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26 心の扉は湯気に溶けて
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礼奈のアドバイスを受けて、翌日から真由香はさっそく優士郎の心の余計なバリアーを解くための努力を始めた。とは言うものの、いかんせん、優士郎と一緒にいられる時間が少なすぎた。電話やメールでは限界があるし、あまりしつこいと、逆効果になりかねない。
そこで、切羽詰まった真由香は考えた。
(もう、こうなったら、彼の両親も巻き込んじゃえ)
「まあ、まあ、真由香さん┅┅お久しぶりねえ┅┅」
優士郎の母親恵子は、玄関先に出て真由香を迎えると、思わず涙ぐんだ。
「お母様┅┅」
真由香は、謝罪の思いを込めて深く頭を下げる。
優士郎と付き合っていた頃、何度かこの家を訪れて、その度に温かくもてなされ、可愛がられた記憶がよみがえってくる。特に恵子は真由香を気に入って、将来の嫁と心に決め、皆に公言もしていた。だから、二人の突然の破局で、彼女はかなりショックを受けただろうし、ずいぶん真由香を恨んだはずだ。
約五年ぶりに、優士郎の実家を訪ねるにあたって、真由香は玄関払いを受けることも覚悟していた。
だが、実際はその逆だった。優士郎の両親は、すでに優士郎から真由香と再び付き合い始めたことを聞いていた。もちろん両親は驚いたが、同時に大喜びだったのだ。
恵子は、頭を下げる真由香を抱きしめて、涙ながらにこう言った。
「┅┅やっと、やっと帰ってきてくれた┅┅お帰り、真由ちゃん┅┅」
しばらく抱き合って泣いた二人は、ふいに玄関先であることを思い出して、今度は笑いながら家の中に入っていった。
真由香は、恵子に正直に打ち明けた。自分が正式に優士郎と結婚したいと思っていること、優士郎の考えはまだはっきりとは聞いていないこと、再び付き合い始めて一ヶ月あまりが過ぎたが、優士郎がまったく真由香に触れようともしないので、知人に相談したこと、その結果、優士郎の心の中にある三つの理由が原因と思われること、その原因を解決するため、できるだけ彼と一緒にいる時間を増やしたいこと、等々。
「┅┅そこで、お願いがあります。今日から一週間、ここにわたしを置いて下さい!」
真由香が必死の思いで頭を下げると、恵子は椅子から立って、向かい側の真由香のもとへ行き優しく肩を抱いた。
「お話はよおく分かったわ。真由ちゃん、あなたがここに泊まる必要は無いわ。娘さんもお母様も置いて、ここに来るっていうあなたの覚悟、この私が十分見せてもらいました。
ここは、優士郎に必ず言い聞かせて、あなたの家に行かせます。今後は、あなたの家から警視庁まで通わせることにします。ああ、必要なあの子の荷物は、まとめて送りますから、後で住所を教えてね┅┅それから┅┅」
真由香があっけにとられている間に、恵子はうきうきと話を進めていった。結局、その日は優士郎の父親の帰りを待って、夕食を共にし、大喜びの両親と楽しい時間を過ごした後、タクシーで自宅に帰り着いたのは、午後の十時を過ぎた頃だった。優士郎はあいにく仕事で遅くなるということで会えなかったが、真由香にとって、本当に久しぶりに家族の温かさに包まれた一日だった。
優衣の部屋を覗いて、よく眠っていることを確認した後、真由香は隣の自分の部屋に入ると、灯りも点けずそのままベッドに横になった。大きくため息を吐き、窓から差し込む微かな月の光を見つめる。
今まで三年あまりの間、ずっと張り詰めて、切れる寸前だった神経の糸が、ずいぶん緩んで柔らかくなったように感じた。すべては、真由香が思い描いていた理想の未来へ進んでいた。後は、その未来の主人公である愛しい人が、彼女の愛で幸せになってくれれば完結する。真由香は仰向けになり、もう一度切ないため息を吐いた。
ケヤキと桜の木が混ざった林の中を抜けて、黒のハイラックスが坂道を登ってくる。静寂を破る低い排気音が、やがて洋館の脇に止まると、再び辺りは静寂と鳥の声だけになる。しかし、すぐにその静寂は元気な女の子の声によって破られた。
「ママー、優おじちゃんがきたよー、ママー┅┅」
女の子はおぼつかない足で懸命に走り、両手を広げて車から降りてきた男に飛びつく。
男は女の子を抱き上げて、唇を突き出した女の子に笑いながら軽くキスをする。
「優おじちゃん、もっとちゃんとキスして。久しぶりなんだから┅┅」
「あはは┅┅いつの間にそんなこと覚えたんだ?優衣姫┅┅」
「アニメよ、アニメ┅┅まったく、変なことばっかり覚えるんだから┅┅」
女の子の後から出てきた若い母親が、男の手から娘を受け取りながら、ため息交じりに答えた。
「┅┅お疲れ様。どうぞ、中へ┅┅」
「うん┅┅楽しみにしてたんだ。君からいろいろ話は聞いていたけど┅┅」
三人は並んで館の中へ入っていく。
優士郎は母親から話を聞くと、すぐに快諾し、さっそく二日後のこの日、自分の荷物を車に積み込んで、この奥多摩へ引っ越してきたのである。ここから都心へ通うとなると、かなり時間が掛かって大変だが、真由香の幸せのためなら何の苦労でもない。
「ご感想は?」
館の中を一通り見終わって、最後に三階の屋根裏部屋から外の景色を一緒に眺めながら、真由香が尋ねた。
「ああ、大満足だ┅┅大変だったね。片付けやら手続きやら、任せっきりにして申し訳ない。
これから先は、僕をどんどん使ってくれ、何でもするから」
「ええ、大いに期待しています┅┅ふふ┅┅」
「ここ、誰のお部屋?」
「そうねえ┅┅今はまだ誰のお部屋でもないわ┅┅未来の子供たちの遊び部屋かな」
「優衣も遊ぶゥ」
「うん。弟や妹たちと仲良く遊んでやってね」
「おとや┅┅いも?」
優衣の言葉と首を傾げるしぐさに、二人は笑いながらいつしかその部屋で賑やかな声を上げて遊ぶ子供達の姿を想像していた。
その日の夜、初めて四人で食事を共にしたが、まるでずっと一緒に暮らしてきた家族のように違和感なく、和やかな空気が包んでいた。食事の後も優士郎に甘えて離れようとしない優衣を見ながら、真由香はまた一つ壁を乗り越えられたような気がした。
「優衣、おばあちゃんとお風呂に入って、お休みする時間よ」
「ええ?やだあ、もっと優おじちゃんと遊びたい」
「おじちゃんは、これからずっと一緒に暮らすんだから、遊ぶ時間はいっぱいあるよ」
「う、ん┅┅じゃあ、おじちゃんとお風呂に入る」
「えっ┅┅そ、それは、ダメっ┅┅」
「ええ?なんでぇ?」
「あはは┅┅いいよ、じゃあ、一緒に入ろうか┅┅」
優士郎はそう言うと、喜ぶ優衣を抱いて浴室へ向かおうとした。
「あ、じゃ、じゃあ、ママも一緒に入ろっかなぁ┅┅」
真由香の発言に、今度は優士郎が固まってしまった。
「わーい、ママも一緒だぁ┅┅おばあちゃんも一緒に入ろう?」
「うふふふ┅┅おばあちゃんは、入れないわ┅┅お風呂がパンクしちゃうもの。三人で一緒に楽しんでおいで┅┅」
言ってしまった手前、真由香は己の心を奮い立たせて、赤くなった顔を隠すようにしながら浴室へ向かった。しかし、優士郎は優衣を抱いたまま動けずにいた。
「おじちゃん、早く行こうよ」
「う、うん┅┅やっぱり┅┅」
「優士郎さん┅┅」
優士郎が優衣に一人で浴室に向かうように言おうとしたとき、背後から、真由香の母親が両手を胸の前で合わせて、優士郎に声をかけた。
「┅┅お願いします┅┅」
(ええっ┅┅普通止める方だろう?いいのか?┅┅)
そう思いつつ、優士郎は引きつった笑顔で応えながら、おずおずと浴室に向かった。
元の浴室は広く改装され、電化システムでいつでもお湯が使えるようになっていた。
先に浴室に入っていた真由香は、バスタオルを体に巻いて、浴槽にお湯を貯めていた。優士郎は脱衣室で優衣の服を脱がせて、先に中へ行かせた後、服を脱ぎ始めた。優衣の服を入れた脱衣かごに、自分も脱いだ服を入れようとして、ふとその先に置かれたかごが目に入った。そこには、真由香が脱いだ服がきちんとたたまれて入れられていた。思わずどきっとして、あわてて目をそらしたが、心臓は音が聞こえるほど高鳴っていた。
「ほら、優衣、じっとしてて┅┅ちゃんと洗わないとだめなんだからね」
「だってぇ、くすぐったいんだもん┅┅」
浴槽の横で、真由香は娘の体をスポンジでこすっていた。全身泡まみれになった優衣は時々体をよじりながら、泡を手でもてあそんでいた。
「あれ、優おじちゃんもタオルしてる┅┅どうして、ママもおじちゃんもタオルしてるの?」
浴室の中におずおずと入ってきた優士郎を見て、優衣が真由香に問う。
「┅┅だって、ほら┅┅さ、三人だと、交代でお風呂に入らないといけないでしょう?体が冷えて風邪引かないようにだよ┅┅ね?」
真由香は赤い顔のまま、優士郎に同意を求める。
「あ、ああ、そうそう┅┅」
「そっかぁ┅┅でも、お風呂、広いから三人でも入れるよ」
優衣の追求は無視して、真由香は少々乱暴に優衣の体にお湯をかけた。
「ほら、おじちゃんと交代してお湯に入るわよ」
真由香はそう言うと優衣を抱き上げて、湯船の中に入っっていく。
優士郎は、優衣が座っていた小さな椅子にゆっくりと腰を下ろして、シャワーのコックを回した。シャワーが勢いよくお湯を放出し、優士郎の後頭部から背中にかけてを濡らしていく。
「ごめん、スポンジ一つしか無くて┅┅」
「ん?ああ、いいよ┅┅」
優士郎は、シャワーの横のフックに掛かった濡れたスポンジを取って、ボディソープの液を染みこませる。
「優衣がおじちゃん洗ってあげる」
「えっ、ああ、い、いや、大丈夫だよ┅┅」
「洗うのぉ」
「こら、優衣、余計なことしないの!」
母親の腕から抜け出した優衣は、優士郎の手から泡立ったスポンジを強引に奪うと、悪戯っぽく笑いながら、優士郎の手や足をこすり始める。
「はい、次は背中。あっち向いて┅┅」
苦笑しながら、言われるがままに優衣に背中を向ける。
「ああん、とどかないよぉ┅┅おじちゃんの背中大きすぎる┅┅」
「あはは┅┅ありがとう、もういいよ┅┅後は自分で洗うから┅┅」
「だめだよぉ。ちゃんと、おしっこするとこも洗わないと、お風呂には入れません」
日頃、母親に言われているのだろう、優衣は大人のような口ぶりでそう言うと、いきなり優士郎が腰に巻いていたタオルを引っ張った。端を巻き込んで留めていただけのタオルは、するりと外れてしまう。前を向きかけていた優士郎の下半身は、真正面から真由香の視線を受けることになった。
二人の間で時間が止まってしまったかのようだった。真由香は口を開けたまま、大きな目をさらに大きく開いて、優士郎のものを見つめたまま固まり、優士郎はショックのあまり隠すのが遅れて、顔を引きつらせていた。
「わあ、ゾウさんのお鼻だぁ」
静まり返った浴室に、優衣の無邪気な声が響き渡った。
そこで、切羽詰まった真由香は考えた。
(もう、こうなったら、彼の両親も巻き込んじゃえ)
「まあ、まあ、真由香さん┅┅お久しぶりねえ┅┅」
優士郎の母親恵子は、玄関先に出て真由香を迎えると、思わず涙ぐんだ。
「お母様┅┅」
真由香は、謝罪の思いを込めて深く頭を下げる。
優士郎と付き合っていた頃、何度かこの家を訪れて、その度に温かくもてなされ、可愛がられた記憶がよみがえってくる。特に恵子は真由香を気に入って、将来の嫁と心に決め、皆に公言もしていた。だから、二人の突然の破局で、彼女はかなりショックを受けただろうし、ずいぶん真由香を恨んだはずだ。
約五年ぶりに、優士郎の実家を訪ねるにあたって、真由香は玄関払いを受けることも覚悟していた。
だが、実際はその逆だった。優士郎の両親は、すでに優士郎から真由香と再び付き合い始めたことを聞いていた。もちろん両親は驚いたが、同時に大喜びだったのだ。
恵子は、頭を下げる真由香を抱きしめて、涙ながらにこう言った。
「┅┅やっと、やっと帰ってきてくれた┅┅お帰り、真由ちゃん┅┅」
しばらく抱き合って泣いた二人は、ふいに玄関先であることを思い出して、今度は笑いながら家の中に入っていった。
真由香は、恵子に正直に打ち明けた。自分が正式に優士郎と結婚したいと思っていること、優士郎の考えはまだはっきりとは聞いていないこと、再び付き合い始めて一ヶ月あまりが過ぎたが、優士郎がまったく真由香に触れようともしないので、知人に相談したこと、その結果、優士郎の心の中にある三つの理由が原因と思われること、その原因を解決するため、できるだけ彼と一緒にいる時間を増やしたいこと、等々。
「┅┅そこで、お願いがあります。今日から一週間、ここにわたしを置いて下さい!」
真由香が必死の思いで頭を下げると、恵子は椅子から立って、向かい側の真由香のもとへ行き優しく肩を抱いた。
「お話はよおく分かったわ。真由ちゃん、あなたがここに泊まる必要は無いわ。娘さんもお母様も置いて、ここに来るっていうあなたの覚悟、この私が十分見せてもらいました。
ここは、優士郎に必ず言い聞かせて、あなたの家に行かせます。今後は、あなたの家から警視庁まで通わせることにします。ああ、必要なあの子の荷物は、まとめて送りますから、後で住所を教えてね┅┅それから┅┅」
真由香があっけにとられている間に、恵子はうきうきと話を進めていった。結局、その日は優士郎の父親の帰りを待って、夕食を共にし、大喜びの両親と楽しい時間を過ごした後、タクシーで自宅に帰り着いたのは、午後の十時を過ぎた頃だった。優士郎はあいにく仕事で遅くなるということで会えなかったが、真由香にとって、本当に久しぶりに家族の温かさに包まれた一日だった。
優衣の部屋を覗いて、よく眠っていることを確認した後、真由香は隣の自分の部屋に入ると、灯りも点けずそのままベッドに横になった。大きくため息を吐き、窓から差し込む微かな月の光を見つめる。
今まで三年あまりの間、ずっと張り詰めて、切れる寸前だった神経の糸が、ずいぶん緩んで柔らかくなったように感じた。すべては、真由香が思い描いていた理想の未来へ進んでいた。後は、その未来の主人公である愛しい人が、彼女の愛で幸せになってくれれば完結する。真由香は仰向けになり、もう一度切ないため息を吐いた。
ケヤキと桜の木が混ざった林の中を抜けて、黒のハイラックスが坂道を登ってくる。静寂を破る低い排気音が、やがて洋館の脇に止まると、再び辺りは静寂と鳥の声だけになる。しかし、すぐにその静寂は元気な女の子の声によって破られた。
「ママー、優おじちゃんがきたよー、ママー┅┅」
女の子はおぼつかない足で懸命に走り、両手を広げて車から降りてきた男に飛びつく。
男は女の子を抱き上げて、唇を突き出した女の子に笑いながら軽くキスをする。
「優おじちゃん、もっとちゃんとキスして。久しぶりなんだから┅┅」
「あはは┅┅いつの間にそんなこと覚えたんだ?優衣姫┅┅」
「アニメよ、アニメ┅┅まったく、変なことばっかり覚えるんだから┅┅」
女の子の後から出てきた若い母親が、男の手から娘を受け取りながら、ため息交じりに答えた。
「┅┅お疲れ様。どうぞ、中へ┅┅」
「うん┅┅楽しみにしてたんだ。君からいろいろ話は聞いていたけど┅┅」
三人は並んで館の中へ入っていく。
優士郎は母親から話を聞くと、すぐに快諾し、さっそく二日後のこの日、自分の荷物を車に積み込んで、この奥多摩へ引っ越してきたのである。ここから都心へ通うとなると、かなり時間が掛かって大変だが、真由香の幸せのためなら何の苦労でもない。
「ご感想は?」
館の中を一通り見終わって、最後に三階の屋根裏部屋から外の景色を一緒に眺めながら、真由香が尋ねた。
「ああ、大満足だ┅┅大変だったね。片付けやら手続きやら、任せっきりにして申し訳ない。
これから先は、僕をどんどん使ってくれ、何でもするから」
「ええ、大いに期待しています┅┅ふふ┅┅」
「ここ、誰のお部屋?」
「そうねえ┅┅今はまだ誰のお部屋でもないわ┅┅未来の子供たちの遊び部屋かな」
「優衣も遊ぶゥ」
「うん。弟や妹たちと仲良く遊んでやってね」
「おとや┅┅いも?」
優衣の言葉と首を傾げるしぐさに、二人は笑いながらいつしかその部屋で賑やかな声を上げて遊ぶ子供達の姿を想像していた。
その日の夜、初めて四人で食事を共にしたが、まるでずっと一緒に暮らしてきた家族のように違和感なく、和やかな空気が包んでいた。食事の後も優士郎に甘えて離れようとしない優衣を見ながら、真由香はまた一つ壁を乗り越えられたような気がした。
「優衣、おばあちゃんとお風呂に入って、お休みする時間よ」
「ええ?やだあ、もっと優おじちゃんと遊びたい」
「おじちゃんは、これからずっと一緒に暮らすんだから、遊ぶ時間はいっぱいあるよ」
「う、ん┅┅じゃあ、おじちゃんとお風呂に入る」
「えっ┅┅そ、それは、ダメっ┅┅」
「ええ?なんでぇ?」
「あはは┅┅いいよ、じゃあ、一緒に入ろうか┅┅」
優士郎はそう言うと、喜ぶ優衣を抱いて浴室へ向かおうとした。
「あ、じゃ、じゃあ、ママも一緒に入ろっかなぁ┅┅」
真由香の発言に、今度は優士郎が固まってしまった。
「わーい、ママも一緒だぁ┅┅おばあちゃんも一緒に入ろう?」
「うふふふ┅┅おばあちゃんは、入れないわ┅┅お風呂がパンクしちゃうもの。三人で一緒に楽しんでおいで┅┅」
言ってしまった手前、真由香は己の心を奮い立たせて、赤くなった顔を隠すようにしながら浴室へ向かった。しかし、優士郎は優衣を抱いたまま動けずにいた。
「おじちゃん、早く行こうよ」
「う、うん┅┅やっぱり┅┅」
「優士郎さん┅┅」
優士郎が優衣に一人で浴室に向かうように言おうとしたとき、背後から、真由香の母親が両手を胸の前で合わせて、優士郎に声をかけた。
「┅┅お願いします┅┅」
(ええっ┅┅普通止める方だろう?いいのか?┅┅)
そう思いつつ、優士郎は引きつった笑顔で応えながら、おずおずと浴室に向かった。
元の浴室は広く改装され、電化システムでいつでもお湯が使えるようになっていた。
先に浴室に入っていた真由香は、バスタオルを体に巻いて、浴槽にお湯を貯めていた。優士郎は脱衣室で優衣の服を脱がせて、先に中へ行かせた後、服を脱ぎ始めた。優衣の服を入れた脱衣かごに、自分も脱いだ服を入れようとして、ふとその先に置かれたかごが目に入った。そこには、真由香が脱いだ服がきちんとたたまれて入れられていた。思わずどきっとして、あわてて目をそらしたが、心臓は音が聞こえるほど高鳴っていた。
「ほら、優衣、じっとしてて┅┅ちゃんと洗わないとだめなんだからね」
「だってぇ、くすぐったいんだもん┅┅」
浴槽の横で、真由香は娘の体をスポンジでこすっていた。全身泡まみれになった優衣は時々体をよじりながら、泡を手でもてあそんでいた。
「あれ、優おじちゃんもタオルしてる┅┅どうして、ママもおじちゃんもタオルしてるの?」
浴室の中におずおずと入ってきた優士郎を見て、優衣が真由香に問う。
「┅┅だって、ほら┅┅さ、三人だと、交代でお風呂に入らないといけないでしょう?体が冷えて風邪引かないようにだよ┅┅ね?」
真由香は赤い顔のまま、優士郎に同意を求める。
「あ、ああ、そうそう┅┅」
「そっかぁ┅┅でも、お風呂、広いから三人でも入れるよ」
優衣の追求は無視して、真由香は少々乱暴に優衣の体にお湯をかけた。
「ほら、おじちゃんと交代してお湯に入るわよ」
真由香はそう言うと優衣を抱き上げて、湯船の中に入っっていく。
優士郎は、優衣が座っていた小さな椅子にゆっくりと腰を下ろして、シャワーのコックを回した。シャワーが勢いよくお湯を放出し、優士郎の後頭部から背中にかけてを濡らしていく。
「ごめん、スポンジ一つしか無くて┅┅」
「ん?ああ、いいよ┅┅」
優士郎は、シャワーの横のフックに掛かった濡れたスポンジを取って、ボディソープの液を染みこませる。
「優衣がおじちゃん洗ってあげる」
「えっ、ああ、い、いや、大丈夫だよ┅┅」
「洗うのぉ」
「こら、優衣、余計なことしないの!」
母親の腕から抜け出した優衣は、優士郎の手から泡立ったスポンジを強引に奪うと、悪戯っぽく笑いながら、優士郎の手や足をこすり始める。
「はい、次は背中。あっち向いて┅┅」
苦笑しながら、言われるがままに優衣に背中を向ける。
「ああん、とどかないよぉ┅┅おじちゃんの背中大きすぎる┅┅」
「あはは┅┅ありがとう、もういいよ┅┅後は自分で洗うから┅┅」
「だめだよぉ。ちゃんと、おしっこするとこも洗わないと、お風呂には入れません」
日頃、母親に言われているのだろう、優衣は大人のような口ぶりでそう言うと、いきなり優士郎が腰に巻いていたタオルを引っ張った。端を巻き込んで留めていただけのタオルは、するりと外れてしまう。前を向きかけていた優士郎の下半身は、真正面から真由香の視線を受けることになった。
二人の間で時間が止まってしまったかのようだった。真由香は口を開けたまま、大きな目をさらに大きく開いて、優士郎のものを見つめたまま固まり、優士郎はショックのあまり隠すのが遅れて、顔を引きつらせていた。
「わあ、ゾウさんのお鼻だぁ」
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