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第9章 白い蛆ら
第45話:白い蛆ら・2
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蛆、米、刺身、蛆、蛆、味噌汁、蛆、焼き鮭、蛆、蛆、麦茶、蛆。
「美味いか? それ」
「全然、最悪、下の下の下。私だって好きで食べてるわけじゃないけど仕方ないよ。勝手に湧いてきちゃうから」
文句を言いつつ、灰火は蛆虫の湧いた和食を箸で摘まみ、口に放り込んで顔をしかめた。蛆に憑りつかれた蛆人間が蛆の湧いた食糧をもしゃもしゃと食む。
見た目は不衛生な食品でもないのに、灰火がいただきますと言って手を合わせた途端に食事から一斉に蛆が湧き出してきたのだ。彼女自身が蛆虫であるだけでは飽き足らず、食べ物にまで蛆虫を湧かせるらしい。
「この世界ではお前みたいな有様が標準なのか? 殴られれば虫の群れに解体され、平然と虫を食う惨状が知的生命体のスタンダードか?」
「いや全然。かなり珍しい方だろーね、それでも私だけってことはないけど。それで彼方のいたコミュニティでは初対面の握手では蹴り飛ばすのが標準かな」
「いや全く。私が特別にお前に敬意を払う必要を感じていないだけだ。敵ですらないフィールドオブジェクトを敬う必要があるか?」
ここは広い広いワンルームだった。
倉庫のような面積、等間隔で付いた窓。風呂からキッチンからトイレまで、普通は壁に区切られているだろう設備が全て一目で収まる範囲に収まっている。飼育かごによく似ている。
蛆虫はそこら中に湧いており、今は灰火の食べる皿の上に群れが集中している。ビニールに包まれたゴミが部屋の隅に積まれているが、空気は澄んでいて臭いはしない。
遮光カーテンがかかっているので外は見えないものの、僅かに漏れ出した日光が床の埃を却ってよく照らしていた。
「全体的に適応が早いね。私が蛆虫でできた虫人間ってことをもうスルッと納得しているあたりが。それに彼方って蛆虫が服とか肌に付いても全然動じないよね。叩いたり払ったりもしないし。私と一緒に食卓を囲んで顔色一つ変えないだけでも相当なものだよ」
「たかが小虫が何匹集まったところでどうこうなるものかよ」
灰火と彼方は大きめのテーブルを囲んで向かい合わせに座っていた。
灰火の目の前には食事の一式が揃い、すっかり蛆虫の湧いた料理を止まらずに食べ進めていく。彼方はただ足を組んでそれを眺めていた。どうせこれからの行動計画を立てなければならないのだし、灰火に敵意が無いなら無いでとりあえずの情報源として活用できないこともない。詰まるところ、しばらくはここに留まって話を聞いてもいいくらいには思っているのだ。
「へえ、じゃあ食べてみる? 最近、虫食ブームとかいうのもあったらしいし。彼方の分の食事は用意してないけど、どれでも食べていいよ。一緒に蛆虫を食べるところから始まる友情ってあるよねー」
「ねえよ。私が自分から寄生虫を口に入れる異常者に見えるか?」
「蛆虫がいわゆる寄生虫かどうかには諸説あるけど、食べても害がないことは保証するよ。回虫とかサナダムシと違って蛆虫はか弱いから、口に入れたところで胃酸で溶けて死ぬだけ。寄生できるとしたら相手に相当な弱みがあるときだけだね。酷い傷口とか凄まじい炎症とか、わかりやすい弱点に付け込まないと。私の蛆刺しが相手の同意が無いと永続しないのもそーいうこと」
「無意味な補足だな。私にゲテ物食いの趣味はないし、それは食事も人間も同じだ。お前と友情を結ぶつもりもない」
「そっか。ま、小虫が何匹集まったくらいで腰が引ける人に強要するのはちょっと酷かな。私も彼方が蛆虫を食べられるなんて全然これっぽっちも思ってなかったし、初対面の話題作りで試しにちょっと言ってみただけだから。多少ビジュアルが悪いだけで怖気づくのも、別に意気地なしってわけじゃなくて、それはそれで防衛本能がきちんと機能してるってことだよね。そもそも虫が苦手なのも短所とは限らないっていうか、見方によっては乙女っぽくて可愛いかもしれないし。なにせ頭ではわかっていてもどーにもならないことっていくらでもあるからね。私は不合理な行動にも理解がある方だから、気後れして尻込みして躊躇って立ち竦んで有耶無耶にするのも自然な反応の範疇だと思うなー」
「うるっせえな!」
彼方は目の前の焼き鮭を掴み取り、大口で噛み千切った。
小さな粒のようなものがいくつか混ざっていると思ったのも束の間、次の瞬間には内側から蛆虫の群れがあふれ出た。エクレアを噛んだときに溢れるクリームのよう。そのまま蛆は口内で動き回り、上あごから歯茎まで這い回る。小さな虫は舌の下側や歯茎と唇の間にまで回ってくる。
歯を打ち付けて何匹か嚙み殺すが、細かい隙間に侵入してきたものはそうもいかない。喉の奥でも動き回り、体内で活動しようとしているのがわかる。自律する小さな生き物を食べる間隔に吐き気を催すが、しかし彼方にも意地がある。一度口に入れたものを無理でしたと戻すくらいなら彼方は腹を切る。何度も咀嚼してとりあえず全てを飲みこみ、口を拭って吐き捨てた。
「単に美味くないというだけだ、こんなもの。食えるとか食えないとかいう話じゃあない」
「いやー、煽った私が言うのもなんだけど、今ちょっと引いてる。ひょっとして、虫を貴重なタンパク源として生きた経験とかあったりするかな」
「花も恥じらう一般女子高生だが。ジャングル暮らしでもハードキャンパーでもない。蛆虫が食えるということは初めて知ったし、何なら見識が広がったことに礼を言ってもいいくらいだ」
噛み切った魚の断面には更に新しく発生した蛆虫が蠢いていたが、残りを一気に口に押し込んだ。一度感触を覚えて覚悟してしまえばどうということはない。反復による慣れは鍛錬の基本だ。
「うわ、二口目。試しに口に入れる人ならごくごく稀にいるけど、自分からおかわりできる人は空前絶後だ。思ったよりも相当やばいな、彼方って」
「お前ほどじゃない」
そのとき、この部屋に唯一の出入り口が空いた。暗い部屋に差し込む後光を伴って、はっきり落ち着いた声が広い部屋に響く。
「あら、お友達で御座いますか。それも一緒に蛆を食べるお友達となると、それはもう大変に仲がおよろしいのですね」
「ジュリエット。意外と遅かったね」
「そこそこ重い仕事の交渉中だったもので」
メイド服を纏った美しい女性が微笑んだ。
モノクロベースのヘッドドレスにロングスカート、そして長い銀髪が揺れる。全体的に露出の少ない古き良きメイド服といったいでたちで、映画のシーンからそのまま現れたような圧倒的な美人。
彼女の周囲では、このしけた空間ですら芸術家が設えたセットのようだ。周り全てを最初から自分のために用意されたものであるかのように隷属させる、圧倒的なオーラを漂わせている。
「わたくしには蛆を食する趣味は御座いませんので、こちらで失礼いたします。共に食卓を囲めず恐縮ですがご容赦くださいませ」
メイドは壁際からパイプ椅子と簡易テーブルを展開すると、テーブルから三メートルほど離れた位置に座った。
続いて手に下げた鞄から小さなカップ、ソーサーに加えてナイフとフォークのセットを取り出して並べる。コンビニのビニール袋からはペットボトル珈琲を取り出して持ち手付きのカップに注ぐ。ビニールから開封したサラダチキン二つを互い違いにして皿に並べると、仕上げに小袋のドレッシングを皿の周りに回しかけた。
一連の動作は素早く、サッサッサッという音が聞こえてきそうなほど鮮やかだ。彼女自身と食器の気品も相まって、コンビニ食品が本格的なカフェで供される洗練されたものに見えてこなくもない。
「蛆は美味しいですか? わたくし、灰火様以外で蛆虫を進んでお食べになっている方は初めて拝見いたしました。人類の味覚の幅とは、かように深淵なもので御座いましょうか」
メイドが彼方に微笑んだ。
否定はできない。何せ彼方は今まさに蛆虫を噛み殺している最中で、口の端にも蛆が蠢いているのだ。まるでくだらない我慢ゲームをしていたときにいきなり部外者が入ってきたときのようだ。
バツの悪さごと、口元の蛆虫を拳で拭う。
「そうだったらどんなに良かったかと思うぜ。メイドなら何か作ってくれないか。蛆の湧いていないベーコンエッグとか、蛆の湧いていないクラムチャウダーとか」
「メイドに料理を作ってほしければまずは雇用契約書を作成して頂かないといけません。いまどき職業技能を無償で提供することはサービスのダンピングに相当しますので……なんて、これはわかりにくい冗談で御座いますね。わたくしはただのコスプレイヤーで、別にどなたかを御主人として仕えるしもべではありませんから。もちろんそちらの灰火様も、あなたと同様に単なる知り合いでしか御座いません」
「私はまだお前と知り合いになった覚えは無い」
「あら、先走ってしまい失礼いたしました。わたくしは見目麗しい方と交友を深めることはいつでも歓迎しているもので。申し遅れましたが、わたくしジュリエットと申します」
「私は……」
「いえ、既によくよく存じ上げて御座います。空水彼方様」
まだ一度も名乗っていない名前を告げられるが、今更それに驚く彼方でもない。
ここは終末器で世界を抜けた先、つまり終末器が押された世界を創造した世界だ。上位階層にいる者が下位階層の情報を持っていることは珍しくない。ローチカや桜井さんがシミュレーターを通じて彼方のステータスを把握していたように。
「お前は私を見ていたな。私がテレビから投げ出されたあたり、恐らくドラマか映画か何かで」
「ほとんど正解で御座います。正確にはメディアが若干異なりますが」
ジュリエットは革製の茶色い鞄を持ち上げてみせた。
手に持ったフォークで、カバンに付けたアクリルキーホルダーを軽く指す。行儀が悪いような気もするが、彼女がやるとまるでそれがマナーであるかのように優雅な所作に見えてしまう。
そのキーホルダーには二頭身の女の子が描かれていた。ノースリーブの制服の上に大きなトレンチコートを纏い、足に履くのはローラーブレード。キリッとした表情で拳を軽く引いて宙に向けて構えている。
「私をデフォルメしたキャラクター。そういうグッズが出るのはアニメ媒体か」
「御名答で御座います。是非ご覧くださいませ」
ジュリエットは自身のスマートフォンを投げてよこした。
画面には彼方がオークを蹴り飛ばす動画が再生されている。目まぐるしく動くカメラワークで次から次へとオークをなぎ倒していく迫力ある作画は、彼方自身の目から見てもなかなかよく作られている。
「なるほど。さっきまで私がいたのはファンタジーアニメの世界で、この世界で放送されていたのか。私はアニメにはそれほど詳しくないが、異世界転生とかいうジャンルの主人公になるのかもしれない」
「しかし、彼方様が最初に映画かドラマという二択を提示したのは興味深いことで御座います。最初に自然に想定されるのが実写メディアであることと、実際にはアニメのキャラクターであったということの間には、途方もない食い違いがあるように思われますが」
「それは検討に値する問題か? なるほど確かに、今の私から見ればこの動画で描かれる私は解像度や塗りにおいて全く乖離したカリカチュアに過ぎない。しかし逆に言えば、それにも関わらず私は私らしい外見だけで私を分別できているということでもある。むしろ異なった文法で同一性を担保されていることが却って私という存在の自律を主張している」
「仰る通りで御座います。わたくしから見ても事態はそう大きく変わりません。つまり、わたくしは依然としてあなたというキャラクターの一ファンに過ぎません。アニメキャラの出現は恐らく有史以来初めてのことですが、宜しければサインなど頂ければ」
ジュリエットがこちらに向けたフォークをひっくり返す。それに従ってスマートフォンを裏返すと、革製のケースには彼方と立夏が描かれていた。
何となく見覚えのあるキャラクターグッズだ。思えば、彼方たちをイラスト化した商品自体は元現実世界でも桜井さんがプロデュースしたものがいくつか流通していた。かつてもやはり彼方のファンたちがそれを所有していたものだが、職業がプロゲーマーとアニメキャラではだいぶ趣きが変わってくる。
「お前は美少女アニメオタクか? 桜井さんと似た気配を感じる」
「ええ、仰る通りです。アニメが好きでなければメイド服を常用したりはしません。ちなみに桜井さんもこのアニメの制作に嚙んでおります」
「私の預かり知らぬところでファンが発生しているのは奇妙な気分だ。かつて私には、プロゲーマーとしての活動に対するファンがたくさんいた。翻って私にアニメキャラとしての活動を自覚した記憶はないが、今それをせざるを得ない状況にいるわけだ」
「そちらもやはり興味深い考察で御座います。自らの活動を自覚できるアニメキャラが存在するとすれば、それは自律する被造物の一種ということになりましょう。カンナとノコギリを手にうたた寝する職人の足元で、音を立てて歩き出すオモチャの如き存在を認めましょうか?」
「その存在は私の直観には全く反しない。アニメから生まれたかどうかなど、私という存在に対しては全くオプショナルな属性に過ぎないのだから」
「わたくしも全く同意いたします。生成過程の仔細によらず、存在とはまず始めに我在りき。わたくしがわたくしであるという現象は証明不可能な前提であり、これこれこういう経緯で存在するようになったという類のいかなる説明でも正当化されるものでは御座いません。世界五秒前仮説など検討に値せず。独我にして独今ここにあり」
「完全に同意する。灰火と違って、お前とは気が合うようだ」
「とはいえ、あなたとわたくしには決定的な違いが御座います。それはわたくしには本当の意味での敵など存在しないということ」
「灰火も似たようなことを言っていたが、この世界にはその手の狂人が多いのか?」
「いいえ、わたくしと灰火様は全く違います」
ジュリエットはフォークで灰火を指した。
灰火は既に食事を終え、椅子にぐったりもたれかかって手首をぶらぶらさせていた。いきなり指名され、呆けた表情のままで一応の返答が飛んでくる。
「え? ごめん、全然話聞いてなかった」
「この通り、灰火様はただ単に存在の解像度が低いだけで御座います。その胡乱な目には自分も他人もはっきり映っておりませんから、気を抜けばその身体さえも虫の群れにバラけてしまいます」
「なんかいきなりディスられてる?」
「対して、わたくしにとってわたくしの存在ほど確固たるものも御座いません。そしてわたくしにとってわたくしの存在がかくも堅牢たることは、他者の存在が脆弱であることと裏表なので御座います」
ジュリエットはフォークを自分の頭に付き付けてくるりと回す。
「畢竟、わたくしから見ればどなたも等価に二次的な存在と言わざるを得ません。せいぜいがわたくしの人生を彩る装飾であり、文字通りの意味でわたくしに匹敵する存在は有り得ません」
「大した自信だ。お前に比べれば、私の独我論など手ぬるいものだと言わざるを得ない。私は私と同程度に信頼できる他者の存在を認めているし、むしろ自律した存在であることがゲームの参加条件の一つだ。私はそれを敵と呼んで何よりも愛している」
最後にジュリエットはフォークを彼方に向けてにっこりと微笑んだ。
「その点で言えば、わたくしが愛しているのは貴女のように美しい方で御座います。麗しき先天的な外見もまた、辛うじて無条件に生成される価値の一つなのですから。ところで……あら?」
不意にジュリエットが天井を仰ぎ見た。彼方の視線もつられてそちらに向かう。
しかし高い天井にはくすんだ蛍光灯が心細げにチラついているだけだ。彼方の視力は数百メートル先の小さな文字を読めるが、注目に値するようなものは特に何も見えない。
「何も見え……」
ない、と言い終わるよりも前に、彼方の反射神経が自己防衛の氷結魔法を発動したことは幸運と言わざるを得ない。
もしそれが無ければ、彼方はもう死んでいたから。
「美味いか? それ」
「全然、最悪、下の下の下。私だって好きで食べてるわけじゃないけど仕方ないよ。勝手に湧いてきちゃうから」
文句を言いつつ、灰火は蛆虫の湧いた和食を箸で摘まみ、口に放り込んで顔をしかめた。蛆に憑りつかれた蛆人間が蛆の湧いた食糧をもしゃもしゃと食む。
見た目は不衛生な食品でもないのに、灰火がいただきますと言って手を合わせた途端に食事から一斉に蛆が湧き出してきたのだ。彼女自身が蛆虫であるだけでは飽き足らず、食べ物にまで蛆虫を湧かせるらしい。
「この世界ではお前みたいな有様が標準なのか? 殴られれば虫の群れに解体され、平然と虫を食う惨状が知的生命体のスタンダードか?」
「いや全然。かなり珍しい方だろーね、それでも私だけってことはないけど。それで彼方のいたコミュニティでは初対面の握手では蹴り飛ばすのが標準かな」
「いや全く。私が特別にお前に敬意を払う必要を感じていないだけだ。敵ですらないフィールドオブジェクトを敬う必要があるか?」
ここは広い広いワンルームだった。
倉庫のような面積、等間隔で付いた窓。風呂からキッチンからトイレまで、普通は壁に区切られているだろう設備が全て一目で収まる範囲に収まっている。飼育かごによく似ている。
蛆虫はそこら中に湧いており、今は灰火の食べる皿の上に群れが集中している。ビニールに包まれたゴミが部屋の隅に積まれているが、空気は澄んでいて臭いはしない。
遮光カーテンがかかっているので外は見えないものの、僅かに漏れ出した日光が床の埃を却ってよく照らしていた。
「全体的に適応が早いね。私が蛆虫でできた虫人間ってことをもうスルッと納得しているあたりが。それに彼方って蛆虫が服とか肌に付いても全然動じないよね。叩いたり払ったりもしないし。私と一緒に食卓を囲んで顔色一つ変えないだけでも相当なものだよ」
「たかが小虫が何匹集まったところでどうこうなるものかよ」
灰火と彼方は大きめのテーブルを囲んで向かい合わせに座っていた。
灰火の目の前には食事の一式が揃い、すっかり蛆虫の湧いた料理を止まらずに食べ進めていく。彼方はただ足を組んでそれを眺めていた。どうせこれからの行動計画を立てなければならないのだし、灰火に敵意が無いなら無いでとりあえずの情報源として活用できないこともない。詰まるところ、しばらくはここに留まって話を聞いてもいいくらいには思っているのだ。
「へえ、じゃあ食べてみる? 最近、虫食ブームとかいうのもあったらしいし。彼方の分の食事は用意してないけど、どれでも食べていいよ。一緒に蛆虫を食べるところから始まる友情ってあるよねー」
「ねえよ。私が自分から寄生虫を口に入れる異常者に見えるか?」
「蛆虫がいわゆる寄生虫かどうかには諸説あるけど、食べても害がないことは保証するよ。回虫とかサナダムシと違って蛆虫はか弱いから、口に入れたところで胃酸で溶けて死ぬだけ。寄生できるとしたら相手に相当な弱みがあるときだけだね。酷い傷口とか凄まじい炎症とか、わかりやすい弱点に付け込まないと。私の蛆刺しが相手の同意が無いと永続しないのもそーいうこと」
「無意味な補足だな。私にゲテ物食いの趣味はないし、それは食事も人間も同じだ。お前と友情を結ぶつもりもない」
「そっか。ま、小虫が何匹集まったくらいで腰が引ける人に強要するのはちょっと酷かな。私も彼方が蛆虫を食べられるなんて全然これっぽっちも思ってなかったし、初対面の話題作りで試しにちょっと言ってみただけだから。多少ビジュアルが悪いだけで怖気づくのも、別に意気地なしってわけじゃなくて、それはそれで防衛本能がきちんと機能してるってことだよね。そもそも虫が苦手なのも短所とは限らないっていうか、見方によっては乙女っぽくて可愛いかもしれないし。なにせ頭ではわかっていてもどーにもならないことっていくらでもあるからね。私は不合理な行動にも理解がある方だから、気後れして尻込みして躊躇って立ち竦んで有耶無耶にするのも自然な反応の範疇だと思うなー」
「うるっせえな!」
彼方は目の前の焼き鮭を掴み取り、大口で噛み千切った。
小さな粒のようなものがいくつか混ざっていると思ったのも束の間、次の瞬間には内側から蛆虫の群れがあふれ出た。エクレアを噛んだときに溢れるクリームのよう。そのまま蛆は口内で動き回り、上あごから歯茎まで這い回る。小さな虫は舌の下側や歯茎と唇の間にまで回ってくる。
歯を打ち付けて何匹か嚙み殺すが、細かい隙間に侵入してきたものはそうもいかない。喉の奥でも動き回り、体内で活動しようとしているのがわかる。自律する小さな生き物を食べる間隔に吐き気を催すが、しかし彼方にも意地がある。一度口に入れたものを無理でしたと戻すくらいなら彼方は腹を切る。何度も咀嚼してとりあえず全てを飲みこみ、口を拭って吐き捨てた。
「単に美味くないというだけだ、こんなもの。食えるとか食えないとかいう話じゃあない」
「いやー、煽った私が言うのもなんだけど、今ちょっと引いてる。ひょっとして、虫を貴重なタンパク源として生きた経験とかあったりするかな」
「花も恥じらう一般女子高生だが。ジャングル暮らしでもハードキャンパーでもない。蛆虫が食えるということは初めて知ったし、何なら見識が広がったことに礼を言ってもいいくらいだ」
噛み切った魚の断面には更に新しく発生した蛆虫が蠢いていたが、残りを一気に口に押し込んだ。一度感触を覚えて覚悟してしまえばどうということはない。反復による慣れは鍛錬の基本だ。
「うわ、二口目。試しに口に入れる人ならごくごく稀にいるけど、自分からおかわりできる人は空前絶後だ。思ったよりも相当やばいな、彼方って」
「お前ほどじゃない」
そのとき、この部屋に唯一の出入り口が空いた。暗い部屋に差し込む後光を伴って、はっきり落ち着いた声が広い部屋に響く。
「あら、お友達で御座いますか。それも一緒に蛆を食べるお友達となると、それはもう大変に仲がおよろしいのですね」
「ジュリエット。意外と遅かったね」
「そこそこ重い仕事の交渉中だったもので」
メイド服を纏った美しい女性が微笑んだ。
モノクロベースのヘッドドレスにロングスカート、そして長い銀髪が揺れる。全体的に露出の少ない古き良きメイド服といったいでたちで、映画のシーンからそのまま現れたような圧倒的な美人。
彼女の周囲では、このしけた空間ですら芸術家が設えたセットのようだ。周り全てを最初から自分のために用意されたものであるかのように隷属させる、圧倒的なオーラを漂わせている。
「わたくしには蛆を食する趣味は御座いませんので、こちらで失礼いたします。共に食卓を囲めず恐縮ですがご容赦くださいませ」
メイドは壁際からパイプ椅子と簡易テーブルを展開すると、テーブルから三メートルほど離れた位置に座った。
続いて手に下げた鞄から小さなカップ、ソーサーに加えてナイフとフォークのセットを取り出して並べる。コンビニのビニール袋からはペットボトル珈琲を取り出して持ち手付きのカップに注ぐ。ビニールから開封したサラダチキン二つを互い違いにして皿に並べると、仕上げに小袋のドレッシングを皿の周りに回しかけた。
一連の動作は素早く、サッサッサッという音が聞こえてきそうなほど鮮やかだ。彼女自身と食器の気品も相まって、コンビニ食品が本格的なカフェで供される洗練されたものに見えてこなくもない。
「蛆は美味しいですか? わたくし、灰火様以外で蛆虫を進んでお食べになっている方は初めて拝見いたしました。人類の味覚の幅とは、かように深淵なもので御座いましょうか」
メイドが彼方に微笑んだ。
否定はできない。何せ彼方は今まさに蛆虫を噛み殺している最中で、口の端にも蛆が蠢いているのだ。まるでくだらない我慢ゲームをしていたときにいきなり部外者が入ってきたときのようだ。
バツの悪さごと、口元の蛆虫を拳で拭う。
「そうだったらどんなに良かったかと思うぜ。メイドなら何か作ってくれないか。蛆の湧いていないベーコンエッグとか、蛆の湧いていないクラムチャウダーとか」
「メイドに料理を作ってほしければまずは雇用契約書を作成して頂かないといけません。いまどき職業技能を無償で提供することはサービスのダンピングに相当しますので……なんて、これはわかりにくい冗談で御座いますね。わたくしはただのコスプレイヤーで、別にどなたかを御主人として仕えるしもべではありませんから。もちろんそちらの灰火様も、あなたと同様に単なる知り合いでしか御座いません」
「私はまだお前と知り合いになった覚えは無い」
「あら、先走ってしまい失礼いたしました。わたくしは見目麗しい方と交友を深めることはいつでも歓迎しているもので。申し遅れましたが、わたくしジュリエットと申します」
「私は……」
「いえ、既によくよく存じ上げて御座います。空水彼方様」
まだ一度も名乗っていない名前を告げられるが、今更それに驚く彼方でもない。
ここは終末器で世界を抜けた先、つまり終末器が押された世界を創造した世界だ。上位階層にいる者が下位階層の情報を持っていることは珍しくない。ローチカや桜井さんがシミュレーターを通じて彼方のステータスを把握していたように。
「お前は私を見ていたな。私がテレビから投げ出されたあたり、恐らくドラマか映画か何かで」
「ほとんど正解で御座います。正確にはメディアが若干異なりますが」
ジュリエットは革製の茶色い鞄を持ち上げてみせた。
手に持ったフォークで、カバンに付けたアクリルキーホルダーを軽く指す。行儀が悪いような気もするが、彼女がやるとまるでそれがマナーであるかのように優雅な所作に見えてしまう。
そのキーホルダーには二頭身の女の子が描かれていた。ノースリーブの制服の上に大きなトレンチコートを纏い、足に履くのはローラーブレード。キリッとした表情で拳を軽く引いて宙に向けて構えている。
「私をデフォルメしたキャラクター。そういうグッズが出るのはアニメ媒体か」
「御名答で御座います。是非ご覧くださいませ」
ジュリエットは自身のスマートフォンを投げてよこした。
画面には彼方がオークを蹴り飛ばす動画が再生されている。目まぐるしく動くカメラワークで次から次へとオークをなぎ倒していく迫力ある作画は、彼方自身の目から見てもなかなかよく作られている。
「なるほど。さっきまで私がいたのはファンタジーアニメの世界で、この世界で放送されていたのか。私はアニメにはそれほど詳しくないが、異世界転生とかいうジャンルの主人公になるのかもしれない」
「しかし、彼方様が最初に映画かドラマという二択を提示したのは興味深いことで御座います。最初に自然に想定されるのが実写メディアであることと、実際にはアニメのキャラクターであったということの間には、途方もない食い違いがあるように思われますが」
「それは検討に値する問題か? なるほど確かに、今の私から見ればこの動画で描かれる私は解像度や塗りにおいて全く乖離したカリカチュアに過ぎない。しかし逆に言えば、それにも関わらず私は私らしい外見だけで私を分別できているということでもある。むしろ異なった文法で同一性を担保されていることが却って私という存在の自律を主張している」
「仰る通りで御座います。わたくしから見ても事態はそう大きく変わりません。つまり、わたくしは依然としてあなたというキャラクターの一ファンに過ぎません。アニメキャラの出現は恐らく有史以来初めてのことですが、宜しければサインなど頂ければ」
ジュリエットがこちらに向けたフォークをひっくり返す。それに従ってスマートフォンを裏返すと、革製のケースには彼方と立夏が描かれていた。
何となく見覚えのあるキャラクターグッズだ。思えば、彼方たちをイラスト化した商品自体は元現実世界でも桜井さんがプロデュースしたものがいくつか流通していた。かつてもやはり彼方のファンたちがそれを所有していたものだが、職業がプロゲーマーとアニメキャラではだいぶ趣きが変わってくる。
「お前は美少女アニメオタクか? 桜井さんと似た気配を感じる」
「ええ、仰る通りです。アニメが好きでなければメイド服を常用したりはしません。ちなみに桜井さんもこのアニメの制作に嚙んでおります」
「私の預かり知らぬところでファンが発生しているのは奇妙な気分だ。かつて私には、プロゲーマーとしての活動に対するファンがたくさんいた。翻って私にアニメキャラとしての活動を自覚した記憶はないが、今それをせざるを得ない状況にいるわけだ」
「そちらもやはり興味深い考察で御座います。自らの活動を自覚できるアニメキャラが存在するとすれば、それは自律する被造物の一種ということになりましょう。カンナとノコギリを手にうたた寝する職人の足元で、音を立てて歩き出すオモチャの如き存在を認めましょうか?」
「その存在は私の直観には全く反しない。アニメから生まれたかどうかなど、私という存在に対しては全くオプショナルな属性に過ぎないのだから」
「わたくしも全く同意いたします。生成過程の仔細によらず、存在とはまず始めに我在りき。わたくしがわたくしであるという現象は証明不可能な前提であり、これこれこういう経緯で存在するようになったという類のいかなる説明でも正当化されるものでは御座いません。世界五秒前仮説など検討に値せず。独我にして独今ここにあり」
「完全に同意する。灰火と違って、お前とは気が合うようだ」
「とはいえ、あなたとわたくしには決定的な違いが御座います。それはわたくしには本当の意味での敵など存在しないということ」
「灰火も似たようなことを言っていたが、この世界にはその手の狂人が多いのか?」
「いいえ、わたくしと灰火様は全く違います」
ジュリエットはフォークで灰火を指した。
灰火は既に食事を終え、椅子にぐったりもたれかかって手首をぶらぶらさせていた。いきなり指名され、呆けた表情のままで一応の返答が飛んでくる。
「え? ごめん、全然話聞いてなかった」
「この通り、灰火様はただ単に存在の解像度が低いだけで御座います。その胡乱な目には自分も他人もはっきり映っておりませんから、気を抜けばその身体さえも虫の群れにバラけてしまいます」
「なんかいきなりディスられてる?」
「対して、わたくしにとってわたくしの存在ほど確固たるものも御座いません。そしてわたくしにとってわたくしの存在がかくも堅牢たることは、他者の存在が脆弱であることと裏表なので御座います」
ジュリエットはフォークを自分の頭に付き付けてくるりと回す。
「畢竟、わたくしから見ればどなたも等価に二次的な存在と言わざるを得ません。せいぜいがわたくしの人生を彩る装飾であり、文字通りの意味でわたくしに匹敵する存在は有り得ません」
「大した自信だ。お前に比べれば、私の独我論など手ぬるいものだと言わざるを得ない。私は私と同程度に信頼できる他者の存在を認めているし、むしろ自律した存在であることがゲームの参加条件の一つだ。私はそれを敵と呼んで何よりも愛している」
最後にジュリエットはフォークを彼方に向けてにっこりと微笑んだ。
「その点で言えば、わたくしが愛しているのは貴女のように美しい方で御座います。麗しき先天的な外見もまた、辛うじて無条件に生成される価値の一つなのですから。ところで……あら?」
不意にジュリエットが天井を仰ぎ見た。彼方の視線もつられてそちらに向かう。
しかし高い天井にはくすんだ蛍光灯が心細げにチラついているだけだ。彼方の視力は数百メートル先の小さな文字を読めるが、注目に値するようなものは特に何も見えない。
「何も見え……」
ない、と言い終わるよりも前に、彼方の反射神経が自己防衛の氷結魔法を発動したことは幸運と言わざるを得ない。
もしそれが無ければ、彼方はもう死んでいたから。
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しかも、ハルは失踪中の大企業令嬢で……?
絵:Novel AI
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