いまは亡き公国の謳

紫藤市

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第四章 旅立ち

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 リュネヴィル城ではトロッケン男爵の企みはけんしていたが、プラハへと向かった一行の馬車は国境で取り逃がしていた。
 城に戻ったジェルメーヌは父親からいたわりの言葉を掛けられたものの、気持ちは苛立ったままだった。なにより、父親がステファーヌの性別を正しく把握していたことに、ジェルメーヌは怒りを覚えた。
「ガブリエルがステファーヌを娘として育てたいと強く願っているのであれば、それを叶えてやらないわけにはいくまいと思ったのだよ。あれが、ピエール=ジョゼフが生まれて三日で死んだことにこだわっていたことは知っている。ステファーヌが男である以上、同じことが起こらないとも限らないと不安がっていたことも知っている。私がどれほど心を砕いて説明したところで、あれは納得しないだろうと思ったからこそ、ステファーヌを娘として育てること黙認していたのだ」
 父親の言い訳めいた説明は、ジェルメーヌをさらにゆううつな気分にさせた。
 母ガブリエル・バルベルは実家から姿を消したという。
 トロッケン男爵と行動を共にしているのか、それとも公女誘拐事件に関わった罪で捕らえられることを恐れてなのかは不明だ。
 父がステファーヌを公子として育てる決意を固めてくれていれば、今回の事件が起きなかったかもしれないし、それでも起きたかもしれない。
 どちらにしても、トロッケン男爵はステファーヌをおびき出し、自分の駒とすることに成功したのだ。
(トロッケン男爵がどんな陰謀を計画しようと、わたしの知ったことではないけれど、ステファーヌを利用しようとしたことは許せないわ)
 リュネヴィル城に戻って以来、これまではステファーヌとふたりで使っていた部屋でひとり過ごしながら、ジェルメーヌはうつうつと考えていた。
 ミネットもステファーヌと一緒に姿を消しているため、新たな侍女がジェルメーヌに付けられたが、すべてにおいて要領が悪く、ジェルメーヌを苛立たせた。ますます機嫌が悪くなるジェルメーヌにおびえてか、侍女は呼び鈴を鳴らさなければ現れないようになった。
 せっかく住み慣れた部屋に戻ってこられたというのに、ジェルメーヌはまったく落ち着くことができなかった。ステファーヌの不在がやたらと心に重くのし掛かっている。ほんの一日や二日であれば、これまでも病気でどちらか片方が隔離され、別々の部屋で過ごしたこともあったが、そのときはステファーヌの居場所がわかっていた。
 いまは、ステファーヌがプラハに向かっているはずだということはわかっていても、無事かどうか確認することもできない。
 ロレーヌ公家から密かに追っ手が出されたという話だが、途中で彼らを捕らえたという連絡もない。
(ここであれこれと心配したところで、男爵の計画は進む一方だわ。男爵たちは、プラハへと向かうフランソワを待ち伏せして、ステファーヌと入れ替えるつもりなんだもの)
 計画が露見したからといって、彼らは途中で諦めるようなことはしないはずだ。
 ステファーヌは紛れもなくロレーヌ公子であり、フランソワと容姿がよく似ている。
 プラハでカール六世の戴冠式に出席して皇帝に気に入られれば、ロレーヌ公家としてはステファーヌがフランソワ公子ではないと言い出しにくくなる。なにより、公家にもめんというものがある。
(男爵は、よほどのことがない限り、計画を中断しないでしょうね)
 ジェルメーヌを屋敷に残して姿を消すことに同意した以上、男爵側もロレーヌ公家の横槍が入ることは覚悟しているはずだ。計画の全容はジェルメーヌの口からロレーヌ公に伝わることもわかった上で、ジェルメーヌを解放しているのだ。
(わたしは男爵に、女だからとあなどられているのかもしれないけれど)
 軟禁されていた屋敷で、ジェルメーヌは男爵とほとんど口を利かなかった。
 ふたりが男装している間、男爵は双子のどちらが公子なのか区別をつけられていた風ではないが、公女は公子よりも劣っていると考えていたふしがある。
(ステファーヌを奪われて、わたしが城の中で泣き暮らしているとでも思っているのかしら。お生憎様ね)
 憤然と椅子から立ち上がると、ジェルメーヌはドレスの裾を絡げながらフランソワの部屋へと乗り込んだ。
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