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5 睦ぶ

睦ぶ ①

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 早朝、陽がのぼるところを見ようと露台の近くに立った。掬星きくせい城と比べればはるかに低いが、東の砂漠地帯がしらじらと明るみはじめるのは、なかなかいい眺めだと思った。柵に頬杖をつくと、夏の朝の生ぬるい風が頬を撫でた。

「もうちょっと下がってごらんくださいませんかね、陛下」

「テオ」リアナは振りかえった。
「あまり露台に近づかないように。見晴らしはいいですが、弓兵が身を隠せる場所はいくらでもある」

 中途半端に伸びた金髪を、後ろの上半分だけ結っている。髪を整えて無精ひげを剃り、ルクヴァでも着せれば貴公子に見えそうな、すっきり整った顔なのに、街のゴロツキめいた声と口調のせいで少しばかり損をしていると思った。もっとも、本人は好きでやっていることなのかもしれないが。

 リアナは言われたとおりに、部屋のなかに戻った。早朝なので、サーモンピンクの薄い紗の部屋着と、やわらかなスリッパという恰好だ。
 イーサー公子の結婚式を含めて、そろそろ二週間ほどの滞在になるが、彼女は前日の会議で明日タマリスに戻ることを廷臣たちに告げていた。当初の予定にあったアエディクラには訪問しない。イーゼンテルレに入ってから、リアナ(とオンブリア)を取り巻く情勢は大きく変化しており、とても一人で対処できるものではない、というのが彼女の理由だった。失敗もあれば収穫もあった。いまは、あまり多くを望み過ぎないようにしようと思っていた。なにかを期待して失望するのは、思っていたよりも疲れる。

 この〈ハートレス〉の兵士は、現在はリアナの――というより、彼女の警護責任者でもあるデイミオンの、私的な部下のような立場にある。そして、今回の外遊では、フィルバートの探索を彼に任せていて、その報告に来たというわけだった。

「大将、どうもイーゼンテルレの若君の紹介で、ガエネイス王と会ったみたいっすね」
 テオはつかつかと露台の近くまでやってくると、リアナの近くの壁に背をもたれて腕を組んだ。目線は彼女ではなく、露台の外に油断なく向けられている。フィルもそうだが、どっかりと腰を下ろしている〈ハートレス〉の兵士は、あまり想像ができない。
「聞いたわ」
 リアナもうなずく。
 ちょうど昨夕、イーサーと内々の会談をもったばかりだった。あの、シーズン前の春の狩りの席の前後にフィルは彼と接触し、オンブリアからの亡命を希望していると言った。そして彼が国へ帰るのを追う形で、イーゼンテルレ入りした――リアナは公子の口から直接それを聞いた。
 イーサーのほうでは、シーズン中のフィルのを聞いて、亡命の意向を信じることにしたらしい。
「どうやら、フィルの名前を当てにして、ガエネイスと駆け引きしようとしたみたい。でも、あっちのほうが一枚も二枚も上手だったってわけ」
 ガエネイス王の新兵器を目の当たりにしたイーサーは心底おびえきっていた。いまのイーゼンテルレには、アエディクラの攻撃に耐えうる軍事力はない。
 リアナはフィルの忠告を受け、イーゼンテルレとの協力関係を模索することにした。お互いに自国の利益だけを求める、薄氷を踏むような交渉になるだろうが、アエディクラの脅威を前に指をくわえているよりはましなはずだ。

「〈竜殺しスレイヤー〉フィルバート・スターバウと言えば、人間の国家でも名前が通ってますからね」
「イーサー公子のほうも、当面はフィルをイーゼンテルレ側の駒として使う目算だったみたいなの。いくら武勲が高くても、ガエネイスがオンブリアの貴族をいきなり登用するとは思っていなかったのね」
「そりゃそうだ」
「でも、ガエネイス王はフィルを召し抱えることにした……たぶん、フィルもそのつもりだった? ……そこがイーサーの計算違いだった」
 ついでに言えば、イーゼンテルレがアエディクラに――というか、ガエネイスに戦力を奪われるのは、これが初めてではない。もともと、デーグルモールはアエディクラではなく、傭兵だったのだ。そのことを、リアナは粘り強くイーサーから聞き出そうと努めた。もちろん言質は得られなかったが、ほぼそうだろう、という確信は得ることができた。この件では、大陸の各言語に通じたファニーの推理がとても役に立ったのだが、それはまた別の話。


「それで……フィルとは接触できたんでしょう?」
 リアナが聞くと、テオはあいまいにうなずいた。「まぁね」
「どうだったの? 亡命の目的はわかった?」
 テオは、用心深く外を観察していた目を、リアナのほうに下げる。
「そういうことを、部下に漏らす人じゃないんすよ」
 リアナはため息をつく。「ミヤミもそう言ってたわ」

「アエディクラにいて安全なの? ガエネイスは、フィルを信用しているの?」
「まさか。どこにいくにも、半ダースは兵士がついてきてましたよ。接触するのに、どれだけ苦労したか……信用なんかされるわけない、〈ハートレス〉といったってあの人はオンブリアの英雄だし、黒竜大公の実の弟だ」
 リアナは唇をかんだ。どうしていつも、そんなふうに危険なことばかりするのか。あの、アーシャ姫の内偵のときも、そうだった。
「……でも、このままじゃ、フィルは二度とオンブリアに戻れなくなる」
「自分で決めてやってることです。目的のためなら、間諜スパイと呼ばれようがあの人も本望でしょうよ」
 『剣こそわが安寧の祖国』。侍女の言葉を、苦く思い出す。
(剣だけがあなたのり所なの? そこに住む人たちは、わたしは、あなたの支えになれないの?)

「フィルは……なにかあなたに言った?」

「リアナ陛下を守れと」
 その声は固く、テオの顔には迷いがあるように思えた。

」リアナは言った。「。あなたもそうなの、テオ?」
 テオは目に見えてびくっとした。
 それを見て、少しばかり皮肉な気持ちになる。フィルならきっと、動揺のかけらも見せずに返答するだろう。

 リアナは青年に一歩近づくと、その金茶の目を見ながら言った。
「じゃあ、わたしが、あなたに違う命令を言うわ。……フィルのところに行って。彼が成し遂げようとしていることを、あなたも手伝って」

「いきなり何を」テオは目を見張った。
「俺は……あなたの兵ですよ。そういうわけにはいかない。なにかあればいつでもあの人を切り捨てるし、そもそも、いまはあなたの敵となる男だ」

 自分に言い聞かせるようなテオの声に、やっぱり迷っている、とリアナは思った。〈ハートレス〉、彼らのあいだには強いつながりがあって、隊是モットーと、苦しみと、自己犠牲的なまでの勇気を共有している。


「フィルを助けて。きっといまも、すごく危険な綱渡りをしているはずよ。
 ……こんなところで、スパイのまま死なせないで。お願い、テオ」
 
 少し卑怯な押し方をしたかもしれない。テオの名誉のためにいえば、彼はずいぶんと悩んでいた。でも、結局は、ためらいながらもリアナの頼みを聞いてくれた。ケブとハダルクのそばから絶対に離れないと彼女に念を押させて。

 その背中を見送ってから、リアナはひとりつぶやいた。 

「わたしには、たぶんもう、してあげられることがないから」
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