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Vol.01 - 復活

01-025 見舞

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「80、81……ここか」
 3082と書かれたプレートを見つけ、ケイイチはそれが貼られた扉の前に立ち止まった。

 扉に向かい、深呼吸を一つして、軽く身だしなみをチェック。
 しばしのためらいの後、緊張で僅かに震える手で、コンコンと扉をノック。
 少しの間をおいて「はぁい」という柔らかい声とともにドアが開き、ハルミさんの麗しいお姿が現れる。

 ケイイチの姿を認め、「どうぞ」と室内に導き入れてくれるハルミさんのお姿は相変わらず流麗で美しく、ケイイチはしばし見とれてしまう。
 そんなケイイチを、ハルミはほんの一瞬やたら鋭利な攻撃色の混じった表情で睨んだ――ような気がしたのはきっと何かの見間違いだと信じたい。

「お邪魔します」
「助手か」
 ケイイチが病室に足を踏み入れると、上半身を起こしたリクライニングベッドの上で、今時珍しい紙の本を読んでいたナオが顔を上げた。

 真っ白な部屋の中で、午前の穏やかな日差しに照らし出されるナオのその姿に――ケイイチは思わずドキリとした。

 いつになくきちんと整えられた艶やかな黒髪に、抜けるように白い肌。いつもの何だか黒くて攻撃的な悪い感じの服や白衣ではなく、いわゆる病院着を身に纏い、ベッドの上で佇むその姿は、普段にも増して幼く、そして儚く見える。
 加えてその、どこか怯えるような弱々しい表情。
 その姿はまるで、重い病気を抱え運命に怯える薄幸な美少女だ。
 守らねば、と本能が絶叫するレベルの何かが目の前にいる。
(これは……?)
 そんな予想外の光景に、ケイイチは数度目をしばたたかせた。

 ケイイチがナオと博士との三度目の出来事を知ったのは、5日ほど前。
 再び倒れ、長く目を覚まさなかったナオが、ようやく目覚めた事をギンさんから聞いたのが一昨日。
 その時に「一度見舞いに行ってやってくれ」と半ば強制的に見舞いの予定を入れられ、恐れ多いと思いつつ、ガクブルしながら見舞いに訪ねてきたのが今日だ。

 目覚めてから1日以上経っているわけだし、普段通りの刺々しく毒々しいナオの姿と口撃に出迎えられるに違いないと思っていたのに――
「あ、あの、これ、つまらないものですが」
 ベッド横の椅子に案内されたケイイチは、来る途中に買ったクッキーの詰め合わせの紙袋をナオに手渡す。すると、
「ありがと」
 ナオはそう言って素直に受け取った。
「へ……?」
 どうせ「つまらない物なんて要らない」とか「気の利かない助手だ」とか何かしらの毒に塗れた言葉が返ってくるに違いないと期待――ではなくて身構えていたケイイチは、少なからず驚かされた。

 いや、そういえばそれ以前に、「相変わらず不景気そうな顔」だとか「暇人か」「帰れ」みたいな事も言われていない。これは一体……?

 ケイイチは訝りながら、恐る恐る「具合はどうですか?」と訊ねてみる。
これも普段なら「ボクの事気にしてる暇があるのか?」とか何かしらの口撃を受けるであろう一言だと思うのだけど――
「……まあ、悪くはないよ」
 返ってきたのは、そんな弱々しい返答一つだけ。
「え……どうしたんですか……?」
「何が?」
「何が、って……え、ほんと大丈夫ですか?」
「大丈夫だけど。そう言う助手は元気?」
「へ……?」
 ケイイチの体調になんてミジンコほどの興味も無いはずのナオの口からそんな言葉が飛び出すに至り、いよいよこれは何か大変な事が起こっているのだと、否が応でも理解させられる。

 ……なるほど、一昨日ギンさんが言っていた「どうにも嬢ちゃんが変でな……」というのはこの事か。
「ああええと、元気です。この通り」
 ケイイチは慌てて答えながら、ハルミのほうにちらりと目線を向ける。
 と、ハルミもナオの変調には気づいているようだ。少し憂いを含んだ表情で、小さく首を横に振った。
「そ。まあゆっくりしてって」
 そんなケイイチの戸惑いに気づく様子もなく、淡々とした口調で言うナオ。

 その瞳は、ケイイチを見ているようで、どこか焦点が合っていない。
(ああ……)
 その目を見て、ケイイチは少しだけ理解した。
 この目には、ヒーローに憧れて人助けを頑張っていた頃、何度か出会った事がある。
 誰にも期待せず、自分自身にも期待せず、色々なものを諦めてしまっている目。
何もかもがもうどうでもいい、そういう目だ。

 ――それほどショックが大きかった、という事なんだろうか。
 ケイイチは、ギンジから聞いた事件のあらましを思い出していた。
 目の前で人が死ぬ。
 しかもそれがはっきりと、間違いなく自身の行動によって引き起こされたもの。
 その出来事を、彼女はどう受け止めたのだろう。
 電脳を持つナオは、一体どんな「気持ち」になったのだろうか。

 二度目の事があってから、ケイイチなりに色々と調べてはみた。
 人を傷つけてしまったり、人の生死に関わる事故の現場にいたりしたAIがどうなるのか。どんな事が起こるのか。
 コミュニティでかき集めた情報によれば、そんな現場に出くわしたAIは必ず一度、動かなくなるそうだ。
 といっても、別に壊れて二度と起動しなくなったりするわけではない。いったん動作を止めるだけで、しばらくすれば再始動し、動き始める。
 再始動までにかかる時間は事故の内容によって大きく変わり、人が軽傷で、AIが事故の原因になっていなければすぐに動き出すが、AIが人間の怪我の直接の原因になった場合や、人が重い怪我を負った場合には、停止時間はかなり長くなる。

 つまり、AIたちの人命保護の原則に照らし合わせて、重大な事故になればなるほど、再起動までの時間が長くなる、ということだ。
 コミュニティに記録が残っている中で、再始動までに一番長くかかった事例で32時間。この時は、とあるアンドロイドの行動がきっかけで不運な事故が重なり、近くにいた人が一人亡くなっている。

 今回、ナオは倒れてからおおよそ3日もの間、目を覚まさなかったと聞いた。
 電脳を持つアンドロイドやロボットの事例で、3日もの間再起不能になった例は、コミュニティにも、ネット上にも、様々な論文やデータを漁ってもどこにも存在しない。
つまり今回の出来事は、AIたちの基準に照らし合わせれば、前例のない、とんでもない事態だった、という事になる。

 そんな途轍もない出来事を、当事者としてしたとしたら。それは一体、どんな体験になるんだろう。
 もちろん、ナオはアンドロイドではないし、ナオの電脳がアンドロイドやロボットと同じルールで動いているとは限らない。
 それでも、三原則の制約の枷がかかっている以上、きっと無関係ではないはずだ。
 強烈なストレス。心的外傷トラウマ。PTSD。
 そんな、心が傷つき壊れてしまうような事になっていたとしても何ら不思議はないし、あんな先輩らしからぬ虚ろな目になってしまうのも無理からぬ事――なのか。

 ケイイチはそんな予想外の状況に少しばかり焦りつつ、しばらくは「いい天気ですね」などと当たり障りのない会話でなんとかその場を繋いだ。
 しかしナオは「そだね」くらいの反応しか返してくれないし、ケイイチもさしてコミュ力が高いわけでもないので会話がなかなか続かない。
 ハルミさんに助け船を求めて視線を送るが、ハルミさんはただニコニコしているだけで、その笑顔になぜだか用が済んだならお帰りください、的な圧さえ感じる。

 ちょうどいい話題が見つからず、ケイイチの思考はカラカラと空転する。
 さあ、どうしたものか。
 とりあえず、事件の事は、あまり話さないほうがいい気がするのだけど。
 でも――やはりこの事に触れないわけにはいかない。
 今日はそのために来たのだし――

「……えっと……あの……」
「?」
 ケイイチが意を決して話を切り出すと、ナオは特に興味なさそうに、しかしそうするべきだから、というように首を傾げた。
 そんなナオの反応に、ケイイチは一瞬怯む。が、なんとか気持ちを奮い立たせ、
「すみませんでした」
 そう言って頭を下げた。
「何?」
「ハルミさんの電脳の事で……」
「?」
「破壊対象として狙われてる電脳だって、ちゃんと伝えられてなくて……」

 あの日――初めてナオの家を訪問した日。
 ケイイチはハルミの美しさに見とれて舞い上がっていたせいで、ナオにきちんと伝えられていなかった。
 ハルミの電脳が、アンドロイド連続破壊犯のターゲットになっているものと同タイプであり、ハルミが狙われる可能性が高いという事を。
 それだけならまだしも、あの時ケイイチは内心で密かに、破壊犯からハルミさんを守り、一目置かれる己の姿を妄想して悦に入ったりしていたのだ。そんな事できる実力も何もないのに。

 あの時、その事を先輩にきちんと伝えられていたら。
 そうすれば、ハルミさんは一人で外に出ることもなく、ナオが今回の事件に巻き込まれる事もなかったのかもしれない。
 ギンジから今回の事を詳しく聞いてから、それがずっとひっかかっていた。
 それをきちんと謝りたくて、だからこそ重い足を何とか動かしてここに来たのだ。

しかしナオは、そんなケイイチの謝罪に、
「助手は気にしなくていい。助手の資料やコミュニティに情報はあった。呆けてたボクが悪い」
そう、ただただ穏やかに答えるだけだった。
 ナオの口から許しの言葉を得た事で、ケイイチはほっと胸を撫で下ろす。
 だが同時に、それでほっとしてしまっている自分に、自己嫌悪を抱いた。
 こんなにも弱った様子の先輩に謝って、許しの言葉を引き出す自分は、卑怯だ。
 これまでの、普段の、本調子の時のナオなら、絶対にこんなに簡単には許してくれたりはしない。
 散々に責められなじられて、やってもいない事にまで文句を言われただろう。
 だというのに。
 先輩の言葉でホッとして、頑張ってここに来て良かったな、なんて思っている自分。
 ほんと、情けない。
 でも――ここでグズグズと自分に対するヘイトを膨らましていても仕方ない。
 今、すべき事はそんな事じゃない。
 ケイイチは下げていた頭を上げ、
「……えっと、先輩の電脳も、ハルミさんと同じタイプのものだってギンさんから聞いたんですが」
 どうしてもナオに確認しておきたかったもう一つを口にした。

 一昨日、見舞いの件でやりとりをした時、ふと気になってギンジに確認した事だ。
 先輩の頭に入っているのはどんな電脳なのか。
 するとギンジは言った。「嬢ちゃんのアンドロイドと全く同じものだったはず」と。
 それはつまり――
「ハルミさんだけじゃなくて先輩もまた狙われる可能性が高い、って事ですか?」
「そだね」
「そう、なんですね……」
「別に助手が心配する事じゃない」
「いやそういうわけには」
「気にしなくていい。だって――」
「……?」
「ボクは別に壊されたっていい」
 ナオはとても穏やかに、さも当たり前のようにそう言った。
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