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2. アイソレーション

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「ワリイけど、来てくれる? Yさんが呼んでっから」

歯抜けのヤンキーをボコってしまった日の放課後、そのツレの元サッカー部ヤンキーにそう言われてついていった。

上級生のYは、ヤンキーとかツッパリという生易しいカテゴリーではなく、いわゆる『ワル』だ。 元々は野球部員だったらしいが、ドロップアウトしてからヤンキーを束ね始めたらしい。 高校生のくせに髭を生やし、見た目はヤー公そのものだ。 

面倒な事になったな、とは思いつつ、冷静にシナリオを考えてみる。

1-  あり金を取られる。
2-  あり金を取られて、ボコられる。

以上の2択だろう。 俺は金の持ち合わせはせいぜい二千円程度だし、ボコられるにしてもまさか殺しはしないだろう。 俺はフルコン空手をやっていたので殴られるのは慣れている。 大したことはない。 相手の満足いくまで殴らせてやろう。 それで終わりだ。

屋上の手前の階段の踊り場でYが俺を見下ろしていた。 

一緒にいたのはボコった歯抜けヤンキーだ。 元サッカー部とその他数人が、俺が逃げないように階段の下で見張っている。

Yは俺をしばらく舐めるように見た後、目を逸らして面倒くさそうに言った。 
「今週中に10万もってこい」

想定していたシナリオにはなかった。 10万という大金を要求されて、心臓がドンと大きく跳ねた。

俺は返事をしなかったが、そのまま五体満足で帰れた。 それは、何がなんでもお前から10万取るぞ、というサインでもある。

Y は校内恐喝の総元締めだった。 お前は1万カンパ集めろ、とか、お前はこのパー券捌け、とか言ってヤンキー共に『ツケ』て、金を集めている。 

ヤンキーは一般生徒から金を集め、Yに金を払うことで校内でも校外でもデカイ顔が出来る。 Yはそうして集めた金を上部団体に払い、そうすることでその地位を維持している。 

上部団体というのがどういうところなのかは大体想像つく。 Yを通じて歯抜けヤンキーのようなバカを金ヅルにしているロクでもない連中だ。 その結果迷惑を被っているのは、罪のない一般の真面目な生徒やその親なのだ。

バカは目の前の快楽しか求めない。 想像力がないから、金を取られて殴られる側の気持ちや、その金の出どころや行き先、用途など全く考えない。 周りが自分を恐れる事に快感を覚え、舐められる事を異常に嫌う。 舐められたくないから、力の強いものをバックに置く。 そのために弱者から搾取する。 行動がサルなのだ。 思考が動物なのだ。

バカは全員この世から消えてしまえ、と本気で思う。 バカがいるからそいつらを使って小遣い稼ぎをするワルが出てくる。 バカがいなくなればワルも影を潜めるはずだし、一般人だって迷惑しない。 もし今、願いがひとつ叶うなら、俺はこの世からそういうバカを全員一瞬で蒸発させてやりたい。

俺は10万なんて大金持っているわけない。 だけど、カンパなんてやったらそういうバカと同じになる。 それだけは絶対にイヤだ。

家路についてからずっと考えていた。
そういえば、怪物君はこのバカ共とツルんでいる様子はなかった。 彼にはこういうワルとバカを遠ざけておくだけの圧倒的なパワーがあったのだろう。 しかし、今になって彼が仲間を欲しがった理由が分かった気がする。 こういう場所で一匹狼で居続けるには、肉体的にも精神的にも相当強くなくてはならない。 

いずれにしても彼はいなくなった。 今、俺はひとりだ。





案の定、バカ共からいつも呼び出しがかかったが、俺はシカトを続けた。 

そんなある日、クラスの担任がアンケートを回した。 恐喝についての実態調査だ。

無記名だったので、俺は何も考えずにアンケートに記入した。

「あなたは、校内で恐喝されたことはありますか?」
「はい」にマルをつけた。

その時は、それがどういう結果を招くか全く考えなかった。 ただ、事実にマルをつけた。

暫くして校長室に呼び出され、教員達の尋問が始まった。 アンケートは無記名だったものの、回収時の席の並びで俺が特定されたのだ。 迂闊だった。

「Yなんだな?」
「…」

校長室に教員達が集まり、まるで俺の方が悪いことをしたかのように詰めて来た。 警察沙汰にするとみんなに迷惑がかかる。 これ以上被害が増えないように、お前が恐喝事件に関わった人間を全て言えば済むことだ。 決して悪いようにはしない、と。

俺は無言で答えなかった。
無言でいる俺に対して、教員達は明らかにイライラした様子だった。

しかし後日、Yは退学処分になった。 
これまで恐喝を働いていた他のヤンキー達も芋づる式に挙げられ、退学、もしくは停学処分を受けた。 

そして、どうやらそれは、俺が証言した事になっていたようだ。 

恐らくYを葬り、早く事件を解決したいと考えた教員達の策略だろう、と思った。 今更どうすることも出来ない。 証人保護プログラムなんてもの、あるわけがない。

当然、バカどもからの嫌がらせがエスカレートしていった。 学校内では手出しはしてこないが、出くわすたびに威嚇してくる。 すると、それまで普通に会話していたクラスの連中も俺を無視し始めた。 一緒にいるととばっちりを食うと思ったのだろう。 

結果的にそれから校内で恐喝は横行しなくなったが、代わりに俺は完全に孤立していき、学校で一言も口を聞かなくなった。

元々属性の不確かな俺だったが、学校生活での完全孤立は、俺が思った以上に孤独で、辛く、苦しいものだった。





夏になり、近所の河川敷でやってた夏祭りにひとりで出かけた。 夏祭りにはヤンキーがつきものだが、人恋しさに我慢できない。 誰でもいいから喋りたい。 中学のときの友達にでも会えれば、辛さも少しは紛れるだろう。

変装のつもりで安物のサングラスをかけて出かけた。 ところが、ひとりでいるところを簡単に連中に見つかった。 人気のいない川岸に連れていかれ、寄ってたかってボコボコにされた。

「ブッチメロ!」「チクりやがってこのやろう」「腹狙え!腹」「オラ!これからは挨拶しろよ!」怒号の中俺は殴られ続けた。

連中の中に例の歯抜けヤンキーを見つけた。 俺はヤツの方へ突進し襟を掴んだ。 俺は殴り殺されようともコイツだけは許さん。 歯抜けヤンキーは一瞬引き攣った表情を見せた。 しかし俺は簡単に数人にの手によって引き離され、引き倒され、蹴られ、挙句、手足を捕まえられて川に放り込まれた。 

臭い水をしこたま飲んだが、やっとの思いで川から這い上がり、その場に座りこんで、吐いた。
連中が去った後、中学のときの同級生が近寄って、大丈夫か?と声をかけて来た。

「お前、しばらく外を出歩かない方がいいよ。 多分これじゃ終わらない。」 
彼が言うには、同じ中学だった連中にもほぼ全員に『俺狩り令』が出ているとのこと。 じゃあ、気を付けろよ、と彼は言って足早に去って行った。

口の中が、ヘドロと血の味がする。 狂うほどの怒りが俺を支配した。

人気のない場所に停めてあった連中のバイクを見つけ、蹴り倒した。 落ちていた棒を拾い上げ、めちゃくちゃにバイクめがけて振り下ろした。 それでも腹の虫は収まらず、キャブレターのチューブを外してこぼれ出た少量のガソリンに火をつけた。

しばらくして轟音と火柱が上がり、気づいた人たちで騒然となる中、俺は家に帰った。
家に帰り、台所の勝手口から入って脱いだ服を洗濯機に入れて回し、シャワーを浴びて、部屋に篭った。

傷の痛みより、怒りで眠れなかった。

それから事態はますます悪化した。

連中は家の前まで来て夜中にバイクの爆音をたてた。 妹達は怯えた。 親は警察に電話したが、パトカーが来る頃には全員既に消えていた。

夜、犬の散歩に行くたびに一台の原チャリが俺を待ち構えていた。 俺を見つけるたび、俺の方に向かってローリングを切って突進して嫌がらせした。 

ある夜、俺は金槌を隠し持って犬の散歩に出かけ、原チャリで待ち構えるヤツに金槌を見せて威嚇した。 来るなら来てみろ、コイツでテメエの頭割ってやる、と無言で凄んだ。
すると、ヤツはUターンして去って行ったが、数分後5~6人の仲間を連れてやって来た。

人気のいないところに連れて行かれ、本当に痛い目にあった。 俺が燃やしたバイクの礼だと言い、数人で押さえつけられ、口の中にジャリを詰められ、殴られた。 口の中も歯もボロボロになった。 

犬は無事だった。





それから俺は本当に外出できなくなった。

毎日学校には行くが、誰とも話さず、下校時にまたいつどこで襲われるかも知れないと、気が気ではない日々が続いた。 

誰を恨めばいい?
アタマの悪いバカヤンキーか?
連中を使って小遣いを稼ぐロクでもないワルか?
自分達の目的の為に俺を犠牲にした教員達か?
助けてもらいながら無視をし続けるクラスメートか?

しかし、誰を恨んだところで事態は変わらない。 誰にも相談することができず、髪の毛まで抜けはじめた。

そして、こんな学校にしか入学できなかった自分を恨み、いっそ死にたいとも思った。

もう、限界だ。

学校にも行かなくなり、部屋にこもって本を読むようになった。 漫画だと直ぐに読み終わってしまうので、だんだんと難解な本を選ぶようになっていった。 

メルヴィル、ドフトエフスキー、サリンジャー…。 それまで勉強したことも本を読んだこともほとんどなかったので、なかなか読み進めることに苦労した。 しかし、そうやって集中しているうちにだんだん落ち着いていった。

しばらくして、俺は遠くに行きたい、と思うようになった。 

なるべく遠く、誰も自分のことなど知らない場所へ行って、全てをやり直したい。 日に日にその思いは強くなり、とうとう決心した。 自分の居場所がここに無ければ、探しに行くほかないだろう、と。

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