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第7章 ハッピーピープル
第31話:ハッピーピープル・2
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彼方と立夏がエルフの世界に足を踏み入れたのは三十分ほど前のことだ。
終末器がKSD世界を滅ぼしたあと、二人は紫色の空間にいた。上下も左右もなく平坦で一面の薄紫。それが他の全てを消し去るほど強い光だと気付いたのは、徐々に紫が減衰してきてからのことだ。
すっかり光が収まったとき二人は怪しげな記号が刻まれた結界の中にいた。砂の地面にうっすら文字を書き付けただけの簡素な結界。呪文のような記号は風に吹かれてすぐにかき消えてしまった。
強い光と怪しげな魔法陣。そこまで演出が整っていればゲーマーの彼方にはすぐにわかる。
「つまり前回は印刷されたが、今回は召喚されたわけだ。どこか別の世界から生物を呼び出す術式によって、私はこのエルフの世界に呼び出された」
「はい、恐らくその通りであります」
ここは屋根の上。
並んで座る彼方とイツキの間を緑薫る穏やかな風が通り抜ける。立夏と同じ顔をしたエルフの少女であるリツカと、彼方の相棒である立夏はすぐに意気投合し、例の花を抱えてどこかの家の中に駆けこんでいってしまった。
高所を目指してその辺の家の上にイツキを抱えて登ってみたが、見えるのはつまらない景色ばかりだ。ランドマークの類は一つもなく、間仕切り程度の家屋には美意識とか個性の類が全く感じられない。無秩序に建てられた家々の隙間に、何となく足で踏み固められて変色した地面があるだけ。
適当に組まれた家は二人の重みに耐えかねてギシギシ揺れているが、こんなものが倒壊したところできっとこの村の誰も何とも思わないだろう。
この村の想像力の有様は、元現実世界の過度に合理的なそれとも、ファンタジスタ内での夢見がちなそれとも、KSD世界での全てが過ぎ去ったあとのそれとも異なる。
想像力そのものの不在、悪走すらしない出来の悪いジオラマ。
「こういうことは頻繁にあるのか?」
「頻繁というほどではないですが、たまにあります。伝説の世界から来訪者が現れることは」
「やはり。だから誰も目を輝かせて集まってきたりはしないわけだ」
「そうですね。来訪者は変な道具や服を持っている方が普通であります」
彼方は元現実世界を出たときと同じ服装をしている。つまりボロのような布を纏うエルフたちに混じって、トレンチコートやローラーブレードを装備している。
だというのに、エルフたちが奇異の目を向けることはない。一度だけうっすらエルフが集まったあとは何となく解散してしまったし、村の中を歩いていても軽く頭を下げられるのが精々だ。よそよそしい以前にそもそもの関心が薄い。
「私は氷と土に覆われた異世界から来たが、そういう伝説もあるのか?」
「はい。草も生えぬ荒野の世界で、同じ見た目をした者の軍隊と戦う戦乙女の伝説があります」
「そのままKSDの設定だな」
ここは神話が事実として流通していた頃の世界に近いのかもしれない。
外部と交流する代わりに、伝説というお話の中で異物に対する想像力を培っている。そして御伽噺が現実化する可能性は常に許容されており、こことは全く違う世界の実在も驚くには値しない。
「来訪者が出現したことでトリガーするイベントはないのか? つまり来訪者を歓待する祭りとか、伝説の人物を迎える儀式とか」
「いえ、特には」
「じゃあ私の方から何かしてみるか」
彼方はいきなりイツキの腰を抱きかかえて屋根から飛び降りた。着地の衝撃は全てローラーブレ―ドに逃がし、砂埃を上げて家の周囲をぐるりと回ってから停止する。
あえてダイナミックな降り方をしたのはイツキのリアクションを見るためだが、それは限りなく鈍い。悲鳴の一つくらい上げても良さそうなものを、一度少しびくっと震えただけですぐに平熱に戻ってしまった。
「……」
彼方の中に広がる違和感が明確な形を作りつつあった。
何というか、この村は異様なまでに鈍くさい。オークへの反応も、来訪者への反応も、飛び降りへの反応も。それだけのどかな村ということかもしれないが、オークが虐殺に訪れていてのどかも何もないだろう。
そもそも今は虐殺からあまり時間が経っていないのだ。オークたちは森に退散したとはいえ、まだエルフの死体がその辺に転がっている。
だというのにイツキは平然とした様子で彼方との雑談に興じているのだ。受け答えははっきりしており、ショックのあまり錯乱している様子でもない。
正常すぎるが故の異常。この村はどういう場所で、エルフたちはどういう目でこの世界を見ているのか。この世界を正確に理解するにはもっと時間と情報が必要だ。
「とりあえず住む場所を探したい、今までの来訪者はどうしていた?」
「空いている家ならどこでも使って頂いて構いません。村を案内しましょう」
「助かる」
死体が転がる村を歩きながら、彼方はスマホのメモ帳に見て聞いた情報を素早く書き込んでいく。
幸いこの世界でもスマホのソーラー発電はとりあえず機能している。当然通信は圏外だが、電子記録端末としては使えるだろう。
この村の人口は百人弱。貨幣の類は流通しておらず、物々交換というよりは物品を共有することで成り立っている。私有財産の概念も発達していない。
主には農作によって食糧を賄っているが、採集も適宜行っているようだ。この規模ならば人口は近親相姦で維持されているだろう。男女比は同程度だが皆若く見え、最も老いた者でも三十代くらいに見える。そして今更ではあるが、日本語は誰にでも通じる。
イツキの後ろについて村を一周したあと、村と森を隔てる大きな門の前に到着した。
木製の門はなかなか立派なもので、かつて京都で見た由緒正しい寺を思い出す。門を支える太い丸太の杭は地面に深く食い込み、表面は風化して灰色と茶色が混ざったような古めかしい風情になっている。それは脆さを感じさせる古さでは全くなく、むしろ鉄のように硬化しているのだ。
「立派な門だ。この貫録はいったい何年前からあるのだろう」
「私が物心ついてからずっとありました。気にしたこともありません」
イツキは平然と門を開けて外に足を踏み出した。そのあまりにも堂々とした足取りに動揺するのは彼方の方だ。
「村の外に出るのか? オークが現れて危険なのかと思ったが」
「村の中にないものはだいたい外にありますので。お風呂とか薪割り場とか」
イツキは不思議そうな顔で振り返り、彼方はその後ろに続いた。
彼方にとっては森でいきなりオークに襲われても脅威ではないとはいえ、行動が読めず不審なのはもはやオークよりもイツキの方だ。同胞の死体が転がる村の中を、そして同胞を虐殺したオークが住む森ですらも平然と歩く神経がわからない。
森の中では見覚えのある牛や豚がそのあたりをぶらぶら歩いている。人を襲う植物や羽の生えた馬のようなファンタジックな生き物は特に見当たらない。世界の有様は元現実世界とそれほど隔たっているようには見えず、耳の尖ったエルフや異様な体格のオークもちょっとした人種違いと思って納得できる範疇かもしれない。
イツキに案内されてゴミ捨て場やら畑やら伐採場やらを巡り、再び門の前に帰ってくるまでは一時間程度かかっただろうか。広い森の土地を贅沢に使っており、要所間の距離がそれなりに長い。
「どこに住んでもいいなら、私はリツカたちと一緒に住まわせてもらおうと思う。あの二人は同じ家に住みそうだし」
「案内します。恐らく村の端の方だと思いますので」
「ありがとう」
もう一度村の中に踏み込んだとき、彼方の背筋にはっきりとした寒気が走った。
村の中から死体が片付けられている。さっきまでエルフが倒れていた場所は血痕の上に砂を乗せた焦げ茶色の地面になっている。砂の上では血液が固着することもない。遠目に見ればさっきまでここで虐殺が行われていたとは誰もわからないだろう。
しかし彼方の勘が異常を察知したのは、決して死体の抹消そのものに対してではなかった。死体が片付けられているにも関わらず、この村に漂う雰囲気が一切変化していないことに対してなのだ。
改めて見渡した村は限りなく牧歌的で何も変わっていない。さっき出て行ったときと全く同じだ。もちろんさっきは昼寝していたエルフが今は水を飲んでいるとか、積まれた何かの果物が少し食われて減っているとか、そういうミクロな違いはある。しかし総体としてここにいる人たちの纏う雰囲気、文脈、存在の機微に何のズレも感じられなかった。
本当に欠落しているのは血痕でも肉片でもなく、死を惜しむ空気だろうか。まだオークたちがエルフたちを殺してから数時間しか経っていない。村から嘆きや怒りの声も聞こえない、のどかな村がのどかなままでいることがおかしいのだ。
死とは永遠の終わり、二度と円を結ばない終了点。それは無限に続く安寧の対極のはずだ。いくらのどかな村でも死だけは不可逆終了として絶対にあるはずだ、エルフと一緒にネクロマンサーでもいない限りは。
「さっき死んだ人たちはどうした?」
「肥料にしたのであります。これも重要な栄養源ですし、刻んで土に還しています」
イツキはさらりと答える。
彼方はイツキに背を向けて走り出した。門の外に出て、村のすぐ正面にある畑でそれを確認する。
確かに死体は畑の隅の方に無造作に埋められていた。死体は野菜を刻むように切り交ぜられ、柔らかく茶色い大地の上に血が滲み出している。いくら目立たない場所とはいえ、これだけのものを見逃すことは普段の彼方なら有り得ない。
しかし死体は始めからそう運命づけられていたかのように、そのくらい自然に土の中に混ざっていた。
追いついてきたイツキの顔を見る。少し息が切れているが、死体を前にしても何の感情の動きもない。
「死ですらも無限の円環に組み込まれるというわけだ。生まれた人間は死体になり、死体は作物の肥料になり、作物がまた人を育てる。どこまでも鈍く固着した永劫へ」
「はい。それが自然の摂理であります」
「これではっきりした。あなたは私の知っている樹さんとは違う」
元現実世界で警官だった樹は、人々が望まない理不尽な死を迎えることを何よりも許さなかった。
樹が自殺推進派だったのも、本人が全て納得尽くの死であればそれは理不尽ではないと解釈していたからだ。彼方は大衆の自殺は愚かな死だと考える点では樹と意見を異にしていたが、主体的な自殺は必ずしも不幸ではないとする点では意見が一致していた。
対して、ここにいるイツキはそういう根源的な理不尽に対する感性を全く備えていない。泣き叫びながらオークに殺された死体を埋めて一件落着など、元の樹なら絶対に有り得ないのだ。イツキはこの死を終わりだとすら思っていない。
時間が永劫に巡るこの村では死ですらも終着点であることが許されない。その変化への決定的な感性の鈍さはといえば、この村で起こるイベントの全てを死体の歩みよりも鈍重にしてしまうほどなのだ。
終末器がKSD世界を滅ぼしたあと、二人は紫色の空間にいた。上下も左右もなく平坦で一面の薄紫。それが他の全てを消し去るほど強い光だと気付いたのは、徐々に紫が減衰してきてからのことだ。
すっかり光が収まったとき二人は怪しげな記号が刻まれた結界の中にいた。砂の地面にうっすら文字を書き付けただけの簡素な結界。呪文のような記号は風に吹かれてすぐにかき消えてしまった。
強い光と怪しげな魔法陣。そこまで演出が整っていればゲーマーの彼方にはすぐにわかる。
「つまり前回は印刷されたが、今回は召喚されたわけだ。どこか別の世界から生物を呼び出す術式によって、私はこのエルフの世界に呼び出された」
「はい、恐らくその通りであります」
ここは屋根の上。
並んで座る彼方とイツキの間を緑薫る穏やかな風が通り抜ける。立夏と同じ顔をしたエルフの少女であるリツカと、彼方の相棒である立夏はすぐに意気投合し、例の花を抱えてどこかの家の中に駆けこんでいってしまった。
高所を目指してその辺の家の上にイツキを抱えて登ってみたが、見えるのはつまらない景色ばかりだ。ランドマークの類は一つもなく、間仕切り程度の家屋には美意識とか個性の類が全く感じられない。無秩序に建てられた家々の隙間に、何となく足で踏み固められて変色した地面があるだけ。
適当に組まれた家は二人の重みに耐えかねてギシギシ揺れているが、こんなものが倒壊したところできっとこの村の誰も何とも思わないだろう。
この村の想像力の有様は、元現実世界の過度に合理的なそれとも、ファンタジスタ内での夢見がちなそれとも、KSD世界での全てが過ぎ去ったあとのそれとも異なる。
想像力そのものの不在、悪走すらしない出来の悪いジオラマ。
「こういうことは頻繁にあるのか?」
「頻繁というほどではないですが、たまにあります。伝説の世界から来訪者が現れることは」
「やはり。だから誰も目を輝かせて集まってきたりはしないわけだ」
「そうですね。来訪者は変な道具や服を持っている方が普通であります」
彼方は元現実世界を出たときと同じ服装をしている。つまりボロのような布を纏うエルフたちに混じって、トレンチコートやローラーブレードを装備している。
だというのに、エルフたちが奇異の目を向けることはない。一度だけうっすらエルフが集まったあとは何となく解散してしまったし、村の中を歩いていても軽く頭を下げられるのが精々だ。よそよそしい以前にそもそもの関心が薄い。
「私は氷と土に覆われた異世界から来たが、そういう伝説もあるのか?」
「はい。草も生えぬ荒野の世界で、同じ見た目をした者の軍隊と戦う戦乙女の伝説があります」
「そのままKSDの設定だな」
ここは神話が事実として流通していた頃の世界に近いのかもしれない。
外部と交流する代わりに、伝説というお話の中で異物に対する想像力を培っている。そして御伽噺が現実化する可能性は常に許容されており、こことは全く違う世界の実在も驚くには値しない。
「来訪者が出現したことでトリガーするイベントはないのか? つまり来訪者を歓待する祭りとか、伝説の人物を迎える儀式とか」
「いえ、特には」
「じゃあ私の方から何かしてみるか」
彼方はいきなりイツキの腰を抱きかかえて屋根から飛び降りた。着地の衝撃は全てローラーブレ―ドに逃がし、砂埃を上げて家の周囲をぐるりと回ってから停止する。
あえてダイナミックな降り方をしたのはイツキのリアクションを見るためだが、それは限りなく鈍い。悲鳴の一つくらい上げても良さそうなものを、一度少しびくっと震えただけですぐに平熱に戻ってしまった。
「……」
彼方の中に広がる違和感が明確な形を作りつつあった。
何というか、この村は異様なまでに鈍くさい。オークへの反応も、来訪者への反応も、飛び降りへの反応も。それだけのどかな村ということかもしれないが、オークが虐殺に訪れていてのどかも何もないだろう。
そもそも今は虐殺からあまり時間が経っていないのだ。オークたちは森に退散したとはいえ、まだエルフの死体がその辺に転がっている。
だというのにイツキは平然とした様子で彼方との雑談に興じているのだ。受け答えははっきりしており、ショックのあまり錯乱している様子でもない。
正常すぎるが故の異常。この村はどういう場所で、エルフたちはどういう目でこの世界を見ているのか。この世界を正確に理解するにはもっと時間と情報が必要だ。
「とりあえず住む場所を探したい、今までの来訪者はどうしていた?」
「空いている家ならどこでも使って頂いて構いません。村を案内しましょう」
「助かる」
死体が転がる村を歩きながら、彼方はスマホのメモ帳に見て聞いた情報を素早く書き込んでいく。
幸いこの世界でもスマホのソーラー発電はとりあえず機能している。当然通信は圏外だが、電子記録端末としては使えるだろう。
この村の人口は百人弱。貨幣の類は流通しておらず、物々交換というよりは物品を共有することで成り立っている。私有財産の概念も発達していない。
主には農作によって食糧を賄っているが、採集も適宜行っているようだ。この規模ならば人口は近親相姦で維持されているだろう。男女比は同程度だが皆若く見え、最も老いた者でも三十代くらいに見える。そして今更ではあるが、日本語は誰にでも通じる。
イツキの後ろについて村を一周したあと、村と森を隔てる大きな門の前に到着した。
木製の門はなかなか立派なもので、かつて京都で見た由緒正しい寺を思い出す。門を支える太い丸太の杭は地面に深く食い込み、表面は風化して灰色と茶色が混ざったような古めかしい風情になっている。それは脆さを感じさせる古さでは全くなく、むしろ鉄のように硬化しているのだ。
「立派な門だ。この貫録はいったい何年前からあるのだろう」
「私が物心ついてからずっとありました。気にしたこともありません」
イツキは平然と門を開けて外に足を踏み出した。そのあまりにも堂々とした足取りに動揺するのは彼方の方だ。
「村の外に出るのか? オークが現れて危険なのかと思ったが」
「村の中にないものはだいたい外にありますので。お風呂とか薪割り場とか」
イツキは不思議そうな顔で振り返り、彼方はその後ろに続いた。
彼方にとっては森でいきなりオークに襲われても脅威ではないとはいえ、行動が読めず不審なのはもはやオークよりもイツキの方だ。同胞の死体が転がる村の中を、そして同胞を虐殺したオークが住む森ですらも平然と歩く神経がわからない。
森の中では見覚えのある牛や豚がそのあたりをぶらぶら歩いている。人を襲う植物や羽の生えた馬のようなファンタジックな生き物は特に見当たらない。世界の有様は元現実世界とそれほど隔たっているようには見えず、耳の尖ったエルフや異様な体格のオークもちょっとした人種違いと思って納得できる範疇かもしれない。
イツキに案内されてゴミ捨て場やら畑やら伐採場やらを巡り、再び門の前に帰ってくるまでは一時間程度かかっただろうか。広い森の土地を贅沢に使っており、要所間の距離がそれなりに長い。
「どこに住んでもいいなら、私はリツカたちと一緒に住まわせてもらおうと思う。あの二人は同じ家に住みそうだし」
「案内します。恐らく村の端の方だと思いますので」
「ありがとう」
もう一度村の中に踏み込んだとき、彼方の背筋にはっきりとした寒気が走った。
村の中から死体が片付けられている。さっきまでエルフが倒れていた場所は血痕の上に砂を乗せた焦げ茶色の地面になっている。砂の上では血液が固着することもない。遠目に見ればさっきまでここで虐殺が行われていたとは誰もわからないだろう。
しかし彼方の勘が異常を察知したのは、決して死体の抹消そのものに対してではなかった。死体が片付けられているにも関わらず、この村に漂う雰囲気が一切変化していないことに対してなのだ。
改めて見渡した村は限りなく牧歌的で何も変わっていない。さっき出て行ったときと全く同じだ。もちろんさっきは昼寝していたエルフが今は水を飲んでいるとか、積まれた何かの果物が少し食われて減っているとか、そういうミクロな違いはある。しかし総体としてここにいる人たちの纏う雰囲気、文脈、存在の機微に何のズレも感じられなかった。
本当に欠落しているのは血痕でも肉片でもなく、死を惜しむ空気だろうか。まだオークたちがエルフたちを殺してから数時間しか経っていない。村から嘆きや怒りの声も聞こえない、のどかな村がのどかなままでいることがおかしいのだ。
死とは永遠の終わり、二度と円を結ばない終了点。それは無限に続く安寧の対極のはずだ。いくらのどかな村でも死だけは不可逆終了として絶対にあるはずだ、エルフと一緒にネクロマンサーでもいない限りは。
「さっき死んだ人たちはどうした?」
「肥料にしたのであります。これも重要な栄養源ですし、刻んで土に還しています」
イツキはさらりと答える。
彼方はイツキに背を向けて走り出した。門の外に出て、村のすぐ正面にある畑でそれを確認する。
確かに死体は畑の隅の方に無造作に埋められていた。死体は野菜を刻むように切り交ぜられ、柔らかく茶色い大地の上に血が滲み出している。いくら目立たない場所とはいえ、これだけのものを見逃すことは普段の彼方なら有り得ない。
しかし死体は始めからそう運命づけられていたかのように、そのくらい自然に土の中に混ざっていた。
追いついてきたイツキの顔を見る。少し息が切れているが、死体を前にしても何の感情の動きもない。
「死ですらも無限の円環に組み込まれるというわけだ。生まれた人間は死体になり、死体は作物の肥料になり、作物がまた人を育てる。どこまでも鈍く固着した永劫へ」
「はい。それが自然の摂理であります」
「これではっきりした。あなたは私の知っている樹さんとは違う」
元現実世界で警官だった樹は、人々が望まない理不尽な死を迎えることを何よりも許さなかった。
樹が自殺推進派だったのも、本人が全て納得尽くの死であればそれは理不尽ではないと解釈していたからだ。彼方は大衆の自殺は愚かな死だと考える点では樹と意見を異にしていたが、主体的な自殺は必ずしも不幸ではないとする点では意見が一致していた。
対して、ここにいるイツキはそういう根源的な理不尽に対する感性を全く備えていない。泣き叫びながらオークに殺された死体を埋めて一件落着など、元の樹なら絶対に有り得ないのだ。イツキはこの死を終わりだとすら思っていない。
時間が永劫に巡るこの村では死ですらも終着点であることが許されない。その変化への決定的な感性の鈍さはといえば、この村で起こるイベントの全てを死体の歩みよりも鈍重にしてしまうほどなのだ。
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最強ゲーマー女子高生による終末系百合ライトノベル。#毎日19時更新 #完結保証 #全話AI挿絵付き #ゲーマゲ
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