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幕間 キャンパス輪形彷徨
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僕が先輩と付き合う様になったのは二年生の十一月だった。
文化祭最終日に行なわれる後夜祭だった。成人した僕を祝ってビールを奢ってくれた先輩。
「お疲れ様でした」
「お疲れー。孝平も色々ありがとな」
先輩は屈託なく笑った。
ちょっと調子に乗りやすいところもあるけど、優しくて、格好良くて、面倒見の良い先輩だった。いつも大体誰かといて、人気者だった。僕にもいつも構ってくれた。僕には僕の人間関係があったが、先輩と話しているときはやはり楽しかった。姓の「薬袋」ではなくて、名前の「孝平」で呼ばれるようになったときは、どこかくすぐったいような嬉しさを覚えたものだった。
後夜祭が終わると、大学近くに住んでいる先輩のアパートに誘われた。終電にはまだまだあったから、じゃあちょっとだけ、とお邪魔して。呼ばれたのは僕だけだった。あの、誰かしらと常に一緒にいる先輩が、僕だけを誘ってくれた。その特別感が僕に何か勘違いさせたのだと思う。
ふとした瞬間に、「そう言う空気」になった。先輩の視線は確かな光と熱を持って僕を捕らえていた。僕は目が離せなくて、先輩の鼻先が僕の鼻に触れて、やっと目を閉じることができた。
後から知ったことだが、先輩は僕以外の男子にも手を出していた。そんなことはよく考えれば当たり前だった。あまりにも手順が「慣れて」いた。
僕の腿の間を先輩そのものが何度も出入りするその動きも、たまらなくなって僕が声を上げそうになるのを唇で塞ぐのも、他の男子に幾度となくしてきたことだったのだ。
それでも僕は舞い上がってしまって、朝まで彼の性欲と支配欲に付き合った。
今思えばだいぶ意外ではあったが、僕と彼の当時の関係は「恋人」で良かったらしい。後になってからよく考えれば、先輩は異性愛の男を籠絡することに対して、達成感を覚えていたのだろう。
彼氏として、彼はとても優しかったし、デートの時間もちゃんと取ってくれたし、度々ベッドも共にした。僕は幸せだった、と思う。当然の様に挿入まで行った。僕はいつしか、男に抱かれて満足できるようになっていた。
ただ……その内ベッドでの事に僕が積極的になってくると、彼は徐々に僕から距離を取り始めた。僕がしたい体位を申し出て、その通りのことを叶えた次のデートくらいからよそよそしくなった。当時はよくわからなかったが、彼は多分、物分かりが良く、単純に行為の回数を加算させてくれる相手が欲しかったのだと思う。性に積極的な男の恋人はさほど好みではなかったのだろう。
多分、「恋人」を人生の実績くらいにしか思っていなくて、本気で愛し合うつもりはなかったんだと思う。そんな彼は、既に結婚している様だが、奥さんとの関係はどうなっているのだろう。女性と付き合っている彼はとても想像できなかった。奥さんが自分の性欲に忠実になって彼を求めたら離婚するのかな。ある種の潔癖さだろうか。
そんな別れが、思ったより僕は堪えていたらしい。僕は先輩とできなかった僕の思う「恋人」の関係を築くために、彼と同じ様に後輩に手を出し、関係を結び、その癖恋人として大事にされたがる僕は彼らに愛想を尽かされた。僕は彼らを愛せなかったくせに。白馬の王子様を待っている、夢見がちな少女を笑えない。この歳の男が。
いつしか僕は大学を卒業し、シフト制の仕事をしながら聴講生としてこの大学を彷徨い、学部生にちょっかいを出し続けている。
まるで地縛霊だ。
愛し合える人を、この大学で得るまで離れられない。
僕が籠絡した学生たちは皆僕を過去の亡霊とするだろう。
だが、身体から始まった関係を恥じるかのように彼らは僕のことを口外しないのだ。
輪形彷徨。視界の悪い霧や暗闇の中で、出口を探してぐるぐると彷徨い歩いてしまうこと。
霧の中で出会う、亡霊なのだ、僕は。
ずっとここから出られない。社会的には大学を卒業して、仕事に就いたとしても。アパートはそのままだし、やることは変わらないし。
僕はここから出られない。
そんな中で今、捕まえているのが林田くんと言うわけだが、彼の態度が徐々に軟化して来るのが、僕には嬉しくて、少し怖い。
彼は隠しているつもりかもしれないが、その眼差しが甘く、柔らかくなっていることに僕は気付いている。愛してくれている。僕がみっともなくベッドで痴態を演じても受け入れてくれる。
ずっと望んでいて、手に入らないものが手に入りそうになっている。そのことは、僕を激変させてしまいそうで、怖い。彼から逃げたくなってしまう。
けれど、林田くんは林田くんで、本気になったことを悟られたら僕が離れてしまうと思っているようで。それはある意味では正しくて、ある意味では間違っている。
林田くんと食べるご飯は美味しい。林田くんと観る映画は面白い。
それがどう言うことなのか、僕はすぐに思い出せなくなっていた。ずっと霧の中をぐるぐる回っていた僕は、自分が探していたものが目の前に出てきても気付かなかった。
本当に相思相愛になった時が未知で怖い。けれど、林田くんとだったらそうなっても良い。
ただその一歩を、僕も彼も踏み出せずにいる。
「薬袋さん……」
今日も僕の部屋に招いて、映画を観てから彼に抱かれる。
熱っぽく囁かれて口付けられる。映画を見ていたソファの上。ポップコーンの塩味がする唇。優しく抱きしめられて、首筋に顔を埋め合うと、彼の匂いがして僕を満たした。大事に大事に触ってくれる。
なんとなく、感じていた幸せが形になりつつある。
僕が感じている幸せが、彼に伝わってくれたら良いと思った。そうしたら、君も遠慮無く僕のこと愛してくれるでしょ?
でも、そんな甘えがこれまでの後輩たちを遠ざけていたのだから、多分こんな態度はもう終わりにしないといけないんだとも思う。
僕に頬ずりする林田くんの睫毛が刷毛のように触れて、僕は溜息を吐いた。
文化祭最終日に行なわれる後夜祭だった。成人した僕を祝ってビールを奢ってくれた先輩。
「お疲れ様でした」
「お疲れー。孝平も色々ありがとな」
先輩は屈託なく笑った。
ちょっと調子に乗りやすいところもあるけど、優しくて、格好良くて、面倒見の良い先輩だった。いつも大体誰かといて、人気者だった。僕にもいつも構ってくれた。僕には僕の人間関係があったが、先輩と話しているときはやはり楽しかった。姓の「薬袋」ではなくて、名前の「孝平」で呼ばれるようになったときは、どこかくすぐったいような嬉しさを覚えたものだった。
後夜祭が終わると、大学近くに住んでいる先輩のアパートに誘われた。終電にはまだまだあったから、じゃあちょっとだけ、とお邪魔して。呼ばれたのは僕だけだった。あの、誰かしらと常に一緒にいる先輩が、僕だけを誘ってくれた。その特別感が僕に何か勘違いさせたのだと思う。
ふとした瞬間に、「そう言う空気」になった。先輩の視線は確かな光と熱を持って僕を捕らえていた。僕は目が離せなくて、先輩の鼻先が僕の鼻に触れて、やっと目を閉じることができた。
後から知ったことだが、先輩は僕以外の男子にも手を出していた。そんなことはよく考えれば当たり前だった。あまりにも手順が「慣れて」いた。
僕の腿の間を先輩そのものが何度も出入りするその動きも、たまらなくなって僕が声を上げそうになるのを唇で塞ぐのも、他の男子に幾度となくしてきたことだったのだ。
それでも僕は舞い上がってしまって、朝まで彼の性欲と支配欲に付き合った。
今思えばだいぶ意外ではあったが、僕と彼の当時の関係は「恋人」で良かったらしい。後になってからよく考えれば、先輩は異性愛の男を籠絡することに対して、達成感を覚えていたのだろう。
彼氏として、彼はとても優しかったし、デートの時間もちゃんと取ってくれたし、度々ベッドも共にした。僕は幸せだった、と思う。当然の様に挿入まで行った。僕はいつしか、男に抱かれて満足できるようになっていた。
ただ……その内ベッドでの事に僕が積極的になってくると、彼は徐々に僕から距離を取り始めた。僕がしたい体位を申し出て、その通りのことを叶えた次のデートくらいからよそよそしくなった。当時はよくわからなかったが、彼は多分、物分かりが良く、単純に行為の回数を加算させてくれる相手が欲しかったのだと思う。性に積極的な男の恋人はさほど好みではなかったのだろう。
多分、「恋人」を人生の実績くらいにしか思っていなくて、本気で愛し合うつもりはなかったんだと思う。そんな彼は、既に結婚している様だが、奥さんとの関係はどうなっているのだろう。女性と付き合っている彼はとても想像できなかった。奥さんが自分の性欲に忠実になって彼を求めたら離婚するのかな。ある種の潔癖さだろうか。
そんな別れが、思ったより僕は堪えていたらしい。僕は先輩とできなかった僕の思う「恋人」の関係を築くために、彼と同じ様に後輩に手を出し、関係を結び、その癖恋人として大事にされたがる僕は彼らに愛想を尽かされた。僕は彼らを愛せなかったくせに。白馬の王子様を待っている、夢見がちな少女を笑えない。この歳の男が。
いつしか僕は大学を卒業し、シフト制の仕事をしながら聴講生としてこの大学を彷徨い、学部生にちょっかいを出し続けている。
まるで地縛霊だ。
愛し合える人を、この大学で得るまで離れられない。
僕が籠絡した学生たちは皆僕を過去の亡霊とするだろう。
だが、身体から始まった関係を恥じるかのように彼らは僕のことを口外しないのだ。
輪形彷徨。視界の悪い霧や暗闇の中で、出口を探してぐるぐると彷徨い歩いてしまうこと。
霧の中で出会う、亡霊なのだ、僕は。
ずっとここから出られない。社会的には大学を卒業して、仕事に就いたとしても。アパートはそのままだし、やることは変わらないし。
僕はここから出られない。
そんな中で今、捕まえているのが林田くんと言うわけだが、彼の態度が徐々に軟化して来るのが、僕には嬉しくて、少し怖い。
彼は隠しているつもりかもしれないが、その眼差しが甘く、柔らかくなっていることに僕は気付いている。愛してくれている。僕がみっともなくベッドで痴態を演じても受け入れてくれる。
ずっと望んでいて、手に入らないものが手に入りそうになっている。そのことは、僕を激変させてしまいそうで、怖い。彼から逃げたくなってしまう。
けれど、林田くんは林田くんで、本気になったことを悟られたら僕が離れてしまうと思っているようで。それはある意味では正しくて、ある意味では間違っている。
林田くんと食べるご飯は美味しい。林田くんと観る映画は面白い。
それがどう言うことなのか、僕はすぐに思い出せなくなっていた。ずっと霧の中をぐるぐる回っていた僕は、自分が探していたものが目の前に出てきても気付かなかった。
本当に相思相愛になった時が未知で怖い。けれど、林田くんとだったらそうなっても良い。
ただその一歩を、僕も彼も踏み出せずにいる。
「薬袋さん……」
今日も僕の部屋に招いて、映画を観てから彼に抱かれる。
熱っぽく囁かれて口付けられる。映画を見ていたソファの上。ポップコーンの塩味がする唇。優しく抱きしめられて、首筋に顔を埋め合うと、彼の匂いがして僕を満たした。大事に大事に触ってくれる。
なんとなく、感じていた幸せが形になりつつある。
僕が感じている幸せが、彼に伝わってくれたら良いと思った。そうしたら、君も遠慮無く僕のこと愛してくれるでしょ?
でも、そんな甘えがこれまでの後輩たちを遠ざけていたのだから、多分こんな態度はもう終わりにしないといけないんだとも思う。
僕に頬ずりする林田くんの睫毛が刷毛のように触れて、僕は溜息を吐いた。
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