1 / 1
星の振り子
しおりを挟む
雲を纏った十三夜の日にそれは現れる。
まるで顔周りに薄布を纏ったかのようなその月から、まるで見えない糸で吊るされているかのように星がぶら下がっているのだ。
それは物の喩えではなく……実際に、その見えない糸を切って振り子を手に入れた術師がいると伝わる。
幽玄な光を放つそれは、魔術や儀式に用いると本懐を遂げられる可能性が高まるとされている。
ただし、幾度か使うと夢のように消えてしまうのだ。
この家に、その希少な振り子は残っていた。次期当主の彼女は、その振り子が「切り落とされた」時のことを思い出している。絹が敷かれた桐箱の中で、不思議に光る振り子を見つめて。
真夜中の空に、その月はあった。雲を纏い、まるで寒さを避ける女人のように空で佇む十三夜月は。
そして、そのすぐ真下に、星の振り子はぶら下がっていた。
星に手が届くなど、まずあり得ない。けれど、その振り子は、確かに人でも届きそうと思えるような高さにぶら下がっていた。
彼女を連れ出したのは、現当主の父であった。手に、草刈り鎌を持って、もう片方の手で彼女の手を引いていた。
見ててご覧、と父は言った。寒い、冬の十三夜だった。きっとお月様も寒いんだ、と幼い彼女は無邪気に思っていた。
やがて、振り子の真下、と呼べる位置に来ると、そこは小さな池だった。父はふところから何かの瓶を取り出すと、その中身を池に空けた。きらきらと光る、紫色の粒子。それは池の中で蠢いて、うっすらと広がって行く。
すると、どうだろう。星の振り子が動いた。するすると、まるで月が糸を繰り出すが如く。
父は彼女に、ここで待っていなさい、と言いつけると、ざぶざぶと池の中に入って行った。そこに、振り子が降りてくる。そこで、ようやく振り子の糸が彼女にも見えた。透明で、絹糸の様にやわらかく、しなやか。きっとそんな手触りに違いない、と。
お月様にも蚕はいるのかしら。そんな場違いなことを考えて、彼女は父の様子を見守った。
父は慣れた手付きで、その糸を捕まえると、鎌であっさりと糸を切ってしまった。父が腕を下ろすと、ぼちゃん、と星が池に落ちる。彼はそのまま、糸を引っ張って戻ってきた。
「取れた。帰ろう」
彼はそれだけ言った。
その時の振り子が、今目の前にある。それはどう見ても星であった。
彼女は桐箱の蓋をする。今しがた戻した星の振り子を、またその時まで保管しておくために。
父の蘇生と言う、不可能な儀式を成功させるためにすがったそれに。
いくら儀式成功の可能性を高めると言えど、死者蘇生などやはりできるものではなくて。零に十、二十を足したところで、その確率から外れてしまえばそれは「失敗」でしかないのだ。
もし父が蘇生したら、振り子を蘇生に使ったことに憤るだろう。こんなことに使うなと。これはお前が当主を務めるのに必要なのだから、と。
ふ、と一つ笑みを漏らし、彼女は桐箱を元の厳重な封印を施す箱に戻した。
当主死亡の混乱に乗じて、これを奪おうとする者が現れるだろう。
でも、これは渡さない。次期当主の自分が困るから? 違う。
これは思い出だから。
あの幻想的で美しい光景の思い出だから。
だから、彼女はこの先もこれを使うつもりはなかった。
蓋をする。鍵かける。
彼女はその部屋を出て行った。
当主の座に座るために。
あの日の思い出にしばしの別れを告げて。
まるで顔周りに薄布を纏ったかのようなその月から、まるで見えない糸で吊るされているかのように星がぶら下がっているのだ。
それは物の喩えではなく……実際に、その見えない糸を切って振り子を手に入れた術師がいると伝わる。
幽玄な光を放つそれは、魔術や儀式に用いると本懐を遂げられる可能性が高まるとされている。
ただし、幾度か使うと夢のように消えてしまうのだ。
この家に、その希少な振り子は残っていた。次期当主の彼女は、その振り子が「切り落とされた」時のことを思い出している。絹が敷かれた桐箱の中で、不思議に光る振り子を見つめて。
真夜中の空に、その月はあった。雲を纏い、まるで寒さを避ける女人のように空で佇む十三夜月は。
そして、そのすぐ真下に、星の振り子はぶら下がっていた。
星に手が届くなど、まずあり得ない。けれど、その振り子は、確かに人でも届きそうと思えるような高さにぶら下がっていた。
彼女を連れ出したのは、現当主の父であった。手に、草刈り鎌を持って、もう片方の手で彼女の手を引いていた。
見ててご覧、と父は言った。寒い、冬の十三夜だった。きっとお月様も寒いんだ、と幼い彼女は無邪気に思っていた。
やがて、振り子の真下、と呼べる位置に来ると、そこは小さな池だった。父はふところから何かの瓶を取り出すと、その中身を池に空けた。きらきらと光る、紫色の粒子。それは池の中で蠢いて、うっすらと広がって行く。
すると、どうだろう。星の振り子が動いた。するすると、まるで月が糸を繰り出すが如く。
父は彼女に、ここで待っていなさい、と言いつけると、ざぶざぶと池の中に入って行った。そこに、振り子が降りてくる。そこで、ようやく振り子の糸が彼女にも見えた。透明で、絹糸の様にやわらかく、しなやか。きっとそんな手触りに違いない、と。
お月様にも蚕はいるのかしら。そんな場違いなことを考えて、彼女は父の様子を見守った。
父は慣れた手付きで、その糸を捕まえると、鎌であっさりと糸を切ってしまった。父が腕を下ろすと、ぼちゃん、と星が池に落ちる。彼はそのまま、糸を引っ張って戻ってきた。
「取れた。帰ろう」
彼はそれだけ言った。
その時の振り子が、今目の前にある。それはどう見ても星であった。
彼女は桐箱の蓋をする。今しがた戻した星の振り子を、またその時まで保管しておくために。
父の蘇生と言う、不可能な儀式を成功させるためにすがったそれに。
いくら儀式成功の可能性を高めると言えど、死者蘇生などやはりできるものではなくて。零に十、二十を足したところで、その確率から外れてしまえばそれは「失敗」でしかないのだ。
もし父が蘇生したら、振り子を蘇生に使ったことに憤るだろう。こんなことに使うなと。これはお前が当主を務めるのに必要なのだから、と。
ふ、と一つ笑みを漏らし、彼女は桐箱を元の厳重な封印を施す箱に戻した。
当主死亡の混乱に乗じて、これを奪おうとする者が現れるだろう。
でも、これは渡さない。次期当主の自分が困るから? 違う。
これは思い出だから。
あの幻想的で美しい光景の思い出だから。
だから、彼女はこの先もこれを使うつもりはなかった。
蓋をする。鍵かける。
彼女はその部屋を出て行った。
当主の座に座るために。
あの日の思い出にしばしの別れを告げて。
0
お気に入りに追加
0
この作品の感想を投稿する
あなたにおすすめの小説
水神の琴
三枝七星
ファンタジー
その社には水神が祀られている。彼女は風のない日に、湖から現れて御神体の琴を鳴らすという。それは湖を挟んだ向かいにある、寂れた社にいる夫の神に聞かせるためだと言われているが……(表題作)。
※なんかもっとキラキラしたファンタジー竪琴を書きたかったのでもう一本追加しました。
あなたの子ですが、内緒で育てます
椿蛍
恋愛
「本当にあなたの子ですか?」
突然現れた浮気相手、私の夫である国王陛下の子を身籠っているという。
夫、王妃の座、全て奪われ冷遇される日々――王宮から、追われた私のお腹には陛下の子が宿っていた。
私は強くなることを決意する。
「この子は私が育てます!」
お腹にいる子供は王の子。
王の子だけが不思議な力を持つ。
私は育った子供を連れて王宮へ戻る。
――そして、私を追い出したことを後悔してください。
※夫の後悔、浮気相手と虐げられからのざまあ
※他サイト様でも掲載しております。
※hotランキング1位&エールありがとうございます!
愚かな父にサヨナラと《完結》
アーエル
ファンタジー
「フラン。お前の方が年上なのだから、妹のために我慢しなさい」
父の言葉は最後の一線を越えてしまった。
その言葉が、続く悲劇を招く結果となったけど・・・
悲劇の本当の始まりはもっと昔から。
言えることはただひとつ
私の幸せに貴方はいりません
✈他社にも同時公開
【完結】亡き冷遇妃がのこしたもの〜王の後悔〜
なか
恋愛
「セレリナ妃が、自死されました」
静寂をかき消す、衛兵の報告。
瞬間、周囲の視線がたった一人に注がれる。
コリウス王国の国王––レオン・コリウス。
彼は正妃セレリナの死を告げる報告に、ただ一言呟く。
「構わん」……と。
周囲から突き刺さるような睨みを受けても、彼は気にしない。
これは……彼が望んだ結末であるからだ。
しかし彼は知らない。
この日を境にセレリナが残したものを知り、後悔に苛まれていくことを。
王妃セレリナ。
彼女に消えて欲しかったのは……
いったい誰か?
◇◇◇
序盤はシリアスです。
楽しんでいただけるとうれしいです。
夫の色のドレスを着るのをやめた結果、夫が我慢をやめてしまいました
氷雨そら
恋愛
夫の色のドレスは私には似合わない。
ある夜会、夫と一緒にいたのは夫の愛人だという噂が流れている令嬢だった。彼女は夫の瞳の色のドレスを私とは違い完璧に着こなしていた。噂が事実なのだと確信した私は、もう夫の色のドレスは着ないことに決めた。
小説家になろう様にも掲載中です
あなた方はよく「平民のくせに」とおっしゃいますが…誰がいつ平民だと言ったのですか?
水姫
ファンタジー
頭の足りない王子とその婚約者はよく「これだから平民は…」「平民のくせに…」とおっしゃられるのですが…
私が平民だとどこで知ったのですか?
懐妊を告げずに家を出ます。最愛のあなた、どうかお幸せに。
梅雨の人
恋愛
最愛の夫、ブラッド。
あなたと共に、人生が終わるその時まで互いに慈しみ、愛情に溢れる時を過ごしていけると信じていた。
その時までは。
どうか、幸せになってね。
愛しい人。
さようなら。
業腹
ごろごろみかん。
恋愛
夫に蔑ろにされていた妻、テレスティアはある日夜会で突然の爆発事故に巻き込まれる。唯一頼れるはずの夫はそんな時でさえテレスティアを置いて、自分の大切な主君の元に向かってしまった。
置いていかれたテレスティアはそのまま階段から落ちてしまい、頭をうってしまう。テレスティアはそのまま意識を失いーーー
気がつくと自室のベッドの上だった。
先程のことは夢ではない。実際あったことだと感じたテレスティアはそうそうに夫への見切りをつけた
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる