ダリルの剣 ~バスク人剣士が見た日本の剣流~

mizuno sei

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第一章

加唐島

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 出島を出発したダリルと副島は、カカラ島を目指して肥前鍋島藩に向かった。
 五年前に起こった島原の乱以降、街道筋の検問はより厳しくなっていた。特にダリルのような外国人の往来には神経を尖らせていた。おかげで宿場ごとに止められ詮議を受けるはめになった。そんなわけで、二人がようやく肥前国に入ったのは、出島を出てから二日目のことだった。

「ここまで来れば、安心です。明日にでもカカラ島に行けますよ」
 副島は故郷の伊万里の町で、知り合いの宿屋にダリルを案内しながら言った。
「ああ、ぜひそう願いたいもんだ┅┅」
 ダリルは物珍しそうに宿屋の中を見回しながら、うんざりした口調で答えた。
「ダリルさん、昼飯の前に風呂に行きましょう。この近くにいい湯屋があるんです」
「ユヤ?」
「はい┅┅まあ、行ってみてのお楽しみです」
 何やら謎めいたことを言って笑う副島に、ダリルは怪訝な顔でついていった。

陶磁器の集積、出荷で潤っている伊万里の町は、富裕な商人を中心とした町人文化が発展し、様々な商売で賑わっていた。
湯屋というのが、ヨーロッパでいうローマ式風呂と遊女屋が合体したようなものであることを知って、ダリルは新鮮な驚きを覚えていた。確かに施設は小さく、ここで働いている湯女(ユナ)もあまりに開けっぴろげで、情緒に欠ける面はあったが、ヨーロッパでは貴族かよほどの金持ちしか入れない施設に、日本では誰でも自由に入っている。しかも、男女関係無くだ。町の通りや人々の清潔さも、ヨーロッパより上だった。

 何ヶ月ぶりかで体の垢を落としたダリルは、すっかり良い気分になって湯屋の近くにあある飲み屋に入った。
「い、いらっしゃいまし┅┅」
 飲み屋の主人も客たちも異相の外国人の客に一瞬声を失って驚いていたが、ダリルが愛想を振りまきながら席に座ると、安心したように普段の様子に戻った。
「ああ、サケ┅┅メシ┅┅」
 ダリルが手振りを加えながら単語を言うと、こわごわ注文を聞きに来た下女の娘は、今度はころころと明るく笑いながら、走り去っていった。

「おお、ここにおられましたか┅┅」
 湯から上がった副島は、休憩所にダリルの姿がなかったので、湯女の一人に尋ねると、一人で店を出て行ったという。慌てて外に飛び出し、ダリルの姿を探したが、すぐ近くのめし屋の前に人だかりができている。もしやと思い中を覗いてみると、案の定ダリルが真っ赤な顔で、何やら訳の分からない言葉で楽しげに歌っているのだった。

 卓の上には、五本の徳利が並び、焼き魚や芋煮が食べかけで置かれていた。
「よお、ソエジマ┅┅座れ、座れ┅┅おーい、サケだ、サケ┅┅」
 ダリルは副島に手招きした後、店の奥に向かって徳利を持ち上げながら叫んだ。
「あーい、ただいま」
 下女の娘が元気な声で返事し、すぐに徳利とぐい飲みを持ってやってきた。
「ここの酒はうまいでしょう?米と水がいいんですよ」
「ああ、最初は甘ったるくて、砂糖を入れたワインみたいだったが┅┅この、魚や芋の煮た奴と一緒に飲んでいたら、止まらなくなってな┅┅あはは┅┅良い気分になってきた」
「それはよかった┅┅しかし、まだ昼間ですから、深酒はよくありません。この一本までにしておきましょう」
「君は真面目だなあ┅┅まあ、トウジの奴もクソが付くほどの真面目な奴だったが┅┅日本人はみんなそうなのか?」
「あはは┅┅さあ、どうでしょう┅┅隠れて悪いことをしている奴なら何人も知っていますよ。
用心深いのは間違いないかも知れませんね。でも、時には思い切ったこともする┅┅」
 副島はダリルが注ぐ酒を次々に飲み干しながら、そう言った。
「┅┅戦場では一番厄介な相手だな┅┅」
「もう戦(いくさ)はこりごりですよ┅┅」
副島はぐい飲みを置いて、ダリルへ徳利を差し出しながら言った。
「┅┅我が国は長らく戦の時代が続きました。徳川様のおかげでようやく天下太平の世の中が訪れたのです。この太平の世を何としても維持していかねばなりません」
「ふむ┅┅なるほど┅┅剣術はその戦争の時代に発展したわけか┅┅」
「はい┅┅確かにその一面はあります┅┅しかしながら、戦場では弓や槍が武器の中心、しかも鉄砲が伝わってからは、戦場で刀を使うことはめったになくなりました┅┅それでも剣術の流派は絶えることなく、逆に増えてきている┅┅なぜだと思いますか?」
 ダリルはしばらく考えてから答えた。
「また戦争の時代が来ると考えて、それに備えているのだろう」
 副島は微笑みながらゆっくりと二回頷いた。
「そう考えるのが普通です┅┅だが、先ほど申しました通り、これからの戦は鉄砲が主役です。西洋にはさらに大きな大筒鉄砲があると聞きます。剣術など、よほど近づいて戦う場面でないと役には立ちません┅┅ダリルさん、剣術を習う目的は何ですか?」

 ダリルは当然すぎて考えてもいなかったことを問われて、答えに詰まった。
「┅┅戦いに勝つため、自分がつよくなるため、だな┅┅」
「戦いに勝つとは?どうすれば勝ちますか?」
「そりゃあ、相手を倒すことだ」
「はい、その通りです。ところが、我が国の剣術の主な流派が等しく掲げている最終目標は、『戦わずして、勝つこと』なのです。やむを得ず剣を抜いて戦う場合も、相手がこちらの強さを認めて剣を引く、あるいはお互いの強さを認め合って引き分けにする、これを最終目標としています」

 ダリルは思わず苦笑して手をぷらぷらと振った。
「あはは┅┅いや、笑って悪かった┅┅だがな、ソエジマ、それはニホンでしか通用しないことだ。他の国では、剣を引いたとたん斬り殺される┅┅引き分けはお互い利益にならないと判断したときだけだ┅┅」
 副島も笑いながら、ダリルに酌をして言った。
「はい、あくまで、最終目標ですから┅┅現実には剣を抜けば、決着がつくまで戦うのが普通です。それがしが言いたかったのは、我が国の剣術はどちらかというと精神修養に近いということです。あるいは、武士として身につけておくべきたしなみ、といったところでしょうか」
「ああ、確かにそういう考えは、他の国でもないわけじゃない┅┅騎士道とかいうやつがそれに近い┅┅だが、騎士道を前面に振りかざす奴は、えてして実戦では役に立たない腰抜けが多いものだ」
「あはは┅┅確かに、その傾向は我が国にもあります┅┅ダリルさん、カカラ島での用が済んだら、豊前小倉に行きましょう。あなたに会わせたいお方がおられます」
「ほお┅┅そいつは強いのか?」
「はい、何しろ日本一の剣の達人のご子息ですから┅┅だが、剣の腕もさることながら、そのお方は、先ほどそれがしが申しました剣術の理想の姿を体現したお方┅┅必ずや得るものがあると思います」
 酒に淀んでいたダリルの目がぎらりと輝いた。
「それは楽しみだ┅┅ぜひ、会わせてくれ」

 翌朝、二人は伊万里を出発して寺沢氏の唐津藩内に入り、奉行所に向かった。
「それはまた御殊勝なことですな┅┅呼子の番屋に林周次郎という者がおります。その者にこれを渡して下さい。島に詳しい船頭を紹介してくれますよ」
 唐津の道中奉行杵島源右衛門は、半ば呆れたような表情で廻船手形を渡しながらそう言った。二人は杵島に礼を言うと、さっそく呼子の港へ向かった。

 二人が呼子の番屋に着いたのは、ちょうど昼になる頃だった。五月も末のこととて、日差しは強く、蒸し暑かった。番屋には当番の役人二人と何人かの捕り方の町人がたむろし、団扇で胸元に風を送りながら、ある者は心太を食い、ある者は饅頭を食いながら、将棋を指していた。

「ごめん。長崎奉行所配下副島計馬と申す。林殿はおられるか?」
 副島が戸を開けて名乗ると、そこにいた者たちは一斉に入り口の方へ目を向けた。そして、そこに立っている若い武士とその後ろにいる異相の外国人を見て驚いた。
「は、はっ、手前が道中方同心林周次郎にござりまする。どうぞ、中へ┅┅」
 副島とダリルは狭い戸口から中へ入った。中にいた者たちが、慌てて身だしなみを整えながら自分の持ち場へ散っていった。
「それで、どのようなご用向きでしょうか?」
「はい、それがしとこちらのダリル殿はカカラ島に用があります。船の手配をお願いしたい。こちらが道中奉行に頂いた手形でござる」
「加唐島?あのようなへんぴな島にどんなご用で?」
「詳しいことは申せませぬが、人を探しにといったところでしょうか。その島に詳しい船頭がいると聞きましたが┅┅」
「ああ、勝次のことでしょう。加唐島の出で、今は西廻り船の積荷取り調べ方の手伝いをしております。すぐにお出かけなら一緒に港へ行きますよ」
 副島がダリルに伺いを立てると、すぐに行きたいと言う。それで、林の案内で呼子の港へ向かうことになった。
 
呼子は古くから天然の良港として知られ、漁業基地として、また離島への連絡港としての役割を果たしていた。近年は長崎を行き帰りする西廻り船がしばしば寄港し、それをめあてにした商人や遊女などで賑わっていた。
 
勝次は午前中の漁から帰ってきたところで、船の舳先で刺し網の手入れをしていた。真っ黒に日焼けし、筋骨たくましい五十過ぎの男だった。林が用向きを告げると、自分もこの後島へ帰る用事があるので、ついでに乗せていくが、自分の準備が整うまで半刻ほど待って欲しいという。

 林に礼を言って別れた後、二人は呼子の町中に戻って一件の飯屋を見つけて入っていった。
 副島は銚子二本と肴を見つくろって持ってくるよう注文した。二人が奧の席に座って雑談しながら五分ほど過ぎたところで、亭主が熱燗の銚子二本と小魚の佃煮の入った小鉢、イカやタイなどの刺身を盛りつけた皿などを抱えてきた。
「これは生の魚か?」
「はい、ここは良い魚が獲れるんです。うまいですよ」
 ダリルが渋い顔で小さなため息を吐くのを見て笑いながら、副島は小皿に醤油を入れてダリルの前に置いた。
「西洋人は、魚を焼くか煮るかしてしか食べないそうですが、魚のうまさを味わうには、
生に勝るものはありません。まあ、騙されたと思ってその醤油にちょっとつけて食べてご覧なさい」
 彼はそう言うと、身が透き通っているイカの刺身を箸で一切れつまんで醤油にくぐらせてから口に放り込んだ。
「んん、うまい。歯ごたえがあって、甘い┅┅こんなイカはここでしか食べられませんよ」

 ダリルはまだイカに手を出す気にはなれず、渋々タイの刺身を一切れ箸に突き刺して醤油につけ、恐る恐る口に入れた。醤油の塩辛さが舌を刺激し、思わずタイの身を舌で転がして歯で二三度嚙んだ。そのとたん、醤油の味とタイの身から出たうまみがからまり、絶妙な味わいが口の中に広がった。ダリルは驚きに目を丸くしながら、残りの身を夢中で噛み砕き、喉の奥に流し込んだ。
「┅┅うまい┅┅何だこれは┅┅」
 ダリルは茫然とつぶやくと、その後は夢中で皿にある刺身を次々に平らげていった。
「刺身を食ったら、酒で口の中を洗い流す。そうすると、魚のうまみが酒に混じって鼻を抜けてくる┅┅これが病みつきになる原因ですよ」
「おお、分かるぞ┅┅まったく、俺は今まで海の上で何年も生きてきたのに、魚の一番うまい食い方を知らなかった┅┅損をした気分だ。だが、このソースがなければだめだな┅┅ショ
ユ┅┅こいつはすげえ┅┅どうやって作るんだ?」
「あはは┅┅それがしも詳しくは知りませんが、確か大豆と麦を混ぜて発酵させて作るとか┅┅まあ、あちこちを回っていれば、そのうち醤油を作る蔵を見る機会もありますよ」
 ダリルは何度も箸の先に醤油を付けて口でしゃぶりながらしきりに感心していた。
「そろそろ時間です。港へ行ってみましょう」
 
 港に着くと、すでに勝次は準備を済ませて二人を待っていた。
「小せえ船で少し揺れますが、勘弁して下せえ」
「なあに構わぬよ。どれくらいで着くのだ?」
「へい、四半刻もかかりませんよ。ほら、向こうに見えている島が加唐島です」
 勝次は櫓をこぎながら、左前方をあごで指した。確かに大きな島が泳いでも渡れるほどの距離の所に浮かんでいる。
「あの島に誰かをお捜しに行かれると聞きましたが、島にいるのは漁師と年寄り、女子供だけでさぁ。お侍さん方がお探しになるような人間はいませんぜ」
「ダリルさん、この男にトウジのことを聞いてみますか?」
「ああ、聞いてみてくれ」
 副島は頷くと、勝次に言った。
「なあ、勝次、そのほうはトウジという名の若者を知っておるか?」
 その問いに、明らかに勝次は動揺し、櫓のこぎ方が不規則になった。
「な、なぜ、頭児のことをご存じなんで┅┅?」
「うむ┅┅こちらのダリル殿がオランダの船でお知り合いになられたのだ。それで、カカラ島にはトウジの女房と子供がいると聞いたが┅┅」

 勝次は櫓をこぐ手を休めて、お辞儀をするように腰をかがめながら二人を交互に見つめた。
「頭児はわしの甥です。一年前、弟、頭児の親父と一緒に南方に漁に出て、それっきり帰ってきやせんでした。島のもんは皆、嵐か海賊にやられたんだと諦めておりやした。まさかあいつが生きていたなんて┅┅」
「ああ、いや┅┅実はのう、トウジは病気で死んだのじゃ。それで、彼の遺品である刀を、彼の女房に届けようと、ダリル殿はわざわざここまでおいでになったのだ」
勝次がっくりと肩を落としてうなだれた。
「┅┅そうでございましたか┅┅それはわざわざありがとうございます┅┅」
 副島は勝次とのやりとりをダリルに通訳した。
「トウジはとても立派な男だったと伝えてくれ」
 副島は頷くと、その言葉を勝次に伝えた。
「┅┅そうですか┅┅わしの自慢の甥でした┅┅弟の奴がまともな生き方さえしていたら、息子を死なせずにすんだものを┅┅」
 勝次は鼻をすすりながら吐き捨てるようにそう言って、櫓をこぎ始めた。どうやら、彼の弟が漁師の傍ら、海賊稼業をやっていたことを知っていたらしい。
「トウジの女房と子供はずいぶん悲しんだであろうな?」
 その問いに、勝次はしばし沈黙した後、怒りを抑えるように低い声で答えた。
「あの女は、今、虎丸という男の妾になっておりやす┅┅弟と頭児が海へ出て行って三月も経たぬうちに、留守居役だった虎丸が、頭領も副頭領も跡継ぎも死んでしまったと島の者たちに触れ回り、自分が後を継いで頭領になると┅┅弟に不満を持っていた男たちが賛同し、虎丸は新しい頭領になりやした。そして、弟の家屋敷、畜財、女もすべて自分のものにしやがったんです┅┅まあ、弟の身から出たサビではごぜえますが、頭児の奴が哀れで┅┅」
 勝次は櫓をこぎながら、目をしばたたいて涙を流した。

 副島の通訳で話を聞いていたダリルは、背中にくくりつけていた刀を下ろして膝の上に置き、じっと見つめた。
「そのトラマルとかいう男を斬っても良いか?」
 ダリルの問いに、副島は慌てて首を振った。
「それはだめです。相手が斬りかかってきたら、返り討ちにはできますが、我が国では喧嘩は両成敗が原則。ダリル殿もお咎めを受けますよ」
 ダリルはむうとうなって不機嫌そうに黙り込んだ。

 やがて船は加唐島の浜に着き、三人は船を下りて、一緒に船を浜の上まで引き上げた。
「とりあえず、わしの住処においでくだせえ。狭くて汚いところですが┅┅」
「うむ、かたじけない。この島には宿屋はないよな?」
「へい、申し訳ございやせん┅┅昔はあったと聞いておりやすが、今は飲み屋が一軒と雑貨屋があるくらいで┅┅」
「そうか、では、すまぬがそのほうの家にお邪魔させてもらおう」

 三人は浜から上がって、漁師小屋が並ぶ丘の方へ歩き出した。
「おや、役人の犬がやって来たぞ┅┅今日は何の用で来やがったんだ?」
 浜辺でとも綱や網の手入れをしていた男たちの一人が、こちらに聞こえるような声で言った。他の男たちも笑いながら、勝次を蔑むような目で見ていた。

 勝次は憮然とした顔でその声を無視し、男たちの横を通り過ぎた。
「ずいぶんと嫌われているようだな?」
「へい┅┅わしは若いときに親父に逆らって島を出ましたから、島の者たちからすれば裏切り者というわけでして┅┅しかもお役人のお手伝いをしていますからね┅┅よからぬことをやっている奴らからすれば憎い仇なんでごぜえますよ」
「大丈夫なのか?命を狙われたりはせぬのか?」
「まあ、今までは頭領だった弟の手前、わしに手を出す奴はいませんでしたが、これから先は分かりませんね┅┅だが、わしもそうやすやすとやられはしませんや」
 勝次はそう言ってにんまりと笑った。ダリルはその笑顔がどことなくトウジに似ていると思った。

 勝次は村の中心部への道からそれて野原に入っていった。その先にはこんもりと木が生い茂った丘があった。彼の家、というよりねぐらはその丘の麓にあった。
「さあ、どうぞ。入り口は狭いですが、中はけっこう広くなっております」
 洞穴の入り口に置いた岩をどかして、勝次がそう言いながら中に入っていく。確かに入り口はかがんで入るほどの大きさだったが、中に入ると急に広くなり、立ったまま十分歩けるぐらいになった。

「これは、自分で掘ったのか?」
「いや、まさか┅┅いくらわしでも、こんな大きな穴は掘れませんや。これは自然にできた洞穴で、この辺りにはいくつもあるんでさぁ。中でつながっているという話も聞きやすが、まだ奧には行ったことがございません」
 勝次はそう言いながら、火打ち石でほくちに火を点け薪の下に入れた。火は初め小さく頼りなげに燃えていたが、やがて薪に燃え移ると明るい炎を上げ始めた。その炎に照らされて、洞窟内の様子を見ることができた。彼らがいるのは、入り口から二十メートルほどの場所で、奧に続く穴の途中だった。周りの壁の近くには、生活に必要な最低限の家具や道具が置かれており、寝台代わりだろうか、隅っこに干し草が積まれていた。

「家を出てからは、たまに人目を盗んでここへ来ておりやす。この丘の上に、先祖代々の墓があって、死んだ女房と子供もその近くに埋めてありますんで┅┅ときどき草むしりに来ているんでやす┅┅」
 何か深い事情があるのだろうが、副島もダリルもあえてそれ以上は聞かなかった。
「トウジの女房は虎丸の家で暮らしているのか?」
「へい。もともと弟の女房とトウジの女房子供、それに使用人が五六人住んでおりやした所へ、虎丸が勝手に入り込んで我が物にしたんでやすよ」
「やはり、トラマルを斬ってしまおう」
「いや、だからそれはなりませぬ」

 勝次はどこからか徳利と茶碗、それに藁に通した目刺しを持って来た。茶碗に酒を注いで副島とダリルに渡し、目刺しが五尾ずつ下がった藁縄を一本ずつ配った。
 ダリルは珍しそうに目刺しを眺め、くんくんと匂いを嗅いだ。
「これを、こうやって縄から抜いて、火にあぶるんです。油が外に出てきたら食べごろですよ」
 三人はたき火を囲んで、目刺しを肴に酒を飲み始める。
「さて、日が沈んでしばらくしたら出かけるとしようか。襲われるにしても夜の方が動きやすいからな。お前は俺たちをトウジの妻の所まで案内したら、いつでも船を出せるように準備をしておいてくれ」
 ダリルは、うまそうに二匹目の目刺しをかじりながら言った。
「やっぱり喧嘩する気満々じゃないですか。話はそれがしがつけますので、ダリル殿はどうか後ろでおとなしくしていて下さい」
「うむ、善処しよう。だが、万が一のことを考えて、準備はしておくべきだ」
「まあ、そうですね┅┅では勝次┅┅」
 ほろ酔いで饒舌になった副島は、ダリルの指示をあたかも自分が考えた作戦のように、事細かに説明した。
「へい、承知しやした。夜の海ならお手のもんでさぁ、任しておくんなさい。では、わしは先に墓参りを済ませて参りやす」
 勝次はそう言うと、干し草の中にしまってあった脇差しと菓子か何かの包みを持って洞窟の外へ出て行った。

「ふむ┅┅ニホン人は神を信じるのか?」
 副島から勝次が墓参りに出て行ったことを聞いたダリルは、三匹目の目刺しを火にあぶりながら尋ねた。
「墓参りは、神じゃなく先祖や死んだ者の霊を慰めるためのものです。それから、日本の神は、エホバの神のような唯一神ではなく、あらゆるものに宿っていて、それこそ八百万もいると言われています。そして、きちんと祀らないと罰を与える。日本の神は祟り神なんです」
「┅┅やはり似ているな┅┅」
 ダリルは目刺しの焼け具合を確かめながらつぶやいた。
「俺たちバスク人も、もともとは多くの神々を祀っていた。今でも、年寄りたちはキリストをあがめながら、山の神や家畜の神に祈っている。祟られるのが怖いからだ」
「へえ、おもしろいですね┅┅ギリシアにたくさんの神が出てくる神話があることはオランダ語の本で読みました。キリスト教が広まる前は、多くの国で身近にいる神々を信仰していたのでしょうね」
「まあ、俺は神なんか信じねえから、どうでもいい┅┅」
 そう言って目刺しにかぶりつくバスク人の男を見ながら、副島は、彼がこれまで多くの人間の命を奪ってきたことを気にしているように思えてならなかった。

「あの門番が立っている所が元のわしの家で、今虎丸の野郎がいる頭領屋敷でさぁ┅┅」
 とっぷり日が暮れて辺りが夕闇に包まれた頃、ダリルと副島は勝次の案内で村の中を通らず、野原や畑のあぜ道を歩いて屋敷が見えるところまで来ていた。
「じゃあ、わしは船でお待ちしておりやすんで┅┅どうかお気を付けて┅┅」
 勝次はそう言うと、今来た道を音も無く戻っていった。
「では、参りましょうか」
 二人は頷き合うと、家と家の間を抜けて村の中の通りに出て行った。

 門番の男は石でできた門柱にもたれて、退屈そうに二つのサイコロを手のひらの上で転がしていたが、浜の方から歩いてくる二人の男に気づいて、通りの方へ出てきた。
 副島が早足で先に行って、門番の男と向かい合った。
「それがしは、長崎奉行所通司で肥前藩士副島計馬と申す。こちらにトウジ殿のお内儀がおられると聞いて参った。取り次ぎを願いたい」
「と、頭児だと?頭児は一年前に死んだ、もういねえ┅┅」
「うむ、それは存じておる。用があるのはお内儀のほうだ」
 門番の男は、副島とその後ろからのっそり現れた異相の外国人の男を交互に見ながら、取り次ぐのをためらっていた。
「何をしておる、早々に取り次がぬか」
 副島が語気を強めると、男はしかたなく屋敷の方へ小走りに入っていった。

「やはり、何か後ろめたいことがあるようですね」
「うむ、当然だろう。正式な手続きをせずに屋敷や財産、女まで自分のものにしたのだからな」
 そんな話をしながら二人が待っていると、やがて屋敷の方から数人の人影が出てきて二人の方へ近づいてきた。へこへこしながら前を行く門番の男の後ろに、逞しい体つきの大男が大股で歩き、その後ろから隠れるようにしてまだ若い女が歩いてきていた。

「あっしはこの島の漁師の頭領をしておりやす虎丸と申しやす。ここにおりますのが、頭児の元女房でごぜえますが、いったい、どんな御用向きで?」
 大男が丁寧な言葉で、目は鋭く二人を見つめながらそう言った。
「うむ、実はのう、こちらのダリル殿がオランダ船でトウジと昵懇の間柄になられたのだが、つい先頃オランダ船の中でトウジは病気にかかり死んだのだ。それで、トウジの遺品である刀をお内儀に届けに来られたというわけでな┅┅」
 終始うつむいていた頭児の女房だった女も、頭児がつい最近まで生きていたと分かったときは、さすがにびくっと肩を震わせて顔を上げかけた。
「それはご足労をお掛けしやした。ありがたく頂戴いたします」
 虎丸はそういって頭を下げ両手を差し出したが、ダリルはじっと元女房の方を見つめたまま動かなかった。
「こいつには刀は渡さない。俺はそこの女に手渡すために来たんだ」
 ダリルのつぶやきを聞いた副島は、虎丸に言った。
「ああ、虎丸、なにゆえ頭児の遺品をそなたが受け取るのだ?ダリル殿は直接お内儀にお渡ししたいとおっしゃっておる」
「わははは┅┅こいつぁ参りやしたなあ┅┅なあに、簡単な訳でさぁ。一年前、頭領とその息子の頭児は南の海に遠出をしたんでやすが、ひと月経ってもふた月経っても帰って来ない。み月過ぎた頃にはもう、誰も二人が生きて帰るとは思わなくなりやしたんで┅┅そこでいつまでも頭領無しでは漁をやっていけねえってことで、あっしが皆に押されて頭領になりやした。頭領の屋敷では、女房と息子の嫁が途方に暮れておりやしたんで、頭領への恩返しと思い、あっしが世話を看てやろうとこの屋敷に住んでおりやす。つまりは、この女の後見人というわけでして┅┅」
 にやけた顔でぬけぬけとでまかせを言う虎丸に、副島も思わず頭に血が上りかけたが、何とか我慢しながらダリルに彼の言葉を通訳した。

「なるほど、ものは言いようだな┅┅」
 ダリルは思わずにやりと笑って虎丸を見た後、背中の刀を下ろし、それを元女房の女の前に差し出した。女はうつむいたままそれを受け取ると、胸に抱きしめながら頭を下げた。
「トウジは最後まで、お前と二人の子供のことを心配していた┅┅」
 ダリルの言葉を副島が女へ通訳する。
「┅┅もし、この男を斬って欲しいなら、そう言え」
「ダリルさん、それは┅┅」
「ああ、通訳しなくていい┅┅今から言うことを通訳してくれ┅┅」
 ダリルはそう言って一つ大きく深呼吸をするとこう続けた。
「トウジからの遺言だ┅┅どうか、時々は子供たちを連れて先祖の墓にお参りしてくれ」
 副島はぱっと顔を輝かせて、その言葉を女に通訳した。
「では、帰るぞ」
 ダリルはもう一秒でもその場にいたくないといった様子で、くるりと背を向けて歩き出した。
「では、お内儀、トウジの遺言、くれぐれもおろそかにせぬようにな」
 副島はそう言い残すと、小さくお辞儀してからダリルの後を追いかけた。

 十三夜の月が皎々と海面を照らす中を、船は小さく揺れながらゆっくりと進んでいく。
「┅┅そうですか┅┅へい、わかりやした。これからは折を見てできるだけ墓参りをすることにしやしょう。そのうち、あの嫁とも顔を合わせることがございやしょう」
「うむ┅┅まあ、姑を置いては逃げることもできぬだろうが、もし、逃げたいと言ったら、呼子の番屋に連れて行ってやれ。それがしから林殿には事情を話しておくのでな」
「へい┅┅重ね重ねのお心遣い、ありがとうございます。しかし、そこまでの腹は据わっておりやせんでしょう┅┅女というものはしたたかにできております。恐らくあの屋敷で、嫌な男に抱かれながらも子供達が独り立ちするまでは、我慢して生きていくでしょうな┅┅」
「┅┅だから、女は好かんのだ┅┅」
 副島の通訳を聞きながら、ダリルは小さな声でそうつぶやいた。

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帝国の皇子に必要なのは、高貴なる青き血。40歳を過ぎた皇帝ナポレオンは、早急に子宮と結婚する必要があった。だがその前に、彼は、既婚者だった……。ローマ王(ナポレオン2世 ライヒシュタット公)の両親の結婚から、彼がウィーンへ幽閉されるまでを、史実に忠実に描きます。 カクヨムから、一部転載

命の番人

小夜時雨
歴史・時代
時は春秋戦国時代。かつて名を馳せた刀工のもとを一人の怪しい男が訪ねてくる。男は刀工に刀を作るよう依頼するが、彼は首を縦には振らない。男は意地になり、刀を作ると言わぬなら、ここを動かぬといい、腰を下ろして--。 二人の男の奇妙な物語が始まる。

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