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Vol.01 - 復活
01-037 始末
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◇ ◇ ◇
ケイイチは、それをただ見ているだけしかできなかった。
目の前で起こっている事。
二人が交わす会話の意味。
何一つ、理解できなかった。
理解できないまま、ただただ、見ているしかできなかった。
ナオが構えた銃が、パァンという轟音とともに火を噴く瞬間。
博士が仰向けに倒れ、博士の胸のあたりに赤いものが広がっていく光景。
それをケイイチは、ただ、見ていた。
ケイイチの視界の片隅では、なぜか急に復活したアシスタントAIが、救急救命ドローンを呼べない、ネットワーク接続エラーだ、どうにかしろとメッセージを五月蠅く点滅させている。
ああ、こんなエラー、見るの初めてだな……と、ケイイチは全くどうでもいい事を考える。
この世界で、ネットの繋がらない場所なんて、ほぼあり得ない。
電波が遮断されていたとしても、マイクロマシン達が少しでもいれば、必ずネットも繋がる。
それに――マイクロマシン達がいれば、人が撃たれるなんていう事は――起こらない。
なのに――おかしい。
何もかもがおかしい。
本当におかしな事が起きている。
だって――ケイイチは、止めたつもりだった。
『博士は、狂ってない』
そう訴えて、ナオが博士を撃つのを止めたつもりだった。
実際、止まったし、これでナオと博士は和解して、きっと穏やかな結末を迎えるに違いない。
そう思っていたし、それを実現できた事を、ちょっと誇らしく思っていた。
思っていたのに――
なぜか先輩は、改めて銃を構え直し、博士を撃った。
まったくわけが分からない。
これは、何だ?
何なんだ?
だが――
眼前の二人のその表情が、目の前で起きたわけのわからない出来事の全てを肯定していた。
ナオに撃たれるその瞬間も、床に倒れ天を見上げる今も、博士の表情は、不思議なほどに穏やかだった。
そしてそんな博士を見つめるナオの顔にも、怒りや後悔、憐憫ではなく、感謝と情愛に満ちた、温かい色が浮かんでいる。
なぜ、二人がそんな表情を浮かべていられるのか。
ケイイチには全く分からない。
ただ――一つだけは、分かった。
ナオは、きっと博士の行動の全てを完全に理解した。
そして、博士の研究は、きっと、完成した。
目の前で起きたこれは、きっと博士の研究のその完成のために、必要な死で。
研究の中身はまるで想像もつかないけれど、博士は確かに今、一人の研究者として、幸福な死を迎えているのだと。
ナオとケイイチが見守る前で、横たわる博士の胸の動きは次第に弱く小さくなり、やがて――止まった。
ナオは動かない。
噛みしめるように、ただじっと博士を見ている。
その顔は、涙でぐしゃぐしゃだ。
しかしその涙に悲しみはない。後悔もない。
その涙が表すのは、たくさんの感謝と敬意、そして少しばかりの惜別。
しばし、博士を悼む、静謐な時間が流れる。
だが、それは長くは続かなかった。
目の前のこの少女の頭にあるのは、世界で一番早く動く脳だ。
ケイイチにとって一瞬に感じる時間も、彼女にとっては時に永遠より長い。
ナオは何かを確かめるように一つ小さく頷くと、拳銃をホルスターにしまった。
そして袖で涙を拭い、おもむろにケイイチに近づくと、
「助手には面倒かけた」
そう言いながら、手足に嵌められていた拘束具と、首に巻き付いたギロチン首輪を外した。
「どうして……」
未だに眼前で起こった事を十分に理解できず、呆然としているケイイチは、かろうじて疑問を口にする。
だが、ナオは何も答えず、ケイイチの首から外したギロチンを手に、そのまま部屋の片隅――銀色をした柱状の箱がずらりと立ち並ぶエリアに向かった。
「何を……」
ケイイチの疑問をよそに、ナオはその中の一つの箱の前に立ち、箱の右端に並ぶボタンの一つをぐっと押し込んだ。
ナオの操作に反応して、箱の一面が横にスライドする。と、箱の中から溢れ出した白い冷気がナオの肌を撫でた。
そして、その箱の中には――
(……博士?)
遠巻きに様子を見ていたケイイチは、その光景に少なからず驚かされた。
箱の中にいるのは、間違いなく博士だった。
目の前の床に倒れている博士と瓜二つ。違うのは、全裸であることと、凍り付いている事――
「それって……」
「ん」
ケイイチの声に、ナオが短く肯定を返す。
「その箱全部、ですか……?」
「そ」
つまり――自身の体を複製して、冷凍保存していた、という事か。
それが、博士が何度も目の前で亡くなり、そして復活できた理由。
一人が死んだら次の体を解凍していけば、確かにずっと「復活」し、生き続ける事はできる。
だが――
「そんな事……」
できるのだろうか。
人体を冷凍保存するほうは、コールドスリープの実例がいくらでもある。
だが、人の体を完全に複製するなんていう話は、聞いた事がない。
どうやったら実現できるのかも、ケイイチにはまるで想像がつかない。
それに――これは多分、何かの法やルールに触れる気がする――のだけど、法に明るくないケイイチにはその辺はよくわからない。
「すごいよね」
ナオが凍り付いた博士の顔を見ながら呟く。
「これ、少なくとも1度は自分の命を賭けないとできない」
「そう……なんですね」
「おじさんはすごい」
そう言って博士を見つめるナオの目には、尊敬の念が見てとれた。
方法も何も全く想像のつかないケイイチと違い、彼女は恐らく、この人体複製の方法を正確に理解している。
命を賭けないとできない、というのもきっと本当なのだろう。
としたら、自身の命を賭けてまでこんな事をして、博士は一体――
「なんのために……」
博士がアンドロイド破壊の現場で何度となく言っていた事――アンドロイドを壊すため、というのが本当の狙いではなかった事は分かる。
博士に拉致され、二人きりで話したあの短い対話で、ナオに関わる何かをしようとしていた事も知っている。
でも、じゃあ、博士は何をしようとしたのか。
ナオはなぜ、博士を撃ったのか。
それ以前にナオはなぜ博士を撃てたのか。
ケイイチにはまるでわからない。
「おじさんは、ボクを人にしようとした」
「人……?」
「三原則は知ってるね?」
「はい」
「おじさんはボクのその制約を外した」
「え……」
「ボクにおじさんを殺させることで」
「……!」
そう言われて、はじめてケイイチは気づいた。
これまでの、ナオがいる現場での博士の行動が、全てアンドロイド達ではなく、ナオをターゲットに、ナオが博士を殺すように仕組まれていた事だ、と考えるなら――
「もちろん、全く制約がなくなったわけじゃない」
言いながら、ナオは冷凍された博士の首に、博士が作ったギロチンを取りつけた。
「でも、できる」
そして、そのギロチンを自らの手で起動し、首を落とした。
刹那、ナオの顔に、苦悶のような、憐憫のような、複雑な表情が浮かぶ。
だが、それだけだ。
これまでに博士の死に直面した時のように、気絶したり、取り乱したりする事はない。
「それって……」
「うん、とんでもない事だね」
言いながら隣の箱に移り、箱を開け、博士の首に機械を取りつけ、また一つ首を落とす。
ナオの脳は、心は、暴れ回っている。
でも、それだけの事。
それだけの事だ。
「……というかあの、先程から何を……?」
ナオがあまりに淡々と、さも当然の事のように行うものだから、ツッコむタイミングを失してしまっていたが、凍結しているにせよ、人の首を落とすなんていう行為は――何をどう考えても鬼畜すぎる。
「おじさんはとっくに死んでる。だからきちんと死なせてあげたい」
ナオは言いながら、また一つ箱を開け、博士の首に機械を取りつけ、首を落とした。
小さな女の子――少なくとも見た目は――が、凍り付いた老紳士の首を淡々と切り落としていくその光景は、残虐を通り超してもはやシュールにすら見える。
「二度と復活できないようにする、って事ですか?」
「そ」
博士はもう死んでいる。
だから、もう復活できないようにする。
なるほど、その必要はあるのかもしれない。
でも――彼女がそれをする必要があるのだろうか。
しかも、あんな苦しそうにしながら。
――いや、それ以前に、やっていい事なのだろうか。
そこは、警察や警察の超AI達の管轄なのでは――?
そんなケイイチの疑問が伝わったわけではないのだろうが、
「この事は、ギンさん達にも秘密」
ナオはそう言った。
「え?」
「いい?」
「……?」
こんな人殺しめいた事をしてるのを秘密にしておきたいのかな……とケイイチは一瞬考えかける。だが、ナオの言ってる「この事」が、博士によってナオに引き起こされた変化を含め、この研究所内で起こった全ての事を指すのを、少し遅れて理解した。
電脳、つまり、世の中のAIたちと同じアーキテクチャで作られた脳を持つナオが、博士を殺した。
そして、今も淡々と命を奪うのに近い行動を行っている。行えてしまっている。
その事実が持つ重大な意味は――
「助手の可哀想な脳味噌でも理由は分かるよね」
「……はい」
「これが今回の事件で助手が見たこと」
ナオはそう言って、びっしりと文字の書き込まれた1枚のレポートをAR視野に投げて寄越した。
「え……」
今、博士の首を落としながら書いたのだろう。さすがの常人離れしたマルチタスクっぷりだ。
ざっと斜め読むと、そこには博士やナオの行動、ケイイチの発言などが時系列に沿って書き込まれている。
ただしそれは、ここで実際に起きた事とはまるで違う内容だった。
ケイイチを助けるため、博士とナオは戦闘状態になり、その戦闘の中でナオは博士を説得。
凍結された博士の複製体を博士自身の手で破棄させ、博士を捕縛する事に成功したかと思ったところで、一瞬の隙を突かれて、ナオの拳銃を使い博士は自死。
そんな筋書きが書かれている。
――つまり、この通りに口裏を合わせろ、という事か。
「いい?」
ケイイチはぶんぶんと首を縦に振る。
「今すぐ覚えて」
「今ですか!?」
「証拠残したくない。あと3分で消す」
「えぇ……」
涙目になるケイイチ。
だが、僅かに口元がだらしなくほころんでおり、
「先輩と僕だけの秘密……うへへ」
そんな事を小声で言っている――事についてはひとまず気にせずにおこう。
気味の悪い笑顔を浮かべてレポートの中身を必死に覚えんとするケイイチを横目に見ながら、ナオは残りの複製体の破壊を続けた。
時間の止まった博士の肉体。
これを一つでも残しておけば、おじさんはまた復活できるのだろう。
復活したおじさんに「あなたの企みは成功した」と告げて、共に生きていく事だってできる――のかもしれない。
でも――ラクサ・エイジは死んだ。
社会的にも、法的にも、もう何日も前に死んでいる。
それに――
おじさんは願いを叶えるために、少しだけ悪を為した。
アンドロイドを壊すという事。
人体の複製。
自身の目的のために、ボクの頭に電脳を埋め込んだこと。
それは、些細な悪事だ。ほとんど誰の迷惑にもならない。
ボクを始めとした、たくさんの人の命を救ってすらいる。
でも――悪事だ。
ならばきちんと裁いてあげなくちゃいけない。
それが多分――おじさんの願い。
そして、人の願いを叶えるのが、ボクの脳だ。
だから、この体は壊す。
二度と復活させるわけにはいかない。
8体目の博士の首を落とすため、スイッチを押し込む。
――と、不意にナオの視界が涙で歪んだ。
おじさんには、小さな頃から本当に色々とお世話になった。
電脳を組み込んで、生かしてくれたこと。
厄介なボクを諦めずに面倒見てくれたこと。
普通の人と違う事、電脳を持つ事を疎ましく思う度に、おじさんはいつだって「それは素晴らしい事だ」と信じさせてくれた。
電脳を持つ事で、これまでボクは確かにたくさんの苦労をした。
でもそれはきっと、ボクの脳が電脳じゃなくったって起こり得た事だ。
今、このボクの人生があるのは、やはりどうしたっておじさんのお陰だし、この人生を生きる事ができている、それだけできっと十分に尊い。
だというのにおじさんは――命がけでボクに自由を与えてくれた。
命がけでボクを「人」にしてくれた。
そんな事、一言もお願いした事はないのに。
――全く、余計なお世話だよ、ほんとに――
ナオは歪む視界の中で、居並ぶ博士の最後の首を落とすスイッチを押し込んだ。
ちょうどそのタイミングで、部屋の奥から炎が吹き出すのが見えた。
「さすがおじさん、最後まで仕事が丁寧」
きっと、最初から仕込んでいたのだろう。
ナオの手で自身が正しく殺されたなら、この屋敷に火を放つ。
自らの研究の痕跡や、自らの死体を全て消し去り、悪者としてこの世から消える。
ナオの手によって人質は無事救出され、ラクサ・エイジという悪は滅びましたとさ。めでたしめでたし。
そんなシナリオだろうか。
――だったら、わざわざこんな事、しなくてもよかったのかな。
助手に渡したシナリオ、少し書き換えたほうがいいだろうか。
今まさに切り落とされようとする博士の顔を見つめ、ナオはそんな事を考える。
でも、ここで首を落とすことをしなければ、確認ができなかった。
本当に、自分にそれができるようになったのか。
自身に起きている変化が本物なのか。
もしかしたら、おじさんはそこまで見越して自分の体を複数残していた――と考えるのは、さすがにちょっと深読みしすぎだろうか。
ナオの視界の中で、最後の博士の頭が落ちていく。
それを見届け、心を埋め尽くす強い不快感に耐える。
これで、終わり。
終わりだ。
いや――始まり、なのかもしれない。
ナオは、スローモーションで落ちる博士の首を記憶回路にしっかりと刻みつけながら、そんな事を考えていた。
が――
ナオの視界が、急に明滅し始めた。
――ああ。
今日はさすがに。
何度も何度も加速して。
暴れ回る電脳を無理矢理押さえつけてこんな事を繰り返したら、そりゃ――
ナオは慌ててポケットからキャンディを出して咥えようとする。
だがそれは、口に運ぶ前に、手からポロリと落ちた。
急激に視野が狭くなっていく。
体に力が入らない。
ああ、ほんと。
ここしばらく、こんな事ばかりだ。
ここまでやってボクも死んでしまったとしたら、ちょっと笑えない――が、まあ図体だけはでかいのが近くにいるし、何とかなる――かな。ちょっと不安だ。
ケイイチが「先輩!」という慌てた声とともに駆け寄ってくる気配を感じながら――ナオの意識はそこでぱたりと途絶えた。
ケイイチは、それをただ見ているだけしかできなかった。
目の前で起こっている事。
二人が交わす会話の意味。
何一つ、理解できなかった。
理解できないまま、ただただ、見ているしかできなかった。
ナオが構えた銃が、パァンという轟音とともに火を噴く瞬間。
博士が仰向けに倒れ、博士の胸のあたりに赤いものが広がっていく光景。
それをケイイチは、ただ、見ていた。
ケイイチの視界の片隅では、なぜか急に復活したアシスタントAIが、救急救命ドローンを呼べない、ネットワーク接続エラーだ、どうにかしろとメッセージを五月蠅く点滅させている。
ああ、こんなエラー、見るの初めてだな……と、ケイイチは全くどうでもいい事を考える。
この世界で、ネットの繋がらない場所なんて、ほぼあり得ない。
電波が遮断されていたとしても、マイクロマシン達が少しでもいれば、必ずネットも繋がる。
それに――マイクロマシン達がいれば、人が撃たれるなんていう事は――起こらない。
なのに――おかしい。
何もかもがおかしい。
本当におかしな事が起きている。
だって――ケイイチは、止めたつもりだった。
『博士は、狂ってない』
そう訴えて、ナオが博士を撃つのを止めたつもりだった。
実際、止まったし、これでナオと博士は和解して、きっと穏やかな結末を迎えるに違いない。
そう思っていたし、それを実現できた事を、ちょっと誇らしく思っていた。
思っていたのに――
なぜか先輩は、改めて銃を構え直し、博士を撃った。
まったくわけが分からない。
これは、何だ?
何なんだ?
だが――
眼前の二人のその表情が、目の前で起きたわけのわからない出来事の全てを肯定していた。
ナオに撃たれるその瞬間も、床に倒れ天を見上げる今も、博士の表情は、不思議なほどに穏やかだった。
そしてそんな博士を見つめるナオの顔にも、怒りや後悔、憐憫ではなく、感謝と情愛に満ちた、温かい色が浮かんでいる。
なぜ、二人がそんな表情を浮かべていられるのか。
ケイイチには全く分からない。
ただ――一つだけは、分かった。
ナオは、きっと博士の行動の全てを完全に理解した。
そして、博士の研究は、きっと、完成した。
目の前で起きたこれは、きっと博士の研究のその完成のために、必要な死で。
研究の中身はまるで想像もつかないけれど、博士は確かに今、一人の研究者として、幸福な死を迎えているのだと。
ナオとケイイチが見守る前で、横たわる博士の胸の動きは次第に弱く小さくなり、やがて――止まった。
ナオは動かない。
噛みしめるように、ただじっと博士を見ている。
その顔は、涙でぐしゃぐしゃだ。
しかしその涙に悲しみはない。後悔もない。
その涙が表すのは、たくさんの感謝と敬意、そして少しばかりの惜別。
しばし、博士を悼む、静謐な時間が流れる。
だが、それは長くは続かなかった。
目の前のこの少女の頭にあるのは、世界で一番早く動く脳だ。
ケイイチにとって一瞬に感じる時間も、彼女にとっては時に永遠より長い。
ナオは何かを確かめるように一つ小さく頷くと、拳銃をホルスターにしまった。
そして袖で涙を拭い、おもむろにケイイチに近づくと、
「助手には面倒かけた」
そう言いながら、手足に嵌められていた拘束具と、首に巻き付いたギロチン首輪を外した。
「どうして……」
未だに眼前で起こった事を十分に理解できず、呆然としているケイイチは、かろうじて疑問を口にする。
だが、ナオは何も答えず、ケイイチの首から外したギロチンを手に、そのまま部屋の片隅――銀色をした柱状の箱がずらりと立ち並ぶエリアに向かった。
「何を……」
ケイイチの疑問をよそに、ナオはその中の一つの箱の前に立ち、箱の右端に並ぶボタンの一つをぐっと押し込んだ。
ナオの操作に反応して、箱の一面が横にスライドする。と、箱の中から溢れ出した白い冷気がナオの肌を撫でた。
そして、その箱の中には――
(……博士?)
遠巻きに様子を見ていたケイイチは、その光景に少なからず驚かされた。
箱の中にいるのは、間違いなく博士だった。
目の前の床に倒れている博士と瓜二つ。違うのは、全裸であることと、凍り付いている事――
「それって……」
「ん」
ケイイチの声に、ナオが短く肯定を返す。
「その箱全部、ですか……?」
「そ」
つまり――自身の体を複製して、冷凍保存していた、という事か。
それが、博士が何度も目の前で亡くなり、そして復活できた理由。
一人が死んだら次の体を解凍していけば、確かにずっと「復活」し、生き続ける事はできる。
だが――
「そんな事……」
できるのだろうか。
人体を冷凍保存するほうは、コールドスリープの実例がいくらでもある。
だが、人の体を完全に複製するなんていう話は、聞いた事がない。
どうやったら実現できるのかも、ケイイチにはまるで想像がつかない。
それに――これは多分、何かの法やルールに触れる気がする――のだけど、法に明るくないケイイチにはその辺はよくわからない。
「すごいよね」
ナオが凍り付いた博士の顔を見ながら呟く。
「これ、少なくとも1度は自分の命を賭けないとできない」
「そう……なんですね」
「おじさんはすごい」
そう言って博士を見つめるナオの目には、尊敬の念が見てとれた。
方法も何も全く想像のつかないケイイチと違い、彼女は恐らく、この人体複製の方法を正確に理解している。
命を賭けないとできない、というのもきっと本当なのだろう。
としたら、自身の命を賭けてまでこんな事をして、博士は一体――
「なんのために……」
博士がアンドロイド破壊の現場で何度となく言っていた事――アンドロイドを壊すため、というのが本当の狙いではなかった事は分かる。
博士に拉致され、二人きりで話したあの短い対話で、ナオに関わる何かをしようとしていた事も知っている。
でも、じゃあ、博士は何をしようとしたのか。
ナオはなぜ、博士を撃ったのか。
それ以前にナオはなぜ博士を撃てたのか。
ケイイチにはまるでわからない。
「おじさんは、ボクを人にしようとした」
「人……?」
「三原則は知ってるね?」
「はい」
「おじさんはボクのその制約を外した」
「え……」
「ボクにおじさんを殺させることで」
「……!」
そう言われて、はじめてケイイチは気づいた。
これまでの、ナオがいる現場での博士の行動が、全てアンドロイド達ではなく、ナオをターゲットに、ナオが博士を殺すように仕組まれていた事だ、と考えるなら――
「もちろん、全く制約がなくなったわけじゃない」
言いながら、ナオは冷凍された博士の首に、博士が作ったギロチンを取りつけた。
「でも、できる」
そして、そのギロチンを自らの手で起動し、首を落とした。
刹那、ナオの顔に、苦悶のような、憐憫のような、複雑な表情が浮かぶ。
だが、それだけだ。
これまでに博士の死に直面した時のように、気絶したり、取り乱したりする事はない。
「それって……」
「うん、とんでもない事だね」
言いながら隣の箱に移り、箱を開け、博士の首に機械を取りつけ、また一つ首を落とす。
ナオの脳は、心は、暴れ回っている。
でも、それだけの事。
それだけの事だ。
「……というかあの、先程から何を……?」
ナオがあまりに淡々と、さも当然の事のように行うものだから、ツッコむタイミングを失してしまっていたが、凍結しているにせよ、人の首を落とすなんていう行為は――何をどう考えても鬼畜すぎる。
「おじさんはとっくに死んでる。だからきちんと死なせてあげたい」
ナオは言いながら、また一つ箱を開け、博士の首に機械を取りつけ、首を落とした。
小さな女の子――少なくとも見た目は――が、凍り付いた老紳士の首を淡々と切り落としていくその光景は、残虐を通り超してもはやシュールにすら見える。
「二度と復活できないようにする、って事ですか?」
「そ」
博士はもう死んでいる。
だから、もう復活できないようにする。
なるほど、その必要はあるのかもしれない。
でも――彼女がそれをする必要があるのだろうか。
しかも、あんな苦しそうにしながら。
――いや、それ以前に、やっていい事なのだろうか。
そこは、警察や警察の超AI達の管轄なのでは――?
そんなケイイチの疑問が伝わったわけではないのだろうが、
「この事は、ギンさん達にも秘密」
ナオはそう言った。
「え?」
「いい?」
「……?」
こんな人殺しめいた事をしてるのを秘密にしておきたいのかな……とケイイチは一瞬考えかける。だが、ナオの言ってる「この事」が、博士によってナオに引き起こされた変化を含め、この研究所内で起こった全ての事を指すのを、少し遅れて理解した。
電脳、つまり、世の中のAIたちと同じアーキテクチャで作られた脳を持つナオが、博士を殺した。
そして、今も淡々と命を奪うのに近い行動を行っている。行えてしまっている。
その事実が持つ重大な意味は――
「助手の可哀想な脳味噌でも理由は分かるよね」
「……はい」
「これが今回の事件で助手が見たこと」
ナオはそう言って、びっしりと文字の書き込まれた1枚のレポートをAR視野に投げて寄越した。
「え……」
今、博士の首を落としながら書いたのだろう。さすがの常人離れしたマルチタスクっぷりだ。
ざっと斜め読むと、そこには博士やナオの行動、ケイイチの発言などが時系列に沿って書き込まれている。
ただしそれは、ここで実際に起きた事とはまるで違う内容だった。
ケイイチを助けるため、博士とナオは戦闘状態になり、その戦闘の中でナオは博士を説得。
凍結された博士の複製体を博士自身の手で破棄させ、博士を捕縛する事に成功したかと思ったところで、一瞬の隙を突かれて、ナオの拳銃を使い博士は自死。
そんな筋書きが書かれている。
――つまり、この通りに口裏を合わせろ、という事か。
「いい?」
ケイイチはぶんぶんと首を縦に振る。
「今すぐ覚えて」
「今ですか!?」
「証拠残したくない。あと3分で消す」
「えぇ……」
涙目になるケイイチ。
だが、僅かに口元がだらしなくほころんでおり、
「先輩と僕だけの秘密……うへへ」
そんな事を小声で言っている――事についてはひとまず気にせずにおこう。
気味の悪い笑顔を浮かべてレポートの中身を必死に覚えんとするケイイチを横目に見ながら、ナオは残りの複製体の破壊を続けた。
時間の止まった博士の肉体。
これを一つでも残しておけば、おじさんはまた復活できるのだろう。
復活したおじさんに「あなたの企みは成功した」と告げて、共に生きていく事だってできる――のかもしれない。
でも――ラクサ・エイジは死んだ。
社会的にも、法的にも、もう何日も前に死んでいる。
それに――
おじさんは願いを叶えるために、少しだけ悪を為した。
アンドロイドを壊すという事。
人体の複製。
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それは、些細な悪事だ。ほとんど誰の迷惑にもならない。
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でも――悪事だ。
ならばきちんと裁いてあげなくちゃいけない。
それが多分――おじさんの願い。
そして、人の願いを叶えるのが、ボクの脳だ。
だから、この体は壊す。
二度と復活させるわけにはいかない。
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――と、不意にナオの視界が涙で歪んだ。
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電脳を組み込んで、生かしてくれたこと。
厄介なボクを諦めずに面倒見てくれたこと。
普通の人と違う事、電脳を持つ事を疎ましく思う度に、おじさんはいつだって「それは素晴らしい事だ」と信じさせてくれた。
電脳を持つ事で、これまでボクは確かにたくさんの苦労をした。
でもそれはきっと、ボクの脳が電脳じゃなくったって起こり得た事だ。
今、このボクの人生があるのは、やはりどうしたっておじさんのお陰だし、この人生を生きる事ができている、それだけできっと十分に尊い。
だというのにおじさんは――命がけでボクに自由を与えてくれた。
命がけでボクを「人」にしてくれた。
そんな事、一言もお願いした事はないのに。
――全く、余計なお世話だよ、ほんとに――
ナオは歪む視界の中で、居並ぶ博士の最後の首を落とすスイッチを押し込んだ。
ちょうどそのタイミングで、部屋の奥から炎が吹き出すのが見えた。
「さすがおじさん、最後まで仕事が丁寧」
きっと、最初から仕込んでいたのだろう。
ナオの手で自身が正しく殺されたなら、この屋敷に火を放つ。
自らの研究の痕跡や、自らの死体を全て消し去り、悪者としてこの世から消える。
ナオの手によって人質は無事救出され、ラクサ・エイジという悪は滅びましたとさ。めでたしめでたし。
そんなシナリオだろうか。
――だったら、わざわざこんな事、しなくてもよかったのかな。
助手に渡したシナリオ、少し書き換えたほうがいいだろうか。
今まさに切り落とされようとする博士の顔を見つめ、ナオはそんな事を考える。
でも、ここで首を落とすことをしなければ、確認ができなかった。
本当に、自分にそれができるようになったのか。
自身に起きている変化が本物なのか。
もしかしたら、おじさんはそこまで見越して自分の体を複数残していた――と考えるのは、さすがにちょっと深読みしすぎだろうか。
ナオの視界の中で、最後の博士の頭が落ちていく。
それを見届け、心を埋め尽くす強い不快感に耐える。
これで、終わり。
終わりだ。
いや――始まり、なのかもしれない。
ナオは、スローモーションで落ちる博士の首を記憶回路にしっかりと刻みつけながら、そんな事を考えていた。
が――
ナオの視界が、急に明滅し始めた。
――ああ。
今日はさすがに。
何度も何度も加速して。
暴れ回る電脳を無理矢理押さえつけてこんな事を繰り返したら、そりゃ――
ナオは慌ててポケットからキャンディを出して咥えようとする。
だがそれは、口に運ぶ前に、手からポロリと落ちた。
急激に視野が狭くなっていく。
体に力が入らない。
ああ、ほんと。
ここしばらく、こんな事ばかりだ。
ここまでやってボクも死んでしまったとしたら、ちょっと笑えない――が、まあ図体だけはでかいのが近くにいるし、何とかなる――かな。ちょっと不安だ。
ケイイチが「先輩!」という慌てた声とともに駆け寄ってくる気配を感じながら――ナオの意識はそこでぱたりと途絶えた。
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転移した異世界で唯一、蘇生魔法を授かった僕。
一緒にパーティーを組めば絶対に死ぬ(死んだままになる)ことがない。
そんな口コミがいつの間にか広まって、同じく異世界転移した同業者(多くは女子)から引っ張りだこに!
寛容な僕は彼女達の申し出に快諾するが条件が一つだけ。
――実は僕、他の戦闘スキルは皆無なんです
そういうわけでパーティーメンバーが前衛に立って死ぬ気で僕を守ることになる。
大丈夫、一度死んでも蘇生魔法で復活させてあげるから。
相互利益はあるはずなのに、どこか鬼畜な匂いがするファンタジー、ここに開幕。
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