心象結晶

三枝七星

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魔法使いの襲名、あるいは事の発端(1/3)

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 5年前。午後23時。湖晶町こしょうちょう、「魔女の森」内、魔女の家にて。
「この蔵書はそっくりお譲りしますね」
「よろしいのですか、先生」
 神波真尋かんなみ まひろは僅かに目を細めて、目の前で微笑む年配女性を見た。先生と呼ばれた彼女、藤崎ふじさきあゆみは顎を引くと、冗談めかして怖い顔を作り、
「私も先代から受け継いだものです。それに、もう明日からあなたも『先生』なんですからね。そんな、不安そうな顔をしてはいけませんよ」
 真尋をよく知らない人間が見れば、彼が「不安そう」にしているとは思えなかっただろう。その眉は少しだけひそめられていて、どちらかというと藤崎を嫌っている様に見えるかも知れない。けれど、彼を……と言うよりも、2人をよく知る者が見れば、真尋が藤崎に遠慮していることがわかるだろう。
 この2人の関係は、と言えば、実力者とその跡継ぎ、と言うのが、事情を知らない人間に最大限譲った説明になる。だとすると、藤崎が社長で、真尋はその若き跡取りだろうか、と想像してもらえることだろう。事情を知らない人間に、正確な事を理解させる必要が、この2人にも、関係者にもない。その想像を持って帰ってもらうのが一番なのだ。

 だが、今この文章を通して、この様子を覗き見ているあなたには、事情の説明が必要な筈だ。混乱を恐れずに言ってしまえば、藤崎は魔法使いであり、真尋はその跡継ぎである。
 「魔法使い」。その言葉を聞いた時に、あなたは何を想像するだろうか。大鍋をかき回す? 奇妙な薬草を調合している? 猫や蝙蝠を従えている? そんな魔女も、いないことはないだろう。
 けれど、湖晶町の「魔法使い」は違った。その座は今、藤崎あゆみから神波真尋に引き継がれようとしている。彼女は、封のされた古びた瓶を持ち出した。
「今から私はずっと前にここに預けた心を取り戻します。そうしたら次はあなたですね」
「はい」
 真尋は肯いた。藤崎は微笑むと、寝室に引っ込んだ。少ししてからすぐに戻る。瓶の封は解かれていた。
「……心を取り戻して、いかがですか?」
「別に? 何も変わりませんよ。でもそうね、少し豊かな気持ちになったかも? 心って、結晶の様に育ってしまうものですから。ここでよけたところで本当はそんなに変わらないの」
「そう言う、ものでしょうか」
「そう言うものです。あら、随分と小さな瓶を持ってきましたね?」
 藤崎は、真尋が取り出した硝子瓶を見て、意外そうに目を丸くした。
「私から除く心がそうあるとも思えません」
「また、そんなことを言う。でも、良いでしょう。除いたところからもっと大きく育つこともあるかもしれませんからね」
 そんなことはないだろうと真尋は思っている。幼い頃から、冷たい奴だと言われ続けてきた自分に、そんなことがあるものか。

 この町の「魔法使い」は、科学や法で解決できない事態の裁定者でもある。故に、特定の方に肩入れをしないよう、継承の儀にて、その「心」の一部を封印することになっている。「情に厚い」と言われる「厚み」の部分だ。
「では始めましょうか」

 必要な段取りを全て済ませ、真尋は正式に、この町の「魔法使い」の地位を継承した。今日からこの家が真尋の物になる。藤崎はいつの間に手配していたのやら、確保した自宅に帰るのだそうだ。真尋は車のキーを取り、
「先生、お送りします。夜道は危ないですよ」
「いいえ、大丈夫。久藤さんが迎えに来てくれることになっているので」
 微笑んだ。友人の名前が出てきて、真尋は意外な思いをする。
「千年委員が先代の迎えなんですか?」
「いえ、そう言う訳ではないんですけど、親切心で申し出てくれたみたいで」
 久藤直久くどう なおひさは真尋の友人でもあり、この町の「魔法」についての監視や互助を行なう千年委員の1人だ。若くして実家の材料店を継いだ男で、この町の魔術師たちが各々の術に使用する材料や道具を手配している。
 直久は真尋の2歳年上の友人でもあった。軽薄なところはあるが、気の良い男ではある。なるほど、彼が藤崎の送迎を受け持つと言うのも頷けた。
「ではどうぞお気を付けて」
「彼に会わなくて良いの? 継いで最初に会う人はお友達じゃなくて?」
「もう先生にお目に掛かっています。私にはそれが何よりです」
 真尋が言うと、藤崎はきょとんとした。そしてくすくすと笑い出す。
「その通りだわ。ありがとう。ではこれからよろしくね」
「こちらこそ」
 先代「魔法使い」を玄関の外まで送り出すと、見覚えのある乗用車が停まっていた。運転席側のドアに、男性が立っているのが見える。直久だ。彼は藤崎を見て微笑み、真尋を見て手を挙げた。
「藤崎先生、お役目お疲れ様でした」
「ありがとう。こちらが新しい『魔法使い』さんですよ」
「これはこれは、魔法使い殿」
「ふざけるなよ」
 真尋は呆れてうんざりした顔をする。怒っているわけではなく、これが普段通りの2人のやり取りだ。直久が軽口を叩き、真尋がそれに呆れる。それをずっと見てきた藤崎は、微笑ましくそのやり取りを眺めていた。
「久藤さん、彼を変わらず支えて下さいね?」
「ええ、勿論です。な、真尋。何かあったら言えよ?」
「物入りなら頼む」
「こいつぅ」
 方眉を上げただけの真尋の肩を軽く小突く。その時、どこかで鴉が鳴いた。直久は空を見上げ、
「おっと、早く帰れと言わんばかりだな」
「そうだ。早く先生を送って差し上げろ」
「まあまあ、私の事は気になさらず」
「そうは参りません。さ、先生、こちらへどうぞ」
 直久は助手席のドアを開ける。藤崎が乗り込むと、ドアを閉め、自分も運転席側に回った。真尋にウィンクを投げ、
「それじゃあ、お休み、真尋。就任おめでとう」
「……ありがとう」
 真尋は肯いた。運転席が閉まり、エンジンが掛かる。マフラーが震え、車は緩やかに発進した。「魔女」は、目を細めて見送る。テールランプが見えなくなると、彼は家の中に戻った。
 先ほど、小瓶に封じた心は、彼が想像したとおり、随分と小さな、けれど美しい白い結晶だった。それを小瓶に入れて、この役目を誰かに受け継ぐその時まで置いておく。
(特に、心持ちが変わったようには思えないけど)
 元より特定の誰かに肩入れするようなことはない。直久とて、友人ではあるが、意見が合わなければ遠慮なくそのことは伝えるし。ただ、他の人間がそうでないことを、彼は十分に理解している。自分が同じ立場になるならば、彼ら、彼女らと同じように心を封じておく必要があることも。
 小瓶は、寝室のサイドチェストにしまってある。鍵の掛かる引き出しに………。
「………」
 寝室に入って、自然とそちらに目が向いた真尋は絶句した。「心」が動いたことがはっきりとわかる。

 藤崎と一緒に鍵を掛けた引き出しが開け放たれていた。

 駆け寄り、中を覗き込むと、安置したはずの小瓶は跡形もなく消えていた。

 これが全ての始まり。
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