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二章

アイの真実・リオンの真実

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「ええ。その男の人というのはたしかにジェロイですよ」
 職員室にかけこんでたずねてたアイに、ミューイは書きものの手をゆるめることなくこたえた。そのあっさりした反応に、アイはますます驚いてしまう。
「いわゆる変化魔法の一つで、竜にとっては簡単な技術です。しかし彼らがみずから人間の姿になり、対等に言葉をかわすことはめったにありません。あるとしたら、それはまことに相手を認めた時でしょう…まあ、あなたとリオンにとってはとてつもなく先の話でしょうね」
 ミューイに嫌味を言われて、アイはぐっと唇をかみしめる。この人はどうしてそんな必要のない言葉を、わざわざつけたしてくるのだろうか。
 考えてみれば、ミューイが自分以外の生徒にこんなことをしているのを一度も見たことがない。まるで自分を目のかたきにしているような態度に、よけいに心が痛くなる。
 今はミューイと二人だけだし、休み時間もまだ残ってる。アイは勇気を出して、今まで言えなかったことを伝えようと口をひらいた。
「ミューイ先生…私だって本当は、リオンともっと仲良くなりたいと思っています。ハナマたちほどじゃなくても、今みたいにパートナーを嫌いなままでいるのはイヤなんです」
 アイの真剣な言葉を聞いて、ミューイの顔からすうっと表情が消えた。
「どうしていつも私に厳しいだけで、ちゃんと教えてくれないんですか?もちろん私だってがんばります。だから先生も、私に竜と心をかよわせる方法を教えてください!」
 思いを一気にはき出すと、二人きりの小さな職員室がふと静かになった。
「かまいませんよ。ただしそれは、あなたが本当に遣竜使をめざしているならの話ですが」
 ミューイの言葉を聞いて、今度はアイの表情がこおりついた。
「その前に、私からも一つ質問をさせてください。あなたはよく服の裏に手を入れて、何かをさわるしぐさをしていますね?」
「…はい」
「それを見せなさい。まあ、そうでなくともだいたいの予想はついていますが」
 アイはしばらく迷ったけれど、ミューイの静かな迫力に負けてお守りをとり出す。
 それはうっすらとすきとおった、白くて細い棒だった。
「これは絵筆の軸ですね。それも、竜牙(りゅうげ)でできた」
 ミューイは一目見ただけで、その正体を言い当てる。竜牙というのは文字どおり、竜の牙や爪のことだ。
「これはもともと、あなたのお父様のものですね?」
 一つの返事しか認めないとでも言わんばかりの冷たい声に、アイはだまってうなずいた。
 ミューイは深く息をつくと、授業中のような口調で話しはじめる。
「ラステン・メーシェル…クーザで彼の名前を知らぬ人はないでしょう。彼がコルドワの聖堂に描いた壁画が人々の心をうち、大陸に平和をもたらしたといわれています」
 アイがその話を知らないわけはない。だけど人の口からそんな伝説を聞くと、父親であるはずのその人が、ますます遠くてすごい存在みたいに思えてくる。
「しかし、あなたにとってこの人物は、ただのなつかしい父親ではありませんね?」
 まっすぐでするどい彼女の視線が、アイの心の底までつらぬく。アイはしばらく沈黙したあとで小さくうなずき、震える声で心の中をうちあけた。
「ラステン・メーシェルは私の父親であり、そして目標です。お父さんのような絵描きになることが、小さいころからの私の夢です」
 ミューイは驚きもせず、再びアイの手ににぎられた絵筆に目をやった。
「軸が竜牙ということは、毛には竜のたてがみを使っていたのでしょう。だから…」
 ミューイはそこまで言って口をとじ、だまってアイの瞳を見つめる。アイは逃げ出したい気持ちでいっぱいだったが、蛇ににらまれたカエルのように動けない。
「大使のパートナーを選ぶ時、あなたがまっさきにリオンを選んだ時点で本心に気がつくべきでした。もっとも、今からでも手を打つべきだと思っていますが」
 とどめのようなミューイの言葉が響く。しかし、その時だった。 
「いけないな、そんなおびえた声では」
 とつぜん男の人の声がして、職員室の扉がゆっくりひらいた。さっそうとした足どりで入ってきたのは、都会のしゃれたよそおいに身を包んだ男の人だった。
「メーシェル君、もっと胸をはりなさい。大きな理想ほど力強く、堂々とかかげるものだ」
「トトラスさん!今の話を聞いていたんですか?」
 ほっとしてたずねるアイに、彼はさわやかに笑ってうなずいた。それを見たミューイが、おもしろくなさそうな表情になる。
「サイアズ・トトラス…またおしのびで見物ですか。コルドワからここへ来るだけでも、ずい分と時間がかかったでしょうに」
「そんなもの、わが商会があつかう飛行馬ならばあっという間だ。それに森を飛び出したやんちゃな竜の大使が見られても、これがその正体だと言ってごまかすこともできるしな」
「やんちゃな竜の大使?それはもしや、リオンのことですか?」
 すぐにミューイににらまれて、アイはさっと目をそらす。
 竜が人間の多い場所に姿をあらわすことは認められておらず、アダラの森は活動を許されている数少ない場所の一つだった。遣竜使の学舎がここにあるのもそのためだ。
 さっきリオンがめちゃくちゃに飛んでいた時、アダラの森を飛び出してしまったのかもしれない。アイはしがみつくのに必死でわからなかったけれど、その可能性は低くない。
「そんなわけだから、持っていると何かと便利ですよ。ミューイ女史もいかがかな?」
「援助をもっと増やしてくださるのなら、考えさせていただきますわ。それにしても、最近は特に見学に来る回数が増えましたね」
 ミューイはトトラスの軽口を無視すると、彼にも厳しいまなざしを向けてたずねた。
「それはやはり、リオンが大使として来たからですか?」 
 ミューイはそう言ったあとで、アイにもするどい視線を向けるのを忘れなかった。アイは反射的に顔をそらしたが、トトラスは「その通り!」とあっさり認めてしまう。
「今まで何体もの大使を見てきたが、リオン君ほど美しい竜には出会ったことがない。真紅の瞳は水晶の底にゆらめく炎。つややかな光をたたえた銀の肌に、爪はするどくも真珠のごとき。しかし何よりすばらしいのは、りりしいかんばせをかざりたてる黄金のたてがみだ!天からふりそそぐ光をたばねてあんだとて、あのまばゆさは得られまい」
 リオンの姿を語るトトラスの声ははずみ、歌っているようですらあった。アイもつられて笑ってしまう。
「あれほど美しく、気品をたたえた竜は見たことがない。おそらく彼は、竜国の中でもよほど高貴な血すじなのでしょうな」
「大使を外見で比べるのは、よろしいこととは言えませんわ。あのリオンにはたしかに特別な部分もありますが、そのためにあつかいに困っているのも事実です。そしてパートナーであるアイ・メーシェルも、よこしまな理由から彼を選んだことを認めました。これはもう、何らかの対処が必要であると考えています」
「ちょっと待ってください!私の理由は別に、よこしまなんかじゃ…」
「ここは遣竜使となるための経験をつむ学校です。それ以外の目的で入学し竜に近づくなど、十分によこしまであると思いますが」
 確かにそのとおりかもしれない。だけど小さいころからの夢をよこしまなんて言われてしまうのはアイにとってあまりにくやしく、悲しいことだった。
 そんなアイの肩を、トトラスがぽんとたたく。そして、ミューイにきっぱりと言った。
「確かに私は遣竜使の育成に協力するために、この学舎に資金の援助を行っている。しかし竜の力をかりて絵を描くこともまたすばらしい目標であり、立派な夢だと思うがね」
 トトラスの優しい言葉を聞いて、アイはまた笑顔を浮かべることができた。そんな二人の姿を目にして、ミューイはやれやれといった感じでため息をつく。
「まったく…支援者にここまで言われてしまえば、どうしようもありません。しかしあなたは生徒の中でもっとも成績が悪いことには変わりないのですからね。このままならば成績不振を理由に別の大使にパートナーを変わってもらいますから、覚悟していなさい」
「分かりました。私もリオンに心をひらいてもらうように、もっとがんばってみます!」
 アイは二人に頭をさげると、すぐに職員室を出ていった。
 アイの足音はすぐに小さくなり、聞こえなくなった。ミューイは何回目かも分からないため息をつき、にがい表情をトトラスに向ける。
「余計なことをしてくれましたね。一体どういうつもりなのですか?」
「ははは。どういうつもりも何もない。自分だけの夢を持ち、必死に追いかけている彼女を応援したいと思っただけだよ」
「そうですか。しかしアイ・メーシェルの目的は、どうあっても達成されないでしょう」
「ほう、やけに自信のこもった言い方だな。ミューイ女史、何か理由があるのか?」
 やけにきっぱりとしたミューイの言葉を聞いて、トトラスは不思議そうにたずねる。ミューイは少し間をおいてから、ふっと口をひらいた。
「竜と絵描きは、世界で一番仲が悪い」
 つぶやいたミューイの瞳の奥で、緑の光がゆれた。トトラスは思わず眉をひそめる。
「それは確か、アダラ地方で語りつがれている言葉だったな。とても仲が悪い人同士や近づけてはいけないもの同士を『あの二人は竜と絵描きのように…』みたいに言うとか」
「正解です。さすが、古今東西の文献を読みあさったほどの竜好きですね」
 ミューイがほめると逆にばかにされたみたいで、トトラスは顔をしかめるだけだった。
「つまりきみは、それが彼女たちにも当てはまるといいたいのか?根拠もないのに」
 トトラスの質問に、ミューイはこくりとうなずいた。
「人間が知らないというだけで、竜たちにも根拠がないとは限りません。どちらにせよ、私はあのコンビは解消させるべきだと思っています」
「いつにもまして厳しいな。きみのほうこそ理由があるんじゃ…」
 しかし、トトラスの話はとつぜん聞こえた悲鳴によってさえぎられてしまった。
 窓の外を見た二人の目にうつったのは、ものすごい速さで飛んでいくリオンの姿だった。
 彼の足の下には、肩をつかまれたアイの姿が。悲鳴の正体は、再び地獄の空中ブランコでどこかへつれて行かれようとしているアイだった。
「リオンがすごい勢いで飛び出していく…あの子、一体何をしたのかしら」
 ミューイがつぶやいた時にはもう、リオンとアイの姿はほとんど見えないほど遠ざかっていた。しかし隣で同じ光景をながめるトトラスの表情は、なぜだかとても満足そうだ。
「ミューイ女史よ、さっきのあなたの考えが正しかったとしよう。しかし、それはそれでメーシェル君はうまくやったのかもしれないよ。狙ってのことかどうかは知らないが」
「うまく?それは一体、どういうことですか?」
「切りはなせない二つのものをあらわす言葉に『表裏一体』というものがある。つまりは良いと悪いはもっとも遠いようで、すごく近い存在同士だとも言えるのではないか?」
「じゃあ、アイとリオンは仲が悪くて対話できるようになるって言うんですか?まさか…」
 彼の話を鼻で笑おうとしたミューイだったが、急にまじめな表情になって考えこむ。ぜったいにありえない話ではないと、心配になったからだ。
 
「いだっ!」
 バルム山のすそ野にアイの絶叫がひびいて、休んでいた鳥たちがいっせいに飛びたった。
 地面の近くでリオンに投げ出されたアイは、そのままキレイに着地…しようとしたのだが、バランスを崩してはでに転んでしまったのだ。
 どうしてこうなったのだろう?アイはあお向けのまま、この前に起きたことを思い出す。
 …元気になったアイはすぐリオンの所に行き、言うことを聞いてほしいとお願いをした。
 もちろんリオンは完全に無視。だからアイはもっと勇気を出して、今まで話さずにいた多くのことをリオンに伝えた。自分の父親はラステン・メーシェルという絵描きだったこと。自分が本当になりたいものは遣竜使ではなく、父親みたいな絵描きだということ。そして自分が学舎に入学し、リオンをパートナーに選んだ本当の目的を。
 その効果はあったらしく、リオンの態度はどんどん変わっていった。何も聞こえてないかのように顔をそむけていた彼の瞳はじょじょに開いて、話しているアイをまじまじと見おろすようになった。これはすごく良い流れなのか、それともすごく悪い流れなのか…分からないまま話を終えたアイは、最後にポケットからお守りの筆を取り出した。
 リオンの赤い瞳に、よくみがかれた竜牙の白い光がやどる。次の瞬間、彼はアイの目の前で大きな翼をいっぱいに開いていた。
 リオンにつかまったアイは、必死な悲鳴もむなしくふたたびバルム山へと運ばれる。そして岩におおわれた急な斜面の前につくと、ぽーんとほうり出されてしまった。
 …と、記憶の整理ができたところでアイは体を起こし、まわりを見まわした。
 アイのまわりにあるのはごつごつした岩におおわれた斜面と、ほんの少しの高山植物がへばりついているばかりの荒涼とした風景だった。だけど最後に後ろをふり返った彼女の目に、意外なものがうつった。
 人がいる。
 近くに一人の少年が立っていて、アイをまっすぐに見つめていた。アイもその不思議な雰囲気に引きつけられて、すぐに彼から目をはなせなくなってしまう。
 背は高い。でも整った顔だちにはまだ幼い感じも残っていて、年ごろはアイに近いようだった。吸いこまれそうな琥珀色の瞳の奥で、かすかな赤い光がじりじりくすぶっている。
 彼の髪の色はほとんど黒だったけれど、前髪の一部だけがまぶしい金色だった。その輝きを目にして、アイははっと息をのんだ。
「あなたって…もしかして、リオン?」
 少年は口をとじたまま、ゆっくりとうなずく。
 その瞬間にさっきのハナマとジェロイの姿、それにミューイの言葉が次々に浮かんできて、アイは嬉しい気持ちになった。自分の思いや本当の願いをうちあけたことで、リオンが心を開いてくれたんだとすっかり信じこんでいた。
 もっとリオンに近づこうと、アイは岩をけって走り出す。だけど少し距離を縮めた所で、ふと立ち止まった。リオンの瞳の中で一瞬、火花がちったように赤い色がはじけたからだ。 
「アイ・メーシェル、さっきの話は本当なんだな?」 
 まだ若い少年の声に、ミューイにも負けない威圧的なしゃべり方。悪い意味で、どこかの国の王子様にでも話しかけられているようだった。
「俺のたてがみを使って、こわれた筆をなおしたいというのは」
「…そうだよ。私が学舎に入ったのは、この筆の軸に竜のたてがみを付けて、もとの形になおすこと。そしてお父さんのようなすばらしい絵を、その筆で描くことだったの」
「ほう、ずいぶん自分勝手な理由だな。もっと高い場所からほうり投げてやれば良かった」
 リオンはうす笑いを浮かべ、冷たく言いはなつ。表情があるぶん、にくたらしさも何倍も大きくなった気がする。それでもアイは、いつもみたいに言い返すことができなかった。
「本当に迷惑な話だよね。でも、ほんの少しのたてがみでもいいから分けてほしいの。これは私の小さいころからの夢だし、簡単にあきらめたくはないから」
「夢…そうか。それがお前の、夢っていうものなのか」
 「うん」アイはうなずいた。
「竜の国には存在しない言葉だ。なるほど、芽を出したばかりのあわい欲望を美しいひびきでごまかした、人間らしいひきょうな考え方だ」 
 ようしゃのないリオンの言葉に反撃する気持ちもわかず、アイはただ悲しくなった。
 少したてがみを分けてほしいとたのんだだけで、どうしてそこまで言われないといけないんだろう…不思議に思ったアイの頭に浮かんだのは、この地方の古い言い伝えだった。
「どうしてそんなことを言うの?やっぱり、竜は絵描きのことがきらいだから?」
「ああ、絵描きは竜の敵だ。特にアイ・メーシェルと、ラステンとかいうお前の父親は」
 リオンはそこではじめて、その人間の顔に強い感情をのぞかせた。目をつりあげ、アイをきつくにらみつける。
「アイ・メーシェル。さっきお前が見せた筆は、自分の父親の形見だと言っていたな?」
「うん」
「しかしそれは、俺の父親の形見でもある」
 リオンの言葉は突然で、それが何を意味するのか気がつくまでに時間がかかった。やがて嫌な予感がこみあげてきて、体じゅうがぶるぶると震えだす。
「それって、もしかして…この筆がリオンのお父さんの体でできているってこと?」
「ああ。お前の持つ筆はまさしく俺の父、竜王セフィロスの牙でできている」
 困惑するアイにとどめをさすかのように、リオンがきっぱりとこたえた。
「待って!私のお父さんはすごく優しい人だったし、簡単に誰かの命をうばったりはしないはずだよ。だからあなたのお父さんを、その…」
「それでも、お前の父親は絵描きだったんだろう?だったらお前の父親にも、美しい絵を描きたいという夢はあったはずだ。そのためにはどんなことをしても竜牙の筆が欲しかったんじゃないのか?お前が学舎へ来て、俺に近づいたのと同じように」
 無言でうつむくアイを見て、父の罪を認めたと思ったのだろう。リオンはまた話しだす。
「認めたくはないが、お前と俺には同じところが一つある。それは俺も、ほかの竜の大使とはちがう理由で学舎へやって来たということだ」
 急に低くなったリオンの声に、アイはどきりとして顔をあげた。
「父上を殺した絵描きの子供が学舎へ入学するという噂を聞いて、俺はすぐに竜の大使になることを希望した。父上のかたきである人間の一族に復讐するために」
 リオンの髪が、うすい上着のすそが、空に向かって激しく舞いあがる。風も吹いていないのに。危険信号を発するように、すさまじい悪寒がアイの体じゅうをかけめぐる。
「子供とはいえ、もっとも強大な竜を殺した人間の血をひくものだ。おそるべき人間にちがいないと覚悟しながら、俺は大使の一員としてここへ来た。だけどお前たちのふやけた顔を見て、その覚悟もすぐに消えうせてしまったよ。俺は噂が間違いだったと思いこみ、後悔しながら時を過ごしていた…でも、たしかにここに来た意味はあったようだ」
「ちょっと待ってよ。リオン、何するつもりなの?」
「決まっているだろう。父上の名誉と魂の安息のために、お前の命をちょうだいする」
 宣言したリオンの目が、炎が燃えあがるように真っ赤にそまる。
 それから彼の姿はみるみる変ぼうしていった。左右にさけた口から二本の牙がつき出し、衣服をつき破って大きな翼が姿をあらわす。体が何倍もの大きさへふくらむにつれて髪の毛は金色にそまり、長いたてがみへと変わっていった。
 リオンは完全に竜の姿に戻ると、激しいおたけびをあげた。
「やめて!そんな簡単に決めつけないでよ!お父さんがそんなことするはずないって!」
 そんなアイの必死な言葉も、今のリオンの耳には届いていないようだった。力強く地面をけったリオンは大きく口を開き、アイにおそいかかる。
 命の危機を感じたアイは話しかけることをやめ、とっさに両手をかさねて顔の前にかざす。リオンのするどい牙はもう、アイの目の前までせまっていた。
「ルィラ・ザラード!」
 おなかの底から力をこめて、アイはさけぶ。
 次の瞬間に手の先で青白い光がバチっと音をあげてはじけ、リオンの頭をとらえた。
 「グオオッ!」リオンは地ひびきのような声をあげ、うしろに飛びのいた。だけどバランスをくずして、地面にたおれこんでしまう。
「なっ、なんだ?今の光は!」
 リオンはすぐに人間の姿になり、あわててたずねる。その姿はアイでも不思議なくらいだったけど、やけにあせっているリオンを見ているうちに、一つの予想が浮かんだ。
「もしかして…リオン、人間の中にも魔法が使える人がいるって知らないの?」
 するとリオンは体をびくりとふるわせ、すぐに目をそらした。 
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 アイが使ったのは簡単な護身用の魔法で、呪文をとなえると両手の先から電流を飛ばせるというものだ。だけどその力はあまり強くない。少しでもリオンの目をくらませることができたらととっさに使ったのだが、その効果は期待以上だった。
 リオンの弱点を知ったアイはさらに、この状況を突破するアイディアを思いつく。
「本気で私をひどい目にあわせたいのなら、人間のことをもっと知らないとだめね。ちなみに私は今のほかにもあと二つ、魔法使いのお母さんから呪文をさずかっているの」
「なんだと!そ…その魔法っていうのは、どんなやつだ?」
「教えるわけないでしょう!知りたかったら自分で見つけなさい。そのためには、私と一緒に遣竜使の授業を受けるのが近道だと思うけど」
 にやりと笑うアイを前にして、リオンはくやしそうに歯をくいしばる。
 だけど、ついに覚悟を決めたらしい。しぶしぶといった感じで「分かった」とつぶやいた彼は、竜の姿に戻って飛びあがる。
 いつものように肩をつかもうとするリオンの爪を、アイが片手で軽くはらった。
「そんな運び方はやめて。私はパートナーなんだから、ちゃんと背中に乗せてちょうだい」
 それを聞いたリオンはぐるると低くうなったけれど、しかたなくアイの前でしゃがみこみこむ。アイがひょいと背中に乗ると、今度こそ空に飛びあがった。
 風になびいたリオンのたてがみにふれた時、アイは思わず顔をしかめた。
「竜のたてがみって、かたくてチクチクしてるんだね。これで良い筆になるのかな?」
 うるさいっ!と言うかのように、リオンがゴオオッとうなる。風がさわいだようだった。
 それでもリオンの大きな背中に乗って飛ぶのは、さっきまでの空中ブランコにくらべたらずっと快適だ。山すそからアダラの森へうつろう景色を見おろしながら、アイはやっとクラスメートたちと並べたことにほっとしていた。
 だけど…アイはすぐに、くらい表情をうかべた。リオンから投げかけられた言葉は今も、重たい石のようにアイの心にのしかかっていた。
 こんな時は今までそうしてきたように、お守りの筆を強くにぎりしめる。だけどそのひやりとした感触はいつものようにアイを安心させることはなく、怒りに満ちたリオンの顔をよみがえらせるだけだった。
(そんなわけないよね。まさかお父さんが、リオンのお父さんを…) 
 ふくらんでくる不安をおさえて、アイは前を向く。森の中にぽつんと浮かんだ黄緑色の学舎の庭が、彼女たちの帰りをむかえるように大きくなっていった。
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