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1 春雷
すれ違う二人 ③
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「今日はずっと剣のけいこをしてくれるって言ったんだ!」少年が叫んだ。
「お仕事のあいだも、あぶなくないところで見ていていいって! それから竜にもさわっていいって! そう約束したのに!」
そういうと、こらえきれずにまたしゃくりあげはじめた。子ども特有の、見ていて痛々しくなるような泣き方だった。よほどがっかりしたのだろう。
ハダルクはそんな少年の様子を不思議な表情でしばらく見守っていたが、やがて、
「失礼します、ナイメリオン卿」といって抱きあげた。
ハダルクが抱いたままゆすってやり、小さな声で何ごとかをずっとささやいてやると、ほどなくして少年は指を口にくわえたまま寝息をたてはじめた。
「ぐずっていたのは、眠たいのもあったみたいだわ」グウィナがほっと息をついた。「あなたに久しぶりに会えると興奮して、昨日はあまり寝つかなかったから」
「隣の部屋にお二人用のベッドを置かせていますから、そこに運びましょう」
「お願いします」
二人は何やら目くばせをしあい、ハダルクが少年を運んで出て行った。
いつも冷静沈着なデイミオンの副官の意外な面を見たような気がして、リアナはついぶしつけに目で追ってしまった。
「ハダルクすごい、お父さんみたい」
「お父さんですもの」グウィナが笑った。
「えっ」
「ヴィクとナイムの父親はハダルク卿ですわ、陛下。やっぱりご存じありませんでしたか」
母親がグウィナ。そして、父親がハダルク。ハダルク??
(えええええ)
リアナは驚きを押し殺した。あまり意外そうに驚くのは失礼かもしれないと思って。だが、興味は止められない。
辺境の〈隠れ里〉は、オンブリアと言っても竜族と人間とが混在して家庭を営んでいた。だから、リアナにとって身近な家族像は「父親と母親と子どもたち」だった。でも、どうやらここタマリスでは様相が違うらしい。
「グウィナ卿とハダルク卿は、結婚は……」
「しておりませんわよ」
グウィナはにこやかに言った。「つがいの相手はほかにおりますが、子に恵まれなければ、繁殖期ごとに通っていただく男性を探すものです」
そういえば、里長のウルカも子どもができなかったときに二人目の妻をもらうとか言って、女衆のひんしゅくを買ったとハニさんが言っていたっけ。
「ハダルクさんって子どもいたんだ……っていうか、ほかにも?」
「ええ。……五公十家のなかには、卿の種の子どもがたくさんいましてよ」
「な、なんか、意外」
「そうですか?」グウィナがいたずらっぽく笑った。
「竜騎手一のたくましい剣の使い手で、すばらしい〈乗り手〉で、お優しくて、しかも何人もの女性に子どもを授けている。子どもが欲しい女性にとっては、喉から手が出るほど欲しい種類の男性でしょう? 彼に繁殖期のお約束をしてもらうのに、とても骨を折ったものですわ」
ハダルクと、グウィナ卿が……。リアナはまだ驚きで呆然としている。グウィナ卿は五公の一人で大貴族の領主、ハダルクは中流貴族と、組みあわせが意外なこともあるが、二人が人前では社交的な距離を保っているせいもあって、まさか子どもを為すほど親密な関係だとは思わなかったのが大きい。
「ハダルク卿には本当に感謝していますの。ヴィクだけではなくて、ナイムも授けてくれたのですもの。子どものあしらいもとてもお上手で、二人ともすごく懐いているんですよ」
グウィナの声には愛情と、それでもなお夫ではないという距離感がうかがえた。それを、どう考えていいのかわからない。
「ハダルクは立派な男だ」デイミオンが言った。気がつくと赤ん坊はいくぶん落ち着きを取り戻していたが、デイミオンの腕のなかから手を伸ばし、「ああ」「うう」とうなりながら小さな手をいっぱいに開いたり閉じたりしていた。苦労しながらもなんとか一人であやしつけたらしい。
「健康で丈夫な子どもを五人ももうけている。あやかりたいものだ」
と、ため息まじりにそう言う。
グウィナが声をかけてデイミオンから赤ん坊を受け取った。ほっとしたのか、デイミオンはかすかな笑みを浮かべて、横から赤ん坊の額に貼りついた髪を払ってやった。その優しい手つきと微笑みに、リアナの胸は締めつけられる。
(デイミオンは子どもが欲しいんだ)
竜族の青年期は長い。
デイミオンもフィルバートも、見かけ上の年齢はリアナとさほど変わらない。けれど、フィルバートがかつて、まだ赤ん坊だった彼女を養父イニの元に連れていったのだと告白したように、彼らはすでにリアナの数倍の年月を生きている。
だから、考えてみれば当たり前のことだった。デイミオンはリアナを大切にしてくれているし、たぶん愛してもくれているが、彼にとっては子をもうけるという竜族の男性の義務に勝るものはないのだ。繁殖期の務めは、そのための大切な仕事で、遊びではない。まだ繁殖期の相手もできないような自分が、気に入らないからとやめさせられるようなものでもなかった。
(そう、思わないといけないのに)
好きな相手を理解して支えたい。わからない子どものようなことは言いたくない。それでも、いまリアナが感じているのはどうしようもない徒労感だった。
「そろそろ戻りますね。グウィナ卿、あとで子どもたちに竜舎を見せてあげてくださいね」
そう言うと踵をかえした。
「リア――?」
背後でいぶかしげに呼びかける、青年の声にリアナは気がつかないふりをした。それ以外に、どうしようもなかったから。
「お仕事のあいだも、あぶなくないところで見ていていいって! それから竜にもさわっていいって! そう約束したのに!」
そういうと、こらえきれずにまたしゃくりあげはじめた。子ども特有の、見ていて痛々しくなるような泣き方だった。よほどがっかりしたのだろう。
ハダルクはそんな少年の様子を不思議な表情でしばらく見守っていたが、やがて、
「失礼します、ナイメリオン卿」といって抱きあげた。
ハダルクが抱いたままゆすってやり、小さな声で何ごとかをずっとささやいてやると、ほどなくして少年は指を口にくわえたまま寝息をたてはじめた。
「ぐずっていたのは、眠たいのもあったみたいだわ」グウィナがほっと息をついた。「あなたに久しぶりに会えると興奮して、昨日はあまり寝つかなかったから」
「隣の部屋にお二人用のベッドを置かせていますから、そこに運びましょう」
「お願いします」
二人は何やら目くばせをしあい、ハダルクが少年を運んで出て行った。
いつも冷静沈着なデイミオンの副官の意外な面を見たような気がして、リアナはついぶしつけに目で追ってしまった。
「ハダルクすごい、お父さんみたい」
「お父さんですもの」グウィナが笑った。
「えっ」
「ヴィクとナイムの父親はハダルク卿ですわ、陛下。やっぱりご存じありませんでしたか」
母親がグウィナ。そして、父親がハダルク。ハダルク??
(えええええ)
リアナは驚きを押し殺した。あまり意外そうに驚くのは失礼かもしれないと思って。だが、興味は止められない。
辺境の〈隠れ里〉は、オンブリアと言っても竜族と人間とが混在して家庭を営んでいた。だから、リアナにとって身近な家族像は「父親と母親と子どもたち」だった。でも、どうやらここタマリスでは様相が違うらしい。
「グウィナ卿とハダルク卿は、結婚は……」
「しておりませんわよ」
グウィナはにこやかに言った。「つがいの相手はほかにおりますが、子に恵まれなければ、繁殖期ごとに通っていただく男性を探すものです」
そういえば、里長のウルカも子どもができなかったときに二人目の妻をもらうとか言って、女衆のひんしゅくを買ったとハニさんが言っていたっけ。
「ハダルクさんって子どもいたんだ……っていうか、ほかにも?」
「ええ。……五公十家のなかには、卿の種の子どもがたくさんいましてよ」
「な、なんか、意外」
「そうですか?」グウィナがいたずらっぽく笑った。
「竜騎手一のたくましい剣の使い手で、すばらしい〈乗り手〉で、お優しくて、しかも何人もの女性に子どもを授けている。子どもが欲しい女性にとっては、喉から手が出るほど欲しい種類の男性でしょう? 彼に繁殖期のお約束をしてもらうのに、とても骨を折ったものですわ」
ハダルクと、グウィナ卿が……。リアナはまだ驚きで呆然としている。グウィナ卿は五公の一人で大貴族の領主、ハダルクは中流貴族と、組みあわせが意外なこともあるが、二人が人前では社交的な距離を保っているせいもあって、まさか子どもを為すほど親密な関係だとは思わなかったのが大きい。
「ハダルク卿には本当に感謝していますの。ヴィクだけではなくて、ナイムも授けてくれたのですもの。子どものあしらいもとてもお上手で、二人ともすごく懐いているんですよ」
グウィナの声には愛情と、それでもなお夫ではないという距離感がうかがえた。それを、どう考えていいのかわからない。
「ハダルクは立派な男だ」デイミオンが言った。気がつくと赤ん坊はいくぶん落ち着きを取り戻していたが、デイミオンの腕のなかから手を伸ばし、「ああ」「うう」とうなりながら小さな手をいっぱいに開いたり閉じたりしていた。苦労しながらもなんとか一人であやしつけたらしい。
「健康で丈夫な子どもを五人ももうけている。あやかりたいものだ」
と、ため息まじりにそう言う。
グウィナが声をかけてデイミオンから赤ん坊を受け取った。ほっとしたのか、デイミオンはかすかな笑みを浮かべて、横から赤ん坊の額に貼りついた髪を払ってやった。その優しい手つきと微笑みに、リアナの胸は締めつけられる。
(デイミオンは子どもが欲しいんだ)
竜族の青年期は長い。
デイミオンもフィルバートも、見かけ上の年齢はリアナとさほど変わらない。けれど、フィルバートがかつて、まだ赤ん坊だった彼女を養父イニの元に連れていったのだと告白したように、彼らはすでにリアナの数倍の年月を生きている。
だから、考えてみれば当たり前のことだった。デイミオンはリアナを大切にしてくれているし、たぶん愛してもくれているが、彼にとっては子をもうけるという竜族の男性の義務に勝るものはないのだ。繁殖期の務めは、そのための大切な仕事で、遊びではない。まだ繁殖期の相手もできないような自分が、気に入らないからとやめさせられるようなものでもなかった。
(そう、思わないといけないのに)
好きな相手を理解して支えたい。わからない子どものようなことは言いたくない。それでも、いまリアナが感じているのはどうしようもない徒労感だった。
「そろそろ戻りますね。グウィナ卿、あとで子どもたちに竜舎を見せてあげてくださいね」
そう言うと踵をかえした。
「リア――?」
背後でいぶかしげに呼びかける、青年の声にリアナは気がつかないふりをした。それ以外に、どうしようもなかったから。
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