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# エピローグ
しおりを挟む「元気でね」
召喚用の魔法陣の描かれた台上にそっと足を置いた花村祥子に言う。聖暁の乙女として役目を終えた彼女には二つの選択肢、つまり、この世界にとどまるかもとの世界に帰るかの選択肢が示された。便利なもので、召喚された時とほぼ同時刻の場所に転送してくれるのだという。
「リアルタイムじゃ二か月以上行方不明になっちゃうもんね。よかったね」
「ふふ。そうですね」
花村祥子が笑う。こちらまで気持ちがほころんでしまいそうな笑顔を、化身たちは愛した。彼女との別れを惜しみこそすれ、けれど化身たちは花村祥子の決断を否定したり反対することはしなかった。
不意に花村祥子がその笑顔を曇らせる。
「あなたと一緒に帰りたかったです。向こうではこの世界の話をできる人がいないし、それに、きっとわたしたち、いい友達になれたと思うんです」
「そうだね。死んでなかったらそうしたかもしれない。まあ、それでもいいかなって思ったけどさすがに二度も親より先に死ぬのはなって思って」
二か月以上ぶりに戻った屋敷で夫妻と再会したときのことだ。二人とも貴族らしく、振る舞いや見目にはとても気を遣う人たちだったのに、別人かと思うほどやつれてみすぼらしくなってしまっていてわたしは驚いた。
貴族にとって何よりも大事なのは体裁だ。聖暁の乙女として最高の教育を受けてきたのにもかかわらず早々に逃げ出し家の面目をつぶしたわたしを、けれど両親は一言も責めなかった。勘当されるものと思っていたわたしは両親につられるようにして泣いた。
花村祥子がうなずく。
「わたし、きっとお墓参りしますね」
「ありがと。中の人いないけどね」
「お二方、そろそろ」
なごやかに笑い合うわたしたちに転送の魔法をおこなう神官が声をかけた。花村祥子が光に包まれて帰っていくのを見、わたしは召喚の間を出る。
「おかえり」
建物を出るとアレクくんが待っていて、わたしは階段を駆け下りた。ごめんねと言うと、さびしくないかと返ってくる。
「その、ジアンナさんの元いた世界を知ってる人だったんでしょ? さびしくない?」
「全然って言ったらうそになるよ。時代も同じだったし、花村祥子も言ってたけど、きっといい友達になれたと思うんだ。友達っていうにはまあ、年がちょっと離れてるけど」
短い時間だったけど花村祥子と話をして実際恋しくなったものだ。連載追ってた漫画の続きとか仕事帰りに寄ってたお店の味とか真夜中に食べるカップ麺とか、友達とか。朝の通勤ラッシュとか駅のにおいとか、実家のにおいとか。とか。
「でも、やっぱり一度死んだことには変わりないし、今わたしが生きてるのはこの世界と『ジアンナ・ゲイル』の人生なわけで」
「うん」
歩きながら、アレクくんが相槌を打つ。
約束通り、彼には全部話をした。自分が一度死んだ人間であること、悪役令嬢だったこと、アレクくんたちでリアル乙女ゲーをやってたこと。包み隠さず、全部。
結構衝撃的な告白だったと思うんだけど、悲愴な顔つきのわたしに反してアレクくんは終始他愛ない話に耳を傾けるような調子で、いろんな意味で肩透かしを食ってしまった。あんまり反応が薄いので聞いていないんじゃないかと疑ったくらいだ。だけどそんなことはなくて、単に覚悟の違いだった。
彼は言った。これでやっとわたしをさらえるって。
「きみの秘密がほしかった。ずっと。…ずっと、手を伸ばしても、きみには届いていないような、こことは違う別の世界にいるような気がしていたから」
やっとつかまえたって言われて、ドキドキしてしまった。ドキドキすると同時、わたし自身もやっとアレクくんと同じ軸上に立てたような実感に満ちて、改めて自分が生きていることを感じたものだ。
わたしの世界。わたしの生きていく世界。そう思うとこれまで感じてきた風や空気がまったく別の色合いをともなってきて、まるで今この瞬間「ジアンナ」でも「わたし」でもない自分が生まれたような、そんな気持ちにさえなった。
『聖なる獣は聖暁の乙女を求める』とアレクくんの世界。実際二つの世界は融合してまったく新しい別の世界になったのだと、ウルコルさまはわたしたちに告げた。
『あなたたちの互いを想い合う気持ちが奇跡を起こしたのでしょう』
まったく別の運動をしていた異なる二つの世界が融合する。これはかなり異例なことで、普通はどちらかが壊れるか、あるいはどちらも消えてしまうのだそうだ。正確な理由は不明と前置きしたうえで、ウルコルさまはそんなふうに言った。
驚いたのはそのあとだ。わたしが花村祥子に移したはずの記憶がコセムくんたちに戻って、わたしはしこたま彼らのお叱りを受ける運びとなった。それから、ラアルさまが実はジャンくんだったことだよね。
ジャンくんはだましていたことをわたしにたくさん謝ったあとこう言った。
「父ヴェルニの予言した勇者が、オレだったんです」
ラアルさまが語っていた通り、ジャンくんの夢は「世界中のスイーツを体験し、自分の店を持つこと」だ。聖騎士としてひとびとの役に立ちたいという気持ちの一方、ヴェルニさまのいる第五番聖都を離れたくなかったジャンくんは、なかなか気持ちのふんぎりをつけられないでいた。
そのときに出会ったのがわたしたちだったのだそうだ。
「きっと父にはそんな未来が視えていたのだと思います。……父が希望をたくしたひとが、あなたでよかった」
「ラアルさま……」
いつもの癖で抱きつこうとしたら防御されてしまった。だってだってラアルさまの格好してるのに! 突然カミングアウトされたって適応できるわけないでしょ!
「それで、なんで女装を?」
「それは、その」
どこかひやっとしているアレクくんに、ラアルさま――じゃなかった、ジャンくんが居心地悪そうに答える。
「オレは聖騎士なので……その、……イメージが」
女装をしたのはほんの思いつきだった。でも中途半端では本末転倒になってしまう。ので、ジャンくんは徹底的に女の子のふるまいを研究した。お母さんとヴェルニさまも面白がってジャンくんに協力してくれたのだそうだ。
年頃の男の子らしく外聞を気にするジャンくんをかわいいなと思いつつわたしはコメントを述べてみる。
「ジャンくんみたいな凛々しくて奇跡みたいに綺麗な男の子がスイーツが好きなんて普通にかわいいと思うし歓迎されると思うけどなあ。生身感があるっていうか」
「まあ、うまくいきすぎて今度は二役をこなさなければならなくなったので、結局行けなかったんですけど……」
そのジャンくんは、今は第五番聖都に戻っている。コセムくんとユグノくんはリルケさまを弔ったあと、それぞれ故郷へと帰るそうだ。アレクくんはどうするのかとたずねると、彼は首を横に振った。
「あれだけ大事にしろって言われてた勇者の剣壊しちゃったし、正直帰りづらいよね……。最終的には『勇者』の務めを放棄したわけだし、死んじゃったし、どんな顔して帰ればいいのかわからないというか。それに、怒らないでね、たぶん誰も信じないと思うんだ……」
「そっか。静暁の魔女倒しましたって証明書が発行されるわけじゃないしね」
ゲームだとラスボス倒して村に帰るとなぜか全員知ってたりするけどあの場にいたのはわたしたちだけだったわけで、アレクくんの言いたいことはわからないでもないんだよね。アレクくんにとって故郷はけして居心地のいい環境ではなかったのだからなおさらだろうとは思う。
(アレクくんのご両親かあ、ちょっと会ってみたかったなあ)
コセムくんだって帰るって言ってたし、アレクくんが戻ってなかったらがっかりするんじゃないかなあとは思うけど。
もう少しだけ最初の頃みたいに二人で旅をするのも悪くない。まだ行ってない国もあるし。
「いつか、連れていってね」
内緒話をするみたいに背伸びをして、アレクくんに耳打ちする。不意にいたずら心がめばえてつけたした。
「わたしたちの子どもができたときでもいいけど」
「!?」
驚いた拍子に舌を噛んでしまったらしい。真っ赤になって口をぱくぱくさせるアレクくんがかわいくて、わたしは自分から彼にキスをした。
おしまい
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