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5章

トトラスの夢

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「人は神様に近づくことはできない。だけど神様がおつくりになったものの美しさや、それに出会った時の感動を人に伝えることはできる。もしもそうやって人の心を動かすことができたのなら、それは同じくらいすばらしいことじゃないかって思うんだ」
 どうして絵描きになりたいの?そう人に聞かれたり、心の中で自分自身にといかける時、アイはいつもこの言葉を思い出す。それはアイがまだ小さいころ「お父さんはどうして絵描きさんなの?」とたずねた時に、父親がこたえてくれた言葉だった。
 アイの父親であるラステン・メーシェルはさまざまな土地をめぐりながら画材を集め、その土地で作品を生みだす「旅の絵描き」だった。
 おそらくクーザの歴史の中で、旅の絵描きほど強い情熱で世界をめぐったものはいないだろう。この世でもっとも美しいものを表現することこそ生きる意味であると信じている彼らはどんな危険や疲労、さらにはあのいまわしい貧乏さえ恐れずにわが身を投じていった。そして貪欲なまでにさまざまなものを知り、学び、自分の世界を広げていったのだ。
 そうして彼らが見聞きしたものは、都会の人々にとっての貴重な情報源にもなっている。世間では「世界のことを知りたければ国家の図書館に行くよりも、旅の絵描きが集まるサロンをたずねたほうが意味がある」と言われるほどだった。
 しかし十数年前、クーザを二つに分けていた国の関係が悪くなってくると、ラステンをはじめとした旅の絵描きは今までのように大陸を移動することができなくなってしまう。
 理由はもちろん危険だというのもある。しかしなにより大きな原因となったのは、彼らがどちらの国でもスパイとなる可能性がうたがわれ、行動を制限されたからだった。
 ラステンはそんな旅の絵描きたちの間でも、もっとも尊敬を集めていた存在だった。
 それははより多くの場所をめぐり、広く深い知識を持っていたからでもある。
 しかし一番の理由は、彼の絵がすばらしく、同じ絵描きでも純粋に心をうたれてしまうからだった。
 そして…まだ絵描きではないが、ラステンをすごく尊敬しているのはアイも同じだった。
 旅から帰ってくるたび、彼はいろいろな話を聞かせてくれた。その話はアイが読んできたどの本より新しいものであふれ、時に刺激的で、なにより美しいイメージでみちていた。
 つまりアイにとってラステンは自分の父親であるだけでなく、世界の美しさや楽しさを教えてくれた先生であり、そして…絵描きとしての遠く高い目標でもあった。
 ある日の午後のことだ。
「アイ、これを見てごらん」
 ラステンはテーブルの上に広げた紙にさらりと何かを描くと、アイを呼んで見せてきた。
 おもしがわりのルルノア鉱石の下にあるその紙を、アイは目を大きくしてのぞきこむ。
 それは一枚の地図。しかしその中身は、アイが知っているものとはちがっていた。
 ふつうのクーザの地図では必ず、アダラやコルドワは地図の左がわにある。そして右がわの同じくらいの位置には、当時は東の首都だったサザがあるはずだった。
 だけどラステンが見せた地図では二つとも右がわの、しかもはじっこに近い位置にある。
 それじゃあ地図の中心や左がわには何があるかというと、はっきり言って何もなかった。ジア・フラード山脈よりも西は雲につつまれて、ほとんどまっ白な状態だ。
 アイは不思議に思って、きょとんとした顔を父親に向ける。ラステンはその反応を予想していたかのように、にっこりと目を細めて口をひらいた。
「これはね、世界の中心を描いた地図なんだよ」
 ラステンが白い歯を見せて笑う。それから右手の羽ペンを動かして、地図の白い部分になにかを描きはじめた。くるくるとおどるようなペンの動きが止まった時、ジア・フラードにかかる雲の上には新しいものがくわわっていた。
「ねえ、これは何?」
「これは竜っていう動物だよ…いや、動物っていうよりは、神様のおつかいって言ったほうがいいのかな?」
 描いたラステンでさえ自信がなさそうなその不思議な生き物の絵を、アイはじっと見つめた。大きな翼や立派な牙を持った姿には、たしかにアイが知っている動物にはない迫力と魅力があった。見とれているアイのとなりで、ラステンがふたたび話しはじめる。
「アダラ地方には竜にまつわる伝説が多く残されているんだ。それによるとジア・フラードの先には竜たちの国があって、さらにその中心には神様の世界の入口があるんだって」
「へえ!本当に?」
「はっきりとはまだ分からない。でも、可能性はあるよ。竜が精霊の祝福を受け、魔法を使いこなせるって言われているのも、彼らが神様たちのおつかいだからって考えたら納得できる。そしてもしその通りなら、僕たちが『世界の果て』なんて呼ぶジア・フラードの向こうこそ、本当の世界の中心だってことになる」
 ラステンは瞳をキラキラと輝かせながらアイに説明した。そのキラキラがアイにも伝わってきて、地図を見ているだけで落ちつかなくなってくる。
「ジア・フラードだけじゃない。大陸をかこむ海の先にも、僕たちの知らない世界が広がっている。そこにはまだ見ぬ美しいものや感動させてくれるものが待っているんだよ」 
 アイの肩に優しく手をおいて、ラステンはゆっくり語りかける。その言葉を聞いた時、アイは心にぱっと光がさしたような衝撃を受けた。
 地図の中の空白が、無限に広がるキャンバスのように見えてくる。ただの石ころだと思っていた紙の上のルルノア鉱石だって、今のアイにはまぶしいくらいだ。
 アイは自分の中に生まれた気持ちの正体に、もう気がついていた。すぐにラステンの顔を見つめて、それをうちあける。
「私も絵描きさんになる!キレイなものをいっぱい見て、それを絵にするの!」
 アイが満面の笑顔で宣言する。それを聞いた瞬間、ラステンの表情がふっと変わった。
 くちびるをぎゅっとかみ、まゆ毛の間に深いしわがきざまれている。怖いくらいの顔だ。思わぬ反応にびっくりしているアイに、ラステンはその顔のまま語りかけた。
「アイ…絵を描くというのはね、自分がもっとも美しいと思い、あこがれるものを追い続けることだ。その道ははてしなく、時にはつらい出来事にぶつかることだってあるだろう。それでも筆をにぎる覚悟ができたら、世界のあらゆるものが力になってくれるはずだ」
 ラステンが手をのばし、アイの頭をなでる。その手から強い力が伝わってきた。
「僕はね、描くということは、神様が人間に与えてくれた奇跡だとさえ思っているんだ。描くものの思いの強さだけで、どんな願いもあこがれも、永遠に残すことができる」 
 おだやかな声に顔をあげると、ラステンはもう笑顔を浮かべていた。まだ不思議な感じがしたけれど、アイはその顔がいつもの大好きなお父さんに戻っていたので安心した。
 …アイの記憶が正しければ、それからちょうど一週間後のことだ。ラステンが聖堂の壁画を残して、すべての人々の前から姿を消したのは。

「そんな!うそでしょう?」
 悲鳴のようなアイの声が、せまい職員室にひびきわたった。
「本当ですか?リオンがまだ、コルドワに行っちゃいけないなんて」
「話したとおりです。リオンが森を出ることを許可する証明書が届いていないのですよ」 
「どうして?ハナマが試験に合格した時は、すぐに森を出られたって言ってましたよ?」
「もうすぐアロウル記念日ですから、ツノワシ郵便がこんでいるのでしょう。とにかく、私たちが証明書をあらためていない以上はリオンを森から出すわけにはいきません」 
 そんな理由は簡単に納得できるものではなかったけれど、ミューイには何を言っても無駄だということはよく知っている。アイは早々とあきらめてしまい、職員室を出ていった。
 聖堂の公開日は二日後にせまっている。今日までに馬車の手配をしなければ、コルドワへつくのは不可能だ。リオンの翼ならあっという間だけど、法律違反になるから絶対に駄目。とは言え他に思いつく方法はなく、本当にあきらめるしかなさそうだった。
 窓からさしこむ光は、強い夏の日ざしだ。だけどその明るさとは正反対の表情で、アイは廊下を歩く。今はせめて、この気持ちを誰かに話してすっきりしたかった。
 ふと窓の外に目を向ける。その時、アイは雲一つない空の中に気になるものを見つけた。
 その物体は卵を細長くしたような形をしていて、銀色のボディーの真下にはぼんやりした赤い光がともっている。アイは窓に近づいて、その物体をじっとながめた。
 あの赤い光は飛行馬の動力の特徴で、内側から金属をすかしてともっているものだ。あの空飛ぶ乗り物は錬金術による人工的な魔法を動力にしているため、鳥のような羽もなく、音もたてずにあらゆる方向に動くことができる。
 ゆっくりとおりてきた銀色のボディーには、一本のツノをはやした竜の顔のシンボルが描かれていた。あれはトトラス商会のマークだ。
 飛行馬は静かに裏庭に着陸。すると前方をおおっていたガラス窓が開き、操縦席からトトラスがあらわれた。その姿を見たアイは瞳を輝かせ、学舎の玄関に向かって走り出す。
 アイが入り口につくと、先に校舎に入っていたトトラスと顔をあわせる。笑顔で迎えるアイに気がついて、彼もにっこりと笑いかけてくれた。
「こんにちはトトラスさん。またリオンを見にきたんですか?」
「ははは、かなわないな…まあそんなところだ。ところでメーシェル君、無事に実技の認定試験に合格したそうだね。おめでとう」
「ありがとうございます。でも…」
 そこでアイはふっと表情をくもらせ、職員室での出来事を伝える。優しくていつもアイを気にかけてくれるトトラスは、今のアイにとって誰よりも嬉しい話し相手だった。
 話を聞いたトトラスは腕を組み、不思議そうにつぶやいた。
「おかしいな。確かにアロウル記念日には青いグリーティングカードを送りあう習慣だが、だからって何日も遅れるほどツノワシ郵便が混んでいるなんて聞いたことがないぞ」
「え?それじゃあ…ミューイ先生は私にうそをついたってことですか?」
「もしかしたら、そういうことかもしれないな」 
 それを聞いたアイの心の中は、たちまち怒りでいっぱいになった。
 自分たちのがんばりを何度も踏みにじるミューイの行動がアイには理解できず、どうしても許せなかった。アイはうつむき、顔をこわばらせる。しばらくそうしていると…
「メーシェル君、どうしても公開日までにコルドワへ行きたいか?リオン君と一緒に」
 思いがけない言葉に驚いて、アイはすぐに顔をあげる。
 窓を背にしてうっすら影につつつまれたトトラスの顔が、アイを見て笑いかけている。アイはぱちぱちとまばたきをしたあとで、ゆっくりとうなずいた。
「そういうことなら私にまかせるといい。そうだな…じゃあ今夜、リオン君と一緒にラオ川にある岩原まで来なさい。もちろん、ミューイ女史には気づかれないようにね」
「どうするんですか?」
「それは今夜のお楽しみさ。そうとなれば予定は変更だ。とてもこうしてはいられない!」
 トトラスはすぐにアイに背を向けて、入ったばかりの校舎をあわただしく出ていった。

 ジア・フラード山脈のふもとからわいた水が集まって大きな流れをつくり、アダラの森を通って大陸の中心部へ向かう。その流れにつけられた名前がラオ川だ。
 そのラオ川には一ヶ所、川ぞいにたいらな岩が広がっている場所がある。そこは岩原と呼ばれており、学舎の生徒もパートナーの竜を休ませるためによくおとずれていた。
 月明かりにてらされた岩原のまん中に、アイとリオンがたたずんでいる。二人はトトラスとの約束どおりにこっそり学舎を抜け出し、彼が現れるのを待っていた。
「よかったねリオン、本当に『神様の青』を見れそうだよ!」
「だからどうした。俺はべつに、そんなことはどうでもいい」
 リオンはあいかわらずの辛口だったけど、ふと下を見たら彼はそわそわと足ぶみをくりかえしていた。楽しみなのを隠しているとわかって、アイはふき出しそうになってしまう。 
 しかしそのリオンの足が、急にぴたりと止まった。不思議に思って顔をあげると、リオンはさっきとはまるでちがう、緊張感をみなぎらせた表情で空を見ていた。
「どうしたの?」
「はっきりとは分からない…ただ、嫌な気配がするんだ」
「嫌な気配?」
「ああ。冷たくてじめじめたものが、体にまとわりついてくるような…」
 リオンは竜の姿に戻ると、東の空を向いたまま動かなくなった。竜は本来の姿でいる時が、一番感覚がとぎすまされているという。
 しばらくすると東の空がぼんやりと赤くそまり、どんどん明るくなっていく。
 やがて光の正体が、空の向こうから姿をあらわす。
 それを目にしたアイとリオンは、あまりの驚きに声をあげることもできなかった。
 どうやらそれは、一機の飛行馬らしい。しかしその姿は、アイが知っている飛行馬とはまるでちがっていた。スケールも、その形も。
 大きさは普通の飛行馬の何十倍、いや何百倍もありそうだ。そう思えるほど巨大でずんぐりとしたボディーには数えきれないほどの赤い光がともっていて、一つ一つが夜空に光の線を浮かべている。その姿は、まるで…
「毛虫みたい」
 アイが小さな声で言うと、リオンも首をたてにふった。
 たしかにそれは馬というよりも、毒々しい色の毛で身を守る毛虫のようだ。しかしその体はあまりにも巨大で、おまけに空の上から音もなくせまってくる。前の方についた丸い装置が、目玉のようにぎょろりと下界を見おろしていた。
 異様な飛行馬は岩原の前で止まると、ゆっくり下降をはじめた。
「待たせたね。メーシェル君、リオン君」
 立ちつくす二人に向かって、飛行馬が話しかけてきた。
「トトラスさん!」
「すまないね。なるべく下までおりれるように岩原まで来てもらったんだが、この高さが限界だ。はしごをおろすから、それで中に入ってくれ」
「分かりました!」
 トトラスの声を聞いた瞬間にアイの不安は吹き飛び、元気に返事をする。すぐに真下のハッチが開き、金属でできたハシゴがおりてきた。
 アイはスカートだったので、まずは人間の姿になったリオンがハシゴをのぼる。次にアイがとってを持つと、ハシゴは自動的に上へ動きだした。ハッチの横で待っていた人たちにささえられながら飛行馬の中に入ったアイはまず、その光景に目をみはる。
 三階建ての建物くらいはありそうな高い天井。床だって学舎の庭と同じくらい広そうだ。どうやらこの空間は、いろいろな荷物をつみこむための格納庫らしい。
 突然、かたい靴音がひびいた。まわりにいた人がいっせいに同じ方向を向き、深く頭を下げる。そこには壁ぞいの階段をゆっくりおりてくるトトラスの姿があった。
「ようこそ『フルムド・エムザ』の中へ。驚かせてすまないね。せっかくの機会に、これをどうしても君たちに見せたかったんだ」
 トトラスはにこやかに笑いかけながら、ゆっくりアイたちに近づいてくる。
 彼はいつもと同じような都会人のよそおいをしている。けれど手には革の手袋をはめ、片方の耳には小さな機械のようなものをあてていて、なんだか雰囲気がちがっていた。
「大丈夫です、最初は確かにびっくりしましたけど。この飛行馬の名前、『フルムド・エムザ』っていうんですか?」
「ああ。いにしえの言葉で『太陽のかけら』という意味なんだ。わが商会の技術をこらした傑作機のつもりなんだが…『毛虫みたい』とはずいぶんな言い方じゃないか」
 トトラスの思いがけない一言に、アイの表情がぴたりと固まる。それを見たトトラスはいつものように軽快に笑うと、耳についた機械を軽く指でたたいた。
「驚いたかな?フルムド・エムザには高性能の集音装置が組みこまれていて、ひろった音をこの機械から聞くことができる。この飛行馬にはほかにも高精度の探知機やエネルギー砲といった、さまざまな能力を与えているんだ。しかし…」
 トトラスは近くにいた人に出発の指示を出すと、広い格納庫をぐるりと見まわす。わずかな光に照らされた彼の横顔は、どこかさみしそうに見えた。
「錬金術で生成した結晶石を燃料とすれば人工的な魔法を生み出すことができるが、その力はさほど強くはない。そのためにたくさんの動力が必要となり、より巨大な外見にならざるをえなくなったのだ。それでも君たちは、この飛行馬をみにくいと思うかね」
 いきなりトトラスに聞かれて、アイは返事に困った。だけど隣のリオンはすぐに「ああ、みにくい」とはっきりこたえる。
「失礼でしょう!こんなにお世話になっているのに、なんてこと言うの!」
「いいんだよメーシェル君。リオン君の言うとおりだ」
 トトラスは逆にアイをなだめると、さみしそうな顔のままほほえんだ。
「もちろん私だって、これで満足しているわけではない。私が求めているのはもっと美しくて強いものだ。まさしく、竜のような」
 それを聞いたアイは驚きで目をひらき、リオンは眉をひそめてけわしい表情をした。
「そもそも私が空を飛ぶ乗り物をつくろうと思ったのは、幼いころに竜を見たからだ」
 トトラスは遠い目をして、ゆっくりとした口調で話をはじめた。
「役人だった父親の調査について、アダラの森をおとずれた時…道中に空を見あげた私は、厚い雲のきれまに空を飛ぶ竜を見た。一瞬だったが、確かに見たんだ。鎧のような鱗に長くするどい爪、大きな翼…その美しくも力強い姿は、私の心に深くきざみこまれた」
 心が少年時代に戻っているのだろうか。語り続けるうちに、トトラスの瞳はふだんの彼にはない輝きをやどしていった。
「それいらい、私は世界中に伝わる竜の伝説や物語を読みあさるようになった。そして竜の神秘的なまでの強さを知り、ますますひかれていった。あの力と美しさを手に入れたいと、強く願うようになったんだ。その気持ちは今も変わらない」
 今の話はまるで、絵描きになりたいという夢を持っている自分と同じみたいだ…そう思ったアイは、トトラスが前から自分を応援してくれた理由が分かった気がした。それは彼もまた、夢を追いかけている途中だからなんだと。
「まったく、くだらない話だな」 
 水をさすように、リオンがするどい声で言う。
「人間が竜の力を手に入れるなんてありえない。にもかかわらずこんな大げさで奇怪なものをつくりあげてしまうなんて、俺にはどうかしているとしか思えないな」
「ちょっと、いくらなんでもひどいでしょう!謝りなさいよ!」
「かまわないさ。自由に空を飛べる竜は、当たり前のように世界を見おろしているものだ。見あげる我々の気持ちなど、理解できないのが普通というものなんだろう」
 トトラスは冷静に語りかけたが、アイはすぐに納得することはできなかった。それは夢をあきらめてしまうことと似ている気がして、なんだか悲しい。
「だけどねメーシェル君、我々はそのかわりに『あこがれる』ということを知っている。はてしないあこがれは時には苦しいが、我々をより強く、大きいものへと変えてくれる。もしかしたらそれは人間だけが持つ、いわゆる特権というやつなのかもしれない」 
 トトラスの言葉を聞いたアイははっとして顔をあげる。そうかもしれないと思ったら元気が出てきて、すぐに笑顔をとり戻すことができた。
「よし、大丈夫みたいだな。ところでメーシェル君、コルドワでの宿泊はどうするんだ?」
「はい、私の家がムルアの森の奥にあるので、そこへ行こうと思っています」
「そうか。せっかくなら我々がもてなそうかと思ったのだが…そういうことなら森に近い草原にきみたちをおろすことにしよう。そこから先は大丈夫かな?」
「大丈夫です。お願いします!」
 このやり取りから一時間もたたないうち、フルムド・エムザは約束の場所に到着した。馬車なら一日かけてもつかない距離だ。外の景色が暗かったせいで分からなかったけど、このずんぐりした飛行馬は見た目からは想像もつかない速さで飛んでいたらしい。
「それじゃあ、素敵な旅をすごしてくれたまえ」
「はい。本当に、ありがとうございました」
 フルムド・エムザをおりたアイは、その巨大な姿を見あげてお礼を言った。
 ハッチがしまると銀色のボディに無数の赤い光がともり、風も音もなく上昇する。コルドワの方角へ飛んでいくその姿を、アイたちはしばらくだまって見送っていた。
「最初は怖いって思ったけど、もう平気だわ。トトラスさんの話を聞いたせいかな」
「やれやれ…お前は単純だな。少し話を聞いただけで簡単に心を動かされるとは」
「まだそんなこと言うの?私はさっきの話を聞いて、ますますトトラスさんを尊敬したわ。大人であんなに夢を大切にできる人なんて、お父さんとトトラスさんくらいじゃないかな」
「そこが不気味なんだよ。あいつはその夢とやらを追うことにためらいがない。そのためならどんなこともやりかねないって感じだ」
 アイにじろりとにらまれたので、リオンは何を言っても無駄だとあきらめた。もう一度ため息をつくと、すぐにアイに背中を向ける。
「お前の家はどこなんだ?さっさと行くぞ」
「はいはい。すっかり遅い時間だしね」
 ふりかえったアイたちの前には、まっ黒にそまったムルアの森がそびえている。この森の先にあるユギという小さな村が、アイの生まれ育ったふるさとだ。

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