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HO3.あなたの一番のユーザー(5話)
5.焦燥の果て
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椎木香菜美も、これまでの被害者と同様、摘出手術を受けた。手術は成功したが、不穏状態が続いているらしい。
「元々、孤立しやすい性格だったみたいだな」
最近の行動について、彼女の勤務先である、江藤和也が入院している病院で聞き取りを行ったが、「確かにやや頑固になったかもしれないが、元々思い込みの激しい性格だから、特におかしいとは誰も思わなかった。注意されても受け入れられないでふてくされているだけだと思っていた」と言う話が聞かれた。
「多分、このアカウントです」
来栖ユーリ名義で活動している斎藤伽椰子から教えて貰った、椎木香菜美らしきアカウントでも、やりとりをしている相手から「そういう話はしていない」と指摘されることも多く見受けられた。元々、相手の発言の趣旨を上手く汲み取れず、自分の言っていることを認めてもらえない、と言う思いはあったのだろう。
「なんだか、可哀想ですね」
杏は画面から目をそらした。
「うん」
哲夫も倦んだような声で頷いた。
「こういう時って、どう対応するのが正解なんだろうな……」
香菜美はずっと「お前の言っていることは間違っている」と言われ続けたのだろう。「私の言ってることを認めてよ」と、あの時叫んでいたが、それは「来栖ユーリを名乗っているそいつが犀東かやこであること、自分を嫌っていること、それは間違っていることを認めろ」と言う意味であると同時に、ここまでの人生で否定され続けた、自分の解釈や発言とか、そういう物について正しいと認めろ、と言う意味も含まれていたのかもしれない。
けれど、「こう思ってますよね?」と言われて、思ってもないことを「そうです」と言うことはできない。言っても良いのだろうが、その後はまたどこかでこじれてしまうことだろう。
「私も」
テータはぼんやりと窓の外を見ている。
「上司に反発して飛び出してきたのは正しいのだろうかと、そう自問することはあります。地球の人は『正しい』と言ってくれると思いますが、私の星の常識ではどうなんだろう。私は、本当は椎木さんの様にとんでもない思い違いをしているんじゃないか。どんどん間違って、自分の破滅に近付いてるんじゃないか。そう思うことはあります」
「浪越さん……」
哲夫はそんな彼女を痛ましげに見ている。正しいよ、と言う事は簡単だが、テータはそう言われることを望んで心情を吐露しているわけではないことは明白だ。
そう、彼女は母星に反旗を翻しているのだ。そう悩むこと自体は当然のことだし、杏にも哲夫にも想像を絶する葛藤がそこにあるのだろう。
彼女も人間だから。
「俺はさ、浪越さんが来てくれて良かったと思ってるよ」
哲夫は静かに告げた。そこには、杏が加入する前から組んでいる、信頼関係から出る重みがある。だから杏は黙っていた。
「だから、もし今からでも星に帰るか、それでも地球のために頑張ってくれるか、悩むことになったら、少なくとも俺はそう思ってるってことは思い出して、判断に加えてくれ。神林さんは?」
杏は自分に水を向けられて、目を丸くした。僕も入れてもらえるのか。少し、嬉しかった。
「僕もです。浪越さんがいなくなったら寂しいです」
テータは微笑んだ。
「ありがとう。ごめんなさい、ちょっとした気の迷いでしたね」
「悩むのは当然だ」
哲夫は頷いた。
「また何かあったら話してくれ」
「はい、ありがとうございます。神林さんも」
「はい」
しんみりとして空気が流れる。それを破ったのは哲夫だった。
「それにしても、結晶を摘出された被害者は、神林さんの『天啓』の特異さには気付かないと見て良さそうだな」
そう、香菜美の退勤を待ち伏せする前に、既に退院して日常生活に戻っている「被害者」と杏の面会が行われたのだ。
その反応は和也と同じ。杏が自分たちと異なる「天啓」を受けていることに気付かなかった。
つまり、杏の「天啓」に反応する感受性は結晶の中にあると考えて良いだろう。
それが何を意味するのか、今後にどう活かすことができるのか……それが課題になってくる。
「しかし、浪越さんが、神林さんの『天啓』を感じ取れないと言うのも不思議だよな」
哲夫が首を傾げた。
確かに。それは杏も不思議に思っている。結晶はテータの星由来のものなのだから、同じ星の人間であるテータの方がそういう感受性があってもおかしくないと思うのだが。
「それについては、私も理由が全く想像できないですねぇ」
テータは頬に手を当てて考える。
「私にわからない、と言うことも、何かの手がかりだとは思うのですが……今はそこから類推する材料を持ち得ません」
「それは、今後の調査で明らかになることを祈ろう」
哲夫は頷いた。
「はい」
テータにも哲夫にも思いつかないなら、自分にはもっと思いつかない。
今はまだ、待ちなのだろう。
(僕ももっと、役に立たないと)
椎木香菜美の、「私を認めて欲しい」と言う切なる悲鳴が思い出された。
いけない、この焦りが肥大化したら、きっとあんな風に……。
唇を引き結ぶ。
今はまだ、待ちなのだ。
「疲れた~!」
犀東かやこ名義でイラストレーターの活動をしている女性は、夜の十一時に自宅に到着した。
「あら、お帰りなさい。大変だったねぇ」
起きていたらしい母が出迎えてくれる。お金を貯めたら一人暮らしをする予定ではあるが、この出迎えがあると、やはり実家から出られないな、と言う気持ちになってしまう。
「いやもう本当に。いつになったら落ち着いてくれるんだ」
彼女は都内の会社に勤める会社員だ。先週から、新プロジェクトが発足し、かやこは初めて新プロジェクトに参加した。立ち上げはやることが多く、不慣れな部分も多いかやこは、新プロジェクトに慣れているベテラン社員に比べると仕事に時間もかかる。よって残業時間が飛躍的に伸びてしまった、と言うわけである。ちなみに、退勤はかやこがチーム内で二番目に早かった。何かがおかしい。
「イラストは間に合うの?」
「さすがに仕事もう受けてないよ」
コミッションのイラストはあくまでも副業だ。定時で帰れることが多かったので、結構な件数をこなせていたが、こうなってしまうと依頼の受注を止めてしまうしかない。新規の受付を停止する旨の文言を載せ、コミッションサイトもリクエストを停止している。詳細を報告しようかとも思ったが……正直、オフラインでの事情をインターネットに載せるのがはばかられて詳しいことは何も書いていない。
(そういえば、あの人にコメント返し忘れてコメ欄閉じちゃったな……)
よく依頼をしてくれる、常連と呼べるユーザーがいるが、彼女(多分女性だろう)がコメントをくれたのに、活動休止に伴って慌ててコメント受付停止設定にしてしまった。感じ悪いかな。今度の休みに一瞬開けて返さなくちゃ。
……正直、最近リクエスト文に書いていないが、「そう読めなくもない」ことを描写するように要求されて少し怖かったりもしたので、この活動休止で距離が取れるのは良かったのかもしれない。また依頼してくれるかは別だが。決して安いとは言えない金額を払わせているので。
(まあ良いか。気に入らないなら、頼まない方が健全だしね)
とりあえず、夕飯だ。かやこは一旦着替えるために自室に向かったのだった。
参考文献
「ミザリー」スティーヴン・キング 文春文庫
「元々、孤立しやすい性格だったみたいだな」
最近の行動について、彼女の勤務先である、江藤和也が入院している病院で聞き取りを行ったが、「確かにやや頑固になったかもしれないが、元々思い込みの激しい性格だから、特におかしいとは誰も思わなかった。注意されても受け入れられないでふてくされているだけだと思っていた」と言う話が聞かれた。
「多分、このアカウントです」
来栖ユーリ名義で活動している斎藤伽椰子から教えて貰った、椎木香菜美らしきアカウントでも、やりとりをしている相手から「そういう話はしていない」と指摘されることも多く見受けられた。元々、相手の発言の趣旨を上手く汲み取れず、自分の言っていることを認めてもらえない、と言う思いはあったのだろう。
「なんだか、可哀想ですね」
杏は画面から目をそらした。
「うん」
哲夫も倦んだような声で頷いた。
「こういう時って、どう対応するのが正解なんだろうな……」
香菜美はずっと「お前の言っていることは間違っている」と言われ続けたのだろう。「私の言ってることを認めてよ」と、あの時叫んでいたが、それは「来栖ユーリを名乗っているそいつが犀東かやこであること、自分を嫌っていること、それは間違っていることを認めろ」と言う意味であると同時に、ここまでの人生で否定され続けた、自分の解釈や発言とか、そういう物について正しいと認めろ、と言う意味も含まれていたのかもしれない。
けれど、「こう思ってますよね?」と言われて、思ってもないことを「そうです」と言うことはできない。言っても良いのだろうが、その後はまたどこかでこじれてしまうことだろう。
「私も」
テータはぼんやりと窓の外を見ている。
「上司に反発して飛び出してきたのは正しいのだろうかと、そう自問することはあります。地球の人は『正しい』と言ってくれると思いますが、私の星の常識ではどうなんだろう。私は、本当は椎木さんの様にとんでもない思い違いをしているんじゃないか。どんどん間違って、自分の破滅に近付いてるんじゃないか。そう思うことはあります」
「浪越さん……」
哲夫はそんな彼女を痛ましげに見ている。正しいよ、と言う事は簡単だが、テータはそう言われることを望んで心情を吐露しているわけではないことは明白だ。
そう、彼女は母星に反旗を翻しているのだ。そう悩むこと自体は当然のことだし、杏にも哲夫にも想像を絶する葛藤がそこにあるのだろう。
彼女も人間だから。
「俺はさ、浪越さんが来てくれて良かったと思ってるよ」
哲夫は静かに告げた。そこには、杏が加入する前から組んでいる、信頼関係から出る重みがある。だから杏は黙っていた。
「だから、もし今からでも星に帰るか、それでも地球のために頑張ってくれるか、悩むことになったら、少なくとも俺はそう思ってるってことは思い出して、判断に加えてくれ。神林さんは?」
杏は自分に水を向けられて、目を丸くした。僕も入れてもらえるのか。少し、嬉しかった。
「僕もです。浪越さんがいなくなったら寂しいです」
テータは微笑んだ。
「ありがとう。ごめんなさい、ちょっとした気の迷いでしたね」
「悩むのは当然だ」
哲夫は頷いた。
「また何かあったら話してくれ」
「はい、ありがとうございます。神林さんも」
「はい」
しんみりとして空気が流れる。それを破ったのは哲夫だった。
「それにしても、結晶を摘出された被害者は、神林さんの『天啓』の特異さには気付かないと見て良さそうだな」
そう、香菜美の退勤を待ち伏せする前に、既に退院して日常生活に戻っている「被害者」と杏の面会が行われたのだ。
その反応は和也と同じ。杏が自分たちと異なる「天啓」を受けていることに気付かなかった。
つまり、杏の「天啓」に反応する感受性は結晶の中にあると考えて良いだろう。
それが何を意味するのか、今後にどう活かすことができるのか……それが課題になってくる。
「しかし、浪越さんが、神林さんの『天啓』を感じ取れないと言うのも不思議だよな」
哲夫が首を傾げた。
確かに。それは杏も不思議に思っている。結晶はテータの星由来のものなのだから、同じ星の人間であるテータの方がそういう感受性があってもおかしくないと思うのだが。
「それについては、私も理由が全く想像できないですねぇ」
テータは頬に手を当てて考える。
「私にわからない、と言うことも、何かの手がかりだとは思うのですが……今はそこから類推する材料を持ち得ません」
「それは、今後の調査で明らかになることを祈ろう」
哲夫は頷いた。
「はい」
テータにも哲夫にも思いつかないなら、自分にはもっと思いつかない。
今はまだ、待ちなのだろう。
(僕ももっと、役に立たないと)
椎木香菜美の、「私を認めて欲しい」と言う切なる悲鳴が思い出された。
いけない、この焦りが肥大化したら、きっとあんな風に……。
唇を引き結ぶ。
今はまだ、待ちなのだ。
「疲れた~!」
犀東かやこ名義でイラストレーターの活動をしている女性は、夜の十一時に自宅に到着した。
「あら、お帰りなさい。大変だったねぇ」
起きていたらしい母が出迎えてくれる。お金を貯めたら一人暮らしをする予定ではあるが、この出迎えがあると、やはり実家から出られないな、と言う気持ちになってしまう。
「いやもう本当に。いつになったら落ち着いてくれるんだ」
彼女は都内の会社に勤める会社員だ。先週から、新プロジェクトが発足し、かやこは初めて新プロジェクトに参加した。立ち上げはやることが多く、不慣れな部分も多いかやこは、新プロジェクトに慣れているベテラン社員に比べると仕事に時間もかかる。よって残業時間が飛躍的に伸びてしまった、と言うわけである。ちなみに、退勤はかやこがチーム内で二番目に早かった。何かがおかしい。
「イラストは間に合うの?」
「さすがに仕事もう受けてないよ」
コミッションのイラストはあくまでも副業だ。定時で帰れることが多かったので、結構な件数をこなせていたが、こうなってしまうと依頼の受注を止めてしまうしかない。新規の受付を停止する旨の文言を載せ、コミッションサイトもリクエストを停止している。詳細を報告しようかとも思ったが……正直、オフラインでの事情をインターネットに載せるのがはばかられて詳しいことは何も書いていない。
(そういえば、あの人にコメント返し忘れてコメ欄閉じちゃったな……)
よく依頼をしてくれる、常連と呼べるユーザーがいるが、彼女(多分女性だろう)がコメントをくれたのに、活動休止に伴って慌ててコメント受付停止設定にしてしまった。感じ悪いかな。今度の休みに一瞬開けて返さなくちゃ。
……正直、最近リクエスト文に書いていないが、「そう読めなくもない」ことを描写するように要求されて少し怖かったりもしたので、この活動休止で距離が取れるのは良かったのかもしれない。また依頼してくれるかは別だが。決して安いとは言えない金額を払わせているので。
(まあ良いか。気に入らないなら、頼まない方が健全だしね)
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参考文献
「ミザリー」スティーヴン・キング 文春文庫
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