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三 赤鴉宮(二)
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部屋の丸窓から、庭を眺めることができた。
庭木は急いで植え替えられたのか、地面の土や苔がまだ馴染んでいない様子だ。
「ほんの半月前まで、ここで戦があったんですよね」
「赤鴉宮では、死人は出ていないぞ」
ぼんやりと庭を眺めながら茶の香りを楽しんでいる蓮花に、隣の椅子に座った稜雅が答える。
王に即位したばかりなので多忙を極めるはずだが、なぜかのんびりと部屋でくつろいでいる。
「でも、王宮内でたくさんの人が死んだのでしょう?」
「俺たちが入城する前に、すでに殺された者の方が多かった。特に長春宮は酷かった。西四宮はほとんど焼け落ちたが、夜になると殿舎が焼ける音が聞こえてくると言う者がいるとか、幽鬼がさまよっているのを見た者がいるとか、精魅が死体を食らっているとか、まぁ、こういう城では怪談話は昔から珍しいものではないが、ちらほらと噂になっている」
「あら、それは興味深いですわね」
幽鬼と聞いて、蓮花の瞳が輝いた。
「ぜひ、見に行きたいですわ」
「幽鬼は見物するものじゃない」
「別に、面白がって見に行くわけじゃありませんよ。西四宮にそんな噂があると、なかなか修復が進まないじゃないですか」
「そのうち、噂は落ち着くだろう。それに、西四宮の修復はそう急ぐものでもない」
「え? なぜ?」
途端に、蓮花の目つきが険しくなる。
「別に、部屋は東四宮で十分足りるだろう?」
蓮花の視線にたじろぎながら稜雅が答える。
内乱の将として暗君を討った稜雅だが、口は達者な方ではない。
「妃が増えたら足りなくなるじゃないですか。東四宮では後宮としての機能は十分は果たせないですよね」
「別に妃が増える予定はないから――」
「増える予定が、ない?」
稜雅の言葉を聞き咎めた蓮花は、大きく目を見開いた。
「いまのところ、だが。政情によってはどうしても君以外の娘を妃として迎え入れるしかないことも起きるかもしれないが、俺は妃は君ひとりでいいと」
「わたしは父から、わたしが最初に入る妃だと聞いていたのですけど」
「もちろん、君は俺の最初の妃だ」
詰め寄ってくる蓮花を抱き留めるようにして、稜雅は頷く。
「たったひとりの妃にできるかどうかは約束できないが、君以外は愛さな――」
「わたしは三食昼寝付きの有閑王妃として後宮に君臨する計画だったんですけど?」
「え? 赤鴉宮でも三食昼寝付きで有閑王妃はできると思うぞ。王妃の仕事がどんなものかは俺も詳しくは知らないが」
「後宮は、お妃たちがいっぱいいて、皆でお茶をしたり、花見をしたり、おしゃべりしたり、新しい襦裙を見せ合ったりして楽しく過ごせる女の園だって聞いていたのに!」
入宮早々に自分の将来図が実現しなさそうなことが悔しいのか、蓮花は涙目で訴えた。
「それは、誰から聞いたんだ?」
「大叔母様ですよ! 先々代の後宮で、それはもう楽しくおかしく過ごしたっておっしゃっていたんですわ! お友達だってたくさんできたって聞いましたわ! わたしは、ここにくればお友達ができるって期待していたのに!?」
「あぁ、それはちょっと、すぐには――しばらくは無理、かも」
蓮花以外の妃は迎えるつもりはない、と言った舌の根が乾かないうちに前言撤回をするわけにはいかない稜雅は、なんとか蓮花をなだめようとした。
「後宮を閉じたのは、別に西四宮が焼けたからだけではない。いま、この国の財政は破綻しかけているんだ。君も知っていると思うが、先代の王による奢侈と官吏の腐敗で、資金はないのにやらなければならないことが満載だ。俺が君を妃として迎えることができたのは、桓家の財力に頼ったからだ。普通、妃を迎える際は支度金を妃の実家に出す必要がある。だが、いまの王家には妃の支度金なんてものは出せないし、後宮の各殿舎を元通りにするだけの金もない。ない袖は振れないんだ。それに、後宮では先日の戦でたくさんの死人が出ている。慰霊の儀式をおこない、死者の魂が後宮から離れられるようにするにも一年はかかる」
「鎮魂は理解できますが、一年で国庫は潤うものですの?」
「どうだろう? いまのところ、難しいな。後宮に妃が増えれば増えるほど、出費がかさむ」
稜雅が真面目に答えると、蓮花は彼の袍を強く掴んだ。
「わたしは後宮で贅沢をしたいわけではないですわ」
「妃が君ひとりなら、多少の贅沢は可能だ。桓家は君のために金を出すだろうし、必要とあらば女官の数を増やすことも厭わない。ただ、妃がひとり増えれば、その妃のための侍女、女官、護衛が必要だ。使用人の衣食をまかなうための費用も必要だし、後宮を開けば衛士の他に厨房の料理人、掃除婦、洗濯婦、庭師などとにかく人を増やさなければならない。君の部屋を赤鴉宮に用意したのは、俺と同じ殿舎であれば使用人を最低限増やすだけで済むからだ。厨房ではこれまでひとり分だった食事をふたり分作り、掃除をする部屋はひと部屋かふた部屋増え、洗濯だって数枚の着物が増えるだけだ」
稜雅の説明に、蓮花はぐっと息をのんだ。
「君の侍女や猫くらいなら、王宮の負担にはならない。享は君が王妃として不自由なく暮らせるように支援すると言っている。反乱軍を援助することを思えば、王妃ひとりの生活費くらいはたいした負担ではなないそうだ。だが、享や他の大臣たちは、いまのところ妃が増えることは望んでいない。諸侯の中には金を出してでも自分の縁者を妃として後宮に入れたいと考える者もいるだろうが、後宮が使えないことを理由にしばらくは拒むことにしている」
「………………そう、ですか」
わかった、とは蓮花は言わなかった。
稜雅の理屈はわかったが、あくまでもそれは後宮を再開しない建前にしか聞こえなかったからだ。
「ちょっと、ゆっくり計画を練り直してみます」
「――――なにを?」
「わたしの、後宮をお妃百人でいっぱいにして王妃として君臨する計画」
「君臨!? 王妃は君だけだから、いまから君は王宮で王妃として君臨できるが」
「後宮で君臨したいの! でも、まぁいいですわ。こういうことは急いてはし損じると言いますものね。いきなり後宮のお妃を頭数だけ揃えるというのは賢いやり方ではないですわよね」
これから、いくらでも考える暇はあるのだ。
「え? ……諦めるとか、そういう考えは」
「ありませんわ。わたしの計画が甘かったことは認めますけれど、諦めるという選択肢は一切ございませんわ」
きっぱりと蓮花は言い切った。
「蓮花。ひとつ確認するが、君は王妃とはなんだと思ってるんだ?」
「王の妃。後宮の女主人」
「後宮の女主人というか、王の伴侶だろう? 君は俺と結婚して、俺の妻になるんだってことをわかって、ここに来ているんだ、よな?」
「えぇ、もちろん!」
勢いよく蓮花は頷いた。
「父の後見と財力目当てでわたしを妃に選んだこともわかっていますわ」
「そこは、半分は確かにそうだが、俺は君以外の妃を迎えるつもりはないぞ」
「すぐには無理だということはわかりましたわ」
「いや、だから、一年後でも十年後でも」
稜雅が言い募ろうとしたときだった。
「おーい、陛下ぁ。いつになったら戻ってくるんだ?」
扉の向こう側から、若い男の声がした。
「あら? あれは、兄でしょうか?」
「…………透だ」
蓮花の兄である桓透は、宰相補佐官として父の仕事を手伝っている。
「ようやく嫁が到着したからって、昼間から……」
透がなにを言おうとしているのか、蓮花は最後まで聞くことができなかった。
なにしろ、稜雅は「ちょっと仕事してくる」と告げると、物凄い勢いで部屋から出て行ったからだ。
閉まった扉の向こうで、ごんっと小気味の良い音が響いたが、なんの音なのかは蓮花にはわからなかった。
「忙しいなら、わざわざ出迎えてくれなくても良かったのに」
冷めかけた茶を飲みながら、蓮花はため息をついた。
「お兄様がここまで来るということは、お父様だって内廷は出入り自由なわけよね? あぁ、もう、せっかく後宮に入ってお父様やお兄様のお小言からは開放されると思ったのに、これでは屋敷にいるのとそう変わらないじゃないの」
足下でまどろんでいた甯々を抱き上げながら、蓮花はぼやいた。
「後宮はしばらく再建されないようですしね」
芹那が新たに茶を入れながら同意する。
「やっぱり、わたしの自由気ままで怠惰なお妃生活のためには後宮が必要よ」
甯々の背中を撫でながら、蓮花は決意を固めた。
「なんとかして、後宮再建しなくちゃ」
国王の気持ちをまったく理解していない王妃は「後宮絶対必要、絶対後宮再建」と唱え始めた。
庭木は急いで植え替えられたのか、地面の土や苔がまだ馴染んでいない様子だ。
「ほんの半月前まで、ここで戦があったんですよね」
「赤鴉宮では、死人は出ていないぞ」
ぼんやりと庭を眺めながら茶の香りを楽しんでいる蓮花に、隣の椅子に座った稜雅が答える。
王に即位したばかりなので多忙を極めるはずだが、なぜかのんびりと部屋でくつろいでいる。
「でも、王宮内でたくさんの人が死んだのでしょう?」
「俺たちが入城する前に、すでに殺された者の方が多かった。特に長春宮は酷かった。西四宮はほとんど焼け落ちたが、夜になると殿舎が焼ける音が聞こえてくると言う者がいるとか、幽鬼がさまよっているのを見た者がいるとか、精魅が死体を食らっているとか、まぁ、こういう城では怪談話は昔から珍しいものではないが、ちらほらと噂になっている」
「あら、それは興味深いですわね」
幽鬼と聞いて、蓮花の瞳が輝いた。
「ぜひ、見に行きたいですわ」
「幽鬼は見物するものじゃない」
「別に、面白がって見に行くわけじゃありませんよ。西四宮にそんな噂があると、なかなか修復が進まないじゃないですか」
「そのうち、噂は落ち着くだろう。それに、西四宮の修復はそう急ぐものでもない」
「え? なぜ?」
途端に、蓮花の目つきが険しくなる。
「別に、部屋は東四宮で十分足りるだろう?」
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内乱の将として暗君を討った稜雅だが、口は達者な方ではない。
「妃が増えたら足りなくなるじゃないですか。東四宮では後宮としての機能は十分は果たせないですよね」
「別に妃が増える予定はないから――」
「増える予定が、ない?」
稜雅の言葉を聞き咎めた蓮花は、大きく目を見開いた。
「いまのところ、だが。政情によってはどうしても君以外の娘を妃として迎え入れるしかないことも起きるかもしれないが、俺は妃は君ひとりでいいと」
「わたしは父から、わたしが最初に入る妃だと聞いていたのですけど」
「もちろん、君は俺の最初の妃だ」
詰め寄ってくる蓮花を抱き留めるようにして、稜雅は頷く。
「たったひとりの妃にできるかどうかは約束できないが、君以外は愛さな――」
「わたしは三食昼寝付きの有閑王妃として後宮に君臨する計画だったんですけど?」
「え? 赤鴉宮でも三食昼寝付きで有閑王妃はできると思うぞ。王妃の仕事がどんなものかは俺も詳しくは知らないが」
「後宮は、お妃たちがいっぱいいて、皆でお茶をしたり、花見をしたり、おしゃべりしたり、新しい襦裙を見せ合ったりして楽しく過ごせる女の園だって聞いていたのに!」
入宮早々に自分の将来図が実現しなさそうなことが悔しいのか、蓮花は涙目で訴えた。
「それは、誰から聞いたんだ?」
「大叔母様ですよ! 先々代の後宮で、それはもう楽しくおかしく過ごしたっておっしゃっていたんですわ! お友達だってたくさんできたって聞いましたわ! わたしは、ここにくればお友達ができるって期待していたのに!?」
「あぁ、それはちょっと、すぐには――しばらくは無理、かも」
蓮花以外の妃は迎えるつもりはない、と言った舌の根が乾かないうちに前言撤回をするわけにはいかない稜雅は、なんとか蓮花をなだめようとした。
「後宮を閉じたのは、別に西四宮が焼けたからだけではない。いま、この国の財政は破綻しかけているんだ。君も知っていると思うが、先代の王による奢侈と官吏の腐敗で、資金はないのにやらなければならないことが満載だ。俺が君を妃として迎えることができたのは、桓家の財力に頼ったからだ。普通、妃を迎える際は支度金を妃の実家に出す必要がある。だが、いまの王家には妃の支度金なんてものは出せないし、後宮の各殿舎を元通りにするだけの金もない。ない袖は振れないんだ。それに、後宮では先日の戦でたくさんの死人が出ている。慰霊の儀式をおこない、死者の魂が後宮から離れられるようにするにも一年はかかる」
「鎮魂は理解できますが、一年で国庫は潤うものですの?」
「どうだろう? いまのところ、難しいな。後宮に妃が増えれば増えるほど、出費がかさむ」
稜雅が真面目に答えると、蓮花は彼の袍を強く掴んだ。
「わたしは後宮で贅沢をしたいわけではないですわ」
「妃が君ひとりなら、多少の贅沢は可能だ。桓家は君のために金を出すだろうし、必要とあらば女官の数を増やすことも厭わない。ただ、妃がひとり増えれば、その妃のための侍女、女官、護衛が必要だ。使用人の衣食をまかなうための費用も必要だし、後宮を開けば衛士の他に厨房の料理人、掃除婦、洗濯婦、庭師などとにかく人を増やさなければならない。君の部屋を赤鴉宮に用意したのは、俺と同じ殿舎であれば使用人を最低限増やすだけで済むからだ。厨房ではこれまでひとり分だった食事をふたり分作り、掃除をする部屋はひと部屋かふた部屋増え、洗濯だって数枚の着物が増えるだけだ」
稜雅の説明に、蓮花はぐっと息をのんだ。
「君の侍女や猫くらいなら、王宮の負担にはならない。享は君が王妃として不自由なく暮らせるように支援すると言っている。反乱軍を援助することを思えば、王妃ひとりの生活費くらいはたいした負担ではなないそうだ。だが、享や他の大臣たちは、いまのところ妃が増えることは望んでいない。諸侯の中には金を出してでも自分の縁者を妃として後宮に入れたいと考える者もいるだろうが、後宮が使えないことを理由にしばらくは拒むことにしている」
「………………そう、ですか」
わかった、とは蓮花は言わなかった。
稜雅の理屈はわかったが、あくまでもそれは後宮を再開しない建前にしか聞こえなかったからだ。
「ちょっと、ゆっくり計画を練り直してみます」
「――――なにを?」
「わたしの、後宮をお妃百人でいっぱいにして王妃として君臨する計画」
「君臨!? 王妃は君だけだから、いまから君は王宮で王妃として君臨できるが」
「後宮で君臨したいの! でも、まぁいいですわ。こういうことは急いてはし損じると言いますものね。いきなり後宮のお妃を頭数だけ揃えるというのは賢いやり方ではないですわよね」
これから、いくらでも考える暇はあるのだ。
「え? ……諦めるとか、そういう考えは」
「ありませんわ。わたしの計画が甘かったことは認めますけれど、諦めるという選択肢は一切ございませんわ」
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「後宮の女主人というか、王の伴侶だろう? 君は俺と結婚して、俺の妻になるんだってことをわかって、ここに来ているんだ、よな?」
「えぇ、もちろん!」
勢いよく蓮花は頷いた。
「父の後見と財力目当てでわたしを妃に選んだこともわかっていますわ」
「そこは、半分は確かにそうだが、俺は君以外の妃を迎えるつもりはないぞ」
「すぐには無理だということはわかりましたわ」
「いや、だから、一年後でも十年後でも」
稜雅が言い募ろうとしたときだった。
「おーい、陛下ぁ。いつになったら戻ってくるんだ?」
扉の向こう側から、若い男の声がした。
「あら? あれは、兄でしょうか?」
「…………透だ」
蓮花の兄である桓透は、宰相補佐官として父の仕事を手伝っている。
「ようやく嫁が到着したからって、昼間から……」
透がなにを言おうとしているのか、蓮花は最後まで聞くことができなかった。
なにしろ、稜雅は「ちょっと仕事してくる」と告げると、物凄い勢いで部屋から出て行ったからだ。
閉まった扉の向こうで、ごんっと小気味の良い音が響いたが、なんの音なのかは蓮花にはわからなかった。
「忙しいなら、わざわざ出迎えてくれなくても良かったのに」
冷めかけた茶を飲みながら、蓮花はため息をついた。
「お兄様がここまで来るということは、お父様だって内廷は出入り自由なわけよね? あぁ、もう、せっかく後宮に入ってお父様やお兄様のお小言からは開放されると思ったのに、これでは屋敷にいるのとそう変わらないじゃないの」
足下でまどろんでいた甯々を抱き上げながら、蓮花はぼやいた。
「後宮はしばらく再建されないようですしね」
芹那が新たに茶を入れながら同意する。
「やっぱり、わたしの自由気ままで怠惰なお妃生活のためには後宮が必要よ」
甯々の背中を撫でながら、蓮花は決意を固めた。
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