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「天啓」と「天使」

1.覗く女

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 地球外生命体が地球人を洗脳している──。

 そんな、荒唐無稽な事象が、宇宙関連省庁、すなわち総務省、経済産業省、文部科学省の中で通達され、文部科学省の国成哲夫くになりてつおは情報収集のための一人部署として東京都下の一角に「文部科学省宇宙対策室 東京多摩分室」と言う見るからに怪しい看板を掲げることになった。

 この周辺は、他県の人間が想像する「東京」のイメージから一段落くらい落ち着いた雰囲気で、昔ながらの喫茶店や個人経営の家電販売店も散見される。省が借り上げ、与えられた事務所も、探偵ものの映画に出てきそうな雰囲気だ。全体的に、不健康な弁当のように茶色い。何らかの事務所の居抜きだったらしく、書類仕事をするにはうってつけの設備が揃っているが。

 そういうことで、昭和じみた事務所の中に最新のパソコンを置き、Wi-Fiで送られてきた情報をマウスで選別する作業をこなしていた。

 さて、具体的に地球外生命体の洗脳とはなんなのか、と言うと、上から送られてきた資料によれば「よかれと思って余計なことをして人類を内側から壊滅させる」ことであるらしい。そんな奴、山ほどいるだろう、と哲夫は叫びたくなってきたが、元からいるそういう奴が「マッチしてないだけで実際にやってることだけ見れば善行らしく見える」ことに対して、洗脳された人間は「やってることだけ見ても明らかに悪い」そうだ。ただ、そういう人たちは口を揃えて「人類の救済のためにやった」と主張しているらしい。よくよく聞くと、ほぼ同じ日に「天啓」を受けたと言う。「天啓」をどう呼ぶかは人それぞれだったが、かいつまんで言うとそういうことだ。

 同じ頃、国が支援する宇宙関連の研究所から、確かにその日よくわからない宇宙からの干渉があったようだ。宇宙線かと思いながら分析していたがどうもそうではないらしい。紆余曲折を経て、国はこれを「地球外生命体からの侵略行動の前段階」と認識した。

 ひとまず、「洗脳」を受けた人間を見つけ出し、聴取せねばならない。既に数人からの聴取はできている。地球人全員ではないらしいのがせめてもの救いだが、どうしてこの人たちがそうなったのかは解らない。無作為に選び出したのか、特定の場所にいたのか……条件の洗い出しをするにも人数が少ない。

 哲夫の仕事は、この地域で「救済」を目的とした迷惑行為を働く人間を見つけ出すこと。

「それにしたって一人部署はねーだろうよ……」

 荒事になりそうであれば、所轄警察署の刑事が協力してくれることになっているが、基本的に全て自分一人でやらないと行けない。他人の意見を聞くこともできない……ことはないが、目の前で雑談がてら意見交換をする相手はいない。

「せめてもう一人くらい寄越し……て……」

 何気なく窓の外を見て、彼は凍り付いた。

 窓枠の外から女性がこちらを覗いている。

 それも、逆さまになって。

 窓の外から逆さになって覗き込む女……。

 宇宙人。哲夫の脳裏にそんなワードが浮いてきたのも、無理からぬ事だっただろう。何せ、毎日侵略宇宙人という、推測でしか認識できないあやふやな存在がいる前提にしなくてはならないのだから。

「う、宇宙人……?」

 それほど大きな声を出したつもりはなかったが、窓の外の女には聞こえたらしい。彼女はにこり、と笑うと、上の窓枠に手を掛けてするりと縁に降り立った。どことなくシスターを彷彿とさせる格好をしている……と思ったら、大昔のシスターが歌うミュージカル映画に出てきた一人に似ているのだ。ブラウスの上に灰色のジャンパスカートを着て、頭に簡易なウィンプルらしき物を付けている。

 彼女は平然と笑みを浮かべながら、こんこん、と窓ガラスをノックした。開けろ、と言うことらしい。哲夫はしばらく彼女を凝視したまま動けなかった。
「私はこれを割ることができますよ」
 やがて、窓の向こうから水を通したようなくぐもった声が聞こえて、彼は慌てて立ち上がった。鍵を外し、窓を開けると、女は彼の横を抜けてすとんと事務所の中に着地した。唖然としている哲夫をよそに、窓を閉めて施錠する。

「驚かせてしまってすみません」
「いや……それより、あんたは一体何者なんだ」

 不審者と、密室で二人きり。男女であれば男の哲夫に利がありそうなものだが、先ほどの外での動きを見ると、身体能力は相手の方が上だ。そして、もし仮に宇宙人であるならば……この場で洗脳されてしまう可能性もある。無駄かもしれないが、彼は身構えた。
 しかし、彼女は敵意を感じさせない笑みを浮かべ、

「あなたたちの仰る『宇宙人』ですよ」

 そんな自己紹介をするのだった。



 情報提供をしたい、と彼女は言った。

「だったら正面玄関からブザーを押して入ってくれないか」
「ええ、そうするつもりでしたが、あなたが先に私を見つけてしまったので」

 そう言われると、それ以上文句が言えない。いや、そもそも覗くなよ……とも思うが、宇宙人に地球の理屈は通じないだろう。

「お話ししても良いですか?」
「どうぞ。今お茶でも」
「ありがとうございます」

 自分用の紅茶のティーバッグで二杯用意すると、彼女はそれを啜りながら話をした。

 曰く、彼女は哲夫たちが対応に追われている「天啓を与えた地球外生命体」の部下なのだと言う。

「何だと?」

 思わず腰を浮かせる哲夫。と言うことは、この女は敵方の幹部なのか?

「話は最後まで聞いてください」

 たしなめられて、座る。

「ですが私はその『天啓』ですか? を与えた奴をとても嫌っています」
「本当に?」
「おや信じてもらえませんか。知的生命体ならそうでしょうね。では一つ有意義な情報をお伝えしましょう。あなたたちの言う所の『天啓』ですが、あれはそれを受け入れたた生命体の中で結晶を作ります。地球では似たような産物で真珠と言う物があるそうですね。それ以上のことは私も聞かされていないのでわかりませんが、あなたたちの方で確保してしばらく経つ被害者がいるなら、調べた方が良いですよ」

 天啓、と言うとき、彼女はどこか嘲るような表情を浮かべる。上司たる宇宙人を嫌っていることは事実であるようだ。

「これを、俺の組織に伝えても?」
「もちろんです。私はそのために来た」

 哲夫は優雅に紅茶を啜る女を横目に見つつ、上司にメールを送った。情報提供者より、「天啓」を受けた物は体内に結晶を生成することになるらしい、と。すぐに返事はないだろうし、調べるにも時間がかかるだろうが……。
 と、思いつつ再び女の正面に座ると、そこで突然携帯端末が鳴った。

「失礼」
「お気になさらず」

 電話に出ると、切羽詰まったような上司の声が耳に飛び込んできた。

『メール見たぞ。今まさに厚労省からその知らせが来たところだ』

 この事件には厚生労働省も協力している。

『被害者の一人が不調を訴えるからCT撮ったら中に何かできてんだよ。今特に自覚症状がない他の連中も検査してるが、既に何人か映ってる。開腹手術で摘出することになる。病理検査も行うことになるだろう』
「なんてこった」
『その情報提供者、何者なんだ?』

 哲夫は女を見た。

「わかりません。匿名なので」
『そうか。引き続き情報収集を頼む』
「わかりました」

 電話を切ると、女はそこではたと何かに気付いたように、

「そうだ、私の名前をお伝えしていませんでしたね。私の名前は……母語では恐らく地球人には言いにくいと思いますので……地球語に直すと、θ7354になります」
「シータななさんごよん?」
「これも地球人には馴染みのない名前でしょうかね?」
「文明が違うだろうからね。それにしても、ずいぶんと地球人に近い振る舞いをするな」
「私たちは、『外に向かう思考』を読むことができます」
「なんだって?」

 つまり……考えていることが全て丸聞こえなのだろうか?

「外に向かう、物だけですよ。要するに、『常識』とか『社会通念』と呼ばれるものですね。そういう物は読み取れます。人によって結構差はありますが……まあここが落とし所だろう、と言うところに当たりを付けて振る舞っているだけです。流石に窓から人の事務所を覗くという常識は誰にもありませんでした。これは私の独断です」
「個人的な考えは?」
「そういう物は鍵の掛かった引き出しに入っているような感じなので、無理矢理干渉しないとわかりません。でも、仲良くなることで鍵を得ることはできますよね」
「まあ、それもそうか……?」

 θ7354は紅茶のカップを置いた。

「ごちそうさまでした。さて、例の上司がやろうとしていることは、人類同士を相争わせて地球を混乱に陥れ、乗っ取ることです。私はそういうやり方は好かない。よってあの愚か者の目論見を止めたいと思っています」

 穏やかだが、有無を言わせぬ声だ。

「地球人も困っているでしょう。私とあなたたちは利害が一致します。どうです? 私と手を組みませんか?」
「一旦上席に」
「構いませんよ。組織とはそういうもの」

 θ7354は一枚のメモ用紙を渡した。固定電話の番号だ。

「ここ、私の行きつけのお店なんです。事情があって電話がないのだと訴えたら、ちょっとくらいなら伝言を預かっても良いよと店長が言ってくださって。地球人って親切ですね。ここに電話してください」
「ええ……? θ7354に伝言をお願いしますって言うのか?」
「はい。ああ、活動するなら地球人らしい名前が良いですね。何が良いと思いますか?」
「いや急にそんなことを言われても……えーっと……」

 シータ7354……7354……ナミコシ……浪越なみこしシータ。よさそうだ。いやしかしシータだと有名アニメ映画のヒロインが思い出される。哲夫は端末で「シータ」を検索した。すると、スペルはthetaであり、テータと読むこともあるという。

「テータ。浪越テータはどうだ? シータだとちょっと別の物を思い出すから読みを変えてテータだ」
「浪越テータ……良いですね。では店長には『浪越テータ宛ての電話』としてお願いしておきます。そうだ、あなたのお名前も教えてください」
「国成哲夫」
「国成さんですね。では、ご連絡お待ちしています。本日はこちらで失礼します」

 テータは立ち上がると、丁寧に頭を下げて事務所を出て行った。

「……」

 哲夫はぐったりとソファに座り込む。
 こんな意味のわからないこと、果たして上が承知してくれるだろうか。

 でも、やらないと。彼はパソコンに向かって再びメールを打ち始めた。
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