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第7章 放課後のアクエリアス
第41話:放課後のアクエリアス・8
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「どうぞ。美味しいと思うよ」
麗華は料理には目もくれない。目を細めて芽愛を見ているばかりだ。
妖精料理は二人分に分けて用意している。特にメインのオーブン焼きは半身ずつ。右半身が芽愛、左半身が麗華だ。
しかし両腕を脱臼している麗華は自分では食べられないし、そもそも既に『妖精の魔法』を発動できる。この喫食イベントのメインが芽愛であることは間違いない。
「……じゃあお先に」
芽愛は妖精の尻尾をスプーンに乗せた。
全体としては分量を等分しているが、麗華はもう翼を食べているのでバランスを取って、一本しかない尻尾は全て芽愛の皿に乗っている。
皮を剥いて煮込んだ尻尾は赤いうどんのような見た目になっていた。改めて目と口の先で見れば、尻尾というチャーミングなパーツが奇怪な食材に変わり果ていることを認識して僅かに顎を引く。しかし当初の忌避感に比べれば、今はパクチーの匂いを初めて嗅いだときくらいの動揺しかないのも事実だ。
ああきっと自分は恋人に流されやすいタイプの人間なのだな、と芽愛は初めてちゃんと自覚した。躊躇のない麗華のペースに巻き込まれることをぬるま湯に漬かるように気持ちよく感じている。七歳も年下の恋人にしてやられているとも言えなくもないが、これも相性が良いということにしておこう。
「いただきます」
麗華に見つめられながら一口目を口にした。
噛む前に舌で撫でると、紐状の肉という親しみのない食材に頭が違和感を訴えてくる。何か変な生き物が口内にいるようで落ち着かないが、いつまでも遊ばせているわけにもいかない。
深く息を吸ってから噛み締めた。途端にゴムめいた反発力と共に旨味が染み出してくる。かなり急ぎで煮込んだが、麗華が主導しただけあって僅かに異国情緒漂うスパイシーな味がしっかり付いている。
そしてその奥からは外連味のない血の味が滲んできた。味付けの先にある、肉本来の味。その脱臭された苦みは、メルリンが野生の世界ではなく文明の世界に住んでいた証左のように思われた。
アルニアの妖精たちにどれだけ美容健康意識があったのかは知らないが、きっと人間と同じで不潔な身体は好まれなかったことだろう。身体の内外を綺麗に保つジムやサプリ、そういう健康で文化的な暮らしを淡白な味の向こうに幻視した。
「これで君も得たはずだ、『妖精の魔法』を。一応確認しておくと、これは自動発動する魔法だが、周囲数メートルの手が届く範囲に限ってはキャンセルできる」
「うん」
「じゃあ発動者二人が常に数メートル圏内にいて、お互いにお互いの『妖精の魔法』をキャンセルし続ければいい。それで一件落着」
「これはもう今更だけど……正直それって上手くいくのか怪しくない? だって『妖精の魔法』って魔法がないところでも発動できるんでしょ。だったらキャンセルなんて受け付けずに発動し続ける気もする。それにもし打ち消せたとしても交互に発動するだけかも。私が麗華の『妖精の魔法』を消してる間は私の『妖精の魔法』が発動して、麗華が私のを消してる間は麗華のが発動するような……」
「さあ? その辺はもう前例がないから、頑張ればいい感じになるって祈るしかないよね。抱き合って心音でも聞きながらぴったりタイミングを合わせればどうにかなるみたいな。もしダメだったらそのとき改めて考えればいいさ。人が住んでない山奥に引っ越すとか、キャンピングカーに乗って移動生活をするとか」
「そんな適当な」
「でも君も納得するはずだ。だってもし一番上手くいったとしても、どうせ私たちは死ぬまで毎日同じベッドで寝るくらいのことはしないといけないんだぜ。しかもどちらかが先に死んだら破綻するから、私たちは二人一緒に死ぬ覚悟までもう済ませているはずだ。そこまで終わってるなら方法探しなんていくらでもできるよ」
「それはそうかもだけど。なんか、本当は解決してないのに丸め込まれてるような気がしてきた」
「それはそうだ、丸め込んでるからね。もう君も食ってしまったから正直に言うけれど、私にとっては同時にキャンセルすればどうとか、そういう細かい理屈はどうでもいいんだよ。これで私たちは退路を失って運命共同体になった、それが一番大事なことなんだ。だって、さっきまであった選択肢はもう全部潰れているんだからね。妖精の死体は料理に変えちゃったから『破産魔法』は発動できないし、発動者が二人になってしまった以上はどちらかを殺したところで解決しない。更に言うと、もう他の関係者に相談するのも難しい。黒壱氏にとっては数十年来の親友を、魔法少女にとってもかけがえのない仲間を調理して食ってしまったのだから。この話を動かせるのは、もう魔法周りの動向じゃなくて私たち二人の意向だけなんだ。魔法少女の後日談としてスタートしたはずの話は、今や私たち共犯者二人の死ぬまで続く話にすり変わっている」
「意外。麗華ってこんなに重い方だったんだ、軽薄そうな見た目してる割に」
「愛と情熱なんて二つ名のやつが軽くちゃあ名前負けだぜ。前から言ってるよね、愛があれば何でもできるって。でもそれは愛があれば魔法みたいに何でも上手くいくからじゃない。もし魔法が上手くいかなくても愛で何とかするしかないからだ。だから二人で美味しく食べようよ。ほら、あーん」
麗華が口を開けて食事をねだる。
最初から食べさせてやるつもりでテーブルのコーナーに斜めに座っているのだ。友達のロースト焼きを小さく切って恋人の口に入れてやる。
死体に舌鼓を打ちながら色々なことを話し合った。
まず今日やるべきこと。壊れたドアの修理業者を呼んで、麗華は病院に行って脱臼した肩を嵌める。
同居は明日からでも始めた方がいい。芽愛が今住んでいる高層マンションを引き払って、この広い家に引っ越してくるのが一番手っ取り早い。もともと家族用のマイホームだから部屋はいくつも余っている。寝室は二人の共同にして、それぞれの居室と荷物置き場を一つずつ。
麗華が食べている間に芽愛が喋り、芽愛が食べている間は麗華が喋る。息はぴったり合っていて、こんな感じで『妖精の魔法』も都合よく処理できるような気もしてくる。麗華のペースにまた乗せられていることに気付き、妖精の肉を噛む芽愛の口元が緩んだ。
小さな妖精の焼き物と煮込みはどんどん減っていき、最後には骨と頭だけが残った。顔だけはどうにも食べる気が起きずに最後に回したのだ。
特につぶらな瞳。丸ごと煮込んだはずなのに眼球は全く煮崩れしていない。白目は熱が入って白濁と共に尚更に輝きを増し、そして黒目はずっと変わらない無地でやはりはっきりと芽愛を見ていた。
芽愛の手が止まったことに気付き、麗華は机に顎を付いて見上げた。
「ああ、芽愛って魚の目玉とか食べない方?」
「うん。食べる人の方が少ないと思うけど」
「でも意外と美味しいかもしれないし、二人でそういうのも発見していけるといいよね。どれ、最後くらいは私からも食べさせてあげよう」
麗華が唇の先でメルリンの目玉を咥えた。そのまま大きく腰を曲げて芽愛に唇を重ねる。
軽く口を開けて応じると、目玉を舌先でゆっくり押し込まれる。
七年越しのファーストキスはゼラチン質で薄い血の味がした。
麗華は料理には目もくれない。目を細めて芽愛を見ているばかりだ。
妖精料理は二人分に分けて用意している。特にメインのオーブン焼きは半身ずつ。右半身が芽愛、左半身が麗華だ。
しかし両腕を脱臼している麗華は自分では食べられないし、そもそも既に『妖精の魔法』を発動できる。この喫食イベントのメインが芽愛であることは間違いない。
「……じゃあお先に」
芽愛は妖精の尻尾をスプーンに乗せた。
全体としては分量を等分しているが、麗華はもう翼を食べているのでバランスを取って、一本しかない尻尾は全て芽愛の皿に乗っている。
皮を剥いて煮込んだ尻尾は赤いうどんのような見た目になっていた。改めて目と口の先で見れば、尻尾というチャーミングなパーツが奇怪な食材に変わり果ていることを認識して僅かに顎を引く。しかし当初の忌避感に比べれば、今はパクチーの匂いを初めて嗅いだときくらいの動揺しかないのも事実だ。
ああきっと自分は恋人に流されやすいタイプの人間なのだな、と芽愛は初めてちゃんと自覚した。躊躇のない麗華のペースに巻き込まれることをぬるま湯に漬かるように気持ちよく感じている。七歳も年下の恋人にしてやられているとも言えなくもないが、これも相性が良いということにしておこう。
「いただきます」
麗華に見つめられながら一口目を口にした。
噛む前に舌で撫でると、紐状の肉という親しみのない食材に頭が違和感を訴えてくる。何か変な生き物が口内にいるようで落ち着かないが、いつまでも遊ばせているわけにもいかない。
深く息を吸ってから噛み締めた。途端にゴムめいた反発力と共に旨味が染み出してくる。かなり急ぎで煮込んだが、麗華が主導しただけあって僅かに異国情緒漂うスパイシーな味がしっかり付いている。
そしてその奥からは外連味のない血の味が滲んできた。味付けの先にある、肉本来の味。その脱臭された苦みは、メルリンが野生の世界ではなく文明の世界に住んでいた証左のように思われた。
アルニアの妖精たちにどれだけ美容健康意識があったのかは知らないが、きっと人間と同じで不潔な身体は好まれなかったことだろう。身体の内外を綺麗に保つジムやサプリ、そういう健康で文化的な暮らしを淡白な味の向こうに幻視した。
「これで君も得たはずだ、『妖精の魔法』を。一応確認しておくと、これは自動発動する魔法だが、周囲数メートルの手が届く範囲に限ってはキャンセルできる」
「うん」
「じゃあ発動者二人が常に数メートル圏内にいて、お互いにお互いの『妖精の魔法』をキャンセルし続ければいい。それで一件落着」
「これはもう今更だけど……正直それって上手くいくのか怪しくない? だって『妖精の魔法』って魔法がないところでも発動できるんでしょ。だったらキャンセルなんて受け付けずに発動し続ける気もする。それにもし打ち消せたとしても交互に発動するだけかも。私が麗華の『妖精の魔法』を消してる間は私の『妖精の魔法』が発動して、麗華が私のを消してる間は麗華のが発動するような……」
「さあ? その辺はもう前例がないから、頑張ればいい感じになるって祈るしかないよね。抱き合って心音でも聞きながらぴったりタイミングを合わせればどうにかなるみたいな。もしダメだったらそのとき改めて考えればいいさ。人が住んでない山奥に引っ越すとか、キャンピングカーに乗って移動生活をするとか」
「そんな適当な」
「でも君も納得するはずだ。だってもし一番上手くいったとしても、どうせ私たちは死ぬまで毎日同じベッドで寝るくらいのことはしないといけないんだぜ。しかもどちらかが先に死んだら破綻するから、私たちは二人一緒に死ぬ覚悟までもう済ませているはずだ。そこまで終わってるなら方法探しなんていくらでもできるよ」
「それはそうかもだけど。なんか、本当は解決してないのに丸め込まれてるような気がしてきた」
「それはそうだ、丸め込んでるからね。もう君も食ってしまったから正直に言うけれど、私にとっては同時にキャンセルすればどうとか、そういう細かい理屈はどうでもいいんだよ。これで私たちは退路を失って運命共同体になった、それが一番大事なことなんだ。だって、さっきまであった選択肢はもう全部潰れているんだからね。妖精の死体は料理に変えちゃったから『破産魔法』は発動できないし、発動者が二人になってしまった以上はどちらかを殺したところで解決しない。更に言うと、もう他の関係者に相談するのも難しい。黒壱氏にとっては数十年来の親友を、魔法少女にとってもかけがえのない仲間を調理して食ってしまったのだから。この話を動かせるのは、もう魔法周りの動向じゃなくて私たち二人の意向だけなんだ。魔法少女の後日談としてスタートしたはずの話は、今や私たち共犯者二人の死ぬまで続く話にすり変わっている」
「意外。麗華ってこんなに重い方だったんだ、軽薄そうな見た目してる割に」
「愛と情熱なんて二つ名のやつが軽くちゃあ名前負けだぜ。前から言ってるよね、愛があれば何でもできるって。でもそれは愛があれば魔法みたいに何でも上手くいくからじゃない。もし魔法が上手くいかなくても愛で何とかするしかないからだ。だから二人で美味しく食べようよ。ほら、あーん」
麗華が口を開けて食事をねだる。
最初から食べさせてやるつもりでテーブルのコーナーに斜めに座っているのだ。友達のロースト焼きを小さく切って恋人の口に入れてやる。
死体に舌鼓を打ちながら色々なことを話し合った。
まず今日やるべきこと。壊れたドアの修理業者を呼んで、麗華は病院に行って脱臼した肩を嵌める。
同居は明日からでも始めた方がいい。芽愛が今住んでいる高層マンションを引き払って、この広い家に引っ越してくるのが一番手っ取り早い。もともと家族用のマイホームだから部屋はいくつも余っている。寝室は二人の共同にして、それぞれの居室と荷物置き場を一つずつ。
麗華が食べている間に芽愛が喋り、芽愛が食べている間は麗華が喋る。息はぴったり合っていて、こんな感じで『妖精の魔法』も都合よく処理できるような気もしてくる。麗華のペースにまた乗せられていることに気付き、妖精の肉を噛む芽愛の口元が緩んだ。
小さな妖精の焼き物と煮込みはどんどん減っていき、最後には骨と頭だけが残った。顔だけはどうにも食べる気が起きずに最後に回したのだ。
特につぶらな瞳。丸ごと煮込んだはずなのに眼球は全く煮崩れしていない。白目は熱が入って白濁と共に尚更に輝きを増し、そして黒目はずっと変わらない無地でやはりはっきりと芽愛を見ていた。
芽愛の手が止まったことに気付き、麗華は机に顎を付いて見上げた。
「ああ、芽愛って魚の目玉とか食べない方?」
「うん。食べる人の方が少ないと思うけど」
「でも意外と美味しいかもしれないし、二人でそういうのも発見していけるといいよね。どれ、最後くらいは私からも食べさせてあげよう」
麗華が唇の先でメルリンの目玉を咥えた。そのまま大きく腰を曲げて芽愛に唇を重ねる。
軽く口を開けて応じると、目玉を舌先でゆっくり押し込まれる。
七年越しのファーストキスはゼラチン質で薄い血の味がした。
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