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第14章 別に発狂してない宇宙
第79話:別に発狂してない宇宙・6
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青い空がみるみる暗くなっていく。
天から降るのは蛆虫の雪だ。地面が大きな傷口になったように、蛆虫がそこら中の芝生の上でもぞもぞと動き回る。
隣でからくり人形がカシャンと音を立てて倒れた。大量の蛆が繊細な歯車に絡まって動けなくなったのだ。蛆虫が歯車に巻き込まれてひき潰されている様子はからくりに寄生しているかのようだ。
「不条理と終わりは私のテリトリーだからね。蛆は蛆屋」
蛆虫に混じって、空からふんわり降りてきた灰火が二人を見下ろした。灰火は久しぶりに元の人間サイズをしていた。
しかし背中には妖精モードの蚊の翅を生やしたままだ。宙を舞う大量の蛆虫が光を遮って暗くなる世界の中、白い灰火の身体は発光しているように見えた。その姿はまるで地上に降り立った天使のようで彼方は目を擦る。
「お前にとってはこんな事態でさえも動揺に値しないんだろうな」
「まーね、意志も目的もない蛆虫はいつでもどこでも何となく蠢いてるだけ。ペンローズの無限階段の上でも全然気にしないしね。世界の不条理が明らかになったところで、そんな蛆虫の私から君たちに終わりのオファーをしたいんだ」
「オファーだと?」
「そ。君たちさえ合意するなら、私の蛆刺しが君たちを全部食べてあげるよ。どーせもーやることないんだし、それでこの話は終わりでいーんじゃないかな。皆で蛆虫の群れになろーぜ。蛆虫になった登場人物たちは皆揃って仲良く蠢き続けました。うぞうぞうぞうぞ……って感じでさ、残りのストーリーは全部擬音で済ませよう」
浮遊する灰火が両手を広げてにっこりと笑う。仰向けのまま彼方は灰火を見上げる。この怪人が少し年上の美しい少女であるということに彼方は今初めて気付いた。
「確かにそれでもいいかもしれない」
「話が早いね、今まで散々突っ張ってた割には」
「今まで私はお前のことを人間の条件を満たさない存在だと思って忌避していたが、私が一人の人間として戦う前提が崩れた今、それにこだわる必要がもうない。なんだかんだ私たちは長いこと相棒同士としてよく付き合ってきたさ。そういうルートもあるのかもしれない」
「そーそー、元から右腕と左足かは蛆虫になってるんだし、大して変わらないって」
寝っ転がったまま、灰火が伸ばした手を掴んだ。
ひんやりした白い手は血が通わない虫の身体。皺一つなく不気味なほどに滑らかだ。もう彼方の血を滾らせるものは何もない。際限なく降り積もる蛆虫は横たわった身体も覆い尽くしていく。蛆虫の海に沈んでいくのは思ったより不愉快ではない。蠢いている分だけ高級な羽毛布団のようなものだ。
「で、そっちの神威さんはどーかな。今ならセットで一緒に食べてあげるよ」
灰火が神威にも手を伸ばし、神威は黙ってその手を握った。そして素早く裏返す。
「お断りします」
光る軌跡が一閃し、灰火の手首が焼け落ちる。
神威の手には虹色の刀が握られていた。刀身は赤く燃え滾り、先端からは白い煙が上がっている。神威は炎刀を振り抜き、灰火の身体を真横に切り裂いた。蛆虫たちが火の粉となって散る。灰火は半身のままで首を傾げた。
「へー、ちょっと意外だな。それって可能性フェチだからじゃないよね」
「大義のために粛清するのではありません。今は私と彼方のためにあなたを燃やします」
「うーん、こーいうときはいつも彼方が勝手に戦ってくれるけど、今はダウンしてるしな。たまには私が頑張るしかないのかな」
「それこそ意外ですね。あなたに戦う選択肢が存在したとは」
「ひょっとして私のことを非戦闘要員枠、いつも後ろに隠れてる儚い美少女ヒロイン枠だと思っていたかな」
「全く思っていませんが……」
蛆の王が羽ばたいた。翅が擦り合わされて耳障りな音が響く。腰の切断面から蛆虫の塊がずるりと生み落とされ、すぐに下半身が再構成される。
「ちなみにだけど私は相当強いよ。物理無敵、無限増殖、精神汚染、前作主人公。どれか一つだけでもラスボス級の設定をいくつも持ってるしね。私の蛆刺しは同意がなければ三秒しか寄生できないけど、逆に言えば同意なしでも三秒くらいは」
神威は灰火の台詞が終わるのを待たなかった。
汎将の変形を挟んで炎刀を腰に構え直し、最速の居合を抜く。指先で鞘を滑らせて腰を切り、目にも止まらぬスピードで刃先を灰火の首元に向かわせる。剣先は巨大な業火で燃えていた。蛆虫の群れは切っただけでは再生されるが、塊を丸ごと焼き尽くせばダメージは見込めるかもしれない。
しかしそれでも灰火の方が早い。炎刀が灰火の首を落とすより、蛆虫の針が神威の両足を刺す方が圧倒的に早いのだ。何せ蛆虫はもうそこら中に転がっていて、神威の足を這い上がっているから。その全てが灰火自身であり、灰火の武器でもある。
「廃人になったらごめんだけど、まー正気の有無は蛆虫には関係ないから」
神威の両足が蛆虫となって崩れ落ち、そして頭に灰火の知覚が流れ込んでくる。そこら中に散らばっている蛆虫、それぞれに異なる数百万匹分の視覚情報が。
彼方でさえ一度に情報を得る蛆虫は千匹程度に絞っていたが、それでも毎回嘔吐しかけるほどのノックバックを受けていた。
灰火が明確な意図を持って汚染すればその量は比較にならない。それこそ図書館の蔵書にも匹敵する莫大な情報量が神威の頭を一気に圧迫する。神威の意識全てを強制的に押し流し、オーバーフローで脳活動を焼き切った。
「アングラ生まれの私が悪役っぽいのは相変わらずだな。君たちの能力はいちいち華やかな虹色だから、虫まみれの私はどうしても映えないね」
灰火は倒れて痙攣する神威を見下ろした。その隣に取り落とした炎刀が転がり、すぐに虹色の卵型に戻った。
蛆刺しによる精神汚染そのものはきっかり三秒だが、そのインパクトはあまりにも大きい。少なくともしばらくは気絶したままか、ひょっとしたらもう二度と目覚めないかもしれない。
灰火は軽く伸びをして周囲を見渡す。空から無限に降り積もる蛆虫が図書館の中へと入り込んでいく。人形が次々に倒れていく。文字通りのバグが外乱に弱すぎる世界を蝕んでいく。
ここからどうするかは全く考えていなかったが、しばらくここで本でも読んでゴロゴロして、飽きたら彼方の終末器を使って次の世界に行ってもいい。
ふと終末器を見下ろしたとき、その隣に虹色の手榴弾が置かれていることに気付いた。ピンは既に抜かれている。
驚く間もなく、手榴弾が起爆した。
「うおっ」
凄まじい爆風と閃光が上向きに放たれ、至近距離にいた灰火は地面の蛆虫ごと大きく吹き飛ばされる。
そして轟音が神威の混濁した意識を覚醒させる。飛び起きた神威は虹色の手榴弾を掴み、即座に炎刀へと変形させる。剣先を地面に突き立てるとまた立て続けに周囲が起爆し、芝生ごと地面の蛆虫を焼き飛ばす。
神威は地面に横たわる彼方に馬乗りになり、胸倉を掴んで引きずり上げる。
「彼方、起きなさい!」
神威は思い切り彼方の頬を殴った。平手打ちではない。固めたグーでブン殴る。
鉄拳と硬い頬骨が衝突し、神威の中指が砕けて折れた骨が皮膚から突き出る。彼方も歯が三本も根元から折れた。口の中に鮮血が溢れ出してむせる。
「なんだこのっ」
目を開けた彼方が反射的に殴り返すが、神威はそれを即座に肘で撃ち落とす。そして拳をもう一度振り上げ、骨が折れた手を今度は顔面に叩き込もうとする。
しかし二撃目はギリギリ手の平でキャッチされ、お返しに彼方の強烈な膝蹴りが背中に叩き込まれた。内臓を突き刺す鋭いインパクトが直撃し、腹の底からうめき声を上げる。
「やりましたね……」
神威は両手でトレンチコートの襟元を掴んだ。倒れたままの彼方に向けて渾身の力で顔面を打ち付ける。
硬い額が衝突し、お互いの頭に火花が散った。鼻がぶつかって出血し、二人の唇が触れる。衝撃で彼方が吐いた血が神威の唇を濡らした。唾液の代わりに血液が唇の間を走る。彼方の口を満たす血液が神威の舌へと滴り、ついでに折れた歯を一本舌先で奪い取る。
神威は彼方のトレンチコ―トで唇の血を拭い、肩越しに灰火に向き直った。
「まだやりますか? 灰火さん」
「やられたね。最初から一回は蛆刺しを受けるつもりだったのかな」
「そうです。蛆刺しによる精神汚染は所詮は三秒。気絶する前に時限の起爆を汎将に仕込んでおき、それで私が覚醒できれば彼方を叩き起こせます」
「そーだね、それで正解。バトルモードの彼方が復帰した時点で私の負けだよ。私の戦意だけで蛆虫をフル稼働できるのは彼方がダウンしてる間だけだからね」
「その気になればあなただけでも動けるでしょう。勝つ気なんて最初から無かったのではないですか?」
「私にそーいう概念はないっていつか言わなかったっけ」
ようやく彼方が立ち上がるが、足がふらついて直立もままならない。精神汚染ではなく物理的な衝撃が未だズキズキと頭に響く。血だらけの拳と顔面で地面に膝をつく。
それは神威も同じだった。二人とも、少しどつきあっただけでこれほど消耗していることに自分で驚いた。普段は残りHPもダメージも正確に把握できているはずだが、今はそういうゲーマーの冷静さを欠いている。
つまりこれはゲームではないのだ。冷えた頭で適切に戦力を配分して勝ちを目指す営みではない、かといって殺しでもない。これは二人が初めて経験した喧嘩だった。
つまり後先も考えずにただ今の激情に従って相手を叩きのめそうとする最も原始的なコミュニケーション。
「彼方、終末器を押しましょう」
神威は燃える刀を支えにして辛うじて立ち上がる。
そして三メートルほども刃先を伸ばして地面に巨大な円を描いた。蛆虫と芝生が綺麗に焼き払われ、その中央には終末器があった。
彼方は白い地面に胡坐をかき、血を吐き捨てて応じる。
「押してどうなる? 問題は何も解決していない」
「ええ、確かにまだ解決していないことがあります。この終末器を押したあと、私たちはどこに行くのでしょうか?」
「どこって、ここの一つ上の階層だろう。ここがファンタジスタの世界であることは間違いない。そしてファンタジスタは元現実世界で創造された。よって終末器の行先は私と君がプロゲーマーをやっていた世界だ。同じ世界を二度訪れたところで……」
「その世界はもうあなたが滅ぼしたのでは?」
「あ」
「……」
「……………………確かに」
「私たちの賭けどころはそこです。既に滅ぼした世界に終末器で転移したらどうなるのでしょうか?」
「確かに私は元現実世界を滅ぼした。本来はこの世界で押すべき終末器を誤って元現実世界で押してしまった、それが全ての始まりだった。そこに戻ったときは、何もないか、何かがあるかのどちらかだろうな」
「いずれにせよ、ここにいてもわかりません。あなたが終末器を押さなければ」
「君の言う通りだ」
彼方は身体を起こして終末器に手を乗せる。蛆虫の雪によってこの世界は既に終わりを迎えている。ここには押下を妨害する者はいない。ただ押してしまえばいい。
だが、彼方は初めて押下を恐怖していた。恐ろしいのは未知の世界ではない。未知には新しい敵と可能性が満ち溢れており、それこそを求めて彼方は旅してきたのだから。
本当に恐ろしいのは、全く既知の世界に戻ることだ。一度は滅ぼしたのにも関わらず、全く見知った世界と見知った敵に辿り着くようなことがあれば、今度こそ何もかもが終わる。
震える手に上から神威が手を重ねる。細い指が力強く彼方の手をホールドする。
「しっかりしなさい。ここで賭けに出なければ確実に負ける、賭けに出ればいくらかは勝つかもしれない、今はそういう盤面です。たとえどんなに分の悪い賭けであろうが、動かずに圧殺されるくらいなら絶対に引きにいくのが遊戯者だったはずです」
「その賭けが運否天賦で、見通しが全く立たないとしても」
「だとしてもです。先の見えない賭けも一つの可能性なのですから」
重ねた手が終末器を押した。
創造を逆再生して世界が幕引きを始める。図書館と木が地面へと潜って戻っていく。金属は個々のパーツに分解され、空中に整列する。曖昧な光源が消えて世界が暗くなっていく。
世界が終わり、そして世界を巡る旅も終わる。次に始まるのは?
天から降るのは蛆虫の雪だ。地面が大きな傷口になったように、蛆虫がそこら中の芝生の上でもぞもぞと動き回る。
隣でからくり人形がカシャンと音を立てて倒れた。大量の蛆が繊細な歯車に絡まって動けなくなったのだ。蛆虫が歯車に巻き込まれてひき潰されている様子はからくりに寄生しているかのようだ。
「不条理と終わりは私のテリトリーだからね。蛆は蛆屋」
蛆虫に混じって、空からふんわり降りてきた灰火が二人を見下ろした。灰火は久しぶりに元の人間サイズをしていた。
しかし背中には妖精モードの蚊の翅を生やしたままだ。宙を舞う大量の蛆虫が光を遮って暗くなる世界の中、白い灰火の身体は発光しているように見えた。その姿はまるで地上に降り立った天使のようで彼方は目を擦る。
「お前にとってはこんな事態でさえも動揺に値しないんだろうな」
「まーね、意志も目的もない蛆虫はいつでもどこでも何となく蠢いてるだけ。ペンローズの無限階段の上でも全然気にしないしね。世界の不条理が明らかになったところで、そんな蛆虫の私から君たちに終わりのオファーをしたいんだ」
「オファーだと?」
「そ。君たちさえ合意するなら、私の蛆刺しが君たちを全部食べてあげるよ。どーせもーやることないんだし、それでこの話は終わりでいーんじゃないかな。皆で蛆虫の群れになろーぜ。蛆虫になった登場人物たちは皆揃って仲良く蠢き続けました。うぞうぞうぞうぞ……って感じでさ、残りのストーリーは全部擬音で済ませよう」
浮遊する灰火が両手を広げてにっこりと笑う。仰向けのまま彼方は灰火を見上げる。この怪人が少し年上の美しい少女であるということに彼方は今初めて気付いた。
「確かにそれでもいいかもしれない」
「話が早いね、今まで散々突っ張ってた割には」
「今まで私はお前のことを人間の条件を満たさない存在だと思って忌避していたが、私が一人の人間として戦う前提が崩れた今、それにこだわる必要がもうない。なんだかんだ私たちは長いこと相棒同士としてよく付き合ってきたさ。そういうルートもあるのかもしれない」
「そーそー、元から右腕と左足かは蛆虫になってるんだし、大して変わらないって」
寝っ転がったまま、灰火が伸ばした手を掴んだ。
ひんやりした白い手は血が通わない虫の身体。皺一つなく不気味なほどに滑らかだ。もう彼方の血を滾らせるものは何もない。際限なく降り積もる蛆虫は横たわった身体も覆い尽くしていく。蛆虫の海に沈んでいくのは思ったより不愉快ではない。蠢いている分だけ高級な羽毛布団のようなものだ。
「で、そっちの神威さんはどーかな。今ならセットで一緒に食べてあげるよ」
灰火が神威にも手を伸ばし、神威は黙ってその手を握った。そして素早く裏返す。
「お断りします」
光る軌跡が一閃し、灰火の手首が焼け落ちる。
神威の手には虹色の刀が握られていた。刀身は赤く燃え滾り、先端からは白い煙が上がっている。神威は炎刀を振り抜き、灰火の身体を真横に切り裂いた。蛆虫たちが火の粉となって散る。灰火は半身のままで首を傾げた。
「へー、ちょっと意外だな。それって可能性フェチだからじゃないよね」
「大義のために粛清するのではありません。今は私と彼方のためにあなたを燃やします」
「うーん、こーいうときはいつも彼方が勝手に戦ってくれるけど、今はダウンしてるしな。たまには私が頑張るしかないのかな」
「それこそ意外ですね。あなたに戦う選択肢が存在したとは」
「ひょっとして私のことを非戦闘要員枠、いつも後ろに隠れてる儚い美少女ヒロイン枠だと思っていたかな」
「全く思っていませんが……」
蛆の王が羽ばたいた。翅が擦り合わされて耳障りな音が響く。腰の切断面から蛆虫の塊がずるりと生み落とされ、すぐに下半身が再構成される。
「ちなみにだけど私は相当強いよ。物理無敵、無限増殖、精神汚染、前作主人公。どれか一つだけでもラスボス級の設定をいくつも持ってるしね。私の蛆刺しは同意がなければ三秒しか寄生できないけど、逆に言えば同意なしでも三秒くらいは」
神威は灰火の台詞が終わるのを待たなかった。
汎将の変形を挟んで炎刀を腰に構え直し、最速の居合を抜く。指先で鞘を滑らせて腰を切り、目にも止まらぬスピードで刃先を灰火の首元に向かわせる。剣先は巨大な業火で燃えていた。蛆虫の群れは切っただけでは再生されるが、塊を丸ごと焼き尽くせばダメージは見込めるかもしれない。
しかしそれでも灰火の方が早い。炎刀が灰火の首を落とすより、蛆虫の針が神威の両足を刺す方が圧倒的に早いのだ。何せ蛆虫はもうそこら中に転がっていて、神威の足を這い上がっているから。その全てが灰火自身であり、灰火の武器でもある。
「廃人になったらごめんだけど、まー正気の有無は蛆虫には関係ないから」
神威の両足が蛆虫となって崩れ落ち、そして頭に灰火の知覚が流れ込んでくる。そこら中に散らばっている蛆虫、それぞれに異なる数百万匹分の視覚情報が。
彼方でさえ一度に情報を得る蛆虫は千匹程度に絞っていたが、それでも毎回嘔吐しかけるほどのノックバックを受けていた。
灰火が明確な意図を持って汚染すればその量は比較にならない。それこそ図書館の蔵書にも匹敵する莫大な情報量が神威の頭を一気に圧迫する。神威の意識全てを強制的に押し流し、オーバーフローで脳活動を焼き切った。
「アングラ生まれの私が悪役っぽいのは相変わらずだな。君たちの能力はいちいち華やかな虹色だから、虫まみれの私はどうしても映えないね」
灰火は倒れて痙攣する神威を見下ろした。その隣に取り落とした炎刀が転がり、すぐに虹色の卵型に戻った。
蛆刺しによる精神汚染そのものはきっかり三秒だが、そのインパクトはあまりにも大きい。少なくともしばらくは気絶したままか、ひょっとしたらもう二度と目覚めないかもしれない。
灰火は軽く伸びをして周囲を見渡す。空から無限に降り積もる蛆虫が図書館の中へと入り込んでいく。人形が次々に倒れていく。文字通りのバグが外乱に弱すぎる世界を蝕んでいく。
ここからどうするかは全く考えていなかったが、しばらくここで本でも読んでゴロゴロして、飽きたら彼方の終末器を使って次の世界に行ってもいい。
ふと終末器を見下ろしたとき、その隣に虹色の手榴弾が置かれていることに気付いた。ピンは既に抜かれている。
驚く間もなく、手榴弾が起爆した。
「うおっ」
凄まじい爆風と閃光が上向きに放たれ、至近距離にいた灰火は地面の蛆虫ごと大きく吹き飛ばされる。
そして轟音が神威の混濁した意識を覚醒させる。飛び起きた神威は虹色の手榴弾を掴み、即座に炎刀へと変形させる。剣先を地面に突き立てるとまた立て続けに周囲が起爆し、芝生ごと地面の蛆虫を焼き飛ばす。
神威は地面に横たわる彼方に馬乗りになり、胸倉を掴んで引きずり上げる。
「彼方、起きなさい!」
神威は思い切り彼方の頬を殴った。平手打ちではない。固めたグーでブン殴る。
鉄拳と硬い頬骨が衝突し、神威の中指が砕けて折れた骨が皮膚から突き出る。彼方も歯が三本も根元から折れた。口の中に鮮血が溢れ出してむせる。
「なんだこのっ」
目を開けた彼方が反射的に殴り返すが、神威はそれを即座に肘で撃ち落とす。そして拳をもう一度振り上げ、骨が折れた手を今度は顔面に叩き込もうとする。
しかし二撃目はギリギリ手の平でキャッチされ、お返しに彼方の強烈な膝蹴りが背中に叩き込まれた。内臓を突き刺す鋭いインパクトが直撃し、腹の底からうめき声を上げる。
「やりましたね……」
神威は両手でトレンチコートの襟元を掴んだ。倒れたままの彼方に向けて渾身の力で顔面を打ち付ける。
硬い額が衝突し、お互いの頭に火花が散った。鼻がぶつかって出血し、二人の唇が触れる。衝撃で彼方が吐いた血が神威の唇を濡らした。唾液の代わりに血液が唇の間を走る。彼方の口を満たす血液が神威の舌へと滴り、ついでに折れた歯を一本舌先で奪い取る。
神威は彼方のトレンチコ―トで唇の血を拭い、肩越しに灰火に向き直った。
「まだやりますか? 灰火さん」
「やられたね。最初から一回は蛆刺しを受けるつもりだったのかな」
「そうです。蛆刺しによる精神汚染は所詮は三秒。気絶する前に時限の起爆を汎将に仕込んでおき、それで私が覚醒できれば彼方を叩き起こせます」
「そーだね、それで正解。バトルモードの彼方が復帰した時点で私の負けだよ。私の戦意だけで蛆虫をフル稼働できるのは彼方がダウンしてる間だけだからね」
「その気になればあなただけでも動けるでしょう。勝つ気なんて最初から無かったのではないですか?」
「私にそーいう概念はないっていつか言わなかったっけ」
ようやく彼方が立ち上がるが、足がふらついて直立もままならない。精神汚染ではなく物理的な衝撃が未だズキズキと頭に響く。血だらけの拳と顔面で地面に膝をつく。
それは神威も同じだった。二人とも、少しどつきあっただけでこれほど消耗していることに自分で驚いた。普段は残りHPもダメージも正確に把握できているはずだが、今はそういうゲーマーの冷静さを欠いている。
つまりこれはゲームではないのだ。冷えた頭で適切に戦力を配分して勝ちを目指す営みではない、かといって殺しでもない。これは二人が初めて経験した喧嘩だった。
つまり後先も考えずにただ今の激情に従って相手を叩きのめそうとする最も原始的なコミュニケーション。
「彼方、終末器を押しましょう」
神威は燃える刀を支えにして辛うじて立ち上がる。
そして三メートルほども刃先を伸ばして地面に巨大な円を描いた。蛆虫と芝生が綺麗に焼き払われ、その中央には終末器があった。
彼方は白い地面に胡坐をかき、血を吐き捨てて応じる。
「押してどうなる? 問題は何も解決していない」
「ええ、確かにまだ解決していないことがあります。この終末器を押したあと、私たちはどこに行くのでしょうか?」
「どこって、ここの一つ上の階層だろう。ここがファンタジスタの世界であることは間違いない。そしてファンタジスタは元現実世界で創造された。よって終末器の行先は私と君がプロゲーマーをやっていた世界だ。同じ世界を二度訪れたところで……」
「その世界はもうあなたが滅ぼしたのでは?」
「あ」
「……」
「……………………確かに」
「私たちの賭けどころはそこです。既に滅ぼした世界に終末器で転移したらどうなるのでしょうか?」
「確かに私は元現実世界を滅ぼした。本来はこの世界で押すべき終末器を誤って元現実世界で押してしまった、それが全ての始まりだった。そこに戻ったときは、何もないか、何かがあるかのどちらかだろうな」
「いずれにせよ、ここにいてもわかりません。あなたが終末器を押さなければ」
「君の言う通りだ」
彼方は身体を起こして終末器に手を乗せる。蛆虫の雪によってこの世界は既に終わりを迎えている。ここには押下を妨害する者はいない。ただ押してしまえばいい。
だが、彼方は初めて押下を恐怖していた。恐ろしいのは未知の世界ではない。未知には新しい敵と可能性が満ち溢れており、それこそを求めて彼方は旅してきたのだから。
本当に恐ろしいのは、全く既知の世界に戻ることだ。一度は滅ぼしたのにも関わらず、全く見知った世界と見知った敵に辿り着くようなことがあれば、今度こそ何もかもが終わる。
震える手に上から神威が手を重ねる。細い指が力強く彼方の手をホールドする。
「しっかりしなさい。ここで賭けに出なければ確実に負ける、賭けに出ればいくらかは勝つかもしれない、今はそういう盤面です。たとえどんなに分の悪い賭けであろうが、動かずに圧殺されるくらいなら絶対に引きにいくのが遊戯者だったはずです」
「その賭けが運否天賦で、見通しが全く立たないとしても」
「だとしてもです。先の見えない賭けも一つの可能性なのですから」
重ねた手が終末器を押した。
創造を逆再生して世界が幕引きを始める。図書館と木が地面へと潜って戻っていく。金属は個々のパーツに分解され、空中に整列する。曖昧な光源が消えて世界が暗くなっていく。
世界が終わり、そして世界を巡る旅も終わる。次に始まるのは?
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最強ゲーマー女子高生による終末系百合ライトノベル。#毎日19時更新 #完結保証 #全話AI挿絵付き #ゲーマゲ
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