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第二章

馬庭の天狗

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 高崎の城下町は物資の集散地として賑わい、各種の職人町、問屋町が形成され、江戸に匹敵するほどの商業の町として栄えていた。領主は寺社奉行安藤重長で、京都の抜け荷騒動のとき、郡代五味豊直が黒幕として最初に名前を挙げた人物でもある。

「おっ、刀を売っている店があるぞ」
 ダリルと副島は馬庭へと向かう途中の高崎城下の南外れで刀工の看板を見つけて立ち止まった。
「ここには武州鍛冶の流れを汲む刀鍛冶もいますし、鞘師もいますからね。実はそれがしが今使っているこの刀も、江戸にいた頃ここの飛徹という刀工に打たせた一振りなんです。有名な鍛治師なら法外な値段を取られますが、ここで一式作っても十両かからずに作れますからね。見ていきますか?」
「うむ┅┅良い刀があったら、買っていくか┅┅」

 二人は殺風景な構えの店の中に入っていった。
「いらっしゃい┅┅」
 薄暗い店の中に入ったとたん、どこからか子供のような声が聞こえてきた。二人が辺りを見回して声の主を探すと、奧の作業場へ続く通路の脇に狭い帳場があり、その片隅にまだ前髪を下ろしたままの少女がぽつんと座っていた。
「ああ┅┅ええっと、この店の娘か?」
「はい┅┅何かお求めでございますか?」
「ああ、刀をちょっと見せてもらおうと思ってな┅┅」
「それでしたら、新刀がそちらの棚に三振り置いてございます。古物でよろしければ、こちらの棚に┅┅もし、ご注文でございましたら、奧から父を呼んで参りますが┅┅」
「お、おお、そうか、いや、それにはおよばぬ。では、ちょっと見せてもらうぞ」
「はい、どうぞゆるりとご覧下さい」

 年端も行かない少女の手慣れた応対に、副島もダリルもいささかあっけにとられながら、刀を見始めた。すると、少女がロウソクに火を点けて手燭に入れ、二人の側にやって来た。
「暗くて申し訳ございません┅┅これをお使いください」
「おお、これはすまぬな┅┅娘御は幾つになられる?」
「もうすぐ十三になります」
「そうか┅┅いつもこうして店番をしているのか?」
「はい┅┅あの、では、ご用の折はお声をお掛けください」
 少女はいろいろと詮索されるのが嫌な様子で、そそくさと帳場へ戻っていった。
「嫌われたかな┅┅はは┅┅」
「ふむ┅┅君はあれくらいの娘が好みか?」
「い、いや、違いますよ。いやに大人びた娘だと思って┅┅店番は普通大人がするものでしょう?」
「ああ、そうだな┅┅たちの悪い客が来ないともかぎらんからな。だが、店番をするような大人がいないのかもしれん┅┅」
「あっ┅┅そうか┅┅母親がいないのかもしれませんね。ますます不憫だな┅┅」
 副島は新刀を見ながらつぶやいた。

一方、ダリルは中古の刀の棚を見ていた。そして、一本の刀の前に立ち止まった。それは刀身二尺八寸、細身で反りが少なく、刃文は乱れ刃、その中でも数珠刃と呼ばれる小さく丸みを帯びた波模様のものだった。
「┅┅それは、祖父の飛徹が打ったものです」
 いつの間にか少女がダリルの後ろに来ていて、そう言った。
「ヒテツ┅┅?」
「飛徹ですって?」
 副島が名前を耳にして飛んできた。
「ああ、確かにこれはそれがしの刀と同じ意匠┅┅うん、良い刀だ」
「┅┅お侍様は、祖父をご存じですか?」
「なんと┅┅祖父とな┅┅ああ、知っているとも。八年前、わしが初めて自分の刀を打ってもらった刀鍛冶だからな┅┅まだ、お元気か?」
 副島の問いに、少女は悲しげな顔でうつむき首を振った。
「祖父は二年前に亡くなりました。今は、父が後を継いでおります」
「そうだったか┅┅娘御、そなたの父は何という号を名乗っておられる?」
「はい、天翔る龍にあやかって龍徹を名乗っております」
「ほお、龍徹か、良い名だ」

 副島は飛徹の剣を手にとってじっと見つめた。
「ダリルさん、これは良い刀です。買うならこれがいい」
「うむ┅┅俺も気に入った。これを貰おう」
 ダリルも頷いて、副島から剣を受け取り、切っ先から鍔元までをなめるように眺めて満足そうに微笑んだ。
「娘御、これを頂こう。幾らになる?」
「は、はい、ええっと、しばしお待ち下さりませ。父を呼んで参ります」
 少女は初めて年相応の戸惑うしぐさを見せて、工房へ続く通路を駆けていった。

やがて、その通路の奥から、まだ若い刀鍛冶が汗を拭いながら出てきた。
「おいでなさいまし┅┅娘が失礼をいたしまして申し訳ございません」
「いやいや、立派に店番をしておいでだったぞ、二人で感心しておったところだ」
「これは思いがけないお褒めを頂きありがとうございます。お玉、ちゃんと御礼を申し上げてから、お茶を入れてきておくれ」
「はい┅┅どうもありがとうございました」
 少女は丁寧に頭を下げると、店の奥に走り去っていった。

「母親が早くに死にまして、男手で育てて参りましたのでがさつに育ちまして┅┅」
「そうか、それで店番をな┅┅だが、先ほどの言葉はお世辞ではない。娘御、お玉殿と申されたか、なかなか気が利くし、賢いお子だ。それに、刀についてもかなりの目利きと感心しておった」
「過分なお褒め、痛み入ります。外で遊びたい年頃をずっと家の中で過ごして参りましたので、人となかなかなじめず、親として我が子にすまない気持ちで┅┅おっと、これはお見苦しい愚痴をこぼしてしまいました。そちらの刀をご所望とか┅┅」
「うむ┅┅そなたの父の作だそうだな?」
「はい、それは六年前、ご領主安藤重長様がご子息重之様の元服のお祝いにと、父にお命じになって作らせられたものでした。ですが、重之様は相州の刀が良いと、重長様を説き伏せられて、代金とともに送り返してこられた品で┅┅あまり縁起が良くないので買われる方もいなかったのでございます」

 副島はその話を聞きながら、鞘に確かに安藤家の紋が彫金されているのを確かめた。
「なるほどな┅┅だが、これほどの名品はめったにない。棚の中で腐らせるのはもったいない話だ。ダリル殿、実は┅┅」
 副島はダリルに、龍徹の話を通訳した。
「へえ、そんないわく付きの刀だったのか┅┅アンドウという名は、どこかで聞いたことがあるな┅┅どこだったかな┅┅」
「あれですよ、ほら、京の都の抜け荷騒ぎ┅┅」
「ああ、そうだった┅┅ゴミが話していた黒幕の何人かの中にいたな┅┅ふふん、面白いじゃないか。そのアンドウが捨てた刀なら、逆に良い運を持っているのかもしれんぞ」
「あはは┅┅確かにそうですね。じゃあ、買うことに決めますよ?」
「うむ、金が足りないなら俺の金貨を使ってくれ」

 副島は笑いながら、龍徹に購入する旨を告げた。
「は、はい、では┅┅五両でいかがでしょうか?」
「五両?」
「あっ、い、いいえ、では、三両で┅┅」
「龍徹┅┅」
 副島は真剣な目で刀鍛冶を見つめた。龍鉄はてっきり怒られると思って身を縮め、お茶を入れて持ってきたお玉も、心配の余り泣きそうな顔でその場を見つめていた。
「┅┅これほどの剣に五両は失礼というものだぞ」
「へっ┅┅?」
 副島はダリルと何やら話をしてから、改めて龍徹に言った。
「十両と言いたいところだが、こちらの懐具合もあるでな。どうじゃ、鞘を作り直すということで、十両きっかりというのは?」
「そ、そんなにはいただけません、鞘はもちろんお作りいたします。では、七両ということで┅┅」
「そうか、では十両払おう。これは、飛徹殿への供養代も含めておる。それがしのこの刀は八年前、飛徹殿に打ってもらったものだ。未だに刃こぼれ一つない。そなたが、飛徹を越える鍛冶師になるのを楽しみにしておるぞ」

 副島はそう言って、路銀袋から小判を十枚取り出して渡した。龍徹はそれを両手で押し頂いて頭を下げた。
「このご厚情に報いるため、これからも心魂を傾けて精進することをお約束いたします」
 龍徹はそう言った後、二人を帳場へいざない、お玉が入れた茶をふるまった。
「┅┅そうですか、剣術の御修行のために全国を┅┅それでは、これから江戸へ向かわれるのでございますか?」
「うむ┅┅だが、その前にこの地で流行っておる馬庭念流というものを見たいと思ってな、馬庭へ向かっていたところだった」

 馬庭と聞いて、お玉の表情が変化したのをダリルは見逃さなかった。
「なるほど┅┅今この高崎はもちろん、上州一帯で馬庭念流の道場が増えております。ただ、お侍様ばかりでなく、遊び人や百姓の息子たちまで門下に入っておりまして┅┅城下を我が物顔でのし歩き、乱暴狼藉を働く者も多くおります。お役人様方も、数の多さに恐れをなして見て見ぬふりですので、なおのこと増長して┅┅」
「でも、新三郎さんは、とっても強くて優しいよ」
「新三郎?」
 お玉は必死な顔でこくりと頷いた。
「ああ、馬庭念流宗家樋口家の三男坊です。死んだ女房が馬庭の隣の吉井村の出でして、この子は三年前までそこで女房と暮らしていたんです。その頃ひょんなことから知り合いになったらしく、今でも時々墓参りに行ったついでに馬庭の道場に行って遊んでいるようなのです」
「ははあ┅┅お玉ちゃんの思い人ってことか?」
 副島のからかいに、お玉は真っ赤になってうつむいた。どうやら図星だったらしい。だが、父親の龍徹はため息を吐いて首を振った。
「いくら仲が良くても、職人の娘が武家の嫁になれるはずもありません。何度も口を酸っぱくして言い聞かせているんですが┅┅」
「まあ、それは聞けという方が無理だな┅┅あはは┅┅後はその新三郎という若者の心次第だ。
家柄や身分にとらわれず、惚れた娘を幸せに出来るかどうか┅┅」

 副島がそこまで言ったとき、横からダリルが彼の脇腹を突いた。
「だいたいの話の中身は分かった。どうだ、これからマニワに行くなら、我々でその少年の気持ちを訊いてやろうじゃないか」
「ああ、なるほど┅┅それでその若者が意気地の無い奴だったら、懲らしめてやろうというわけですか?」
「そういうことだ」
 副島は、ダリルが老婆心を抱くほどお玉を気に入ったらしいことを微笑ましく感じて思わず笑いそうになりながら頷いた。
「では、龍徹、お玉、世話になったな。我らは今から馬庭に行ってくる。鞘が出来るまでしばらくはこの地に滞在するつもりだ。また寄らせてもらうぞ」
「はい、いつでもおいでをお待ちしております」

 龍徹とお玉の父娘は、店先まで出て何度も頭を下げながら二人を見送った。
「ふむ┅┅日の下で見ると色白でなかなか可愛い娘だな┅┅」
 ダリルが何度目か振り返って手を振った後、ぽつりとつぶやいた。
「確かに、ダリルさん好みの目がぱっちりしていて鼻筋の通った顔立ちですね。どこか、雪乃殿にも似ているような┅┅」
「こいつ┅┅その減らず口をいつか黙らせてやるからな」
「あはは┅┅別にからかっているんじゃありませんよ。興味があるんです。ダリルさんが何を以て良い女の条件としているか┅┅顔立ちは共通点が見つかりましたが、気立ての方は┅┅んん┅┅まだよく分かりませんね」
「君が知る必要などない」
「そんなつれないこと言わないで下さいよ┅┅」
「うるさい、勝手に想像していろ」
 二人はそんな言い合いを続けながら、高崎の城下を出て山際の道をしばらく南に下り、右に曲がって谷間の道を奥へ進んでいった。その辺りは、川沿いにわずかな田畑があるばかりで、あとは山林ばかりの田舎だった。だが、進んでいくうちに辺りが開けてきて、人家も所々に見えるようになった。
「ああ、ちと道を尋ねるが、馬庭の村へはこの道でいいのか?」
 副島はさすがに心細くなって、道の脇で畑仕事をしていた農夫に声を掛けた。
「へい、この先が馬庭ですよ。お侍様方もこれかね?」
 農夫はそう言いながら、両手で木刀を振るしぐさをした。
「ああ、まあな」
「気いつけんさいよ、馬庭にゃ大天狗が飛んでいなさるからのう」
「大天狗?何だそりゃ┅┅」
「へへ┅┅行って見なさればわかりますよ┅┅」
 二人は農夫の謎の言葉に首をひねりながら、西に傾いた太陽の方向へ進んでいった。
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