キャンパス輪形彷徨

三枝七星

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第4話 とても好かれているみたい

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 OBの薬袋とセフレの関係を結んでからも、林田の生活にさほど変わりはなかった。強いて言うなら、暇な時間に、薬袋のベッドやラブホテルでの予定が入るようになったくらいで。
 いわゆる割りきった関係ではあったが、薬袋はベッドでのことがなかったかのように、普通の付き合いでするようなことも林田に提案した。映画見ようよ、だとか、ここ行ってみようよ、だとか。授業のあとの食事も普通に誘ってきた。
「林田くんと食べるご飯は美味しいんだよね」
 にこにこしながら薬袋は言った。それは、どう言う意味なんだろうか。林田は勘ぐる。食と性には重なるところも多いと言うが……。
「変な意味じゃないよ」
 また悟られた。自分の表情や目線はそんなにわかりやすいのだろうか……。
「林田くん、彼氏面しないじゃん。彼氏面って言うか、なんか変に関係の深さ匂わせようとしないし」
 少し声を低めて、薬袋は言った。要するに、過去の男にそう言う奴がいた、と言う話なのだろうが、確かにそいつと食べる食事は味がしなさそうだ……と納得する。
「だから林田くんと食べるご飯は美味い。だからご飯も誘っちゃうんだよね」
 少しだけ、遠い目をして、薬袋は言った。
「迷惑?」
「とんでもない」
 林田はふるふると首を横に振った。
 正直、あの晩……正確には翌朝のやり取りを経てから、二人の関係がどう変わってしまうのか、不安と言うか、心細さはあった。人間は急な変化がストレスになる。
 だからこそ、友達でありながらベッドを共にする関係が差し込まれた文字通りの「セックスフレンド」と言う関係に「進展」しただけなのは、本音を言うなら「安心」であった。
「疑うようですけど、正直、もう林田さんがその……俺の身体にしか用がなくて、それが達成できたら他は用済みとかだったらどうしようってちょっと……」
「そりゃあ、ああ言うこと言ったらそう思われてもしょうがないよね」
 結構失礼なことを言ったつもりだったが、林田はけろりとしている。
 この日は、林田の部屋で映画を観る予定だった。アクション映画だ。前からずっと見たくて、と言う薬袋のリクエストに応じた形だ。
 大学から、少し電車で離れることになるが、薬袋は文句一つ言わずに付き合った。
 自分の部屋に彼が来てくれるのが、嬉しい。電車のドア付近で二人立って、他愛のない話をしながら、自然と笑顔になれる。薬袋はいつも通りだった。知り合った時と同じ。彼の雰囲気が変わるのは「そう言うことをする時」だけで、あの瞬間は「豹変」と呼んでも差し支えない変わり様だと、林田は思った。空気が変わってしまうと言うか、世界が変わってしまうと言うか。
 なんてことを考えている間に、最寄り駅に到着する。林田は学生向けアパートに暮らしており、比較的駅から近い。部屋について、荷物を下ろし、手洗いうがいを済ませると、二人は林田のパソコンでDVDを再生した。道中で買ったポップコーンを食べながら。
 狭い画面を見るにはくっつかないといけない。まるで恋人みたいだ、と考えてから、林田はどきりとした。画面の中で獣が吠える。たしなめられたように感じた。
 アクション映画の主人公である男性にはストーリーの中で親しい関係になった女性がいた。中盤で、二人はベッドを共にする。服を脱いだ、男の背中が、シーツで腰までを隠して映される。男女の喘ぎ声が漏れ聞こえる。
 ごくり、と唾を飲んだ時、隣の薬袋にぐいと引っ張られた。驚いて彼の方を見る。
 薬袋の笑みが、画面からの光に照らされて妖しい気配を纏っている。その匂いは、林田の欲望を刺激した。どちらともなく、顔を近づけ、口づける。これから互いの身体を貪り合う前の、舌を絡めた深いキス。林田が薬袋の身体を抱えて倒そうとした瞬間に、押し返された。ラブシーンが終わったのだ。ポップコーンの塩味を感じ、舌先には残った殻が触った。
 相手は何事もなかったかのように続きを見始めた。林田の身体の中には、火種が生まれている。
「後でね」
 それだけ囁かれた。
 自分だけがその気になっていた訳じゃなくて良かった、と安心すると、腹の中の熱は少し落ち着いた。

 アクション映画は、お約束のストーリーではあったが十分楽しめた。映画が終わると、薬袋は約束を果たした。パソコンを切ると、林田の胡座を跨いで抱きついて、唇を合わせる。目を閉じて、互いの頭を押さえて吸い合った。膨らむ欲望が正気を奪っていく。
「ゴム……」
「あるよ」
 薬袋が囁く。最初から、そのつもりだったのか。
「そうなっても良いと思って」
 またこちらの考えを読んだかの様に、彼は笑った。かなわない。
 ベッドに移ると、服を抜いて床に放り出した。薬袋の細い身体の表面に手を滑らせると、彼はくすぐったそうに笑う。あの雰囲気を纏って、二人は一つの目的のために身体を濡らし合った。
 彼を妖艶に思う理由の一つは、時たま見せる積極的な態度だった。今も、林田を下にして主導権を握っている。そう言うときの薬袋はくらくらするほど魅力的で、性的な欲望をそそって、また満たしてくれる。だから、林田は薬袋にそうされるのは好きだった。喉を逸らして喘ぎながら、林田の雄を飲み込んでいる彼は、そう言う術を心得ていた。
 攻守を逆転させて林田が彼を組み敷いても、背中にしがみついて離さなかった。自分を満足させる林田を求めている。
 まるで、とても好かれているみたいだ。
 ぼんやりと、希望的観測にも似た感想が浮かんでくる。
 いや、けれど、彼にとって自分は身体だけの男の筈で。
 そんな風に思っちゃいけない。林田くんは彼氏面をしないと嬉しそうに言われたのだから。
「薬袋さん……」
「んっ、林田くん、いいよ……」
 ぎゅうとこちらを抱きしめながら、自分の声に応えて薬袋は囁き返す。
「すごく、いいよ」

 事が終わって、狭いベッドからどちらかが転がり落ちないように、重なり合ってうとうとしていると、薬袋は雑然とした自分の部屋を見ながらあることを思い出していた。
「そう言えば」
「うん」
「薬袋さんの部屋の観葉植物、あれ誰にもらったんですか?」
 何でそんなことを聞いたのか、自分でもわからなかった。でも、答えはなんとなく察していた。
「こういうことしてた、林田くんじゃない男の子」
 やっぱり。
「そうですか……」
「いくら関係なくなったって言っても、捨てるのも可哀想だしね。世話しやすいからとりあえず置いてる。枯れたらそれでも良いかって感じで」
 薬袋らしい、あっさりとした答えだった。
 自分もそう言う存在なんだろうか。
 そう考えると、棘でちくちく刺されるみたいに心が痛かった。
「どうしたの?」
 彼が問う。
「なんでもないです」
 ごまかすと、前髪を撫でられた。愛しくなって、彼を抱き寄せる。
「やっぱり変だよ」
 抱き寄せられて、自分の胸に顔を埋めながら言われた。
「そうかも」
 でも、今はもう少し隠させてほしい。
 薬袋と離れる未来が、今はまだ怖い。
「林田くん、あったかい」
 抱きしめられた薬袋は夢見心地の様に呟いた。

 交替でシャワーを使うと、薬袋は林田の部屋を辞去した。
「今日はありがとう」
 あの屈託のない笑顔で礼を言って、頬にキスすると、彼は上機嫌で帰っていく。どうやら、「満足」したらしい。林田も、身体の方は満足していた。心は少し、寂しい。
 でも、あまり求めてもいけないのだろう。ああ言う軽やかな人は。
 きっと、すぐどこかに飛んでいってしまうから。
 汚れたシーツを洗濯機に放り込みながら、林田は溜息を吐いた。
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