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1巻

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 その日、ルートは暗くなってから家に帰りついた。
 すでにミーシャは仕事に出たあとで、テーブルにはベーコンエッグのサンドイッチと小さなトマトが皿の上に載せられて置いてあった。ルートは夕食をすませると、勉強をしながらミーシャの帰りを待った。いつもは先に寝ているのだが、この日は彼女に伝えなければならないことがあった。それはボーグの工房での下働きをやめるということである。月に小銀貨五枚というわずかな賃金だが、それでもルートの稼ぎは貧しい家計の手助けになっていた。それが明日からはなくなるということを、ミーシャに報告しておかなければならないと思ったのだ。
 ミーシャが帰ってきたのは、日付が変わって一時間ほど経ってからだった。

「ルート……ルートったら、こんなところで寝てたら風邪引くわよ」
「あ……母さん、お帰り」

 本を広げたまま、ついうたた寝をしていたルートは、目を擦りながら起き上がる。

「ほら、ちゃんと立って……寝室に連れていってあげるわ」
「ああ、大丈夫だよ……母さんに話しておかなければならないことがあるんだ」
「私に?」

 ルートは頷いて、ボーグの工房であったことを全て打ち明け、餞別せんべつだと言って渡された銀貨三枚が入った布袋をテーブルの上に置いた。

(母さんはがっかりするだろうな……学校なんて、入学金や授業料が払えるわけないし)

 ルートはふと、前世で少しでも家計の負担を減らそうと、公立高校を選んだことを思い出していた。しかし、ミーシャはがっかりするどころか、話を聞いたあとにこやかに微笑んだ。

「まあ、そうだったの……ふふ……分かったわ」

 ミーシャは意外にもあっさりとその話を受け入れ、ルートの頭を優しく撫でた。そして、なにか決意したような顔で、可愛い息子の顔を覗き込んだ。

「ルート、あなた学校に行きなさい」
「えっ? で、でも、学校に行くにはお金がたくさんいるって、親方が……」
「うん……それは母さんがなんとかする、心配しないで。ここから一番近いのは二つ隣のガルニアの街にある王立学校だけど、確か十二歳から入学できるらしいわ。入学金が三十万ベニーで、授業料が年間十二万ベニー……まあ、なんとかなるわよ」
「か、母さん、どうしてそんなに詳しいの?」

 ボーグから、おおよその学費のことは聞いていたルートは、母がその額を正確に知っていたことに驚いた。

「ふふ……あなたの『技能降授』の儀があってから、お客の中で学校を出たっていう人から色々聞き出していたのよ。いつか、あなたが学校に行きたいって言い出すんじゃないかと思ってね。予定よりだいぶ早かったけど。ふふふ……」

 ルートはミーシャの気持ちをありがたいと思う一方、不安も大きかった。
 しばらく下を向いてじっと考え込んでいたが、やがて顔を上げてミーシャを見つめた。

「ありがとう、母さん。僕、学校に行けるように勉強頑張るよ。学校に行って、この世界のことをもっと知りたいんだ。それでね、学費のことだけど……自分の力でなんとかしたいと思う」

 ミーシャは呆気にとられて、真剣な顔のルートを見つめた。

「な、なに言ってるの? 自分の力でって……あなたはまだ十歳なのよ、どうやって……」
「あのね、僕、冒険者ギルドに登録しようと思うんだ。親方がね、手っ取り早く稼ぐなら、冒険者が一番だって……十歳から登録できるんだよ」

 この世界は階級社会だ。一般民衆つまり平民は、貴族の搾取さくしゅの対象でしかない。特に弱い立場に置かれているのは老人や子供たちだ。子供たちは生きるために幼い頃から労働力として扱われる。
 冒険者ギルドも、貧しい民衆の救済策の一環として十歳からの登録を認めている。つまりは平民があまりに貧しくなり、簡単に死んでしまうと税収が入らなくて困るので幼いうちから働かせてしまおう、というわけだ。当然、子供たちができる仕事は、命の危険がない街の雑用や、近くで採れる薬草の採取などに限られている。
 ルートから冒険者になるという決意を聞いたミーシャは、当然のごとく反対した。最愛の息子が、危険にさらされるような仕事を自ら行うのは心配でたまらなかったのだ。
 だが、ルートの意志は固かった。

「母さん、僕は母さんが心配なんだ。僕のために、母さんが無理をして体を壊したりしたら、学校になんて行っていられないよ。それに……アリーシャみたいになってほしくないんだ……」

 息子の言葉に、ミーシャはなにも言うことができなかった。
 アリーシャは、没落した下級貴族の娘で、借金の返済のために奴隷として売られ、娼館に買われて娼婦になった。自分の身の上に絶望していたまだ若い彼女を、ミーシャは妹のように可愛がっていた。しかし、結局、彼女の心を救うことはできなかった。彼女は男に騙されて違法な魔法薬を飲まされ、常習者になってしまい、ついには精神を病んで、ある日、二階の自分の部屋の窓から身を投げて、首の骨を折って死んでしまった。四年前のことだ。
 ミーシャたち娼婦は、いわゆる裏世界の男たちと接触してしまうことがある。よからぬ男に騙されて情婦になり、暴力で金を貢がされる者もいれば、違法な魔法薬の売買の仲介役になったり、中毒になり、稼いだ金をほとんど魔法薬を買うために使ってしまったりする者もいた。
 娼婦である限り、常にそんな危険と隣り合わせなのだ。

「……ルート……」
「あと二年あるから、僕、頑張ってお金を貯めるよ。だから、母さんは絶対無理はしないで。約束して」
「うん……分かったわ、約束する」

 ルートはミーシャの言葉ににっこり微笑んで、立ち上がった。

「じゃあ、早速明日ギルドに行ってくるよ。おやすみなさい」
「おやすみ、ルート」

 ルートがドアの外へ出ていくのを見送ったミーシャは、ふうっとため息を吐いて椅子に座り込んだ。そして、思わず小さな笑い声を漏らすのだった。

(ほんとに、誰に似たのかしら……できすぎた息子を持つと、未来に希望を持っちゃいそうだわ……ふふ……)


 次の日、ルートは久しぶりに朝寝坊した。といっても、ちょうど教会の鐘が五つ鳴り(午前九時)、街の店が商売を始めようとしている時間だった。
 まだ寝ているミーシャの代わりにお湯を沸かし、朝食のベーコンエッグを作り始める。

「ああ、卵買っておかないといけないな。ギルドに行った帰りに買ってこよう」

 鼻歌を口ずさみながら、慣れた手つきでベーコンエッグを二つ作り終えた頃、ミーシャが眠たそうな顔で起きてきた。

「おはよう、ルート……ごめんね、毎朝作らせて」
「おはよう、母さん。もう、慣れたよ。お茶、れてくれる?」
「は~い」

 久しぶりに親子で一緒に朝食を食べ、他愛もない話で笑い合う。幸せを感じる時間だ。

「じゃあ、行ってくるね。帰りに卵を買ってくるけど、他に買うものある?」
「ううん、特にないわ。たまには自分の欲しいものを買いなさい。ほら、お金」
「ああ、いいよ、親方からもらった誕生日のお金、まだ使ってないから」

 ルートはそう言うと、手を振ってドアの外へ出ていく。
 ルートが住むポルージャは、グランデル王国の南東に位置している。隣国のハウネスト聖教国との交易路が通り、交易の玄関口として商業が盛んな大きな街だった。ルートは裏街を出て、にぎやかな通りの店先を眺めながら十五分ほど歩いて冒険者ギルドの前についた。

(やっぱり緊張するな。なるべく目立たないようにしよう)

 一つ深呼吸をしてから、思い切って石段を上り、大きなドアを押す。すると、ほとんど力を入れずにドアが開いた。ギルドから出てくる冒険者のグループがいたのだ。ルートはあわてて横に移動し、彼らが出ていくのを待った。そして、最後の一人が出ていくと、素早くドアの内側に滑り込む。
 ギルドの内部は、ルートが想像していたとおりだった。あまりに想像どおりだったので、感動で思わず周囲を見回しているとルートに声がかかった。

「ねえ、君、冒険者ギルドになにか用事かな?」

 受付カウンターから聞こえてきた声に、ルートははっと我に返り、緊張しながら声のしたほうへ歩いていく。三つある受付のうち一番手前の受付にいる、赤毛のショートカットの女性が、にこやかな顔でルートを見ていた。緑に赤い縁取りの制服を着ていて、頭には帽子も被っている。

(おお、これも想像どおり。きれいな受付のお姉さん……)
「こ、こんにちは……あの……」
「ようこそ、当ギルドへ。担当のライザです。今日はどんな御用ですか?」
「あ、はい……ええっと、冒険者の登録をしにきました」

 ライザは幼いルートを見て少し驚いたように目を見開いたが、十歳になれば誰でも登録できるので、すぐに微笑んで答えた。

「そうですか。あなたの年齢は?」
「十歳です」
「分かりました。では、あなたの情報を確認いたしますので、こちらの宝玉に手を置いてください」

 ライザはカウンターに置かれた魔道具を手で示した。それは、教会にあった魔道具と同じものを一回り小さくしたようなものだった。ルートは少し背伸びして青白い宝玉に手を置いた。
 ライザがなにか操作すると、宝玉が光り始め、二十秒ほどで光が薄くなってもとに戻った。

「ええっと、ルート・ブロワー君ね。十歳で間違いなし……と……えっ?」

 ライザは次第に目を大きく見開き、あわてて周囲を見回したあと、カウンターから身を乗り出すようにして、ルートに顔を近づけた。

「ねえ、な、なんなの、これ?」
「えっ? なにって、なにがですか?」

 ライザはもう一度あたりを見回した。幸い冒険者が少ない時間帯だったので、まだ誰もこちらに注目している者はいなかった。いや、他の受付担当者たちは、なんだろうという顔でルートたちを見ていたが……
 ライザは顔を近づけて、小さな声でルートに尋ねた。

「あなた、『技能降授』は受けた?」
「あ、はい、一か月ほど前、教会で……」
「じゃあ、自分が加護持ちってことは知ってるのね?」
「ええ、知ってます。やっぱり、珍しいんですか?」
「あたりまえよ、しかも二つの加護持ちなんて!」

 つい声が大きくなり、あわててライザは口を押さえ、周囲を見回した。

「ライザ、どうかしたの?」

 隣の受付の落ち着いた感じの女性が、尋ねながら近づいてきた。

「あ、グレース先輩、いいえ、ちょっと……あの、これ見てもらえますか?」

 ライザがグレースと呼ばれた受付の女性に、表示プレートを指さして見せる。
 グレースはプレートをしばらく見つめていたが、やがて顔を上げて、まずライザに言った。

「冒険者の個人情報は極秘事項よ。絶対誰にも知られないようにしないと、ギルドの信用に関わる問題になるわ」
「は、はい、申し訳ありません」

 グレースは次にルートのほうを向いて微笑みながら尋ねた。

「冒険者登録にきたのですか?」
「は、はい、そうです」
「分かりました。では、この書類に目を通して、一番下にサインをお願いします。読み書きはできますか?」
「はい、大丈夫です」

 ルートは書類を受け取ると、色々な注意書きや禁止事項を読んでから、ペンを借りて自分の名前を書いた。

「はい、確かに受け付けました。では、登録料が二万ベニーになります」

 ルートはボーグからもらった銀貨六枚の中から、二枚取り出して手渡した。

「はい、確かにいただきました。では、冒険者カードを作りますので少々お待ちください。ライザ、あとはお願いね」
「はいっ、ありがとうございました」

 ライザは去っていく先輩のグレースに深々と頭を下げた。

「あの……なんかすみません、僕のせいで……」

 ルートが謝ると、ライザはため息を吐いて、首を振った。

「あなたのせいじゃないわ、驚いてしまってごめんなさいね。じゃあ、カードを作るわ。できるまでこれに目を通して、分からないことがあったら質問して」

 ライザは魔道具をてきぱきと操作し、小さな紙の冊子を手渡した。その冊子の中にはギルドの仕組みや、冒険者の仕事と報酬、カードの役割や使い方などが詳しく書かれていた。

(ほう、ふむふむ、なるほど……前世で読んだラノベと驚くほど一致しているな)

 そんな感想を抱いてしまうくらい、書かれている内容は難なくルートの頭に入ってきた。

「特に、最後のほうに書かれたギルド条項と領法はしっかり目を通してね。ギルドは一応独立した組織だけど、領主が決めた法に触れた場合、冒険者を保護できないことがあるわ」
「分かりました」

 ルートが冊子をめくって、内容に目を通していると、カシャッという小さな音が聞こえた。

「はい、カードができたわよ。これで登録完了です。これからあなたの担当として頑張るから、よろしくお願いしますね」
「はい、こちらこそよろしくお願いします、ライザさん」

 こうして、ルートの冒険者生活がスタートしたのだった。


 冒険者ランクはGから始まってF、E、D、C、B、Aの順に上がっていき、特別な功績を上げて、人格、識見とも優れていると認められると、Sランクが与えられる。Sランク冒険者は建国の英雄ラルフなど、歴史上でも数人しかおらず、ここ数十年は不在だった。つまり、実質Aランクが冒険者の最高位と言っても過言ではない。
 依頼の難易度によって達成したときのポイントが異なり、一定のポイントに到達するとランクが上がる。ただし、依頼の期限をすぎたり、途中で逃げ出したりして依頼を達成できなかったりすると、それまで溜めていたポイントが引かれ、悪質な場合はランクを落とされることもある。

(まあ、このあたりも前世で読んだラノベのテンプレと全く同じだ。もしかすると、こちらの世界から地球へ転生した人で作家になった人がいるのかも……)

 ルートはそんなことを考えながら、今日もギルドのGランク掲示板の前で、めぼしい依頼を探していた。だが、Gランクの依頼は、届けものやドブさらい、庭の草取り、家の修理などで、いまいちやる気になるものがなく、依頼料も安かった。
 そこでルートはこの一週間近く、もっぱら『薬草採取』にいそしんでいた。薬草に興味があったし、実は新たに自分の能力を発見したからでもある。その能力とは、木や草を集中して見ていると、その名前から属名、特徴、効能などが自然に頭に浮かんでくるのである。まるで、一枚の説明書を見ているように、はっきりと……しかも、それは木や草ばかりでなく、石ころや生物にまで及んだ。
 ルートがその能力に気づいたのは、冒険者になって二日目のことだった。びっくりして、あわててギルドカードを取り出し、「ステータス」とつぶやいて手をかざした。カードが持つ機能の一つで、魔力を流すとカードの裏面に自分の現在のステータスが浮かび上がってくるのである。


《名前》ルート・ブロワー
《種族》人族  《性別》♂  《年齢》10  《職業》冒険者


《ステータス》
 レベル:3  生命力:28  力:25  魔力:52  物理防御力:25
 魔法防御力:30  知力:90  敏捷性:25  器用さ:65


《スキル》
 真理探究Rnk3  創造魔法Rnk1  解析Rnk1


《加護》
 ティトラ神の愛し子  マーバラ神の加護


「レベルは上がっていないけど、魔力と知力が少し上がっている……そして、スキルが一つ増えているぞ。《解析》か、たぶんこれが原因だな。《真理探究》のランクが上がっているということは、《真理探究》の派生スキルということかな……つまり、これからもいくつか派生したスキルが得られるかもしれないな。うん、これは楽しみだ。真理を探究するんだから、《推理》とか《検証》とか……いや、それはスキルじゃなくてもできるか……う~ん……まあ、今考えてもしようがないか」

 ルートはうきうきした気分で薬草採取を続けた。
 実際、《解析》は便利なスキルだった。薬草がすぐ見つかるし、間違うこともなかった。さらに、希少な薬草や毒草も簡単に発見できるのだった。
 ところが、《解析》が人間にも適用できることを知って、ルートはいささかあわてた。
《解析》のスキルが発現した日、大量の薬草の束を肩に担いでギルドに戻ったあと、受付のライザのもとへ向かったときのことである。

「あら、ルート君、おかえりなさい。すごいわね、それ、一人で採ったの?」
「はい、頑張って採りました」
「偉いっ! じゃあ、ここに置いて。急いで数えるから」

 ライザはそう言うと、カウンターに置かれた薬草の束を慣れた手つきで数えながら、傍らの薬草ケースの中に十本ずつ入れていった。
 その様子を見ていたルートの頭の中に、突然説明書のような画面が浮かんできたのである。


《名前》ライザ
《種族》獣人(赤犬)族  《性別》♀  《年齢》34
《職業》冒険者ギルドポルージャ支部職員


《ステータス》
 レベル:35  生命力:336  力:126  魔力:85  物理防御力:157
 魔法防御力:106  知力:118  敏捷性:188  器用さ:98


《スキル》
 体術Rnk5  剣術Rnk3  ダッシュRnk3  忍び足Rnk3


 ※Dランク冒険者チーム『レッドウルフ』の元メンバー。
 ※魔物討伐の折、瀕死の重傷を負ったことがきっかけで、冒険者を引退し、ギルドの職員になっ た。元チームのリーダー、ケインと交際していたが、ケインに新しい恋人ができたため失恋。
  現在付き合っている相手はいない。
 ※新しく自分の担当になったルートに興味津々で、その将来にとても期待している。


「ええっと、全部でフェネル草が四十八、ブラン草が二十五、カララ草が十二、しめて二七五〇ベニーね。ん? ……なに? 私の顔になにかついてる?」
「あ、い、いいえ、なんでもありません」
「そう? ならいいけど……はい、これ報酬よ。この調子で頑張れば、すぐにFランクに上がれるわ。頑張ってね」
「はい、ありがとうございます。じゃあ、失礼します」

 にこやかに手を振るライザに頭をちょこんと下げて、ルートはギルドを出ていった。

(ふう、やばいやばい……解析で人の情報も分かるなんて……う~ん、これはすごいスキルだけど、相手を見るときは注意しないといけないな。でも、ライザさん、獣人で元冒険者だったのか……面白いスキル持ってたな……スキルから見て斥候せっこう役だったのかな? かなり脳筋の斥候だな……それに、失恋って……なんだか悪いことまで覗いちゃったな)

 悪いとは思いながら、思わず彼女についての情報を反芻はんすうするルートだった。


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