゃ」
「は、はい。お恥ずかしい所をお見せしました。ブロワー先生、ペイネの指導はお任せください」
「はい、お願いします」
3人の先生たちの顔に強い決意を見たルートは、安心して頷いた。
ルートは次に、体術を訓練している3人の指導に取り掛かった。
少し離れた所には、彼女たちがこれまで訓練に使っていた木製のゴーレムが立っていた。
「ずっと、これを相手に訓練していたのか?」
ルートの問いに、体操着にレザーアーマー、グローブ、バトルブーツを身に着けた3人の少女たちは恥ずかしそうにうつむき加減で頷いた。
「はい……《体術》は、4日目には全員習得できたのですが、《加速》はどうしても習得できなくて……すみません」
2年生のリリア・ボースが悔しげな表情で頭を下げた。
「いやいや、謝る必要なんてないよ。《加速》はそう簡単に身に着けられるスキルじゃないからね。これから少しきついと思うけど、必ず身に着けさせるから頑張るんだぞ」
「「「はいっ」」」
3人は力強く頷いた。
「よし。じゃあ、今日から僕が相手するよ。《加速》を使うから、何とか動きを読むこと。そして躱しながら攻撃すること。当たらなくてもその2つを続けるんだ、いいね?」
こうして、ルートによる生徒たちへの特訓が開始された。
閑話 ジーク、副支配人候補を見つける 1
「おい、こんなささいなことまでこっちに持ってくるな。自分たちで何とかしろっ」
「は、はい、申し訳ございません」
《タイムズ商会》の本店、支配人室にジークの怒鳴り声が響き渡った。
書類を突き返されたボーゲル支店からの使いの男は、あわてて尻尾を巻いて部屋から出て行った。
ジークのイライラは、日々岩に生える苔のように少しずつ、しかし着実に彼の心を覆いつつあった。
もともと傭兵や冒険者として、自由気ままな生活をしていたジークだ。事務仕事が性に合わないのは当然だった。ただし、対人交渉能力は高かった。海千山千の商人相手でも、互角以上に渡り合って、《タイムズ商会》の不利益になるような結果は出さなかった。
だが、ジークにとって一番楽しいのは、やはりルートやリーナと一緒に冒険をしている時だった。時が経つにつれて、彼の中で冒険への渇きは次第に大きくなっていった。
そんな彼の心を敏感に感じ取っていたのは、当然だが、妻のミーシャだった。長年男を相手に商売をしていた彼女にとって、男の心の機微を感じ取るのは本能ともいえるほど敏感だった。ジークのように根が単純な男ならなおさらである。
「あなた、お茶を持ってきたわ。入るわよ」
「あ、ああ、ありがとう」
何やらドアの内側で響くガチャガチャという金属音を聞きながら、ミーシャはドアを開いて支配人室に入っていった。
ジークは慌てて書類を見ているふりをしていたが、ミーシャは椅子の横に立てかけられたバスタードソードをちらりと見てから、応接用のテーブルに紅茶とクッキーを置いた。
「こっちで少し休んだら?」
「ああ、そうだな」
ジークは書類を置くと、ミーシャの対面に歩いていってソファに座った。
「ふふ……」
「ん? なんだ、急に笑い出して……」
ミーシャはにこにこしながらジークの顔を覗き込んだ。
「そろそろ外で暴れたくてうずうずしてるでしょう?」
ジークはミーシャの顔を見て苦笑しながら両手を上げた。ミーシャには隠し事は出来ない。すぐに心の内を見透かされてしまうからだ。
「あはは……ご明察の通りさ。商会の経営は順調そのもの……俺は、ただ承認のハンコだけ押してりゃすむ。面倒な書類は君やライルが処理してくれるしな。というわけで、そろそろ体がなまってきたってわけだ」
「そっか……うん、いいんじゃない。明後日の『支店長会議』が終わったら、しばらくは何もないし、どこかのパーティと組んでダンジョン探索とかしてきたら?」
「あ、ああ、そうだな……」
ジークはあいまいな返事をして紅茶を口に運んだ。
(だめなんだよ、他のパーティじゃ……ルートとリーナじゃなくちゃ、こう、気持ちが
燃えてこないんだ)
その2日後、各地の《タイムズ商会》の支店長が本店に集まって、定例の『支店長会議』が開かれた。
まず、各支店長から下期の決算報告が行われた。どの支店も経営は順調で、上期より利益を上げた支店がほとんどだった。
その後、自由な意見交換がおこなわれたが、その中で今後の経営に関しての懸念材料が幾つか報告された。その中で特に一同の注目を浴びたのが、王都の支店長ベネット・ペンジリーだった。
ベネット・ペンジリーは、ルートが王都に支店を開設する際、商業ギルドの紹介で何人かの候補を面接した中から選ばれた、まだ30代前半の若い男だった。王都の老舗の商会《ラザフィ》の現会長の3男で、いずれは《ラザフィ》の支店のどれかを受け継ぐ逸材として期待されていた。ところが、彼は自分の意志で、最大のライバルとも言うべき《タイムズ商会》の門を叩いたのだ。
「同じ王都で、御父上の商会と商売で戦うことになりますが、その点については、どうお考えですか?」
面接のとき、ルートは率直にベネットに質問をぶつけてみた。
「はい、それは覚悟の上です。私は実家の商会より、この《タイムズ商会》で自分の力を試してみたいと思いました」
「その理由をお聞きしてもいいですか?」
その問いに、ベネットは正面からしっかりとルートを見つめながら答えた。
「はい。まず、タイムズ商会の圧倒的な企画開発力に魅力を感じたからです。実家の商会は、確かに繊維製品を中心に堅実で顧客に満足してもらえる商売をしています。私以外の者が後を継いでも、よほどのことがない限り経営が傾くことはないでしょう。
それに比べて、あなたの商会は、新商品を次から次へ売り出して爆発的に伸びてきました。その種類はありとあらゆる分野に及び、これまでの商売の常識が全く通用しない。どこの商会も《タイムズ商会》が、今度は何を始めるのかと、戦々恐々としているのが今の状況です。
ところが、それとは逆に、あなたは新商品のレシピを惜しげもなく、しかも安価な特許料で公開している。
私は、知りたいのです。あなたのもとで働かせてもらいながら、あなたの経営哲学と、新商品を次々に開発できる秘密を、何としても学びたいのです」
ルートは、ベネットの冷静ながら熱のこもった弁舌をじっと聞いていた。
「なるほど、よく分かりました。では、これから質問することは、あくまでも経営者としての素朴な質問ですから気を悪くしないでいただきたいのですが……」
「何でも質問してください。気を悪くすることなどありません」
ルートはにこやかに頷いてから、こう切り出した。
「あなたが、有力な商家の御子息でなければ、こんな質問はしないのですが……」
そして、何もかも見通す目でじっとベネットを見つめながら続けた。
「……あなたが御父上の密命を受けて、あるいは御自分の意志で、《タイムズ商会》を内部から潰すという目的を持っている、と私が疑ったとしたらどうしますか?」
ベネットは口元に微かな微笑みを浮かべながら答えた。
「まずそう疑われるのではないかと予想していました。当然のことです。どう答えようかと、あれこれ考えましたが、言葉では無理だとあきらめました。ですから、もし、雇っていただけるなら、私の行動で証明するしかないと、そう思っています」
ルートはそこで面接を終えると告げた。ベネットは、ほぼ諦めた様子で頭を下げて部屋を出て行った。
しかし、その2日後、諦めて実家の手伝いをしていた彼のもとへ、《タイムズ商会》から採用通知が届けられたのである。
こうして、ベネットは王都支店の支店長として、立ち上げから現在まで1年余り、無我夢中で働いてきた。そして、今や各支店の中でも総売り上げは本店に次ぐほどになるまでに店を成長させてきたのである。
そんな彼が、今後の懸念材料を報告するというので、誰もが注目するのは当然だった。
「では、まずこちらのグラフをご覧ください」
ベネットは、ルートが会議で説明するやり方を何度も見て、表やグラフがいかに効果的な方法かを実感していた。
「これは、王都における《唐揚げ》と《ドーナツ》のこの半年間の販売量を折れ線グラフに表したものです。青い線と点線が《タイムズ商会》の販売量で、赤い線と点線はその他の商会や個人営業の店を合わせた販売量です」
「こ、これは……うちの売り上げが落ちているわけではないが、他の商会や個人営業の売り上げが急激に伸びているな。ドーナツはもともとこちらが遅れて売り出したから仕方がないが、唐揚げは《タイムズ商会》の専売品のようなものだったからな……」
ジークの言葉に、他の支店長たちも渋い顔で頷いていた。
「実は、そのことを最近肌で感じているんだ」
屋台営業部の部長であるエミル・コパンが口を開いた。
「売り上げは順調なんだよ。だが、伸びが無くなったっていうか、お客の口から、どこどこの唐揚げは美味いとか、どこどこの店で新しいドーナツが売り出されたとか、よく聞くようになった。客の足が、かなりばらけてきているって感じだな」
ベネットはコパンの言葉に頷いて、説明を続けた。
「この統計は、一般市民を調査員に雇って、特許を買い取った店に通わせ、おおよその売り上げ予想を計算したものです。だから正確なものではありませんが、大きく外れていることもないはずです。さて、こういう結果になった原因ですが、これははっきりしています。
まず、特許料が安いこと。そして、原材料費が安いこと。この2つです。その結果、元手の資本をさほど持たずに商売を始める者が増えました。そして、これが厄介なのですが、資本力のある商人が『大量生産』を始めたのです。それによって、人件費が安くなり、値段を下げて売ることができます。王都のいくつかの店は、うちより銅貨1枚分安く売っています。味がさほど変わらなければ、民衆は安い方に流れます……」
「確かに、その通りだな。今のところは、商会の名前に対する信用と品質の良さで、根強い固定客がいるから安定しているが、他の所が品質を向上させ、新商品を大量に出してくるようになれば、逆転もあり得る」
リンドバル支店のラルゴ・ホーソンが深刻な表情で言った。その言葉に他の支店長たちも渋い表情で頷く。
「そこで、私からの提案ですが……」
ベネットが何やら自信ありげな表情で切り出した。
閑話 ジーク、副支配人候補を見つける 2
「食品部門の思い切った改革をしてみたいと思います。具体的には、現在、他の店との競合が激しい『唐揚げ』と『ドーナツ』の、他の店との差別化を図り、それがだめのようであれば思い切って切り捨てて、他の商品に切り替える。それと、今までにない新商品の開発です」
「ちょ、ちょっと待ってくれ……」
コパンが慌てて立ち上がって異議を唱えた。
「唐揚げもドーナツも、屋台の主力商品だぜ。そいつを切り捨てられたら、売り上げがガタ落ちになっちまう。屋台を廃業しろって言うのか?」
ベネットは手でコパンを制しながら、ゆっくりと首を振った。
「いいえ、とんでもない。屋台は、一般市民にとってなくてはならないものです。むしろ、今まで以上に人々に愛される存在にならなければいけないと思っています。
私の考えは、まず、唐揚げとドーナツのグレードアップを図ること、それが無理なら、今本店のレストランで提供しているメニューのどれかと入れ替える。それもだめなら、全く新しい商品を全員一丸となって開発する、ということです」
ベネットの説明に、支店長たちは唸りながらも互いに頷き合った。
「ちょっといいか? わしは、食品部門ではないが、ペンジリー支店長の意見に賛成だ」
《タイムズ商会》で一番の古株、《リープ工房》工房長のボーグが意見を述べた。
「わしとルートは、基本的な考え方は同じだ。それは、『良い物をできるだけ安く、誰でも買えるような店』を作ることだ。だから、安易に単価を値上げしたり、特許料を高くしたりするやり方は、ルートが一番嫌う方法なんだ。その点、ペンジリー支店長の提案は理にかなっておると思う」
ボーグの意見が、他の支店長たちの背中を力強く押した。全員が賛成の挙手をするのに時間はかからなかった。
「よし、分かった。だが、この場で即決定するには問題が大きすぎる。いったん俺が預かって、支配人の裁定を仰ぐことにする。ベネット、それでいいな?」
ジークの言葉に、ベネットは頷いて深く頭を下げた。
「もちろんそれで結構です。お手数をおかけします。どうぞ、よしなに」
「なるほどね……さすがは親方、僕のことは何でもお見通しだな」
王都の別宅に訪ねてきたジークに会議の話を聞いた後、ルートは嬉しそうに言った。
「ふむ……それにしても、ベネットさん、なかなかやるね」
会議の議事録を見ながら、ルートがつぶやく。
「ああ、まだ若いが頭も切れるし、そつがないし、大した男だよ」
ジークは、リーナが持ってきたコーヒーを美味そうにちびちびと味わいながら言った。
「うん、よし。じゃあ、明日までに『回答書』を書いて支店の数だけ作っておくから、配布の方をお願いするね」
「ああ、分かった……」
ルートにそう返事した後、ジークは何やらまだ言いたそうにルートの顔を見つめた。
「ん? どうかしたの?」
「あ、ああ、いや、なんでもねえよ」
「うそ、何か言いたいことがある顔。ジークは隠し事は出来ないから」
リーナの言葉に、ジークは苦笑しながら両手を上げた。
「あはは……ったく、リーナにはかなわないな。実はな、ルート、今度の会議で改めて思ったんだが……ベネットを副支配人にしたらどうかなって……」
「ええっ! な、何を突然言い出すんだい?」
ルートは、ジークの真剣な表情に驚き、また不安になった。だが、よく考えてみると、ジークには、ルートが王立子女養成所の教師になるために、有無を言わせず無理矢理支配人代理をさせてしまった経緯がある。彼にはずいぶん無理をさせてしまったのかもしれない。
(そうだよな……ジークは人がいいから僕もついつい甘えてしまう。実際、面倒を押し付けてしまったんだ。ここは、ジークの気持ちを大切にすべきだな)
「あ、ああ、いや、あのな、別に今の仕事が嫌になったわけじゃないんだ。ただ、やっぱり適材適所って言うか、ほら、パーティにもちゃんと役割分担があるだろう? 俺が副支配人をやるより、ベネットの方がもっと《タイムズ商会》を発展させてくれるんじゃないかって思ってな……それに、その……」
ジークが必死に言い訳を始めた。
「……うん、分かったよ」
「えっ?……分かった?……本当か?」
ルートは頷きながら、不思議そうな顔のジークに微笑みながら言った。
「うん、本当だよ。ジークには、いきなり責任を押し付けたのに、文句も言わず、今まで本当によく頑張ってもらったからね。感謝してるよ……」
ルートの言葉に、ジークは赤くなりながら慌てて手を振った。
「よ、よせ、よせ……感謝なんて、そんなこと……」
「ん、ジーク、よく頑張った。似合わない背広とネクタイもだんだん様になって来たし」
「おい、それは褒めてるのか、けなしてるのか、どっちだ?」
久しぶりに3人そろっての和やかな笑い声が響き渡る。
「いやあ、実を言うとな、こうして3人で馬鹿言いながら冒険していた頃が、無性に恋しくなってな……まだ、1年経ってないんだが、なんか遠い昔のことのように思えて……俺にはやっぱり、魔物と戦っている方が性に合うんだよ」
ジークがしみじみとそう言った。
「そうだね……実を言うと、僕も冒険をしている方が楽しいよ。でも、まあ、あと3年は今の仕事をやらなくちゃ、王様の面子を潰すことになるだろうね。だから、あと3年待っててくれないか? そしたら、リーフベル先生にお願いして、教師をやめて、3人で冒険の旅に出ようよ。この世界を旅して回るんだ」
ルートの言葉に、ジークとリーナの目が子供のようにキラキラと輝いて、顔に満面の喜びが溢れた。
「いいな、おいっ、絶対やろうぜ」
「うん、楽しみ。ふふ……自動馬車ならどこまででも行ける」
「うん、行こう。蒸気で動く船も造ろうと思えば造れるからね」
「ま、まじか? そいつはいいな」
3人は未来の旅に思いをはせて、時のたつのも忘れて語り合った。
「おっと、楽しくてつい時間を過ごしてしまったね。『回答書』を書かなくちゃいけなかった。じゃあ、ジーク、夕食までゆっくりしていてね。ちょっと部屋で書いてくるよ」
「ああ、了解した」
ルートは書斎に行こうとして、ふと立ち止まった。
「ああ、そうだ。ねえ、ジーク、副支配人をベネットさんが引き受けてくれたらさ、母さんと一緒にしばらくここで一緒に暮らさないか? 部屋はいっぱい余ってるし、1つ君にお願いしたいことがあるんだ」
「お、おう、まだ、かなり先のことになるだろうが、いいぞ。お願いって何だ?」
「うん、実は、今リーナに従魔たちのレベルアップを兼ねて、『黒龍のダンジョン』に挑戦してもらってるんだ。リーナ、今、何階層まで到達しているんだっけ?」
「今、12階層だよ。3回潜ったけど、結構大変だった」
夕食の準備に向かおうとしていたリーナが、振り返って答えた。
「リムやラムのペースに合わせてくれてるからね。それに、やっぱり、絡んでくる冒険者が結構いるらしいんだ。だから、君が一緒に行ってくれると安心だと思って」
「なるほどな。リーナの実力を知ったら、尻尾巻いて逃げ出すんだろうが、若くて美人だから馬鹿な奴らはすぐ目をつけるだろうさ。よし、任せとけ。リーナ、俺が来るまでしばらく待っていてくれ」
ジークはもう明日からでも冒険者に戻りそうな様子で胸を叩いた。
「うん、分かった、楽しみにしておく」
リーナも嬉しそうに頷いてから、キッチンへ去って行った。
「よし、そうと決まれば、何とかベネットさんを説得しないとね」
「頼むぜ、相棒」
ルートとジークはにやりと笑い合って、同時に親指を立てるのだった。
学園祭は踊る 1
「今年もまた、この王都の学園に全国から王国の明日を担う生徒諸君、そして優秀なる教授諸氏を迎えることができたことを、皆と共に心から喜びたい。
さて、私個人の感想ではあるが、今、このグランデル王国は大いなる変革の時を迎えていると感じておる。具体的なことはこの場では申すまい。これから5日間、諸君らがこの学園祭を楽しむ中で、何かしら感じ取れることがあると思うからである。その感じたこと、疑問、感動をぜひ大切にしてほしい。そのことが、君たち一人ひとりのみならず、王国の未来にとっても大きな財産となるはずだ。
では、大いに楽しみ、大いに騒ぎ、良き友情の花が咲かんことを祈ろう。ここに、『第761回王立子女養成所学問および文化的成果の発表会』の開会を宣言するっ!」
4月21日朝、拡声魔道具によって、学園中にリーフベル先生の「開会宣言」が響き渡り、それと同時に、工芸科教授たち製作の《魔導ゴーレム器楽隊》のファンファーレが鳴り響き、空からはリーフベル先生の大魔法《エルフの喜びの舞》によって、甘い香りの無数の花びらが舞い落ち始めた。
学園中の生徒や職員たちが、しばしの間、朝の晴れ渡った青空から降り注ぐ花びらにうっとりとなって空を見上げていた。
「……毎年のことだが、この開幕のセレモニーは本当に素晴らしい」
「ああ、心が洗われるようだな……今回も何が見られるか、本当に楽しみだ」
遠くボース辺境伯領の王立学校からやって来た教授たちが、手を空に伸ばしながらささやき合った。
そして、いよいよ門が開かれると、待ちかねていた人々が大きな波のように学園内に押し寄せてきた。校内のあちこちに設置された特設ブースでは、さっそく生徒たちの元気な掛け声や忙しく動き回る姿が見られた。
ルートが担任をする1年1組の喫茶レストラン『ブロワー』(この名前は、ルートの抵抗にもかかわらず、生徒たちが頑として譲らなかった)にも、2人連れ、3人連れの客たちが次々に入って来るようになった。
「よ、よし、まずは、僕たちが最初に行って、皆にお手本を見せなくちゃ。いいかい、ミランダ?」
「ええ、あれだけ練習したんだから、大丈夫よ。行きましょう、ゲイル」
生徒たちは打ち合わせ通り、2人1組で協力しながら本番の接客に挑戦していた。
「い、いらっしゃいませ。ご注文は何になさいますの?」
「ミランダ、違う、違う、〝何になさいますか〟だよ」
ゲイルとミランダの委員長・副委員長コンビが、最初の2人連れのお客のテーブルに向かったが、のっけからミランダがミスをした。
幸運だったのは、その2人連れのお客が貴族ではなく、一般の市民だったことだ。若い恋人同士らしい2人は、むしろ生徒たちの初々しさを微笑ましく見てくれた。
「ああん、もう、あんなに練習したのに、私ったら……恥ずかしい」
「まあまあ、ミランダさん、そんなに落ち込むことはありませんわ。初めは誰でも失敗するものですわ。それに、落ち込んでいる暇はありませんことよ」
フィオナがのんびりした声でミランダを慰めながら、入り口の方を指さした。
すぐに貴族と分かる豪華な衣装の男女が団体で入り口から入って来た。
「げっ、ち、父上と母上だ」
「私の両親も一緒だわ」
「ぼ、僕の家族もいる」
恐らく、同じクラスに息子や娘がいる親たちが申し合わせていたのだろう。その後も続々と生徒たちの親兄弟が店にやって来た。
生徒たちは緊張しながらもお互いに励まし合って、2人1組で各テーブルへ向かった。
一方その頃、ルートは『研究成果発表会』の会場である大ホールにいた。
『学園祭』とはいうものの、もともとは各王立学校がこの『研究成果発表会』を通して、互いの成果を共有し、子女の教育や王国の発展に役立てることが目的だった。つまり、この『研究成果発表会』こそが、メインの催しだった。
今年は1日目が《騎士学科》、2日目が《工芸学科》、3日目が《神学科》、そして4日目と最終日の5日目が《魔法学科》の発表が行われる予定だった。
ルートは5日目の午前中に、ボルトン、サザール両先生と一緒に発表することになっていた。
今日の《騎士学科》の発表には、ベルナール先生が王都の学園代表として発表することになっている。ルートは、その応援のために他の先生たちと一緒にホールの前の方の席に座っていたのだ。
旧ミハイル・グランデル公爵領ハインツ王立学校(現王都第二子女養成所)の騎士学科の発表と質疑応答が終わり、いよいよベルナール先生の発表となった。
先の帝国との戦いで、伝説の英雄の列に加わったベルナール先生は大きな拍手で迎えられて、演壇へと歩いていった。そんな華やかな晴れの舞台だったが、この日のベルナール先生は、濃紺で前が短い騎士用のコートに白のズボンとブーツという、地味だがフォーマルないでたちであった。派手な衣装を想像していたルートは、ベルナールの内面の変化を敏感に感じ取っていた。
彼の今日の発表の演題は『今後の世界における騎士の役割についての一考察』というものだった。
「本日は多くの方々のご臨席をいただき、この場で発表の栄誉に浴することができたことを、心より感謝いたします。
さて、本題に入る前に《騎士》とはどういうものか、簡単に確認しておきましょう。騎士の始まりは、建国の王ラウル・グランデルが中央大陸に上陸した時、部族を率いて彼のもとへ馳せ参じた3人の英雄たちだと言われています。3人はともに馬に騎乗した強力な軍団を率い、瞬く間に中央大陸の抵抗勢力を駆逐して、王国の建国に寄与しました。つまり、騎士とは、馬に乗り、常に王国軍の先陣として勇敢に敵陣に突撃していく兵士のことです。
確かにこれまで、騎馬隊は戦場の中心となる部隊であり、戦術は騎馬隊をどう生かすか、ということに重点が置かれて考えられていました。
しかし、それはもはや時代遅れの戦術であると、先の帝国との戦争で思い知りました……」
ベルナールのその発言は、いきなりの爆弾投下に等しかった。そして、同時にそれは『嵐の学園祭』と後々まで語り継がれる混乱の始まりを告げる花火でもあった。
「な、なんと、騎馬隊が時代遅れだと?」
「こともあろうに、王国の象徴とも言うべき騎士団への許されざる侮辱だぞ」
発表会場の大ホールは騒然となった。
「お、お静かに、どうかお静かに願います」
会場責任者のコーベル教頭が出てきて、何とか騒ぎを静めようとしたがなかなか静まらない。
心配したルートが立ち上がろうとしたとき、横に座っていたリーフベル先生がルートの肩を抑えた。
「まあ、見ておれ。この程度の反発は、恐らくオランドも予想済みであろうよ」
果たして、リーフベル先生の読みはさすがに的確だった。
「ここにお集まりの皆さんは……すでにご存じのはずですっ!」
ベルナールの声は、一瞬のうちに会場を静めた。恐らくそれは《英雄の若鳥》としての、彼に備わった覇気、あるいは威圧の発動だったのだろう。
「帝国のアラン・ドラトによる世界征服の野望は潰えましたが、その野望を打ち砕いたのは、騎馬兵団ではありません。むしろ、かの者の《魅了》という恐ろしい魔法の前に、騎馬兵も重装歩兵も無力でした。では、なぜ我々は勝利できたのか。私はその要因として、3つのキーワードを提示したいと思います。それは、『魔法』、『情報』、『戦術』です。では、それぞれについて、具体的な例を挙げながら説明していきます……」
ベルナールはそう前置きした後、それぞれの項目について説明した。
帝国軍との違いは、魔導士兵団の質と量の差があったこと、密偵や斥候による豊富な情報が的確な戦術につながったこと、民兵団の創設や自動馬車の活用など新しい戦術が功を奏したことなど。
そして、彼は最後のまとめでこう述べた。
「……自動馬車という画期的な移動手段を得たことによって、魔導士兵団の重要性は今後ますます増すことでしょう。それに加えて、兵器の進歩によって戦術は大きく変革していくはずです。
では、もはや、軍の象徴であった騎士はその存在価値を失ったのでしょうか?いいえ、そういうことはありません。確かに騎馬兵としての騎士の役割はこれまでより小さくなるでしょう。しかし、騎士の最も重要な役割は、軍隊の内部ではもちろんのこと、平時でも『すべての人間の模範となるべき存在』であること、これに尽きると考えます。
今回の戦で、私はその模範となるべき敵方の騎士に何人か出会いました。その中でも、初戦のイガン城の戦いで出会ったサルエル・アスター将軍、その副官のヤヒム・ザーレス、そして第一騎士団長ザイード・アフラム、この3人は軍人としての誇りを持ち、しかも、高潔で高い識見の持ち主でした。彼らの賢明な判断のお陰で敵も味方も無駄な死人を出さずにすんだのです。
国への揺るぎない忠誠心、神と自分自身に恥じない正義の心、大きな視野で国と人々の幸せを見通せる知性、これらがこれからの騎士に求められる資質であり、称号であると考えます。ご清聴ありがとうございました」
学園祭は踊る 2
ベルナールの発表は、そこに集まった多くの貴族や王立学校の教授たちからは、惨憺たる酷評を浴びた。発表が終わった後も、拍手したのはルートたち王都の王立学校の職員たちばかりで、城内はただ騒然とした雰囲気に包まれていた。
現時点において、ベルナールの考えを真に理解し、感動に浸っていたのは、恐らくルートただ1人だけだったに違いない。ルートは前世の知識として、中世のヨーロッパにおいて、騎士という存在がたどった変遷の歴史を知っている。当初は「馬賊」と同義語で、粗野で虐殺や略奪も平気でおこなっていた騎馬集団が、やがて戦場の中心的な部隊となり、栄誉と誇りを手に入れ、ついには忠誠心、正義、勇気を持った兵士に与えられる称号になっていった歴史だ。何百年もかかって変化した歴史をベルナールは一気に飛び越えてしまった。周囲が彼に追いつけないのは無理からぬことではあった。
「やれやれ……オランドの言っていることは間違いではない。だが、貴族にとって騎士とは己の存在意義そのものじゃ。そしてそれは《兵力》という裏付けがあってこそ主張できるもの。ベルナールはその裏付けをあやふやなものにし、なおかつ《騎士》というものの規準を一気に引き上げたのじゃ。貴族たちがうろたえるのは無理もない」
リーフベル先生の言葉にルートも頷いた。
「ええ、そうですね。でも、ベルナール先生が投げ込んだ石が、これから貴族社会にどんな
波紋を生むのか、楽しみでもあります」
(幸い今日はマリウス殿下も会場に来ておられる。報告を聞いた国王陛下が、どのような判断を下されるか、楽しみだな。それにしても、ベルナール先生はすごいな。未来を見通した革新的で的確な考察力……やはり、ただ者ではないというところか……)
「ちょっと、生徒たちの様子を見てきます」
「うむ、わしも小腹がすいた。何か食べに行くとしよう」
ルートとリーフベルは一緒に席を立って、会場の外へ出て行った。
「この人込みでは、周囲が良く見えぬのう」
8歳の女の子の背格好の校長先生はルートの横でいまいまし気に文句を言った。
「ああ、そうですね……あの、先生、良かったら僕の肩に座りませんか?」
ルートの言葉に、リーフベルは乙女のように頬を染め、しばらくうつむいてもじもじと迷っていたが、やがて顔を上げて嬉しそうに言った。
「う、うむ、そうじゃな。まあ、浮遊魔法を使えば済むことじゃが、悪目立ちするとうるさいからのう……お、おぬしの肩に……」
「おおっ、浮遊魔法! そうですよね、やっぱり魔法使いは空を飛んでなんぼですもんね?僕、すっかり忘れていましたよ。やっぱり、ほうきに乗って飛ぶんですか?」
ルートは興奮のあまり大きな声を出してしまい、周囲の人々の注目を集めてしまった。
「お、あれは大魔導士リーフベル所長じゃないか?」
「本当だ……隣は噂の天才魔導士のブロワー教授だ」
「ルート、ここを離れるぞ」
「はい。先生、ちょっと失礼します」
ルートはそう言うと、ひょいとリーフベルを抱え上げ、腕に座らせてから走り出した。
「しっかりつかまっていてください」
「あ、ああ、うおおっ」
ルートが《加速》で走り始めると、リーフベルは慌ててルートの頭にしがみついた。
「この辺りなら人も少なくて、静かですね」
ルートは、学生寮の側のプロムナードで走るのをやめてリーフベルを下ろした。
リーフベルはまるで乗り物酔いをしたような顔で、肩を落としながら近くのベンチに腰を下ろした。
「やれやれ……おぬしと一緒では、どこの出店に入っても大騒ぎになるのじゃろうな……もうあきらめた。昼食会まで我慢することにしよう」
「あはは……そうですね……先生、何か食べたいものはありますか? 僕がちょっと走って買ってきますよ」
「ん、そ、そうか? すまぬのう……では、何か甘い物と紅茶がいいな」
「はい、分かりました。じゃあ、ちょっと……ん? 待てよ……」
ルートは買い出しに行こうとして、はたと立ち止まった。そして、財布代わりの皮袋をローブの内ポケットから取り出した。当然の如くそれはマジックバッグになっている。
「先生はチーズやクリームは大丈夫ですか?」
ルートの問いに、リーフベルは怪訝な表情で頷いた。
「うむ、大好物じゃが……」
ルートはにっこり微笑んで、リーフベルの隣に座った。そして、皮袋の紐を解き、手のひらを上にして目をつぶった。
次の瞬間、ルートの手のひらに細長い三角形に切られたチーズケーキが現れた。
「うちのクラスの喫茶店に出すために開発した新作のケーキです。チーズとクリームを小麦粉と練り合わせて焼き上げました。食べてみてください」
ルートはそう言って、まだ温かい焼きたてのチーズケーキをリーフベルに手渡すと、陶器の水筒瓶に入ったコーヒーも取り出してベンチに置いた。
「うほおお……これは美味そうじゃな」
リーフベルは目を輝かせて、三角形の尖った方から口に運んで一口かぶりついた。
「んん~~……美味いっ!」
見た目8歳の大魔導士は、そのまま無邪気な子供のように満面の笑顔を空に向け、ほっぺたを可愛く膨らませてもぐもぐとかみしめるように味わった。
しばらくの間、ケーキとコーヒーを交互に口に入れ、至高の時を満喫したリーフベルは、ようやく落ち着いて、ハンカチで口元を拭い、ため息を吐いた。
「ああ、幸せな時間じゃった。ルート、感謝するぞ」
「あはは……喜んでもらえて良かったです。まだストックはありますから、食べたくなったら言ってください」
「うむ。じゃが、今度は生徒たちの店で味わうことにしよう」
リーフベルはそう言うと、ルートの目を向けた。
「ときに、ルートよ。おぬし、先ほどえらく興奮しておったが、浮遊魔法はまだ使ったことがなかったのか?」
「ああ、はい、そうなんですよ。僕が前にいた世界では、魔法使いは伝説やおとぎ話の世界の存在でした。そして、その物語の中では、必ずと言っていいほど、魔法使いは『ほうきに乗って空を飛ぶ』女性だったんです」
「ほう……ほうきに乗って空を飛ぶ女性のう……」
リーフベルは興味深そうに頷いてから、何か思案顔で細い顎を指でつまみながら黙り込んだ。
「先生……何か……」
「うむ、いや、面白いと思ってのう……わしの故郷のエルフの里では、昔から女の子が30歳を迎えると、『魔杖の授与』という儀式を受ける。杖を与えられて一人前の女性と認められるわけじゃ。まあ、人間でいう所の成人の儀式じゃな。見た目は7,8歳じゃがな。
その儀式の中で、女の子は、先端をエニシダの束で飾られた杖をまたぐのじゃ。これは、杖を男性の性器に見立てて、それをまたぐことによって処女を失うことを象徴しておるのじゃ。それで、一人前の女になったということになるわけじゃ。
どうじゃ? なかなか面白いであろう? エニシダの束で飾った杖は、《ほうき》と見えぬこともないからのう」
「確かに……面白いですね。でも、まさかこの世界のエルフが大昔、僕のいた世界に転生したなんてことはないと……」
「ふむ……まあ、偶然の一致であろうがな。それより、浮遊魔法はおぬしなら簡単に習得できるであろう。やってみぬか?」
「はい、ぜひ教えてください」
今度はルートが見た目そのままの少年になって、目を輝かせる番だった。
浮遊魔法は無属性魔法の1つで、簡単に言うと魔法で物体を空気より軽くする、というものだ。《結界》と同じで、呪文で魔法陣を付与することで発動する。
ルートなら《創造魔法》で簡単にできると思われるが、今回は昔ながらのやり方で習得することにした。呪文を覚えさえすれば済むからだ。ただし、物体を浮かせる魔力は、その物体が重くなるほど二次関数的に大きくなっていく。体重50㎏の人間を浮かせるには、魔力が280は必要だ。さらに浮き上がった物を移動させるためには、精密な魔力操作とさらに30ほどの魔力が必要になる。つまり、魔力が310以上なければこの魔法は使えない。
300以上の魔力を持っている人間はそうそういるものではない。だから、かなりの魔力を持っている人間でも、軽い物は浮かせることはできても、自分自身を浮かせて移動することはできないのだ。
「うむ、それでよい。あとは方向、行く先をイメージして魔法陣に魔力を流せばよいのじゃ」
ルートはものの10分もかからず浮遊魔法を習得して、自分自身を空中に浮かせ、移動することに成功した。
「うはぁ、やったあ……ありがとうございます、先生」
(これ、もしかして将来、飛行機を作れるんじゃないか? 研究する価値はあるぞ)
ルートは魔法を解いて、地面に降り立った。
「ふむ……じゃが、あまり人目に付く場所では使わぬようにな。多くの魔法使いにとって、この魔法は是が非でも手に入れたい魔法の1つ。じゃが、いかんせん多量の魔力を必要とするゆえ、使える者はごくわずかしかおらぬ。目立つと余計な嫉妬を招くからのう」
「はい、分かりました。気をつけます」
「うむ。さて、では戻るとしようか」
ルートとリーフベルは大ホールに帰る道すがら、生徒たちの活動の様子を覗いていった。リーフベルは自分に浮遊魔法を掛けた上でルートの右肩に座り、実に楽し気であった。
学園祭は踊る 3
学園祭は2日目の朝を迎えた。今日からいよいよメインイベントの「学校対抗魔法競技会」が始まる。1日目と2日目は個人戦、最終日は団体戦が行われ、総合成績で優勝校が決まる。
個人戦は1校4人がエントリーして、魔力操作の「技術と実戦力」を競い合う。
魔力操作技術は、毎年各校の校長が集まってやり方を話し合う。例年だと、ランダムに動いている物体に的確に魔法攻撃を当てるというものが多かったが、今年はちょっと違った。リーフベル校長がルートに相談して考案したやり方が、校長会で採用されたのだ。
また、実戦力は毎年同じで、HP(ヒットポイント)が1000にセットされたゴーレムをいかに早く倒すか、で争われる。上級魔法を習得している者が有利なようだが、ゴーレムも動いて魔法を避けるように設定されているので、外してしまうと魔力切れで次の魔法攻撃ができないという状態に陥ってしまう可能性がある。いかに的確に早く、しかも効果的に魔法攻撃ができるかが勝負を分けるのだ。
「先生、今年は私が個人戦も団体戦も優勝して見せますわ。どうか見ていてください」
個人戦の代表に選ばれた4人が、ルートの前に並んでいた。男女2人づつだ。いずれも魔法学科の3年生たちで、ルートの《実戦魔法Ⅲ》の授業を受けている者たちだった。中でもリーダー格がセリーナ・リンドバルだ。
彼女は昨年も3年生に混じって代表に選ばれ、個人戦も団体戦も惜しくも2位という成績だった。例のガルニア校のソニア・ローランに負けたのだ。
「うん、君ならきっと優勝できるよ、セリーナ。でも、あんまり肩に力を入れすぎないようにな」
「はい、去年は緊張していましたが、今年はいい意味でとてもリラックスしていますの。他の皆もそうですわ」
「ええ、やるべきことはやった、という自信があります。先生の授業に比べたら競技会の方が楽ですからね」
べラム・ラドキンスの言葉にその場が和やかな笑い声に包まれる。
「ちょっと、よろしいかしら……」
不意に横合いから声が聞こえて、十数人の生徒の集団が近づいて来た。その先頭に立っていた金髪の少女が、ルートの前で優雅に腰を折り挨拶をした。
「お会いできて光栄です、ブロワー教授。私、ソニア・ローランと申します」
「やあ、初めまして。君が噂の天才少女、ソニアさんだね」
ルートはにこやかに挨拶を返しながら、素早く彼女のステータスを覗いてみた。
本当は、教師としても人としてもやってはいけないことだが、ちょっと気になる点があったからだ。
幸い、彼女は《認知阻害》系のアイテムは身に着けていなかったし、その種のスキルも持っていなかった。ただ、《魔力感知》のスキルを持っていたら、ルートが鑑定していることに気づいたかもしれない。
《名前》 ソニア・ローラン
《種族》 人族
《性別》 ♀
《年齢》 15
《職業》 ガルニア王立学校生徒
《ステータス》
レベル : 33
生命力 : 325
力 : 118
魔力 : 488
物理防御力: 213
魔法防御力: 225
知力 : 566
敏捷性 : 102
器用さ : 187
《スキル》 威圧 Lnk3 火属性 Lnk4 風属性 Lnk3
睡眠 Lnk3 土属性 Lnk3 闇属性 Lnk4
体術 Lnk4
加速 Lnk3
※ ガルニア侯爵領プラタナの街の領主アルマーナ・ローラン男爵の長女。曽祖父が魔法の才を認められ、騎士に取り立てられて侯爵に仕えるようになった。
※ 父方の先祖にダークエルフがいる。
(おお、この年齢にしてこのステータスはすごいな。ん? ダークエルフ? へえ、本当にいるんだ……なるほど、それならこの魔力量も頷けるな……)
ルートが感心して納得顔をしていると、ソニアの甲高い声が聞こえてきた。
「まあ、私のことをご存じだったなんて、この上もない名誉ですわ。ふふ……でも、本日の競技会で先生の生徒さんたちを打ち負かしてしまうのを、どうかお許しくださいね」
ソニアの自信たっぷりの挑発に、セリーナが燃え上がった。
「な、よくもぬけぬけとそんなことを……見ているがいいわ、返り討ちにして泣かせてあげますわ」
「あら、ふふふ……楽しみにしていますわ。では、後ほど……」
ソニアは不敵な笑みを浮かべてそう言うと、取り巻きの生徒とともに去って行った。
「ぬうう、あの女、許さない……」
「まあまあ、セリーナ、あまり感情を乱すと、魔力の調整も乱れてしまうよ」
セリーナははっとしたように赤くなって頷いた。
「私としたことが、恥ずかしい。本当にその通りですわ。ええ、もう大丈夫、常に冷静であるべきですわね」
ルートはセリーナの頭を優しく撫でてやってから、生徒たちを見回して言った。
「大丈夫、君達ならやれる」
5人の生徒たちは自信を取り戻して、元気よく「はい」と返事した。
そして、いよいよ個人戦の競技が始まった。
最初の魔力操作技術の課題は、題して『迷路板ボール運び』だ。立てられた縦5m横3mの木箱の中は、板を使って複雑な迷路が作られている。一番下の出発口には革製のボールが置かれていて、表面は全面ガラス張りになっている。
つまり、この迷路板の外から魔法を使って革のボールを運び、一番上の出口から早く落としたものが勝ちとなるのだ。魔法は何を使ってもいい。ただしガラスを割ってしまったり、ガラス板の途中の何か所かに開けられた穴からボールを落としてしまったら失格となる。
一見、水魔法が使える者が有利なようだが、水の圧力でガラスが割れたり、途中の穴で水が抜けてしまう弱点があるので、よほど魔力調整がうまくないと難しい。同じことが風魔法にも言える。では、火魔法と土魔法はどうかというと、ボールを運ぶためには、長時間連続して魔法を発動し続けなければならないという欠点があり、これもかなり難しい。というわけで、一応各属性間に有利不利の差はないという建前になっている。
だが、ルートの教え子たちは皆2つ以上の属性を身に着けている。2つの魔法を組み合わせれば、圧倒的に有利にボールを運べるのだ。
例えば、セリーナは火と土の属性を持っている。火魔法でボールを前に進めながら、ボールが後戻りしないように、土魔法で壁を作っていく。穴がある所を一気に通過させることと、ガラスを割らないように壁を作ることがかなり難しく、魔力の微調整が必要になるが、これもルートの授業で習得済みだ。
期待通り、セリーナたちは順調に個人戦を勝ち上がっていった。一方、ソニアもさすがの実力を見せて一方の山を勝ち上がってきた。
ただ、残念なことにルートの教え子たちの中で、2人が2回戦で負けてしまった。相手の1人はソニアであり、もう1人はボース校のエースと言われているまだ12歳の少年だ。
準決勝の組み合わせは、セリーナがべラムと、ソニアがボース校のエース、名前はタクト
・モリーノという少年だった。
ルートはその少年の名前に少し引っ掛かるのを感じたが、試合に集中したのですぐに忘れてしまった。というのも、その試合は驚くべきものだったからだ。
学園祭は踊る 4
試合会場は驚きとも興奮とも取れる声にざわめいていた。
「……わ、私が負けた?……」
ソニア・ローランは信じられないといった顔でがっくりと跪き、呆然と地面を見つめていた。
準決勝の片方、セリーナとべラムの戦いはまだ続いていたが、もう一方のソニアとタクトの試合は早々に決着がついた。タクトが驚くべき速さでボールをゴールへと到達させたのである。
「ルートよ、あの少年を鑑定してみたか?」
横で観戦していたリーフベル校長の問いに、衝撃でボーっとしていたルートは、やっと我には返った。
「あ、いいえ、見ていませんが……」
リーフベル校長は見てみろというしぐさで顎をしゃくった。
ルートは言われるままに、タクト少年に視点を合わせて鑑定した直後、「あっ」と小さな驚きの声を発した。
「……文字化け?……先生、これは……」
ルートのつぶやきに、リーフベルは渋い顔で頷き、周囲に聞こえないように小さな声で言った。
「うむ。やはり、お前にも見えなかったか。ということは、強力な鑑定阻害の魔道具を身に着けているか、その類のスキルを持っておるのじゃろうな」
ルートは愕然となった。彼の《真理探究》は、《創造魔法》とともに神から授かったユニークスキルであり、そこから派生した《解析》のスキルは、S級の鑑定スキルをも超える強力なものだ。それを阻害できるということは、タクト少年の持つ魔道具あるいはスキルは、とてつもない力を持っていることになる。
(世の中は広いな……こんなすごい能力を持った人間が、まだまだたくさんいるんだろうなぁ)
ルートは心の中でそう思いながら、わくわくして思わず笑みをこぼした。
「ルートよ、なにやら悪人顔になっておるぞ」
「あはは……そうですか? いや、なにかわくわくして、楽しいんですよ」
そう言って笑う少年に、リーフベルはため息とともに苦笑せざるを得なかった。
この後、ルートの興味と意識はタクト少年に向けらることになった。
個人戦の決勝はタクトと準決勝で同僚のべラムを僅差で破ったセリーナの組み合わせになった。
今の実力から見たら、何かアクシデントでも起きない限りタクトの圧勝だろう。ルートだけでなく、誰もがそう思っていた。
ところが、結果はセリーナが僅差で勝ち、優勝を勝ち取ったのである。誰もが驚くとともに、セリーナを讃えた。もちろん、ルートも惜しみない称賛を彼女に贈った。
ただ、決勝戦を見ていたルートは、タクトが誰にも気づかれないように魔力を微調整していたことを知っていた。恐らく気づいていたのは、ルートとリーフベルの2人だけだろう。
彼がなぜそんなことをしたのか、理由は分からない。確かなことは、彼が個人戦の優勝をセリーナに譲ったということだけだ。
翌日から始まった団体戦は各校2チームずつが参加する。1日目はAB2つのブロックに分かれて4チーム総当たりのリーグ戦を行う。そして各ブロックの上位2チームが翌日のトーナメント戦に進むのだ。
王都校の2チームは順当に勝ち星を重ね、それぞれのリーグを無敗で通過した。Aブロックでは、セリーナ率いるチームにペイネ・リヒターが加わり、闇魔法《睡眠》を効果的に使って相手のキーマンを抑え込んだ。唯一苦戦したのは、やはりガルニア校のソニア率いるチームとの対戦だった。
個人戦の雪辱に燃えるソニアは、この団体戦で必ず優勝すると心に誓っていたが、思いがけない伏兵に対応を戸惑っている間に、セリーナに後衛陣を叩かれて旗を持っていかれてしまった。伏兵とはもちろんペイネのことである。
「……ま、まさか闇魔法にあんな使い方があるなんて……」
スピードにまかせて王都校の前衛2人を速攻で倒し、敵陣にはためく校旗を目の前にしたところで、ペイネが放った《睡眠》に不覚にも跪いたソニアは、その後魔法を解除されるまで動くことができなかった。
「は、反則ではないか、闇魔法などという危険な魔法を使うなんて……」
ガルニア校の教師を中心に、数人が運営本部に抗議に押し寄せたが、本部長であるコーベル教頭は、競技規則書を手に表情も変えずに答えた。
「はて、闇魔法を使ってはいけない、などということは規則には一切書かれておりませんが……お読みになりますかな?」
そう言って差し出された規則書を、誰一人受け取る者はいなかった。
決勝トーナメントの組み合わせは、セリーナのチームがタクヤのいるボース校と、リリア・ボースをリーダーとするチームがソニア率いるガルニア校との対戦だった。
準決勝戦を前に、ピリピリとした緊張感に包まれた王都校の控室を訪れたルートは、まず、2つのチームの面々に頑張って勝ち上がったことを称賛し、ねぎらいと励ましの言葉を掛けていった。
「実力は君達が一歩リードしている。練習通りの力を出せば勝てるはずだ。ただ、勝敗は時の運でもある。だから、勝ち負けにはこだわらず、自分たちの良さを出すことを心がけよう。楽しむ者が勝ちだぞ」
ルートの言葉に、生徒たちはようやく肩の力を抜いて笑顔になった。
「俺たちの力を見せてやろうぜ」
「前衛は私に任せなさい。後ろは何が何でも旗を守り抜いてちょうだい」
「おーし、やるぞおっ!」
「リリア、ちょっといいか?」
生徒たちが、チームごとに改めて気合を入れ始める横で、ルートは片方のチームのリーダーである少女を少し離れた壁際に呼び寄せた。
「はい、先生、何か……?」
「うん、いや、ちょっと聞きたいことがあってね。ボース校のリーダー格の少年のことだ。君の故郷の学校だから、何か聞いていないかと思って……」
「やはりそのことでしたか。残念ながら、詳しいことは聞いていませんが、ただ……」
リリアはそう言って、ルートを見上げながらこう付け加えた。
「夏休みに家に帰った時、父が『優秀な生徒が入学した』と喜んでいました。恐らく彼のことでしょう。それと、貴族ではなく、保護者は北の果てに住む魔女とも……」
「魔女……」
ルートは眉をひそめて顎を触りながら考え込んでいたが、側で不安そうに見つめるリリアに気づいてにこりと微笑んだ。
「何も心配することはないよ。練習通りにやれば大丈夫だ」
「はいっ」
ぱっと表情が変わったリリアは明るく元気な声で返事をする。その目はルートに対する信頼に輝いていた。
準決勝が始まった。
第一試合はセリーナのチームとタクヤたちボース校チームの対戦だ。
「作戦通りで行きますわよ。ペイネ、お願いしますわ」
「は、はい」
両陣地に生徒たちが配置を済ませ、相手チームを睨む。緊張感が一気に高まる。
試合開始の笛が鳴り響き、試合会場である訓練場の観客席は興奮と歓声に包まれた。
学園祭は踊る 5
魔法の発動を準備していたペイネ・リヒターは、試合開始の合図とともに《睡眠》の詠唱を開始する。
「それは予定の範囲内ですよ」
予選リーグを見て対策を立てていたタクヤは、右手を上にあげて手のひらを上に向けた。
「セイクリッド・ディスペル!!」
「な、何っ?!」
特別席で観戦していたルルーシュ・リーフベルは驚愕の声を上げて思わず立ち上がった。
「大魔導士、どうかされましたか?」
隣の席に座っていたマリウス第一王子がびっくりして尋ねた。
「あ、ああ、いや、すまぬ。あのボース校の少年が、高位の光魔法を発動したのじゃ。あの魔法を知っている者がいたとはのう……」
「おお、それほどすごい魔法ですか」
(……すごいどころではないわい、ほぼ伝説級じゃ……しかも、あの年で……)
ルルーシュの中でタクト少年に対する認識が変わった。
同じ頃、控室の外で観戦していたルートも、驚きのあまり言葉を失っていた。
(……ペイネの魔法が消された……しかも、全員に魔法防御が付加されている……初めて見る魔法だな)
「くっ、ペイネの魔法が効かないですって? それなら力で押すだけですわ」
セリーナは加速を使って敵陣に突進しながら、訓練用の木剣を構える。それに対して、タクトは余裕の笑みを浮かべながら、前衛の2人に指示を出した。
「左右に分かれて敵陣を目指してください。彼女は僕が引き受けます」
「私を舐めましたわね。魔法使いが近接戦で勝てるとでも?」
セリーナは怒りの表情で、一気にタクトとの距離を詰めていく。それを横目に見ながら、ボース校チームの前衛2人が加速を使って王都校の陣地に攻め込んでいく。
これで、勝敗はセリーナがタクトを撃破するのが早いか、それともボース校の前衛が王都校の守備陣を攻略するのが早いか、によって決まることとなった。
その結果は、ボース校が勝利を収めた。セリーナはすごい気迫でタクトを攻め立てたものの、彼はそれを受け切って旗を守り抜いた。
個人戦に続いて、優勝候補が準決勝で敗れるという波乱が起こり、会場の興奮は一気に高まった。しかも、どちらにもタクト・アマーノが関わっていた。
「すごい新人が現れたものだな」
「今年はボース校が総合優勝を持っていくかもな……」
準決勝の第二試合。リリア率いる王都校とソニア率いるガルニア校との戦いだ。
魔法の打ち合いでは不利と考えたリリアは、守備に男子の盾役の2人を残して、シェリー・ルバンヌ、アネット・ホークスとともに、ガルニア校陣地へ速攻を仕掛けた。
「蛮勇ですわね。返り討ちにして差し上げますわ」
ガルニア校の5人が一斉に魔法の詠唱を始める。
「風の精霊よ、見えざる数多の手をもって彼の敵を空の彼方へ……っ! なっ!……」
中級風魔法のウィンドボムでリリアたちを一気に蹴散らそうと思っていたソニアは、体中に木剣を打ち付けられたような衝撃を受けて、思わず後ろへのけぞった。
驚いて前を見ると、加速で一気に迫ってくるリリアが再び前方へ向かって手を振るところだった。
「ウィンドカッター? しかも無詠唱ですって?」
ルートの「魔法学Ⅲ」の授業を受けている生徒のうち、すでに8人が無詠唱魔法を使えるようになっていた。ただし、使えるのは魔力を貯める時間が短い「初級魔法」に限られていたが……。リリア・ボースはそのうちの1人だった。
魔法の威力は低いが、加速や体術と組み合わせれば実戦での効果は大きい。現にソニアも後衛の生徒たちも中級魔法の詠唱を途中で邪魔されて、慌てて防御の体制を余儀なくされている。
「エースの相手は私がやります。一気に旗を奪い取って!」
リリアの指示の声が響き渡る。その声に頷いて、シェリーとアネットがさらにスピードを上げて相手陣に迫る。
「くっ、させるかっ!ここは通さん」
ガルニア校の盾役の男子生徒が、大楯を構えて2人の行く手に立ちはだかる。しかし、シェリーとアネットのスピードと体術に、彼はついて行けなかった。なんとかシェリーの突進は阻んだものの、シェリーの激しい蹴りや拳の攻撃を受けるのが精一杯で、アネットはやすやすと敵陣地に侵入した。
慌てた後衛の魔法使いたちが、簡単な詠唱で初級魔法のウィンドカッターやストーンバレットを放ってきたが、アネットは華麗な体術でそれらを難なく躱し、壇上に立てられた陣旗を奪い取った。
ウオオオーーッという大歓声が上がり、勝負はあっけなく終わった。
個人戦に続いて、団体戦も準決勝で力を出す前に敗れ去ったソニアは、呆然と立ち尽くしていた。
「そんな……な、何かの間違いですわ……」
そんなソニアの側を通り過ぎて控室に向かうリリアは、声を掛けようとして立ち止まったが、結局言葉が見つからずそのまま去って行った。
まだ、決勝戦が残っているのだ。今のソニアの姿は、この後の自分の姿かもしれない。リリアに油断も奢りも無かった。
そして、ついに決勝戦の時がきた。
「作戦は今まで通りよ。私ができるだけアマーノを止める。でもたぶん突破されるわ。盾のあなたたちに頼ることになる。シェリーとアネットが旗を奪い取るまで、何とか彼を止めてちょうだい」
「ああ、任せとけ。死んでも奴は通さんっ!」
「私たちも一気に旗を奪って見せるわ」
王都チームは力強く頷き合って手を重ね、オウッという気合を入れて試合場に出て行った。
両チームが50mの間隔を取って向かい合う。陣地にはそれぞれの校旗が翻る。会場の熱気と歓声は頂点に達していた。
審判の合図の声に、一瞬場内が静まり返る。
その声と同時に王都校からは3人の女子生徒が、ボース校からもタクヤと男女2人の生徒が一気に加速して走り出す。
リリアが先制のウィンドカッターを放つと、「させませんよ」と言いながら、タクヤが無詠唱の中級風魔法ウィンドボムを放つ。リリアの風の刃はタクヤの風の弾丸に打ち消され、さらにリリアと後方の2人は、残りの風の弾丸を避けるために前進を止める。
その隙を狙って、ボース校の2人がシェリーとアネットを打ち倒そうと木剣を構えて突進していく。
だが、それが間違いだった。2人がシェリーたちにかまわず迂回して王都校の陣地に殺到していたら、勝負は早々と決したかもしれない。
「ここで脱落してもらう」
ボース校の2人の木剣が、シェリーとアネットの頭部を狙って振り下ろされる。
ガンッという鈍い音が響き渡り、誰もがシェリーたちが倒れる姿を想像した。
「なっ!」
ボース校の2人は木剣を弾かれて、後方にのけぞり驚きの声を上げた。
「防御結界?」
確かに頭部を直撃したはずなのに、どちらの少女も平気な顔で、それぞれの相手に向かって来たのである。
「直接頭部へ攻撃とはいただけないわね。ルール違反じゃない?」
アネットはそう言いながら、ひるんだ男子生徒の懐へ飛び込んで拳を突き出した。それは的確に相手の鳩尾を捉え、
「うぐうぅっ」
男子生徒はうめき声を上げてその場にうずくまった。
一方のシェリーも、女子生徒の首筋に手刀を叩きこんで意識を刈り取っていた。
「あらら……これはまずい状況になったね」
リリアの木剣の攻撃を杖で適当にさばきながら、タクトはあまり危機感が感じられない表情でそう言うと、目の前のリリアを見つめた。
「っ!……あ、あ……」
その瞬間、リリアがふらふらと体をよろめかせ、地面に倒れたのである。
「麻痺系の闇魔法か?」
タクトをVOMPで見ていたルートが、驚愕した表情でつぶやいた。タクトがリリアを見つめた瞬間、彼の目から細い魔力が放出され、リリアの目に入っていくのが見えた。
(驚くべき魔力操作だな……しかも、あらゆる魔法に精通しているようだ……彼はいったい何者なんだろう?)
試合は結局、王都校がギリギリのところで優勝という結果に終わった。タクトが必死にシェリーとアネットを迎撃しようと奮闘したが、2人は体術を駆使して回避し続け、一瞬の隙を見つけてアネットが旗を奪い取ったのである。
会場は興奮に包まれ、熱戦を繰り広げた両校チームに惜しみない拍手と歓声が贈られた。結局、個人戦も団体戦も王都校が優勝し、魔法学科対抗競技会は王都校の総合優勝で幕を閉じた。
表彰式終了後、歓喜と興奮に大騒ぎの王都校の控室で生徒にもみくちゃにされていたルートのもとへ、事務員のカリーナ・バロールが呼びに来た。
「ブロワー教授、所長がお呼びです」
「リーフベル先生が? 分かりました、すぐ行きます」
ルートは生徒たちの輪の中から抜け出して、所長室へ向かった。
「ブロワーです。お呼びと聞いて参りました」
「ああ、ルートか、入れ」
ルートがドアを開けて入ると、そこにはリーフベル所長の他に、マリウス第一王子、ガルニア侯爵、ダルビス子爵(王都第二子女養成所所長)ともう一人、初めて見る初老の貴族が座っていた。
学園祭は踊る 6
「いやあ、今年はわが校が総合優勝だと自負しておったのだがなあ……やはりというか、ブロワーにしてやられたわい」
ガルニア侯爵が開口一番、緊張して挨拶をしたルートに向かってそう言った。
「侯爵、まあ、気持ちはわかるが、いきなり毒づくのはルートが可哀そうじゃ。ルート、わしの横に座れ」
リーフベルの言葉に一同が苦笑し、なんとなく空気が和んだようだった。
「あはは……ブロワー教授、すまないね。大叔父は昔からこの対抗戦に情熱を傾けていてね。今回は特に気合が入っていたんだよ」
マリウス第一王子の言葉に、ルートはようやく落ち着きを取り戻して微笑しながら頷いた。
「はい、確かにソニア・ローランは素晴らしい才能の持ち主ですから……」
「ふむ、だが、結果として個人でも、団体でも決勝にさえ進めなかった。その原因をお前はどう分析する?」
ガルニア侯爵がまだ憤懣やるかたない様子でルートに質問した。
「はい……ええっと、お答えする前に、この集まりはどういった趣旨のものか、お尋ねしてもよろしいですか?」
ルートが周囲を見回した後、リーフベルに問い掛けた。
「ああ、そうじゃな。まあ、毎年のことだが、対抗戦の後、各学校の管理責任者が集まって、こうして総評を行うのじゃ。対抗戦のルールの見直しや反省も踏まえて、今後の教育に生かす成果を確認する、といったところじゃな」
リーフベルの答えにルートは頷いた後、初めて見る貴族の方に目を向けた。
「なるほど……では、そちらのお方はボース校の管理責任者ということでよろしいですか?」
ルートの問いに、その初老の貴族は姿勢を正して軽く会釈した。
「失礼、自己紹介が遅れましたな。私は、ボース辺境伯にお仕えしているエーリク・ファングラウです。ボース校の管理責任者は伯爵様ですが、今回は所用でどうしてもおいでになる事ができなかったので、私が代理で参りました。一応、ボース校の所長を承っております」
「ファングラウ男爵は、元宮廷魔導士団の部隊長を務めたほどの人物でな。ルート、お前ともぜひ話をしたいと言っておったのじゃ」
リーフベルの言葉に、ファングラウ男爵は深く頷いてこう付け加えた。
「はい。できれば明日、あなたの研究発表の後、少しお時間をいただければ、と……」
「あ、はい、構いませんが……」
ルートの返事に男爵は嬉し気に頷いた。
「よし、では話の続きといこう。ブロワー、さっきの問いに答えよ」
ガルニア侯爵が、体を乗り出すようにしてルートの迫った。
その後、お茶やお菓子が運ばれてきて、歓談(と言うにはかなり熱を帯びていたが)の形で、競技会の成果や反省が話し合われた。
ルートとしては、ファングラウ男爵からタクヤについての詳しい話が聞けるかと期待していたが、リリアから聞いた以上のことは男爵の口から語られることはなかった。どうやら、ボース辺境伯から、情報制限の命令が出されているようにルートは感じた。
「……あれほどの逸材だ。その保護者という魔導士も、相当の力を持った高名な魔導士であろうな?」
ガルニア候の問いに、ファングラウ男爵は困ったような顔で首を振りながら、
「それが……まったく素性も生い立ちも不明でして……ただ、伯爵様は先代の領主様からその方については引継ぎがあったらしく、とにかく丁重に扱うようにと私共にも通達されております。それ以上のことは分かりません」
リーフベルはその話を聞きながら、何か思案顔でテーブルに目を落としていたが、話が途切れた所で顔を上げた。
「よし、では、今回の話し合いはここまでとしよう。学園祭も最終日を残すだけじゃ。あと一日、どうかよろしく協力をお願いする」
「うむ、最後の打ち上げ会を楽しみに、お互い頑張ろうではないか」
「大叔父殿、昨年のように酔い潰れてもらっては困りますよ」
「あ、いや、あれは初優勝で嬉しくてだな……」
「はいはい。では、今年はやけ酒にならないようにお願いします」
「ぬうう……マリウス、お前母親に似てきたな」
一同の笑い声の中で会は終了し、相前後して出席者たちが部屋を出て行く。
「ルート、ちょっといいか?」
最期に部屋を出て行く際に挨拶をしようとしたルートは、リーフベルに呼び止められた。
ルートは「はい」と返事をしつつ、校長が少し浮かない表情をしているのを訝しく思いながらソファに座り直した。
「……例の少年のことじゃが……」
おもむろにリーフベル校長が口を開いた。
「タクト・アマーノのことですね?」
「うむ。おぬしも気づいたと思うが、辺境伯は彼についての情報をかなり厳しく統制しておるようじゃ」
ルートは頷きながら、何か校長が気にしていることを察した。
「そうみたいですね……先生は何か気になる事があるのですか?」
リーフベルはすぐには答えず、テーブルの上に立ち上がると窓の方へ目を向けた。
「……今の所、あの少年が、アラン・ドラトのような存在になるとは思っておらぬ。じゃが、彼の保護者というのが、いささか心当たりがあってな。もし、わしの推測が当たっておるのなら、今後どういう存在になるのか、気になる所ではある」
ルートは驚いて、その保護者とはどんな人物か尋ねようとしたが、その前に、リーフベルがルートの方に向き直ってこう言った。
「ルートよ、おぬしはあの少年をどのように感じた?」
そう問われて、ルートは、この場が自分の秘密を知っているリーフベルと2人だけである状況から、思い切って自分の推理を打ち明けることにした。
「僕は、彼が僕と同じ転生者ではないかと思っています……」
ルートの答えに、リーフベルはまるで飛び掛かるようにルートの目の前に移動して座り込んだ。
「うむ、その根拠は?」
校長の迫力に気圧されて思わずのけぞったルートは、頭を搔きながら答えた。
「ええっと、先ずは彼の名前です。タクト・アマーノ、僕が転生する前に住んでいた世界では、姓が先で名前が後になるのですが、それで言い換えるとアマーノ・タクト。アマーノはアマノと考えれば、アマノ・タクトとなり、これは前世の世界では明らかに僕と同じ国の人間の名前になります。後は、やはりあの魔法の能力ですね。あれは、間違いなく神の特別な加護を受けたもので間違いないでしょう」
リーフベルは自分の推理と同じだったのか、会心の笑みを浮かべてルートの膝の上に飛び乗った。
「せ、先生?」
「何じゃ? わしの体は軽いじゃろう?」
「はあ、いや、でも……」
「まあ、わしとおぬしの仲じゃ、気にするな。しかし、やはり転生者であったか。そうなると、保護者というのは『かの者』で間違いないであろう……」
リーフベルはルートの膝の上にこちら向きに座って、顎に手をやった。
「僕のはあくまで推測ですよ。確かな根拠はありません」
「いや、わしもあの魔法の力は、普通の人間ではないと考えておった。じゃが、分からぬのは、こうした公の場であの力を見せれば、当然疑われると予想はつくはずなのに、あえて隠そうとしていないことじゃ」
「確かに……そうですね」
ルートは頷いて、少し考えてからこう言った。
「誰かに存在を見せる必要があった、とか……」
「ほうほう、なるほど……その相手が『誰か』ということじゃな?」
リーフベルは、すでにその『誰か』が分かっているような目でルートを見つめながら頷いた。
「まあ、とりあえず今後の動きを注意して見ておくことにしようかのう」
「そうですね」
師弟は頷き合うと、傾き始めた太陽が照らす外の景色に目をやった。
学園祭は踊る 7
翌日、学園祭の最終日。ルートは午前中、魔法学の研究発表を行った。
グレイダルの基本法則を書き変え、新たに《グレイダル・ブロワーの合成魔法定理》を発見した天才魔導士の発表とあって、会場には各学校の教師と生徒、諸外国の大使とその関係者、そして国内の貴族や宮廷魔導士たちも詰めかけ、超満員になっていた。
ルートはボルトン、サザールの両教授たちに協力してもらいながら、グレイダル・ブロワーの合成魔法定理を発見、検証した経緯を発表した。
図表を使い、結界の中での合成実演を交えながら約1時間半の発表の最後に、ルートはこう言って発表を締めた。
「……以上が新定理についての説明となります。しかし、この定理もまたいつの日か修正される時が来ると、私は考えています。魔法の世界はそれほど深遠で奥深く、まだまだ我々が知らない新しい発見が今後も続くでしょう。今回の発表で、それに関わることができる喜びを皆さんに伝えることができたのなら望外の幸せです。ご清聴、ありがとうございました」
ルートと2人の教授が頭を下げた次の瞬間、シーンと静まり返っていた会場は爆発が起きたかと思われるほどの拍手と称賛の嵐に包まれた。
びっくりした3人は何度も頭を下げながら、舞台のそでに引き上げたが、拍手はいつまでも鳴りやむことはなかった。
「ほれ、何をしておる。皆待っておるぞ。もう一度壇上に出て、質問など受けるがよい」
舞台のそでで満足そうに眺めていたリーフベル所長が、戸惑う3人にそう言って背中を押した。
そこで3人は仕方なく再びステージに戻り、一段と高くなった拍手に頭を下げた。
「えー、皆さん……」
演壇に戻ったルートが手を上げて呼びかけると、観客はようやく座って静かになった。
「身に余る拍手をありがとうございます。そのお礼になるかは分かりませんが、この場で答えられるような質問があればお受けいたします。たくさんは無理ですが、1つや2つほどなら、時間も許してくれるでしょう……何かありますか?」
ルートの問いに会場はざわめきに包まれた。下手な質問をして恥をかくのを恐れたのか、なかなか手が上がらない、と思っていると、前の方の席に座ったボース校の教師と生徒の塊の中から手が上がった。見れば、タクト・アマーノが目を輝かせて手を上げていた。
「はい、ボース校のアマーノ君ですね。どうぞ」
ルートは、タクトが手を上げたことを訝しむ反面、どんな質問をするのか期待しながら指名した。
タクトはにこにこしながら立ち上がると、一礼して口を開いた。
「質問の機会を与えていただき感謝いたします。教授の発表を大変興味深く拝聴させていただきました。さっそく質問ですが、先ほどお示しになった属性表で隣り合った属性は合成に膨大な魔力が必要になるわけですが、それだけの魔力があれば合成は可能と考えてよいのでしょうか?
火 光
↗ ↘
水 風 ⇅
↖ ↙
土 闇
それと、光と闇は他の4属性から切り離されていますが、この2つの属性と他の4属性との合成は可能だとお考えですか?」
さすがに鋭い所を質問してくる。ルートは感心しながら思わず笑みをこぼした。
「はい、ではお答えします。先ず1つ目の質問ですが、答えはイエスです。というか、実際に我々は無意識のうちに合成していると考えています。
例えば、ファイヤーボールですが、これを目的の位置まで飛ばすのに、恐らく風魔法と無属性魔法を同時に使っている。これは詳しく魔力の分析をしないと証明できませんが(僕は《解析》ですでに証明しているけど)、まず間違いないと思います。同様にアイスウォール系の魔法は水属性と土属性と無属性の合成魔法だと考えられます。ただし、火属性と水属性の合成は、水蒸気爆発を起こすので非常に危険ですから、絶対やらないでください。もちろん、合成するだけの魔力とそれを閉じ込める魔力調整、閉じ込めるための丈夫な結界作成を同時にできないといけませんので、よほどの腕がないと無理ですが……」
「つまり、先生はその実験に成功された、と?」
タクトの質問に、ルートは微笑んだだけで答えなかった。それはイエスという無言の答えだと誰にでも理解できたのだが……。
「……2つ目の質問ですが、これについてはまだ私も推論の域を出ません。だからあくまでも1つの考えだと思って聞いてください。
私は、光と闇は魔法の根本に関わる《力のあり方》ではないかと思っています。少々難しいですが、例を使って説明します。
この世界のすべての物質が、小さな粒子で作られているとします(実際そうなのだが)。小さな粒子ですから、力が加わると動きます。逆に動かないように力を加えると固まります。そこで、水を思い浮かべてください。水に熱という力を加えると激しく動き回り、ついにはバラバラになって空気中に飛んで行ってしまう、これが蒸発です。逆に動かないようにする力、つまり冷やすと、やがて固まって氷になります。
光と闇は、この《動かす力と動かさない力の元になる力》だと考えれば、4属性は、この光と闇の力が物質を通して表れたもの、それによって姿を変えたもの、と見ることができる。
火と風の属性は光の力が強く表れた属性、土と水の属性は闇の力が強く表れた属性、と、ここまでは推理したのですが、同じ力の方向同士の合成がうまくいかないのはなぜか、というところは、まだ謎です。また、合成魔法に無属性が関わっているのは確かなのですが、それがどのように関わっているのか、これもまだ検証できていません。
以上が、今の所私に答えられる限界です。抽象的な話で答えになっていませんが、これで許してください」
ルートは話を終えると、いつしかシーンと静まり返っていた場内の雰囲気に戸惑って、辺りを見回した。
観客は、まるでこの世のものではないものを見たかのように、呆気に取られている状態だった。が、次の瞬間、
パチパチパチパチ……
タクトが立ち上がって拍手を始めると、ワアァッという歓声とともに嵐のような拍手が巻き起こった。観客が次々に立ち上がって拍手と歓声を贈り始めたのだった。
♢♢♢
最終日の午後は、文字通り学園中を会場にした大宴会となる。学園が用意した大量の食材や料理、そして酒がふるまわれ、生徒も大人も関係ない大交流会になるのだ。
その準備に大騒ぎの中心部から離れた、来客用の部屋で、ルートはエーリク・ファングラウ男爵と対面していた。
「お時間をいただき感謝します」
「いいえ、僕もお聞きしたいことがありましたので……どうぞ」
ルートは男爵に座るように促してから、彼の対面に腰を下ろした。
「それで、お話とは?」
男爵は小さく頷くと、やや目を伏せて手を前に組んだ。
「……わが校の生徒、タクト・アマーノのことです。もう、お気づきとは思いますが、彼は特別な生徒でして……」
「ええ、リーフベル先生とも話をしました。僕がお聞きしたかったのも彼のことです」
ルートの言葉に頷いて、男爵はルートに目を向けた。そして、タクト少年が入学してからの言動についていくつかのエピソードを語った。
彼は入学した時点で、すでにあらゆる魔法に通じており、あらゆる知識に精通していた。だから、授業は彼については無意味に近く、実技訓練も必要なかった。だとすれば、彼はなぜ子女養成所に入学したのか、という疑問が当然出てくる。それに対して、彼ははっきりと学長である男爵に告げた。それは……
『……僕は王都校のルート・ブロワー先生に認められる魔導士になりたいのです。できれば先生の弟子にしてもらいたいと思っています。ただ、王都校に直接入学すると不信感を持たれてしまいますから、まずはここで認められるような実績を積んで、先生に弟子入りをお願いしに行こうと思っています』
「……ということです」
ファングラウ男爵は、苦笑しながらそう語り終えた。
「なるほど……そういうことなら、私としては頑張れと言うしかありませんね。ところで、彼の保護者というのはどんな人かご存じですか?」
「いいえ、それが、そのことについては伯爵様から詮索しないようにと厳命されておりまして、伯爵様と一部の人間しか知らない状況です」
男爵の様子から見てウソはついていないとルートは判断した。
「分かりました。それで、男爵様のお話はこれで終わりですか?」
「いいえ、もう一つだけ……これは伯爵様から必ず教授にお伝えしろと……」
男爵はそう言うと、姿勢を正して主からの言伝を付け加えた。
「どうか必要以上にアマーノを警戒しないで欲しいと。そして、できれば彼からの接触にはできるだけ便宜を図ってほしいとも」
ルートは少し考えてから、男爵にそのどこまでも人の心を見通すような鋭いまなざしを向けて言った。
「理由も明かさず、一方的にこちらが便宜を図れと? それは無理というものですね。お帰りになったら辺境伯様にお伝えしてください。今のお言葉で、私は今後最大級の警戒をするつもりである、と。では、これで」
「あ、あ……ま、待ってください……ひっ!」
男爵は慌ててルートを引き止めようとしたが、背を向けたルートはちらりと男爵を振り返った。その目や全身から発するすさまじい魔力に、思わずソファにへたりこんだ男爵は、それ以上言葉を発することができなかった。
学園祭は夜を迎えて、いよいよに騒がしさを増していた。学内の3か所に大きなたき火がたかれ、生徒たちや一般の大人たちが食べて飲んで踊って、最後の交流を楽しんでいた。
一方、集会所では来賓や貴族のための立食パーティーが開かれ、ダンスの曲も流れていた。
ルートたちはホスト役だったので、裏方の仕事や賓客のもてなしに休む暇もなく動き回っていた。そのため、タクト本人に接触する機会がなかった。
翌日、まだ祭りの余韻が残る学園から、各校の生徒と引率教諭たちが次々と帰路についていた。あちこちで別れを惜しむ生徒たちの姿が見られた。
ルートたち王都の職員もリーフベル所長とともに正門のところまで見送りに出ていた。
「おはよう、アマーノ君……」
他校生と別れを惜しむ仲間たちから離れて、荷物用の馬車に自分の荷物を運び込んだタクトは、不意に横から声を掛けられて振り向いた。
「あ、おはようございます、ブロワー先生」
タクトは年相応の無邪気な驚きの表情を浮かべて、頭を下げた。
ルートは彼にしか話が聞こえないくらいに近づいて、手を差し出した。
「今回は君に会えてよかったよ」
タクトは一瞬戸惑ったような表情で、差し出された手を見つめたが、やがてその顔に大人びた複雑な微笑を浮かべながら握手を受けた。
「ファングラウ所長が余計なことを言ったようですね。あはは……」
タクトそう言って手を引くと、困ったように頭をかきながらルートを見上げた。
「ブロワー先生、僕はあなたの敵ではありませんよ。まあ、味方と言うと微妙かな。でも、決して余計な心配はしなくて大丈夫です。いずれ、すべてをお話しするときがくると思います。それまで、僕は先生のような魔導士を目指していろいろなことに頑張ります」
「そうか……分かった。いつでも遊びに来たら歓迎するよ。君はお菓子とか好きか?」
「はいっ、大好きです。でも、いつも師匠に怒られるんですよ、糖分の摂り過ぎはダメだって……」
「あはは……確かにお師匠様の言う通りだな。でも、これくらいならいいだろう、旅の途中で食べてくれ」
ルートはそう言うと、ポーチから紙袋を取り出し、タクトに渡した。
「おお、何気に収納魔法付きのポーチですか。僕もバッグは持っていますが、ポーチも欲しいな……ん? おお、ドーナツだあ、やったあ! ありがとうございます」
無邪気な表情で歓声を上げるタクトに微笑みながら、ルートは手を上げて別れを告げた。
タクトも手を振りながら、何度も頭を下げた。
(結局、彼と背後の人物やその目的については分からなかったけど、どうも神様たちが一枚絡んでいるような気はするな……まあ、たとえそうでも、障害になって立ち塞がるつもりなら、戦うまでだ……)
去って行く馬車をにこやかに見送りながら、ルートは心の中でつぶやいた。
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