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HO6.使徒の誇り 前編(4話)
4.浪越テータの「死」
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※袋叩きの暴力シーンがあります。暴力駄目絶対。
「神林さん」
ノックの音がする。杏ははっと目を覚ました。腕時計を見ると、先ほど「ちょっとだけ」と言って横になってから一時間ほど眠っていたらしい。
「神林さん? いらっしゃるかしら?」
「は、はい、います!」
吉益の声だった。
「お腹空いてない? お食事の用意ができてますよ」
「天啓を果たす会」で出される食事……それは食べて大丈夫なものなのだろうか。
「イオタ様が食堂でお待ちですからね」
正直空腹だった。何か盛られているかもしれない……それこそ、食べたら「天啓」を目覚めさせるような薬物とか……。
「あなたのお友達がお越しになるでしょうから、揃ったところでお話しするとも言っていましたよ」
ぎくりとした。もしかして、杏と哲夫たちが接触するのを見越して……?
そこで、杏ははっとした。スマートフォンが返されたのは罠だったのだ。杏が哲夫たちに連絡を取ると見越しての。
つまり、イオタは最初から哲夫とテータがここに来ることもも織り込み済みだったのである。
自分の迂闊さに腹が立ったが、空腹のせいで怒りを維持する元気もなかった。
「神林さん?」
「今、行きます……」
血糖値が下がっているような気がする。杏は部屋から出ると、吉益に案内されて食堂に入った。大家族が食事をする場所、と言う雰囲気だ。ドアから一番遠い席にイオタが座っている。今日の分は、彼から少し離れたところに置かれていた。うどんらしい。
「今日は検査の予定だったと、吉益さんたちから聞きましてね。朝食を抜いているんじゃないかと思って、消化の良いものをご用意させていただきました」
「お気遣いありがとうございます」
杏は不気味に思っていることを隠さない声で言う。
「そんなに警戒なさらないでください。我々の会員は、みな人を救いたい、そんな一心で活動している、善良な人たちばかりなのですから!」
イオタは両手を広げる。出汁の利いたうどんつゆの匂いに、杏の腹が鳴る。
「どうぞ」
促されて食べるのも癪だったが、杏は素直に席に就いて、きつねうどんを食べ始めた。
◆◆◆
緊張はしていたが、やはり空腹には耐えられなかった。杏はあっという間に平らげてしまう。きつねうどんとしては申し分なかった。少し甘いつゆ、味の染みた油揚げ。
「ごちそうさまでした」
箸を置いて、手を合わせる。
「良かったですよ。食欲があって」
吉益はにこにこしながら食器を下げた。彼女が去って行くと、イオタは時計を見て、
「さて、君が呼び出した、あの358星人とシータがそろそろ来るのではないでしょうかね」
「358星人?」
「おや、シータから聞いていませんか? 君たちの惑星は『知的生命体が住まう第358惑星』と呼ばれていると」
「国成さんのこと言ってますか?」
「ああ、そんな名前でしたねぇ」
嫌みったらしいな。杏は反感を覚える。そういえば、宇宙語で哲夫に対してだいぶ失礼なことを言った、とテータもこぼしていたっけ……どうやら、イオタは哲夫が気に入らないらしい。
そこで、杏の頭はようやく働き出した。
「会ったことのある国成さんや浪越さんのことはともかく、僕とあなたは会ったことないと思うんですけど、どうして僕のことをご存知なんでしょうか?」
「友藤陽助さんをご存知ですね?」
友藤陽助。
その名前を聞いて、杏は目を丸くした。
友藤陽助。それは「天啓」を与えられた被害者の一人。先日、彼は結晶状腫瘍の摘出手術を受けて、成功したはずだ。
「実は、彼のことを当会にお誘いしていましてね。前向きなお返事を頂いていたのですが、手術を受けることになったので難しくなったと。その時に、『上位の救済者』としてあなたの存在とお名前を教えてくださったのですよ」
「そんな……」
陽助は、「目の前で身体を食い破られた現場を目撃してしまった者同士」として、勝手に親近感を覚えていた。それだけに、彼がイオタに自分の話をした、と言う事は、杏には裏切りにも思えてしまう。
けれど、よくよく陽助の身になって考えれば、無理からぬことだろう。手術を受けることになった、と言う事はまだ「使命」に囚われていた時だし、自分を見出したイオタに報いたいと思うこと自体はそうおかしなことでもない。
それでも、よりによって陽助が情報源だと言う事実は、杏を打ちのめした。せめて椎木香菜美とか……いやあの人そんなに気を遣えるタイプじゃないな……自分に気を遣ってくれないって暴れてた人だし、自分とクリエイターの関係以外どうでもいい人だし……。
などと思っているとインターフォンのチャイムが鳴り響いた。イオタはにんまりと笑う。
「来ましたね」
「ここの会員かもしれない」
「本当にそう思っていますか?」
ドアの向こうで、何やら押問答している声が聞こえた。その内の二つは、間違いない、哲夫とテータだ。
「こんなの、拉致じゃないですか!」
哲夫が声を荒げている。先日、テータとカップルのフリをして、テータの元彼を演じた杏にも、演技でやや強い口調になったことはあるが、今回のこれは本物の怒りだ。
「イオタに会わせなさい」
テータも、彼女らしからぬ命令形の口調で会員に迫っている。
「こちらです。我々は救済の使命を負っています。θ7354、あなたはその救済の天啓をもたらした方を裏切りましたね」
吉益ではない、別の声。
「裁きが下りますよ」
「裁かれるのはあちらです」
食堂のドアが開いた。会員に先導されて、哲夫とテータが入ってくる。後ろからも、何人かの男女がぞろぞろと入っていた。あの運転手、木戸もいる。彼は相変わらず、むっつりと黙り込んでいた。
「神林さん!」
哲夫は杏の顔を見て、ほっとした笑顔を見せた。
「国成さん!」
「ご無事で何よりです」
一方のテータは、イオタを睨みつけていた。その表情からは、感情と言う物が全て抜け落ちている、ように、杏には思える。
「イオタ、お前ここまでやるか」
テータはぶっきらぼうに言葉を放った。
「イオタ様になんてことを!」
会員の一人が声を上げるが、それを制したのはイオタだった。
「構いませんよ、皆さん。彼女と私の間柄ですから」
彼はそう言って微笑むと、杏にはわからない言葉で何かを喋り始めた。
『ずいぶんとこの358星人にご執心じゃないか、シータ』
『私に協力してくれている。お前にちょっかい出されて放って置ける人じゃないんだよ。ていうか、お前まだ星に帰ってなかったのか』
『もちろん。彼のデータを起動せよとの指令だ。君のお父上からのね』
『親子の縁は切ったよ。あいつの計画は潰す。当然お前もだ』
『大きく出たな!』
イオタがせせら笑う。杏と哲夫は顔を見交わした。何を言っているのかはさっぱりわからないが、テータがイオタに抗議していて、イオタがそれをあしらおうとしているのはわかる。
『そもそも、外部から洗脳データを起動させるなんてできるのか?』
『君は知らないだろうがね、その方法を開発して、手順を送っていただいたのさ。あの方の研究は絶対に有益だ。そこの彼のデータは絶対に起動させる』
『異星人の命をなんとも思ってない、こんな人体実験がまともなわけないだろう。歴史に学べないカスは失せろ』
『これは手厳しい。しかし……』
イオタはそこで、何かを取り出した。ずっしりとした首輪のようだ。杏は嫌な予感を覚える。予想通り、イオタは悠然とこちらに歩いてきて、その首輪を杏の首にはめた。あまりにも予想外の行動で、哲夫もテータも動けずにいる。
「な、なんですかこれ!?」
「これはね……スイッチを押すと毒針が出てくるチョーカーだよ。シータ、君が逆らうなら、彼の首輪を起動させる」
「卑怯者!」
「嘘だろ……」
テータは叫び、哲夫は蒼くなって杏を見た。杏は気が遠くなる。宇宙人に生殺与奪を握られてしまった……。
「もちろん君もだ、358星人。下手な真似をしてみろ。神林さんがどうなっても知らないぞ」
「そんなことをしたら、お前のデータ起動の目的だって……」
「誰が致死の毒だと言った? だが、ずいぶんと苦しむことにはなるだろうね。君たちの言動でね!」
イオタは楽しむように言う。杏は怒りと恐怖、両方の感情に囚われて吐き気を催した。
「おまえ!」
テータは無表情のまま、声だけ荒げて凄んで見せた。
(浪越さん、声だけすごい怒ってるのに、顔全然変わらないな)
杏は現実逃避でそんなことを考える。
その時思い出したのは、テータが、椎木香菜美の身体を突き破った鞭の様な触手に、肩口を殴られた時のこと。
肉が割け、血が飛び散ると思っていたあの時、何か固いものを叩くような音がしただけだった。
そして先日、哲夫が肩を叩いた時に見せた妙な表情。
何故か、それを思い出した。
テータが怒鳴る。イオタが嘲笑う。それに伴って、哲夫の顔が怒りで真っ赤になっていく。
「あなた、イオタ様の仲間になるのにはふさわしくありませんね」
不意に、声が聞こえた。見れば、こちらもやはり無表情の吉益が立っていた。
「吉益さん?」
これには、イオタも戸惑っているようだった。どうやら彼女が連れてきたらしい、他の会員たちが、みな敵意の籠もった目でテータを見ている。
「イオタ様、イオタ様は騙されています。こんな女に、あなたに暴言を吐く女に価値などない」
「彼女は、私が世話になっている人の近しい人なのです」
イオタは困惑しながら吉益をなだめようとした。
「なるほど。イオタ様はこう仰っていますが、あなたは当会に入会するご意思は?」
「ありません」
テータはきっぱりと答えた。
「可哀想に……イオタ様にここまで目を掛けてもらっているのに、それを拒否するなんて。でも大丈夫。後でわかりますからね」
「申し訳ありませんが、私と彼の道が交わることは絶対にありません」
「……シータ、一旦、落ち着いてくれないか」
吉益たちの不穏さに、イオタが慌て始めた。
「私がお前の言うことを聞くと思ってるのか?」
「ほほ、ほほほほほ……」
吉益は甲高く笑う。次の瞬間、彼女は顔を怒りに染め、
「そう言う口を叩くなって言ってんのよ! 小娘!」
テータに飛びかかり、彼女を床に倒した。
「おい、あんた何するんだ!」
哲夫が吉益を引き剥がそうとするが、他の会員に阻まれた。
「な、浪越さん!」
「ちょっと、皆さん、皆さん暴力はよくない! やめてくれ! 彼女を傷付けるのは!」
イオタも慌てたが、テータに対する敵愾心が頂点に達した彼らは聞かない。
やがて、人々がどいた。
そこには、ぴくりとも動かなくなり、多くの傷を負った浪越テータの身体があった。
「神林さん」
ノックの音がする。杏ははっと目を覚ました。腕時計を見ると、先ほど「ちょっとだけ」と言って横になってから一時間ほど眠っていたらしい。
「神林さん? いらっしゃるかしら?」
「は、はい、います!」
吉益の声だった。
「お腹空いてない? お食事の用意ができてますよ」
「天啓を果たす会」で出される食事……それは食べて大丈夫なものなのだろうか。
「イオタ様が食堂でお待ちですからね」
正直空腹だった。何か盛られているかもしれない……それこそ、食べたら「天啓」を目覚めさせるような薬物とか……。
「あなたのお友達がお越しになるでしょうから、揃ったところでお話しするとも言っていましたよ」
ぎくりとした。もしかして、杏と哲夫たちが接触するのを見越して……?
そこで、杏ははっとした。スマートフォンが返されたのは罠だったのだ。杏が哲夫たちに連絡を取ると見越しての。
つまり、イオタは最初から哲夫とテータがここに来ることもも織り込み済みだったのである。
自分の迂闊さに腹が立ったが、空腹のせいで怒りを維持する元気もなかった。
「神林さん?」
「今、行きます……」
血糖値が下がっているような気がする。杏は部屋から出ると、吉益に案内されて食堂に入った。大家族が食事をする場所、と言う雰囲気だ。ドアから一番遠い席にイオタが座っている。今日の分は、彼から少し離れたところに置かれていた。うどんらしい。
「今日は検査の予定だったと、吉益さんたちから聞きましてね。朝食を抜いているんじゃないかと思って、消化の良いものをご用意させていただきました」
「お気遣いありがとうございます」
杏は不気味に思っていることを隠さない声で言う。
「そんなに警戒なさらないでください。我々の会員は、みな人を救いたい、そんな一心で活動している、善良な人たちばかりなのですから!」
イオタは両手を広げる。出汁の利いたうどんつゆの匂いに、杏の腹が鳴る。
「どうぞ」
促されて食べるのも癪だったが、杏は素直に席に就いて、きつねうどんを食べ始めた。
◆◆◆
緊張はしていたが、やはり空腹には耐えられなかった。杏はあっという間に平らげてしまう。きつねうどんとしては申し分なかった。少し甘いつゆ、味の染みた油揚げ。
「ごちそうさまでした」
箸を置いて、手を合わせる。
「良かったですよ。食欲があって」
吉益はにこにこしながら食器を下げた。彼女が去って行くと、イオタは時計を見て、
「さて、君が呼び出した、あの358星人とシータがそろそろ来るのではないでしょうかね」
「358星人?」
「おや、シータから聞いていませんか? 君たちの惑星は『知的生命体が住まう第358惑星』と呼ばれていると」
「国成さんのこと言ってますか?」
「ああ、そんな名前でしたねぇ」
嫌みったらしいな。杏は反感を覚える。そういえば、宇宙語で哲夫に対してだいぶ失礼なことを言った、とテータもこぼしていたっけ……どうやら、イオタは哲夫が気に入らないらしい。
そこで、杏の頭はようやく働き出した。
「会ったことのある国成さんや浪越さんのことはともかく、僕とあなたは会ったことないと思うんですけど、どうして僕のことをご存知なんでしょうか?」
「友藤陽助さんをご存知ですね?」
友藤陽助。
その名前を聞いて、杏は目を丸くした。
友藤陽助。それは「天啓」を与えられた被害者の一人。先日、彼は結晶状腫瘍の摘出手術を受けて、成功したはずだ。
「実は、彼のことを当会にお誘いしていましてね。前向きなお返事を頂いていたのですが、手術を受けることになったので難しくなったと。その時に、『上位の救済者』としてあなたの存在とお名前を教えてくださったのですよ」
「そんな……」
陽助は、「目の前で身体を食い破られた現場を目撃してしまった者同士」として、勝手に親近感を覚えていた。それだけに、彼がイオタに自分の話をした、と言う事は、杏には裏切りにも思えてしまう。
けれど、よくよく陽助の身になって考えれば、無理からぬことだろう。手術を受けることになった、と言う事はまだ「使命」に囚われていた時だし、自分を見出したイオタに報いたいと思うこと自体はそうおかしなことでもない。
それでも、よりによって陽助が情報源だと言う事実は、杏を打ちのめした。せめて椎木香菜美とか……いやあの人そんなに気を遣えるタイプじゃないな……自分に気を遣ってくれないって暴れてた人だし、自分とクリエイターの関係以外どうでもいい人だし……。
などと思っているとインターフォンのチャイムが鳴り響いた。イオタはにんまりと笑う。
「来ましたね」
「ここの会員かもしれない」
「本当にそう思っていますか?」
ドアの向こうで、何やら押問答している声が聞こえた。その内の二つは、間違いない、哲夫とテータだ。
「こんなの、拉致じゃないですか!」
哲夫が声を荒げている。先日、テータとカップルのフリをして、テータの元彼を演じた杏にも、演技でやや強い口調になったことはあるが、今回のこれは本物の怒りだ。
「イオタに会わせなさい」
テータも、彼女らしからぬ命令形の口調で会員に迫っている。
「こちらです。我々は救済の使命を負っています。θ7354、あなたはその救済の天啓をもたらした方を裏切りましたね」
吉益ではない、別の声。
「裁きが下りますよ」
「裁かれるのはあちらです」
食堂のドアが開いた。会員に先導されて、哲夫とテータが入ってくる。後ろからも、何人かの男女がぞろぞろと入っていた。あの運転手、木戸もいる。彼は相変わらず、むっつりと黙り込んでいた。
「神林さん!」
哲夫は杏の顔を見て、ほっとした笑顔を見せた。
「国成さん!」
「ご無事で何よりです」
一方のテータは、イオタを睨みつけていた。その表情からは、感情と言う物が全て抜け落ちている、ように、杏には思える。
「イオタ、お前ここまでやるか」
テータはぶっきらぼうに言葉を放った。
「イオタ様になんてことを!」
会員の一人が声を上げるが、それを制したのはイオタだった。
「構いませんよ、皆さん。彼女と私の間柄ですから」
彼はそう言って微笑むと、杏にはわからない言葉で何かを喋り始めた。
『ずいぶんとこの358星人にご執心じゃないか、シータ』
『私に協力してくれている。お前にちょっかい出されて放って置ける人じゃないんだよ。ていうか、お前まだ星に帰ってなかったのか』
『もちろん。彼のデータを起動せよとの指令だ。君のお父上からのね』
『親子の縁は切ったよ。あいつの計画は潰す。当然お前もだ』
『大きく出たな!』
イオタがせせら笑う。杏と哲夫は顔を見交わした。何を言っているのかはさっぱりわからないが、テータがイオタに抗議していて、イオタがそれをあしらおうとしているのはわかる。
『そもそも、外部から洗脳データを起動させるなんてできるのか?』
『君は知らないだろうがね、その方法を開発して、手順を送っていただいたのさ。あの方の研究は絶対に有益だ。そこの彼のデータは絶対に起動させる』
『異星人の命をなんとも思ってない、こんな人体実験がまともなわけないだろう。歴史に学べないカスは失せろ』
『これは手厳しい。しかし……』
イオタはそこで、何かを取り出した。ずっしりとした首輪のようだ。杏は嫌な予感を覚える。予想通り、イオタは悠然とこちらに歩いてきて、その首輪を杏の首にはめた。あまりにも予想外の行動で、哲夫もテータも動けずにいる。
「な、なんですかこれ!?」
「これはね……スイッチを押すと毒針が出てくるチョーカーだよ。シータ、君が逆らうなら、彼の首輪を起動させる」
「卑怯者!」
「嘘だろ……」
テータは叫び、哲夫は蒼くなって杏を見た。杏は気が遠くなる。宇宙人に生殺与奪を握られてしまった……。
「もちろん君もだ、358星人。下手な真似をしてみろ。神林さんがどうなっても知らないぞ」
「そんなことをしたら、お前のデータ起動の目的だって……」
「誰が致死の毒だと言った? だが、ずいぶんと苦しむことにはなるだろうね。君たちの言動でね!」
イオタは楽しむように言う。杏は怒りと恐怖、両方の感情に囚われて吐き気を催した。
「おまえ!」
テータは無表情のまま、声だけ荒げて凄んで見せた。
(浪越さん、声だけすごい怒ってるのに、顔全然変わらないな)
杏は現実逃避でそんなことを考える。
その時思い出したのは、テータが、椎木香菜美の身体を突き破った鞭の様な触手に、肩口を殴られた時のこと。
肉が割け、血が飛び散ると思っていたあの時、何か固いものを叩くような音がしただけだった。
そして先日、哲夫が肩を叩いた時に見せた妙な表情。
何故か、それを思い出した。
テータが怒鳴る。イオタが嘲笑う。それに伴って、哲夫の顔が怒りで真っ赤になっていく。
「あなた、イオタ様の仲間になるのにはふさわしくありませんね」
不意に、声が聞こえた。見れば、こちらもやはり無表情の吉益が立っていた。
「吉益さん?」
これには、イオタも戸惑っているようだった。どうやら彼女が連れてきたらしい、他の会員たちが、みな敵意の籠もった目でテータを見ている。
「イオタ様、イオタ様は騙されています。こんな女に、あなたに暴言を吐く女に価値などない」
「彼女は、私が世話になっている人の近しい人なのです」
イオタは困惑しながら吉益をなだめようとした。
「なるほど。イオタ様はこう仰っていますが、あなたは当会に入会するご意思は?」
「ありません」
テータはきっぱりと答えた。
「可哀想に……イオタ様にここまで目を掛けてもらっているのに、それを拒否するなんて。でも大丈夫。後でわかりますからね」
「申し訳ありませんが、私と彼の道が交わることは絶対にありません」
「……シータ、一旦、落ち着いてくれないか」
吉益たちの不穏さに、イオタが慌て始めた。
「私がお前の言うことを聞くと思ってるのか?」
「ほほ、ほほほほほ……」
吉益は甲高く笑う。次の瞬間、彼女は顔を怒りに染め、
「そう言う口を叩くなって言ってんのよ! 小娘!」
テータに飛びかかり、彼女を床に倒した。
「おい、あんた何するんだ!」
哲夫が吉益を引き剥がそうとするが、他の会員に阻まれた。
「な、浪越さん!」
「ちょっと、皆さん、皆さん暴力はよくない! やめてくれ! 彼女を傷付けるのは!」
イオタも慌てたが、テータに対する敵愾心が頂点に達した彼らは聞かない。
やがて、人々がどいた。
そこには、ぴくりとも動かなくなり、多くの傷を負った浪越テータの身体があった。
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