雨に濡れて

月詠嗣苑

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雨に佇む青年

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「今日も雨、か」

    もうすぐ夏も終わると言うのに、この1週間毎日雨…

「はぁっ…」
「お姉ちゃん、溜め息つくと幸せ逃げるよ?」

    珍しく夏休みの課題を全て終わらせた夏海は、今日も友達と遊びに出掛けるらしく、メイクに夢中だ。

「ふふっ、濃いよ。それじゃ。貸して」夏海のメモを全て落とし、新たにメイクを施していった。
「ほら、これなら可愛い」マジマジと鏡を見て、夏海が頷く。

「ただいまー。雨、強くなりそ…あらー可愛いじゃないの」買い物から帰ったお母さんが、夏海の顔を見て、喜んだ。
「いいでしょぉー。お姉ちゃんが、やってくれたんだ」夏海の顔もほころぶ。

「そういえば、夏海。表の男の子、知り合いなの?」お母さんが、買い物した物をしまいながら、聞く。
「表の?」夏海が、リビングの窓から外を眺めるが、「いないよー」と返す。

    そう言えば、前もそんな話を聞いた記憶がある。最近も…

「誰だろ?お姉ちゃんの知ってる人?」逆に聞かれても、困るけど…。

「風邪、ひかなきゃいいわね。あのこ。傘、さしてなかったし。」
「ま、いいや。じゃ、行ってくるねー。」楽しそうに声を掛け、家を出ていった。

    コトッ…

「飲む?好きでしょ?」

    テーブルに置かれた宇治抹茶ミルク。

「うん。大好き」それを飲みながら、夏海の彼氏の話になったり、進路の話を雨の音を聞きながら話に華を咲かせてた。

    雨の音は、嫌い。思い出したくもない。お父さんもお母さんも敢えて言わないようにしてくれるし、夏海にも内緒にしてくれてる。ありがたい。

    携帯は、退院した直後にお父さんが、契約してくれたのを使ってるし、前の携帯は、夏海の彼氏がたまたま遊びにきてくれて、壊して貰った。

「恭子、少しはあなた外に出ないと…」
「うん。わかってる。」けど、あの事件以来、怖くて外に出れない。喜んでるのは、お父さん。「結婚しても、外には出さん!」と言ってくれてる。

「結婚出来るのかな?私」気分が、また落ち込んでくる。
「大丈夫よ。あなた可愛いし、性格もいいから。なんなら、お見合い…」
「やだ…。まだ、そんな年じゃないもん。ね、またお料理教えてよ。」そう言うと、お母さん喜ぶし、お父さんも喜ぶし、夏海は…ずるいと拗ねる。すね方が、また可愛い。

    「そうね。今度は、プリンでも作ろうかしらね?」いそいそとお母さんは、キッチンに駆け込む。

    楽しそうに過ごす事、これから先もあるのかな?

「上で、ちょっと寝てくる」そう言いながら、部屋へと戻る。

    私の大切な家族をグチャグチャにしたのは、あの人達だ。お父さんもお母さんも、「忘れろ」と言うけど、忘れられたら、どれだけいいか!けど、被害届けをだすのも勇気がいる。

    前に、夏海の友達が、痴漢されて刑事に細かな部分まで聞かれて、電車に乗ることができなくなった、と聞いた。

「怖いよ…怖い…」ひとりになるのも怖かったから、下に誰も居ない時は、こうして部屋に閉じ籠る。

    外の雨は、一段と強くなってきた。部屋の灯りをつけ、カーテンを閉めようとしたら、外の電信柱に雨に濡れた誰かが立っていて、男性と言うのがわかった。

「あの子かな?」そう思い、窓を開けようとしたら、目があって…その男性は、走って逃げていった。

    誰だろ?気持ちが悪いな…と思う反面、やはり、風邪ひかなきゃいいと、も思った。



    バシャ…バシャ…バシャ…

    目があったと思う。あの子だ。俺が、あんな事さえしてなかったら…

    大谷さんから受け取った100万は、消費者金融に返済し、借金がなくなったが、「人手不足だから」となかなか辞めさせてくれず、まだわちゃわちゃでバイトをしている。

    母さんには、バイト先の社長が貸してくれたと嘘をついて、安心させた。

    大谷さんの話から、彼女は大学を辞めた事を聞いた。自分達が、あんな酷い目に合わせたのに、「あいつ(彼女)が悪い」とまで、笑いながら仲間で話してるのも。

    助けてくれた恩もあるから、言うに言えない。

「どうしよう。どうしよう。俺、俺…」いつの間にか、アパートまで来てた。

    ガチャッ…

「えっ、ちょっと洸汰。あんた、どうしたのよ!」母さんに、怒られながら家に入り、玄関先で顔や身体を拭かれた。

「あんた、傘持ってかなかったの?」怒ってるのか、呆れてるのか、わからない口調で母さんが言った。

「母さん、俺…俺…」雨の滴なのか、涙なのか、濡れた服のまま母さんに抱きつき、泣いた。母さんは、何も言わず、ただただタオルで濡れた髪を拭いてくれた。でも、結局、言えなくて…

「あんたね、何があったか知らないけど、喧嘩したんなら、ちゃんと謝りなさい」とだけ言った。誰と喧嘩?彼女も友達もいないのに…。

    風呂場へ行き、濡れた服を脱ぎ、洗濯機に入れた。

「結局、今日も渡せなかったな、これ」手にしたのは、造詣大学2年吉住恭子とかかれた大学の学生証。

    ここに書かれてる住所には、もういないと思ってた。けど、彼女も彼女の家族もそこに住んでいてくれた。が、どうやってこれを渡そうか?と考えても、イザとなると怖くて出来ず、ズルズルと…

    バイトの休みの日に、必ずここへ来ては、渡そうと待ち構えてるが、当の彼女はなかなか出てこず、毎回雨に好かれてる。

コンコンッ…

「洸太、大丈夫?起きてる?」
「起きてる…」あまりにも長く入ってたのか、母さんが心配して、声を掛けてきた。

    勢いよく湯から上がり、バスタオルで身体を拭きながら、鏡で自分の顔を見た。少し青白く感じるのは、雨に打たれ過ぎたせいか?と思った瞬間、大きなクシャミが出て、再び母さんに呆れられた。



「なかなか、やまないなー。」昼間出るのが、怖いから基本暗くなってから出るようにはしてるが、常にどちらかがいる。お母さんかお父さん。

「車だし」そう言っても、どちらかがいないと出させてもくれない。

「夜道は、危険だ」車ですが?まぁ、心配してくれてるのは、わかる。明るい太陽の光を浴びながら、再び外に出れるのは、いつだろう?

「花梨、元気にしてるかな?」今年、誰からも暑中見舞葉書が届かなかった。いや、届いてたのかも知れないが、見ると思い出すからと隠されたのかも知れない。

    「明日、晴れたら家の周りでも歩いてみようかな?」と思ったのに…


    外の雨は、窓に激しく打ちつける。

「また、雨だ。んもぉっ!!折角、外に出ようとしたの…に」

    朝とは言え、まだ朝の8時。雨に打たれた男性が、こちらを見上げてる。

「誰なの?」そう小さく言っても、相手には聞こえない。ただただ、上から下からで、互いを見る。「声を掛けようか?」そう思った時、その男性が、頭を深く下げた。

    記憶を辿り、着いたのが、あの時、私がひっぱたいた店員だったが。でも、ここの住所は知らない筈だ。聞いたとも思えない。怖くなって、カーテンを閉め布団に潜り込んだ。

    再び、目が覚めたのは、昼近くで、その男性は、既にいなくなっていた。当然と言えば、当然だろう。

    雨が上がり、青空が出ていた。夏海が、ダラダラしてたから、お母さんに「散歩してくる」と言い、強引に連れ出し、少しだけ家の周りを歩いた。

    雨が上がったばっかで、道には幾つもの水溜まりが出来ていて、

「あ、お姉ちゃん!!虹だよ」

    東の空には、大きな虹が掛かってた。

「切れてないから、いいことあるかもね」
「そうね」
「お姉ちゃんの病気もきっと治るよ!」夏海が、虹を指差しながら笑った。


家に帰ると、お母さん上機嫌でお父さんに電話してた。

「そういや、昔さ。虹を探して…」
「迷子になったよね。あのときは、怒られたー」夏海が、小学校に入って、初めてダブルアーチの虹を見て、虹の切れ端を探しに行って、迷子になったのを思い出した。

    虹の話から、順に小学校での思い出話に華が咲き、夕方バタバタとお父さんが帰ってくるまで続いて、夕飯を食べながらも、私は、笑い続けた。

    どれ位振りに笑ったのか?覚えてないけど、少しは吹っ切れてきてるのかな?

    今夜は、薬を飲まなくても眠れそうな気がして、処方された薬を飲まないで、布団に潜り込んだ。

    珍しく夜中に目が覚め、リビングに降りたら、灯りがついてて、お父さんとお母さんが、昔のビデオを見ながら、何かを話してた。お母さん、たぶん泣いてたと思う。

    元気にならないとな…

    一気にとは、出来ないが、とりあえず近所を少しずつ散歩するようにし、徐々に外に出る時間も増やしていった。

    何日目かの雨の日…

「まただ」あの男性が、また立って私の部屋をジッと見て、目が合うと、深く深く頭を下げて、今度は、普通に去っていった。

「気になるなぁ。誰なの?」


    それが、わかったのは…数日後の…またしても雨の日。


「…。」

    あまりにもジッと見てるのをお母さんが、お父さんに言っ見たいで、裏口からコッソリと回って…強引に連れてきた。

   彼が、玄関に入るなり、いきなり土下座…

    何も言わず、ただひたすら頭を下げ続ける。

    いも言わぬ態度に、気付いたのか(なんとなく私も察知)、「夏海、お前は、部屋に行ってろ」とだけ言い、渋々夏海は、チラチラ後ろを見つつ、部屋に行った。が、たぶん、上で聞いてる。ドアを閉める音がしなかったから…

「顔を上げてください」
「こんなとこじゃ、あれだから」
「…。」どうしていいかわからず、ハラハラその場を見守り続けた。

「…しわけ…だめだ。」
「えっ?」

    呼吸を整える音が、聞こえる。

「申し訳ございませんっ!!ゴンッ…」
「いや、あの…きみ?」
「申し訳ございませんっ!!ゴンッ…」
「ちょっと…あの…」
「俺…俺…俺…怖かったんだ。」
「…。」

    お母さんが、なんか言おうとしたのを、お父さんが止めた。

    泣きながらではあったが、彼は、あの日あった事、そして、自分のした事をポツリポツリと話してくれた。

「どうかしてたんだ。俺…拒否したら、窃盗の罪で逮捕されるし。そしたら、母さん余計に辛くなると思って…申し訳ございませんっ!!ゴンッ…」

    気持ちは、伝わってくるが、何よりもそのゴンッが気になる訳で…

「とにかく、顔をあげなさい。」
「ええ、そうね。傷の手当てしないと」
「駄目です。俺…俺…」
「…。」


はぁぁっ… 

あ、ヤバイ。お父さん、怒ってる。

「顔をあげろと言っとんじゃぁぁぁっ!!」玄関の硝子が揺れる(のは大袈裟かな?)位の大声を発し、その男性が、驚いて顔をあげた。

「一恵、手当てしてやれ」そう言いお父さんは、リビングに戻った。

「恭子、頼むわ。お父さん落ち着かせないと」とまたリビングへと消える。残ったのは、私とこのおでこから血を流してる男性。

    救急箱の蓋を開けてから、「我慢しててくださいね」と声を掛け、スプレータイプの消毒液を吹き付け、周りから徐々に拭いていく。

「痛くないですか?」
「はい」

    消毒をし終わると、大きなガーゼを貼り付け、テープで止めた。

「終わったのか?」
「うん。大丈夫だとは、思うけど」
「上がってもらえ。話がある」の一言にまた男性が、怯え始めた。

「大丈夫だから。たぶん、あまり怒ってない」

    だって、彼は、私をレイプした仲間じゃないから。

    私に付き添われて、リビングに入ると、ソファではなく床の上に正座。

「あんたの話から、酷いのはあいつだとわかった。」
「…。」
「俺、警察に…」
「行ってどうする?いったら、恭子の事が明るみにでる。そしたら、今度は、酷く傷つくんだぞっ」

    静かな言い方ではあるが、殴りたいのを相当我慢してると思う。

「幾ら、あったんだ。借金」
「148万です。」

    深く長い溜め息が、漏れる。

「そんな金で?」
「あと、その…店の商品を…」
「あんたも、被害者な訳か…」
「夏海!お前!」リビングに入ったのも誰も気付かなかった。しかも、全て聞いてたらしく、目が真っ赤に…

「夏海、もうお姉ちゃん大丈夫だから。ねっ」諭しても夏海は、涙を流すのを止めなかった。
「許さない。許さないんだから!返してよ!元の元気なお姉ちゃん返してよ!!」いや、あの、今元気だけど…

「申し訳…ございません。」
「謝る位なら、なんでそんなこと頼まれるの?おかしいだろ!!」
    夏海の気持ちも、わかるし、目の前で泣きながら土下座をしてる彼の気持ちも痛い程わかる。

「もう、いいから」
「良くない!お姉ちゃんが、お姉ちゃんが、どれだけ苦しんだかあんた知ってんの?!ねぇっ!!」
「夏海!」

    リビングに乾いた音が広がり、夏海は、大声で泣き続けた。

「なんて言ったらいいのかな。きみ、名前は?」

    そう言えば、まだ誰も彼の名前すら聞いてないのに気付いた。

「渡辺です。渡辺洸太。駅前のわちゃわちゃでバイトしてます。家族は、母さんがいるだけです。携帯は…」
「…。」
「い、いや、名前だけでいいから」下手すれば、自己紹介を聞く羽目になるとこだった。相当、緊張してる。

「渡辺くん。」
「はい」
「きみが、当事者でないのは、わかるが、ある意味、きみも共犯なんだよ。共謀罪って、聞いたことあるよな?」
「…。」

    お父さんの静かな言葉に、彼は、また小さくなった。

「そりゃ、親だから、君の事も殴りたいと思ってる。家内も恭子も…」
「はい」
「少し時間をくれないか?」
「…。」
「家内も恭子も夏海も、私にとっては大切なかけがえのない家族なんだ。君にだって、母さんがいるように。なくては、ならない存在だよ。」
「…。」
「今すぐ、どうこうするとは言わないよ。ただ、時間を下さい」
「はい」

    暫く間があり、彼は、お母さんに支えられ立ち上がったが…

「あの、これ…。店に落ちてたから。ずっと、返したくて…」

    差し出されたのは、大学の学生証。

「や、辞めたのは知ってます。だけど、ずっと気になってて。返したくて…。し、失礼します!」

    お辞儀をすると、彼は、逃げるように家を飛び出していった。

    のはいいんだけど…

「やーだ。あの子、裸足で帰っちゃったの?」

    玄関のたたきには、彼が履いていたadidasのスポーツシューズが置かれていた。

   後日、彼が、その靴を取りに来て、今度も慌てて帰って、お父さんの靴を…それが、3度も繰り返された。
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