キャンパス輪形彷徨

三枝七星

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第1話 聴講生

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 随分と若い聴講生だな、と林田はやしだは思った。
 大学三年生にもなると、文系は必須授業が減る。要するに、その分授業の外でやらないと行けないことがあるからだ。例えば調査とか、文献を調べるとか。
 逆に言うと、必須授業の多かった一年生、二年生の頃には取れなかった一般教養の授業も取れると言うことで、林田はシラバスの中から興味のある授業を見繕って履修していた。期待して出席してみればまったく想定外につまらない授業もあれば、暇つぶしのために取っただけだったのに面白くて聞き入ってしまう授業もある。
 そうやって取った授業の一つで、その男を見た。最初は学部生だと思っていたのだが、どうやら聴講生だったらしい。大体の聴講生は三十代以上で、自分の学生時代には聞けなかった講義を聴きに来ている。
 その中でも、その男は一際若く見えた。林田も時折、目が合えば挨拶するくらいの関係だ。パーカーのフードが学生らしさを醸し出していて、ずっと他学部の学部生だと思っていた。けれど、前期のテストに彼の姿はなく、その後学内でたまたま会った折りに、
「テスト良かったんですか? 切るんですか?」
 と何気なく尋ねた。切る、とは授業を取るのを辞めることだ。レポートも出さず、テストも受けない。それは単位を諦めることと同義である。つまらないから、と言う理由だけでなく、スケジュールの都合で切ってしまう人もいる。林田からしたらさほどつまらない授業には思えなかったが、感じ方は人それぞれだろう。
「ああ、僕、聴講生だからさ」
 そう返されて、彼が聴講生だと知った。
「そうだったんですか」
「うん。学部生に見えるでしょ。まあ実際のところ、院生でもおかしくない歳ではあるよ」
 聞けば、就職はしているがシフト制の職業に就いているため、授業を聞きに来る時間は取れるのだそうだ。
「君は?」
「俺は三年生です」
「ああ、ゼミ始まっててちょっと大変になるでしょ。バイトと就活もあるけど調べ物もしないといけないし」
 彼は屈託なく笑う。それは学部を卒業した彼が言うからこそ実感のこもった言葉だったのだろう。

 柔らかく微笑む人だった。真面目な顔をしているとクールで、笑うと可愛らしい。そんな印象。可愛らしいと言っても女性的だとかそう言うことではなく、可愛がりたくなると言うか……親しくなりたいと思わせると言うか。どこか、異性愛者の男であっても惹きつけるような魅力があった。
 彼は薬袋みないと名乗った。この後暇? ご飯でも行かない? と軽く誘われ、林田には断る等という選択肢は微塵も思いつかなかった。元々、会釈を交わす程度には「交流」があったのだから、付き合うための下地はあったのだ。大学の近く、三限がない日はゆっくりと食事するようなファミリーレストランに二人で入った。中は案の定、大学生で混み合っている。先に入店していた顔見知りと手を振り合いながら、二人は案内されたテーブル席に、向かい合って座った。
 改めて近くで見ると、本当に可愛らしい人だと思った。常に微笑み、目は柔らかく細めている。ゆとりのあるトレーナーの中に見える身体の線は、思ったよりも華奢であるようだった。
 二人は当たり障りのない話をした。薬袋は学部生時代、経済学部に在籍していたらしい。なので、今は文化系の授業を聴講しているのだそうだ。
「バイトとかで忙しかったからね。今思えば、学生なんだからもうちょっと授業出てりゃ良かったって感じ」
 彼は屈託なく笑う。
「だから履修は悔いなくね」
「そうですね」
「とは言えバイトしないとお金ないしね」
「板挟みですよね」
 本当に当たり障りのない話だ。ただ、林田は相手の話しぶりの中に、自分との距離を縮めたいと言う意図を感じ取る。自意識過剰だろうか。自分がそう思っているから、相手にもそう思って欲しいと言う願望?
「林田くんは、あの授業切ったりするつもりある?」
 などと考えていると、そんなことを聞かれた。
「今のところは続けるつもりです」
「そう。じゃあまた会おうね」
 薬袋は嬉しそうににこり、と笑った。やはり、林田に対して何らかの好意があると見て良いだろう。
「はい」
 しかし、林田としても、魅力を感じるこの年上の男に好かれる、親しい関係を持ち掛けられる、というのは悪い気がしない。今は大学近くのファミレスだが、その内どこかに一緒に出掛けられたら……と、少し期待する気持ちもある。
「授業切ってもご飯行ってくれます?」
「もちろん」
 そう言って薬袋はスマートフォンを操作した。メッセージアプリの、連絡先交換の画面を開く。二人はアプリで繋がった。テストも兼ねて一言ずつ送り合うと、薬袋は微笑む。
 なんとなく、含みのある表情に見えたのは気のせいだろう。
「林田くん、四限は?」
「あります」
「僕はこれで終わりだから」
 また今度ね。薬袋はそう言って、伝票を取った。

 この日は薬袋の奢りになった。林田は遠慮したが、社会人の財力と言う一言で引き下がることになった。
「まあ何かの折りに端数とか出してよ」
「それで返すのいつになるんですか」
「そもそも奢りだから、端数で返させるのもフェアじゃないんだよね」
 奢りとは「返さない」ことが前提であるので。
「わかりました」
「そう、それで良い。君は素直だな」
 薬袋は微笑んだ。
 褒められて嬉しい。そんな、子供じみた満足感が芽生える。

 その日はそれで別れた。また来週、授業が休講にならなければ、同じ時間に同じ場所で会う筈だ。
「また来週」
「はい、また来週」
 この時、林田はまったく想像していなかった。

 少し先の未来、この、どこか掴みどころのない魅力を持つOBとベッドを共にすることになるなんて。
 そのトレーナーの下に潜む、存外に華奢そうな身体の全てを目に映し、あまつさえ触れることになろうとは。
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