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Vol.01 - 復活

01-010 馬鹿

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「こないだは何でまた新春早々、屋上からダイブしてたの?」
「はえ……?」
 あまりにさらっと聞かれたものだから、一瞬何を聞かれたのかわからず、ケイイチは間の抜けた声を上げた。

「あ……ああ、ええっと……それは……」
「言いたくないならいい」
「いや、そういうわけでは……」
 助けてもらった身だし、少なからず迷惑をかけた相手だし、説明できることはしておきたい気持ちもある。
 だが、どう説明したものか……。

「えっと……夢破れて、みたいな……?」
「挫折?」
「それが一番近い気がします」
「今は?」
「死にたいか、って事ですか?」
「そ」
「どうでしょうね……」

 元旦のあの屋上で、死ぬのはとんでもなく怖い、という事は学んだ。
 少なくとも今は、自分から積極的に死にに行こうという気持ちはない。
 でもそれは、死ぬ事が怖いからであって、生きていたいのとは違う。

 この仕事のお陰で保留にはなっているものの、こんな役立たずな自分が生きている事に申し訳ない気持ちはあるし、誰かが自分の知らない間に苦しまずに殺してくれると言うのなら、殺してもらいたいという気持ちは……今でも間違いなくある、気はする。

「やめておきなよ」
 ケイイチが考え込むその間を肯定と受け取ったのだろう。ナオは静かにそう言った。
「親も泣く」
「どうでしょうね。血、つながってないし」
計画生産プロデュースド?」
「です」
「なる」

 計画生産プロデュースドというのは、人口の急減を防ぐため、政府によって計画的に作られる子供の俗称だ。AIがしっかりと審査した真っ当な里親の元で育つとはいえ、計画生産プロデュースドの子供は愛情の面で劣る環境で育つ事が多く、血の繋がらない両親との関係に悩む事も多い。自殺を試みる――滅多に成功する事はないが――子供のうち計画生産プロデュースドの割合はそれなりに大きい。

「何にしても屋上からダイブとか馬鹿のやることだからやめたほうがいい」
「馬鹿……?」
 何かしらの綺麗事の類いが出てくるのかな、と思っていたところに予想外の言葉が出てきて、ケイイチは少なからず面食らった。
「そ、馬鹿のやること」
「それはどうせ死ねないから、って事ですか?」

 AIが徹底的に人命保護をしてくれるこの時代、どうせ失敗するに決まっているのに自殺を試みる人は馬鹿以外の何者でもない、というのは世間でもよく言われる話だ。

「それもあるけど。よっぽど極端な苦痛の中にいるか、人生に満足して自死する以外のああいうのは全部「私は馬鹿です」って言うようなもの」
「結構頭のいい人が自殺するイメージありますけど」
「確かに中途半端に頭の回る人はやりがち」
「中途半端?」
「ああいうのは思考回路のバグ。その不具合を自分で調整できる頭があればやらないし、思考回路がそもそもない馬鹿者はそんなこと思いつきもしない。中途半端に頭が回るとバグを踏む」
「バグ……?」
 ケイイチは言わんとすることがまるで理解できず、その顔に疑問符を浮かべる。

 それを察したのかナオは一瞬思案顔になり、
「じゃあ聞く」
「はい」
「お腹がすくのはなぜ? えっちな事したいのはなぜ? 人に好かれたいのはなぜ?」
「えっと………」
 お腹がすくのは、食べ物が欲しいから。
 えっちなことは、子孫を残すため。
 人に好かれたいのは……そのほうが生きていく上で都合がいいから、だろうか。
 まとめるなら――
「生きるため、ですか?」
「そ。人の欲はだいたい生きるためのもの」
「……」
「じゃ、もう一つ。キミみたいに屋上からダイブするような子は、何でそんなことする?」
「不安だから、とか、しんどいから、とかですかね」
「それはなぜ、何のために感じる?」
「何のため、ですか……?」
 不安になるのは、なにか先々で嫌な事が起こる可能性が高いからで、それを何のために感じるかというと……嫌な事が起こらないように備えたりして、どうにかするため?
 しんどいというのは、休んだりする必要があるからで、これをまとめるなら――
「あれ……?」
出てきた答えが少しだけ意外で、ケイイチは一瞬言葉に詰まる。
「生きる……ため?」
「そ。危険なところに近づいたりしないように、とか、間違った事を繰り返さないように、とか、きちんと休養とって備えるとか、そういうためにある。苦しい、痛い、辛いみたいなストレスの類いもそう。欲とか感情はだいたい生きるためにある」
「なるほど……」
「としたらおかしい」
「……?」
「生きるために備わったシステムを動かした結果屋上からダイブするのはバグ」
「……なるほど」

「で、そんな事にすら気づけないのはどう考えたって馬鹿」
「……」
「だいたいみんな余計な事考えすぎ。絶滅してない地球上の生き物は、今のこの世界で生きる事にかけては最強のエリート。何も考えずにほっとけば心と体は自動的にうまく生きてくれる。なのにわざわざ考えなくていい頭の悪い事を考えて、自分の命を縮めたり投げ捨てたりしようとする連中は、救いようのない大馬鹿者」
「……」
「というわけでキミは大馬鹿者予備軍だったわけだけど何か感想ある?」
「……」

 ナオの言わんとするところはなんとなく分かった……ような気はする。
 でも、そんな単純な事にも気づけない大馬鹿者だとしたら、尚のこと死ぬべきなんじゃないだろうか。世の中にとって有害な存在でしかない気がする。

「……そんなのが生きてていいんですかね……」
「何か悪い?」
 思わずこぼれたケイイチのぼやきに、ナオは即座にそう返してきた。
 そこには同情も何もない。さも当たり前の事と言わんばかりの口ぶりだ。

「悪いでしょう……」
「何が悪い?」
「役立たずですし」
「世の中に何の役にも立たない何かがあったとして、それが何か問題?」
「役に立たないどころか人に迷惑かけたり……」
「だかだか17年しか生きてないクソガキの分際で人様に迷惑かけずに生きようとか生意気」
「……いやあのナオさん僕と一つしか年違わないですよねしかも年下」
「キミごときとは人生の密度が違う」
「…………」
「いいんだよ。キミがこれからどうしようもないほどのクズで親のを脛かじり尽くす引きこもりのクソニートになっても」
「それはいかんでしょう……」
「いい。それもヒトって種の一つの試行」
「しこう?」
「試し、行うこと。科学の実験とかで色々細かく条件を変えてたくさん実験する事がある。あれの事。人間がせっかくこんなにたくさんいるんだし、中には変なのがいたっていいし、おかしな人生にトライするのがいてもいい」
「いやさすがにクソニートは……」
「変な子は重要。これまで世界を変えたのは変人。人間のくせに空を飛びたいとか思ったド変人がいたから飛行機ができた」
「クソニートにそんな素晴らしい可能性は無いですよね……」
「かもね。でも世界も価値観もすぐに変わる」
「……?」
「例えば今この瞬間に放射能が降り注ぐような大災害が起こって、誰も外出できなくなったとする。そしたら、今外で元気な子たちはみんな病んでしまって、唯一元気に活躍できるのはもしかしたら引きこもりの子たちかも。そしたら引きこもりの子はヒーロー」
「そんな極端な出来事は……」
「最初の有人火星探査はぼっち耐性が高い人だったから成功した」
「ああ……事故で一人になったっていう……」
「人類が前に進むのにも、滅びないためにも、色んな子がいるっていう事が重要。だからAIが色んなタイプの人が好きに生きられる仕組み作ってくれてる」
「それは……まあ、分かりますけど……」

 AIの作る仕組みは確かにすごいと思う。
 人と人との間、地域や空間ごとに定められる柔軟なローカルルールによって、誰もが奔放な価値観を持って自由に生きる事が許されている。
 まあ、そのお陰で今この部屋では、ナオの定めたローカルルールによって、ハルミさんの美しいお姿を写真や動画に収める事ができなくなっているわけですが――

「だからキミは遠慮無く穀潰しでもクズでも性犯罪者でも何でもなったらいい」
「僕の人生の行く末そういうのしかないんですかね……」
「心配しなくても十中八九ひどい失敗事例だと人類史に刻まれる」
「それは心配しかないんですが……」
「大丈夫。そんな失敗事例はとても貴重なデータ」
「……?」
「正しい人生を歩む真っ当な人間のデータなんて掃いて捨てる程ある。無駄」
「無駄て……」
「キミが普通の人が滅多に歩まない誰も歩きたくないゴミ虫みたいな人生を歩むならそれはサンプルとしてはとても貴重」
「ゴミ虫……」
「だから遠慮無く社会の最底辺で社会にすら弾き飛ばされて生きるといい」
「そんな方向のレアケースになりたくないんですが……」
 言いながら、ケイイチはしばし考え込む。

 つまり、彼女が言わんとしている事は――
「えっと……要するに、世間ではおっぱいの大きな女の子が好かれるしみんながそれを求めた結果一般的なバストサイズが上がった。その中において貧乳はステータスであり希少価値でありかわいいの可能性だから恥じる必要はない、みたいな話で合ってますか?」
「…………」
「…………」
「……何か言った?」
「ごめんなさい」
 ナオの表情と声に現れた極地レベルの冷ややかさに、慌てて謝るケイイチ。
 謝るくらいなら言わなければいいのだが、こういう事をつい言ってしまうのがケイイチのケイイチたる所以である。

 ――要するに、世間から爪弾きにされるようなロクでもない人間でも生きていていい。
 この目の前の少女はそう言いたいんだろうが、ちょいちょい挟まる酷い言われように、まったくもって生きていていい気がしない。

「いいのかなぁ……」
 ケイイチが思案に暮れていると、
「何がダメ?」
「えっと……やっぱり自分みたいなのに生きる価値とかないと思うんです」
「キミ、面白いくらい面白くない」
「禅問答か何かですか」
「たとえばここに一つ大きなダイヤモンドがあるとする」
「はい」
「それの価値は誰が決める?」
「えっと……」
「ダイヤモンド自身が決める?」
「いや、人が決める……と思います」
「じゃあなんでキミは自身の価値を自分で決めてるの?」
「???」
「「私には価値がありません」って自分で言うのは変。わかる?」
「……うーん……」
 ナオの話す内容そのものはわりとわかりやすい気がするのだが、言葉が短くテンポが極端に速いのもあって、理解がなかなか追いつかない。

「とりあえず世間様のためには僕みたいのはいない方がマシと思います……けど……」
「キミが何も理解してない事は分かった」
「……すみません」
「それはそれとして」
「……?」
「そうやって屋上からダイブする選択肢を持ってるの、気に入らない」
「選択肢?」
「質問」
「はい」
「たとえばここに二人の人がいて、一人は生きようと必死、もう一人は事あるごとに屋上からダイブしたがるキミみたいなの」
「はい」
「大きな災害が起きて、二人ともが同じくらいの命の危機になったら、どちらが生き残る可能性が高い?」
「それは……生きようと必死な方、だと思いますけど」
「なぜ?」
「生きたい、と思ってるほうは生き残るために色々な事を試すし、生き残るために頑張るから」
「そ。生きようと必死な生き物は強い。
みんな強さを誤解してる。弱肉強食で強いのが生き残るわけじゃない。イケメンだとか金持ちだとか何かしらの価値の高い生き物が生き残るわけでもない。生きたいと一番強く願って、一番必死で、一番しぶとくて、その上であとはちょっとした運と生き残るのに向いた特徴を持ったのが生き残る。それが摂理」
「なるほど……」
「生きたい、と思っていない生き物は絶対に生き残らない。無様でも不格好でも、泥をすすってでも、這いつくばってでも生きたい、生き残りたい、子孫残したいと思う生き物だけが生き残る。生きようとしない生き物ほど弱い生き物はない」
「たしか……に?」

「キミは今も屋上からダイブする事考えてるよね」
「……屋上からは懲りたんで別の方法があったら……」
「生きるのをやめる事を選択肢に入れると、人はとても弱くなる」
「……?」
「生きるのをやめる、っていう選択肢が横にあると、「生き残るために色々な事を試し、生き残るために頑張る」をやるのがとてもめんどくさくなる」
「ああ……」
「だから、まずその「屋上からダイブ」っていう選択肢なくして、這いつくばってでも生きる覚悟を決めて、あとはゴミクズとして生きるか、羽虫として生きるか、どう生きるか考えたほうがいい」
「もう少し人に近い何かとして生きる道は……」
「キミごときがヒトになろうなんて生意気」
「えぇぇ……」
「でも可能性がないこともない」
「まじですか!」
「命は何十億年にもわたるトライアルアンドエラーの繰り返し。人間になりたければトライする」
「トライアルアンドエラー……」
「キミはだいたいエラーだろうけど」
「ですよねー」
「それでも何もしないよりは多分恐らくそこはかとなくマシ」
「成功率、微粒子レベルも存在してなくないですかその言い方……」
「ダイブしたいとか自分に価値がないとか、自分の頭の悪さの宣伝してる暇があるなら、少しでも人に近づけるようにトライしたらいい。そしたら人の最底辺のはじっこくらいに入れてもらえるかも。可能性はグラフェンシートより薄いけど」
「薄すぎませんか……ていうかトライしろって言いながらそうやって心などをへし折りに来る必要ありますか……」
「っていうのを踏まえて話戻すけど」
「お、おう」
「キミの価値がどうのこうの言うなら、まずは目の前の仕事をちゃんとしよ」
「……??」
「仕事はわかりやすい。それで稼げたお金分くらいは、君は何かしら世間に価値を生み出せたわけだから、価値を生み出せる存在だっていう価値がキミにあるって事になる」
「なるほど……」
「今キミがここにいるのは、ボクが君の頭の中にある知識を必要としているからだし、少なくともボクはキミの頭の中身に、それだけの価値を認めてる。自分に価値がないとか自分で言い出すのはボクに無礼」
「……なるほど。つまりアレですね」
「?」
「自分を信じるな。お前を信じる私を信じろって事ですね!」
「……なんか違うけどそれでいい」
 呆れ顔になって、はぁ、と短いため息をつくナオ。

 しかしそれで一通り言いたい事は済んだようだ。
 ナオはそれきり黙り込んで資料読みに集中する様子に切り替わった。

 ケイイチはそんなナオの急激なオンオフに面食らいながら、今しがた行われたやりとりをしばし反芻する。

 正直、言われたことの半分もきちんと理解できた気はしない。
 だが、あんな風に人を性犯罪者扱いし、容赦ない物言いをするナオが、これだけの話をしてくれたということに、ケイイチは少なからず驚き、同時に感謝の気持ちも湧いていた。

 なにせケイイチはこれまで、誰かに相談したり、アドバイスをもらった事がない。
 ケイイチが憧れたのは「ヒーロー」だ。
 ヒーローは誰かに相談される側の人間であって、相談する側じゃない。
 ヒーロー自身の問題は、自力で解決しないといけない。独力で解決できないといけない。
 そう思って、これまで全て自力で何とかするようにしてきたのだ。

 だからこうして、人から指導――とは違う何かな気もするけど――をもらうというのは、学校以外では滅多にない貴重な体験であり――
(容赦なくビシバシ言われるの……いい……)
何かに目覚めた様子のケイイチが妙にキラキラした目でナオを見るその視線を感じながら――
(……雇う子間違えた気がする)
 ナオは、少しばかり後悔をした。
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