23 / 39
HO5.黄金林檎を投げ込んで(6話)
5.パリスの器
しおりを挟む
それから数日後。哲夫が指定の場所にやってくると、待ち合わせ場所にはフェミニンな装いをした北畑成美が現れた。
「ずいぶんと雰囲気が変わりましたね」
「そうですか? この前は初めてだったからちょっとかっちり目で、今日はもう好きな格好で良いかなって」
少し甘えたような態度と声音だ。上目遣いで見られると、なるほど悪い気はしない。
(なんか、こう、いるだけで周りを巻き込む様な明るい)
けれど、哲夫の心を掴むような、そういう明るさのようなものは感じられない。
この前、テータから好みのタイプを聞かれて、応じてから、思い出してずっと意識の底に沈んでくれない気持ちが、哲夫を成美の誘惑から守ってくれる気がする。
(てっちゃん)
明るい声が、記憶の底から鼓膜を打つような。
「行きましょうか。経費で落とす都合で、あまり高い店には入れないのですが」
「大丈夫です。国成さんとだったらどこでもきっと楽しいですから」
「褒めても何も出ませんよ」
最近、ずっとこんなことを言っている気がする。
褒めても何も出ない。
でも褒めて欲しくはある。
当たり前のことを当たり前にこなして、そうすると「じゃあこれも」と負担を上乗せされるのが社会人。
当たり前のことだ。
弱音など吐いてはいけない。
褒められて出せるのは弱音だけだ。
だから褒められても何も出せない。
チェーンの喫茶店に入る向かい合った席に座って、それぞれが飲み物を注文した。哲夫はコーヒー、成美はアイスティーだ。
分室ではテータが紅茶ばかり淹れるので、コーヒーを飲む回数は減った。朝食の時に飲むくらいで、後は分室で飲む。紅茶はカフェイン量が多いと聞いたので、それからカフェインを含む飲み物は控えている。
なんとなく、おしゃれかなと思って買っただけのティーバッグだった。それを、協力者を求めて地球をさまよい、哲夫しかいない多摩分室を逆さになって窓から覗き込んでいた宇宙人に供した。それだけの話だ。
けれど、その宇宙人は、θ7354は、浪越テータはたいそう喜んだ。何が嬉しかったのかはわからない。自分を受け入れてお茶を出した地球人の存在は、慣れない土地に来た宇宙人にとってはありがたかったのだろう。そんなつもりではなかったけれど、そう思ったのだろうと想像すること自体は難しくない。
それから、テータはやたらと紅茶を振る舞いたがった。
「あの時、国成さんが紅茶を出してくれたのが、本当に嬉しかったんです」
今でも嬉しそうに語るテータ。
いつか彼女とも離れてしまう日がくる。
それを考えると、紅茶は彼女が淹れてくれる分だけで良いか、と言う気もしてしまう。夏になってからは、水出しアイスティーを作って律儀に毎朝それぞれの机に置いてくれるのだ。
「早速本題に入るのですが」
店員が去ると、哲夫は真面目な顔で成美に切り出した。彼女も、神妙な顔で座っている。スマートフォンを操作しながら、
「この人なんです」
メッセージアプリのトーク画面を表示させる。
「拝見しても?」
「はい。あ、あの、ちょっと、ディープなやりとりもしてるからあんまり遡ったりは……」
「わかってますよ」
ざっとトーク内容を見たところ、どうやら相手は環境汚染に対して心を痛めているようだった。「このままでは回り回って人類が破滅してしまうから」「ひいては人類を助けることになる」と。そういう、なんとも当たり前の事を言っているだけだった。これは『天啓』ではないだろう。
「この彼は、その後どういう行動に?」
「ん、私はこの後、予定を合わせるのが上手く行かなくなっちゃって、自然消滅しちゃって……だからその後どうしているかは知らないんですけど……もしかしたら、今SNSで話題になってるみたいなことしてるのかなぁ。美術館の絵にペンキ掛けるとか」
この言い回しでは、そこまで過激なことはしないだろう。そもそも、このトークでの話の発端も、カップラーメンの残り汁をどうするか、と言うところから始まった話題だったようだし。彼は今も地道に、個人でできる環境保全に勤しんでいることだろう。
「なるほど……持ち帰って検討します。この画面の写真を撮らせてもらっても構いませんか?」
「はい。お役に立てれば嬉しいです」
哲夫はトークが表示されている画面を写真に撮った。
「事務所に持ち帰って検討します」
「浪越さんとですか?」
「もう一人いますが、そうですね、浪越にも意見を聞くことになると思います」
「浪越さん、この前の『杏くん』って人に未練ありそうじゃなかったですか?」
いきなり「核心」を突いてくる。哲夫は目を瞬かせて、成美を見た。自分はきっと傷ついた顔をしているだろうが、それはテータのことではない。古傷がうずくだけ。
「……自分にも少しの未練がないわけではありませんから。彼女が彼に未練を持っていたとしても、文句を言う資格はありませんよ」
底抜けに明るい笑顔。明るく自分を呼ぶ声。
(まだ好きなんだもんなぁ)
「私だったら……国成さんみたいな人がいるのに元彼になびいたりしないけど」
開いた傷の痛みに目を伏せる哲夫の表情を、都合良く受け取った成美は更に踏み込んでくる。顔を上げて相手を見ると、彼女はそこで一旦引き下がる気になったらしく、
「あ、ごめんなさい、この前会っただけなのに、わかったような口利いて」
「いえ、構いませんよ。そうだ、北畑さん」
「はい、何でしょうか?」
「ギリシャ神話の、黄金林檎の話はご存知ですか?」
「え、知りません。物知りなんですね」
「俺は映画が好きで。そこから元ネタに当たったりするんですが……ギリシャ神話は色んなところでモチーフになっています。その内の一つがこの黄金林檎のエピソードで」
「そう、なんですか?」
話の行き先が見えないらしい。
「祝い事に呼ばれなかった不和の女神エリスが、パーティ会場に黄金の林檎を投げ込むんです」
「眠り姫みたい」
「そうですね。自分も似ていると思います。その林檎にはこう書いてあった。『最も美しい女性へ』」
「へえ……」
自分がそのたとえ話の中に入れられていることを察したのか、成美はやや警戒の表情を見せ始めた。
「その審判を羊飼いパリスに託された。彼の元には三人の女神がそれぞれ見返りを持ってやってくる。権力、勝利、そして美女です」
「パリスはどれを選んだんですか?」
「美女ですよ」
「男の人ってそうなんだ」
成美は面白そうに笑う。すぐにその笑みは鳴りを潜める。
「……それって、浪越さんが美女ってことですか?」
「いいえ。俺がこの話を持ち出したのは、俺にパリスは荷が重いなと思ったから」
選ぶ権利などない。
省内で出会った恋人の、仕事の都合に傷つく自分に。
選ぶ権利なんてない。
(てっちゃん、ごめんね)
いつも明るかった声に少し影が差してしまった時、勝手に更に傷ついた。そんな声をさせてしまった。そんな顔をさせてしまった。
悪いのは俺なんだ。
お前じゃない。
海外出向するその人を、成田に見送りにも行けなかった。もう別れたから良いんだと。そう言い聞かせて。
本当は、影差す顔を見たくないだけだったのに。
「そして、あなたに女神役も荷が重いと思いますよ」
「どういう意味ですか?」
「そのままの意味ですよ。こんなことはおよしなさい。恋人のいる男に燃えるなんて。黄金林檎の諍いに巻き込まれてしまうから」
パリスが選んだアフロディテ。女神が与えた美女が、その後トロイア戦争を引き起こした。彼女は既婚者だったから。
「なんて、説教くさい話はここら辺にして、あなたには別でお伺いしたいことがあります。満岡飛鳥さんのことです」
「飛鳥の?」
「あなた、満岡さんからなんて建前で呼び出されたんですか?」
数日後、多摩分室にて。
経過を報告したい、と言って、哲夫は満岡飛鳥を多摩分室に呼び出していた。杏はまた給湯室に隠れている。合図があったら、登場する手筈になっていた。なんだか舞台装置のようだ。
「古代ギリシャでは、都合良く登場して物語を解決していく存在をデウス・エクス・マキナって言うんだけど、今回の神林さんはそんな感じだな」
哲夫はそんなことを言っていた。
「国成さん、宇宙関連だから理系ですよね? 文化系詳しくないですか?」
「別に理系が映画見ちゃいけないわけでもないだろ」
それはそうである。
過日、北畑成美を呼び出した時にした黄金林檎の話を、哲夫は杏たちにも聞かせた。
「なるほど。北畑さんを名指しした黄金の林檎を、満岡さんがこの分室に投げ込んだ、と言うわけですね」
テータは納得したように頷いた。
「まあ、細かい所は全然違うんだが、ちょっと似てて面白いなって」
「そうですね」
正直よくわかっていないので、後で調べようと思った杏であった。
そして、その時はやってきた。チャイムの音。応じるテータ。名乗る飛鳥。この前と同じだ。杏が給湯室に隠れているところも含めて。
「こんにちは。よろしくお願いします」
「お呼び立てして申し訳ありません」
「いえ。それで、何かわかりましたか? 成美は大丈夫なんでしょうか?」
「そのことなんですけどね」
哲夫は先日、成美と会った時のことを話した。その間に、テータがアイスティーをグラスに注いで四人分を運ぶ。見かけない四人目のためのグラスに、飛鳥は何か感じただろうか。
「むしろ、本当にこちらに情報提供をしようとする、善意の情報提供者に思えました。『人を救う』と言うこだわりは感じられません」
「そうですか……」
「まあ、最近やたらと付き合う人をとっかえひっかえしてるの、本人にも自覚があったみたいですね。本人も、他人の彼氏にしか興味がない状態には正直自分でも嫌気が差しているらしいです」
そういう不安や焦燥が、付き合いを上手くいかなくさせていたのではないか、と言うのが北畑成美の自己分析だった。
「直せそうですか?」
あの日、喫茶店で、成美から打ち明けられた哲夫はそう尋ねた。
「多分無理ですね。今だってこのまま国成さん口説きたいですから」
「それは無理ですね」
「また連絡しても良いですか?」
「ご遠慮ください」
「そうですよね」
と、互いに苦い顔をしながら別れたのだった。
表情を作らなくなった成美はずいぶんと疲れているように見えた、と後で哲夫は杏とテータに語る。
「それで、あなたになんて言って呼び出されたのかって聞いたんですよ。そうしたら、彼女面白いことを言っていました」
杏は緊張した。ここからが本番だ。
「『私を救うと思って来て欲しい』。そう言われたと。トーク画面も見せて貰いました。北畑さんは、あなたがそんな風に言うなんて珍しい。いつも、自分があなたを助けることなんて期待してないのに、と言っていましたよ」
「……自覚はあったんですね」
「そうみたいです」
飛鳥の、押し殺した嫌みを、哲夫はさらりと流した。
「満岡飛鳥さん。あなた、どうして『救済』がキーワードだって知ってたんですか?」
「インターネットの掲示板を見たからです」
「とてもそういう所にアクセスするような方には見えませんが」
「人を見た目で判断しない方が良いんじゃないですか? 男の人って皆そう。だから成美みたいなのに引っかかる。あなたも、成美の方が良いなって思ったんでしょ? 私なんかより」
「自分はどちらも女性としては見ません」
哲夫はやや強い口調で返す。
「『天啓』を受けたのはあなたの方ですね、満岡飛鳥さん。北畑成美さんの人生に、不和の黄金林檎を投げ込んだのはあなただ」
「私が? 私が『救済』の『天啓』を受けたとして、誰を助けようとしましたか? 成美じゃないのはわかりきってるでしょ? それとも、彼女を懲らしめて周りの女子たちを救うって? ずいぶんと回りくどいと思いますけど」
「そうですね。そういう意味ではあなたは『救済者』らしくはありません」
話を引き取ったのはテータだった。
「私たちもこういうケースは初めてでした。今までの人は、皆他人を救おうとしていたから。でも、あなたは違いますね」
「あなたが『救済』しようとしているのは『ご自分』なのではないでしょうか」
「ずいぶんと雰囲気が変わりましたね」
「そうですか? この前は初めてだったからちょっとかっちり目で、今日はもう好きな格好で良いかなって」
少し甘えたような態度と声音だ。上目遣いで見られると、なるほど悪い気はしない。
(なんか、こう、いるだけで周りを巻き込む様な明るい)
けれど、哲夫の心を掴むような、そういう明るさのようなものは感じられない。
この前、テータから好みのタイプを聞かれて、応じてから、思い出してずっと意識の底に沈んでくれない気持ちが、哲夫を成美の誘惑から守ってくれる気がする。
(てっちゃん)
明るい声が、記憶の底から鼓膜を打つような。
「行きましょうか。経費で落とす都合で、あまり高い店には入れないのですが」
「大丈夫です。国成さんとだったらどこでもきっと楽しいですから」
「褒めても何も出ませんよ」
最近、ずっとこんなことを言っている気がする。
褒めても何も出ない。
でも褒めて欲しくはある。
当たり前のことを当たり前にこなして、そうすると「じゃあこれも」と負担を上乗せされるのが社会人。
当たり前のことだ。
弱音など吐いてはいけない。
褒められて出せるのは弱音だけだ。
だから褒められても何も出せない。
チェーンの喫茶店に入る向かい合った席に座って、それぞれが飲み物を注文した。哲夫はコーヒー、成美はアイスティーだ。
分室ではテータが紅茶ばかり淹れるので、コーヒーを飲む回数は減った。朝食の時に飲むくらいで、後は分室で飲む。紅茶はカフェイン量が多いと聞いたので、それからカフェインを含む飲み物は控えている。
なんとなく、おしゃれかなと思って買っただけのティーバッグだった。それを、協力者を求めて地球をさまよい、哲夫しかいない多摩分室を逆さになって窓から覗き込んでいた宇宙人に供した。それだけの話だ。
けれど、その宇宙人は、θ7354は、浪越テータはたいそう喜んだ。何が嬉しかったのかはわからない。自分を受け入れてお茶を出した地球人の存在は、慣れない土地に来た宇宙人にとってはありがたかったのだろう。そんなつもりではなかったけれど、そう思ったのだろうと想像すること自体は難しくない。
それから、テータはやたらと紅茶を振る舞いたがった。
「あの時、国成さんが紅茶を出してくれたのが、本当に嬉しかったんです」
今でも嬉しそうに語るテータ。
いつか彼女とも離れてしまう日がくる。
それを考えると、紅茶は彼女が淹れてくれる分だけで良いか、と言う気もしてしまう。夏になってからは、水出しアイスティーを作って律儀に毎朝それぞれの机に置いてくれるのだ。
「早速本題に入るのですが」
店員が去ると、哲夫は真面目な顔で成美に切り出した。彼女も、神妙な顔で座っている。スマートフォンを操作しながら、
「この人なんです」
メッセージアプリのトーク画面を表示させる。
「拝見しても?」
「はい。あ、あの、ちょっと、ディープなやりとりもしてるからあんまり遡ったりは……」
「わかってますよ」
ざっとトーク内容を見たところ、どうやら相手は環境汚染に対して心を痛めているようだった。「このままでは回り回って人類が破滅してしまうから」「ひいては人類を助けることになる」と。そういう、なんとも当たり前の事を言っているだけだった。これは『天啓』ではないだろう。
「この彼は、その後どういう行動に?」
「ん、私はこの後、予定を合わせるのが上手く行かなくなっちゃって、自然消滅しちゃって……だからその後どうしているかは知らないんですけど……もしかしたら、今SNSで話題になってるみたいなことしてるのかなぁ。美術館の絵にペンキ掛けるとか」
この言い回しでは、そこまで過激なことはしないだろう。そもそも、このトークでの話の発端も、カップラーメンの残り汁をどうするか、と言うところから始まった話題だったようだし。彼は今も地道に、個人でできる環境保全に勤しんでいることだろう。
「なるほど……持ち帰って検討します。この画面の写真を撮らせてもらっても構いませんか?」
「はい。お役に立てれば嬉しいです」
哲夫はトークが表示されている画面を写真に撮った。
「事務所に持ち帰って検討します」
「浪越さんとですか?」
「もう一人いますが、そうですね、浪越にも意見を聞くことになると思います」
「浪越さん、この前の『杏くん』って人に未練ありそうじゃなかったですか?」
いきなり「核心」を突いてくる。哲夫は目を瞬かせて、成美を見た。自分はきっと傷ついた顔をしているだろうが、それはテータのことではない。古傷がうずくだけ。
「……自分にも少しの未練がないわけではありませんから。彼女が彼に未練を持っていたとしても、文句を言う資格はありませんよ」
底抜けに明るい笑顔。明るく自分を呼ぶ声。
(まだ好きなんだもんなぁ)
「私だったら……国成さんみたいな人がいるのに元彼になびいたりしないけど」
開いた傷の痛みに目を伏せる哲夫の表情を、都合良く受け取った成美は更に踏み込んでくる。顔を上げて相手を見ると、彼女はそこで一旦引き下がる気になったらしく、
「あ、ごめんなさい、この前会っただけなのに、わかったような口利いて」
「いえ、構いませんよ。そうだ、北畑さん」
「はい、何でしょうか?」
「ギリシャ神話の、黄金林檎の話はご存知ですか?」
「え、知りません。物知りなんですね」
「俺は映画が好きで。そこから元ネタに当たったりするんですが……ギリシャ神話は色んなところでモチーフになっています。その内の一つがこの黄金林檎のエピソードで」
「そう、なんですか?」
話の行き先が見えないらしい。
「祝い事に呼ばれなかった不和の女神エリスが、パーティ会場に黄金の林檎を投げ込むんです」
「眠り姫みたい」
「そうですね。自分も似ていると思います。その林檎にはこう書いてあった。『最も美しい女性へ』」
「へえ……」
自分がそのたとえ話の中に入れられていることを察したのか、成美はやや警戒の表情を見せ始めた。
「その審判を羊飼いパリスに託された。彼の元には三人の女神がそれぞれ見返りを持ってやってくる。権力、勝利、そして美女です」
「パリスはどれを選んだんですか?」
「美女ですよ」
「男の人ってそうなんだ」
成美は面白そうに笑う。すぐにその笑みは鳴りを潜める。
「……それって、浪越さんが美女ってことですか?」
「いいえ。俺がこの話を持ち出したのは、俺にパリスは荷が重いなと思ったから」
選ぶ権利などない。
省内で出会った恋人の、仕事の都合に傷つく自分に。
選ぶ権利なんてない。
(てっちゃん、ごめんね)
いつも明るかった声に少し影が差してしまった時、勝手に更に傷ついた。そんな声をさせてしまった。そんな顔をさせてしまった。
悪いのは俺なんだ。
お前じゃない。
海外出向するその人を、成田に見送りにも行けなかった。もう別れたから良いんだと。そう言い聞かせて。
本当は、影差す顔を見たくないだけだったのに。
「そして、あなたに女神役も荷が重いと思いますよ」
「どういう意味ですか?」
「そのままの意味ですよ。こんなことはおよしなさい。恋人のいる男に燃えるなんて。黄金林檎の諍いに巻き込まれてしまうから」
パリスが選んだアフロディテ。女神が与えた美女が、その後トロイア戦争を引き起こした。彼女は既婚者だったから。
「なんて、説教くさい話はここら辺にして、あなたには別でお伺いしたいことがあります。満岡飛鳥さんのことです」
「飛鳥の?」
「あなた、満岡さんからなんて建前で呼び出されたんですか?」
数日後、多摩分室にて。
経過を報告したい、と言って、哲夫は満岡飛鳥を多摩分室に呼び出していた。杏はまた給湯室に隠れている。合図があったら、登場する手筈になっていた。なんだか舞台装置のようだ。
「古代ギリシャでは、都合良く登場して物語を解決していく存在をデウス・エクス・マキナって言うんだけど、今回の神林さんはそんな感じだな」
哲夫はそんなことを言っていた。
「国成さん、宇宙関連だから理系ですよね? 文化系詳しくないですか?」
「別に理系が映画見ちゃいけないわけでもないだろ」
それはそうである。
過日、北畑成美を呼び出した時にした黄金林檎の話を、哲夫は杏たちにも聞かせた。
「なるほど。北畑さんを名指しした黄金の林檎を、満岡さんがこの分室に投げ込んだ、と言うわけですね」
テータは納得したように頷いた。
「まあ、細かい所は全然違うんだが、ちょっと似てて面白いなって」
「そうですね」
正直よくわかっていないので、後で調べようと思った杏であった。
そして、その時はやってきた。チャイムの音。応じるテータ。名乗る飛鳥。この前と同じだ。杏が給湯室に隠れているところも含めて。
「こんにちは。よろしくお願いします」
「お呼び立てして申し訳ありません」
「いえ。それで、何かわかりましたか? 成美は大丈夫なんでしょうか?」
「そのことなんですけどね」
哲夫は先日、成美と会った時のことを話した。その間に、テータがアイスティーをグラスに注いで四人分を運ぶ。見かけない四人目のためのグラスに、飛鳥は何か感じただろうか。
「むしろ、本当にこちらに情報提供をしようとする、善意の情報提供者に思えました。『人を救う』と言うこだわりは感じられません」
「そうですか……」
「まあ、最近やたらと付き合う人をとっかえひっかえしてるの、本人にも自覚があったみたいですね。本人も、他人の彼氏にしか興味がない状態には正直自分でも嫌気が差しているらしいです」
そういう不安や焦燥が、付き合いを上手くいかなくさせていたのではないか、と言うのが北畑成美の自己分析だった。
「直せそうですか?」
あの日、喫茶店で、成美から打ち明けられた哲夫はそう尋ねた。
「多分無理ですね。今だってこのまま国成さん口説きたいですから」
「それは無理ですね」
「また連絡しても良いですか?」
「ご遠慮ください」
「そうですよね」
と、互いに苦い顔をしながら別れたのだった。
表情を作らなくなった成美はずいぶんと疲れているように見えた、と後で哲夫は杏とテータに語る。
「それで、あなたになんて言って呼び出されたのかって聞いたんですよ。そうしたら、彼女面白いことを言っていました」
杏は緊張した。ここからが本番だ。
「『私を救うと思って来て欲しい』。そう言われたと。トーク画面も見せて貰いました。北畑さんは、あなたがそんな風に言うなんて珍しい。いつも、自分があなたを助けることなんて期待してないのに、と言っていましたよ」
「……自覚はあったんですね」
「そうみたいです」
飛鳥の、押し殺した嫌みを、哲夫はさらりと流した。
「満岡飛鳥さん。あなた、どうして『救済』がキーワードだって知ってたんですか?」
「インターネットの掲示板を見たからです」
「とてもそういう所にアクセスするような方には見えませんが」
「人を見た目で判断しない方が良いんじゃないですか? 男の人って皆そう。だから成美みたいなのに引っかかる。あなたも、成美の方が良いなって思ったんでしょ? 私なんかより」
「自分はどちらも女性としては見ません」
哲夫はやや強い口調で返す。
「『天啓』を受けたのはあなたの方ですね、満岡飛鳥さん。北畑成美さんの人生に、不和の黄金林檎を投げ込んだのはあなただ」
「私が? 私が『救済』の『天啓』を受けたとして、誰を助けようとしましたか? 成美じゃないのはわかりきってるでしょ? それとも、彼女を懲らしめて周りの女子たちを救うって? ずいぶんと回りくどいと思いますけど」
「そうですね。そういう意味ではあなたは『救済者』らしくはありません」
話を引き取ったのはテータだった。
「私たちもこういうケースは初めてでした。今までの人は、皆他人を救おうとしていたから。でも、あなたは違いますね」
「あなたが『救済』しようとしているのは『ご自分』なのではないでしょうか」
0
お気に入りに追加
0
あなたにおすすめの小説
ハミット 不死身の仙人
マーク・キシロ
SF
どこかの辺境地に不死身の仙人が住んでいるという。
誰よりも美しく最強で、彼に会うと誰もが魅了されてしまうという仙人。
世紀末と言われた戦後の世界。
何故不死身になったのか、様々なミュータントの出現によって彼を巡る物語や壮絶な戦いが起き始める。
母親が亡くなり、ひとりになった少女は遺言を手掛かりに、その人に会いに行かねばならない。
出会い編
青春編
ハンター編
解明編
*明確な国名などはなく、近未来の擬似世界です。
*過激な表現もあるので、苦手な方はご注意下さい。
ちょっと大人な体験談はこちらです
神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない
ちょっと大人な体験談です。
日常に突然訪れる刺激的な体験。
少し非日常を覗いてみませんか?
あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ?
※本作品ではPixai.artで作成した生成AI画像ならびに
Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。
※不定期更新です。
※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。
忘却の艦隊
KeyBow
SF
新設された超弩級砲艦を旗艦とし新造艦と老朽艦の入れ替え任務に就いていたが、駐留基地に入るには数が多く、月の1つにて物資と人員の入れ替えを行っていた。
大型輸送艦は工作艦を兼ねた。
総勢250艦の航宙艦は退役艦が110艦、入れ替え用が同数。
残り30艦は増強に伴い新規配備される艦だった。
輸送任務の最先任士官は大佐。
新造砲艦の設計にも関わり、旗艦の引き渡しのついでに他の艦の指揮も執り行っていた。
本来艦隊の指揮は少将以上だが、輸送任務の為、設計に関わった大佐が任命された。
他に星系防衛の指揮官として少将と、退役間近の大将とその副官や副長が視察の為便乗していた。
公安に近い監査だった。
しかし、この2名とその側近はこの艦隊及び駐留艦隊の指揮系統から外れている。
そんな人員の載せ替えが半分ほど行われた時に中緊急警報が鳴り、ライナン星系第3惑星より緊急の救援要請が入る。
機転を利かせ砲艦で敵の大半を仕留めるも、苦し紛れに敵は主系列星を人口ブラックホールにしてしまった。
完全にブラックホールに成長し、その重力から逃れられないようになるまで数分しか猶予が無かった。
意図しない戦闘の影響から士気はだだ下がり。そのブラックホールから逃れる為、禁止されている重力ジャンプを敢行する。
恒星から近い距離では禁止されているし、システム的にも不可だった。
なんとか制限内に解除し、重力ジャンプを敢行した。
しかし、禁止されているその理由通りの状況に陥った。
艦隊ごとセットした座標からズレ、恒星から数光年離れた所にジャンプし【ワープのような架空の移動方法】、再び重力ジャンプ可能な所まで移動するのに33年程掛かる。
そんな中忘れ去られた艦隊が33年の月日の後、本星へと帰還を目指す。
果たして彼らは帰還できるのか?
帰還出来たとして彼らに待ち受ける運命は?
CREATED WORLD
猫手水晶
SF
惑星アケラは、大気汚染や森林伐採により、いずれ人類が住み続けることができなくなってしまう事がわかった。
惑星アケラに住む人類は絶滅を免れる為に、安全に生活を送れる場所を探す事が必要となった。
宇宙に人間が住める惑星を探そうという提案もあったが、惑星アケラの周りに人が住めるような環境の星はなく、見つける前に人類が絶滅してしまうだろうという理由で、現実性に欠けるものだった。
「人間が住めるような場所を自分で作ろう」という提案もあったが、資材や重力の方向の問題により、それも現実性に欠ける。
そこで科学者は「自分達で世界を構築するのなら、世界をそのまま宇宙に作るのではなく、自分達で『宇宙』にあたる空間を新たに作り出し、その空間で人間が生活できるようにすれば良いのではないか。」と。
【おんJ】 彡(゚)(゚)ファッ!?ワイが天下分け目の関ヶ原の戦いに!?
俊也
SF
これまた、かつて私がおーぷん2ちゃんねるに載せ、ご好評頂きました戦国架空戦記SSです。
この他、
「新訳 零戦戦記」
「総統戦記」もよろしくお願いします。
シーフードミックス
黒はんぺん
SF
ある日あたしはロブスターそっくりの宇宙人と出会いました。出会ったその日にハンバーガーショップで話し込んでしまいました。
以前からあたしに憑依する何者かがいたけれど、それは宇宙人さんとは無関係らしい。でも、その何者かさんはあたしに警告するために、とうとうあたしの内宇宙に乗り込んできたの。
ちょっとびっくりだけど、あたしの内宇宙には天の川銀河やアンドロメダ銀河があります。よかったら見物してってね。
内なる宇宙にもあたしの住むご町内にも、未知の生命体があふれてる。遭遇の日々ですね。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる