いまは亡き公国の謳

紫藤市

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第二章 捕囚

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「あれは誰?」
 部屋の扉が閉まる音を耳にすると同時に、ジェルメーヌは尋ねた。
「マティアス・クロイゼル。男爵の手下みたいなものらしいわ。わたしの剣術と馬術の教師も兼ねているんですって。男爵はわたしに短期間で公子としての教養と礼儀作法を身に付けさせ、ウィーンの宮廷に乗り込もうとしているのよ。教会であなたを羽交い締めにして気絶させた挙げ句、ここまで運んできたのもあの男。とてもそうは見えないけれど、騎士なんですって」
「騎士?」
 とても騎士と呼べるほど高潔そうな人物には見えなかった。ようへいと言われた方が納得できるふうさいだ。
「なんだかわけがわからなくて、頭が痛くなりそうだわ。ところで、わたしはどれくらい眠っていたの?」
「ほんの半日ほどよ。もう深夜になるのだけど、いまから男爵たちは作戦会議を始めるみたい。さっきまで次々と馬車が屋敷前に停まる音が聞こえていたの。男爵はわたしたちをここへ連れ込むと、早速仲間に招集をかけたようね」
「わたしたち、誘拐されたの?」
 教会での出来事が脳裏に甦り、ジェルメーヌは顔から血の気が引くのを感じた。
「お母様はどうなさったの?」
 母が自分たちの誘拐に手を貸したのだとは信じたくなかった。なにか弱味を握られていて、それで仕方なく男爵に従ったのかもしれない。それならば、無事に帰れたのかどうかも気になった。もしや自分たちと同じように、この屋敷にかんきんされているのでは、と心配になった。
 ジェルメーヌが抱いている懸念に気付いたのか、ステファーヌは弱々しく微笑んだ。
「わたしたちが男爵に捕らえられるのを見届けると、姿を消してしまったわ。もしかしたら、男爵に雇われて母を演じただけの女かもしれないわね」
「そ、そうね。きっと、そうね。わたしたち、男爵にだまされたんだわ」
 自分に言い聞かせるように、ジェルメーヌは繰り返した。
 教会であった婦人が母でないならば、なぜステファーヌが男であることを知っているのか、という疑問は残るものの、秘密を知る者は母ひとりではない。乳母や前の侍女が男爵に漏らしてしまったことだって考えられる。親身になって自分の世話をしてくれた乳母や前の侍女を疑いたくはなかったが、母に裏切られたとも考えたくはなかった。
「それよりも、男爵は教会で言っていたことを本気で実行するつもりなのかしら」
「わたしをフランソワの身代わりにするって計画のこと? えぇ、本気らしいわ。本気でなければ、庶子とはいえ、主君の子供を誘拐なんてできないわよね」
 ロレーヌ公の国内での評判はまずまずだ。家臣から絶大な名声を得ているわけではないが、恨まれるような汚点もない。
 男爵はロレーヌ公がフランスから妻を迎えたことを非難していたが、多くの国民はフランスに対して激しい嫌悪を抱いているわけでもない。
「ステファーヌにフランソワの代わりができるなんて、本気で考えているのかしら」
「中身が男であれば、張りぼてでもなんとかなると思っているみたいよ。とにかくウィーンの宮廷でフランソワ公子としてわたしがオーストリア大公に認められ、大公女との婚約さえ取り付ければなんとかなるとだろうという甘い考えを持っているようね」
 そう簡単になんとかなるものだろうか、とジェルメーヌは首を傾げた。
 自分たちはこれまで、宮殿の奥深くで大切に育てられきた。
 読み書きは最低限できれば良く、教養としての音楽、絵画、手芸や舞踏などの才能を伸ばすよう言われてきた。数学や歴史、地理などはまったく学んだことはない。運動といえば、中庭を散歩するか、時折乗馬をするていどだ。その乗馬も、運動神経がジェルメーヌよりも劣るステファーヌは、おとなしい馬でさえ乗りこなせずにいるのだ。
 16歳にもなって、ひとりでくらにまたがることもできない公子をウィーンの宮廷は歓迎するものだろうか。多分、笑い者になるだけだろう。
「剣術なんて、さじよりも重い物を持ったことがないわたしには無理だわ」
 軽く肩を竦め、ステファーヌが困惑した様子でぼやく。
 優雅な身のこなしには定評があり、ドレスのすそさばきは城館の貴婦人たちの誰よりも上手いステファーヌだが、ジェルメーヌと同じ細さの腕には、必要最低限の筋肉しかついていない。
 剣術だの乗馬だのと身体を酷使する羽目になったら、ぜいじゃくな肉体は二日も経たずに音を上げることだろう。
「ほんの数日のしんぼうよ、ステファーヌ。すぐにお父様がわたしたちがいないことに気付いて、助けにきてくださるわ。だから、いまは我慢して男爵に従って」
 ステファーヌを抱きしめ、クロイゼルには聞こえないように、ジェルメーヌはそっと耳打ちする。
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