会えない時間の二人(BL習作集)

三枝七星

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モンブランが食べたい【新塩】

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「甘い物食べたいね」
 新川修治しんかわしゅうじが夕食後にくつろいでいると、同居の恋人である塩原渚しおばらなぎさが緑茶をすすりながら呟いた。
「のど飴しかないけど……」
「あ、それで良いです」
 新川が申し訳なさそうに言うと、塩原はにこりと笑って肯いた。夏場に、クーラーで喉を痛めた時に買った残りだ。
「今度、何かケーキ買ってきて良い? 修治さん食べる?」
 飴の個包装を慣れた手つきで破りながら、塩原が問う。なんでも、休憩室で同僚の看護師が、コンビニスイーツのモンブランを食べていたら食べたくなってしまったらしい。
「ああ、良いね」
 彼は肯いた。同時に、脳裏に浮かぶのは駅までの道にあるパティスリーの店構えだ。離婚した妻が、まだ婚姻関係の妻であった頃、記念日の都度、その店でケーキや菓子類を買った。誰かにちょっとした贈り物をするときも、そこの焼き菓子を買っていた。
(とは言うものの……)
 それをどう伝えるべきか、新川は少し悩んだ。と言うのも、一見さっぱりしている様に見える看護師の恋人は、なかなかに嫉妬深い。付き合う前にはさばさばしている……なんならやや冷たい印象すら受けていたのに、付き合ってから徐々にその嫉妬の片鱗を見せるようになった。意外である一方、何だかその嫉妬に、自分に対する独占欲と言うか、好きが高じている様を感じ取ってしまって満更でもない新川である。
「なぁに? にやにやして」
 満更でもない気持ちが顔に出ていたらしい。塩原が不思議そうな顔でこちらを見ている。
「ん? そう言えば、近くにケーキ屋さんがあったなと思って」
「ああ、通り掛かったことあるかも。あそこでしょ」
 塩原が言うのは、まさに新川が思い描いていた店だ。
「食べたことあるの?」
「ある」
 隠していても仕方ないので正直に答える。レストランで食事をするときに、デザートまできちんと平らげているので、新川が甘い物を食べること自体はそう不思議でもないだろう。だが、わざわざ買いに行くという話はしたことがない。案の定、塩原はやや不服そうな顔になった。その「食べたことある」のが出会うより前、自分以外の人間と一緒であることに思い至ったのだろう。
「美味しいんだよ。渚くんとも食べたいな」
 頬杖を突いて、覗き込むように目を見ながら言うと、相手の機嫌は見る見るうちに直っていった。こう言う所も可愛いと思うし、これで機嫌が直るなら幾らでも甘やかしたいと思う。愛され上手な恋人。
「お勧めは?」
「シンプルなのが好きだな。でも、確かこの時期はモンブランが人気だった筈だよ。今度の休みに買ってこようか」
「じゃあ、僕、明けで買ってくる」
 病院看護師の塩原には夜勤がある。明けというのは夜勤明けのことで、午前9時から勤務開始の日勤と入れ替わりだそうだ。戻って来る頃には店も開いているだろう。平日の午前中ならそう客も多くないだろうし。新川が帰って来たら夕食後に食べよう。
「じゃあ、その日の夕飯は少しで良いかな。40代にはちょっと重いしね」
「そう言うときだけ年寄りぶって」
 塩原は冗談めかして新川を睨んだ。


 当日、夜勤を終え、日勤に引き継ぎをして塩原は病院を出た。頭の中にはモンブランのことしかなかった。厳密に言うなら、恋人と額を付き合わせて食べるモンブランのことだ。
(ケーキを買うなんて何年ぶりだろう)
 新川が絡むとどうしても嫉妬が先行してしまうけれど、塩原にだって一緒にケーキを食べる恋人がいたことはある。記念日や誕生日にはピースでケーキを買ったこともあった。パティスリーでケーキを買うなんて、本当に何年ぶりだろうか。
 新川と確認した場所へ行くと、瀟洒な雰囲気の店がそこにあった。通り掛かる度に、「お洒落な店だな」とは思っていたが、改めて自分が入るとなると、何だか場違いに思えてしまう。ジーンズで来てしまって追い出されやしないだろうか。
(修治さんなら似合うんだろうけど……)
 なんだか思考が悪い方に行ってしまいそうになって、ふるふると首を横に振って店に入った。
「いらっしゃいませ」
 スタッフは皆愛想良く出迎えてくれた。安心して、モンブランを2つ注文する。てっぺんに乗っている栗は、ニスでも塗ったみたいにつやつやとしていた。ニスなわけはないけれど。
(美味しそう)
 栗がつやつやと光っているだけで、何だか美味しそうに見えてしまうのは何故だろう。本来の栗は絶対こんな風に光らない筈なのに。
 赤子でも扱うように、丁寧な手つきで紙箱に入れてくれた。二人の時間も大事にされているような気がして、何だか嬉しい。
「お持ち帰りまでどれくらいですか?」
「10分くらいです」
 小さめの保冷剤を入れてくれた。今日中に食べて欲しいこと、帰宅してすぐに食べないなら冷蔵庫に入れて欲しいことを伝えられる。処置の説明を受けた患者のように「わかりました」と言って肯いた。
 会計を済ませると、礼を言って店を出て行った。帰宅すると、言われた通りすぐに冷蔵庫に押し込んだ。着替えて、ベッドに寝転がる。
 スマートフォンで検索したところ、栗に塗ってある「ニス」はナパージュと言うらしい。ゼラチンと砂糖だそうだ。何と言うか、つやつやしていると「仕上がっている」とでも認識するのだろう。
(早く帰って来ないかな)
 まだ昼にもなっていないのに、もう夜のことを考えている。


 新川が帰宅すると、主人の帰りを待つ犬の様にそわそわとした塩原が出迎えてくれた。
「ご飯とモンブラン、用意してあるけど」
「頂こうかな」
「はい、着替え」
「急ぎすぎだよ」
 早く来いと言わんばかりに、夕食までのお膳立てを──文字通り膳立てだった──されているのが面白くて。でもその一方で、ケーキを一つ一緒に食べることをここまで楽しみにしてくれるのが愛しくて。
「ちょっと待って。手洗いとうがいをさせてくれ」
「あ、そうだったそうだった。じゃあお鞄お持ちします」
 ホテルのクロークみたいなことを言う。それに応じるのが彼の望みだと思って、新川はされるがままに、請われるままに。
「あのね、すごく美味しそうだよ。栗がきらきらしてるんだよ。ナパージュって言うらしくって……」
 子供みたいにケーキの説明をする塩原の顔がきらきらして見えて、新川は目を細めて笑った。
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