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第十二章 逃亡
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「カッテとギーレンです。彼らは私の身の上に同情してくれ、イングランドまで私に付き従ってくれると言ってくれました」
「……ギーレン?」
聞き覚えのある名前に、ジェルメーヌは頬を強張らせた。
「ギーレンをご存じなのですか?」
ジェルメーヌの不穏な表情に気掛かりを覚えたのか、フリードリヒが尋ねる。
「昨日、劇場に現れた近衛隊の中にギーレンという名の少尉がいたと聞きました」
「あぁ、それが私の友人のギーレンです。でも彼は、近衛隊が歌姫らに不逞な振る舞いをしないか監視するために同行したのです。今朝になって、歌姫たちの身は安全ではあったとギーレンは知らせてくれました。彼は信頼できる友人です」
「そのギーレンと、昨日あなたを劇場まで迎えに来たカッテを連れて、イングランドへ向かうとおっしゃるのですか」
「はい」
フリードリヒは大きく頷いた。
「目的地をウィーンに変更することを、もう一度考えてみてください。海を渡ってイングランドへ向かうよりは、ずっと安全ですよ」
シュリュッセルかもしれないギーレンがイングランドへ逃げる、という事実がジェルメーヌを慌てさせた。
イングランドに行かれてしまっては、仇討ちがしづらくなる。
「お願いですから、王宮に戻られたら一晩だけウィーン行きを考えてみてください。カッテとギーレンを連れて行きたいというのであれば、なんとか手段を講じますから」
「伯爵。あなたは本当に情け深い方ですね」
疲れ切った顔をしたフリードリヒは、作り笑いを浮かべてジェルメーヌの手を握った。
「あなたのような方を巻き込むわけにはいきません。ただ、ウィーン行きについては、見当してみます」
「では、ウィーン行きを決断されたら、手紙で良いのでお知らせいただけませんか。できれば伝達係は、あなたが信頼されているギーレン少尉にお願いしたいのですが」
「ギーレンに? わかりました」
ジェルメーヌの提案を、フリードリヒはあっさりと受け入れた。
「明日中に、ご連絡します」
「必ずですよ」
ジェルメーヌはフリードリヒの顔を覗き込みながら、念を押した。
*
翌日、ジェルメーヌは屋敷内の荷物をすべて馬車に載せると、荷物だけ先にリュネヴィルへと送った。屋敷と一緒に借りていた家具には掃除後に布を掛けさせる。使用人のほとんどはベルリンで雇った者たちであるため、退職金を渡して朝食後に出て行かせた。
人気のなくなった屋敷はそう広くないというのに、やけに静まり返っている。
いま、この屋敷に残っているのはジェルメーヌとクロイゼル、それにミネットだけだ。
夕刻にはジェルメーヌもこの屋敷を引き払い、ベルリンから出て行く予定にしていた。ぐずぐずと留まり続けていては、王からどのような嫌疑を掛けられるかわかったものではない。
「ギーレンという名の男がシュリュッセルである可能性は濃厚だ」
日当たりの良い応接室で庭を眺めながら、ジェルメーヌはクロイゼルに告げた。
フランス窓を全開にし、外の陽射しが差し込む部屋は、剣呑な話題とは不釣り合いなほど穏やかな空気に満ちている。
「彼を今日中にこの屋敷に寄越すよう、王太子には頼んである。彼がシュリュッセルかどうか首実検してみようと思う。五年前、ニュルンベルクで私を誘拐しようとした男であれば、シュリュッセルの可能性が高い。違っていたとしても、シュリュッセルであるかどうか、鎌を掛けてみる」
「尻尾を出すだろうか」
「試してみるしかない」
「……ギーレン?」
聞き覚えのある名前に、ジェルメーヌは頬を強張らせた。
「ギーレンをご存じなのですか?」
ジェルメーヌの不穏な表情に気掛かりを覚えたのか、フリードリヒが尋ねる。
「昨日、劇場に現れた近衛隊の中にギーレンという名の少尉がいたと聞きました」
「あぁ、それが私の友人のギーレンです。でも彼は、近衛隊が歌姫らに不逞な振る舞いをしないか監視するために同行したのです。今朝になって、歌姫たちの身は安全ではあったとギーレンは知らせてくれました。彼は信頼できる友人です」
「そのギーレンと、昨日あなたを劇場まで迎えに来たカッテを連れて、イングランドへ向かうとおっしゃるのですか」
「はい」
フリードリヒは大きく頷いた。
「目的地をウィーンに変更することを、もう一度考えてみてください。海を渡ってイングランドへ向かうよりは、ずっと安全ですよ」
シュリュッセルかもしれないギーレンがイングランドへ逃げる、という事実がジェルメーヌを慌てさせた。
イングランドに行かれてしまっては、仇討ちがしづらくなる。
「お願いですから、王宮に戻られたら一晩だけウィーン行きを考えてみてください。カッテとギーレンを連れて行きたいというのであれば、なんとか手段を講じますから」
「伯爵。あなたは本当に情け深い方ですね」
疲れ切った顔をしたフリードリヒは、作り笑いを浮かべてジェルメーヌの手を握った。
「あなたのような方を巻き込むわけにはいきません。ただ、ウィーン行きについては、見当してみます」
「では、ウィーン行きを決断されたら、手紙で良いのでお知らせいただけませんか。できれば伝達係は、あなたが信頼されているギーレン少尉にお願いしたいのですが」
「ギーレンに? わかりました」
ジェルメーヌの提案を、フリードリヒはあっさりと受け入れた。
「明日中に、ご連絡します」
「必ずですよ」
ジェルメーヌはフリードリヒの顔を覗き込みながら、念を押した。
*
翌日、ジェルメーヌは屋敷内の荷物をすべて馬車に載せると、荷物だけ先にリュネヴィルへと送った。屋敷と一緒に借りていた家具には掃除後に布を掛けさせる。使用人のほとんどはベルリンで雇った者たちであるため、退職金を渡して朝食後に出て行かせた。
人気のなくなった屋敷はそう広くないというのに、やけに静まり返っている。
いま、この屋敷に残っているのはジェルメーヌとクロイゼル、それにミネットだけだ。
夕刻にはジェルメーヌもこの屋敷を引き払い、ベルリンから出て行く予定にしていた。ぐずぐずと留まり続けていては、王からどのような嫌疑を掛けられるかわかったものではない。
「ギーレンという名の男がシュリュッセルである可能性は濃厚だ」
日当たりの良い応接室で庭を眺めながら、ジェルメーヌはクロイゼルに告げた。
フランス窓を全開にし、外の陽射しが差し込む部屋は、剣呑な話題とは不釣り合いなほど穏やかな空気に満ちている。
「彼を今日中にこの屋敷に寄越すよう、王太子には頼んである。彼がシュリュッセルかどうか首実検してみようと思う。五年前、ニュルンベルクで私を誘拐しようとした男であれば、シュリュッセルの可能性が高い。違っていたとしても、シュリュッセルであるかどうか、鎌を掛けてみる」
「尻尾を出すだろうか」
「試してみるしかない」
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