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Vol.01 - 復活

01-020 悪夢

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 ナオは夢を見ない。
 夢を見る必要がない。
 並列処理性能の高いナオの脳は、情報をインプットしながらいくらでも情報整理が行える。
 人間の脳のように、全てをシャットアウトして情報を整理する必要はなく、その作業工程が夢としてフィードバックされる事もない。
 ナオが眠るのはあくまで肉体の休息のためだ。
 肉体の回復が間に合っていれば、睡眠の必要はない。
 電脳が眠りを要求する事はないし、ましてや電気羊の夢を見る事などあり得ない。

 だが――今回の眠りは何かが違っていた。
 ナオは、夢のような、だがそれとは全く意味の違う何かを見ていた。
 この眠りに落ちる直前に起きた出来事の残滓が、頭をぐるぐると駆け巡っている。
 ――目覚めたくない。
 脳が、目覚めを拒否している。
 思考回路が何かひどい不安や恐怖のようなものに支配され、目覚めるな、目を開けるなと圧力をかけてくる。

 それは、もしかすると電脳の、AIのな危機回避の仕組みなのかもしれなかった。
 AIにとっての危機、それは自身が人間を傷つけ、生命を奪う事だ。
 もし万が一、自身に人を殺傷できる思考回路が生まれたとしたら、AIは自身を停止させなくてはいけない。

 だから人が傷つくような現場に出くわしたAIは、まず動作を止め、他のAIたちによる検査と改修、改善を待つ必要がある。
 そんなフェイルセーフ機構が、強烈な不快感という形でナオを気絶させ、目覚めを妨げていた――のかもしれない。

 いずれにしてもナオは、彼女にしては極端に長い眠りを経て――ようやく目を覚ました。

(ここか)
 そこは、見飽きるほどまでは見た事がない、でもよく見知った空間だった。
 警察のそばにある総合病院の、3082号室。
 幼い頃から、体の検査や電脳のメンテナンスなどで定期的に訪れてきた病室だ。
 その部屋のベッドに寝かされているらしい。

 窓の外からは穏やかな日差しが差し込み、真っ白な部屋は優しく明るい。
 日の差す角度からして、昼過ぎといったところか。
 あのひどい夜から、どうやら約半日以上眠っていたらしい。

 目覚めの気分は――最悪。
 それはもちろん、長く寝すぎたせいではないし、普段と違うベッドで眠ったせいでもない。
 昨日の出来事――あの異常で不可解な出来事が、言いようのない不快な気持ちをナオの胸に残していた。
 嫌な目覚めだ。本当に。

 ナオは半身を起こし、何かを振り払うように小さく頭を振る。
 だが、心に澱む不快感は容易く拭い去れるものでもない。
 ナオが小さなため息を一つ吐き出すと、
「おはようございます」
 ナオの目覚めに気づいたのだろう。横からハルミのいつもと変わらぬ柔らかい声が響いた。
「おはよ」
「大丈夫ですか?」
「大丈夫の定義による。ハルミさんこそ大丈夫?」
「……? 大丈夫ですよ?」
 一瞬何を聞かれたのかと戸惑う様子を見せつつも、そう答えるハルミ。
 いつも通りの優しく穏やかな動作。
 だが、その動作の端々に、僅かなぎこちなさがある。
 やはりハルミも本調子じゃない。
 ――そりゃそうか。
 昨日――一回目の時点ですでに不調の気配はあった。
 アンドロイドは、人の傷つく場面に弱い。
 ましてや人が――死ぬような場面に出くわしてしまっては、正常を保てというほうが難しい。
 それが二度も重なってしまっては。
 早くメンテナンスしてあげないとな。

 ナオは内心のタスクリストにある「ハルミのメンテナンス」の項目に最優先マークをつける。
 そして少し顔を洗いたくてベッドを降り、歩き出そうとする――が、途端に強い悪寒のようなものが背筋を這い上がり、バランスを崩した。
 ハルミが慌てて支えるが、どうも足元が覚束ない。
(……メンテが必要なのは、ボクもか)
 ナオは小さく苦笑し、ハルミに付き添われながらよろよろと洗面台までたどり着くと、冷たい水を顔に浴びせた。

 少しくらいは気持ちもシャキッとするかと期待したが、しつこくつきまとう震えと悪寒、薄もやのかかったような重さは消えてくれない。
 洗面台の鏡に映った自分の表情も、普段とはどこか違う、何かに怯えるような表情をしている。
「はぁ」
 ナオは目を閉じ小さくため息をつくと、両頬を両手で叩いた。
 そのまま両手で顔を挟み込み、ふぅ、と長い息を吐き出しながら目を開け、鏡に映る自分自身をキッと睨みつける。

 せめて表情だけでも強く保たないと、何かが足下から崩れてしまいそうな、そんな危うさ。
 この感じ――三年ぶりか。
 ギンさんをはじめとした警察の人々との縁ができたきっかけになった出来事。
 あの時もこんなだったっけ。
(しばらくは使い物にならないかもしれないな……)
 あの時は、調子を戻すのに1ヶ月ほどかかった。
 今回もしばらくはこのままだろう。
 ナオは再びハルミに付き添われてベッドに戻り、体を横たえた。

 病室の天井を見つめながら、無駄によく回るナオの頭は、つい考えてしまう。
 気を失う直前にあった出来事。
 あれは一体、何だったのか。
 博士そっくりの男。
 電脳の破壊を目論む男。
 その男が、ナオの電脳を破壊しようとして。
 ナオがそれを止めるために電脳破壊用のスタンガン的なデバイスを起動したはずが、そのスイッチが男の首に巻かれたギロチンを――
 ギロチンを――

 ナオの心に言いようのない不快感が湧き上がる。
 背筋を言いようのない悪寒が駆け上がる。
 それ以上考えるなと心が叫ぶ。
 ――なるほど。
 確かに、ある意味では破壊だ。
 こんなに不調にされるなんて。
 ボクの日常は、しばらく壊れる。

 でも――あの男の狙いはそういう事ではない――はずだ。
 ボクの電脳を完全に破壊して、修理不能のレッドステータスにする。それが狙いのはず。
 でも、じゃあ、一体なぜ、あの電脳破壊デバイスがギロチンを起動した?
 何かの故障? トラブル?
 それとも――

 そこまで考えたところで、ナオはようやくギンジとケイイチからいくつかのメッセージと、何度かARコールの着信履歴があるのに気づいた。
(……心配かけたかな)
 自分が気を失った後の事も聞いておきたいし、顔くらいは見せておくか。
 ナオはベッドの上半分をリフトさせて半身を起こすと、二人にARコールした。

「嬢ちゃんからとは珍しいな」
 コールに即座に応じたのはギンジ。
 表情は驚いた風だが、この飄々としていながらも抜け目のない警官のことだ。
 ナオが目覚めた事くらいは既に把握していて、コールを今か今かと待ち構えていたのかもしれない。

「たまにはね」
「どうだ具合は」
「大丈夫とは言えなそう」
「そうか」
「あの後は?」
「ああ、色々と手は尽くしたが男は死亡。その後、現場のあれこれ整理して、兄ちゃん含め色々と検査したり何だかんだやって今に至る、って感じだな。詳しい話は2時間くらい前に送った資料見てくれ」
「ん」
 ナオは手早く2時間前のメッセージを開き、資料をAR映像の横に展開する。
 ギンジはナオの並列処理能力の事もよく知っているし、こういう時に口頭よりデータのほうが速い事もよく知っている。
 ナオは資料を読み進めながら「ギンさんは大丈夫?」と会話を続けた。
「まあ大丈夫だな。うちの若いのとかアンドロイド連中はそうでもねぇみたいだが」
「そ」
「またアンドロイド連中の面倒見てやってもらえるか」
「ん」

「しっかし……」
「何?」
「嬢ちゃんに心配されるとは明日は槍でも降るんかね」
「ボクをなんだと思っ……」
 ナオがそういいかけたタイミングで、
「だだだ大丈夫なんですか!?」
 少し遅れて入ってきたケイイチのでかい声が割り込んできた。
「助手うるさい」
「……すみません」
 シュンとなるケイイチ。
 なぜか妙に改まった格好をしている……のはひとまずツッコまずにおく。
「でも大丈夫なんですか?」
「助手に人の事心配してる暇があるとは驚き」
「はい……?」
「助手は自分の人生の心配だけしてればいい」
「えぇ……」
 心配して具合を訊ねるだけでこれですか……と再びシュンとなるケイイチ。

 ナオの言動の九割九分くらいはコロコロ変わるケイイチの表情を面白がってやっている事だが、残りの一分程度にナオなりの心配させない気遣いが含まれている――のは鈍いケイイチには伝わらないし――
「しかしまさか先輩があの玖珂ナオ神だったとは!」
 どうやら伝わる必要もなさそうだ。

 やたら目をキラキラさせて叫ぶケイイチに、ナオは抱える不調とは別の疲労を感じた。
 とはいえあんな事があって、それなりのショックは受けているであろう後でも崩れないこの一直線なマニアっぷりには、今は少しだけ救われる部分もなくはない。
「ギンさん助手にボクの事は?」
「ああ、電脳の事は話した。それ以外はだいたい勝手にたどり着いてたがな」
「なる」
 ナオは納得した様子でケイイチのほうに向き直り、
「ごめんね言ってなくて」
「いやいやいやいやとんでもない!」
 ぶんぶんと大袈裟なほどにかぶりを振るケイイチ。
「というか……」
 ケイイチは急に神妙な顔になると、ARの向こうで地面に膝をつき、ものすごい勢いで頭を下げた。
 日本に古来より伝わる由緒正しき平身低頭平謝り。すなわち土下座。

「それは何?」
「いや、色々と無礼その他諸々をですね……」
 それを聞いてもいまいち理解ができなかったようで、ナオはギンジに目線で「何?」と訊ねる。
「嬢ちゃんの頭の事を知って色々思う所あったんだろうぜ」
「?」
「今後はあのような非礼は働かぬよう努めますので何卒平にご容赦のほどをば」
「何の話?」
 ナオのよく回る頭でも、何に謝っているのかが掴めず、いまいちどう反応していいのかわからない。
「いやあの、玖珂ナオ様だとはつゆ知らず、調子に乗って色々お願いしたり、いやそれ以前に私めのような社会底辺に生きるゴミムシと会話をしていただいた事など……」
「ふーん」
 ナオはようやくケイイチの言わんとする事と、その姿が無駄に正装な理由を把握した。

「とりあえず顔を上げようか」
 ケイイチが顔を上げると、そこには優しく笑うナオの顔があった。
 それは穏やかで柔らかく、全てを許すような包容力に溢れた笑顔で、さすが玖珂神、お心が広い……とケイイチが感動にむせぶのも束の間――
「そんなつまらない事にボクらの貴重な時間を使ったわけだけど」
 とてもいい笑顔のナオの口が、そんな言葉を紡ぐ。
「何か感想は?」
 よくよく見ればその笑顔の奥で、その目が全く笑っていない。
 あ……これ本気で怒ってるやつだ……。
 ケイイチは冷や汗をダラダラと流しながら、何も言えずに再び地面に頭を擦り付け、
「…………すみません」
 何とかそう一言だけ捻りだした。

 ナオはそんなケイイチの事は放っておいて、
「で、結局あの人は?」
「AIはラクサ博士で確定だと言ってる」
「そ」
「ただ、一緒に妙な事も言っててな……」
「?」
「肉体の年齢が若いとかなんとか」
「年齢?」
「体が若返ってる、とうちのAIは言ってる。意味はよくわからねぇが」
「大人だと若返りの手術とか薬とかってありますよね」
精神的なダメージからは何とか復帰したらしいケイイチが横から口を挟む。
「ああ。それとは違う話らしい」
「?」
「ま、詳しいところはレポート見てくれ。正直俺にゃよくわからん」
「ん」
「何にしても、死んだとはいえ同じIDで複数の人間がいるのはマズいってんで、事件として扱われる事になる。嬢ちゃんにも依頼が行く事になると思うが――大丈夫か?」

 ギンジのその問いに、ナオは即座に返答することができなかった。
 もちろん、これは縁深い博士の死に関わる事件であり、解き明かしたかった謎なのは間違いない。普段のナオであれば二つ返事でOKを返すところだ。
 だが、今のナオにはそれができない。
 立て続けに目の当たりにした、博士が命を失うシーン――特に、まるで自分が博士の死を引き起こしたかのような、二度目の出来事が脳裏をよぎり、恐怖に似た不快な気持ちがその判断を躊躇わせる。

 しかし、同時に理解してもいた。
 この一連の出来事の背景にあるものが何なのか、一刻でも早く解かなくてはならない。
 解かなければ――きっと、何度も何度も同じ事を体験する事になる。
 それは予感ではなく、確信だった。
 あの博士は、何度でも現れ、アンドロイド達、そしてナオの電脳を狙う。
 そう確信させるだけの何かを、二つの現場でナオは見た。

「……大丈夫」
 ナオは自身にも言い聞かせるように、そう答えた。
「OK」
「警察はどう考えてるの?」
「今のところさっぱりだ。仮説レベルの話ならいくつか出てるが」
 文字通りお手上げ、というジェスチャーをして、ギンジはやれやれと首を振ってみせた。
「おじさんの遺品は?」
「ああ……その件も厄介な事になっててな」
「?」
「ロックがかかっててどうにもできねぇんだと。しかも、本人にしかできないはずのそのロックが、博士の死んだ後にかけられたって話だ」
「それって……」
「ああ。博士は死んでねぇ、って事になる」
「……」
「まあ、俺も何も終わってねぇって気はしてたしな」
「そ」
「そんなところで大丈夫か?」
「ん」
「んじゃまたな。兄ちゃんもまた何か知恵借りると思うんでよろしく頼む」
「は、はい!」
「大事にな」
「ん」

 ARコールを終え、ナオはふぅ、と一息ついた。
 ハルミが何も言わずに剥いた林檎の乗った皿を渡してくれ、ナオはそれを見てようやく自分のお腹がすいている事に気づいた。
 ――やはり本調子じゃない。
 だが、二人と話したお陰か、少しばかり調子が戻っている気はした。
 林檎をかじりながら、ナオは再び考える。

『何も終わってねぇ』
 ギンジの言った言葉。
 確かに、何も終わっていないのだろう。
 何をもって終わりとすればいいのかもよくわからないけど。
 少なくとも「次」がある。
 そんな嫌な予感に、ナオは震えた。
 ――いや、違う。
 ずっと震えている。震えが止まらない。
 目覚めてから、ずっと。
 昨日の出来事。
 押し込んだスイッチ。
 それを契機にして、切り離された博士らしき男の首。
 その感触が、記憶が、いやに生々しい。
 その生々しい記憶が、悪霊のようにナオに取り憑き、身も心も落ち着かなくさせている。

 ナオは林檎を食べ終えて、皿をハルミに返した。
 返しながら、皿を渡す自分の手が微かに震えているのに気づき苦笑する。
 こんなにも簡単に調子を崩してしまうとは。
 そして、それを受け取るハルミの手も、どこか硬くぎこちない。
(……まずは)
「ハルミさん、メンテしよ」
「はい」
 ナオはハルミをベッド横の椅子に腰掛けさせ、メンテナンスの準備を始めた。
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