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第7章 放課後のアクエリアス
第40話:放課後のアクエリアス・7
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白くすらりとした身体に包丁を当てる。それだけで地獄に落ちるほどの大罪を犯している気分になってくる。
いっそただの殺害であれば。生きた身体へと包丁を乱暴に突き刺すだけならば雄叫び一つでやれてしまうのかもしれない。
しかし調理となると話は別で、一時の勢いには頼れない。完成から逆算した手順を一つ一つ遂行していかなければならないからだ。本能的な狂気に勝る文化的な正気、これによって死体を調理するという冒涜。人類史において殺人より食人の方が重いタブーとして忌み嫌われてきた理由をつくづく実感する。
それに今から食べるのは見知らぬ死体ではない。見た目は小動物でも魔法少女たちの大切な仲間、そして黒壱にとっては生涯の友。メルリン自身も高潔な魂を持つ善人であり、子供の未来を守るためにその身を捧げた。その自己犠牲の末路が食材扱いとは皮肉というには悲惨すぎる。
愛らしい小動物を切る忌避感と、知性を持つ生物を捌く嫌悪感と、親しみのある知人を食べる背徳感。全てがごちゃ交ぜになって芽愛の視界をぐらぐら揺らす。しかしそれでも指先が精密に動くのは確かに努力と訓練の成果だった。
まずは手足を一周切った。白い皮膚の下からピンクの肉が顔を出す。
一度それが世に晒されてしまった以上、もう決して引き返せないのだと唾を飲む。魔法少女の世界には本来有り得ない血肉の色、見てはいけない舞台裏。魔法の国を生きるマスコット妖精が今は食糧としてまな板の上に転がっていることを改めて実感してしまう。
「そうそう。ウサギなんかの解体と同じ感じでいけるはずだから、まずは足から全身の皮を剝いでみよう」
指示を出す麗華は芽愛の肩に顎を乗せていた。耳に当たる暖かい吐息とミントのような良い匂いで落ち着かない。
麗華は両腕とも長い布で縛って吊っている。とりあえず脱臼の応急処置だけ済ませたが、料理はとてもできないので代わりに芽愛がこなすことになった。
芽愛は料理があまり得意ではない。仕事柄で細かい手先の仕事には慣れているが、子供の頃から家で料理をする文化がなかった。今でも食事は外食や出来あいの総菜で済ませることが多く、包丁を握ってキッチンに立つのは一人暮らし初日以来だ。
「皮は力尽くで引き剥がすんじゃなくて、ナイフを入れてちょっとずつ確実に、ただ内臓を破かないように。肛門あたりから刃を入れてもいいかもね」
早くもグロッキーな芽愛とは対照的に、アドバイスを出す麗華の声は弾んでいる。
芽愛より麗華の方がよほどメルリンと親しかったはずだが、麗華は一人でメルリンの翼を外して食べるところまでもう済ませているのだ。死体の調理に慣れる段階はそこで済ませたのか、それとも麗華は友人の調理を躊躇わない性質なのか。たぶん後者のような気がした。
だって普通はまずそんなことを思い付かないからだ。もし思い付いたとしても実行せずに思い留まる。
麗華は多分そういう一歩を踏み越えてしまうことに抵抗がないタイプ。それは少し恐ろしい気もするが、いざというとき頼りになると考えるべきなのかもしれない。「交際相手はなるべく良いところを探した方がいい」と既婚の先輩が言っていたことを思い出す。
そういえば「最初の共同作業はずっと思い出に残る」とも言っていた。それが死体の調理で良いのかと言われると良くはないが。
「麗華、ひょっとしてこれをケーキ入刀みたいなものだと思ってない?」
「面白い喩えだね、まさしく言う通りだ。忘れたくても絶対に忘れられないイニシエーション、二人が仲を深める思い出のイベントとしては申し分ない」
「うん、この作業であなたのそういうところがよくわかってきたしね」
「私のこういうところをどう思う?」
「嫌いじゃないから困るんだけど」
「ほらほら、もっとはっきり言わないと伝わらないよ」
「好きだから困らないんだけど!」
「ふふふ」
皮を掴んで引っ張ると綺麗に剥がれ、妖精はいよいよ全身赤い肉に変わった。
顔まですっかり剥がれた肉塊、赤い屍に埋まったモノクロの目玉がこちらを見つめていて、反射的に目を反らすと今度は皮の方と目が合ってしまう。皮には目玉が付いていないから、正確に言えば落ち窪んだ眼窩だが。
こちらはこちらでふわふわした見た目は愛らしいぬいぐるみのように見えなくもないが、しかしいまや肉も皮も解体された死肉に過ぎない。
「うん、やっぱり劣化は全然ないね、これも妖精の性質なのかな。胴体のお肉は二つに分けてからオーブン焼きにして、残りは頭も目玉も内臓もまとめて煮込んじゃおう。柔らかいし三十分くらいで十分だと思うよ」
麗華の指示に従い、胴体は真ん中で半分にしてハーブやスパイスを擦り込んでからオーブンへ。取り外した内臓や目玉はまとめて鍋に放り込む。セロリにクローブに刻んだ人参、芽愛にはよくわからない香草なんかを色々と入れ、コンソメを加えたソース缶と一緒に煮込み始める。
オーブンと鍋に火を入れている間に酢を効かせたソースも作る。余った人参とブロッコリーはレンジで蒸して付け合わせに、皮は食べられないので若干の罪悪感と共にゴミ箱の底に横たえた。
ここまで進むと忌避感も薄れてきた。色々な作業をテンポよくこなす方に注意を取られるし、死体も原型からはだいぶ遠くなってくるからだ。つくづく慣れというのは恐ろしい。
あとはアクを取り除きながら完成を待つだけ。芽愛は鍋の前でお玉を構え、麗華はキッチンに持ち込んだ椅子の上。
「今更だけど、こんなの他の人には絶対言えないね」
「もちろん。特に黒壱氏にはね。妖精と人間が共存する魔法の国ではきっとカニバリズムそのものだろうし」
「アルニアではこの方法が発見されなかったのも納得かも」
「私はアルニアで妖精を食った人もいなくはなかったんじゃないかと思っているけれどもね。この世界でも歴史上に食人の記録はいくつもあるのだし。ただアルニアだと人間が妖精を食べて『妖精の魔法』を発動したところで、それに気付く機会があまりないんじゃないかな」
「表で言えないから?」
「それもあるけれど、妖精がそこら中にいるアルニアではそもそも『妖精の魔法』が誰由来かはっきりわからないだろうから。私たちのプランは世界に発動者が二人しかいないから使えるんだ」
オーブンのタイマーが鳴り、最後の盛り付けと配膳を始める。煮込みはそのまま深い皿へ移し、オーブン焼きには野菜とソースを添える。ナイフとフォークを並べて飲み物はグラスに葡萄ジュース。
テーブルの角で麗華と斜めに向かい合うように座る。ようやく一息吐いて食卓を見下ろすと、我ながらなかなか鮮やかなテーブルだ。
中央にはしっかりとしたお肉、周りを彩るスープや飲み物が色彩的にも幾何学的にも全体のバランスを保っている。こんな料理一式を二人で作れたという達成感が早くも罪悪感を押しのけていく。
いっそただの殺害であれば。生きた身体へと包丁を乱暴に突き刺すだけならば雄叫び一つでやれてしまうのかもしれない。
しかし調理となると話は別で、一時の勢いには頼れない。完成から逆算した手順を一つ一つ遂行していかなければならないからだ。本能的な狂気に勝る文化的な正気、これによって死体を調理するという冒涜。人類史において殺人より食人の方が重いタブーとして忌み嫌われてきた理由をつくづく実感する。
それに今から食べるのは見知らぬ死体ではない。見た目は小動物でも魔法少女たちの大切な仲間、そして黒壱にとっては生涯の友。メルリン自身も高潔な魂を持つ善人であり、子供の未来を守るためにその身を捧げた。その自己犠牲の末路が食材扱いとは皮肉というには悲惨すぎる。
愛らしい小動物を切る忌避感と、知性を持つ生物を捌く嫌悪感と、親しみのある知人を食べる背徳感。全てがごちゃ交ぜになって芽愛の視界をぐらぐら揺らす。しかしそれでも指先が精密に動くのは確かに努力と訓練の成果だった。
まずは手足を一周切った。白い皮膚の下からピンクの肉が顔を出す。
一度それが世に晒されてしまった以上、もう決して引き返せないのだと唾を飲む。魔法少女の世界には本来有り得ない血肉の色、見てはいけない舞台裏。魔法の国を生きるマスコット妖精が今は食糧としてまな板の上に転がっていることを改めて実感してしまう。
「そうそう。ウサギなんかの解体と同じ感じでいけるはずだから、まずは足から全身の皮を剝いでみよう」
指示を出す麗華は芽愛の肩に顎を乗せていた。耳に当たる暖かい吐息とミントのような良い匂いで落ち着かない。
麗華は両腕とも長い布で縛って吊っている。とりあえず脱臼の応急処置だけ済ませたが、料理はとてもできないので代わりに芽愛がこなすことになった。
芽愛は料理があまり得意ではない。仕事柄で細かい手先の仕事には慣れているが、子供の頃から家で料理をする文化がなかった。今でも食事は外食や出来あいの総菜で済ませることが多く、包丁を握ってキッチンに立つのは一人暮らし初日以来だ。
「皮は力尽くで引き剥がすんじゃなくて、ナイフを入れてちょっとずつ確実に、ただ内臓を破かないように。肛門あたりから刃を入れてもいいかもね」
早くもグロッキーな芽愛とは対照的に、アドバイスを出す麗華の声は弾んでいる。
芽愛より麗華の方がよほどメルリンと親しかったはずだが、麗華は一人でメルリンの翼を外して食べるところまでもう済ませているのだ。死体の調理に慣れる段階はそこで済ませたのか、それとも麗華は友人の調理を躊躇わない性質なのか。たぶん後者のような気がした。
だって普通はまずそんなことを思い付かないからだ。もし思い付いたとしても実行せずに思い留まる。
麗華は多分そういう一歩を踏み越えてしまうことに抵抗がないタイプ。それは少し恐ろしい気もするが、いざというとき頼りになると考えるべきなのかもしれない。「交際相手はなるべく良いところを探した方がいい」と既婚の先輩が言っていたことを思い出す。
そういえば「最初の共同作業はずっと思い出に残る」とも言っていた。それが死体の調理で良いのかと言われると良くはないが。
「麗華、ひょっとしてこれをケーキ入刀みたいなものだと思ってない?」
「面白い喩えだね、まさしく言う通りだ。忘れたくても絶対に忘れられないイニシエーション、二人が仲を深める思い出のイベントとしては申し分ない」
「うん、この作業であなたのそういうところがよくわかってきたしね」
「私のこういうところをどう思う?」
「嫌いじゃないから困るんだけど」
「ほらほら、もっとはっきり言わないと伝わらないよ」
「好きだから困らないんだけど!」
「ふふふ」
皮を掴んで引っ張ると綺麗に剥がれ、妖精はいよいよ全身赤い肉に変わった。
顔まですっかり剥がれた肉塊、赤い屍に埋まったモノクロの目玉がこちらを見つめていて、反射的に目を反らすと今度は皮の方と目が合ってしまう。皮には目玉が付いていないから、正確に言えば落ち窪んだ眼窩だが。
こちらはこちらでふわふわした見た目は愛らしいぬいぐるみのように見えなくもないが、しかしいまや肉も皮も解体された死肉に過ぎない。
「うん、やっぱり劣化は全然ないね、これも妖精の性質なのかな。胴体のお肉は二つに分けてからオーブン焼きにして、残りは頭も目玉も内臓もまとめて煮込んじゃおう。柔らかいし三十分くらいで十分だと思うよ」
麗華の指示に従い、胴体は真ん中で半分にしてハーブやスパイスを擦り込んでからオーブンへ。取り外した内臓や目玉はまとめて鍋に放り込む。セロリにクローブに刻んだ人参、芽愛にはよくわからない香草なんかを色々と入れ、コンソメを加えたソース缶と一緒に煮込み始める。
オーブンと鍋に火を入れている間に酢を効かせたソースも作る。余った人参とブロッコリーはレンジで蒸して付け合わせに、皮は食べられないので若干の罪悪感と共にゴミ箱の底に横たえた。
ここまで進むと忌避感も薄れてきた。色々な作業をテンポよくこなす方に注意を取られるし、死体も原型からはだいぶ遠くなってくるからだ。つくづく慣れというのは恐ろしい。
あとはアクを取り除きながら完成を待つだけ。芽愛は鍋の前でお玉を構え、麗華はキッチンに持ち込んだ椅子の上。
「今更だけど、こんなの他の人には絶対言えないね」
「もちろん。特に黒壱氏にはね。妖精と人間が共存する魔法の国ではきっとカニバリズムそのものだろうし」
「アルニアではこの方法が発見されなかったのも納得かも」
「私はアルニアで妖精を食った人もいなくはなかったんじゃないかと思っているけれどもね。この世界でも歴史上に食人の記録はいくつもあるのだし。ただアルニアだと人間が妖精を食べて『妖精の魔法』を発動したところで、それに気付く機会があまりないんじゃないかな」
「表で言えないから?」
「それもあるけれど、妖精がそこら中にいるアルニアではそもそも『妖精の魔法』が誰由来かはっきりわからないだろうから。私たちのプランは世界に発動者が二人しかいないから使えるんだ」
オーブンのタイマーが鳴り、最後の盛り付けと配膳を始める。煮込みはそのまま深い皿へ移し、オーブン焼きには野菜とソースを添える。ナイフとフォークを並べて飲み物はグラスに葡萄ジュース。
テーブルの角で麗華と斜めに向かい合うように座る。ようやく一息吐いて食卓を見下ろすと、我ながらなかなか鮮やかなテーブルだ。
中央にはしっかりとしたお肉、周りを彩るスープや飲み物が色彩的にも幾何学的にも全体のバランスを保っている。こんな料理一式を二人で作れたという達成感が早くも罪悪感を押しのけていく。
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