いまは亡き公国の謳

紫藤市

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第六章 再会

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「それよりも、ジェルメーヌはなんでここにいるの?」
 短く食前の祈りを捧げてから食事を始めたジェルメーヌに、ステファーヌはぼんやりと尋ねる。
「それはもちろん、あなたを探し出すためよ。トロッケン男爵はあなたを攫ったことが露見したにもかかわらず、あなたをフランソワと入れ替えることは諦めていない様子だったから、それなら闇雲にあなたを探すより、あなたや男爵が現れるのを待てば良いんじゃないかしらって考えたの。それで、わたしはお父様を説得して、フランソワの代わりに公子としてプラハまで旅をしているところよ。お父様はそれはもう怒濤のごとく押し寄せる問題で気が休まる暇が無く、毎日胃薬ばかり飲んでいるわよ」
 ナイフとフォークで肉を切り分けながら、ジェルメーヌは淡々と説明した。
 肉を切る度に肉汁が溢れ、頬張ると美味しさが口の中で広がる。
 公子のために用意した食事だけあって、なかなか良い食材を使っているようだ。
「……公女殿。できれば、もう一度公子殿にも食事を勧めてくれないか」
 ひとりで勢いよく食べているジェルメーヌを見かねて、クロイゼルが訴える。
「ステファーヌは頑固だから、わたしが勧めたからってそう簡単に絶食を止めたりはしないつもりのようよ。それよりも、温かいうちにお肉を食べてしまわないと、冷めたら硬くなってしまうじゃないの」
 食事の邪魔、と言わんばかりにジェルメーヌが冷たく言い放つと、クロイゼルは肩を落とす。
「公子殿の身が心配ではないのか?」
「ひとまず顔が見られたから、安心したわ」
 生きているか死んでいるかもあやふやな状態だったこれまでに比べれば、ひとまず無事であることを確認できただけでも大きな進展だ。
「どうやらあなたたちは、ステファーヌを殺すつもりはないようだし」
「もちろんだ。もっとも、男爵にはこの状況は伝えていないが」
「伝える必要はないわ。ステファーヌが使い物にならないと知ったら、男爵たちがどのような行動に出るか知れたものじゃないもの」
 パンをしゃくしながら、ジェルメーヌはクロイゼルを睨んだ。
 トロッケン男爵はともかくとして、彼と一緒にこの陰謀を計画したと思われる協力者のふたりがどのような人物かはわからない。男爵はステファーヌをロレーヌ公国の嫡嗣に仕立て上げることに成功すれば、自分の出世も間違いないと楽観視しているようだが、あとのふたりはそこまでめでたい性格ではないだろう。
(ステファーヌに利用価値がなくなれば、すぐに見捨てないとも限らないわ)
 彼らにとって必要なのは、自分たちをロレーヌ公国の中枢に据え、やがては神聖ローマ帝国の中でも重要な地位を与えてくれる公子だ。庶子であるステファーヌであれば、簡単に自分たちの企みに乗ってくると考えていたのだろうが、公女として育てられたステファーヌは彼らの予想以上に野心を持たない人物だった。もしこのままフランソワ公子と入れ替わることを拒否すれば、ステファーヌもミネットも見知らぬ土地で着の身着のまま放り出されるだけでは済まないだろう。
「クロイゼル。あなたはわたしをきゅうから救ってくれたけれど、ステファーヌのことも助けてくれないかしら」
「ここからこのまま連れ出せという話なら、断る」
 ジェルメーヌが飲み干したグラスにワインを注ぎながら、クロイゼルは素っ気なく答えた。どうやらこれまでステファーヌの食事の際に給仕をしていた習慣が身についているようだ。
「誰もそんな無茶は言わないわ。いま、ステファーヌを連れ帰ったところで、わたしもステファーヌを旅に同行させる理由が思いつかないもの」
 ロレーヌ公国公子として旅をしている以上、プラハまでの道中、またプラハに着いた後も、公子の動向には人々の視線が向けられる。謎の同行者をひとり連れているだけで、不穏な噂を招かないとも限らない。
「ジェルメーヌ。クロイゼルに救ってもらったって……どういうこと?」
 ゆっくりと寝台の上を這いながら近寄ってきたステファーヌが尋ねる。
「どうもこうも、ちょっとお忍びでこの町を散策していたら誘拐されかけたの。偶然それを見かけたクロイゼルが助けてくれたからここでこうしてあなたと会えたわけだけれど、小国の公子にも身の危険はあるみたいよ」
「犯人の正体は不明だが、調べておいた方が良いぞ。単に見目の良い少年を狙っただけの人攫いなら、この町を出て行くだけで済む問題だが、公子を狙った犯行ならば、次もありえるぞ」
「そうね。調べるようにするわ」
 クロイゼルの親切な忠告を、ジェルメーヌは素直に受けた。
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