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6 変人天使の悩み
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正門に続く坂道の桜並木はすっかり新緑の装いになり、夕暮れの風に涼しげに葉を揺らしている。まだ昼間の熱気が辺りを包んでいるその坂道を、木崎真由は小さなため息をつきながら自転車で下っていた。
あの衝撃的な事件から一週間が過ぎようとしていた。幸い、その場を見ていたのは軽音部の者たちだけだったので、変な噂を立てられることはなかった。ただ、あの後、先輩の育美から聞かされた話が、この一週間彼女の気持ちを重くしていたのだ。
「あいつね…みんなが思っているようなヤンキーでも、乱暴者でもないのよ」
まだ、事件の余韻でざわめいている部室の中で、育美は微笑を浮かべながら言った。
「まあ、体とおんなじで、やることが規格外の所はあるかもしれないけどね…」
「でも、あいつ、あのケンカの一件以来、先生たちにマークされてたぜ。タバコでも何回か捕まっていたらしいし…」
「うん…それがね、彼と同じ中学出身の子たちからすると、信じられないことらしいのよ。中学時代の彼は、バスケット部のエースで、生徒会でも副会長として活躍、成績も常にトップクラスの優等生。当然、全校の女子のあこがれの的、アイドル的な存在だったらしいわ」
部員たちは、育美の言葉が信じられないように互いの顔を見合わせている。
「バスケットで、私立の幾つかの高校から引っ張られたらしいけど、彼は行かなかった。家の経済的な負担を考えてのことだったみたい。中学時代の彼に関する幾つかのエピソードも、彼の優しさや正義感を伝えるものばかり…」
「ふうん…意外だな。まあ、確かに一年生の時の事件があまりにも衝撃的だったから…みんなの中にイメージができてしまったところはあるよな」
「バスケットをできなくなって、やけになったのは確かみたいね。バスケットにずいぶん打ち込んでたみたいだから…そんな彼が、演劇部で頑張ってる。そして…」
育美はまるで探偵になったように、人差し指を立てたまま部屋の中央を往復していたが、ふいに真由の方に顔を向けた。
「なぜか、ギターの先生として、木崎真由に白羽の矢を立てた」
真由は唇をとがらせながら、困ったように目をぱちぱちさせた。
「このわたしの申し出を断ってよ。どう思う、真由?」
「し、知りませんよ……たぶん、みんなと同じで、わたしをからかおうと…」
「そこよ」
真由も他の部員もびっくりして、育美に注目した。
「誰もがそう思ったはず…だって、ワルの永野祐輝だものね。でも、今わたしは、彼がそんな最低のことをやる人間じゃないってことを証言したわよね。ということは、さっきの彼の言葉は、うそいつわりのない彼の本心だった、ということになるのよ」
しばらくの間、誰もが微動だにせず、ただ思い思いに視線をあちこちに飛ばして、育美の言った意味を必死に理解しようとした。結論はおのずから明らかなのだが、それを受け入れるのが難しかったのだ。
「ということは、何か、永野祐輝は……」
「ストップ!」
育美は、山村を手で制して、小さく首を振った。
「今言ったことは、あくまでも私の推論だから、みんなもこれ以上せんさくしないで…… いい?……あとは、真由、あなたが考えることよ」
育美はそう言うと、呆然とした顔の真由の前に立った。
「わたしは、別にあなたと永野君がうまくいけばいい、なんて思ってないわよ。むしろ、うまくいってほしくない、って思ってる…でも、あなたが、彼のことをうわべや噂で誤解しているんなら、彼の本当の姿を見てほしい、いいえ、見るべきだと思うの」
真由は、祐輝に対する育美の思いをずしりと重く心に感じ取った。本当は、今すぐにでも育美に、自分のことは気にせず、彼にアタックしてください、と言いたかった。
しかし、彼の本当の姿を見てほしい という、 育美の思いをむげにすることはできなかった。
(どうして、わたしなんかに……)
この一週間、真由は何度もそう自問しては、ため息をくり返していた。
もちろん、真由も女の子だ。素敵な王子様やロマンチックな恋を夢見る心は持っている。いや、むしろ心の中は夢ばかり と言っていい。 ところが、彼女もまた祐輝と同じように、対人関係のトラウマを抱えた一人だった。いや、それが幼い頃から蓄積され、彼女自身の中にしみこんだものだけに、いっそう深刻だったのだ。
真由は幼い頃から生き物が大好きだった。犬や猫はもちろん、生き物と名のつくものは何でも好きだった。唯一苦手なものは、足の多い虫、つまりムカデやゲジゲジなどのたぐいだった。
小学校の二年生の時、登校途中でつかまえた土ガエルをポケットに入れて学校に行き、それが教室の中を跳び回り始めた時、級友たちや担任の先生からごうごうたる非難を浴びた。
また、四年生のある日の帰り道、何人かの男子が集団で一匹のヘビを棒でつついているのを見て、すごい剣幕で男子たちを追い散らし、傷ついたヘビを治療しようと家に持って帰り、母親を卒倒させたこともあった。
これ以外にも、生き物に関係した小さなエピソードは数知れない。そのうえ真由には、何かに夢中になると、とたんに周りが見えなくなる性質がある。そのため、いきなり突拍子もない言動に出たり、注意力散漫でドジったりすることがたびたびあった。
やがて、ついたあだ名が「ボケモン」。当時人気だったモンスターアニメのタイトルと天然ボケを合体させたものだ。
そんな女の子は、からかいやイジメの対象になりこそすれ、男の子の初恋の対象にはなるはずがなかった。中学校に入学してからは、普通の女の子になろうと、彼女なりに努力した。しかし、その努力の成果が表れる前に、彼女に関する噂と評価が学校中に広まってしまっていた。男子はおろか、女子にまで疎外される存在になった。
真由ももちろん恋心を抱いたことは何度かある。しかし、それは決して彼女の外に出ることはなく、心の中で必死に押し殺された。同時にそれは、自己嫌悪との戦いでもあった。
そんな悲しみの日々を唯一慰めてくれたのは音楽だった。真由は音楽にのめり込み、あらゆるジャンルの曲を聴きあさった。そして、いろいろな楽器の演奏に挑戦した。今の彼女の夢は、シンガーソングライターだ。すでに、自分で作詞作曲した歌も何曲かあった。まだ、誰にも知られてはいなかったが……。
自宅に続く細い坂道を上り始める頃には、辺りはすっかり夕闇に包まれていた。白壁の続く坂を上りきったところに、大きな屋根付きの門が立っていた。真由は自転車を押しながら、とぼとぼとその門の中へ入っていく。
あの衝撃的な事件から一週間が過ぎようとしていた。幸い、その場を見ていたのは軽音部の者たちだけだったので、変な噂を立てられることはなかった。ただ、あの後、先輩の育美から聞かされた話が、この一週間彼女の気持ちを重くしていたのだ。
「あいつね…みんなが思っているようなヤンキーでも、乱暴者でもないのよ」
まだ、事件の余韻でざわめいている部室の中で、育美は微笑を浮かべながら言った。
「まあ、体とおんなじで、やることが規格外の所はあるかもしれないけどね…」
「でも、あいつ、あのケンカの一件以来、先生たちにマークされてたぜ。タバコでも何回か捕まっていたらしいし…」
「うん…それがね、彼と同じ中学出身の子たちからすると、信じられないことらしいのよ。中学時代の彼は、バスケット部のエースで、生徒会でも副会長として活躍、成績も常にトップクラスの優等生。当然、全校の女子のあこがれの的、アイドル的な存在だったらしいわ」
部員たちは、育美の言葉が信じられないように互いの顔を見合わせている。
「バスケットで、私立の幾つかの高校から引っ張られたらしいけど、彼は行かなかった。家の経済的な負担を考えてのことだったみたい。中学時代の彼に関する幾つかのエピソードも、彼の優しさや正義感を伝えるものばかり…」
「ふうん…意外だな。まあ、確かに一年生の時の事件があまりにも衝撃的だったから…みんなの中にイメージができてしまったところはあるよな」
「バスケットをできなくなって、やけになったのは確かみたいね。バスケットにずいぶん打ち込んでたみたいだから…そんな彼が、演劇部で頑張ってる。そして…」
育美はまるで探偵になったように、人差し指を立てたまま部屋の中央を往復していたが、ふいに真由の方に顔を向けた。
「なぜか、ギターの先生として、木崎真由に白羽の矢を立てた」
真由は唇をとがらせながら、困ったように目をぱちぱちさせた。
「このわたしの申し出を断ってよ。どう思う、真由?」
「し、知りませんよ……たぶん、みんなと同じで、わたしをからかおうと…」
「そこよ」
真由も他の部員もびっくりして、育美に注目した。
「誰もがそう思ったはず…だって、ワルの永野祐輝だものね。でも、今わたしは、彼がそんな最低のことをやる人間じゃないってことを証言したわよね。ということは、さっきの彼の言葉は、うそいつわりのない彼の本心だった、ということになるのよ」
しばらくの間、誰もが微動だにせず、ただ思い思いに視線をあちこちに飛ばして、育美の言った意味を必死に理解しようとした。結論はおのずから明らかなのだが、それを受け入れるのが難しかったのだ。
「ということは、何か、永野祐輝は……」
「ストップ!」
育美は、山村を手で制して、小さく首を振った。
「今言ったことは、あくまでも私の推論だから、みんなもこれ以上せんさくしないで…… いい?……あとは、真由、あなたが考えることよ」
育美はそう言うと、呆然とした顔の真由の前に立った。
「わたしは、別にあなたと永野君がうまくいけばいい、なんて思ってないわよ。むしろ、うまくいってほしくない、って思ってる…でも、あなたが、彼のことをうわべや噂で誤解しているんなら、彼の本当の姿を見てほしい、いいえ、見るべきだと思うの」
真由は、祐輝に対する育美の思いをずしりと重く心に感じ取った。本当は、今すぐにでも育美に、自分のことは気にせず、彼にアタックしてください、と言いたかった。
しかし、彼の本当の姿を見てほしい という、 育美の思いをむげにすることはできなかった。
(どうして、わたしなんかに……)
この一週間、真由は何度もそう自問しては、ため息をくり返していた。
もちろん、真由も女の子だ。素敵な王子様やロマンチックな恋を夢見る心は持っている。いや、むしろ心の中は夢ばかり と言っていい。 ところが、彼女もまた祐輝と同じように、対人関係のトラウマを抱えた一人だった。いや、それが幼い頃から蓄積され、彼女自身の中にしみこんだものだけに、いっそう深刻だったのだ。
真由は幼い頃から生き物が大好きだった。犬や猫はもちろん、生き物と名のつくものは何でも好きだった。唯一苦手なものは、足の多い虫、つまりムカデやゲジゲジなどのたぐいだった。
小学校の二年生の時、登校途中でつかまえた土ガエルをポケットに入れて学校に行き、それが教室の中を跳び回り始めた時、級友たちや担任の先生からごうごうたる非難を浴びた。
また、四年生のある日の帰り道、何人かの男子が集団で一匹のヘビを棒でつついているのを見て、すごい剣幕で男子たちを追い散らし、傷ついたヘビを治療しようと家に持って帰り、母親を卒倒させたこともあった。
これ以外にも、生き物に関係した小さなエピソードは数知れない。そのうえ真由には、何かに夢中になると、とたんに周りが見えなくなる性質がある。そのため、いきなり突拍子もない言動に出たり、注意力散漫でドジったりすることがたびたびあった。
やがて、ついたあだ名が「ボケモン」。当時人気だったモンスターアニメのタイトルと天然ボケを合体させたものだ。
そんな女の子は、からかいやイジメの対象になりこそすれ、男の子の初恋の対象にはなるはずがなかった。中学校に入学してからは、普通の女の子になろうと、彼女なりに努力した。しかし、その努力の成果が表れる前に、彼女に関する噂と評価が学校中に広まってしまっていた。男子はおろか、女子にまで疎外される存在になった。
真由ももちろん恋心を抱いたことは何度かある。しかし、それは決して彼女の外に出ることはなく、心の中で必死に押し殺された。同時にそれは、自己嫌悪との戦いでもあった。
そんな悲しみの日々を唯一慰めてくれたのは音楽だった。真由は音楽にのめり込み、あらゆるジャンルの曲を聴きあさった。そして、いろいろな楽器の演奏に挑戦した。今の彼女の夢は、シンガーソングライターだ。すでに、自分で作詞作曲した歌も何曲かあった。まだ、誰にも知られてはいなかったが……。
自宅に続く細い坂道を上り始める頃には、辺りはすっかり夕闇に包まれていた。白壁の続く坂を上りきったところに、大きな屋根付きの門が立っていた。真由は自転車を押しながら、とぼとぼとその門の中へ入っていく。
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