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第三章 公子教育
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翌日から、ステファーヌの公子教育が始まった。
とはいっても、ジェルメーヌも同じく男装をしているため、男爵や教師たちはどちらが公子でどちらが公女なのか区別がつかない。ふたりが揃って同じように微笑むと、まったく見分けがつかなくなるのだ。
ひとりに教えるのもふたりに教えるのもそう違いはない、と考えたのか、初日から生徒のための椅子はふたつ用意されていた。
これまでジェルメーヌと一緒に公女として育てられてきたステファーヌは、男子としての教育は受けていない。教養はジェルメーヌとほぼ同じだ。多少、読書によって知識に差があるものの、ラテン語やギリシャ語、数学や地理、歴史などについては初めて学ぶものばかりだ。
公女として家庭教師から学んできたのはフランス語とドイツ語の読み書き、音楽、絵画、裁縫といった類のものばかりだ。簡単な四則演算はできるが、面積の計算や公式などは見たことも聞いたこともない。
まずはふたりに基礎の基礎から教えなければならないことに、教師たちは頭を抱えた。
毎日不眠不休で授業を受けさせても、短期間で公子として年相応の教養を身に付けさせるのは不可能に近い。
フランソワ公子がウィーンへ向けて出発する時期は未定だが、遅くとも一ヶ月後には出発するだろうと男爵たちは推測していた。
「ラテン語はまだなんとかなりそうだけど、ギリシャ語は苦手だな」
手元の石盤に白墨でギリシャ語の単語を書きながら、ステファーヌはぼやいた。
「なんでギリシャ語を勉強するんだろう。ウィーンに行くなら、ドイツ語が喋れれば充分じゃないのかな」
ジェルメーヌも一緒にギリシャ語の単語の練習をしながら、首を傾げる。
ふたりとも、各教科の成績は似たり寄ったりだ。
教師たちはふたりが示し合わせているのではないかと疑っているようだが、それは大きな誤解だった。ふたりとも必死に授業を受けた結果、同じていどで習得しているだけなのだ。
教師たちは、男女で得意・不得意な教科に違いがあるはずだから、自然と双子の成績にも差が出てくるだろうと期待していたようだが、ふたりを見分ける要素となるほどには学力に違いは出なかった。
ただ、問題は馬術と剣術にあった。
ステファーヌはジェルメーヌに比べて運動音痴なのだ。
ふたりとも城館に籠もって暮らしていたため、運動らしい運動はしてきていないが、乗馬だけは幼い頃から習っていた。が、残念なことにステファーヌは絶望的に乗馬が下手だった。
おかげで、馬術教師であるクロイゼルにだけは、ふたりの区別がつくようになってしまった。
さすがにジェルメーヌも、ステファーヌの真似をして鞍からするりと滑り落ちる芸当はできない。あまり鞍に乗るのにもたつくと馬の機嫌が悪くなるので、ジェルメーヌは自分なりの素早さで馬にまたがるようにはしていた。馬上でひとまず馬に乗れたことにため息をついていると、すぐ横でステファーヌが悲鳴を上げながら鐙から足を踏み外している姿を目にする羽目になるので、ジェルメーヌはもういちどため息をつくことになるのだ。
「ギリシャ語はできなくてもいいけど、馬には乗れた方がいいんじゃないかな」
ひとつの単語につき二十回の書き取りを命じられているため、ふたりはぼそぼそとしゃべりながらも手を動かしていた。石盤の上にはギリシャ語の単語で溢れている。
「公子が馬に乗れないなんて格好がつかないよ。皇帝だって、娘婿が颯爽と馬に乗りかけて無様に落馬する姿を目にしたら、幻滅するだろうしね」
ジェルメーヌの指摘に、ステファーヌは軽く顔を顰める。
「あれは教える教師が悪い。教え方が下手くそなんだ」
「君は子供の頃からずっと乗馬は苦手だったじゃないか。クロイゼルのせいではないよ」
「どの教師も皆、教え方が拙いんだ。その証拠に、わたしは一度としてまともに馬に乗れたことがないじゃないか」
「わたしは同じ教師に教わっているのに、5歳の頃からちゃんと乗れているよ」
「あの教師どもは、わたしと君とで教え方を微妙に変えているに違いない」
そんなことはないだろう、とジェルメーヌは考えたが、ギリシャ語教師が睨んできたので、口を閉じた。
ステファーヌは屁理屈を言い出すとジェルメーヌの話は聞かなくなるのだ。
クロイゼルは乗馬の授業の初日、馬に乗りかねている方が公女で、乗りこなしているのは公子だと思い込んでいた。自分の仕事は公子に馬術を教えることだから、馬に乗れない公女のために時間を割く必要はないと考えたらしい。ジェルメーヌにあれこれと一時間ほど集中して指導をしていた。
どうやらクロイゼルに自分が公子だと思われているようだと気付いたジェルメーヌが、公子は自分ではない、と告げると、目を丸くしていたものだ。
男子たるもの、本能的にやすやすと馬に乗れるものだと考えていたらしい。
「やはり男子であるわたしは、君とは筋肉の付き方が違うんだ。だから、君と同じ教わり方では上手くなれないんだ」
「――クロイゼルの特訓をあれだけ受けておいて、よく言うよ」
とはいっても、ジェルメーヌも同じく男装をしているため、男爵や教師たちはどちらが公子でどちらが公女なのか区別がつかない。ふたりが揃って同じように微笑むと、まったく見分けがつかなくなるのだ。
ひとりに教えるのもふたりに教えるのもそう違いはない、と考えたのか、初日から生徒のための椅子はふたつ用意されていた。
これまでジェルメーヌと一緒に公女として育てられてきたステファーヌは、男子としての教育は受けていない。教養はジェルメーヌとほぼ同じだ。多少、読書によって知識に差があるものの、ラテン語やギリシャ語、数学や地理、歴史などについては初めて学ぶものばかりだ。
公女として家庭教師から学んできたのはフランス語とドイツ語の読み書き、音楽、絵画、裁縫といった類のものばかりだ。簡単な四則演算はできるが、面積の計算や公式などは見たことも聞いたこともない。
まずはふたりに基礎の基礎から教えなければならないことに、教師たちは頭を抱えた。
毎日不眠不休で授業を受けさせても、短期間で公子として年相応の教養を身に付けさせるのは不可能に近い。
フランソワ公子がウィーンへ向けて出発する時期は未定だが、遅くとも一ヶ月後には出発するだろうと男爵たちは推測していた。
「ラテン語はまだなんとかなりそうだけど、ギリシャ語は苦手だな」
手元の石盤に白墨でギリシャ語の単語を書きながら、ステファーヌはぼやいた。
「なんでギリシャ語を勉強するんだろう。ウィーンに行くなら、ドイツ語が喋れれば充分じゃないのかな」
ジェルメーヌも一緒にギリシャ語の単語の練習をしながら、首を傾げる。
ふたりとも、各教科の成績は似たり寄ったりだ。
教師たちはふたりが示し合わせているのではないかと疑っているようだが、それは大きな誤解だった。ふたりとも必死に授業を受けた結果、同じていどで習得しているだけなのだ。
教師たちは、男女で得意・不得意な教科に違いがあるはずだから、自然と双子の成績にも差が出てくるだろうと期待していたようだが、ふたりを見分ける要素となるほどには学力に違いは出なかった。
ただ、問題は馬術と剣術にあった。
ステファーヌはジェルメーヌに比べて運動音痴なのだ。
ふたりとも城館に籠もって暮らしていたため、運動らしい運動はしてきていないが、乗馬だけは幼い頃から習っていた。が、残念なことにステファーヌは絶望的に乗馬が下手だった。
おかげで、馬術教師であるクロイゼルにだけは、ふたりの区別がつくようになってしまった。
さすがにジェルメーヌも、ステファーヌの真似をして鞍からするりと滑り落ちる芸当はできない。あまり鞍に乗るのにもたつくと馬の機嫌が悪くなるので、ジェルメーヌは自分なりの素早さで馬にまたがるようにはしていた。馬上でひとまず馬に乗れたことにため息をついていると、すぐ横でステファーヌが悲鳴を上げながら鐙から足を踏み外している姿を目にする羽目になるので、ジェルメーヌはもういちどため息をつくことになるのだ。
「ギリシャ語はできなくてもいいけど、馬には乗れた方がいいんじゃないかな」
ひとつの単語につき二十回の書き取りを命じられているため、ふたりはぼそぼそとしゃべりながらも手を動かしていた。石盤の上にはギリシャ語の単語で溢れている。
「公子が馬に乗れないなんて格好がつかないよ。皇帝だって、娘婿が颯爽と馬に乗りかけて無様に落馬する姿を目にしたら、幻滅するだろうしね」
ジェルメーヌの指摘に、ステファーヌは軽く顔を顰める。
「あれは教える教師が悪い。教え方が下手くそなんだ」
「君は子供の頃からずっと乗馬は苦手だったじゃないか。クロイゼルのせいではないよ」
「どの教師も皆、教え方が拙いんだ。その証拠に、わたしは一度としてまともに馬に乗れたことがないじゃないか」
「わたしは同じ教師に教わっているのに、5歳の頃からちゃんと乗れているよ」
「あの教師どもは、わたしと君とで教え方を微妙に変えているに違いない」
そんなことはないだろう、とジェルメーヌは考えたが、ギリシャ語教師が睨んできたので、口を閉じた。
ステファーヌは屁理屈を言い出すとジェルメーヌの話は聞かなくなるのだ。
クロイゼルは乗馬の授業の初日、馬に乗りかねている方が公女で、乗りこなしているのは公子だと思い込んでいた。自分の仕事は公子に馬術を教えることだから、馬に乗れない公女のために時間を割く必要はないと考えたらしい。ジェルメーヌにあれこれと一時間ほど集中して指導をしていた。
どうやらクロイゼルに自分が公子だと思われているようだと気付いたジェルメーヌが、公子は自分ではない、と告げると、目を丸くしていたものだ。
男子たるもの、本能的にやすやすと馬に乗れるものだと考えていたらしい。
「やはり男子であるわたしは、君とは筋肉の付き方が違うんだ。だから、君と同じ教わり方では上手くなれないんだ」
「――クロイゼルの特訓をあれだけ受けておいて、よく言うよ」
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