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嫌い
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桜の花が散ったとき、私の恋も散った。
二五歳、社会人三年目突入するというのに、私は目の前の桜の木にどうしようもない気持ちをぶつけていた。通勤途中には立派な桜並木を持つ公園があるのだ。
着慣れてきたスーツも、最近買い替えたパンプスにも文句はないけれど、この桜だけは、どうしても私の感情を揺さぶるのだ。
この桜。というか、桜全般。
桜が、嫌いだ。
毎年この時期になると、薄桃色の花びらを睨み付けて、通り過ぎるのだ。
『ごめん、もう連絡取るのやめよう』
四月の中旬のこと。
桜の花が丁度吹雪みたいに地面に降り注いでいたとき、私の涙も地面に降り注いだ。
七年前。十八歳。失恋するには丁度良くって、それでもって忘れられない時期でもあった。
「別に引きずってるって訳でもないんだけどさ、なんかやっぱり思い出しちゃうんだよね」
「うーん、わからないでもないよ。その気持ち」
同僚はアメリカーノを片手に私の話に相槌をうつ。かつてはフラペチーノを飲んでいたのに、そんな過去なかったみたいにオトナになっていた。
そんな私も、エスプレッソなんだけれど。
「なんだろう、この気持ち」
熱すぎるカップを意味もなく回しながら、水面を見つめる。このカフェのカップは回しやすい。
「わかんない。名前がついていないだけかもよ」
「オトナな考えじゃん」
「まぁね、アラサー突入したし」
関係ないような、あるような。絶妙な返しを皮切りに今度は年齢の話になった。
もうトシね、新入社員若いね、そういえばお局の持ってたハンカチさぁ……。
二転三転して、昼休みが終わる。
私の恋の話はちょっとしたネタになっただけだった。
共感して欲しかったわけでも、慰めて欲しいわけでもないんだけどさ。
どっちかというと、聞いて欲しかった。私がフラれた時の話を。
七年前の四月。大学の入学式は、いっぱいの出会いに恵まれた。けれど私の心の中は、別の大学に行ってしまった彼氏でいっぱいだった。
新しいスタートであるとともに、100キロメートル以上離れた遠距離恋愛のスタートでもあった。
楽しさと不安さがごちゃまぜになって、一番気持ちが定まっていなかった。
私が沢山の友達に囲まれているとき、彼も同じように沢山の友達に囲まれているのだろう。
たくさんSNSの相互フォローが増えて、たくさんの挨拶を交わすのだろう。現に彼のアカウントには新しい友達と思われる人たちが一気に増えていた。同性だけじゃない。異性だっていっぱい増えていた。
彼はどこにいても人気者だった。それは大学に入っても同じだったみたいだ。
三年間付き合っていた彼氏とは、結婚すると思っていた。
高校では仲良しカップルで有名だったし、実際に仲良しだった。
一目見たときから、彼が私の事を好きなことは分かっていた。あの赤くなっていった顔と、はにかんだ笑顔が可愛くって、私も好きになったのだ。
高い背と、太い首。ちょっと日焼けした肌と短髪がとてもよく似合っていた。私の名前を呼ぶときの恥ずかしそうな、あの口ぶりも好き。
体育祭では大きな声で告白されて、付き合った。
文化祭では花束をもらって、プロポーズされた。
毎日一緒に登校して、一緒に帰って。クラスが離れてもそれは続いた。三年間一日も欠かさずに続いたのだ。
誰もが羨む、仲良しカップルだった。友達のあの眼差しが忘れられない。
私は嫉妬で潰されないように、私自身も自分磨きを頑張った。
髪の毛を整えて、ダイエットもして。誰からも嫌われないような性格になった。
そんな私を、彼はとても気に入っていた。
そりゃ、卒業しても一緒だって、思うだろう。
そりゃ、大学が別でも気持ちはずっと一緒だって、思うだろう。
私のことを大好きな彼が、好きだった。
周りの友達を巻きこんで何度もサプライズしてくる彼が、好きだった。
たくさんのプレゼントと手紙は未だに覚えている。全部実家に置いてきてしまったけれど。
お互いに夢があった。私はアナウンサー、彼は臨床検査技師。
お互いに励まし合って受験勉強にも励んだ。
私が第一志望に合格したとき、心の底からお祝いしてくれた。彼は、第二志望だけに合格していた。それでも私も心の底からお祝いした。
彼が大好きだったのだ。
最初から最後まで、彼が大好きだった。
『ごめん、もう連絡取るのはやめよう』
お互いの入学式が終わって、新しい生活が始まって一週間も経っていない頃だった。まだ桜は咲いてた。
何度も電話を掛けて、何度もメッセージを送ったけれど、何の反応もなかった。ブロックされていたようだった。
離れてから一週間しか経っていないのに。
距離が離れていても好きな気持ちがあれば大丈夫だと思っていなかったのに。
そういう、愛とか恋みたいな概念的なものを一途に信じていたのに。
彼は新しい環境で、私への好きな気持ちをなくしてしまったようだった。
通じない電話と、ブロック済みのSNSの画面を交互に見ては、呆然とした。
新しく出来た友達には、まだまだ言えない。
高校時代の友達にも、まだまだ言えない。
言葉が作れなかった。
それくらいには深い傷だった。
彼氏いるの? って聞かれて曖昧に誤魔化していたのは、私にも浮ついた心があったから?
それを遠くから彼が見透かしたのかな。
彼の存在を隠していたお陰で、画面のツーショットを変えて、今までの写真を消すだけで済んだ。あとは、普段通りに過ごすだけ。
寝る前までずっと繋いでいた電話もなくて、おはようのメッセージもなくて。
こんなにも一人暮らしって寂しいんだ。
アパートの六畳間があまりにも広く感じて、夜中に外に飛び出した。寂しさを共有する相手がいなくなってしまったことにようやく気が付いて。
突然失うってこういうことなんだ。理不尽と悲しさと怒りが混ざり合って、自分が自分じゃないみたい。
公園に並んだ桜の木がすごく憎くってたまらなかった。人の気も知らないで呑気にひらひら舞う花びらに苛立って仕方がなかった。
久しぶりに大声を出して、泣いた。
二五歳、社会人三年目突入するというのに、私は目の前の桜の木にどうしようもない気持ちをぶつけていた。通勤途中には立派な桜並木を持つ公園があるのだ。
着慣れてきたスーツも、最近買い替えたパンプスにも文句はないけれど、この桜だけは、どうしても私の感情を揺さぶるのだ。
この桜。というか、桜全般。
桜が、嫌いだ。
毎年この時期になると、薄桃色の花びらを睨み付けて、通り過ぎるのだ。
『ごめん、もう連絡取るのやめよう』
四月の中旬のこと。
桜の花が丁度吹雪みたいに地面に降り注いでいたとき、私の涙も地面に降り注いだ。
七年前。十八歳。失恋するには丁度良くって、それでもって忘れられない時期でもあった。
「別に引きずってるって訳でもないんだけどさ、なんかやっぱり思い出しちゃうんだよね」
「うーん、わからないでもないよ。その気持ち」
同僚はアメリカーノを片手に私の話に相槌をうつ。かつてはフラペチーノを飲んでいたのに、そんな過去なかったみたいにオトナになっていた。
そんな私も、エスプレッソなんだけれど。
「なんだろう、この気持ち」
熱すぎるカップを意味もなく回しながら、水面を見つめる。このカフェのカップは回しやすい。
「わかんない。名前がついていないだけかもよ」
「オトナな考えじゃん」
「まぁね、アラサー突入したし」
関係ないような、あるような。絶妙な返しを皮切りに今度は年齢の話になった。
もうトシね、新入社員若いね、そういえばお局の持ってたハンカチさぁ……。
二転三転して、昼休みが終わる。
私の恋の話はちょっとしたネタになっただけだった。
共感して欲しかったわけでも、慰めて欲しいわけでもないんだけどさ。
どっちかというと、聞いて欲しかった。私がフラれた時の話を。
七年前の四月。大学の入学式は、いっぱいの出会いに恵まれた。けれど私の心の中は、別の大学に行ってしまった彼氏でいっぱいだった。
新しいスタートであるとともに、100キロメートル以上離れた遠距離恋愛のスタートでもあった。
楽しさと不安さがごちゃまぜになって、一番気持ちが定まっていなかった。
私が沢山の友達に囲まれているとき、彼も同じように沢山の友達に囲まれているのだろう。
たくさんSNSの相互フォローが増えて、たくさんの挨拶を交わすのだろう。現に彼のアカウントには新しい友達と思われる人たちが一気に増えていた。同性だけじゃない。異性だっていっぱい増えていた。
彼はどこにいても人気者だった。それは大学に入っても同じだったみたいだ。
三年間付き合っていた彼氏とは、結婚すると思っていた。
高校では仲良しカップルで有名だったし、実際に仲良しだった。
一目見たときから、彼が私の事を好きなことは分かっていた。あの赤くなっていった顔と、はにかんだ笑顔が可愛くって、私も好きになったのだ。
高い背と、太い首。ちょっと日焼けした肌と短髪がとてもよく似合っていた。私の名前を呼ぶときの恥ずかしそうな、あの口ぶりも好き。
体育祭では大きな声で告白されて、付き合った。
文化祭では花束をもらって、プロポーズされた。
毎日一緒に登校して、一緒に帰って。クラスが離れてもそれは続いた。三年間一日も欠かさずに続いたのだ。
誰もが羨む、仲良しカップルだった。友達のあの眼差しが忘れられない。
私は嫉妬で潰されないように、私自身も自分磨きを頑張った。
髪の毛を整えて、ダイエットもして。誰からも嫌われないような性格になった。
そんな私を、彼はとても気に入っていた。
そりゃ、卒業しても一緒だって、思うだろう。
そりゃ、大学が別でも気持ちはずっと一緒だって、思うだろう。
私のことを大好きな彼が、好きだった。
周りの友達を巻きこんで何度もサプライズしてくる彼が、好きだった。
たくさんのプレゼントと手紙は未だに覚えている。全部実家に置いてきてしまったけれど。
お互いに夢があった。私はアナウンサー、彼は臨床検査技師。
お互いに励まし合って受験勉強にも励んだ。
私が第一志望に合格したとき、心の底からお祝いしてくれた。彼は、第二志望だけに合格していた。それでも私も心の底からお祝いした。
彼が大好きだったのだ。
最初から最後まで、彼が大好きだった。
『ごめん、もう連絡取るのはやめよう』
お互いの入学式が終わって、新しい生活が始まって一週間も経っていない頃だった。まだ桜は咲いてた。
何度も電話を掛けて、何度もメッセージを送ったけれど、何の反応もなかった。ブロックされていたようだった。
離れてから一週間しか経っていないのに。
距離が離れていても好きな気持ちがあれば大丈夫だと思っていなかったのに。
そういう、愛とか恋みたいな概念的なものを一途に信じていたのに。
彼は新しい環境で、私への好きな気持ちをなくしてしまったようだった。
通じない電話と、ブロック済みのSNSの画面を交互に見ては、呆然とした。
新しく出来た友達には、まだまだ言えない。
高校時代の友達にも、まだまだ言えない。
言葉が作れなかった。
それくらいには深い傷だった。
彼氏いるの? って聞かれて曖昧に誤魔化していたのは、私にも浮ついた心があったから?
それを遠くから彼が見透かしたのかな。
彼の存在を隠していたお陰で、画面のツーショットを変えて、今までの写真を消すだけで済んだ。あとは、普段通りに過ごすだけ。
寝る前までずっと繋いでいた電話もなくて、おはようのメッセージもなくて。
こんなにも一人暮らしって寂しいんだ。
アパートの六畳間があまりにも広く感じて、夜中に外に飛び出した。寂しさを共有する相手がいなくなってしまったことにようやく気が付いて。
突然失うってこういうことなんだ。理不尽と悲しさと怒りが混ざり合って、自分が自分じゃないみたい。
公園に並んだ桜の木がすごく憎くってたまらなかった。人の気も知らないで呑気にひらひら舞う花びらに苛立って仕方がなかった。
久しぶりに大声を出して、泣いた。
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