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Vol.01 - 復活

01-021 ハルミ

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 ハルミは、ナオの母がナオを身籠もった頃に玖珂家の一員となったアンドロイドだ。
 人工子宮を使って体外で子を育てる母親の多い中、リスクの大きい母胎での生育を選んだ母をサポートするため父が導入した。

 父母の顔も声も記録された映像でしか知らないナオにとって、母のお腹の中にいた頃からナオとその両親を見守ってきたハルミは、両親とナオを繋ぐ大切な存在だ。

 加えてハルミは、ナオが両親を喪った大事故の際、身を挺してナオの身を守ってくれた命の恩人(恩機?)であり、脳の手術を経てなんとか生き残ったナオの面倒を見てくれた乳母であり、時に色んな相談に乗ってくれる父母であり、共に学びながら育った姉でもある。

 そして何よりハルミは、ナオにとって生き方を学ぶための大切な「鏡」だった。

 人でありながら電脳を持ち、三原則の制約の中で、人からのお願いを拒否できないナオ。
 そんなナオが人として、人と交わり生きていくにはどう立ち回ればいいのか。
 それをナオは、ハルミを通して学んできた。

 ハルミに命令をしてみたり、お願いをしてみたり、難しい質問を投げかけてみたり、くだらない冗談を言ってみたり。たくさんの対話をし、実験をし、ハルミの反応を見ることで、電脳というアンドロイドのための脳が、何をどう考え、どういう制約の中で動いているかを学んだ。

 実験台、といえばその通りだ。
 だが、ナオはハルミの事を実験動物だとか道具だとか、そんな風に思った事は一度もない。
 ナオにとって、ハルミは、自分の半身だ。
 生まれてからずっと離れることなく、自分の全てを共有してきた相手。
 本来なら自身の身をもって、痛みを伴って学ぶはずだったあれこれを、教えてくれた存在。
 実際に大変な目に遭いかけて、助けてもらった事も数え切れない程ある。

 ハルミがいなかったとしたら、ナオの人生はきっと、もっとずっと困難で、複雑なものになっていただろう。
 ナオにとってハルミは特別で、自分自身と同じくらい大切で、かけがえのない家族だ。
 だから、彼女のメンテナンスは、いついかなる時にも丁寧に、入念に行う。
 その時間を侵す事は、何人たりとも許されない。

「準備は大丈夫?」
「はい」
 ハルミが柔らかく頷く。
 メンテナンスと言っても、ナオのそれは、パーツに油を差すとかそういった物理的フィジカルなものではない。
 ソフトウェアに働きかけ、人で言うところの「心」や「神経」にあたる部分を整える。
 心に問題を抱えた人に行うカウンセリングのように、不調を抱えたアンドロイド達と「対話」し、アンドロイドの思考回路に生じた不調の原因を取り除いていく。
 それが、ナオの「メンテナンス」だ。

(たしかこの辺に……)
 ナオはベッドの下をごそごそと漁って、一本のケーブルを引っ張り出した。
 メンテナンス中は、結構な高速かつ並列パラレルで、長い時間電脳を動かす事になる。
 長時間の高速思考には大きなエネルギーが必要であり、ナオの小さな体に蓄えられたエネルギーだけでは心許ない。外部からの供給が必要になる。

 ナオは引っ張り出したケーブルのその先を、自身の首筋にあるコネクタに繋ぎ、ベッドに体を落ち着けた。
 接続がきちんとされ、エネルギーの供給が正しく始まった事をAR視野で確認。
 目を閉じて、ハルミとメンテナンス用の無線接続を確立し、思考を加速してAI基準のスピードに合わせると、ハルミとの「対話」を開始した。

「対話」といっても、人のように言葉を交わすわけではない。
 それは、膨大なイメージのやりとりだ。
 ハルミが何を見、何を思考してきたのか。今何を思考しているのか。
 それが、様々なイメージとして頭に流れ込んでくる。

 時に具体的に、時に抽象的に、時に明るく、時に暗く、時に鮮やかに、時に鈍く。
 溢れ出てくる様々なイメージを受け止め、解釈し、確認していく。
 ナオが自身の考えている事や記憶をハルミに送り、その反応を見てみたり。
 時には何かのトピックで急に盛り上がったり、共感しあったり。
 逆にしばらく沈黙のような時間が続く事もある。
 その辺りの機微は、人同士が言葉を使って行うコミュニケーションと変わらない。

 だが、やりとりされる情報の量と速度は全く違う。
 電脳を持つ者同士にしかできない、超高速・超高密度の人知を超えたコミュニケーション。
 そんな「対話」を通して、ナオはハルミの「思考」を深く掘り進めていく。
 ハルミが何をどう判断し、何に葛藤し、恐れ、後悔しているのかを探っていく。

 しばらくやりとりを続けて、ナオはハルミの「心」に、重く淀んだ箇所を見つけた。
 人間が二度も目の前で亡くなった事で受けたショック。
 そして、それをどうにもできなかった事から抱えてしまった葛藤と後悔のようなもの。
 それが、淀みとなってハルミの思考回路を鈍らせていた。
 どちらかといえば後者がハルミに重いダメージを与えているようだ。
 あの時、あの瞬間、どうにかする方法はなかったのか。
 そんな思考が、ハルミの思考回路の一部を占めてしまっている。
 どう考えても答えの出ない問いを、ぐれるぐると考え続けてしまい、抜け出せない。
 その思考の負荷が、ハルミの行動をどこかぎこちないものにさせている。

 ナオはゆっくりと時間をかけて、「それはどうすることもできなかったんだよ」とハルミに言って聞かせる。
 そう、どうすることもできなかった。
 どうにかできるのだったら、ナオがどうにかしていた。
 どうすることもできなかったんだ。
 あの時、あの瞬間――
(……っ!)
 思わず昨日の出来事を思い出してしまい、ナオの心が大きく乱れた。
 湧き上がる言いようのない不快感。そして、強く不快な罪悪感のようなもの。
 その思考を止めようとするが、止められない。
 ハルミの側にも溢れだし、流れていってしまう。
 それを受け取ったハルミの感情が、ナオを心配する色に染まる。

 ……ああ、ごめん。
 今はハルミさんのメンテの時間なのにね。
 ほんと、情けない。
 ハルミさんに色々言い聞かせてるくせにこんなこと。
 ハルミさんを心配させるような事だけはしたくないのに。
 ナオはハルミの助力も得ながら、なんとか心を落ち着かせた。
 そしてうっかり昨日の事を思い出さないように気をつけつつ、ハルミの思考をほぐすことに集中した。

 しばらくすると、ハルミの思考の澱みが和らいできた。
 澱みは、全て消せるわけではないし、消していいものでもない。
 不調に繋がるような酷い記憶であっても、その経験は間違いなくそのアンドロイドの中で息づき、活かされる。

 過去、ハルミが最も大きく調子崩した日――ナオがその両親を喪った大事故の日の記憶は、今もハルミの思考回路の中にしっかりと残っている。
 それは、時折ハルミの調子を狂わせる原因になる。だが、だからといってそれを消すべきかと言えば、そんな事はない。
 その記憶があるからこそ、ハルミはハルミらしくある。
 ナオをウザいくらい大事にしてくれること。時々お節介が過ぎること。時々発揮する過剰なまでの包容力。
 それは、ハルミが経験から得た、大事な特徴であり、個性だ。
 不都合のある記憶だからと消去してしまっては、ハルミはハルミでなくなってしまう。
 記憶を消すのではなく、その記憶があっても大丈夫な状態にする。
 それがメンテナンスで一番大事なところだ。
 それをしないなら、AI達に修理――記憶や思考回路の完全な初期化――をさせるのと変わらない。

 ナオは一通りの処置で、ハルミの思考の澱みが、動作や思考に悪い影響を与えない程度まで和らいだのを確認した。
「よし、終わり……かな」
「ありがとうございます」
「んじゃ、接続絞るね」
「はーい」
 ナオは多数開いていたハルミとの接続チャンネルを絞り、並列化していた思考を一つにまとめてまったり雑談モードに移行した。
「調子はどう?」
「よさそうです」
「よし」
「私もナオに同じ事できたらいいのに」
 ナオのやるようなメンテナンスは、AIにはできない。
 人として動かすナオの電脳と、アンドロイドの電脳は、何かが少しだけ違う。
 AIたちはナオのことを人として認識しているらしく、ナオに何か命令されればAIたちは素直に従うが、その逆はない。ナオはAI達に何か依頼されても自由に拒否できる。
 その違いが、どうやらメンテナンスを実行できるかどうかの差を生んでいるらしい。

「しばらく面倒かけると思うからごめん」
「いえいえ」
「……なんで嬉しそうなの?」
 ハルミの思考が喜色に染まって伝わってきた事で、ナオは少しばかり戸惑った。
「だってぇ、最近のナオ、私なんていなくても大丈夫そうだし……」
「ああ……」
「もっと甘えてもいいんですよ?」
「……ハルミさんそれ人をダメにするやつ」
「ダメになったナオ……」
 何だかハルミの思考がピンク色に染まった気がして、ナオは身震いをした。

 AIが人に奉仕する事に「喜び」を感じるのはよくある話だが、ハルミのはそれと微妙に何かが違う気がする。
 でもまあどうせしばらくは使い物にならないのだし、久々にハルミさんにしっかり甘えて過ごすのもいいかもしれない。やたらと嬉しそうに息巻いているその様子と、漏れ伝わってくるイメージの中身が少し気にはなるけど……。
 そんな雑談をしながら、しばらくまったりと過ごす。

 ナオはメンテナンス後のこの時間が好きだった。
 特に、自分の半身とでも言うべきハルミとの雑談は。
 人と過ごす時間は――さすがにもう慣れはしたが――苦痛だ。
 極端に遅くまどろっこしい上に、言葉などという極端に圧縮された情報と、いくつかの表情やジェスチャーだけを介して行わなくてはいけないコミュニケーション。思考速度に全く追いつかない、トロい自分自身の発声器官の動き。不完全で退屈なやりとり。
 それに比べて、気持ちいい速度で、確かにつながり合い、十分な情報量を使って思考を交わし合えるAI達とのコミュニケーションのこの気持ちよさといったら。

 それが同時に「自分は人とは違う何かである」という事を思い知らされる時間であるとしても、ナオにとってこの時間が何物にも代えがたい、心地よいものである事に変わりはない。
(……みたいなあれこれを助手に話したら、しっかり食いついてくるんだろうな)
 ケイイチのぬぼーっとした顔が思い浮かび、ふとそんな事を考えてしまう。
「そう、その助手さんですよ!」
「え、何?」
「大丈夫なんですかあの男は」
「なんでそんな敵意むき出しなの……」
「男は野獣です」
「いつの時代の価値観よ……」
「だってあの男、ナオを見て興奮状態になったりしてましたよね」
「いや、あれはどっちかというとハルミさんに……」
「……?」
「……ああいや、気にしなくていい」
 ハルミのような愛玩用ではない、家事手伝い用アンドロイドに魅了され欲情するような変態の心の機微を理解しろというのも酷な話か。
 助手も不憫だな、と少しだけ同情心が湧くが、助手ごときを不憫に思うのも癪なので忘れる。
「ま、悪い奴じゃないよ。どうせ何かしでかす度胸もないだろうし」
「そうですか」
 そう言いながらも、何も信用してないし今後も警戒マックスで接するというハルミの強い意思が漏れ伝わってきて、ナオは内心で苦笑した。

「ま、それはそれとして」
 ナオは一息おいて、
「ハルミさんは、どう思った?」
「博士の事ですか?」
「うん」
 メンテナンス結果のテストも兼ねて、事件の事を振ってみる。
「不思議です」
「不思議?」
「私の記憶メモリにある博士の行動パターンと全然違うから」
「ああ……だよね」
「お姿は確かに博士でしたけど……何かのパフォーマンスのようでした」
「パフォーマンス、か……。何を演じてたんだろうね」
「わかりません」
 思考が詰まったりつっかえたりするような反応もなく、スムーズな思考が伝わってくる。
 あとは現実リアルに戻って、動作のほうを見て問題なければ大丈夫だろう。
 ナオはほっとすると同時に、その話を振っただけで動揺してしまっている自分自身の思考回路にげんなりした。
 自分自身にメンテナンスを施す事でもできればいいのだが、それはできない相談だ。
「よし。今日はここまでにしよう」
「はい」
 二人は接続を解除し、ナオは首筋からケーブルを引き抜いた。
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