潦国王妃の後宮再建計画

紫藤市

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閑話二 鑑札

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 王妃宛に届いた手紙の山に顔を顰めたれんは、ひとまず机の上に置かれた手紙から目をそらしたところで床に落ちている木札に気づいた。

「あら。ばく兄様の図書寮の鑑札ね」

 木札を拾い上げた蓮花は、見覚えのある紐に目を細める。
 藍色の組み紐はきんがよく使っているものだ。彼女は蓮花の物には緋色の組み紐、とうの物には緑の組み紐、博の物には藍色の組み紐を使うと決めているらしく、先日この鑑札に紐を通すように蓮花が頼んだ際、やはり藍色の組み紐を通していた。

「芹那。博兄様が鑑札を忘れて行っているわ。届けてあげてくれるかしら」

 常に首から提げているはずなのに、なにかの拍子に首から外れてしまったらしい。

「かしこまりました」

 芹那は鑑札を両手で受け取ると、すぐに部屋から出て行く。
 さきほど博は蓮花の部屋から出て行ったばかりなので、すぐに追いつけると考えたのだろう。
 博はいつも考え事をしながら歩いているせいか、歩みは遅い。芹那でも小走りで追いつけるはずだ。
 さきほど図書寮に寄るような話をしていたので、すぐに鑑札は必要となる。

「博兄様って、わたし以上に芹那がそばにいないと生活できない人なんですよ」
「そうなのか?」

 蓮花に届いた手紙の山を勝手に仕分けていたりょうが驚いた様子で尋ねる。

「別に他の使用人でも博兄様の世話はできるのですけど、博兄様って必要最低限しか喋らないことが多いものですから、会話を成立させようと思ったらこちらからうまく質問しないといけないんです。そういうやりとりが芹那は巧いんです」
「なるほど」

 手紙を一通ずつ目を通しながら稜雅は返事が不要なものは床に捨てていった。

「芹那が蓮花の侍女を辞めたら、蓮花が困るんじゃないのか?」
「困りますけど、いずれは芹那も結婚してわたしのそばから離れていくでしょうし、芹那だけを頼っていてはいけないとは思っています」
「芹那が結婚して他家へ嫁いでいったら、博も困るんじゃないか?」
「そこはやはり、博兄様次第でしょうねぇ」
「…………かなり、難易度が高くないか」
「博兄様は無自覚ですから、いろいろと厄介です」

 蓮花は稜雅が差し出した手紙を受け取り、中身を読みながら答える。

「わたしだって、そう簡単に芹那を手放すつもりはありませんし」
「芹那はどう思っているんだ?」
「博兄様のことですか? さぁ。世話が焼ける相手だと思っているかもしれません」
「いや、そういうことではなく……」
「芹那って、人の世話をするのが好きなんです。だから、世話が焼ける相手がいると、とても嬉しいみたいです。そういえば、陛下はほとんど世話のしようがないからつまらないと言っていました」
「つまらないというのは……博よりも、ということか?」
「そういうことになりますね。ま、人の好みはそれぞれですから」

 ふふっと蓮花は笑いながら次の手紙に目を向ける。

「わたしは、世話が焼ける人よりも世話を焼いてくれる人の方が好きです」
「そうか。それは良かった」

 せっせと手紙の仕分けをする稜雅は満足げだ。
 それを部屋の隅で見守っていた女官たちは、陛下が王妃様の秘書のようだ、と心の中で思ったが、口には出さなかった。

     *

 廊下を小走りで進んでいた芹那は、すぐに博の背中を見つけた。

「博様!」

 芹那が大声で呼びかけると、すぐに博は立ち止まったが、振り返るまでに時間がかかった。
 呼ばれたのが自分の名だったかどうか、すこし考えていたのだろう。

「忘れ物です」

 博に駆け寄ると、芹那は鑑札に通した紐を相手の首に掛けた。

「これがないと図書寮に入れてもらえませんよ」
「…………助かった」

 博は自分の胸元に垂れ下がった鑑札を目にやり、ぼそりと礼を言う。

「お昼のお弁当はお持ちですか? お持ちでないですね。この握り飯をお持ちください。書物を読みながらでも食べられますからね。水筒に飲み物は入っていますか? 手拭いは毎日洗濯した清潔な物を持たせてもらっていますか?」

 芹那は博の身なりを手早く確認し、握り飯を包んだ物を渡したり、巾着の中身を確認したりした。
 廊下では内官たちがふたりのやりとりを横目に見ながら通り過ぎていくが、芹那は構わなかった。

「夜になったら、できるだけお食事をしてくださいね。粥でも芋でも簡単な物でいいので、しっかり食べないと勉強に支障が出ますよ。面倒だったら、蓮花様の部屋に寄ってください。粥くらいなら用意しますからね」
「わかった」

 博はおとなしく頷いた。

とくがくかんへ行くなら、傘をお持ちくださいね。今日はきっと夕方には雨が降りますよ」
「うん」
「あ、左の袖口がほつれていますね。後で直しますから、必ず蓮花様のところに寄ってくださいね」
「うん」
「では、どうぞ、図書寮へいってらっしゃいませ」
「うん。――――君はいつまで妹の侍女を続けるんだ?」

 歩き掛けた博は、振り返ると抑揚の乏しい声で唐突にさきほどまでの会話とはまったく異なることを訊ねた。

「いつまでって、蓮花様からお暇を出されるまではずっとです。もし嫁ぎ先が見つからなかったら、ずっと蓮花様の侍女を続けるつもりです。他の方にお仕えするつもりはまったくないので」
「嫁ぎ先…………」
「いまのところ、一生蓮花様にお仕えする予定です」
「………………そうか」

 軽く頷くと博は改めて歩こうとして、また立ち止まった。

「君を欲しいと言ったら、妹は怒るだろうか」
「え? 誰がそんなことを言うんですか?」
「僕だ」

 即答した博は芹那の手を掴むと、彼女の細い指を凝視した。

「いや、怒りはしないか。しかし、欲しいと言ってもそうやすやすとはくれないだろうな。妹は自分のお気に入りは簡単には手放さないからな」

 博はぼそぼそと自分の考えをまとめるように独り言を言い、口を引き結んだところでようやく視線を上げた。

「君が欲しい」

 固まってしまっている芹那に向かって、博は相変わらず抑揚のない声で告げる。
 芹那が言葉に詰まって返事ができずにいると、博は告白したことに満足した様子で相手の手を離し、図書寮に向かって歩き出した。

 顔を紅潮させた芹那が主人の元に戻るより先に、現場を目撃した内官たちによって王妃に事の次第が報告されたのは言う迄も無い。
 その日の夕方、何事もなかったような顔で蓮花の部屋に現れた博は、扉を開けるなり突進してきたねいねいにあちらこちらを噛みつかれる羽目になったが、なぜか珍しく誰も助けてくれないことに食事中ずっと首を傾げていた。
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