潦国王妃の後宮再建計画

紫藤市

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三十九 篤学館

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 そんまつの取り調べは翌日になって行われることが決まった。
 ばくが希望したとくがくかんの再開は夕刻の会議で国王が提案したが、宰相と礼部の反対により認められなかった。再開するためには篤学館の整備と教授や講師陣の給与の問題があり、端的に言えば予算が足りないためということだった。
 王に話を通せばすぐに篤学館は再開されると期待していた博の落胆は激しく、再開するまでは王宮に居座ると言い出した。博が帰宅しないのであれば従者として連れてきたごうも帰ることはできないとして、そのままふたりはせきぐうの一室に泊まることとなった。

「教授や講師たちが無報酬で良いと言うのであれば、再開は可能だと思うが、三年間閉鎖していたのだから館内は掃除が必要だろうし、書物の虫干しやら手入れも必要だろう。それらの一切を教授や学生たちが自力の自費でやるというのであれば、再度会議にかけることはできる。その場合、教師と学生らの念書が必要だ」

 王妃の部屋で夕餉を摂る博に説明をしているのはとうだ。
 彼もまた、王妃の部屋で食事をしている。
 この部屋はいつからかん家の別邸になったのだろう、と配膳を担当する女官や下女たちは内心考えていた。
 灯台を並べた室内は明るく、円卓は大きいので三人分の食事を並べてもまだ皿を置く余裕はある。
 だが、通常この円卓で食事をするのは妃であるれんひとりか、王であるりょうとふたりのはずだ。
 妃の部屋で妃の兄たちふたりが食事をすることは、まずない。

「念書か」

 粥を匙で掬いながら博がぼそぼそと呟く。

「これが念書の原案だ。ここに教師と学生の署名と血判をして王に提出しろ。そうすれば王、宰相、礼部に話が通せる」
「あ、博兄様。秘書省から図書寮を自由に利用するための鑑札が届いたの。失くさないように首から提げておいてはどうかしら。きん、この鑑札に紐を通してあげてちょうだいな」
「はい、かしこまりました」

 食事をしながら、きょうだい仲良く打ちひしがれている博の世話をしている。

「署名を集めるとなると、それぞれの家を回って書いて貰うことになるが、博ひとりにそれをしろというのは難しいな」
「では、篤学館の前で署名を集めるのはどうかしら。博兄様のように篤学館再開を待ちわびている教師や学生がひとりやふたりは毎日篤学館の様子を見に来ているでしょうし、彼らは自分が署名をしたら近所の教師や学生に念書の話を伝えるでしょうから、博兄様は篤学館の前で念書を持って教師や学生がやってくるのを待っているだけで済むのでは」
「なるほど。それは名案だ。博、明日から篤学館の前で筆と墨と小刀を持って立っていろ」

 博の性格からして署名集めのため家々を回ることは困難であるとして、蓮花が提案すると、透は手を叩いて賛成する。

「博兄様でも、篤学館再開のために門前で立つくらいのことはできるわよね」
「もちろん、できるだろう。な、博」

 椀の中の粥を食べ終えた博が顔を上げると、さっと芹那が紐を通し終えた鑑札を黙って首に掛ける。

「……おかわり」
「はい」

 博が椀を差し出すと、芹那がすぐに粥を鍋から注いだ。

「僕がやらなければ、駄目か?」
「博兄様がやらなくて誰がするの? 桓家の次男が署名集めをしているという話題集めをすれば、署名もたくさん集まるだろうし、官僚たちも博兄様の熱心さに感銘を受けて篤学館再開に賛成してくれるようになるのよ。まずは熱意を署名の数で示すのよ」
「そうだ。宰相の息子がやるからこそ、官僚は重い腰を上げるんだ」
「……そういうものか?」
「人を動かすとはそういうことだ」

 念書に対してあまり乗り気ではない博を、透と蓮花が励ます。

「わかった……やってみる」

 新たになみなみと注がれた粥を匙で掬いながら、博は頷いた。

「それでこそ博兄様よ」
「頑張れ、博。明日の朝一番で下男にむしろを篤学館前に運ばせておくからな。ずっと立っているのは疲れるだろうから、筵に座っておくと良い。食事も下男に運ばせよう。あ、日没になったら下男を迎えに行かせるから、家に帰れよ」
「王宮に帰ってきては駄目か?」
「篤学館は王宮より家の方が近いじゃないか」
「せっかく図書寮の鑑札が手に入ったんだから、図書寮を利用したい」
「まぁ、いいんじゃないの」

 気軽に蓮花は了承する。

「どうせ赤鴉宮は部屋がたくさん空いているのだから、博兄様が部屋のひとつを占拠しても誰も文句は言わないでしょう。透兄様だって寝泊まりする部屋はあるのでしょう?」
たいさいぐうの部屋をひとつ借りている。仮眠を取れるときに取ろうと思ったら、家まで帰る時間が惜しいこともあるしな」
「博兄様は、毎日どれくらい念書に署名が集まったか陛下に見せに来るといいわ。それだと、王宮に出入りする口実になるじゃない。そのついでに図書寮に行って、そのまま王宮に泊まるってことにすれば良いのよ。図書寮の書物の中には持ち出せない物もあるでしょうから、図書寮に籠もって読むのもいいけれど、問題は念書がどのくらいで完成するかよね。まさか、教師と学生全員の署名を集めなければならないわけではないわよね」
「全員である必要はないが、教師は全員が望ましい。給金が出せないからな。学生は三分の二はあった方が良いな。どれほど優秀な学生だって、学問だけしていれば良いという時世ではないことを認識するべきだ。そして、学館運営のためには雑務が存在していることも知り、これまで学問のみに集中できていた環境がいかに恵まれたものであったかを自ら体感すべきだ。自分は優秀だから学問以外に時間を割くつもりはないという慢心したやからは篤学館で学ぶ資格はないものとする。わかったか、博」
「……もちろんだ。僕ひとりが篤学館を再開しろと騒いでもどうにもならないことも思い知った」

 せっせと粥を匙で口に運びながら博は頷いた。

「ところで」

 それまで黙って鶏や南瓜かぼちゃの素揚げを箸で摘まんで食べていた稜雅が会話に割り込んだ。

「博は篤学館でなにを学んでいるんだ」

 なかなか桓きょうだいの念書作成計画に加われず、黙って聞いているしかなかったが、芹那や下女たちが次々と稜雅の前に新しい料理の皿を置いていくので、普段よりもたくさん食べてしまっていた。

「算学だ」

 博は簡潔に答えた。

「本当はちょうと一緒にかく国に留学する予定だった。ところが、直前に祖父が亡くなり、喪に服している間に楪が先に塙国へ行ってしまった。喪が明ける前に王が代わり、留学どころではなくなったんだ」

 首から提げた鑑札を掴んで眺めながら博はぼやく。

「楪が塙国から最新の算学の書物を持ち帰ってくれるのを楽しみにしていたんだが、いつになることやら」
「でも、そろばんは送ってくれたんでしょう?」
「届いた。塙国の算盤は珠の数が縦に五つしかない物で、これが最新式という話だった。これは確かに計算がし易く――」
「博様。粥が匙からこぼれていますよ」

 芹那が指摘をすると、博は喋るのをやめてまた食べ始めた。

「念書が完成せずとも篤学館を再開してはどうだろうか」

 蓮花と透、芹那までもが博の世話に熱心であることに疎外感を覚えた稜雅が提案する。

「駄目だ。先に教師や学生に署名をさせておかないと、篤学館を再開した途端に書籍代だの備品代だのといって予算がついていないのに勝手にあれこれと学館の経費で買おうとする連中だ。いくら学館が国のための投資とはいえ、国は無い袖は振れないことを強く主張しておく必要がある」
「教育は国のいしずえであることは確かですが、それよりも先に民の生活を安定させることが優先されますしね。去年は長雨で米の収穫が例年よりも少なかった地域も多く、反乱の影響もあって物価が上がっているそうですしね」

 透と蓮花が立て続けに反対したので、稜雅は黙って箸を動かすことに専念した。
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