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第15章 世界の有機構成
第80話:世界の有機構成・1
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薄暗いゲームセンターは街中のダンジョンだ。
朝の爽やかな夏風が店内に吹き込んだ途端、充満した煙草の煙を吸ってどろりとした粘液と化す。濃厚に停滞した瘴気が扇風機の羽を絡め取ってギチギチと音を立てる。
誰も交換しない灰皿には山のような灰が、誰も掃除しないフロアには埃やら虫の死骸やら髪の毛やらが積もる。ねっとりした風が粉塵を力なく捲き上げてはゆっくりと落ちる。この世で最も不毛な往復運動。
限りなく不毛なのはここに集まる人間たちも同じだ。
不良学生、無職ニート、リストラ寸前のサラリーマン。
ボロボロの椅子に座る男たちは年齢も出身も容姿もまちまちだが、ブラウン管の滲んだ画面を見つめる淀んでぎょろぎょろした目玉だけはお揃いだ。頭を振ったり独り言を呟いたりしつつ、手元だけは昆虫のように正確な動作でボタンを叩く。ゴーレムに自機を撃墜された金髪の学生が絶叫するが、気にする者は誰もいない。
そんな店内で異様なエネルギーに満ちた場所が一つだけある。それは入って最奥の通路をグッと左に曲がった先にある格闘ゲーム対戦台だ。
そこには店内で唯一、筺体間を有線接続された対戦台があった。つまり、人と人が戦う場所があった。
この黄ばんだ対戦台こそが、暗い店内で抑えつけられ蓄積したエネルギーが噴出する海底活火山なのだ。レバーを弾いてボタンを叩くカチャカチャ音によく耳を澄ませば、この場所にだけは対戦者同士がシンクロするコミュニケーションがあった。
いま対戦台の手前側に座っているのはこの店のチャンピオンだ。三十代前半のこの男は一歩外に出れば月給十万少しの薄給労働者だが、このゲームセンターの中では無敵の王者だった。店舗大会のたびに優勝をかっさらい、この狭い世界で彼の牙城を脅かすものは誰もいない、はずだった。
チャンピオンは必死の形相でボタンを叩いていた。歯を食い縛って頭を抱え、震える手で積んだコインを投入し続ける。負けた側がコインを投入するのは当然のルールだ。僅かな給料からパンの耳を齧って捻出したお金が次々に吸い込まれていく。もう来月のための家賃も食費も全て入れてしまったが、彼は絶対に止まれない。格闘ゲームで勝てなければ何者でもなくなってしまうから。
今から一時間前、ふらりと現れた誰かが奥側に座ってチャンピオンに乱入してきた。チャンピオンは県全域に顔が効く有名人だし、知り合いなら乱入する前に一声くらいはかける。無防備に乱入してくるのはもぐりかルーキーくらいのものだ。彼はそう決めつけ、いつも通り哀れな乱入者をボコボコにしようと指を鳴らした。
そして実際、チャンピオンと挑戦者の戦いは勝負にならなかった。
挑戦者は技を三つしか使わなかった。発生が遅い代わりにリーチの長い飛び道具、リーチが短い代わりに発生が早い差し技、後隙が長い代わりに判定が強い無敵技。
その三つだけでチャンピオンの全てを悉く封殺した。絶妙な位置に置かれる飛び道具はチャンピオンの足回りを縛り、その隙を狙って動けば牽制が突き刺さる。ならばと強引に攻めようとすれば無敵技で弾かれる。どこまでもその三つだけでコツコツと削ってくる。
いや、正確に言えば挑戦者が使う技は四つだ。何故なら、勝利したときには挑発ボタンを欠かさなかったから。
チャンピオンが最後のコインを投入したラストゲームはパーフェクトで終了し、決めの勝ち挑発でチャンピオンのプライドとアイデンティティは砕け散った。
チャンピオンは灰皿を握って立ち上がる。中身の灰と吸殻が全て床に零れる。
その様子を目にしても周りの客は全く動かない。このゲーセンでは殴り合いくらいは日常茶飯事だ。それも込みで勝負なのだから、殴られたくなければ適度に手を抜くか身体を鍛えるかすればいい。まして挑発など自業自得。チャンピオンとて、勝ち続けていれば殴ったり殴られたりしたことは二度や三度ではない。
「喧嘩でも歓迎するぜ。どっちでも同じようなもんだ」
対戦台の裏で長い足を組んでいたのは一人の制服少女だった。薄暗い店内で顔はよく見えないが、この暗い最奥のスペースで充満する煙が形を取ったような掴みがたい存在感を放っている。
予想外の人種にチャンピオンは一瞬面食らったが、少女はこれ見よがしに挑発ボタンを押した。
「ほらかかって来いよ、雑魚」
そして座ったまま立てた中指をくいと動かす。それはさっきまで使っていたキャラの独特な挑発モーションと同じ動きだった。
激昂したチャンピオンは殴りかかろうと遂に腕を上げる。ゲーセンの流儀に男も女もない。舐められたら叩きのめす、それだけだ。
そこでぴたりと動きが止まる。その姿が既に意識を失っているとギャラリーが気付いたのは、彼が地面に倒れてからだった。しかし少女の足先がチャンピオンの顎先を蹴り飛ばしたのだと気付く者はいない。
床からゴミだらけの埃が舞い上がってチャンピオンの身体を彩る。ベンチから立ち上がった少女は倒れたチャンピオンを躊躇なく踏みつけた。
「お前は弱いが、最後まで必死なことだけは良かったよ。勝てないと見るや手を抜き始めるカスも結構いる。それに比べればお前はまだ伸びしろがある。あと百倍強くなったらリベンジしてきてもいい」
口では賞賛しつつ、背中をぐりぐりと爪先で踏みにじる。更には頭をローファーで軽く小突いてから、ようやく背中を降りて店の外に出た。
明るい光が一気に目に飛び込んできて彼方は目を細める。洞窟の店内を抜ければ外には朝の日差しが注いでいる。昼も夜もない魔境は割れガラスを一枚隔てた向こう側にしかない。
ゲームセンターの前には彼方と同じ制服を着た少女が一人で民家の塀によりかかっていた。髪を短く一つに束ね、僅かに日焼けした健康的な姿が彼方に手を振って笑う。
「せんせー、朝からまたケンカ?」
「相手が弱すぎて喧嘩にもならない。チュートリアル以下だ」
「せんせーってばめちゃめちゃ強いもんね。何か格闘技とかやってたんだっけ?」
「格闘ゲームを少し」
気さくに話しかけてくるレイに軽く手を挙げ、学生鞄を肩越しに担いで歩き出す。
「先生」というのは前に軽く勉強を教えてやったときに付いたあだ名で、間違ってもレイが生徒で彼方が教師という意味ではない。だってレイと彼方は同じ高校に通っている同級生なのだから。
ゲームセンターを一歩出れば街は平和そのものだ。薄汚い猫がやけに気取った動きで塀の上を歩き、電柱に上った作業員が何かをカンカンと叩いている。その隣では名前もわからない鳥がリズミカルに鳴いて何もない朝を祝福していた。土管の積まれた空き地ではぶかぶかの帽子を被った小さな子供が走り回っている。
「店の前でわざわざ待ってたのか?」
「今日はせんせーがいそうな気がしたからね、なんとなく。第六感ってやつ?」
「中を覗いても良かったのに」
「ええ、だって怖いし。あんなの入っていけるのせんせーだけだよ」
「確かに治安はあまり良くないが、待ってるのも暇だろ」
「別に。暇潰ししてたらこんなのもできるようになったよ」
レイがポケットから取り出した単語帳を宙に放り投げた。続けてペン、消しゴム、十円玉。
その四つを歩きながら軽々とジャグリングしてみせる。形も大きさも違うものでもそれができるというのは確かにちょっとしたものだ。
彼方が軽く拍手を送るとレイはそのままポイポイと小物を投げ渡してきた。彼方も真似てくるくる三回ほど回してからレイに返した。
「本当にせんせーは何でも出来るね」
「一度見れば大抵のことはできる。そんなことより今日は二人とは一緒じゃないのか? 三人いれば退屈もしなかっただろうに」
「家は一緒に出たけど、私だけ遠回りしてきたんだ。先生と二人になるチャンスだからね」
前を行くレイがくるりと振り返って笑う。ポニーテールが揺れ、健康的な肢体が太陽に照らされて光る。
が、その表情はすぐにコミカルに歪んだ。彼方の後ろからニースが追い付いてきたからだ。
「いるけど? せんせい」
後ろから追い付いてきた次女のニースが彼方の腕を握ってにやっと笑う。むっと頬を膨らませたレイが対抗して指を絡める。
「おはようございます、先生」
三女のパリラも呆れたように隣に並んでくる。左右をレイとニースに取り付かれ、パリラに先導されて学校に向かう。
入学以来、色々あってこの三姉妹には妙に懐かれてしまった。結局、いつも通りにそのまま塊のようになってずるずると登校することになる。
「先生、また色々聞いてもいい?」
「構わないが、私が嘘を吐かない保証はできない。言えないことはある」
「ちょっと何か聞くだけでそんな前置きするのせんせーだけだよ。えっとね」
「ある偏屈な教師が月曜日から金曜日のどこかで抜き打ちテストをすると生徒に予告し……」
「月曜から金曜までいつでもやっていい。嘘と予見不可能性の混同が問題の本質だ」
質問を言い終わるよりも早い彼方の答えに満足気にニースが頷く。
訳の分からないやり取りに先を越されたレイが頬を膨らませ、お返しとばかりに五桁の計算問題を矢継ぎ早に繰り出してくる。彼方は全てに即答するが、レイ自身に答えが分かっているかどうかは怪しい。
不毛な問答を数問も繰り返した頃には、四人は坂の上にある大きな学園に着いていた。潜る門は石を積んで出来た伝統あるアーチ状のもの、ではなく、単に金属がところどころ錆びた引き戸の門扉だ。下駄箱を抜けて階段を上がり、三姉妹とは廊下で分かれて二年四組の教室に入った。
始業前の教室は独特の喧騒に満ちている。色々な場所で色々なことが話されているはずなのに、注意して耳を傾けなければ何かランダムな単語の列のようにしか聞こえない。シグナルとノイズが重なり合っているのではなく、それらは同じことの両面なのだ。
学校という空間では新規性と惰性が両立している。毎日同じことが繰り返されているようでいて、毎日僅かに異なることが営まれている。同じ知識を復唱して覚え込みながら、知らない授業を受けて新しい知識を付けている。
始業前の自由時間を一秒も無駄にするまいとマシンガンのように話し続ける生徒たちは昨日と同じ話をしているのか、それとも違う話のつもりなのか。昨日はケーキ屋に乗っていた苺が甘かった話は、今日は文房具屋で買ったボールペンの発色が甘い話になっているとして。
アンビバレントな喧噪を聞き流し、彼方は黙って教室の最奥にある自分の席に着いた。
何となく窓の外でも見ようとして、嫌でも隣にいるクラスメイトが目に入る。それは単に物理的に彼方と窓の間にいるからというだけではない。
「……」
隣に座る生徒の異様なカリスマが、彼方の視界に対して存在の看過を許さないのだ。
朝の爽やかな夏風が店内に吹き込んだ途端、充満した煙草の煙を吸ってどろりとした粘液と化す。濃厚に停滞した瘴気が扇風機の羽を絡め取ってギチギチと音を立てる。
誰も交換しない灰皿には山のような灰が、誰も掃除しないフロアには埃やら虫の死骸やら髪の毛やらが積もる。ねっとりした風が粉塵を力なく捲き上げてはゆっくりと落ちる。この世で最も不毛な往復運動。
限りなく不毛なのはここに集まる人間たちも同じだ。
不良学生、無職ニート、リストラ寸前のサラリーマン。
ボロボロの椅子に座る男たちは年齢も出身も容姿もまちまちだが、ブラウン管の滲んだ画面を見つめる淀んでぎょろぎょろした目玉だけはお揃いだ。頭を振ったり独り言を呟いたりしつつ、手元だけは昆虫のように正確な動作でボタンを叩く。ゴーレムに自機を撃墜された金髪の学生が絶叫するが、気にする者は誰もいない。
そんな店内で異様なエネルギーに満ちた場所が一つだけある。それは入って最奥の通路をグッと左に曲がった先にある格闘ゲーム対戦台だ。
そこには店内で唯一、筺体間を有線接続された対戦台があった。つまり、人と人が戦う場所があった。
この黄ばんだ対戦台こそが、暗い店内で抑えつけられ蓄積したエネルギーが噴出する海底活火山なのだ。レバーを弾いてボタンを叩くカチャカチャ音によく耳を澄ませば、この場所にだけは対戦者同士がシンクロするコミュニケーションがあった。
いま対戦台の手前側に座っているのはこの店のチャンピオンだ。三十代前半のこの男は一歩外に出れば月給十万少しの薄給労働者だが、このゲームセンターの中では無敵の王者だった。店舗大会のたびに優勝をかっさらい、この狭い世界で彼の牙城を脅かすものは誰もいない、はずだった。
チャンピオンは必死の形相でボタンを叩いていた。歯を食い縛って頭を抱え、震える手で積んだコインを投入し続ける。負けた側がコインを投入するのは当然のルールだ。僅かな給料からパンの耳を齧って捻出したお金が次々に吸い込まれていく。もう来月のための家賃も食費も全て入れてしまったが、彼は絶対に止まれない。格闘ゲームで勝てなければ何者でもなくなってしまうから。
今から一時間前、ふらりと現れた誰かが奥側に座ってチャンピオンに乱入してきた。チャンピオンは県全域に顔が効く有名人だし、知り合いなら乱入する前に一声くらいはかける。無防備に乱入してくるのはもぐりかルーキーくらいのものだ。彼はそう決めつけ、いつも通り哀れな乱入者をボコボコにしようと指を鳴らした。
そして実際、チャンピオンと挑戦者の戦いは勝負にならなかった。
挑戦者は技を三つしか使わなかった。発生が遅い代わりにリーチの長い飛び道具、リーチが短い代わりに発生が早い差し技、後隙が長い代わりに判定が強い無敵技。
その三つだけでチャンピオンの全てを悉く封殺した。絶妙な位置に置かれる飛び道具はチャンピオンの足回りを縛り、その隙を狙って動けば牽制が突き刺さる。ならばと強引に攻めようとすれば無敵技で弾かれる。どこまでもその三つだけでコツコツと削ってくる。
いや、正確に言えば挑戦者が使う技は四つだ。何故なら、勝利したときには挑発ボタンを欠かさなかったから。
チャンピオンが最後のコインを投入したラストゲームはパーフェクトで終了し、決めの勝ち挑発でチャンピオンのプライドとアイデンティティは砕け散った。
チャンピオンは灰皿を握って立ち上がる。中身の灰と吸殻が全て床に零れる。
その様子を目にしても周りの客は全く動かない。このゲーセンでは殴り合いくらいは日常茶飯事だ。それも込みで勝負なのだから、殴られたくなければ適度に手を抜くか身体を鍛えるかすればいい。まして挑発など自業自得。チャンピオンとて、勝ち続けていれば殴ったり殴られたりしたことは二度や三度ではない。
「喧嘩でも歓迎するぜ。どっちでも同じようなもんだ」
対戦台の裏で長い足を組んでいたのは一人の制服少女だった。薄暗い店内で顔はよく見えないが、この暗い最奥のスペースで充満する煙が形を取ったような掴みがたい存在感を放っている。
予想外の人種にチャンピオンは一瞬面食らったが、少女はこれ見よがしに挑発ボタンを押した。
「ほらかかって来いよ、雑魚」
そして座ったまま立てた中指をくいと動かす。それはさっきまで使っていたキャラの独特な挑発モーションと同じ動きだった。
激昂したチャンピオンは殴りかかろうと遂に腕を上げる。ゲーセンの流儀に男も女もない。舐められたら叩きのめす、それだけだ。
そこでぴたりと動きが止まる。その姿が既に意識を失っているとギャラリーが気付いたのは、彼が地面に倒れてからだった。しかし少女の足先がチャンピオンの顎先を蹴り飛ばしたのだと気付く者はいない。
床からゴミだらけの埃が舞い上がってチャンピオンの身体を彩る。ベンチから立ち上がった少女は倒れたチャンピオンを躊躇なく踏みつけた。
「お前は弱いが、最後まで必死なことだけは良かったよ。勝てないと見るや手を抜き始めるカスも結構いる。それに比べればお前はまだ伸びしろがある。あと百倍強くなったらリベンジしてきてもいい」
口では賞賛しつつ、背中をぐりぐりと爪先で踏みにじる。更には頭をローファーで軽く小突いてから、ようやく背中を降りて店の外に出た。
明るい光が一気に目に飛び込んできて彼方は目を細める。洞窟の店内を抜ければ外には朝の日差しが注いでいる。昼も夜もない魔境は割れガラスを一枚隔てた向こう側にしかない。
ゲームセンターの前には彼方と同じ制服を着た少女が一人で民家の塀によりかかっていた。髪を短く一つに束ね、僅かに日焼けした健康的な姿が彼方に手を振って笑う。
「せんせー、朝からまたケンカ?」
「相手が弱すぎて喧嘩にもならない。チュートリアル以下だ」
「せんせーってばめちゃめちゃ強いもんね。何か格闘技とかやってたんだっけ?」
「格闘ゲームを少し」
気さくに話しかけてくるレイに軽く手を挙げ、学生鞄を肩越しに担いで歩き出す。
「先生」というのは前に軽く勉強を教えてやったときに付いたあだ名で、間違ってもレイが生徒で彼方が教師という意味ではない。だってレイと彼方は同じ高校に通っている同級生なのだから。
ゲームセンターを一歩出れば街は平和そのものだ。薄汚い猫がやけに気取った動きで塀の上を歩き、電柱に上った作業員が何かをカンカンと叩いている。その隣では名前もわからない鳥がリズミカルに鳴いて何もない朝を祝福していた。土管の積まれた空き地ではぶかぶかの帽子を被った小さな子供が走り回っている。
「店の前でわざわざ待ってたのか?」
「今日はせんせーがいそうな気がしたからね、なんとなく。第六感ってやつ?」
「中を覗いても良かったのに」
「ええ、だって怖いし。あんなの入っていけるのせんせーだけだよ」
「確かに治安はあまり良くないが、待ってるのも暇だろ」
「別に。暇潰ししてたらこんなのもできるようになったよ」
レイがポケットから取り出した単語帳を宙に放り投げた。続けてペン、消しゴム、十円玉。
その四つを歩きながら軽々とジャグリングしてみせる。形も大きさも違うものでもそれができるというのは確かにちょっとしたものだ。
彼方が軽く拍手を送るとレイはそのままポイポイと小物を投げ渡してきた。彼方も真似てくるくる三回ほど回してからレイに返した。
「本当にせんせーは何でも出来るね」
「一度見れば大抵のことはできる。そんなことより今日は二人とは一緒じゃないのか? 三人いれば退屈もしなかっただろうに」
「家は一緒に出たけど、私だけ遠回りしてきたんだ。先生と二人になるチャンスだからね」
前を行くレイがくるりと振り返って笑う。ポニーテールが揺れ、健康的な肢体が太陽に照らされて光る。
が、その表情はすぐにコミカルに歪んだ。彼方の後ろからニースが追い付いてきたからだ。
「いるけど? せんせい」
後ろから追い付いてきた次女のニースが彼方の腕を握ってにやっと笑う。むっと頬を膨らませたレイが対抗して指を絡める。
「おはようございます、先生」
三女のパリラも呆れたように隣に並んでくる。左右をレイとニースに取り付かれ、パリラに先導されて学校に向かう。
入学以来、色々あってこの三姉妹には妙に懐かれてしまった。結局、いつも通りにそのまま塊のようになってずるずると登校することになる。
「先生、また色々聞いてもいい?」
「構わないが、私が嘘を吐かない保証はできない。言えないことはある」
「ちょっと何か聞くだけでそんな前置きするのせんせーだけだよ。えっとね」
「ある偏屈な教師が月曜日から金曜日のどこかで抜き打ちテストをすると生徒に予告し……」
「月曜から金曜までいつでもやっていい。嘘と予見不可能性の混同が問題の本質だ」
質問を言い終わるよりも早い彼方の答えに満足気にニースが頷く。
訳の分からないやり取りに先を越されたレイが頬を膨らませ、お返しとばかりに五桁の計算問題を矢継ぎ早に繰り出してくる。彼方は全てに即答するが、レイ自身に答えが分かっているかどうかは怪しい。
不毛な問答を数問も繰り返した頃には、四人は坂の上にある大きな学園に着いていた。潜る門は石を積んで出来た伝統あるアーチ状のもの、ではなく、単に金属がところどころ錆びた引き戸の門扉だ。下駄箱を抜けて階段を上がり、三姉妹とは廊下で分かれて二年四組の教室に入った。
始業前の教室は独特の喧騒に満ちている。色々な場所で色々なことが話されているはずなのに、注意して耳を傾けなければ何かランダムな単語の列のようにしか聞こえない。シグナルとノイズが重なり合っているのではなく、それらは同じことの両面なのだ。
学校という空間では新規性と惰性が両立している。毎日同じことが繰り返されているようでいて、毎日僅かに異なることが営まれている。同じ知識を復唱して覚え込みながら、知らない授業を受けて新しい知識を付けている。
始業前の自由時間を一秒も無駄にするまいとマシンガンのように話し続ける生徒たちは昨日と同じ話をしているのか、それとも違う話のつもりなのか。昨日はケーキ屋に乗っていた苺が甘かった話は、今日は文房具屋で買ったボールペンの発色が甘い話になっているとして。
アンビバレントな喧噪を聞き流し、彼方は黙って教室の最奥にある自分の席に着いた。
何となく窓の外でも見ようとして、嫌でも隣にいるクラスメイトが目に入る。それは単に物理的に彼方と窓の間にいるからというだけではない。
「……」
隣に座る生徒の異様なカリスマが、彼方の視界に対して存在の看過を許さないのだ。
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最強ゲーマー女子高生による終末系百合ライトノベル。#毎日19時更新 #完結保証 #全話AI挿絵付き #ゲーマゲ
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