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第7話 小さな声

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 前々日にロボットを設置するために入ったが、随分長いことここに足を踏み入れていないような気になった。浅見は4階フロアに上がると、改めて周囲を見回した。この前と同じように、森澤がロボットをセットしている。その画面から流れる、電子音だけが響いていた。
「セット完了しました」
 森澤の声が掛かると、浅見はそちらに向き直った。少ない光源で照らされた森澤は、何だか本人が幽霊みたいに見える。
「ありがとう」
「くれぐれも気を付けて」
「森澤さんも、下に着くまでの間気をつけて」
「……そうですね」
 他のフロアにも出現する可能性を考えたのだろうか。彼は少し考えてから肯いた。

 ロボットが歩き始めると、浅見もそれについて行った。前に立つと、ロボットに反応されてしまうので、後ろを歩く。ロボットは彼が想像するよりもゆっくりだった。自分の見回りは、もしかしたら思っているよりも早かったのかもしれない。
 機械の稼働音と、自分の足音だけがフロアに響いている。2周したら1階に戻り、1時間したらまた見に行く。決まりなのと、森澤に強く言われたので仮眠は取るつもりではいるが、眠れるだろうか。気になって寝付けない気もしている。

 2周はあっという間に終わった。何も起こらなくて、少し残念な……いや、本当は何も起こらない方が良いのだが……そんな気分になりながら、浅見は止まっているエスカレーターを降りた。無線で森澤に連絡を入れる。
「1回目の同行終了。異常なし。戻ります」
『了解しました。気を付けて』
 3階まで降りて階上を振り返るが、こちらを見下ろす女などはいなかった。

「そんな早い時間には出ないと思うんですよね」
 森澤はスマートフォンとノートパソコンの画面を見比べながら言った。浅見はペットボトルの水を飲みながら、
「なんで?」
「最初に出た時は、浅見さんが仮眠に行く前でしたし、昨日も同僚からの連絡によると、それくらいの時間だったみたいなんですよ。だから、今日も出るとしたらその時間じゃないかな」
「もっと早く言ってくれよ、そういうの」
「自分も今気付きました。昨日気付くべきでしたが……」
 気まずそうにしているのは、先に情報を得ていたにもかかわらず思い至らなかったことについてだろう。浅見は椅子にもたれかかり、
「じゃあ、今日もその時間に行ってくるかな。その前に他フロア巡回しないとだけど」
「そうですね。本来のお仕事に支障が出ても本末転倒ですし」
 森澤は肯いた。浅見は腕時計を見る。あと10数分で、その見回りの時間だ。
「それじゃ、ロボットへの同行は例の時間で良いかな。その時出るまで歩けば」
「自分はそう思います」
「んじゃあ、先にそれまで仮眠取ろうかなぁ」
「ああ、それでも良いかもしれませんね」
「その前に出たら起こしてよ」
「もちろんです。眠れそうですか?」
「大丈夫だと思う」

 10数分後、全フロアの見回りを済ませた浅見は、2日にわたって女が出現した、と言う時間まで仮眠を取ることにした。こう言うときに、寝ようと思ったらすぐに寝られる自分の体質をありがたく思う。あまり嫌なことを引きずらないタイプでもあるので、普段から眠れないと言うこともあまりない。友人からは羨ましがられた。
 目覚ましの音で起きると、仮眠室を出た。森澤が振り返る。
「すごい、時間ぴったりですね」
 浅見は褒められて気分が良い。微笑みながら肩を竦めて見せ、
「ま、プロだから。寝たいときに寝て、目覚ましで起きるようになったよ」
「そうですよね」
 相手は納得したように肯いた。
「自分は実験とかやってると、いつまでもそのこと考えて寝れなかったりしますよ」
「へぇ、森澤さん、切り替え早そうだけど」
「営業とかは絶対無理ですね。案件取れないとへこみそう」
 ものすごく理詰めで売り込んでそうに見えるが……流石の浅見もそこまでは言わなかった。

 彼は再び4階に赴いた。ロボットの前に立つと警告されてしまうので、浅見がエスカレーター前を通り掛かった時に合図してくれることになっている。ライトを弄びながら待機していると、上の方でモニターが明るく光るロボットが通過するのが見えた。
『今通過しました』
「了解」
 浅見は段を上がり、ロボットに追いつく。さっき一緒に歩いたので、速度を合わせるのは比較的楽だった。1人と1台は無人のフロアをゆっくり進む。
「1周目、異常なし」
『了解。こちらにも異常はありません』
 2周目異常なし、3周目異常なし……同じ事を何度も繰り返している内に、段々不思議な気分になっていった。自分は一体何をしているんだろう。いるかもわからない幽霊を追い掛けて、建物のワンフロアをぐるぐるしている。思わず笑い声がこぼれた。
『今、笑い声しました?』
 森澤の緊張した声が無線からする。
「ごめん、俺だよ」
『ああ、びっくりした』
 思い出し笑いだとでも思ってくれただろうか。
 8周目に異常なしを伝え、9周目も半ばを差し掛かった時だった。なんとなく、空気が冷え込んだ気がする。時間が遅くなっただろうか……と思ったその矢先、先ほどは確かになかった物が見えて、心臓が跳ねた。それが一瞬なんだかわからなかったのは、暗視カメラでは白っぽい髪の毛に見えた彼女が、明るい茶髪をしていたからだ。青白い顔をしてこちらを見ている。幽霊か人間かはわからないが、少なくとも健康体でないことだけは、浅見にもわかった。
『浅見さん』
 森澤の早口が聞こえた。浅見も素早く通信ボタンを押し、
「見えてる。本日は閉店しましたが、何かお困りですか?」
 女に声を掛けた。すると、彼女の口元が小さく動くのを見る。
「……しゃ……んで……」
 か細いが聞こえた。喋ったのか。浅見は驚いて、
「何ですって?」
 聞き返すが、女はす……と静かに踵を返して立ち去った。
『本日の営業は終了しました』
 ロボットが突然喋った。自分が案内するべき人間だと判断したのだろう。追い掛ける。浅見もその後を着いていった。森澤から、いざとなったらロボットを盾にしてほしいことを言われている。人間を守るためのロボットの為に、人間が怪我をしたらそれこそ本末転倒なのだ。
 婦人服店「ライチブランチ」跡地を通り過ぎる。これは、おとといも見たルートだ。だとしたら、この少し先で消えるはずだ。案の定、前回もロボットが見失った辺りで、女は消えた。
「見失った。映ってる?」
『映ってません。消えました』
 浅見は女が消えた店舗跡に入った。
『浅見さん?』
「ちょっと、ここに隠れてないかなって」
『危ないですよ』
「ちょっとだけだから」
『そのちょっとだけが事故の元ですって』
 会計カウンターの裏を覗き込む。しかし、そこには誰もいなかった。早くも積もり始めた埃が光を反射するだけだった。
「何もなかったわ」
『いたらどうするつもりだったんですか』
「ごめん、ちょっと気になって」
『それじゃあ、もう戻って来て下さい』
「了解。ロボットは置いてきて良いな」
『はい』
 浅見は周囲をぐるりと見回してから、エスカレーターを降りた。
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