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第一章

剣流談話

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「そもそも我が国の剣術は、神事と深く関わっている。今に残る流派の中で最も古いと言われている鹿島神流は、祭神であるタケミカヅチノミコトが魔を切り払った時の大祓の大刀が元になったという。それを代々の神官が伝え、周辺の地域に伝播していったのだ。つまり、剣術の始まりは我が身に降りかかる魔を払うとともに、自分が仕える主人を襲う魔や敵を退ける術として侍が身につけたものであった。室町時代に飯篠長威斎が創始した香取神道流もそうした形から生まれた。これが我が国の剣術の第一の源流だ。

 だが戦国の世になると、剣術はより実戦に即したものになっていく。鹿島神流も、松本備前守が現れて工夫を加え、槍術と剣術を合わせた刀槍の術として一家を為した。
 その松本備前守の弟子が塚原卜伝で、香取神道流をより実戦に即した新当流に改良して一派を立てた。父武蔵の最初の他流試合の相手が、この新当流の有馬喜平という武芸者だった。
 そうした実戦剣術として最も古いのが念流だ。南北朝の頃、相馬四郎義元が父の仇を討つために修行し創始した流派だ。彼は仇を討った後、念阿弥慈恩という名の僧侶になり、全国を旅しながら望む者には自分が会得した剣術を教えた。この念流の流れを汲む流派は数多い。だが、中でも大きな流れを作ったのが、中条流だ。今でも加賀を中心にこの流派を学ぶ者が多い┅┅この念流と中条流は実戦剣術という第二の大きな流れの源流となった┅┅」

 伊織はそこでいったん話を中断し、酒で喉を潤した。一方、副島はダリルのために、懐紙を何枚かと矢立を取り出して、剣の流派の流れをオランダ語を交えながらメモしてやっていた。ダリルは、伊織の妻女から酌をしてもらって幸せそうに酒を飲んでいた。

「中条流と言えば、お光様のことを思い出すなあ┅┅」
「お光様?」
 沙江は伊織の口から出た女の名前に敏感に反応する。
「うむ┅┅細川家の御家老長岡様に仕えた侍女でな┅┅細川家がまだ丹後の守護であった頃からお仕えされていたと聞いておる。わしが初めて会ったのが十七年前だ。中津のお屋敷であった┅┅その頃四十をわずかに過ぎた年頃だったと思う。中条流を学んでおられて、特に小太刀の技は見事なものであった。普段は楚々として控えめなお方であったが、いざ戦いの場に立つと、凛として一つの風格を持っておられた。父上は生涯七十近くの決闘をなされたが、わしが知る限り、女と試合をされたのはお光様唯一人であったと思う┅┅」

「まあ、お父上と試合を?」
 沙江でなくても、この逸話は聞き逃すわけにはいかない。副島は通訳をしながら、ダリルは杯を置いて身を乗り出すようにしながら、伊織の話に聞き耳を立てた。
「うむ┅┅今でも思い出す┅┅庭の梅の花が満開でな┅┅そのうららかな早春の庭で繰り広げられた、息をも継がせぬ見事な試合であった┅┅最後は父の木刀がお光様の右手を押さえ込んで父が勝ったが、途中何度もお光様の小太刀が父の首筋や小手をかすめた┅┅中条流の小太刀のすごみを、父もわしも脳裏に刻み込んだものだ┅┅」

「十七年前というと、巌流島の決闘から十三年後、武蔵様の剣術が円熟の頂点に達した頃ではございませんか?」
 副島が思わず身を乗り出して尋ねた。
「うむ┅┅柳生の里で新影流の精鋭幾人かと試合して勝ち、もはや天下に父上に敵う相手はいないと、誰もが言ってくれた頃だ┅┅残念ながら、一刀流と中条流の達人とはまだ試合をする機会は無かったがな┅┅江戸で一刀流の小野忠明殿と試合う機会はあったのだが、なぜか柳生から横槍が入ってのう、将軍じきじきに試合はならぬとのお達しがあってかなわなかった┅┅」
「なぜに柳生が┅┅?」
「さあ、分からぬ┅┅まあ、今思えば、もし小野が勝てば、せっかく築き上げた幕府指南役筆頭の地位が揺らぐことになるし、父上が勝てば、次は柳生との勝負だと世間の声が高まるのは必定、いずれにしても柳生にとっては都合が悪かったのであろう┅┅」

「ううむ┅┅それは残念でなりませぬな。もし、小野次郎右衛門様と武蔵様が戦っておれば、巌流島の決闘に勝るとも劣らぬ伝説になっておりましたでしょうに┅┅」
「ああ、確かにそうだな┅┅だがな、計馬、実はわしは小笠原家に出仕する一年前、父上から武者修行をさせられたことがあってな、まあ、半年ほどであったが、その期間に小野家で忠明殿の嫡男忠常殿と試合をしたことがあるのだ┅┅」
「おお、なんと┅┅我が師匠と試合を┅┅十一年前というと、それがしが江戸に上る三年前か┅┅それで、いかがでござりましたか?」
「うむ┅┅三本戦ってわしが二本、忠常殿が一本という結果であった┅┅」
 副島は改めて、目の前でにこやかに酒を飲んでいる若い筆頭家老を瞠目して見つめた。それと同時に、自分の師と仰ぐ剣客に勝った相手として、ぜひとも戦ってみたい気持ちが沸き上がるのを抑えられなかった。

「伊織様┅┅お願いがござります」
 伊織は〝来たな〟と言った顔で、にやにやしながら両手をついた副島を見ている。
「この機会に、ぜひ一手ご教授いただきたく、お願いいたします」
「あはは┅┅やはり、そうきたか┅┅おう、わしとしてもそちと手合わせできるのは願ってもないことだ。ダリル殿ともぜひお手合わせをお願いしたい」

 副島が喜々として伊織の言葉を通訳すると、ダリルは姿勢を正して深く頭を下げた。
「よし、では次の休みの日、二日後だな┅┅藩の道場練誠館で存分に汗を流そうぞ」
「殿、ようございましたな?殿のそのように楽しげなお顔は久しぶりに見ました」
 妻の言葉に、伊織は頭をかきながら酒のためとばかりは言えないほど赤くなった。
「そうか?わしはそんなに毎日渋い顔をしておったか?」
「はい、書類の束を眺めてはため息ばかり┅┅お疲れのご様子で心配しておりました」
「┅┅そうだな┅┅分かってはおったのだが、藩政を任されるというのはまことに重責、考えねばならぬ事が多すぎてのう┅┅あはは┅┅また愚痴になってしもうたな、さて、しばらく酔いを覚ましてから、先ほどの続きを話すといたそうか」
 ダリルと副島は、この若い宰相の肩にのしかかる重荷の大きさに思いを巡らしながら頷くのだった。

 伊織は二人を散歩に行こうと誘い、三人は連れだって城下の武家屋敷の通りへ歩いて行った。
「この辺りは主に上級の家臣たちの屋敷が並んでおる。我が藩は紫川を堀代わりとして、その内側に商人や職人たちを住まわせておってな、その町人たちを守るように、東西南北四ヶ所に分けて家臣たちの住居がある。これを総構えと言って、戦を念頭に置いた城の作りなのだ」

 副島の通訳を聞きながら、ダリルは辺りを見回して頷いていた。
「なるほど┅┅ヨーロッパでは、町そのものを城壁で囲むのが一般的だ。その分強固だが、一端城壁を破られれば、逃げ道はほとんど無い。だが、日本の城は、まず民衆を安全に逃がすことに主眼を置いているようだな┅┅それと、道は狭くて複雑に入り組んでいる。敵が一気に攻め込まないようになっているのだろう┅」

 副島がダリルの言葉を通訳すると、伊織は感心したように頷きながらダリルを見た。
「まさしくその通り┅┅ダリル殿は軍師の経験がお有りなのか?」
「あはは┅┅そう思うでしょう?それがしも、一昨日町外れの新影流中江道場を見学に行った際、あの道場が天然の城塞になっているとダリル殿に教えられて、目を開かれる思いをいたしました。しかし、ダリル殿は軍師ではなく、傭兵として身につけた知識だとおっしゃいました」
「おお、そうか┅┅なるほど、傭兵ならば勝つため、生き残るためにあらゆる知識を身につけねばならぬな┅┅」
 伊織はそう言った後、なぜか厳しい顔つきで前を向いた。
「そこが藩の道場、錬誠館だ┅┅ちょっと覗いてみるか」

 三人は長塀に囲まれた大きな道場の門の前に立った。門柱の額には錬成館の文字の上に小笠原流弓馬術と並んで武蔵流の文字もあった。
「これは御家老様、御鍛錬にござりまするか?」
「ああ、いや、今日はただの見学だ┅┅紹介しよう、当道場の師範奥山源之助だ。奥山、こちらは肥前藩士で長崎奉行所通司の副島計馬殿、そしてそちらはオランダ商館から来られたダリル殿だ」
 奥山という壮年の武士は、いかにも実直そうな態度できちんと腰を折って頭を下げた。三人は、奥山の案内で道場の中を見学した。すでに、子弟の稽古は終わり、今は師範代格の三人の弟子たちが型の稽古を中心に木刀を振っていた。

 伊織は二人を畳敷きの師範席に案内して一緒に座った。
「この道場は主に馬上での弓術を教える道場でな┅┅看板には武蔵流とも書いてあるが、剣術をやっておるのは今稽古をしてる三人と奥山を加えて四人だけなのだ┅┅」
「それはまたもったいない話ですね┅┅せっかく伊織様がおられるのに┅┅」
「いや、わしは前にも言ったように、小笠原藩に剣術で仕官したのではない。あくまで、軍略と為政の学を以てお仕えしておるのでな┅┅看板に書かれているのは忠真公のお心遣いなのだ┅┅剣術は、そちたちが一昨日行ったという新影流の道場ともう一つ当理流の道場が町中にあるので、子弟たちはそのどちらかで学んでおるよ」
 副島は、外部から新参で入った伊織の気苦労を改めて感じた。

「ソエジマ、あそこに大小二つの木刀を持っている者がいるが、あれは何だ?」
 ダリルの問いに、副島はにっこりと微笑んで伊織に通訳して伝えた。伊織はそれを聞くと嬉しげに頷いてダリルの方を向いた。
「あれが、我が父宮本武蔵が創始した剣術なのだ。もちろん、一刀の技もあるが、他の流派と最も異なる点は二刀による技を取り入れていることだ┅┅」
 伊織はそう言うと立ち上がって道場の隅の板壁に掛けられていた木刀のところへ歩み寄った。そして、大小二本の木刀を持つと、道場の中央に歩いて行った。稽古をしていた三人の弟子たちは一礼をして脇に下がった。
「村上、参れ」
「はっ」
 伊織の声にまだ若い弟子の一人が立ち上がった。

「勢法切り差し一の型から三の型まで、打ち手をやってみよ」
「はっ、お願いいたしまする」
 伊織と若い弟子は一礼して、さっと構えを作った。伊織は二刀を中段やや下向きに先端を合わせるようにして構え、左足をわずかに前に出した。対して、一刀の弟子は八相の構えをとった。
「やああっ┅┅」
「とおおおっ、えいっ」
 伊織が気合いの声を発して三歩踏み込むと、それに合わせて弟子が一歩下がり、後の先でするすると前に出ながら袈裟に木刀を振り下ろす。伊織は左の小刀でそれを受けると同時に、左に体をひねりながら右の長刀で刃を上に向けて突きを出しつつ、切り返して横に払い相手の胴の寸前でぴたりと止める。
「えええいっ」
 伊織の長い気合いの声が上がり、一つの型が終わる。こうして、伊織は若い弟子を相手に二刀流の型の幾つかを披露した。その流れるような体の動きと、気迫のこもった声に、ダリルは全身に電流が走るような感動を覚えた。決して派手さは無く、実戦よりもゆっくりした動作だったが、この型を見ただけでも、武蔵がいかに実戦を積み重ねた剣豪であるかが分かった。

「まあ、こんなものだ┅┅こうした切り差しの型が五本、相手を抑え込む漆膠という技が五本、他に奥義が四本と抜刀術などがある。これらはいずれも書物などではなく、口伝で伝えられたものゆえ、弟子によって少しずつ中身に違いがある。わしは、奥義四本は父に教えてもらえなかった┅┅」
「そうでしたか┅┅それにしても見事な型を見せて頂きました。ダリル殿、いかがでしたか?」
「ああ、俺は二刀の技をトウジから教わった。だが、イオリサマの二刀の技はそれとは全く違う。少しも無駄が無く、理にかなった動きだった。ぜひ、実戦で教わってみたい」
 ダリルの言葉に伊織はにこやかな顔で頷き、額の汗を拭った。
「お褒めにあずかり光栄にござる。では、明後日は二刀を以てお相手いたそう」

 伊織はそう言うと、そのまま奥山のもとへ歩み寄った。
「奥山、邪魔したな。明後日、弓術の稽古が終わった頃に、我ら三人、ここで剣の稽古をしたいと思うておるが、よいか?」
「おお、それは一向に構いませぬが、我らにも見学させていただけるのですか?」
「うむ、構わぬであろう、のう副島?」
「はい、手前は一向に┅┅ダリル殿も同様でござる」

 こうして、三人は道場を出て、来た道を引き返していった。その途中、伊織はふと立ち止まって、何やら思案顔で二人の顔を交互に見やった。
「どうか、気を悪くせずに聞いて欲しいのだが┅┅」

 彼はそう前置きすると、ダリルに向かって真剣な顔を向けて続けた。
「副島、ダリル殿に聞いてくれ┅┅オランダは日本をジャガタラのように我が物にしたいと考えておるのか?」
 副島は突然の伊織の問いに驚きながらも、質問をそのままダリルに伝えた。

「ん?なぜ、そのようなことを┅┅いや、質問の答えは、ノーだ。オランダは小さな国だ。今でこそ商業で潤い、海洋国家として勢いを持っているが、日本に戦いを挑むような力は無い。そんな兵力をこちらに回せば、本国はすぐにフランスやイギリスに占領されてしまうだろう。それは、イギリスやフランスも同じだ┅┅まあ、せいぜい港を一つか二つ手に入れられたら良いと思ってはいるだろうがな┅┅」

 ダリルの答えに、伊織はほっとしたように微笑んで頭を下げた。
「そうか┅┅いや、いらぬ詮索をして申し訳ない。許してくれ」
「伊織様、どうか頭をお上げ下さい。あの、なぜにダリル殿にそのような問いを?」
 伊織は顔を上げると、苦笑しながら答えた。
「いや、わしの家老としての老婆心だ┅┅ダリル殿が剣術修行で日本中を回られるなら、恐らく国としての守りの手薄なところや、攻むるに易き所などを一目で見抜かれることであろう。ダリル殿がもしオランダの密命を受けておられるなら、わしはダリル殿を切らねばならぬと考えておった┅┅」

 伊織の言葉を通訳する副島もそれを聞いたダリルも、思わず背筋に冷水を浴びたようにぞっとした。
「ああ、いや、これはとんだ失敗だった┅┅確かに俺がこの前から言ったような戦略的な見方は、外国人として絶対やってはいけないことだ。疑われて処刑されても文句は言えない。
イオリサマ、疑われるようなことを言って本当に申し訳なかった」

 ダリルは深く頭を下げて謝罪した。
「うむ、こちらこそ疑ってすまなかった。もう、このことは忘れてくれ」
 ダリルは胸に手を当ててもう一度頭を下げると、にっこり微笑んだ。
「ポルトガルやイスパニアがニホンから逃げ出したのも当然だな。この国は強くて賢い民衆を優秀な指導者が治めている。他の国とは違う」
「うむ┅┅これからもそうありたいものだ」
 ダリルが差し出した手を伊織はしっかりと握って、そう言った。

 夕食が終わって交代で湯浴みをした後、伊織は縁側に酒肴を用意させ、部屋の明かりを小さくした。明るい月の光に照らされた庭を眺めながら、三人は酒を酌み交わした。

「さて、剣術の流れについて続きを話そうかのう。確か、念流と中条流が我が国の剣術の第二の源流になったという所まで話したな。この二つの流派は実戦に即した教えで、多くの門弟を得た。そしてその門弟の数だけの多くの流派が別れて、それぞれの流れを作っていった。

 中でも後の剣術に大きな影響を与えたのが、影流と一刀流であった。影流は、念流を学んだ愛洲移香斎が創始し、その息子の元香斎によって全国に広められた流派だ。影流の功績として最も大きなものは、何といっても上泉伊勢守という後継者を産んだことであろう。
 この上泉伊勢守が、第三の源流を作ったが、それについては後で述べよう。もう一つの一刀流だが、これは中条流から分かれた流派だ。中条流を学んだ伊藤一刀斎が創始した流派で、実戦剣術の最高峰と言っても過言ではなかろう。その意味では、我が父武蔵の剣術も実戦剣術として、一刀流の横に並べても良いだろうな。
 とにかく、〝剣術とは強くあるべし〟という単純明快な理念で、この二つは共通している。ただし、近年の父上は、少し心境に変化があって、〝剣術は身を修め、国を治むる要諦なり〟と言っておられる。それに対して、一刀流は副島も学んで分かっておろうが、他の流派が軒並み他流試合を禁じているにもかかわらず、他流試合を大いに奨励しておる。それだけ、自らの剣術に自信を持っておると言えるだろう。ただ、残念なことに、一刀流は一弟子相伝の上に、幕府指南役の立場であるため、なかなか全国に広まることができない。この後どうなってゆくのか、気になるところではあるな┅┅。

 さて、いよいよ先ほど述べた、一番新しい剣術の流れだ。これは、上泉伊勢守が流れを作り、柳生、疋田、神後の各氏が広めていったものだ。それは一言で〝剣を捨てるための剣術〟とでも言おうか。鉄砲が戦術を変え、戦の世も終わって、武士にとって剣はもはや無用の長物になりつつある。そんな世をいち早く見抜いていた上泉伊勢守は、戦わずして勝つことを流派の至上理念とした。だが、これは言い換えれば、戦わずとも、相手が負けを認めるほどの強者になる、ということでもある。言うは易し、行うは難しというやつだ。しかし、この理念は一刀流と武蔵流を除けば、今の剣術の流派が等しく掲げる理念でもある。これが新しい第三の流れだ┅┅」

 伊織は語り終わると、酒を一口飲んで空の月を見上げた。
「┅┅神に起源を置く、武士のたしなみとしての第一の流れ、実戦で相手に勝つことを目指した第二の流れ、最終的に己も他も剣を捨て絶対平和の境地を目指す第三の流れ┅┅どうだな?日本の剣術の大まかな流れはつかめたか?」

「はい、まことに明快なご説明で、目を開かれた思いです。ダリル殿、何かご質問はありますか?」
 ダリルは、副島がメモした紙を見ながら何度も頷いていた。
「ああ、話はよく分かったし、興味深かった。ただ、よく理解できないのだが、この第三の流れ、これは明らかに矛盾した考えではないか?剣を捨てるなら、初めから剣術など習う必要は無いだろう?」

 ダリルの疑問に副島も頷き、伊織も微笑みながら頷いた。
「うむ、全くその通りだ┅┅ただ、こう考えてはどうかな。例えば全く同じ力を持った国同士が戦を始めたとする。どちらにとっても負けられない戦だ。そのまま戦い続けたら、結果はどうなるか┅┅」
副島もダリルも答えは同じだった。
「どちらも最後の一兵まで戦って、共倒れですね」
「うむ┅┅まことに愚かなことだ┅┅だが、現実世界を振り返って見れば、同じ事が世界中で起こっているのではないか?幾つもの力のある国が弱い国々を捕らえて食いつぶしていく。やがて、その力のある国同士が争い、疲弊し、それを他の国が食いつぶす┅┅いつまで経っても争いは終わらない┅┅であれば、いっそのこと武器を捨てて、お互い仲良くやっていこうではないか。ただし、よからぬ考えを持ったら痛い目に合わせますよ┅┅まあ、これが簡単に言うと第三の流れの考え方だ」

「なるほど┅┅武器は最小限だが、実力があるから相手はおいそれと手が出せない、結果無用な争いはなくなる、ということか┅┅だが、そのためには相手がこちらの実力を知る必要があるな┅┅」
「その通り┅┅相手の実力を見抜き、こちらの実力を何もせずとも相手に知らしめる┅┅これはおいそれと出来ることではない。だが、その境地を目指して己の技と心を磨く、これが第三の流れの行き着く先だ。晩年の父上はその境地を目指しておられた。そして、剣聖上泉信綱も柳生石州斎殿も中条流の鬼才富田勢源翁も、皆この究極の剣の境地を目指して歩まれたのだ┅┅」

 伊織の言葉に、副島もダリルも声も無く深い思いに沈んだ。
「まあ、しかし、現実には相手の力を見抜けぬ凡庸が圧倒的に多い。だから、この後もこの世から無用な争いが無くなることは無いだろう。己に出来ることは、自分と周囲の者たちをその無用な争いに巻き込まれないようにすることだけだ┅┅それとて難しいのが人の世というものだがな┅┅わしも、できれば先ほど申した境地に至りたいと自分なりの努力はしているが、まだまだ遥か遠き彼方だ┅┅道は遠い┅┅」

 ダリルは自分でひさごを取り上げ、杯に酒を満たした。そしてそれを一気に喉に流し込むと、大きく一つ息を吐いた。
「ソエジマ、イオリサマ、俺はまず君たちに謝罪せねばならない。そして、改めてお願いを一つ聞いてもらいたい┅┅」

「謝罪?いったい何を謝罪すると?」
 ダリルは顔を上げて、副島と伊織を交互に見つめた。

「俺は、ニホンに来る前、ヨーロッパのあちこちでニホンとニホン人のことを耳にしていた。ポルトガル人やイスパニア人たちが広めた話だ。その多くは、とうてい君たちに聞かせられるような内容ではなかった。俺もそんな話を信じて、ニホン人は未開な野蛮人で、猿に近い人種だと思っていた。しかし、トウジと知り合い、ニホン人への見方が大きく変わった。だが、心の中ではまだ見下していた部分があったと思う。そして、ニホンに着いて、君や多くのニホン人を知る内に、俺は今までの見方が全くの間違いだったと気づいた。
 ニホン人は、他のどの国の人間より正直で、賢くて、気高い心を持っている。だから、これまでの無礼を心から謝罪する┅┅」

 ダリルはそう言うと、両手をついて深々と頭を垂れた。副島と伊織は顔を見合わせて苦笑する。
「どうか、顔を上げて下さい、ダリル殿┅┅あなたのお心はそれがしと伊織様でしっかりと頂きました。ただ、あえて申しておきますが、あなたの謝罪は我々には荷が重すぎて、とうてい受け取れません┅┅あはは┅┅いや、気を悪くしないで頂きたいのですが、人を見下すことにかけては、我々日本人も偉そうなことは言えないのです。まあ、どこの世界でもそういう人間は多い。人を見下すことで、安心するんでしょうな┅┅弱い人間ほど、己の心の安定のために、見下す人間を探しているのですよ┅┅」

「うむ┅┅副島が何と言ったかは分からぬが、ダリル殿こそ、まことに心のきれいなお方だ。拙者、心より感服いたしました┅┅それで、願いとはどのようなことでしょうか?」
 副島と伊織の言葉に、ダリルは肩すかしを食ったような思いで苦笑した。そして、改めて姿勢を正すと、二人を見ながら言った。
「イオリサマの話を聞いて、俺はますますニホンの剣術を学びたいと思った。そして、できれば戦わずして勝つ境地まで登りつめてみたい。ただ、そのためにどうすれば良いのかまったく分からない。良い方法を教えてもらいたい┅┅」
 副島は困惑した表情でダリルの言葉を通訳した。誰も到達したことの無い境地に至る道など、副島はもとより伊織でも教えることは出来ないだろう。そんなことはダリルも承知のはずだ。なぜ、そんなことをあえて訊くのか。

 副島がそう言いかけたとき、伊織がううんとうなって考え込んだのである。
 何か方法があるのか。副島は黙って伊織が出す答えを待った。
「┅┅しばらく考えさせてくれないか?」
「伊織様、良いのですか?そんな方法があったら、それがしも教えてもらいたいですが┅┅」
「ああ、別に構わぬよ。ただし、わしにできることは父上のやっていたことを振り返って、幾つかにまとめることぐらいだがな」
「おお、それはすごい┅┅確かにそれは究極に至る道と言えましょう」
 副島は感激しながら、それをダリルに通訳した。ダリルは目を輝かせて、もう一度深く頭を下げるのだった。
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