ONE WEEK LOVE ~純情のっぽと変人天使の恋~

mizuno sei

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15 初めてのデート

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 真由は地に足が着かない気分のまま、自転車に乗って門から飛び出していった。真由にとって、生まれて初めてのデートの朝だった。五月の澄んだ青空から太陽の光が降り注ぎ、幸福に満ちた真由の顔を輝かせていた。

 駅に着き、モノレールに乗り換えて向かったのは、動物公園……。昨夜まであれこれ悩んだ末に、祐輝に告げた〝行きたい場所〞だった。祐輝は、予想が当たったと、大喜びで承諾した。
 モノレールから降りて動物公園の入り口に向かう頃から、真由はもう涙が溢れてくるのが抑えきれなくなっていた。いくら冷静になれ、と自分に言い聞かせても、沸き上がってくる思いは抑えきれない。

 祐輝は、日ざしの中をこちらに向かって近づいてくる、麦わら帽子の女の子に気づいてベンチから立ち上がった。白いTシャツに、小さなフリルに縁取りされたスモック風のチェック柄のワンピースをはおり、くるぶしの上までのスパッツをはいた真由が、祐輝の前に立っていた。

 真由は麦わら帽子の下から祐輝を見上げた。涙のせいで顔がよく見えない。手で涙をこすろうとしたとき、大きな腕が優しく彼女の体をすっぽりと包み込んだ。
 日曜日なので人出は多かったが、もう、二人とも誰に見られてもかまわなかった。真由は、しっかりと祐輝の大きな背中に手を回してその胸に顔をうずめ、しばらく声を殺して泣いていた。

「俺が一緒にいると、泣かせてばかりだな……」
「ごめんなさい…あんまりうれしくて……泣き虫はもう治ったと思ってたのに……」
 真由はようやく祐輝から離れて、恥ずかしそうにうつむく。

「じゃあ、入るか?」
「はい…」
 二人は並んで歩き出したが、真由の方からそっと祐輝の手を握った。
「すごく可愛いぜ……帽子も、よく似合ってる」
 祐輝は前を向いたまま、小さな声でささやいた。
「うれしい……あの、先輩も、かっこ良いです。かっこ良すぎて、心配なくらい……」
 祐輝は鼻の辺りを触るいつもの癖をしながら、照れくさそうに笑った。
 そんな祐輝を見ながら、真由は少し気になることがあった。入り口のゲートを通り抜けた所で、思い切って尋ねた。
「ねえ 先輩……ちょっと顔色が悪いみたいですけど、疲れているんじゃありませんか?」
「えっ、そうか?大丈夫だぞ」
「そうですか…それなら、いいんですけど……」

 祐輝は笑いながら前に駆け出してジャンプし、そのまま空中で反転して着地した。
「なあ、動物には詳しいんだろう?いろいろ、教えてくれよ」
 真由の不安はまだ完全には消えなかったが、祐輝がそばにいる幸せがそれを覆い隠した。
「そんなに詳しくはないですよ。ただ、好きって言うだけで……」

 二人はそれから広い公園内をゆっくりと歩いて移動した。合間には何度か、休憩所で一つの飲み物を分け合って飲み、真由が用意していたデジカメでたくさんの写真を撮った。いつしか、二人は腕をしっかりと組み、もう二度と離れまいとするかのように体を寄せ合って歩いていた。
「次はアフリカパークですよ。サファリの草原が再現された、この公園の目玉なんです」
「ああ……」
 祐輝は何やら気のない返事をすると、立ち止まって真由の方を向いた。
「なあ、この辺りは人もあまりいないし、ゆっくり話ができるな?」
 真由は祐輝が何を言いたいのか、すぐにはわからず、小首を傾けて祐輝を見つめた。
「あそこの木陰に行こうぜ」
 二人はポプラの並木の下にあるベンチに行って座った。

 祐輝は青空を見上げ、何か特別のものであるかのように微笑みを浮かべた。
「きれいだなあ……今日は真由が一緒だから、なおさら空が美しく見えるよ」

 真由は隠れていた不安が再び心の中に芽生え始めた それに。 幸せすぎて、心のどこかで、こんな幸せが自分に長く続くわけがない と、 悲観的に考える真由もいた こんなに。 素敵で、こんなに優しい彼氏ができたこと自体、そもそも奇跡なのだ。

「真由の将来の夢は何?」
「えっ…しょ、将来の夢ですか?……」
〝先輩とずっと一緒にいて…先輩のお嫁さんになって…料理を作って……いっぱい、赤ち
ゃん産んで……きゃっ……な、何、変なこと考えてるのよ、わたしったら……〞
 真由はしまりのない顔で微笑んだかと思うと、真っ赤になって手で顔を覆った。

「そ、そんなに言いにくいことなのか?」
 祐輝は思わず吹き出しそうになりながら、ぐっとこらえて尋ねた。
「あ、いえ、あの……シ、シンガーソングライターです……」
「おおっ…すげえな。じゃあ、もう曲なんか、作ってるの?」
「は、はい……でも、まだ、人に聴かせられるようなものじゃないです」
「そうかあ…シンガーソングライターかあ……かっこいいなあ……」
「そ、そういう先輩は、将来の夢はなんですか?」
 
 祐輝は再び空に目を向け、まぶしそうに目を細めた。もし、〝将来〞というものが、約束されたものであるなら、やりたいことはいっぱいあった。
「そうだなあ……以前の夢は、プロのバスケットボール選手だったよ。でも、高校でやらなかったから、ちょっと難しくなったな。今は、俳優なんかもいいかなって思い始めてる……でも、一番の夢は……」
 祐輝は、そこで真由の方に目を向けて、少し恥ずかしそうに言った。
「真由とこれからも一緒に生きてゆくことだ……」

「そ、それは夢なんかじゃないですよ。わたし、殺されたって、先輩にくっついて離れませんから……絶対、離れませんから……」
「うん……」
 祐輝は不覚にも泣きそうになって、あわてて顔をそむけ、立ち上がった。こんなにいとおしい、大切なものが見つかったとたんに、神は最も過酷な運命を祐輝に与えたのだ。祐輝は辛かった。何もかも真由にうち明けて、思い切り泣きたかった。

「先輩…どうしたんですか?」
「あはは…いや、感動してるんだ……ありがとうな、真由……」
「感謝するのは、わたしの方ですよ……」
 真由も立ち上がって、祐輝の大きな背中に後ろからそっと抱きついた。

「わたしを見つけてくれて…ありがとう……」
 祐輝の背中がかすかに震えていた。しばらくの間、彼は無言だったが、やがてゆっくりと体の向きを変えて真由と向かい合った。
 見上げた真由の顔の上に、祐輝がゆっくりと顔を近づけてくる。真由は目を閉じて、その歓喜の瞬間を待ち受けた。しかし、祐輝の温かい唇は、彼女の広いおでこにそっと押しつけられただけだった。かすかな失望を感じながら、真由は目を静かに開いた。

「俺、詩を書いてみるよ。いろんな言葉が思い浮かんでくるんだ。よかったら、その詩に曲をつけてみてくれないか」
 祐輝の口から出てくる言葉は、いつも真由を驚かせ、時には混乱させる。しかし、後になって思い返すほどに、その言葉の一つ一つが彼女を勇気づけ、自信を与え、温かいもので包んでくれた。出会ってからまだ一週間足らずなのに、こんなに彼に夢中になってしまったのは、そんな彼の発する言葉の魔法にかかったせいかもしれない。
「うん……楽しみにしてます」
「ああ……じゃあ、行くか、アフリカン・サファリ……」
「アフリカパークですよ…ふふ……」


 真由はまだ夢心地で窓の外を眺めていた。初めてのデートは、真由に思い描いたとおりの、いやそれ以上の感動を与えた。幸せすぎて、次に祐輝と会うのが怖かった。でも、もう会いたくなった。門の手前で「さよなら」を言ってから、まだ三十分も経っていない。もしかすると、祐輝はまだ家に帰り着いていないかもしれない。

 真由は我慢できずに、携帯の番号を押した。呼び出し音が鳴り始めたとき、やっぱり我慢しなければ、と思い直して、切ろうとしたが、その前に祐輝の声が受話器の向こうから聞こえてきた。
『もしもし…真由か?』
「あ、先輩…ごめんなさい。もう、おうちですか?」
『ああ、あと三十メートルってとこかな。何か、忘れ物か?』
 真由は声が聞けたことで少し満足し、微笑みを浮かべた。
「はい、そうなんです……」
『何?』
「今日、わたし、将来の夢を聞かれたとき、一番の夢じゃなくて、二番目の夢を答えちゃいました。先輩にうそはつきたくないので、訂正します」
『あ、ああ、そうか……わかった』

 真由は大きく一つ深呼吸をすると、思い切って告白した。
「わたしの一番の夢は……先輩のお嫁さんになることです」
 窓の外の夕焼けと同じくらい赤くなって、胸をドキドキさせながら、真由は受話器の向こうから聞こえてくる返事を待った。

 とても長く感じられる間があって、ようやく祐輝の声が聞こえてきた。
『うん…ありがとう……じゃあ、俺たちの夢は同じなんだ』

「うん……ふふ…まだ、つき合って一週間も経ってないのに…それに、デートも一回だけなのに、おかしいですよね、こんな話になるなんて……」
『あはは……そうだな…でも、つき合っている長さは関係ないんじゃないかな……なぜ、こんなにも真由のことを好きになったのか、自分でもわかんないんだ……もしかすると、真由も、俺に引きずられているのかもしれないど……いいんだぞ、無理に俺に合わせなくても……』

 真由は、途中からがく然となって祐輝の言葉を聞いていた。
「…何を言ってるんですか……」
 懸命に心を抑えた真由の声は、自分でも驚くほど低く、かすれていた。
「わたしのこと、そんな風に見てたんですか?……」

 受話器の向こうからは、ため息のようなものしか聞こえてこない。
「こんなに…先輩のこと、好きなのに……先輩には伝わってなかったんですか?」
『真由…俺…』

 祐輝は別に意図してさっきのようなことを言ったわけではなかった。軽い冗談のつもりだった。ただ、真由の真剣さを過小評価していたのは事実だった。

 めまぐるしくいろいろなことを考えているうちに、祐輝は、ふと、これは良いきっかけかもしれないと思った。
自分はあさって運命を懸けた手術に臨む。もちろん、成功することを信じている。しかし、万が一失敗、あるいは手術が不可能という事態になったとしたら、自分も真由もその後、地獄の苦しみを味わうことになるだろう。愛すればこそ、その苦しみはより大きなものになるに違いない だったら、今のうちに真由が それほど、 悲しまなくてもいいように、自分への思いを冷ましてやるのは良いことだ。

 祐輝は瞬時にそう考えて、無理に笑い声を絞り出した。表情はむしろ苦痛に満ちていた。
「あはは……何、むきになってるんだ。俺たち、まだつき合い始めたばかりじゃないか。俺は、まだ、真由のことをすべてわかっているなんて、言うつもりはない。俺のことも、まだ、全部知っているわけじゃないだろう?……恋なんて、熱病みたいなものだって、よく言うじゃないか。それに、真由は優しいから、俺を喜ばせようと無意識に俺の期待に応えようとしているのかもしれないし……」

 真由はいつしか涙をポロポロと落としながら、祐輝の言葉を聞いていた。何が悲しいのか、よくわからなかった。むしろ、祐輝の言うことは正しいと、頭ではわかっていた。世の中の普通の男女は、恐らく祐輝が言うような、手探りの関係から恋を始めるのだろう。でも、真由には、もうそれができそうになかった。

 このわずかな期間に、真由は自分の全てを祐輝にゆだねてしまっていた。祐輝が望むなら、今すぐにでも彼と結婚することだってできる。それも、ごく自然に……。
 それではいけないのだ、と真由は理解した。祐輝が、自分以外の女性を選ぶ余地を残してあげなければいけないのだ。それは、真由にとって、体を引き裂かれるような苦しみを伴う理解だった。

『……今後、俺よりももっと好きになる相手が、現れるかもしれないし……』
 祐輝の声は苦痛にかすれていたが、もう真由はそれに気づく状態になかった。
「そうですね……わかりました……」
 少しもわかってはいなかった。そんな相手が現れるはずもないし、祐輝以外の男性に、今と同じような感情を抱くのは無理だった。

「そうか……じゃあ、当分は連絡できないから……さよなら……」
 急いで電話を切った後 祐輝、 は声を押し殺して泣いた。真由の悲しみを想像するだけで、激しく胸は痛んだ。

〝どうして、いつもこうなんだろう〞
灯りがともった街灯の下に座り込んで、祐輝は自嘲の笑いを浮かべた。
〝バスケット部に入れなかったときもそうだ……何か、人生の重大な岐路に立ったとき、必ず不幸が襲ってくる。まるで、幸せになっちゃいけないんだって、神様が考えているとしか思えないよ……〞
 ただ、今回は自分ばかりでなく、一番大切な人まで不幸に巻き込んでしまうことが辛かった。

 祐輝は力無く立ち上がると、うなだれたまま目の前にある我が家の門に向かって歩いて行く。
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