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15 礼奈参戦②

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 その日の夜、特別処理班の部屋に一人残って、優士郎は真由香からの手紙をもう一度読み返していた。
『 前略  鹿島優士郎様
 突然の手紙で、さぞや驚かれたことと思います。私自身、何をどう書けばいいか、わからないままペンを握りました。本当は、電話で直接お話をしたいとずっと思っていましたが、とうとう勇気が出なくて、手紙を書くことにしました。ロゼのマスターにも、ご迷惑をおかけすることになると思いますので、大変申し訳ない気持ちです。
 あなたはもう、私のことを忘れようとなさっていると思いますし、もうただの過ぎ去った思い出になっているかもしれません。今さら、私が会いたいと言っても、無駄な時間を費やすだけだとお考えになるでしょう。
 でも、会いたいのです。会ってお話がしたい。私の心の中をすべてあなたに聞いてもらいたい。そして、あなたの心の中も知りたい。
 時間は戻りません。すべてを壊してしまったのは私です。だから、私は一生この罪を背負って生きていきます。ただ、もう一度だけ、あなたに会って、あの頃あなたにあげられなかったわたしの心を、せめて言葉にしてあげたいと、願っています。
 大変勝手なお願いだとは承知しておりますが、もう一度だけ、あなたの優しさにすがらせていただけないでしょうか。お返事をおまちしています。                                 早々
                                             小野 真由香』


 何度読み返しても、お互いの未来が明るくなるシナリオが見えてこなかった。会うのは別にかまわない。話を聞いてやるのもいい。だが、優士郎は、悲しみや怒りを真由香にぶつけようとは思わない。それは、彼に何の救いももたらしはしないことを、知っているからだ。
 真由香も言っているように、もうあの頃には決して戻らないのだ。真由香は、自分ではない他の男を選び、結婚し、その男の子供を産んだ。その事実は決して変わらない。
 だったら、優士郎の悲しみや怒りは、彼がじっと抱えて生きていくしかないではないか。今さら、へたに真由香から優しい言葉をかけてもらっても、惨めさを感じるだけだ。

 優士郎がそこまで考え、断りの手紙を書こうとボールペンを取ったとき、入り口のドアが静かな音を立てて開いた。
「こんばんは、班長殿┅┅遅くまでご苦労様です」
「なんだ、飯田君か┅┅びっくりしたよ」

 飯田礼奈はコンビニの袋を下げて、部屋の中に入ってくる。
「まだ、家に帰らず遊び回っていたのかい?」
「ひどおい┅┅行方不明者の家族の所を回って、やっと帰ってきたところなのに┅┅」
「あっ┅┅そうか、いや、すまん┅┅ほんとに、ご苦労様でした」
 礼奈は笑いながら、コンビニの袋から、缶ビールを取り出して優士郎に差し出す。
「にひい┅┅勤務時間は終わったし、一本だけ付き合って下さい」
「おう、大歓迎さ┅┅」

 礼奈が椅子を持ってきて、優士郎の横に並んで座る。
「じゃあ、乾杯┅┅」
 二人は小さな声でそう言うと、缶ビールを軽くぶつけ合ってから、お互いに喉をならしながら一気に飲み干していった。
「ああ┅┅うまい┅┅生き返るゥ」
「うーん、最高┅┅ふふ┅┅嫌なことがあったら、飲んで忘れるのが一番ですね、班長┅┅」
「何か、嫌なことでもあったのか?」
「┅┅わたしじゃありませんよ。班長殿のことです」

 礼奈の微笑む顔を見て、優士郎は隠せないと観念した。相手は、犯罪心理学専門のプロ
だ。
「┅┅ったく┅┅犯罪心理学の対象にされたらたまったもんじゃないぞ┅┅」

 優士郎はそう前置きしてから、部下である女性隊員にこう切り出した。
「なあ、犯罪心理学って、要するに人間の深層心理を解明研究する学問だよな?」
「ええ、その通りです。対象が犯罪者というだけですから」
「じゃあさ┅┅男女の恋愛も犯罪心理学を応用すれば、解明できるのか?」

 それを聞いたとたん、礼奈の目は生き生きと輝き始めた。
「応用どころではありません。恋愛は、犯罪においても大変重要な要素となるものです。中心テーマの一つと言っても過言ではありませんよ」
「わ、わかった、わかったから、そんなにくっつくな┅┅」
今にも抱きつかんばかりだった礼奈を椅子に押し戻してから、優士郎はこう語り出した。
「┅┅これは、昔々、どこかの国の話だ。ある街に、とても仲むつまじい恋人同士がいた┅┅」

 架空の物語を装って、優士郎は自分と真由香が別れることになったいきさつを語った。
「┅┅こうして若者は、恋人を奪った男に復讐した。恋人の娘が、男の残した財産で裕福に暮らしていけることを確認し、罪の意識は少し軽くなった。この後は彼女とその娘の幸せを祈りながら生きていこうと心に決めた。ところが┅┅」
 優士郎はそこで小さなため息をつくと、しばらく下を向いて話すのをためらっていた。

「娘の方は、まだ、若者を愛していた┅┅」
 礼奈の言葉に、優士郎は顔を上げて彼女を見つめた。
「やっぱり、分かるか?よくあるパターンなのか?」
「ふふ┅┅ええ、特に小説やアニメなんかではね」
「うむ┅┅いや、実のところは、若者にもよく分からないんだ┅┅娘のそれが愛なのかどうかも┅┅とにかく娘は若者に会いたがった。でも、今さら会ってどうなるんだ、と若者は思った。もし、彼女の夫である男が、そのまま生きていたとしたら、二度と会うことさえかなわなかった二人だ。夫が都合良く死んだから、またよりを戻そうなんて、若者からすれば、ふざけるなって話だ┅┅」
 優士郎は珍しく感情をあらわにしてそう言った。

「なるほど┅┅」
 礼奈は、ビールでほんのり上気した顔をいかにも楽しげに微笑ませて、ゆっくりと立ち
上がった。
「┅┅今のお話で大事な点は、娘が男と交わした約束です┅┅」
「三年間奉仕すれば自由にしてやる、ってことか?そんなのただの口約束だろう?まともに信じる方がどうかしている┅┅それに┅┅その三年の間に、犯され、妊娠した┅┅そうなることくらい予想できたはずだ┅┅」

「はい、その点はご愁傷様と言うほかありません┅┅でも、娘は、こう思っていたんじゃないでしょうか?┅┅たとえ、体は汚されても、心は絶対に男のものにはならない。三年間、がまんすれば、晴れて自由になって、また若者と愛し合える┅┅」

 優士郎は呆れて、しばらく何も言えなかった。彼のその顔を見て、哀れに思ったのか、礼奈はこう付け足した。
「┅┅女って、そんな風に考える生き物なんですよ┅┅それに娘は、夫であった男を信用できると判断したんじゃないでしょうか。約束は守ってくれると┅┅でも、恋人である若者に別れを告げられたとき、すべては終わってしまったんです┅┅」

「いや、待て、別れを告げてなんかいないぞ」
 優士郎は思わず叫んでしまい、しまったと後悔したが遅かった。
 礼奈はにやりとほくそ笑んで、優士郎のそばに座り、優しく問うた。
「若者も、まだ、娘を愛しているんですか?」

 優士郎は苦汁を飲むような顔でうつむき、ため息をつく。
「愛していない、と言えば嘘になる┅┅生まれて初めて本気で好きになった相手だ┅┅でも、
結局、彼女の判断は、すべてを捨てて若者のもとへ行く、ではなく、母親のため、生活のために他の男の妻になる、というものだった。若者はその判断を尊重せざるを得なかった。
自分には金も、力も、彼女にすべてを捨てさせるほどの何も持っていなかったからだ┅┅」

「うーん、それはちょっと違うかなあ┅┅」
 礼奈は考え込むように手をあごの下に添えながら、横を向いた。
「娘からも話を聞かないと、何とも言えませんが┅┅すべてを捨てる価値があったからこそ、体を捨てて、三年間耐え続ける道を選んだんじゃないでしょうか?」
 
 優士郎は頭を抱えて机の上に伏した。
「┅┅いや、待て┅┅そんなこと、一言も彼女は┅┅待てよ、話したいって┅┅そのことか┅┅」
 初めて見るあこがれの上司の悩み苦しむ姿に、礼奈も胸を締め付けられるような気持ちだった。

 優士郎は、目の前の手紙を手にとって、礼奈の方へ差し出した。
「いいんですか?」
「ああ、読んでみてくれ┅┅君の推理通りかどうか、聞かせて欲しい┅┅」

 礼奈は嫉妬で痛む心を悟られないように、立ち上がって背を向けながら手紙を読み始めた。
「もう分かっているだろうが、若者は僕で、娘はその手紙を書いた小野真由香、旧姓で書いている理由も不明だが、今の名は紫門真由香だ┅┅」
「っ!┅┅紫門?┅┅じゃあ、二人を引き裂いた男って、もしかして┅┅」
「ああ、紫門龍仁┅┅紫龍だ」

 礼奈はあまりのことに、机に伏した優士郎をしばらくの間見つめていた。なんと惨たらしい運命を神は用意したのだろうか。
「┅┅鹿島さん┅┅」
 礼奈は、最近使っていなかった呼び方で優士郎に言った。
「私の推理が当たっているか、彼女に聞いてみていいですか?」

 優士郎は顔を上げて、しばらくじっと前を向いて考えていた。
「┅┅そうだな┅┅返事はその後でもいいだろう┅┅でも、仕事があるのに、いいのか?僕の個
人的な問題に、君を巻き込んでしまって┅┅」
 礼奈はにっこり微笑んで、優士郎のそばに戻ってくる。
「ふふ┅┅これも大事な仕事です。上司が悩んで、仕事も手につかない状態では、部下とし
ては困りますから┅┅」
 優士郎は苦笑しながら、礼奈に頭を下げる。

「それに┅┅私の問題でもありますから┅┅」
「えっ?┅┅それは、どういう┅┅」
「ふふふ┅┅さっそく明日にでも彼女に会ってきます。まあ、この心理学のプロに任せておいてください」
 礼奈は笑ってごまかしながら、ビールの空き缶をレジ袋に放り込む。
「ああ、すまないがお願いします。あっ、そうだ、ついでと言っちゃなんだが、これを彼女に渡してくれないか?」
 優士郎はそう言うと、引き出しから一冊のパンフレットのようなものを取り出して、礼奈に手渡した。それは少し古びたパンフレットで、表紙には中年の白人女性の写真が印刷されていた。

「『女性が生き生きと働ける社会を作る会』┅┅ああ、テレビで何度か見たことがありますよ」
「うん┅┅僕がまだ大学の頃、彼女に渡そうと思っていて、つい渡しそびれていたものだ。
僕の大学で講義をしていた先生でね。今でも、その会で頑張っておられる」
「どうして、これを?」
「彼女は┅┅真由香は女だからとか、女のくせにとか、そういうことを言われたり、態度で見せられたりするのをとても嫌がっていた。時間があったら、その先生の話を聞いてもらいたいと、ずっと思っていたんだ」

「ふふ┅┅分かりました┅┅私、真由香さんと気が合いそうです」
 飯田礼奈はそう言うと、パンフレットと空き缶の入ったレジ袋を持ってドアへ向かう。
「じゃあ、お休みなさい、班長殿」
「ああ、また明日」

 ドアが閉まって、静寂が戻ってくると、優士郎は大きく一つ息を吐いた。彼は自分のプライベートを、これまで真由香以外の人間に見せたことはなかった。ワラをもつかみたい気持ちだったとはいえ、部下の若い女の子に過去の心の傷を見せてしまったことは、自分でも意外なことだった。
 少々の後悔を感じながら、疲れと心地よい酔いから、優士郎は机に伏したまま睡魔に引き込まれていった。

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