いまは亡き公国の謳

紫藤市

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第六章 再会

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「……まさか、公女殿か?」
 ジェルメーヌを抱えたクロイゼルは、目を大きく見開き、きょうがくの表情を浮かべた。声はうわり震えており、いかに彼が動揺しているかが伝わってくる。
 彼のこんな反応は、ステファーヌが乗馬の練習中に連続十回落馬したとき以来だ。その際は馬ではなく背の低いだったのだが、クロイゼルは驢馬とステファーヌを見つめながら途方に暮れた表情を浮かべていたものだ。
「そうよ! こんなところで会うなんて、ぐうね!」
 とにかく助かった、とジェルメーヌは胸を撫で下ろした。
「奇遇なわけがないだろう。私はてっきり暴漢にロレーヌ公子がさらわれたのだとばかり……」
「わたしがその公子だもの。助けてくれて、本当にありがとう」
 ジェルメールが抱きつかんばかりに腕を伸ばしたので、クロイゼルは彼女を馬車から下ろした。
「ロレーヌ公子はどこだ?」
「フランソワのこと? 残念ながら、一緒に行動していないの。わたしたちよりも後からリュネヴィルを出発することになっているから、まだリュネヴィルにいるかもしれないわね」
 クロイゼルが失神している男たちふたりを辻馬車の中に押し込めるのを眺めながら、ジェルメーヌは素直に答えた。
「まさか、公女殿が公子の身代わりをしているのか?」
 信じ難い、といった表情を浮かべ、クロイゼルはジェルメーヌを見下ろす。
「そうよ。だって、男爵は計画がけんしたからといって、ステファーヌとフランソワのすり替えを止めるつもりはないんでしょう? わたしも、男爵がさらったのがステファーヌでなければ、男装までしてフランソワの代わりに旅をしたりはしなかったのだけど」
 軽く肩をすくめてジェルメーヌが答えると、クロイゼルはまじまじと相手を凝視した。
「正気の沙汰じゃない」
「わたしからステファーヌを奪っておきながら、わたしに正気を求めるなんて間違っているわ」
 腰に手を当ててジェルメーヌが理屈をこねると、クロイゼルはしばらく黙り込んだ。
「――それもそうだな。失礼した」
 即座に謝る辺りが生真面目なクロイゼルらしい。
「わたしが公子として旅をしていれば、いずれは男爵やあなたが接触してくるだろうと思ったから、わたしはフランソワの身代わりを買って出たの。もちろん、男爵以外にも公子を狙うやからがいるとは聞いていたけれど、まさかこんな派手に攫いにくるとは思わなかったわ」
「こいつらが、あなたをロレーヌ公子と知って攫ったかどうかは不明だが。見目の良い子供を攫って売り物にする輩はどこにでもいる。そいつらからすれば、公女殿など格好の獲物だ」
 辻馬車を睨み付けながら、クロイゼルは吐き捨てる。
「あなたも、自分の立場を考えずにひとりでふらふらしてどうする。私がロレーヌ公子の動向を見張っていたから良かったようなものの、下手をすれば人買いに売られていたのかもしれないんだぞ」
「……ごめんなさい」
 うなれてジェルメーヌが謝ると、頭上でクロイゼルが長いため息を吐く音が聞こえた。
 どうやら、彼としてもこの状況に困っているらしい。
 トロッケン男爵が公子のすり替えを実行する前に、何者かによって公子を奪われては困るので、仕方なく攫われた公子を助けたのだ。その後のことは特になにも考えていなかったに違いない。
 本来であれば、ロレーヌ公子はクロイゼルの顔を知らない。
 誘拐犯から自分を救ってくれた親切な通りがかりの騎士ということで、公子を宿まで送り届けて姿を消すつもりだったのかもしれないが――。
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